下校。
ひとりで、下校。
こんなに寂しかったっけか。
本来、俺と一緒に歩いているはずのしずくは、今日は居残りで練習している。『少しでも先輩に追いつきたいの』ですって。偉すぎ。いくらなんでも。今度お茶でも差し入れしようかな。
いやまあ、俺も練習しろって話だけど。
俺もしずくを見習って、家で変身ポーズの研究でもしてみるかね。いつもは台本読みだけなんだが、動きもつけていかないとな。家族には見られたくないが。いや、第三者視点の意見も必要か? そう思いながら、俺は駅のホームでぼんやりと線路を眺めていた。
帰りに買った、『ローホリ』の応急処置用の透明な下敷きの数を確認しながら、駅のホームのイスでりんかい線を待つ。照明神・熊野先輩と道具神・宮下先輩、2人からの頼みだ。明日登校したら、真っ先に3年生の教室に届けに行かねば。
説明しよう!
『ローホリ』とは!
LHやLHLとも略される、舞台照明の用語である。正式名はロアーホリゾントライト。プロの演劇の世界でも、高校演劇の世界でも使える便利な用語なので、覚えておくと便利だぞ。多分。
舞台の最後部に白い幕があり、これをホリゾントと呼ぶのだが、そこに照明で色を付けるためにアッパーホリことアッパーホリゾントライトと、ローホリことロアーホリゾントライトがある。
光の三原色である赤・緑・青(に加えて白が入ってることも多いぞ!)が1つずつ並んでおり、ひとかたまりの長さはおよそ1.82mから、その半分ほどのものが一般的。
1.82mは、昔の日本の単位で『
以上、中学演劇で、ほんの少しだけかじった照明知識より引用。
照明も楽しかったなあ、と中学演劇時代を振り返りつつ、改めて完全に役者側になってしまったなぁ、と思う。無意識に動く横隔膜を胸と腹の間に感じ……ることは流石にないが、それでも無意識な腹式呼吸は増えた気がする。
寝ている時はもとより、リラックスしている時や授業中も、気づけば腹式呼吸になっていたりする。
「ばーん」
ふと、左のこめかみに、何かが当たる感触。本物の銃ではなさそうだ。だとすれば爪……当たっているのは指の爪か。後ろから聞こえた銃声は、女子の声。
「セーフティがかかってるぜ、ルーキー……」
誰だか分からないが、ここまで打ち解けた態度なのだから、顔見知りですらない可能性なんてほぼゼロ。いくら東京のだいたいの電車内やホームの治安が悪いからって、なあ。
俺はその指を軽くつまみ、右に逸らせる。気分は渋川剛気、合気道のようにこちらへ手を引き寄せると、間抜けな声を出して俺の肩に頭をぶつけた。
「ひゃあっ!?」
なんともまあ、見覚えのあるスクールアイドルがいた。
「ああ……」
「何そのリアクション!? 電車の中で! 偶然超カワイイかすみんに会った時のリアクションが!? 頭を抱えてうずくまるって!!」
「説明口調だな。下手な高校演劇の脚本みたい」
「分かりづらいなぁ!」
そういえばお前、りんかい線使ってたなあって。
「てか、撃たれた時のリアクションが大阪人よりもノリ良いじゃん。何なら普通に倒れるより凝ってる」
「倒れるのもできるぞ。お、やるか? 口の中噛んで血とか出そうか?」
「やめて!? こんな公衆の面前で! ましてや血を流してまで!」
俺たちは公然の場で、虹ヶ咲学園のイメージが低下しかねないような大声をギリギリのラインで超えずに、いつも教室でしているやりとりをぐだぐだと続けていた。
まあ、現時点でホームにいる客層としては、俺と同じような制服やユニフォーム姿の学生がほとんどなのだが。部活帰りか。
「……なんでお前、公共交通機関使ってんの?」
「なに、悪口!? よくない! そういうチクチク言葉よくないよ!!」
「毎日歩きで来なさいよ」
「10キロ以上はあるっての!? なに、痩せろっていうの? バカなの? 死ぬの?」
もはや古のものとなりつつあるネットスラングを現役女子高校生が使うの、すごい違和感があるな。
「そんな事はないけど。ん〜、じゃあこれ貸してあげる」
「なに、この微妙に分厚い本」
「原付の免許取る時の、筆記試験あるじゃん?」
「あるみたいね?」
「その対策本」
「取りませんからー!! バイクはー!!」
「なんでだよ」
最近のJKはしまりんに憧れているんじゃあないのか。ビーノで本栖湖に行くんじゃあないのか。
「まずバイク持ってないし! 第一、原付の免許は車のについてくるじゃん!」
「分かってないねぇ。いち早く、エンジンのついた乗り物を動かしたいんだよ」
右ハンドルをちょいとヒネるだけで、鉄の塊が唸りをあげて走り出す。このロマンが分からないかねえ。
俺は既に、叔父からNS1(フルカウル)を譲り受けることになっているので、今から原付免許の試験の勉強を、ちょいちょいしているというわけだ。
まあ年度末の早生まれだから、取れるのは半年以上先なんだけどさ。3月生まれって、なんか損してる気がする。誕生日になった瞬間に免許とか酒とか競馬とか解禁されるの、ほんとに日本の悪習。その年度に生まれたやつみんな解禁でいいじゃん。
もうキタサンブラックと同じ誕生日ってことしか自慢できん。あと、アーモンドアイも同じだったような。普通に強い馬と同じ誕生日だと嬉しいよな。そうなると、しずくは……4月3日生まれだから、なんかいたかな。オジュウチョウサン?
