「穂村さん!」
「ぅあ〜〜〜?」
「なんですかその間抜けた返事は! 行きますよッ!」
しずくが俺のところに来たのは、俺のことはもういいと言った翌々日。俺は思わず、だるそうな返事をしてしまう。翌日すぐに来なかっただけいいけど。かすみとパンケーキを食べる予定が、また潰れるところだったから。
浮気じゃない。断じて。いや、そもそも付き合ってないけどさ。俺としずくは。
彼女が、俺の事を気遣ってくれるのが嬉しくないわけじゃあない、ってことだ。しずくと会うのが嫌なわけでもない。それにこうして、一度目標を定めたら真っ直ぐなのは、極めて良いことではある。
しかし、俺はどうせこうなるだろうと思って、誰よりも教室を早く出て下駄箱から靴を出したところなのだ。つまり、俺の先生ガン無視廊下全力疾走の努力は水の泡となったわけで。
まあそれは、どうでもいいっちゃあ、どうでもいい。
俺個人の過去が招いた、因果応報な舞台降板に、しずくを巻き込むのが気に食わないんだ。
「どこにィ〜〜」
「直・談・判!!」
「ああ、とうとうおかしくなったか」
「原作の毒舌なドラえもんみたいなこと言ってないで!」
ドラえもん原作って、何気にしずかちゃんも毒舌だよな。
つか、直談判もなにも、俺は既に学園長と直で話してるんだよねえ。その結果がこれであってだね。今からもう一度話に行ったところで、俺の言葉なんか耳に届かないだろうって感じなんだけど。
本来なら周りにとって、生徒の多くにとって、俺の降板は喜ばしいことなんだ。犯罪者が表舞台から去ったわけなのだから。実際、演劇部側から謝罪の文言が校内のあちこちに貼られている。この度は云々みたいなやつが。
いくら演劇部の関係者であって、いきなり降板は困るという大きくしっかりした理由があるとしても、『桜坂しずく』が俺を庇ってはダメだ。しずくは優等生の擬人化だからな。いや、優等生はもともと人か?
「アイツ、そういう話は通じないよ? どうしても行きたいってんなら、俺がもう1回行ってくるから。先に部活行ってな。今日から通し練習だろ?」
「……行かないでしょ」
「行ける雰囲気じゃねーだろ。数日は休むよ、じっくり家で反省したい。停学になってもおかしくない立場だからな、俺は」
「ねえ。通し練習なら、尚更来て欲しいよ」
「なんで?」
「決まってないの。代役」
そりゃ大変。俺が代わってあげたいね。
「……部員の皆さんの中では、私が、やる事になってる。明日までに先生が決めるらしいけど」
「ごめんな。でも桜坂、主役になりたがってたよな? こんな形とはいえ、良かったっちゃあ良かったんじゃあないの」
「そんなこと、本当は思ってない。穂村花火は、そんなこと言わない」
そうだよ。
代わってあげたい。俺が演じたい、その主役。
今回の戯曲、鈴虫先生の待望の新作『青空ヒーロースター!』の主人公。
なりたかった。そして、なった。一度なってしまったものだ。余計に惜しい。
「穂村さんはいいの!? 釈然としないじゃん! こんなの……こんなの!!」
しねえよ。釈然としてえよ。
でもな、しずく。
未だに、俺が選ばれた理由が分からないんだよ。あの
そんな状態でやる主役には、20%ほどしか価値がないと思うんだ。
あの日から、ずっと、そこでも釈然としていなかったんだよ。俺は。
「穂村さんは、こんな所で終わっちゃいけないんだよ!!」
「これが、演劇人生の……終わりなんかじゃあない。そもそも、お前が怒る必要なんか無いんだぞ。何でそんなに声を荒らげる」
しずくは一度ハッとしたように目を見開き、こちらを見つめる。しかし、そのくっきり二重の目は、いつもとは少しだけ違った。
浅葱色? み空色? いや、ターコイズブルー? その目の奥にある、微かな光。いつも、そこにある光という光のすべてを反射して、輝いていたしずくの目は。
どこか、濁っていた。
「…………」
別に可愛いけど。あんま寝てないのかな。
「……友達だからだよ」
思いもしない言葉が出てきた。
なるほど、友達か。
つまり友人。
つまりクラスメイトや顔見知りの上位互換。
つまり俺がしずくに抱いていた『仕事仲間』という意識の遥かな上位互換。
あのデートも、友達としてのつもりだったんだな。もしかしたら、もう一回だけ、あんな機会もあるかもしれないのか──このまま、俺がしずくを好きだということを知らせずにいたら、というのを前提に置いた話だが。
「……桜坂と、俺が! 友達? 友達って!?」
喉の奥から漏れ出てきた、失笑。
「っは、ははっは、は……」
「な、何の笑い? それは……」
「お似合いとは呼べないだろ」
「……そうやって友達を決めるの? 穂村さんは」
「天下の桜坂の姐さんが気分を害するって言ってンだよ。俺と友達になってくれる奴はもれなく聖人だ、しかし相手の気持ちを無視していいなんて事にはならない」
ましてや相手は普通に誰に対しても聖人。ニュートラル聖人。
俺なんかに構ってんなよ。
「私は、穂村さんが好きだから、友達になったんだよ」
「…………??」
あっ、今度は普通に分かんない。
好き、って。
なに? は?
