赤銅色の夜が終わる。
紅い月は再び青白き月光を取り戻し、嵯峨野の山々へと沈んでいく。背後を振り返れば瓜生山の頂がうっすらと白み始めていた。
晴れ渡った空に地表の熱が奪われたか、気温はひどく低かった。
深夜の雨で湿った空気が、霞となって立ち込めてゆく。
その瓜生山の中腹に伸びる道。
曼珠院へと繋がる参道の最中に立って、美織の視界に京都洛北の景色が広がっていた。
少しずつ明け行く空の下。霞に沈み行く景色を徐々に手前に下げてゆくと、住宅街の中、ポツンと生える一本の松が見える。
一乗寺下がり松。
かつて剣豪・宮本武蔵が剣法道場・吉岡一門との死闘を繰り広げた場所として有名である。
そして現代。
三百年の時を超えて、この場所で再び死闘が繰り広げられようとしていた。
周囲を霞が白く埋め尽くしていく。同時に、ピィンと張り詰めた空気があたりに満ちていく。
いつもなら夜明けを知った小鳥たちの囀りが響くはずなのに、今朝はそれも聞こえない。
――どうか、来ないで………
静寂の中、美織は祈っていた。
「何を祈る?」
日紅だった。
参道の中央に一人で仁王立ちになっている。
(祈ってなんかいないわ……そう、笑っていたのよ)
日紅のベルトのバックル部、太陽の石の中に、美織は居た。
「ふん、笑うだと?」
(そうよ、あなたたちの馬鹿さ加減を笑ったのよ。私を人質に雄介さんを誘き出そうとしたつもりでしょうけど………来るはずが無いわ)
「何故そう思う」
(私に人質の価値なんて無いってことよ。私はただの精神体、月の石の“影”みたいなものよ。そうよ、もう死んでるの。私が居なくても月紅には変身できるし、何より、雄介さんが守るべきなのは月の石であって私じゃない。今頃、遠くへ逃げているわ。待っていたって来ないわ。来るはずがない)
「ふふふ、確かにその通り。しかしお前の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているみたいじゃないか。俺を笑うといったが、まるで悲鳴のように聞こえるぞ?」
(勝手に言えばいいっ……あなたのやろうとすることは全部無駄になるんだから。そもそも、私を太陽の石に入れた時点であなたの負けなのよ!)
美織の叫びと共に太陽の石が強烈に輝きだした。
同時に日紅の身体が一瞬強張る。
「ふははは、これは面白い。あの時、俺を吹き飛ばした力か。太陽の石に干渉して俺を封じようというのか」
(そうよ。月の石は私が内部に存在していた為に本来の力を発揮できなかったのよ。あなたはわざわざ自分でハンディキャップを負ったのよ!)
そうなのだ。美織はその存在を維持するため、月の石と装着者に負担を強いてしまっていたのだった。
雄介は当然ながら、この事実を既に知っている。
そうと知った上で、この二ヶ月間の間、ずっと美織の存在を宿し続け、怪人たちと戦い続けてきたのだった。
「ハンデか。この程度で済むならいくらでも背負ってやるがな」
まったく余裕の日紅の言葉。
太陽の石の中、美織の存在に強力な圧力がかけられた。
(きゃぁっ!?)
「無駄な抵抗はしないことだ。これ以上の負荷は、お前の存在そのものに関わる」
美織の意思の力は、日紅の意思の力の前に容易く捩じ伏せられた。
(んっ……くふっ……い、いっそ殺しなさい!)
「月紅を押える重要な鍵だ。そうはいかん」
(来るはずないっ、私に人質の価値なんて無いっ、何度も言わせないでっ!)
悲鳴のような、いや、悲鳴そのものだ。
「いつまでも強情を張る。一言発するたびにお前自身の心がボロボロに傷ついていくのが判るぞ。愚かな真似をする。どれ、興味が湧いてきた。お前の本心とやらを見せてもらおうか」
美織を押さえつける圧力が、一点に集約し始め、それが美織の意思を鋭く穿った。
(うあ…ああぁぁぁぁああぁぁあっ!?)