あと、これは良識のある読者の方々に向けて言いたいことだが。
どうか安心していただきたい。
賭けてない。
見るだけだ。
好きな馬はジャングルポケット。
中須はツッコミが終わってひと段落したようで、俺の方を見て──正確には俺の持っている100円均一ショップの袋を見て、質問してきた。
「何、それ。こんなに下敷き集めて、何に使うの?」
「あー、これ? これはローホリの応急処置に使うんだ。焼き切れてダメになっちまってさ、アイツ」
「……ローホリの、ね〜。あ〜、ローホリのかあ。ローホリのは大事だもんね〜」
「まあ、結構大事だな。てかご存知なんだ、ローホリは」
中須名人、腕を組んでうんうんとうなづいている。なんだ、ちょっとは舞台に明るいのか。照明だけに。流石スクールアイドルといったところか。
「うんうん、ローホリかあ……あー、ローホリのLINE持ってたかなあ。連絡先聞いとけばよかったなあ……こんな時にローホリさえあればなあ〜」
「…………あ?」
「新大久保のお店、タピオカ屋から全部ローホリ屋になってたなあ。かすみん、ローホリはチーズ味派だね」
「………………」
「あっ、見て! ローホリが飛んでる! もうそんな季節かあ」
「はぁ〜〜……」
俺がでけぇため息をついたのを見て、諦めがついたのか、こちらを見て腰から上を30度傾けて、お辞儀の中でも丁寧な敬礼をする。
「……ローホリって、なんですか」
「素直でよろしい」
冒頭で説明したことをそのまんま繰り返し説明すると、かすみは説明の合間に入ってくる用語にも『なんですかそれ!』『全員が分かると思わないでください!』と突っ込んでくる。なんで
そうやってたらたらとかすみと会話しているうちに、電車が来てしまった。諸々の疑問が一段落したかすみは、俺が座った向かいの席に落ち着く。
「なるほど、照明もやってたんだ」
「役者以外にも色々しといた方がいいっしょ?」
「自慢?」
「ちげえよ! 急にイヤミになるな!」
「かすみんも自慢するからね!」
「それは別にいいよ!」
「あ〜ほら! 見て見て見て! 背中で! 背中で手と手がくっつくの!」
指先しかくっついてねえじゃん。
「足裏見せろ」
「なんで?」
「お前、可動域広いから……いや、まさかな」
「いや足裏に『©海洋堂』って書いてないから! それせつ菜先輩も同じことやってたよ!?」
「じゃあ『AИDY』って書いてあるかもしれん」
「靴にガラガラヘビいないって!」
かすみと話していて、改めて思うが、欲しいところにツッコミが来るってのはいいもんだな。構えてたミットに、スパンッ! とボールがおさまる。
しずくはツッコミというより、俺やかすみの突発的かつ奇行的なボケに困ってる姿がかわいいっていうか、逆に俺とかすみのステータス的に俺ら2人のバランスがバッチシすぎるっていうか。
アイドルは今やバラエティーの要素も求められる。その点では、かすみは大きな活躍が期待できるだろう。動画サイトで公式チャンネルを立ち上げ、そこで配信者のように企画を立て、撮影・編集、普通の動画配信活動をして一躍有名に、というのも可能性のない話ではない。かすみの芸人っぷりを見ていると、そんな妄想も自然に浮かぶというものだ。
見てみたいしな。かすみがドッキリに引っかかる映像。
そんな事を考えているうちにかすみは、俺が買ってきたカラフルクリア下敷きの他に、袋の容積の大半を占めている、とある本たちを見ていた。ムック本くらいの厚さの雑誌たち。
「はな男、なにこれ」
「雑誌。高校演劇の」
「高校演劇……『だけの』?」
「『だけの』だ」
「ふーん。結構大きいコンテンツなんだ。文化部とは思えない」
「それ、スクールアイドルが言う?」
「それもそうか……で、なんでこんなに大量に?」
「部員全員分。部長が載ってんだ」