気になるとか、気があるとか。そういう感情からして、少しでも興味がある人にしか出てこない感情なわけなんですよ。で、俺の中には何がある? 何もない。
中学の演劇部の顧問に言われた。『舞台に立った時、お前の目は見えづらい。色がないからだ』と。俺の目は、色がない。黒より黒い。白より空白。
目に宿る色は、心の色をあらわす。
本来、ほとんどの人が黒か、よくてもブラウンのはずが、しずくは水色に近い、キレイ色が宿っている。先生なら、揺れる七夕の笹の葉のような色。部長は、セピアというか、全体的に白黒映画のような色。
とにかく、目に色もなければ魅力もない俺の中に、おがくずのひとひら分でもそんな、誰かを惹きつける要素があるってのかよ。俺は役者として生きてきた。だから、役の魅力は最大限に出せても、俺自身の魅力なんてのは微塵もないんだ。なにもない、この俺に、好きだなんて言葉を向ける、しずくの気持ちがこれっぽっちだって分からない。
そりゃあ、俺のことなんか好きだって言われたら当然マンモスうれPけどよ。
「穂村さん。もう少し、自分のことを認めてあげて」
そして、そのしずくの目は今。
燃えている。
カラクレナイ、と言ったか。眩しい、赤色。
「自分が思ってるより、穂村花火ってヒトはもっとスゴいんだよ」
「…………何言ってんだ? お前……」
「自己肯定感知らず」
「何その難しい罵倒のしかた」
「ねえ、花火さん」
しずくはおもむろに、自分の科の下駄箱へと向かう。
「小っ恥ずかしい話をしよう」
「……なんだよ、それ」
「ずっと、穂村さんは燃えてるんだよね」
「…………」
「血液が沸騰して、流れ出て。それでも尚、歩き続けている」
しずくと俺は、校門に向かって歩き始めていた。
部活もあるのに。
向かう先も決めず、歩いていた。
なんとなく、真っ直ぐ。突き当たりがあれば、一番近い真っ直ぐな道がある方へ曲がる。
その最中、しずくは、ずっと俺のことを話していた。
どうやら俺のことを知ったのは、中学3年生の頃。まだ演劇を観るだけで、部に入って自分が演じることは考えていなかった、そんな時だった。1月。中学演劇の存在を知り、都内でやる関東大会を見に来たらしい。
あの時の俺は、少し自惚れていた。調子に、図に、乗っていたのだ。主役を演じ切り、変な開放感があったのかもしれない。部に所属している他の同級生は、全員辞めていたのに、それでも演じ続けた。高校受験をしながらも、演じ続けた。それは一種の、小さな、今となればしみったれた、誇りだった。
そんなひとりよがりな俺を見て、先生は『演劇部に向いていない』と言ったのかもしれない。
しかし、そんな自信満々な俺の演技を見て。しずくは、眩しかったらしい。
曰く、『オーラ』。
「穂村さんは、まるで焔そのもの。心の中に、暖かくて、近づけば鉄でも融けてしまいそうな焔が……」
「ちょ、もうやめて」
「……ふふ」
多分いま、俺の顔は赤くなっている。暑い。6月にしては暑すぎる。湯気が立ちそうな体温だ。
恥ずかしい。手で顔をあおぐ。
「穂村さんの頭は、他の人とは違うんだと思う。だって、『おかしい』から」
「……えっ、悪口!?」
「そっ、そうじゃなくて!」
慌ててしずくは、俺があたおかである理由を話し始めた。
「元々、穂村さんは喜劇向きなの。頭の中で、常に新しいことを作り出しては、楽しいことを考えている。鈴虫先生と仲がいいのは、そういうクリエイティブなセンスが似通っているからなのかもね」
「シリアス、向いてないかなあ」
「そうじゃないよ。シリアスな演技も上手い、けど。演技じゃあないところで、『穂村花火』は喜劇の人物なんだよ」
「……おん??」
「つまり、
また話が見えなくなってきたぞ。照明さん呼んでこなきゃ。
