林間学校の全日程が終わろうとしていた。全てにおいて、目に見える範囲では何事もトラブルは起こらなかったようす。風呂が覗かれることも、肝試しで本物があらわれることもない。飯盒炊爨だって、うちの班は料理経験皆無系男子しかいなかったけど、割と美味しいスープカレーが作れたし。むしろ、お米のおこげが多めなのが、俺的には嬉しかった。
平凡にして、最高の林間学校と言えるだろう。
こうやって全ての日程が行えるだけでも、有難いと思わなくっちゃあいけないな。最近のメンヘラな、もとい不安定な気候では、雨で一部行事が中止になることも有り得ただろうし、台風なんて来たら林間学校そのものが中止になったかもしれない。
そこまで考えると、俺にしずくへのアタックチャンスまで与えてくれた林間学校には感謝してもしきれない。サンキュー、素敵な学園生活。マンガ通りにいかないなんて贅沢言っちゃいかんな。
生徒会が異常な権限を持っていなくても、屋上に気軽に入れなくても、俺たちはれっきとした『フツーの高校生』なのだ。フツーの人生、感謝感謝よ。修学旅行もフツーに行けるといいな。中止なんて滅多にないだろうけど。
先生の時代は、どうやら少し色々な界隈の過激派が多かったようで、社員のデモだかストライキだかのせいで電車やバスの交通機関が止まり、修学旅行にも影響が出たらしいしな。
マトモな青春も経験できないなんて、怖いったらないね。
「ふぁあ〜〜……ッ」
ひどくくだらないことを考えていたからか、大きめな欠伸が出た。隣に座っていたしずくが思わずこちらを向く。
「穂村さん、寝不足?」
「同室のクラスメイトと、ず〜〜〜〜っとゲームしてた」
「あっ、悪い子だ」
「仕方ない。一晩で日ノ神倒すチャレンジしてたんだもん」
「ひのしん……?」
最終的に討伐したのは午前5時12分。なまはげ3人、花さか爺1人のテンプレパーティーだ。
そこからは4人ともハナホ人で攻略する手筈だったが、うち1人が気絶。他の奴らもバタバタと倒れていき、最終的には俺を含む全員が朝食の時間に遅刻するという事態になってしまった。もはや、今遊んでもまだ楽しいバスターズが悪い。
「ま、この通り元気だけどな」
「でも良くないよ、健康に」
「余裕だっちゅーの。楽々メガ盛り牛丼食えるわ」
しずくは消灯時間の30分前には全ての支度を終わらせて寝てそう。そうであってほしい。
「まあ、私もちょっと夜更かししちゃったけど」
「えぇッッ!!?」
「そんなに驚くことかなあ!?」
驚くだろ。あのしず子さんが、なんともオチャメに夜更かしなんかしちゃってるんだぞ。しずくに一方的なレッテルを貼ったり色メガネかけてるわけじゃあないんだが、驚き桃の木山椒の木ってやつだ。
桃の木も山椒の木もそこまでデカいわけではないらしい、と先日歴史の先生が言っていたな。ま、だからどーだこーだってわけじゃあないが……。
「な、何時まで起きてたんスか」
「えっ、えぇ〜〜?」
しずくは躊躇い、もじもじと身を左右に揺らす。そしてふたつの人差し指を立て、こちらに向ける。
午後11時か? と思ったが、その指は時計をあらわしていたようだ。右手の人差し指をまっすぐ、そして左手の指を少し左側に傾けて、恥ずかしそうにしずくは言った。
「日付、超えちゃったの」
「かわいいかよ」
「かわいい!?」
「いや今のは違う! しずくが可愛いとかじゃなくて、その、なんだ! 近所の犬くらいの感覚で! 言ったんだよ! そうそうそう!」
「んん……そうなの? なんか汗かいてるけど……」
「そりゃそうだよな! しずくは演者だしスクールアイドルだし健康にも気を配らなくっちゃあならねーもんなあ! 肌荒れるしなあ!」
「そんな慌てる!?」
「そうだよ俺が犯人だよ!」
「何の!?」
危ない。ほぼアウトだが、危ないと言っておこう。
「え、エチュードでも……するか……?」
「暇さえあれば演劇の事を考えているのは尊敬するべきなんだろうけど、ここでエチュードは流石に演劇部に染まりすぎてるね」
「……バリエーションが無いんだよ」
呆れたようにしずくが笑う。かわいい。俺はこれまで何回、単純なる『かわいい』を地の文で口にしただろうか。いや、誤解しないでもらいたいので一応言っておくと、単純なる『かわいい』にも色々と意味がある。単純なる『好き』にも、親しい友人的な意味、家族愛的な意味、恋人的な意味での『好き』があるだろう。つまりはそういうことさ。
ああ、かわいい。こいつが隣に座っているだけで、森のマイナスイオンが5倍に跳ね上がる気がする。好き。片想い的な意味で好き。
「ねえ、雨の日。覚えてる?」
雨の日。そう、この2人の中で、話題に上がるほどの『雨の日』なんてのは、ひとつしかない。
しずくが、俺に初めて、心から笑ってくれた日。
「ハッキリと……覚えてるよ」
