片時雨の下手で   作:苗根杏

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#2 透明人間

 5月28日。虹ヶ咲学園演劇部は、今日も基礎練習。

 

 関東大会まで進んだ年の計算では、実は12ヶ月ある中の3ヶ月しか基礎練習はしない。それでも基礎練習をしている期間が一番長く思えるのは、大会期間のスケジュールがパンパンすぎて、忙しなく過ぎていくからだそうだ。

 

 中学の時もそうだった。確かにあの期間は、基礎練習の時間よりも忙しなく……楽しかった覚えがある。何かを演じている俺を見てもらえる時間が、一番多いからである。

 

 唐突だが、部活に入ってから、俺は割といい待遇を受けている気がする。自慢ではない。決して。でも自慢していいならしたい。だって、こんなにも幸せだから。演劇部に入って、キチンと演劇ができるのが。

 

 中学演劇の時も良い仲間に囲まれてはいたが、最初からこうではなかった。最後までこうでもなかった。

 

 本年度初公演となる学園祭の舞台でも、今のところは立たせてもらうことになっている。今のところは。あと、役もまだ決まってないけど。決まるまでは、脚本が完成するまでは、基礎練と買い出しの連続。

 

 時には後輩らしく、パシられることもある。けど、先輩とは仲が悪いわけではない。互いの信頼関係はある。代わりに先輩もメシを奢ってくれる時があるし。

 

 初めてだ。こんなに、必要とされているのは。部活に入って1ヶ月半かそこらだが、ものすごく濃厚な時間を過ごせている。クラスに居場所もある。

 

 ここ最近、人生で初めてのコトが多い。

 

 やはり、やはり! うまくいきすぎではないのか。入ったばかりなのに、演技が上手いどうとかも言われるし。お世辞であっても本当に嬉しいが、それでは本当のチームワークは形成されないのではないだろうか。

 

 考えすぎていると、思考が散らばる。

 

 いいや、いいや。これ以上、シリアスなことは考えなくてもいいか。楽しくないことを考えても楽しくない。ここはいっちょ高校生らしく、勢いに任せて動いてみようかしら。なんて考えてみたり。

 

「「おはようございます!」」

 

 ドアを開けて挨拶をすると、全員からまた『おはようございます』の挨拶が帰ってくる。

 

 虹ヶ咲学園演劇部の活動場所は、主に文化部室棟の大ホールである。

 

 吹奏楽部や軽音楽部なんかの音楽系の部活は、大会一週間前でもなければ、外や防音室やスタジオで練習することが多い。あとはうちの部の実績的にも、実質、演劇部がホールを貸し切っているようなものである。

 

 1週間のうち、練習があるのは月〜木曜日。大会前は土日もそれなりに練習するらしい。

 

 大会のない時の、高校演劇部の練習というのは、大体こんなものだ。

 

〇LESSON1.腹筋100回、背筋50回

 

「終わり〜」

「先輩早くな〜い!?」

「3年舐めんなよ」

「わ、部長ももう終わってる」

「みんなー、水分補給は忘れずにー!」

 

 演劇部は、運動部である。その所以がコレだ。こうやって部員30人余りが、一斉に筋トレをしている光景は、さほど珍しくない。

 

 肌が焦げるほどにアツアツの照明が照りつける、そこらの体育館のステージよりも大きな舞台の上で、ハチャメチャに動き回るうえに、肺活量も必要な演者。

 

 エアコンのない調光室で、演者の声に耳をすませて、集中力MAXで機械をいじらなければならない音響さんや照明さん。

 

 どちらにしろ、基礎的な体力は欠かせないだろう。

 

 時間のある時は、運動部に混じって外周をするくらいには、まあまあ運動に力を入れている演劇部。実は部活中におにぎりが欲しくなるほどに、全てのトレーニングにおいて体力を使うのだ。

 

 実際、今日も買う。多分。

 

〇LESSON2.柔軟体操

 

「穂村さん、そこそこ硬いんだね」

「お前は柔らかすぎるんだよ。骨が入ってないのか」

「はい押しまーす」

「あっダメダメダメ無理無理やだやだやだメガネ割れる割れる」

「なんでメガネが!?」

「穂村の身体の傷と連動してるんでしょ」

「幽波紋じゃないんですから……あぁ、物理的に骨が折れる」

 

 身体を動かす上で欠かせない、また、普段の習慣として、演劇部に入っていなかったとしても、やっておいて損は無いこと。その代表格が、『カラダを柔らかくする』ことである。

 

 普段の練習メニューにはないものの、『滑舌を良くする』練習だって、演劇部でなくてもやってみて損は無い。

 

