仮面ライダー月紅   作:PlusⅨ

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第2話・夢だといって、欲しかった!

 銀澤市。

 

 日本海側有数の市街である。その南側を男川が、北側を女川が流れ、江戸時代から続く情緒豊かな街並みが広がる古い街である。

 

 その街の南、男川近くに伸びるこの街一番の繁華街・肩町通り。

 

 日曜と言うこともあり、この通りは多くの人出で賑わっていた。

 

 夏藤優子もまた、ショッピングのために家族と共に肩町を訪れようとしていた。大学の助教授という職業ゆえ、最近は論文に追われ一人息子に対してろくに家族サービスもしてやれない。日曜くらい、家族揃ってお出かけしようと思っていたのだが。

 

 月曜の講義で使う資料の完成が遅れてしまい、やむなく彼女は朝一番で大学によって、資料を創り上げた後、肩町へ行くことにしたのだった。息子は先に肩町にいっているはずだ。夫に連れられて。

 

 再婚して二年。先月七歳になった一人息子も、新しい父親には良く懐いているようだった。

 

 先に父と二人で肩町へ行ってくれと言ったとき、息子はそれでも嬉しそうな顔をしたものだ。父親と息子、きっと女親には判らない共感があるのかもしれない。それが少し悔しく、また少し嬉しい。

 

 優子は昼前に資料を片付け、大学発、肩町行きのバスに乗り込んだ。休日だが、大学の近くにバス会社の車庫があるためダイヤに変更が少なくて助かる。

 

 バスは街へ伸びる山間の峠道を走り過ぎる。

 

 この道に最後に献花したのは二年前のことだったか。

 

 再婚の報告のつもりだった。吹っ切るのに二年もかかってしまったのは、結局、彼の死体が見つからなかったからかも知れない。行方不明のまま、あの事故からもう四年もたったのだ。

 

 携帯が鳴った。

 

 しまった。マナーモードにするのを忘れていた。バスの乗客の目が彼女に向けられ、優子は慌てて携帯を取り出し、留守電モードに切り替えた。

 

 表示された電話番号は公衆電話のものだった。

 

 バスが市街地に入り、交通量もグッと増した。市街中心の銀澤城公園から香淋坊あたりは大渋滞だ。きっとその先の肩町通りまでかなりの時間を食うだろう。香淋坊と肩町は隣同士だ。歩いたほうが早い。

 

 香淋坊でバスを降りた優子は、歩きながら携帯を開き、先ほどの留守録を聞いてみた。

 

 優子の足が止まった。

 

 それは、四年ぶりに聞く男の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丈介が優子との待ち合わせに指定したのは、香淋坊の通りに面したコーヒーショップだった。

 

 デートの待ち合わせはいつもここだった。

 

 彼女は割りと時間にルーズで、丈介はいつも暇つぶしのために文庫本を読みながら彼女を待ったものだった。

 

(本を読んでいるときのあなたの顔、割と好きよ)

 

 遅れた言い訳にそんな事を言われたときもあった。

 

 彼女は、意外と早く現れた。

 

「ちょうど香淋坊にいたなんて、好都合だったわけだ」

 

「ええ……あなたも元気そうね」

 

 四年ぶりに再会した優子の表情には戸惑いがあった。

 

「今まで、何処にいたの?」

 

 優子の問いに、丈介は少し黙って、

 

「遠いところだ」

 

 とだけ伝えた。

 

「そう……あの事故のあとすぐに消えてしまったから、だいぶ心配したのよ」

 

「事故?」

 

「憶えてないの?」

 

 怪訝な顔をする丈介に、優子は更に怪訝な顔をしながら説明した。

 

 大学からの帰りの、あの峠道。丈介はハンドル操作を誤り、優子ともども崖下に転落した。たまたま通りがかった車の通報により警察と消防が駆けつけ、優子は森の中、壊れたバイクの近くですぐに救助されたが、丈介は見つからなかった。