美織の意思をまったく無視して日紅の意思の断片が侵食してくる。
「成程、来るはず無いと言っておきながら、奥底では狂おしいほどに月紅を求めている」
(嫌…やめ…て……)
美織の中、日紅の意思が容赦なく陵辱していく。
これはまるで強姦だ。
「来ると確信しているから、来るなと願う。何ともアンビバレントな心じゃないか」
美織の意思に嘲りの痕を残して、日紅の意思が引き抜かれた。
(ゆ…許さない……あなただけは絶対に許さないっ!!)
「はっはっは、結構だ。それでいい。月紅が来たならばお前をすぐに月の石に送り返してやろう。愛しい男と共に俺に立ち向かってくるがいい。もっとも、お前の怒りが、その存在が、月紅にとっての負担になるだけだがな」
(くぅッ………)
悔しいがその通りなのだ。
ザワワワワワワ……
辺りに不気味な気配が泡立つ。周囲の森のあちこちに。
参道は、下がり松から途中に詩仙堂への入り口をはさみ曼珠院へ延びる一本道。その要所要所に、何体もの怪人が身を潜めていた。
怪人たちが息を潜める参道周辺に広がる住宅街は、まるで死んだように静まり返っていた。
嵐の前の静けさとも言えるが、実態は少し違っていた。
怪人たち一体一体が持つ、太陽の石の力の副作用。人間の認識能力に干渉し、非現実的な現実を否定させてしまう能力。
その能力が狭い地域に大量に集結した結果、そこに住む人々は皆、現実を正しく認識できなくなっていた。
例え、目の前を怪人が跋扈し、激しい戦いを繰り広げたとしても、彼らはそれを全て夢だと断じてしまうだろう。
ここはまさに結界を張られた異界空間だった。
美織の中に残る、日紅の残滓がその怪人の存在を教える。
その数、七十体。
美織という制約から解き放たれた月紅の力を警戒した、必殺の陣。日紅は総力をもって待ち受けているのだ。
そして、雄介はそれでも来る。
来ると判ってしまうから、来るなと願わずにはいられない。
願いは――破られた。
「来た」
日紅の呟きと同時に、けたたましいエンジン音が響き渡った。
――グワオオォォォン!!!!
朝の静寂を破る鮮烈なエグゾーストノート。
眼下の住宅地、下がり松から徐々に近づいてくるのが判る。
日紅の傍、山犬のような怪人が姿を現した。
「日紅様、このエンジン音、この匂い、レッドホッパーに間違いありません」
「征け」
「はっ」
山犬は参道を駆け下りていく。
周囲の森の中、怪人たちの気配も堰を切ったように蠢き始めた。
参道を登ってくるであろう、月紅に向かって山を駆け下りていく。
地をかける爆音。
怪人たちの唸り声が辺り一帯に響き渡る。
一瞬の静寂。
立て続けに三つの爆発が霧の向こう側に上がった。
「うきゅうぅぅぅ!!」
勝ち誇ったようなこの鳴き声はレッドホッパーだ。
参道の伸びる先、霧の向こうにレッドホッパーのエメラルドの瞳が時折光る。
ザワリ…
日紅の周囲に新たな影たちが姿を現した。
下山せず、日紅の周囲で護衛の任についていたモノたちだ。
「お前たちも征け」
日紅の言葉に、怪人たちはわずかに逡巡したが、すぐにその命令に従った。
日紅の周囲を、見る見るうちに怪人たちの気配が流れていく。
参道沿いに展開していた怪人全てが一斉に下山し始めたのだ。
霧の向こうで再び爆発が上がる。
「中々、やる。しかし真正面から来るとは愚直もいいところだ。七十体の怪人を相手にせいぜい頑張ることだ」
レッドホッパーのエンジン音はけたたましく唸りを上げながらも、中々近づいてこない。
続々と押し寄せる怪人たちに相当の苦戦を強いられているようだ。
日紅の背後、参道の上からまだまだ怪人が降りてこようとしている。
(――雄介さん!)
