片時雨の下手で   作:苗根杏

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#19 LENS

 

 

 全員集合の30分前。俺とかすみは、目的地である各科に割り当てられた、貸切クソデカ宿泊施設の日陰にいた。

 

 息も絶え絶え。俺らは健康や体力のためではなく、ただただ互いの意地で山道マラソンをしていた。先にバスを降り、山登りを開始していた生徒たちも気づけば追い抜いて、俺らが1番に頂上へ。

 

 きっかけは『文化部最強はスクールアイドル部ですぅ〜!』と言いながら、かすみが小走りで俺を追い抜いた時だったか。いや、それより後の『おめーらは部じゃなくて同好会だろォ!!』という俺の発言がアイツにとってはカチンと来たのかな。

 

 まったく、今となってはどうでもいいことなのは分かっているが、気になる。俺は昔から刑事コロンボが好きだったせいか、細かいことが気になると夜も眠れないのだ。

 

 また適当こいてるって言うんだろ。そうだよ、適当だよ。悪いかコラッ。

 

「なんで全力ダッシュすんだよ!!」

「はぁ〜!? はな男が喧嘩売ってきたんでしょお!?」

「マジで正気か貴様!! だからって! ……あっ、まってまって吐く! 吐くわ!」

「勝手に大声出して勝手にゲーしないで!!」

 

 お前、吐くこと『ゲーする』って言うタイプなんだ。それはなんか、可愛いっつーよりかは、小学生っぽいな。

 

 ああ。胃液がのぼってきてる。とりもなおさず吐く。南無三。

 

「このくらいでヒーヒー言っちゃって……」

「あのな、万引き犯にお店屋さん側が『こんなくだらないことで人生めちゃくちゃにするな』って言うのは分かるよ。分かるんだよ。でもそれは被害者側が言えることであって、犯人側が『こんなくだらないことで人生めちゃくちゃになったわ』って言うのは違くない? なあ、絶対違うと思うんだよ俺は……ええ? おい……」

「能弁!」

 

 変なテンションになっている自覚はあります。

 

「かすみんがおんぶしてあげよっか?」

「余裕で歩けるわ! このくらいのハンデがお前にゃ丁度いいんだよ! かかってこい!」

「戦わないよ!?」

「は〜ッ、くそぉ……鈍ってる……」

 

 建物の壁にもたれかかった俺の横でワーワー言っていたかすみは、俺よりひと足先に回復したようで、悔しいが、癪オブザイヤーだが、プークスクスへばってやんの! みたいな表情でこちらを向きつつ、立ち上がる。

 

「はな男、ここで休んでる?」

「…………悔しいが、な」

「今のうちに先生のとこに荷物預けてきちゃうね。あ、はな男は自分で持って行ってよね」

「へーへー、行ってらっしゃい。後で合流するよ」

「もしかして今、めっちゃスポドリ欲しいでしょ」

「おい、その手にあるアクアスポーツを俺の黒烏龍茶と交換だ」

「その取引、応じようっ」

 

 偉そうなやつ。そして、優しいのか優しくないのか分からん、というか、素直じゃないやつ。

 

 かすみは俺の黒烏龍茶を受け取ると、さっさと先に行ってしまった。どうせ合流した後は、流れで飯盒炊爨に移る予定……だったはず。アイツと俺は同じ班なので、そのうち他のメンバーについていく形であちらに向かうだろう。

 

 前よりも確実に減っている体力を嘆きつつ、俺は天を仰ぐ。人は己の無力を知ったとき、それを嘆くとき、自然と上を向いてしまうものなのだ。なんでだろうなあ。

 

「ふふ。もっと体力つけないとね」

「ッ?!?」

 

 げげっ。出たな、未来の大女優。

 

 俺としてはこの前めちゃくちゃ強く抱きしめた感触がまだ全身に残っているので、気を抜いて話していると、またほろりと涙が出るか、変に意識してしまいそうで心配なのだが。

 

 画一的な緑と白の半袖ジャージさえも、華麗に着こなしてしまう、恐ろしいまでの美しさ。いつもの部活の時よりも遥かに可愛くて美しいじゃあないか。

 

「かすみさんと物凄い勢いで走っていったでしょ? ビックリしちゃったよ。でも熱中症には気をつけないとダメだよ? ……私も走ってきちゃったけど」

 

 わあ、さらに茶目っ気まである。ああ、もう、可愛いなあ。俺の隣の日陰に座り、彼女は髪をかきあげる。

 

 あっそうか。髪型か。俺としたことが、しずくの可愛さの変化に気づけなかったぜ。運動直後でボンヤリしていたからか? 