 

「事故……怪我は無かったのか?」

 

「……私は、幸い軽い打ち身だけで済んだわ。医者から奇跡だって言われたけどね。事故の翌日、息子が泣きながら病室に飛び込んできたわ。それで、私、自分がどれだけ恐ろしい目にあったかようやく自覚したのよ」

 

 優子の瞳が伏せられた。

 

「私は一歩間違えればあの子を……独りに……」

 

「すまん……俺には、事故直前の記憶が無い……すまん」

 

 他に言葉は無かった。

 

 本当は、優子に会って何を話そうかも考えていなかった。ただ、四年と言う月日が実感できず、それを確かめたかったのかもしれない。

 

 確かめる?

 

 何を?

 

 四年という月日がもたらした変化か。それとも変わらないものか。

 

 彼女の携帯番号が変わっていなくてホッとした。

 

 そして今、優子がテーブルの上に組み合わせる両手の、その左手の指に光るリングに気が付いてしまった。

 

 丈介の贈ったリングとは、違うもの。

 

 優子が丈介の視線に気が付き、一瞬、左手の薬指を右手で隠そうとした。が、彼女はすぐにその手をどかした。

 

「結婚……したの。二年前のことよ」

 

 頭の後ろをスウッと冷たいものが流れた気がした。

 

「そう…か」

 

「今日も、これから夫と息子の三人で出かけるつもりだったの」

 

「大丈夫なのか……ここに居て」

 

「ここに来る前に連絡したわ。少し遅くなるって……呼んだのはあなたよ」

 

「…………」

 

「ずっと行方不明のまま……四年も、たったのよ」

 

 沈黙が降りた。

 

 俺は、何を確かめたかったのだろう。過ぎ去った月日を確認したいというのなら、もう充分だ。

 

「もう、行くわ。家族が待ってる」

 

「ああ……会えて嬉しかった。元気でな」

 

 ひどく月並みな台詞が、なぜかスラスラと出た。

 

「あなたも元気でね……さようなら」

 

 優子は席を立ち、店を出た。

 

 

 

 

 

 

 優子は通りに出て、店を振り返る。

 

 窓際の席に丈介の姿があった。何処を見るわけでもなく、一人テーブルの上を見つめている。その憂いた横顔。

 

 四年前、デートのときにいつも待ち合わせ場所に先に来ていた彼。優子を待つ間のその横顔が、好きだった。

 

 優子は肩町へと歩き出す。人混みの中、景色はあっという間に変わり、ふと振り返ると、コーヒーショップももう見えなくなっていた。

 

 空を見上げた。昨晩の雨からずっと曇り空だ。でも、こんな天気はこの地方では珍しいものじゃない。雨はいつだって降るのだ。

 

 ふと、目眩のようなものを感じた。一瞬足がふらつく。

 

――プロトナンバー397。起動せよ……

 

 優子は再び歩き出す。もう振り返ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩町通り。

 

――やっと着いたよ。ここが今回のゲームステージなんだね。

 

 暗い雲を突き破って、拳大ほどの丸い球状の物体が落下してきた。

 

 それも二つ。

 

――いるいる。いっぱい居る。そういえばさぁ、今回もハンデがあるんだよね。ママが用意してくれた奴。

 

 二つのボールは並びながら落下していく。その真下には銀澤市の東から西へ流れる男川。南北に伸びる肩町通りから男川大橋が架けられている。

 

――今回のハンデはいささか強力なものとお聞きしております。自信はおありですかな、坊ちゃま。

 

――まかせてよ、今回は新記録狙ってるから。それに強力な分、経験値だっていっぱい入るんだよね。レベルアップできるかも。

 

――出来ますとも、坊ちゃま。

 

――よーし、ゲームスタートだ!