「ははは、さっきまでの威勢はどうした。お前の心をどんどん絶望が覆っていくぞ?」
(雄介さん――!)
恐怖が、絶望が心を締め付けていく。
逃げて。
私のことなんてもういいから、お願いだから逃げて!
(雄介さぁぁんっ!!)
「美織ぃぃい!!」
その突然の呼び声に、美織が、いや、日紅やその周りを通り過ぎて下山しようとしていた怪人たちの動きまでが止まった。
全員が声のしたほうを向く。
それは、月紅が居るはずの場所とは反対の方向。
参道の上。
駆け下りてくる怪人たちの最後方から聞こえてきた。
日紅が振り返ったとき、参道の上、霧の向こうから、一体の影が飛び出してきた。
いや、飛び出したというより、何者かに放り出されたといったほうがいい。
それは日紅の足元にまで転がってきた。
「に…日紅様」
蟷螂(かまきり)怪人だった。
「や、奴です。…下は…囮――」
蟷螂がそこまで行った瞬間、その身体が爆発した。
「囮…だと?」
日紅は間近で爆発を浴びたにも関わらず、微動だにしなかった。
だが、その視界はモウモウとした黒煙に覆われてしまっている。
すぐに煙は晴れていく。
晴れた視界の先、霧の向こうから姿を現したのは………
(雄介さんっ!?)
「何!?」
ベルトをつけた雄介の姿がそこにあった。
雄介の左手がバックル部の月の石へとかざされる。
参道の脇から蜥蜴(とかげ)怪人が飛び出し、雄介に襲い掛かっていく。
(危ないっ!?)
雄介の右の拳が、蜥蜴を殴り飛ばした。
その腰で、月の石が激しく輝きだす。
「変…身!!」
左手で光を掴み、それを己の目の前へとかざす。
虹色のオーラが全身を包み、その姿を紅き異形へと変えてゆく。
そして現れたのは、
「月紅!?」
ザワワワワワワワワワワワワ。
蜻蛉(とんぼ)怪人が、
蝦蟇(がま)怪人が、
雀蜂(すずめばち)怪人が、
大鴉(おおからす)怪人が、
鰐亀(わにがめ)怪人が、
下山せずにまだ残っていた怪人たちが、
一斉に月紅めがけ襲い掛かる!
その怪人たちの群れの間を、紅き旋風が駆け抜けた。
月紅の拳は怪人の身体をやすやすと打ち抜き、その回し蹴りは竜巻のように怪人を薙ぎ倒していく。
「それでこそ月紅!」
堪え切れぬといった風情で日紅が飛び出した。
怪人たちを一瞬にして叩き伏せ、月紅もまた日紅へ向かって駆け出していく。
「むおおぉぉおぉ!!」
「トオォォォッ!!」
日紅の拳と月紅の拳が真正面からぶつかり合った。
同時に敗れ果てた怪人たちが次々と爆発する。
あたり一面を爆風が荒れ狂う。
その爆風に乗って、日紅と月紅、二人の異形は空中高くへと跳躍した。
月紅が回し蹴りを繰り出せば、日紅は間髪いれず正拳突きで反撃する。
空中で繰り広げられる激しい攻防。
この光景を残る怪人たちも目撃していた。
「あれは日紅様!」
「月紅と戦っているだと!?」
「馬鹿な、では我々が戦っている相手は何者だ!?」
「レッドホッパーに乗っている男は誰だ!?」
混乱する怪人たちの間を、霧に隠れ、森に隠れながら、レッドホッパーが駆け抜けていく。
その背には紅い影が跨っていた。
「行くぜホッパー!」