 

 いつもは後ろのハーフアップなのだが、今回はなんというか、おさげ? みたいな感じ。後ろ髪をふたつに分けて、三つ編みにして、肩よりも前にさげている。こうしていると、いつもより優等生然としている。委員長っぽい、とも。

 

 俺は、変な会話にだけはならないよう、極力いつも通りに話しかける。いつも変だと思われていたら終わりだけど。人生の。

 

「頭、どうしたの」

「頭!?」

「いや頭っつーか髪! ちげえ頭じゃねえ! ごめん!」

 

 んん、早速のプレイミス。これは大きな失点となる。取り返さねば。

 

「あっ、髪の毛ね。いつも同じ髪型だから、つまんないと思って、クラスの人にしてもらったの」

 

 しずくの髪の毛に触り放題とか、いくら払えば出来るんだよ。

 

「で、穂村さん」

「ん?」

「……似合ってる?」

 

 似合ってるに決まってんだろ。

 

 そう叫びたい欲を抑えに抑え、冷静に、知的に、こう答えた。

 

「いや? 俺的には男っつー立場である俺がそういう可愛いがどうとかにヘタに口を出すのはどうなんすかねェ〜最近はセクハラ発言とかの問題も目立ってるからなァ〜って感じなんだけど、まあ強いてコメントをするならば? それに俺からすれば? 俺からすればの話? そう、俺からすれば桜坂はいつものままでも充分可愛いっつーか、俺は全然いつもの髪型でも似合ってると思うっつーか、かといって今の桜坂も全く可愛くないわけじゃあなくってだな、俺は結構好きなんだよなあって感じでな? 別の良さがあるし、みんな違ってみんないいし、個人的にはツーサイドアップも…………」

 

 語っている途中で、あっ、これただ単に俺の心の中の声が丸々肉声で出力されてるだけだな、と気づいた時には、しずくは目をまん丸にして俺を見ていた。

 

 ごめんなさい。どういう感情で俺をそんなにまじまじと見ているのかは分からないけど。

 

 かすみが言っていた『カギカッコが苦しそう』とは、こういうことか。確かにパンパンだ。他の小説なら、何かの演説シーンかと思うわ。

 

「はい、すいません。失礼しました」

「勝手に失礼しないの」

「させてください! 失礼させてください!」

「逃げるは恥だよ」

「役には立つだろぉ〜!」

 

 俺のジャージの背中の方の裾を指で掴み、引っ張るしずく。なんだか声色は上機嫌そうだが、その表情を確認するために振り向く間もなく、彼女は裾を下方向へぐいと、俺をその場に座らせた。

 

 そしてしずくは、俺の後ろ髪をいじいじし始めた。

 

「まって、何してんの」

「ん……いたずら? ふふっ」

「ホントに何してんの……えっ……?」

「ふふ、ふふっ、ふ……えへへ」

 

 笑い方まで可愛いんだなぁ!! 

 

 地の文でこんなにエクスクラメーションマークつけたくなるの珍しいよ!! 

 

 困惑の方がギリ負ける可愛さ!! 

 

 

#19

LENS

 

 

 しばらくしずくは、俺の髪を弄り続けた。梳かしてみたり、摘んでみたり、引っ張ってみたり、かき分けてみたり。

 

 一応、林間学校の写真は卒アルにも載ると言われたので、ついこの間、髪は切ってきたのだが、これでも先生曰く『指導ギリギリだぞぉ〜、コレは』とのこと。なんで男子は髪長くしちゃダメなんだろうなあ、うちの校則。

 

 清潔感が理由か? ならローランドはどうなるんだ。ローランドなら許すのか。ローランドはよくて俺はダメなのか。

 

「ちょっと前髪借りるよ」

「返せよ、ちゃんと」

「はいはい」

「はいは千回!」

「多いなあ」

 

 余裕があるのか? いつもよりもなんだか穏やかな喋り口である。俺の前髪を後ろからかき上げ、頭上でまたいじいじする。

 

 俺はその場にあぐらをかき、スマホで時間を見る。時刻は集合時間の二十数分前。まだ余裕はあるな。

 

「……できたっ」

 

 そのままスマホのカメラを起動。インカメラにして自分の姿を見てみると、その髪型は、なんだか妙に似合っている。ような気がする。

 

 そこには、頭の後ろでうま〜くピンでまとめられた、オールバックが映っていた。

 

 しずく曰く、最近流行っている髪型らしい。俺のしている丸メガネとの相性もいい。

 