別に、話が不透明なわけではない。透明すぎて見えないのだ。
「それは……なに、職業病ってこと?」
「惜しい。生まれながら患っている病が、演者になるという結果を呼び寄せた」
「卵が先か鶏が先か、みたいな?」
「そんな感じ。職業病は、職業をしているから、私生活でも職業の癖が出る病。でも穂村さんは、病を患っているから、その職業に惹き付けられた。だから、おかしいな……って」
「おかしいの?」
「だって穂村さん、それにしては『楽しそう』だから」
しずくは今、思ったよりも難しい話をしているようだ。頭の中で、なんとか、図式というか、絵にしてみようというか、そんな努力をしてみたのだが、やはり難しい。
読者の皆さんにうまく伝わっているか心配である。
「親の事情で転勤した先の学校のクラスメイトが好きになれるかどうかは、運次第でしょ? 病によって惹き付けられた職業、立場だってそう。ほとんどの人は、自分には合わないらしいの」
「……確かに、おかしい。俺、気づいた頃には人前に立ててた。それが、楽しかった」
自分が舞台に立って、人を驚かせて、泣かせて、怖がらせて、笑わせて。そんな演者の立場が好きだったんだ。端的に言えば、人の感情を支配するのが、エンターテインメントを提供するのが、大好き。
んん。でもなあ。なんかスケール大きいなあ。誰かの伝記に載ってたらスラスラ入ってくるような話が、身近にあるとなんだか喉でつっかえてしまって、理解に苦しむ。
遠い存在なのか? 俺は。しずくにとって。
「壮大すぎるよ」
「そんなことない」
「俺にそんなものを望むなんて……こう、高望みじゃあないけどさ。やりすぎだよ。俺はそんなたいそうな人間じゃあない」
むしろ、しずくの方が今後は有名になっていくだろうし。俺は演劇部にいられて何かを演じられれば、それでいいし。
「私は、ずーっと穂村さんのこと、尊敬してる」
「会って数ヶ月だろ」
「会う前から、穂村さんのことは知ってたもん」
「あれは周りのレベルがアレだったというか、先輩達が凄かったというか」
「でも優秀演技賞じゃん。2年連続」
中学演劇の関東大会は、ほぼ高校演劇の関東大会と同じシステムだ。その中でひとつだけ違うのが、『演技賞がある』ところ。
まあ、しずくの言った通り、俺は1年生の照明をしていた期間を除き、演者人生における関東大会全てで演技賞を取っているのだが。
「それが高校演劇で通用するかは分からない。俺は、ここでも上手くできるか……」
高校演劇なんて、それこそ中学演劇を通ってきたバケモンがゴロゴロいる戦場だ。メンズノンノ上がりがユマニテに喧嘩を売るようなもの。
「できるよ!!」
鋭い、俺だけを捉えたしずくの視線が刺さる。
心に生えていたトゲが、まな板の上で剥がされる魚のウロコのように、次から次へと削ぎ落とされていくのが分かった。自虐する度に、下げる度に痛んで、もはや呼吸と同じように自分のことを傷つけていた、すさんだ心。そこに生えていたトゲが、取れた。
空気の濃さが変わったんじゃあないかってくらいに、肺に入ってくる空気がうまい。腹で呼吸することを、一瞬忘れそうだった。
気づけば俺らは、レインボーブリッジの手前にいた。
こんな所まで歩いてきたのか。帰りは、いつも使っているところより、ひとつ先の駅から電車に乗る必要があるかも。
しずくは急に走り出し、俺の真ん前に立つ。レインボーブリッジと、道路の境界線。その向こう、レインボーブリッジ側に、しずくは立っている。
もしこれが戯曲だったなら、客席は俺から見て右側だろう。俺が下手。しずくが上手。
傾いた西日が、俺らを照らす。
「穂村花火は、高校演劇第三世代のスタァになる」
「!!」
俺は無意識的に、しずくの方へと歩み寄った。
霧が晴れたのだ。太陽があらわになり、いつもより暖かく、眩しい。そして、しずくがいつもより可愛い。美しい。