「うっきゅきゅぅー!!」
それは木越だった。
紅いライダースーツを身に纏い、紅いフルフェイスのヘルメットを被り、彼はレッドホッパーに跨り、怪人たちの待ち受ける必殺の陣に真正面から飛び込んできたのだった。
立ち込める霧と、レッドホッパーの凄まじい機動力によって怪人たちはあたかも月紅そのものと信じ込んでいた。
「舐めるな人間!」
行く手を塞ぐように野牛怪人が立ちはだかる。それに対し、木越とレッドホッパーは臆することなく立ち向かった。
「人間を舐めるな!」
「うきゃぁっ!」
野牛を前輪にかけ、その勢いのままレッドホッパーは跳躍した。
飛び込んだ先、着地した場所は枯山水の庭園のど真ん中。
ここは詩仙堂。
広く、静けさすら漂わせる庭園。
周囲には丸く刈り込まれた庭木がある。
白砂を踏みしめ、木越とレッドホッパーを取り囲むように数体の怪人たちが現れた。
大鼠(おおねずみ)怪人、
鍬形(くわがた)怪人、
山犬怪人、
蠍(さそり)怪人……
「よくも虚仮にしてくれたもんだ」
「虚仮にされるほうが悪いんだよ。……なんだよ、追っかけてきたのはお前たちだけか? もっと居ただろうが」
「お前程度、我らで充分。三秒で捻り潰し、我らも日紅様の応援に駆けつけねば」
「三秒? 言ってくれるじゃないか」
「うきゃっ!」
ザワッ、怪人が一歩詰め寄る。
静寂。
添水唐臼(そうずかずら)がカーンと響き渡った。
「しゃぁあああぁっ」
怪人がどっと押し寄せる。
レッドホッパーが前輪を固定したまま、後輪で激しく大地を蹴った。
前輪を中心として、車体そのものが勢いよく横回転を始める。
巻き上がる白砂。
跳ね飛ばされる怪人たち。
「美織ィッ、待ってろよ。俺たちも今行くぜ!」
「うきゅー!」
レッドホッパーが詩仙堂を再び飛び出していく。
「ぐのぉぉっ、このままでは済まさんぞぉっ!」
ダメージを受けながらも、怪人たちもまた誌仙堂を飛び出していった。
無人の庭に、添水唐臼がカーンと鳴る。
戦いは続く。
曼珠院。
江戸時代初期に開創された寺院であり、質素で清楚な趣を感じさせる場所である。
霧深き早朝、その神聖な静寂を打ち破って、参道を駆け上がってくる二体の紅き異形の姿があった。
一人は、己の野望のために太陽の石の力を振るう魔人・日紅。
一人は、少女一人のために大群を相手に命を賭ける男・月紅。
互いに対峙し、激しく拳を交わしながら二人の異形はついに曼珠院まで到達した。
二人は立ち止まらず、閉ざされた山門を軽々と飛び越え、本堂のこけら葺きの屋根の上へと着地する。
「月紅、俺と互角に渡り合うとは、やはり月の石の力が増しているようだな」
「日紅、俺たちから手を引け。これ以上戦ったところでなんになる?」
「俺の野望には太陽の石と月の石、両方がどうしても必要なのよ。そのためにはどんな手段でも使おう」
「彼女を……解放しろ」
「その意味を判って言っているのか? ふふふ、良いだろう」
日紅が水晶に手をかざす。
太陽の石が激しく輝き、その中に美織の姿がはっきりと映し出された。
「美織ちゃん!」
(雄介さん、駄目。私を受け入れないで。私ごと日紅を倒してっ!)