 カラダを柔らかくするのは、骨格を整えるヨガのような効果や、カラダを動かしても思わぬケガをしにくい効果がある。滑舌だって、良くなると舌の筋肉が発達するし、歳をとっても物を食べやすくなる。部長が女子部員に熱心に話していたのは、小顔効果だった。

 

 やり方もシンプルだし、家でもできる練習なので、俺はこれをクラスでじわじわ広めていこうと考えている。

 

〇LESSON3.発声練習

 

「あ・え・い・う・え・お・あ・お」

 

 説明も何も、口を大きく開けて、腹から声を出す。それだけ。

 

 腹から声を出す、というのは、いわゆる『腹式呼吸』を使っているといった話だ。人間みんなが寝る時に無意識に行っている呼吸法。波紋よりも全集中よりもカンタンな上に、声量が増えたり、姿勢がよくなったりする。

 

 まさに演劇の呼吸。極めて演劇向きの呼吸だ。

 

 先述した通り、方法はカンタン。腹を『息の入る風船』だと思えばいい。息を吸うと、腹に空気が入って膨らむ。逆に息を吐くと、腹から空気が抜けてへこむ。これをするだけで、普段の3倍は肺活量がアップする。

 

 腹式呼吸とは、普段生活している中で行っている『胸式呼吸』という浅い呼吸では使わない、カラダの『横隔膜』という部位を使っている。位置としては、肺の下あたりにある。胸と腹の間ぐらいかな。

 

 それを使ってみると、一度に吸うことのできる空気の量が増える、というカラクリだ。実際に腹に空気を入れているワケではないのだが、腹を使った呼吸であることは確か。

 

 カラダの中身など、人体模型でしか見えないだろう。ならば『イメージでカラダの構造を変える』方が早い。横隔膜動かせ! より、腹動かせ! の方が分かりやすい。

 

『イメージでカラダの構造を変える』例については、刃牙シリーズ第3部『範馬刃牙』より、愚地克巳の『真・マッハ突き』の骨のイメージを参照されたし。

 

〇LESSON4.エチュード(即興劇)

 

「じゃあ、舞台は遊園地」

「最後の言葉、『でも僕、負けないけど』にしようよ」

「OK。じゃあ30秒だけ話し合ってね」

「……えっ、ヒーローショーにすればよくない?」

「呑気な舞台にジャンプ漫画の強キャラみたいなセリフを出すには、まあそれくらいしかないよね」

 

 うちのエチュードの方式は、まず観客側と演じる側に分かれる。比率はその時の気分による。ちなみに裏方さんも強制参加である。

 

 次に、観客側が『お題』を出す。『お題』は主に『舞台は何処か(場所の年代の設定もあり)』・『最後にどんな言葉を言うか』である。後者にて定められた言葉が発せられたなら、エチュードはそこで終わりになる。

 

 グダグダしがちなエチュードに、明確な場所設定と終わりの言葉をつけているのは、シンプルだけどすごくいい発想。

 

 中学の時にやりたかったなあ、これ。

 

 『お題』を渡された演じる側は、30秒の話し合いを経てエチュードに移る。こんな感じのループを3巡ほど繰り返すのだ。

 

 さて、エチュードの主な目的としては、アドリブ力の向上である。アドリブというのは、脚本・台本には書いていないが、その場のノリで面白そうなボケをかますというアレである。半沢直樹2の大和田常務の『お・し・ま・い・DEATH!!』もアドリブとのこと。

 

 これを鍛えることにより、本番で誰かがとちった時にカバーができたり、思わず演者も吹き出してしまうくらいのボケをかませるという寸法だ。

 

〇LESSON5.過去の台本読み

 

「『僕たちって、学園祭のオープニングイベント実行委員会じゃ……』」

「『あー、そんな設定だったな』」

「『……設定??』…………あの、すいません。もうちょいセリフの前に間空けた方がいいですよね」

「思った。そうしてくれ」

「はい。『……設定??』」

 

 役者がふたつのグループに分かれる。ひとつのグループが舞台で台本を読み、アドリブで動きをつける。もうひとつのグループと裏方組は座席側に座り、演じている途中や、最後の総括で気になったことを突っ込む。といった感じの練習である。

 

 今はしずくが舞台に上がって、先輩たちと練習をしているところだ。今年入ってきた1年生の大多数が、まず裏方をやってみたいと言っていたので、今のところの1年生の役者は、俺としずくのみ。後で役割は変更可能とのことだが、この調子では役者の人数は増えないだろう。

 

 大体お察しだろうが、しずくの演技が圧倒的すぎるからである。先輩とほぼ同レベルの演技をするしずく。経験者なので上手いのは当たり前の俺。下手な初心者が飛び込みづらい環境になってしまったのだ。