 

 男川橋が、砕け散った。

 

 橋を渡ろうとしていた何台もの車両が宙を舞い、川へと落ちてゆく。

 

 轟音と土煙が辺り一面を覆っていく。

 

 土煙の中、二つのボールが宙に浮いていた。それは青白いスパークをまるで触手の様に発しながら、そのスパークを周囲の残骸へと伸ばしていく。

 

 崩れ落ちた橋の鉄骨、破壊された車両のボディ、あらゆる残骸が眼に見えぬ力に引かれ、その二つのボールに引き寄せられていく。

 

 土煙が晴れ渡ったとき、そこに居たのは、二体の異形の姿。

 

――レッツプレイ❤

 

 殺戮が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 窓の外、優子の姿が人混みの中に消えていった。丈介は一人、テーブルの上に残った自分のコーヒーを口に運ぶ。

 

 とてつもなく不味かった。

 

 四年たって味が落ちたか。よく通った店だが、この店には金輪際来ることも無いだろう。

 

 カップをテーブルに戻したとき、そのテーブルの上に蝶が居た。

 

――あの子が来たわ! あなたの出番よ!

 

 蝶は背中の大きな羽を強く羽ばたかせながら言った。

 

 丈介はゆっくりと辺りを見回す。周囲の客は平然と自分たちの世界にいる。どうやら声も姿も丈介にしか判らないようになっているらしい。

 

 丈介は再びコーヒーを啜る。泥水のような味がした。

 

――どうしたのよ。お願い、言うことを聞いて。どうして私の言うことを聞いてくれないの?

 

「ふざけるなっ!」

 

 飲み終えたコーヒーカップをテーブルに叩き付けた。破裂音を響かせてカップが粉々に砕け散り、テーブルにひびが入る。

 

――ひっ!?

 

 蝶が身を竦める。ざわついていた店内が一瞬にして静かになった。

 

――な、何を怒っているの!? げ、原因が判らないわ、どういうこと!? きゃぁっ!!

 

 丈介がテーブルを蹴り上げた。テーブルは軽々と垂直に飛び上がり、天井に激突する。

 

「原因も何も、手前ぇが全ての元凶じゃねえかぁっ!」

 

 蝶は変わらず、最初の位置に居た。テーブルが落下し、蝶をすり抜け床に転がる。

 

 店内の客が悲鳴を上げた。

 

 蝶が身と羽を震わせ、泣きそうな声で叫んだ。

 

――あなたの肉体を強化してあげたのよ!? 私の言うことを聞いてくれたって良いじゃないっ!

 

「な、何ィッ!?」

 

 強化してあげた? “あげた”だと?

 

 丈介は目眩を感じた。こいつは、本気でそう言っているのか。

 

 一瞬、とてつもない徒労感が丈介に襲い掛かってきた。

 

 丈介は振り上げた拳を下ろし、まるで夢遊病者のような足取りでコーヒーショップを出ていった。店員も客も、ただ、呆気にとられてそれを見送っていた。

 

 外に出た丈介の後を、蝶が追いすがってきた。

 

――もう、目の前まで来ているのよ。早く。あの子の殺人ゲームを止められるのは、あなたしかいないのよぉっ!

 

 その時だった。

 

 香淋坊の通りの景色が一変した。

 

 丈介の真上に影がさす。

 

「?」

 

 見上げれば曇り空、バスが降ってきた。

 

「っ!!?」

 

 咄嗟に身をよじる丈介の真横、轟音を上げてバスが地面に突き刺さる。

 

 衝撃と土煙とが丈介の視界を奪う!

 

 辺り一帯に人々の悲鳴が木霊した。本日の天気は曇り、ところによってはバスが降るでしょう。

 

 あほか。

 

 丈介の周り、モウモウと吹き上がった土煙が晴れてゆく。

 

 香淋坊の通りのすぐ先、丈介の目の前に広い交差点がある。その向こうに広がるビルの建ち並ぶ通りが肩町だ。

 

 肩町が、崩壊していた。

 

 広がる商店が燃え上がり、片側二車線の道路を埋め尽くす車両の全てが、横転し、煙を噴き上げ、破壊されていた。

 

 通り一帯に瓦礫が散乱している。瓦礫に大量の襤褸(ぼろ)切れがばら撒かれている。

 

 襤褸切れ?