「っ!?」
その“声”ははっきりと雄介の耳に届いた。
「ふふふ、さぁ月紅、どうする?」
「どうするも、こうするも……迷うわけが無いっ!」
月紅は言うや否や、水晶に手をかざした。
同じように月の石が輝きだす。
太陽の石と月の石。
二つの水晶が耀き合い、同調を始めた。
輝きはやがて一条の光となり、互いの水晶の間に光の回廊を架け渡した。
(雄介さん……)
「美織ちゃん。良かった」
光の回廊が消えたとき、美織の存在は再び月の石の中に舞い戻っていた。
(雄介さんのバカっ。どうして来たんですか。私のことなんか忘れてしまっても良かったのに……)
「君を守るって、約束したからね」
(私は月の石を守ってと言ったんです! 私は…私は…)
美織が泣いた。
その泣き声を、その存在を感じ取ることが出来る。
それは何者にも代えがたいものだった。
月の石の力が、自分の体力が消耗を始めていることが判る。
だが、そんな事は些細なことだ。
「君を、守る」
万感の想いと決意を込めて言った言葉を、日紅の陰々とした声が遮った。
「ふははははは、とんだ茶番だ」
「茶番なものか。俺たちはこんなところで、お前に負ける訳には行かないんだ!」
「じゃぁ、まずは俺を倒してみろよ」
ズイッと日紅が踏み込んでくる。
月紅もまた踏み込んだ。
互いの間合いが詰まる。
「トオォオッ!」
気合一閃、全力を込めた右拳を日紅の顔面めがけ叩き込む。
「遅い」
日紅は僅かに首をかしげその拳をかわす。
間髪いれずに月紅の左が日紅の右わき腹へと薙ぎ打たれた。
鈍い音が響き渡る。
しかし、月紅の左拳は日紅のわき腹に届かず、その右腕に遮られてしまっていた。
「どうしたぁっ、速度も威力も弱体化してるじゃぁ無いか」
月紅の拳を払いのけ、日紅の拳が腹部に叩き込まれた。
一発。
二発。
いや三発。
目にも止まらぬ連打。
苦しさに前かがみになったところを膝蹴りが襲い掛かった。
「ぐあぁっ!」
(きゃぁっ!)
思わず漏れた悲鳴の中に、美織の悲鳴が重なっていた。
「み…美織ちゃん!?」
美織が装着者と感覚を共有することが出来るというのは以前説明したとおり。
しかし、雄介は戦闘中にはあえてその共有を断ち切っていた。
「美織ちゃん、共有しちゃ駄目だ!」
(い…嫌です)
雄介は感覚を断ち切ろうとしたが、美織は必死にしがみついてくるようだった。
「美織ちゃん!」
(嫌です。雄介さんだけが傷つくなんて嫌! …私は何にも出来ないから……だから、せめて同じ痛みを感じさせて)
「美織――」
日紅の蹴りが月紅を襲う。
屋根の端まで吹っ飛ばされた。
「くっ!?」
(うっ……)
日紅がさらに追い討ちをかけようと迫ってくる。
月紅は起き上がり様に右拳を放った――が、その拳はあっさりと受け止められ、逆にその腕をつかまれ封じ込められてしまった。
捕まれた右腕が捻り上げられた。
いっぺんの容赦も無いその力。
――ボキッ
強化されたはずの身体が、その肩が、外された。
「がぁああああっ!!?」
(――――――っ!!)
雄介と美織の意識を激痛が揺さぶる。
思考が真っ白になる。
本堂の屋根の上、月紅は外れた右腕を押えながら悲鳴をこらえ蹲っていた。
「そろそろ終りにしようか」
日紅が月紅の首を掴み、その身体を持ち上げた。
「ただの男がよく頑張ったよ……何処までも邪魔しやがって」
喉元に食い込む日紅の指に力が込められた。
首の骨がギリギリと悲鳴を上げる。
「……!!」」
(う…くぅん……―――!?)
突然、美織の痛み、苦しみが消えた。
(雄介さん、まさか!?)
雄介が無理やり美織との感覚の共有を断ち切ったのだ。
(雄介さん、ダメェェェッ!)