「穂村さん、こういう髪型も似合うね」

「女心、分からんなあ……」

 

 まるでヴォイニッチ手稿。現代でも解読不能じゃねーか、とツッコミを入れてくれるのは100人に1人くらいのものだろうから、心の中にしまっておいた一言である。

 

 決して、24センチ×16センチの本の中に収まるような小さいものだ、という意味で言った訳ではない。

 

 コデックス・セラフィニアヌスの方がよかったか。あんま変わらんか。そもそも知らん? そっか……。

 

「焦って分からなくてもいいよ」

「でも桜坂のことはさぁ……」

「……私のことは?」

「なんでもないです」

「なんだよ」

「なんでも! ないですぅ〜っ!」

 

 半ばムキになって返す。しずくのことだけはよく分かっておきたい、だなんて、台本に書いてでもいない限り言わねーよーだ。

 

 だいたい、しずくと話す場合は、俺の話す台詞……違う、台詞じゃあない。俺の話す言葉のほとんどは、台本に書いてあるつもりでしゃべっているがな。

 

「……そろそろ、他の奴ら登ってくるんじゃねーの」

「そうだね」

「…………」

「ん、どうしたの?」

「えっ、いいの!?」

「何が?」

「俺と一緒にいるの見られるじゃん!」

「……えっ?」

 

 俺からすれば、当然の疑問である。しかし彼女は、それがどうしたんだい? とでも言わんばかりに首を傾げる。可愛い。

 

「俺は……その、問題児だろう。過去にやらかしたってことを知ってるやつも少なからずいる。だから、優等生のお前といるのは……」

「前のデートの時も、それ言ってたよね」

「えっ、あ……そう……ッスね〜〜…………ッス───……」

 

 俺の頭上で止まっていた手を再び動かしたしずく。その手は、俺の頭のてっぺん辺りを撫で始めた。

 

 ちょっと空気が気まずくなったのを感じ、歯の間から空気を吸い続け、腹を動かし続けていた俺だが、その息が止まる。しずくが、俺をまるで弟のようになでなでしているんだぞ。

 

 もう少し息を止めるタイミングが遅かったら、俺は奇声を上げていたところだ。危ない危ない。というか既に俺は半分……そう、ほんの半分だけ! 半分だけだぞ! 

 

 俺は半分だけ、やらしい気持ちになってるぞ。プリクラで抱き合った時だって、下品な話にはなるが、俺は『モナリザの手を初めて見た時の吉良吉影』状態になりかけていたんだ。

 

 今にでもしずくに飛びかかってチューしそうとまでは言わないが、理性としずく好き好きクソデカ感情と本能の三本のラインで、20秒で190点出しそうな勢いで反復横跳びをしている。

 

 ちなみに、うちの1年生男子の体力テストによる反復横跳びの平均点数は53.6点だ。もはや反復横跳びをしている俺は、残像が出ていることだろう。ジャコがギリ目で追えるくらいのスピード。

 

「大丈夫だよ……穂村さん」

「ん"ッ……」

「穂村さんの姿を知ってるとは限らないし。それに、少なくともクラスの人達は分かってくれたんでしょう?」

 

 確かに前日、普通科のクラスメイトらに質問攻めにあった時、『あれは遥かに過去の出来事だが、俺は言い逃れするつもりはない。いじめるならいじめろ』と腹をくくったばかりである。

 

 しかし、俺は前世がガンジーかマザーテレサだったようで、その態度が逆に好印象を持たれたらしく、その後陰口の報告もなし、いじめられることもなし。クラスに居づらいなんてことは起きなかったのだ。

 

 俺が隠れた俺への侮蔑の視線に気づいていないだけかもしれないが、大多数が俺の過去を気にしていないからいいのだ。どころか、署名したことを謝りに来た他の科の生徒までやってくる始末。

 

 かすみは『署名を撤回させる署名』を始めようとしたが、全力をもって止めさせてもらった。飛んだ思い上がりだとは分かっているが、万が一、賛成派と反対派で意見が分かれ、両派閥が対立した時が一番怖い。二番目に怖いのは学園長からの厳罰。

 

 俺は学校の中で革命家になりたいわけじゃあない。なるなら、高校演劇界でなりたいのだ。

 

「だから、大丈夫だよ」

「お前は! ……いいのかよッ」

「私は穂村さんのこと好きだから、いいよ」

「…………」

 

 ピキピキッ。

 

 俺はしずくと幸せになりたいんじゃあない。

 