「なあ」
「ん?」
「そっち、行ってもいいか」
しずくの肩越し、そしてレインボーブリッジ越しに、日が輝いている。普通ならドラマやアニメのワンシーンに例えるのだろうが、俺はあの太陽が照明にしか見えなかった。
なるほど。
これが病か。
すべてが舞台に見える。目に入る世界すべてが、俺の立っている舞台だ。俺は、私生活でも演者。その意味が分かった。
さっき、慌てて肺呼吸から腹式呼吸に戻したのもそうだ。強迫観念に近い、腹式呼吸をしなければ、という意識が襲ってきたのもそれか。
思わず笑みがこぼれた。
なんだか、嬉しかった。俺はまだ演じられる。演じていていいんだ。しずくが今まで、ここに来るまでずーっと言っていたことの大意はおそらく、いや、必ず。『穂村花火はまだ生きている』なんだ。
俺は。ここにいてもいいんだ。もっと胸を張って生きていてもいいんだ。自信を持って、演じてもいいんだな。
「清々しい気分なんだ。ハグがしたいよ」
「……ん!」
しずくは両手を広げる。周りには観光客、たくさんの車。それすらも目に入らず、俺はレインボーブリッジという素舞台に向かって走り出した。
勢いよくしずくに激突し、俺らふたりは、彼女を軸に2周ほどその場で回転する。
お台場のど真ん中で、抱擁を交わしたのだ。熱く、きつく、長く。
「ふふっ、ふふふ!」
「っは……ははっ……」
「穂村さんっ」
「桜坂!」
踊り出したい。歌のひとつでも高らかに歌ってやりたい。ミュージカルが演りたい気分だ。
そうだ、次の台本はミュージカルなんてどうだろう。今も合唱部との合同練習は月2で行われている。あそこに協力をあおいでみるのもいい。ミュージカルなんて、高校演劇じゃ珍しいだろう。
歌うのも演技だとは部長も言っていた。この期に、個人的にカラオケで練習をするのもアリかもしれないな。
「死ぬにはいい日だ──」
気づけば、俺の頭の中には、ここ数日なかった演劇に対するインスピレーションで溢れていた。
そして、しずくが大好きだという気持ちも。これは前よりも強い。強すぎて、開き直って今にでもチューしちゃいそう。
まさに俺、再生産。なんつって。
『行っちゃったねえ、花火少年』
『…………こんなの、間違っています。彼は私を軽く越えて、学園祭の舞台で片鱗を見せる。それを一番近くで見た私はまた……そしてっ、大会へ……こんなの……こんなのぉぉっ!!』
『
────
『私が戻さなきゃ。穂村花火を、元通りに、元通り……花火…………主演、穂村花火……私は……その近く! 近くで!! 穂村花火を!!』
『気をしっかり持て!!桜坂しずく!!』
『っ……!?』
『……全てが上手くいくなら、それは青春ではない。少年も言っていたじゃあないか、なあ?』
────
『花火少年が突っ走っている理由、分かるかい』
『……分かりません。恥ずかしながら』
『私も分からないから聞いている。桜坂も知らないとなると……』
────
『しかし、過去に何かがあったのは確かだ。今の彼は、その今になっても、過去の何かに取り憑かれて、血を流しながら演劇を作ろうとしている。頭がイカレてんだよ、彼は』
────
『分からないかい、桜坂。彼はいつも血を吐いている。そして、燃えている』
『!! ……』
『彼の目が、一瞬、燃えたのを見たんだ。そう、ついこの前、通し練習をしてる時……』
『…………私も、見ました。彼と初めて会話をした日……彼の目は、唐紅に……』
────
『桜坂。花火くんを頼んだ……彼は一匹狼ではなく、一等星なのだから』
『言われなくても、やるつもりです。彼の才を死なせはしません』
────
『穂村花火は、ここで死ぬのではありません。必ずやこの私が、この主演・桜坂しずくが…………』
『射殺す』