美織の悲鳴。
ゴキッと音がして、月紅の首が奇妙な方向にガックリと傾いた。
その全身から力が抜けていく。
山間にバイクの爆音が鳴り響いた。
「雄介ぇッ」
レッドホッパーに跨り、木越が曼珠院の境内へと飛び込んできた。
本堂の上の景色を見て、思わずその動きが止まる。
「そ、そんな…!」
ザワワワワワワワワワワワ。
レッドホッパーを追うように、何十体もの怪人たちも続々と境内へと飛び込んでくる。
「おお、見ろ」
「日紅様だ」
「月紅は死んだ!」
木越を追うことも忘れ、怪人たちはみな本堂を見上げている。
既に境内は怪人たちに埋め尽くされようとしていた。
日紅が境内を見下ろし、木越の姿を見つけた。
その仮面のような顔に、冷笑が浮かんだように見えた。
その手で月紅を掴み上げたまま、残る片手が月紅のベルトを掴み、勢いよく引きちぎった。
その瞬間、怪人たちが一斉に歓声を上げた。
その不吉な歓声に囲まれながら、木越は悲鳴とも怒りとも判らない叫びを上げていた。
レッドホッパーもまた叫んでいた。
月紅の変身が解ける。
日紅はその身体を木越めがけ無造作に放り投げた。
「うわっ!?」
激しい衝撃と共に雄介の身体が木越にぶつかる。
尻餅をつき、下敷きになりながら何とかその身体を受け止めた。
「雄介、雄介ぇッ!?」
「きゅうぅう~!?」
レッドホッパーも必死に呼びかける。
しかし、木越の腕の中、傷ついた友の身体は徐々にその体温を失っていた。
「雄介ぇッ、起きろこの馬鹿ヤロウ!!」
「はっ、はっ、はっ」
嘲笑が、辺りに響き渡る。
本堂の上、日紅が奪い取ったベルトを高々と掲げていた。
霧の向こうから差し込む朝日が、バックルに埋まる月の石を照らし出す。
日紅の手がベルトの両端にかけられた。
「むんっ」
両側に引かれたその腕によって、ベルトがバラバラに砕け散る。
ベルトに取り付けられていた繭玉のキーホルダーが、ベルトの破片と共に飛び散った。
剥き出しになった水晶・月の石が宙に飛び出し、日紅の手に治まる。
その月の石の中に、美織の姿がまだあった。
「ふふん、あの男と共に死んだと思ったが。どうやら最期の最期までお前を守ろうとしたか。無駄なことを」
(―――――――!!!!)
美織が泣き叫んでいる様子が見える。
しかし、もうその声は誰にも届かない。
「お前ごと月の石を吸収してやろう。なに、お前程度の意識など一瞬でかき消してやるよ」
(――――――!)
太陽の石が輝きだす。
月の石もまた輝きだす。
美織は、遥か眼下で倒れ伏す雄介に向かって必死に手を差し伸べようとしていた。
必死の想い。
必死の願い。
届かないと判っていても、全身全霊を持って手を伸ばす。
たった一人の、大切な人のために。
「あがくな」
太陽の石が輝きを増し、月の石は日紅のベルトへと吸い寄せられていく――
「―――馬鹿なッ!?」
日紅の手から月の石が掻き消えていた。
一体何処へ?