俺の記憶には、どんな高画質のテレビで映しても足りないほどに色鮮やかで、とても明確に残されている。鮮明、というのか、こういう時は。10話前のことだが、昨日のように覚えているぞ。
「今更だけどさ」
「んー?」
「あの日、なんで私が言った映画に『オードリーが出てる』って分かったの?」
特に俺に対して『ストーカーなんじゃあないか』という疑いの目を向けてはいないようだ。単なる疑問を俺に向けている。
──『な、なら! ならっ!! ……ごめん、大きい声出ちゃった……えっ、映画も見よ! 『いつも2人で』とか、『マイ・フェア・レディ』とか!』
『あーあー、お前がオードリー好きなのは分かった! うん、見るけど! 見るけどね!』──
そういえばサラッと言っていたな。しずくの言ってきた映画が、オードリーが出てくるものだと瞬時に反応できたという、俺のアドリブ能力の調子が良かった日であったが故の疑問だろう。
いや、本題はそこではない。何故俺がオードリーの映画を知っているのか、というところにフォーカスを置くべきだ。特段そのような発言をしていたわけでもないのに、という点も加味しての、しずくの純粋なる疑問。
「お前のアイコン。オードリーだろ」
「あっ」
部活に入った日に交換。たまに業務連絡を送り合い、それよりたま〜に演技の相談をし合う、『某・個人チャットの利用を主とする緑がイメージカラーのSNS』における、しずくのアカウントのアイコンがオードリーだっただろ。という意味の発言だ。
あれはなんの映画だったかな。確か有名どころ。『ティファニーで朝食を』あたりだった気がする。いや、それは少し前のアイコンか。今は変わって、かすみとのツーショになってた。
1日5回はしずくのアカウントを眺めて、こう、なんか、たわいもない雑談とかしてみようかなって企んでみてはポケットにスマホを入れるのが日課になっている俺からすれば、『あっこの人オードリーだな』と見抜くなんて赤子の手とか足とかを捻ってオリーブオイルで炒めるくらいに簡単なことだね。
緑色をしたSNSのアプリのしずくのアカウントを暇さえあれば観察して、ステータスメッセージや背景画像の少しの変化にも気づけるように、手ぐすね引いて待っている俺。そしてしずくからメッセージが来た暁には、例えそれが業務連絡でも飛び上がって喜び、心臓がバクバクになる。
しかし、そこで俺はあえて『時間を空ける』ことが多い。緊急の用事でもない、『ちょっといい?』などのメッセージであれば、5分ほど空けて『どした』なんて塩対応なメッセージを送るのだ。これで俺がしずくに想いを寄せていることなんてバレはしない……はず、である。
「そこから……オードリーが出てる作品を、ちょっと見たんだよ。桜坂、これが好きなんだろうなって。大体の、有名どころの映画は見たな」
「興味、持ってくれたの?」
「ん……オードリーも、だけどさ」
「?」
「桜坂の見てる世界に、興味があった」
演劇部だったら日常会話でちょっと詩人になってもいい、みたいな所はあるからな。
今から俺は、ちょいとばかし恥ずかしいことを言うことにする。ふだん伝えられていない分も含めて。
「桜坂はどんな演技を見て、こんな役者になったのか。どんな影響を受けたのか。それは、俺が桜坂と同じ影響を受けよう、俺が桜坂になりきろうってんじゃあなくって、桜坂が……なんて言えばいいんだろう…………すごく、興味があっただけ。『桜坂の好きなモノ』に……」
「…………」
コミュ力があるとは言っていない。ボキャブラリーだってない。言葉に詰まりつつも、俺は必死にしずくへの想いの言の葉を紡ぐ。
いつの間にかプロポーズのつもりになっていないか、自分でも心配なくらいには、真剣に。
「それによ。桜坂、演劇関係のこと話してる時って、すっげー楽しそうじゃん。だから、こっちまで楽しくなっちまうしよ? 興味も持つさね、トーゼン」
「うん、嬉しい」
俺はなんだか恥ずかしくって、未だにしずくときちんと目を合わせられていないが、しずくは俺の方をじっと見つめ、『なにそれ』なんて笑いもせずに真面目に話を聞いてくれている。
まあしずくは常に真面目な優等生ちゃんなので、いつも通りっちゃあいつも通りだが、それでも俺からすれば有り難かった。笑い飛ばされるよりは、恥ずかしがってくれた方がまだマシなくらいには、俺は真剣にしずくのことを想って言っている。
「ホントに勇気必要だったんだぜ。あん時の行動……」
「……穂村さん」
「んで、そういう時に本当に必要な勇気ってェのは、打算はなくても計算は最低限あるもんだからさ。ずるかったって今でもたまに思うけど……」
それでも、知りたかった。しずくのことが。とまでは言えなかった。いつかしずくが知らない誰かと付き合って、大人になって飲み屋街で再開して久しぶりだねだなんて話して、立ち話もなんだからって2人きりで店に入って、しずくの薬指に光る何カラットかの知らない誰かからのプレゼントを見て涙を堪えつつ、こんな話をする時がいずれ来るだろう。その時に言ってやろう。