 

 ちがう、人だ。傷つき、ボロボロになった人々がいたるところに転がっているのだ!

 

 周囲には悲鳴と怒号と苦痛の呻き声が満ち溢れていた。

 

――始まってしまったわ。

 

 丈介の横、蝶が呆然と呟いた。

 

――あの子が、いるわ。

 

 蝶が指差した先、崩壊した肩町通りの中心を悠々と歩いてくる一つの人影。

 

 人間ではない。

 

 2mは超える上背、隆々としたその身体つきは、機械と生物が融合したような不気味な質感を持っている。

 

 その顔に光る巨大な赤い瞳。

 

 化け物。

 

 化け物の肩がググッと盛り上がった。肩に盛り上がった瘤の中から、砲身のようなものが突き出された。

 

 閃光が瞬く。同時に幾筋もの火焔が通りのあちらこちらから吹き上がった。舞い上がる瓦礫、吹き飛ばされる人々。

 

――きゃきゃきゃきゃ

 

 化け物の声か、愉快きわまり無いといった笑い声が当たり一帯に響き渡る。

 

 丈介はその景色を呆然と立ちすくんで見ていた。自分の一歩先を境に非現実的な世界が繰り広げられている。

 

 肩町通りから香淋坊に向けて、大勢の人々が一斉に逃げ惑ってきた。丈介の周囲を傷ついた人々が悲鳴を上げながら走りすぎていく。

 

 その人ごみの向こう、化け物が通りに横転した軽自動車の一台を片手で掴み上げた。1トンもの車体が軽々と持ち上げられる。

 

 軽自動車が、飛んだ。

 

 車体は放物線を描いて逃げ惑う人々の頭上へと達する。丈介は見た。車体の落下予想地点に父子連れがいた。

 

「ちくしょおぉぉぉっ!」

 

 丈介は走り出す。その父子連れに向かって。間に合う距離じゃないはずだった。全身に力が漲る。身体が軽い。車体がまさしく父子連れを押しつぶそうとした瞬間、弾丸のように飛び込んできた丈介が車体を弾き返していた。

 

 車体は再び放物線を描き、化け物へと落下していく。

 

 化け物の肩の砲身が閃光を発し、車体は空中で粉々に砕け散った。化け物の赤い目が、丈介に向けられる。

 

 丈介の心に、底知れぬ嫌悪感がわきあがっていた。

 

「ひぃっ!?」

 

 丈介の背後で短い悲鳴が上がった。

 

 振り向けばそこに、先ほどの父子連れがいた。まだ若そうな父親が、七・八歳ぐらいの少年をその身で庇いながら蹲っていた。

 

「おい、早く逃げろ」

 

 丈介がそう言うと、父親の顔が冷や水を浴びたように強張った。

 

「か、怪物…わぁぁっ!?」

 

 父親の腕の中、少年が丈介を指差し、悲鳴を上げた。

 

「怪物っ?」

 

 丈介は思わず自分の顔を手で覆った。

 

 その腕は隆々と筋肉が盛り上がり、深い緑色の装甲のような皮膚に覆われている。手の下の顔の感触は、まるで仮面を被ったようにツルリとしている。丈介の脳裏に、森の中で水溜りに写った異形の姿が浮かぶ。

 

 丈介は、異形へと変身していた。

 

――見ぃつけた。

 

 その嬉々とした声に、丈介は再び化け物に向き直る。

 

――これが、今回のゲームのハンディキャップなんだね。

 

 化け物はそう言って、丈介に向かって指を突きつけた。

 

――さぁゲームをやろうよ。

 

 化け物の肩の砲身が丈介に向けられる。

 

「拙い、逃げろぉっ」

 