咄嗟に辺りを見渡したとき、その場所がわかった。
なんとそれは、
「美…織?」
木越の目の前、月の石の中に美織の姿があった。
彼女は木越にふっと微笑みかけると、力尽きた雄介を見下ろした。
その伏せた瞳から、涙が零れ落ちる。
月の石が虹色のオーラに包まれた。
やがて月の石そのものがオーラと化し、それは流れるように雄介の身体へと吸い込まれていった。
「月の石そのものを取り込むというのか!?」
日紅の絶叫があたりに響いた。
「させん、そんな事はさせてなるかぁぁあっ!!」
日紅が本堂から跳躍し、木越と雄介めがけ襲い掛かってきた。
紅い拳が唸りを上げて振り下ろされる。
それを防いだのは、雄介だった。
日紅の拳をはっしと受け止め、その腕を封じる。
「ぐ…ぐぬぅ…!?」
変身体である日紅の拳が、まだ変身していない雄介によってたやすく押さえ込まれてしまっていた。
「どういうことだ、これはぁっ!?」
「……判らない。ただ、一つだけ言えることがある」
雄介は日紅を真正面から睨みつけ、言い放った。
「お前の、負けだ」
雄介の腹部、ベルトが無いはずなのに、そこに月の石が輝いていた。
それと同調するように太陽の石が輝く。
輝きは一条の光となり、三度、光の回廊が架け渡された。
日紅の背筋に悪寒が走った。
とられる。
引きずり出される――
雄介と日紅の間で激しい閃光が瞬き、まるで吹き飛ばされるように両者の距離が離れた。
いや、吹き飛ばされ離れたのは日紅ただ一人だ。
何とかたたらを踏みながら踏みとどまった日紅は、腹部に妙な喪失感を感じて反射的に手で探った。
「うっ!?」
ベルトが無い!
顔を上げ、雄介を見る。
「っ!?」
ベルトは雄介に装着されていた。
そのバックルに輝くは、紛れも無く太陽の石!
ベルトを失った日紅の姿が変貌を始めた。
紅い異形から、その姿が白銀の怪人の姿へと変わっていく。
蟋蟀(こおろぎ)怪人。
それが日紅のもう一つの姿だった。
ザワワワワワワワアアァァァ!!!!???
周囲を取り囲む怪人たちに一斉に動揺が走った。
その只中で、雄介はベルトに両手をかざす。
左手は月の石の光を。
右手で太陽の石の光を。
両の手で掴んだ輝きを、自らの相貌へかざした。
「変身…ッ!!」
オーラに包まれたその身体が天高く跳躍した。
木越が、日紅が、怪人たちが、一斉にその姿を見上げる。
霧の一画が晴れ、太陽がその姿を現した。
「うっ!?」
「おおぉっ!?」
太陽をその背に受け、雄介が本堂の屋根の上に降り立った。
白きオーラを身に纏った、漆黒の異形の姿。
太陽を月が隠す、日食の戦士。
「仮面ライダー……月紅!!」
「うおおおおおおおっ!!!」
壮絶な雄叫び上げながら日紅が、いや、蟋蟀怪人が跳びかかって行った。
「ライダァアア……」
黒き月紅もまた跳ぶ。
「キィィィィック!!」
流星の様な一撃が、蟋蟀の身体を撃ち抜いた。
境内に舞い降りた月紅の背後で、蟋蟀が墜落する。
爆発するか、と思われたが、それどころかその白銀の身体は、一瞬にして灰化しボロボロに崩れ去った。
「日紅様が……敗れた!?」
怪人の誰かが叫んだ。
怪人の誰もが、凍りついたように動こうとしなかった。
ザワ……
ザワワ………
ザワワワワワワワワワ…………
黒き月紅を中心に、周囲の怪人たちの間に漣のように恐怖が広がっていく。
「うわわわぁぁぁぁ」
恐怖に駆られ、百足(むかで)怪人が月紅に襲い掛かってきた。
「弦月刀!」
剣筋も見えず、百足が両断された。
それが合図であったかのように周囲の怪人全てが一斉に襲い掛かってきた。
「日輪剣!」
黒き月紅は両手に二振りの刀剣を構え、次々と怪人を斬り裂き、灰化させてゆく。
朝日は再び霧に隠され、さらに霧は深く、深く、山を覆っていく。
霧の中に、全てが沈んでゆく……
次回予告
風が、吹いていた。
桜が、散っていた。
空には、白い雲が流れていた。
そして彼女は―――
第5話「さよならでも泣かないで……」
ここは五条大橋、鴨川のほとり。