 

 何かを読む。のではなく、何かを演じる。国語の授業でやるような音読と、演技との違いはそこにある。朗読ともまた違う。動きながら、喋りながら、時には演奏したり歌ったりしながら(音楽系演出を高校演劇でやる人は中々いないが)、魅せるのだ。

 

 そのために、台詞読みに慣れておいたり、恥を捨てたりするためにする練習。目的としては、そのくらい。だが、演劇部にとっては『人前で恥を捨てて何かを演じる練習』が、実はとても大きな課題になってくる。

 

 演劇部に入るんだから、みんな演じられて当たり前だとか、そんなことは決してない。中学から演劇をやっている、主に俺みたいなやつの方がアウェー。舞台の経験がない方が、高校演劇部では珍しくない。照明や音響だって、最初は初心者の方が圧倒的に多い。

 

 何故入ってくるか、というのにも色々ある。進路が音楽の裏方系なので、音響をやりたい。舞台を作るため、大道具や小道具班に入りたい。内気な自分が変わるかもしれないから、演者になりたい。などなど。

 

 音読ですら恥ずかしがって、羽虫の飛ぶ音よりもか細く小さな声でやる女子がいるだろう。ああいうのも、演劇部にはいるっちゃあいるのだ。それらは大抵、裏方に行くか、ここで恥を捨てさせるか。

 

 新入部員は、この基礎練習を2ヶ月ほどやって部活に慣れていく。

 

 これらのメニューを考えたのは、なんとシロート上がりの顧問(名前は覚えてない)。普段は練習に来ず、部長に指揮を任せているが、それでも何度か全国大会へ生徒たちを連れていった先生だ。

 

 顧問の先生は、部の担当になって15年目にして、ようやくこの練習方法にたどり着いたらしい。何かの修行かと思ってしまう。

 

 少し心配だという声もあったそうだが、シロートから始めたからこそ、既出の案や枠にとらわれないのも確かである。下手に専門的な知識がある人よりかはいいのかも、なんて思ってしまったり。

 

「……なんつーかさ。しずくちゃんの演技は、古風であり新鮮ってゆーか……昔と今の演劇の、良いとこ取りって感じだね」

 

 ギャグ軸の台本も難なくこなすしずくを見て、先輩たちが座席側でコソコソと話し合っている。

 

「沢山見て研究してるのが分かるよねー!」

「マジでヤバい。1年に俺、越されそうなんだが?」

 

 しかも勉強までできるってんだからなあ。

 

 すげーよ、桜坂しずく。しつこいが、ある程度経験のある俺でも、ついていくのが精一杯の演技力だ。体力だってある。どこかは忘れたが、兼部だってしているらしい。

 

「敵わないっすねェ〜……!」

 

 

#2

透明人間

 

 

 半ば諦観を持った言い方。

 

 先輩たちの会話に混じるように、そう言うと「だよな〜」「お前も1年だけどスゴいっしょ」「穂村と桜坂がいるなら、演者組の未来は明るいな」なんて、笑って返してくれた。新入部員に優しい。いい部活に入ったなあ、俺。軽く感動してる。

 

 俺は決して、先輩たちに追いついてるなんて微塵も思ってはいないが、お世辞でも上手いと言ってくれるのは嬉しい。演技力においては、見て学んだから、努力と呼べるものはあまりしていない気がするし、それにおいては『彼ら』の影響が大きすぎるから。

 

 俺が今、こうしてしずくとなんとか同列に扱って貰っているのも(しずくはイヤかもしれないけどね)、あのコントたちのおかげ。『彼ら』のおかげなのだから。

 

「穂村花火後輩ッ」

「はい!! ……はい!?」

 

 後ろからまあまあキレと声量のある呼び声がしたもんで、咄嗟に威勢のいい返事をしてしまった。振り返ると、しずくを引き入れて正解だったな、と言わんばかりに機嫌のよさそうな部長だった。

 

「どうだい、うちの台本」

「どう、ですか……まあ、なんと言いますか、明るいですよね。ギャグ調で」

 

 俺は率直な感想を返した。

 

「コメディ軸の劇には、まだ慣れません」

「初挑戦かい?」

「はい、笑いどころはあったものの、笑いを軸としたものは初めてです。いつかやってみたいとは思っていましたが、これ程までとは」

 

 中学演劇は、周りも含めてほぼ全員シリアスもの。犬が死んだり、人が死んだり、銀河鉄道の夜のパロディとも呼べないようなパクリ台本だったり。色々と中途半端なシリアスをやっていた覚えがある。