 丈介は背後の父子連れに呼びかけた。しかし恐怖で足がすくんだか、父親は立とうとしない。腕の中の息子を守ろうと全身で抱きすくめている。

 

――行くよ~。

 

 無邪気とも思える声を上げながら、閃光が発せられた。丈介は父子連れの前で両腕を広げ仁王立ちになる。

 

 視界が真っ赤に染まると同時に、丈介の身体が宙を飛んでいた。

 

 近くのビル壁を突き破り、内部のオフィスをめちゃくちゃに破壊しながら丈介の身体が転がる。

 

「くッ…いってえ……」

 

 全身からぶすぶすと煙を上げながら、丈介は立ち上がった。

 

 体皮が多少焦げた以外、どうやら身体に大した怪我は無いようだ。まったく、頑丈な身体になったものだ。

 

 突き破った壁の穴に駆け寄り、通りを見下ろす。

 

 あの父子連れは無事だった。

 

 父親は息子を抱えながら、必死になって走り去ろうとしている。化け物は通りの真ん中で、丈介を見上げていた。

 

 いいぞ、奴が俺に気を取られている間に早く逃げろ。

 

 父子連れが遠ざかる。

 

 化け物の周囲に生きている人間の姿は無くなったようだ。

 

 いつの間にか、丈介の傍に蝶の姿があった。

 

――あの子は“ザ・サン”。次元を超えてこの世界にやってきた、厄災よ。

 

「成程な、ようやく事態が飲み込めたぜ……この異形の身体は奴と戦うためのものか」

 

 ザ・サンの砲身が丈介に向けられる。

 

「何度も喰らってたまるかよ」

 

 丈介はすかさず通りへと飛び出した。閃光が瞬き、丈介の背後でオフィスが炎を上げて吹き飛ぶ。

 

 降り注ぐビルの破片と共に、丈介は通りへと舞い降りた。

 

――いいね、いいね。楽しいなぁ。

 

 丈介はようやく、この化け物に対して抱く嫌悪の理由が判った。

 

 こいつはこの破壊と殺戮を心底楽しんでいる。

 

 まるで子供の遊びのように、積み木を崩すように建物を破壊し、人形を壊すように人を殺す。

 

「胸糞悪ぃぜ」

 

 丈介はズイッと、ザ・サンへ詰め寄った。

 

 ザ・サンは挑発するかのように手首を返し、人差し指で招いてみせる。

 

「やってやらぁっ!」

 

 丈介の拳が唸りを上げてザ・サンの顔面に叩き付けられた。

 

 激しい激突音が辺りに響き渡る。

 

「うっ!?」

 

 丈介が呻き声を上げた。

 

 ザ・サンは丈介の拳を真っ向から喰らいながらも、平然とその場に立っていた。

 

――何、これでパンチのつもり?

 

「うおぉっ!」

 

 丈介が再び拳を振るった。ザ・サンは防御もせずにその拳を腹部に受けた。

 

 丈介の拳に痺れるような感触が走る。

 

 ザ・サンはビクともしなかった。

 

――パンチってのはね……こう打つんだよ!

 

 丈介の腹部にザ・サンの拳がねじ込まれていた。一点に集約された衝撃が、丈介の身体を貫く。

 

「うごおおっ!?」

 

 苦悶の呻き声を上げて、丈介は崩れ落ちた。この身体でなければ腹に大穴が開いていただろう。

 

――何これ、弱すぎじゃん。

 

 膝をついた丈介に、ザ・サンの容赦ない足蹴りが浴びせられた。その一撃一撃にコンクリートの路面をたやすく踏み砕くほどの破壊力が込められている。

 

 地に伏せた丈介の頭上にザ・サンの足が踏み下ろされ――る寸前に腕でその足を払いのけた。

 

 丈介は何とか立ち上がる。立ち上がり様に力一杯に拳を振るう。

 

 ザ・サンの砲身が目の前にあった。

 