「私の話、楽しいって言ってくれてるけどね。穂村さんの話も聞いてて楽しいよ」
「…………ふ〜〜ん……」
まんざらでも、ない。むしろメッチャ嬉しい。
「じゃあ、さ」
「ん?」
「オソロイ、だ……な? 俺らってよォ……」
俺がそう言うと、しずくは少し驚いたような顔をする。そしてゆっくりと、何回も頷き、耐えきれなかったように口角を上げる。
プレミではなかったようだ。しずくは、本心から喜んでいるように見える。
「うんっ」
2文字。いや、2.5文字と呼ぶべきか。それだけしかないセリフに、これだけの感情を込めることができるだろうか。いや、これは演劇の話だが。
セリフと言ったのには、理由がある。『俺とお揃いなのが嬉しいはずがない』からである。今こそ『ふふ、そう〜?』『穂村さん、変なの』なんて笑って流して欲しかったのに。
なんで。
「嬉しい」
「えっ」
なんで、そんな顔してンだよ──。
「ふふ。ふふふっ、ふふ」
ずいっ。俺の隣に座るしずくは、上半身だけをこちらに向け、傾けてくる。寄せてくる。
そして一言だけ。
「私、穂村さんに愛されてるね?」
ウソでも嬉しい。罠でもいい。死んだはずの親や兄弟が再び自分のもとに現れる、という敵の罠にまんまと引っかかる奴によくありがちなセリフだが、俺は今、似た状況にある。
あの人が蘇るはずがないのに、って感じで、信じられないけど、それでも嬉しい。
しずくが俺の事を好きなわけがないのに。
桜坂しずくという人間は、とてもロマンチストな傾向にある。
恋愛で言えば、彼女は白馬の王子様を待っている系女子になるだろう。暴れん坊将軍ではない。確かに白馬だし地位も上めだけど、俺が言いたいのは洋風の白馬の王子様だ。
いつか自分をときめかせてくれる、そんなカッコよくて頼りになって素敵でイケメンな王子様を待っているはずなのだ。
さて、それに対して今の俺はどうだろうか。当てはまる箇所がひとつでもあるだろうか。
言わずもがな、である。
そんなしずくが、俺の事を好きなんてことがあるわけないね。俺はしずくのことを愛している。勝手にな。でも、しずくは俺のことを好きでもなんでもない。腹の底で俺のことをなんて酷い言葉で罵倒しているかも分からない状態だ。
でもまあ、『愛されてるね』なんて言ってきたのだから、少なくとも嫌われてはいないのだろうか。俺は微かなる希望を持って、これからもしずくにじっくりと時間をかけてアプローチし続けてもいいのだろうか。
「桜坂!!」
「な、何? もう時間っ?」
俺は椅子から跳ねて、しずくの前に立つ。
「…………すっ……」
「す?」
居ても立ってもいられない。寝ても起きてもいられない。ならば。
「少し走ってくる!!」
「なんで!?」
ならばこそ走る。
「桜坂も走るか!?」
「い、いや、私は大丈夫だよ! 行ってらっしゃい!」
しずくは心底動揺したようすで、慌てつつも俺に手を振る。健気。
文化部とはいえ体育会系に属してもそこそこ活躍できるぐらいの肉体であることを必要とされる演劇部。その元主将の足で、バスとは反対方面へとひた走る。息をつく間ももどかしい。
友達が夜中、電話での告白に成功した後、なんだか身体がうずいて朝になるまで外をランニングしていたという話を、ああ、アオハルだなあ、なんだか微笑ましいなあ、だなんて恋愛経験もろくにないクセに上から目線で聞いていた覚えがあるが、今はアイツの気持ちが分かるぜ。
走っているうち俺は、開けたところに出た。下からはせせらぎ、上からは野鳥のかすかな鳴き声と木々の葉の擦れる音。川に出たらしい。
息を整える間もなく、メガネを外す。川の水をすくい、顔にバシャバシャと2、3回。いまだ頭に鮮烈に焼き付いて離れないしずくの表情で、アツくなった顔やその他を冷ますように、ついには顔ごと水に突っ込んだ。
「好きぃ〜〜〜〜〜……!!」
情けなく尻すぼみな叫びを空に放つと、それに驚いた野鳥がバサバサと飛んでいく。
そして俺は折り返し、バスに走って戻る。いい運動にはなったし、これを機に俺は毎朝ランニングをしてはしずくへの思いを道中の神社で叫ぶ──もちろん近所迷惑なので、神様に愚痴る感覚で心の中で叫んでいるぞ──のが日課になった。
しかし翌日、普通に筋肉痛になったので、たとえ皆さんが片思いの子に大分意味深なことを言われても、自分が運動不足だったり普段から外に出ていなかったりを自覚しているのなら、走るのは控えましょう。
大学演劇の取材もしたい。
評価用リンク→ https://syosetu.org/?mode=rating_input&nid=267334
感想用リンク→ https://syosetu.org/?mode=review&nid=267334#review