 

 中学生が作る台本なんて、こんなものだよなあ。同じ中学生ながら、生意気だった俺はそう思っていた。顧問創作台本の出来は、台本としてきちんとしているものが多く、テーマも一貫性があったし、俺はそっちの方が好きだった。

 

 うちの中学の演劇部には、既に台本担当の人がいたので、それらを演じることはなかったが。なので、俺はギャグ軸の登場人物を演じたことがない。

 

「時に、穂村花火後輩」

「なんです?」

「君は、どんな演劇がしたい?」

「え〜〜〜〜……ずいぶんと広いっすね、質問の範囲が……」

「価値観を聞いておきたい。君が入った時代から、中学演劇という文化は加速していったと聞く。そちらで体験したものも、高校演劇に生かせるかもしれないし……後輩のことは知っておきたいのさ。ざっくりでいいから聞かせて欲しい。さ、さ」

「はぁ、なるほどです……」

 

 やたらとフランクに聞いてくる部長に反して、俺は悩みに悩んでいた。自分の中で考えたことも無いような議題について、悩みまくっていた。

 

 俺、どんな演劇したかったんだろ。

 

 あんまり考えたことがなかった。俺が目立つことができれば、劇ができれば、それで良かったし。

 

 なんか、俺、自分勝手だったんだなあ。台本を演じることには一生懸命だったけど、肝心の内容については、まあ、それなりに思い入れはあるし、全くもってどうでもいいってことはなかったんだが、そこまでこだわりは持っていなかった気がする。

 

 自分がやりたいものがない。なんでもいい。これが一番自分勝手で、わがままなのだ。

 

 今日、どこに食べに行きたい? という問に対して、何でもいい。と言う人がいる。うちの妹とかはそれだ。よく考えれば分かる事だ。自分で考えることを放棄して、ひたすら受け身になる。これは人として、あまりにも身勝手な行為である。

 

 自分の価値観、と言われて、記憶の中の演劇と呼ばれる演劇、舞台と呼べる舞台を絞り出した。それらを吟味して、自分の価値観と呼べる作品をピックアップした結果、『彼ら』ふたりのことしか、俺の頭から出てきた情報は残らなかった。

 

 コントじゃねーか。自分に突っ込みたくなった。

 

 いや、舞台でもあるし。自分に言い訳をしてみた。

 

 彼らのコントを思い返すと、昔に聞いたとある一節が、脳裏から浮かび上がってくるのが分かった。小学生の頃だったが、子供ながらに印象に残ったワード。

 

 彼らは、いつだって俺の価値観を作り上げてきた。俺の中にある確固たる軸は、彼らで出来ているのだ。

 

「『日常の中の非日常』じゃなくて……『非日常の中の日常』を作りたい」

「ほう。続けて」

 

 彼らのコントに、明確なボケやツッコミが存在しない理由のひとつにして、第12回公演『ATOM』の『アトムより』からの引用である。

 

 俺はどうせギャグをやるなら、彼らをリスペクトしたような……またまた自分勝手な意見になってしまうが、そういった要素も取り入れてみればいいと思う。

 

「ギャグ軸のもので言えば、シュール系とか好きです。あと、ホールが揺れるような爆笑だけが面白いわけじゃないと思いますし、鼻で笑うくらいの小型爆弾を何十個も仕掛けたようなものも好きなんですよ」

「…………」

「不満がおありで?」

「いいや……思ったより具体的だったもので、驚いてる」

 

 俺の意見を聞いて、部長は顎に手を当てて、目を細めて考える仕草をする。

 

 数秒すると、こちらに視線を流し、笑いながらこう言った。

 

「明日、空いてるかい」

「ええ。部活ありませんでしたよね? なら暇です」

「じゃあ4時半に、北校舎側のコンビニ集合ね。そこから『アトリエ』行くよ」

「えっ!? いいんですか!?」

「行きたいでしょ? 花火くんみたいな熱心な後輩は特に」

「あッ、ありがとうございますッ」

 

 先生たちと演劇部のみが知る『アトリエ』。前から先輩たちが話してはいたが……こんなに早く行けるとは。ラッキー。

 

 そこは秘密基地のようでいて、事務所のような、はたまた美術館みたいな空間。なんとも言えない、不思議な部屋。先輩たちは、そう語っていた。

 

 その『アトリエ』に居座って、俺たちが学園祭や大会で使う脚本を黙々と、またはぶつぶつ言いながら書いているのが、部員や彼のクラスメイトが呼ぶところの『鈴虫先生』。

 

 部長と同じく、高校演劇における、『最後の第2世代』のひとりである。

 

 




ミッドサマー大好き!


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