 目の前で閃光がはじけた。衝撃と炎に包まれ、丈介は勢いよく後方へ吹っ飛ぶ。

 

「く、くそっ、くそっ!」

 

 瓦礫を払いのけながら丈介は立ち上がる。

 

 三度、丈介の目の前で閃光が弾けた。近くの店のショウウインドウに頭から突っ込んだ。

 

「ま、まだまだぁっ」

 

 丈介はザ・サンに向かって全力疾走した。その勢いの全てを拳に乗せてパンチを放つ。

 

「うおおおおっ!」

 

――攻撃が単純すぎるよ。つまらない。

 

 拳がヒットする寸前、ザ・サンのカウンターパンチが丈介の顔面に決まった。自身の突進力までがすべてダメージとなって襲い掛かる。

 

「……ぁっ!」

 

 よろめいた丈介を四発目の閃光が吹き飛ばす。

 

「はぁ…はぁ…このぉっ」

 

 肩で息をしながらも丈介は立ち上がる。その身体は、既にボロボロだ。

 

――頑丈なだけじゃん。しつこいよ。

 

 いつの間に移動したのか、ザ・サンが丈介の目の前にいた。構えを取ろうとした丈介に、ザ・サンの拳が叩き込まれた。

 

 丈介の意識が飛びそうになる。それでも倒れまいと足を踏ん張る。

 

――いい加減にしてよね。

 

 ザ・サンの掌が丈介の後頭部を掴み、力いっぱい大地に叩きつけた。コンクリート片が舞い上がり、路面に丈介の異形の顔型が残った。仮面のようなその相貌にヒビが入る。

 

 更にもう一回。

 

 鮮血が流れた。

 

――つまんないよ、お前。この程度じゃ、その身体になった意味無いじゃん。

 

 ザ・サンが丈介の頭を離した。丈介は路上に倒れたまま、全身をピクピクと痙攣させていた。

 

 遠くからサイレン音が近づいてくる。警察車両や消防車、救急車が駆けつけ始めているのだ。

 

――ははっ、また集まってきたね。

 

 ザ・サンはそちらへ向かっていく。横たわる丈介に捨て台詞を投げて。

 

――期待はずれだね。この虫けら。

 

 虫けら、期待はずれ、意味無いじゃん……丈介の心の中に、これらの言葉が渦を巻いた。

 

「ま…待てよ」

 

――?

 

 丈介が、再び立ち上がろうとしていた。全身をがくがくと震わせながら、必死に力を振り絞る。

 

 ザ・サンはその様子を一瞥すると、丈介を無視して再び進みだした。

 

「待てって言っているだろうがぁっ」

 

 丈介は立ちあがった。

 

――何なんだよ、お前。僕もう、うんざりだよ。

 

「俺だってうんざりしてんだよ。だけどなぁ、こんなことで倒れる訳にゃいかねえんだ」

 

――判ってんの? 僕はもうお前に飽きたの。どっか行ってよ。

 

「ふざけんなぁっ!」

 

 丈介は絶叫した。

 

「俺はなぁ、俺にはなぁ、大切な毎日があったんだよ。叶えたい夢だってあったんだ。惚れた女と一緒に、幸せな未来が待っているはずだったんだっ。だけど、だけどよぉっ、その何もかもが、ぶち壊れちまった。……ぶち壊されちまった!」

 

 丈介は構えを取る。その異形の相貌に再び光が宿る。

 

「全部ぶち壊しちまったんだよぉっ、この異形の身体がなぁ! それを無意味だの、虫けらだので簡単に片付けられちゃあ……」

 

 丈介が跳躍した。ザ・サンめがけ、鋭く宙を裂く。

 

「俺の立つ瀬が無ぇんだよぉぉぉっ!!!」

 

 絶望が、

 

 哀しみが、

 

 そして怒りが、

 

 丈介に最後の力を与えたのかもしれない。稲妻のような跳び蹴りがザ・サンに炸裂した。

 

――ぎぇぇぇええぇぇ!!??