 いや、なりたいけど。めちゃくちゃなりたいけど。

 

 その上で、それよりも優先に値する、俺の中での価値基準・優先順位の最高位に鎮座している、俺の行動理由の全てに関わっているもの。

 

 俺はしずくに幸せになってほしいのだ。

 

 そこに俺がいる必要は、しずくにとっては全くないのよ。で、今のしずくの言動は、俺じゃなけりゃ他の人を勘違いさせてるのよ。しかも結構前の行に戻るけど、しれっと俺と出かけた時のことを『デート』って呼んでるのよ。

 

 だから。今のうちに警告しなければならない。

 

 しずくの、今後の幸せのために。しずくの、安心と熟睡のために。

 

「あんまりさぁ」

「ん?」

 

 振り向き、俺の頭に置いてあったしずくの手の首を掴む。

 

 そして、顔どうしを過去最接近させる。

 

「そういうこと言うと、勘違いされちゃうよ」

「!??」

「……男の子って、オオカミだから」

 

 最後の台詞は蛇足である。今は完全に『そういう役』になりきっているのだ、俺は。

 

「…………ッ」

「桜坂?」

 

 この警告だけをして、離れるつもりだった。かすみの所に向かう予定だった。しかし、俺は金縛りにあっていた。いや、自分で設置したトラバサミにかかっていた。

 

 近すぎんか。顔。

 

 バスの中でのかすみと同じくらい近い。いや、確実にそれよりも近い。

 

 毎日のように寝る前に思い出しては興奮している、いつものしずくの香りに加え、首筋あたりから漂ってくる、爽やかでいて、少しの酸を含んだ汗の匂いがどうにもリアル。そのうち、互いに顔にも汗がにじんでくる。

 

 プライベートで愛用しているジバンシイをつけてこなかったことを、死ぬほど後悔している。

 

 しずくの目は大きく、大きく見開かれていた。しかしそのうち、ゆっくり、ゆ〜っくり、ゆ〜〜っくりと、そのまぶたを閉じる。なんで? 

 

 とにかく離れないと。このまま至近距離で見つめあっていたら、俺の息子が、性欲という名の魔王に襲われてしまう。王冠としっぽを持った魔王が。

 

 シューベルト、マジごめん。

 

 しずくファンとシューベルトに殴られないうちに、という意味でも逃げなきゃダメだ。馬はないだろうがな。そう思い、後ろに身体を動かすが、移動は2ミリで静止した。

 

 背中に、しずくの手が回されている。

 

「……私はね、穂村さん」

「はい……?」

 

 しずくは目を薄く開け、やけに色っぽく囁くもんで、声が裏返ってしまう。

 

「穂村さんのこと、嫌いじゃないんだよ」

 

 答えに、なってねえだろ。

 

 頭が真っ白になる。ついでに、しずくの息で、メガネも真っ白になる。

 

「どゆ……こと……?」

「…………もうっ」

 

 やれやれ、といった顔で俺の背中に回していた手を、ゆっくり締める。完全なるハグ状態に持ち込んだのだ。しずくとこんなにハグしていいの、将来のお婿さんか、テーマパークの着ぐるみぐらいだろ。

 

 そうか、俺は着ぐるみになるんだ。

 

 何を言っとるんだ、俺は。

 

 そしてひとしきり困惑した俺に、しずくは、耳元で囁いた。

 

「……ばーか」

「!?!?!?」

 

 エッッッッッッ。

 

 バツン! と、何かが切れた。脳か? いや、心臓。大切な何かが、決定的な何かが切れたのだ。

 

 それから様子を見に来たかすみと、まさか気を失うまでの効果とは思っていなかったしずくに慌てて起こされるまで、俺の記憶は途絶えている。

 

 ただ、そうだな。今回の林間学校は他にも多くの学びがあるだろうが、既に俺は大きな教訓を得た。

 

 世界が敵になっても、しずくぐらいは信用しよう。

 

 そして、しずくぐらいは幸せになってほしい。

 

 あと、しずくはかすみにキツく叱られていた。俺としずくが理由を説明しても『アイドルは目につく所で、そういうことしちゃダメじゃないの!?』と言い張るので、困ったものだ。

 

 プロ意識高いなあ。いやまあ、俺が悪いです、今回は。確実に俺のせいでしずくまでペースが狂った。そうに違いない。

 

 さて、問題は俺が日陰で女の子ふたりと一緒にいたのを多数生徒に目撃されたことなのだが。

 

 聞かれたら答えるぐらいでいいだろう。もう、腹減った。

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