「えっどこ!?」
かすみは、俺が開いたページの『衝撃! 演劇部×合唱部、まさかのトレーニング方法!』特集を開いている。特集といっても1ページだけだが。
この前から俺たちは、合唱部にも協力をあおぎ、より多様な演技のために合唱の発声からも演技のコツを得ようとしている。最近の課題曲は『大地讃頌』。これがまた難しい。
部長のインタビューより引用すると、『カラオケの採点には、表現力も含まれますよね? 歌も表現力が求められる、言わば演技力が必要なんですよ。うちの合唱部はコンクールにて様々な実績を残しており、表現力豊かな方が集まっていると思ったので……』とのこと。
「ほかの学校もすぐに取り入れるだろうに……うちの部長は懐が広すぎる。四天王故の余裕もあるんだろうが、やはりあの人は……」
「確かに、ほかの部も真似したら上達しちゃうもんね」
「ま、演劇部も文化的な部活動のひとつ、ってことだ。大会で実力を競うことはあれど、本来は色んな学校と切磋琢磨し合って、文化の発達に貢献したり、交流を深めるのも部活動として大切なことなんだろうな」
特に文化部には。
「スクールアイドル部にも、同じことが言えるかも。レジェンド級スクールアイドルが成し遂げた偉業には、全国のスクールアイドルを集めて秋葉原で踊った……なんてのもあるし」
「ヤバすぎだろ、そのグループ。わざわざ全国回って集めたとか?」
「まっさかぁ〜……あ、エビガクある」
「海老原学院附属高校?」
「そうそう、それ。中学の時、オーキャン行ったことある……なんか頭良さそうな人ばっかりだった」
「頭悪そうな説明。エビガクは強いぞ〜? ここに加えて、ニジガク・成田・コマ女。これが東京に約200校あるうちの四天王だ」
「……合唱してるの? 演劇なのに」
「ミュージカルってのもあるだろ」
「ううむ、それもそうかあ……」
かすみは目を丸くして、部長が載っているページを見る。前に聞いたが、どうやらかすみのスクールアイドルの勘(笑)が言うに、かすみは部長の『演劇人のオーラ』と相性が悪いらしい。
ここで言う『演劇人』とは、演劇に関わっている、すべての『演劇をする側』のことを指している。
客の目線を一点に集めるため、ステージの上で可愛さのみを求めるかすみ。未だ目的は不明だが、演劇人としてステージの上での可能性のすべてを限りなく追求する部長。ふたりの関係性は、しずくの知り合いという事でしかない。それ以外は真反対と言っても過言ではない。
そんなかすみが現在、部長がこんなに大々的に取り上げられちゃって……といった複雑な顔をするのも無理はない。
「うち、そんな強いんだね?」
「おう。つっても、最近はそんなに……らしい。藤黄や東雲、あと紫苑や青藍が急激に勢力を増している。特に紫苑、あそこは変人の中の変人ばかりでな……」
「演劇部って全員変人じゃないの?」
「桜坂を見ても同じこと言えるか?」
「質問してるのはこっちだよ? 質問に質問で返すとテストゼロ点なの知ってる?」
「昨日SBR見た?」
部長はいい人だ。
しかし俺からすれば、かすみもまた、いい人。
俺と友達になってくれたってだけで、いい人に違いない。話してて楽しいし、居心地がいい。しずくと2人きりだと、どうも緊張して仕方がない。2人で話すには、今はかすみが丁度いい。互いに、元から下心がないからこそだ。俺は一方的にしずくに下心を持っているから、俺だけ緊張する。
そのうち、普通に喋れるようになれればいいんだけどなあ。
「かすみ」
「えっ、なに」
「俺らの関係ってさ、友達?」
「……じゃなかったら、何なの? ただの同級生って言うには、ちょっと話しすぎじゃない?」
「ん……ありがとな」
「え、ホントに何? 明日死ぬの?」
「いや?」
「やっぱ変人じゃん。少なくともはな男は」