 

 ザ・サンの身体が宙を舞い、近くのビルの壁を打ち抜いた。その勢いは止まらず、建物そのものを突き破って反対側の通りまで転がり出た。

 

――ぐっ、な、何だよ突然こんな力だすなんて。ズルイじゃないか!?

 

 壁の穴の向こうで、ザ・サンが立ち上がる。しかし、ダメージはあったようだ。足元が多少ふらついている。

 

「ズルイだあ? 寝ぼけたこと言ってるんじゃねぇぜ。来いよ、もう一発食らわしてやる」

 

 とは言ったものの、正直、丈介ももう立っているだけで精一杯だった。

 

 ザ・サンが瓦礫を踏み越え、丈介へ向かって歩き出す。

 

 もう、攻撃する力も防御する力も無い。それでも丈介は立ち、ザ・サンを真っ向から睨みつけていた。

 

――うっ……

 

 数歩離れたところでザ・サンが立ち止まった。その様子に戸惑いが伺い知れる。丈介の気迫が、ザ・サンを気後れさせていた。

 

 異形同士のにらみ合いが続く。

 

 十秒か、一分か、それとも三十分以上か。

 

 実際にはせいぜい十数秒だろうに、丈介にはそれが恐ろしく長く感じられた。一秒ごとに神経・体力だけでなく、命そのものが削られていくような感覚。

 

 と、その時。

 

――坊ちゃま。

 

 緊迫の対峙を打ち破ったのは、頭上から降り注ぐ陰々とした声だった。

 

――坊ちゃま、タイムアウトでございます。

 

 対峙し続ける丈介とザ・サンの傍に、羽ばたき音を響かせ、黒き異形が舞い降りた。

 

――じいや!

 

 黒き異形は両腕から拡がる巨大な翼を折り畳み、牙が並ぶその口を開いた。

 

――記録を報告いたします。大破・48体。中破・95体。逃走・475体……

 

 ザ・サンに報告しながら、その獣のような目がギラギラと丈介を睨みつけている。蝙蝠と人間を掛け合わせたような、それもどちらとも最悪の部類のものを掛け合わせたような、そんな怪物だった。

 

――総合得点・813点にございます。

 

 いつの間にか蝙蝠が、丈介とザ・サンの間に割り込むように位置していた。その背にザ・サンを庇う。

 

――なんだよ、たったそれだけ? こいつが邪魔しなきゃもっと高得点を狙えたのにぃっ!

 

 蝙蝠が駆けつけた安心感か、ザ・サンの声に無邪気さが戻る。

 

――だからこそのハンディキャップでございます。もっとも、私めが今ここで、こやつを始末してもよろしいのですが。

 

 蝙蝠の表情に、嘲笑の色が浮かんだ。畜生、丈介は内心歯噛みする。俺が限界だと見抜いてやがる。

 

――駄目。こいつは僕の獲物だよ。僕が倒さなくちゃいけないんだから。

 

――くくく…それでこそ坊ちゃま。しかし、ここはひとまず帰るといたしましょう。奥様が間も無くご到着にございます。

 

――ママか。じゃぁ、仕方ないね。

 

――次のゲームは、奥様到着後に、またごゆるりと。

 

 蝙蝠が巨大な羽を広げた。

 

 猛烈な旋風が吹き荒れた。

 

「うおっ!?」

 

 風に飛ばされまいと、丈介は必死に足を踏ん張った。旋風の中、蝙蝠が舞い上がる。その背にはザ・サンの姿があった。

 

――そこの虫けら、次は最初から本気で壊してやるよ。覚悟しといてね。

 

「ざけんなぁっ!」

 

 丈介は飛び去る蝙蝠とザ・サンめがけ中指を突きたてた。

 

 二体の異形が飛び去っていく。丈介はそれを見上げていた。

 

 見上げて、見上げ続けて。

 

 そして倒れた。

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