片時雨の下手で   作:苗根杏

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#23 うるう

 

 

「穂村さん!?」

「よ。やってる?」

 

 俺がホールのドアを開け、わざとのれんをめくるような仕草をして入ると、居たのは女将さんではなく、不意をつかれて驚いたようなしずくだった。

 

 今日は土曜日。学園祭や大会の近くなった演劇部は、毎日のように、いや、本当に毎日練習をする。朝9時から夜6時までの練習がある、いわゆる『一日練習日』である。

 

 さて、現在時刻は午前8時9分。本当はもっと早く来るつもりだったのだが。

 

 この時間は先生さえも来ていないので、自分で職員室まで、練習場所であるホールの鍵を借りに行かなければいけない。しかし、俺は直でこのホールに来た。これがどういうことか、お分かりかね。

 

 そう。

 

 しずくの気を感じたのだ。

 

 嘘です。

 

 まあ、あながち嘘とも言いきれない。のかもしれない。俺は『しずくなら来てるだろうなぁ〜! 真面目だし、やる気も人一倍だし、可愛いし! 超可愛いし!!』という単純な思考を頼りにホールへ一直線に来ただけだが、これはしずくの心を読んだというか、通じ合っていたと言えなくもないのでは。

 

「どうしたの、こんな早い時間に!」

「お前こそ早すぎるくらいだろ」

 

 そのまま、しばし睨み合いが続く。しずくは頬を膨らませて言い返せない様子。俺らがこんな風になることは珍しくない。これがしばらく続くとどうなるか。

 

 同時に、ぷっ、と笑ってしまうのだ。

 

「せーの」

「「自主練習」」

 

 しずくの掛け声に合わせてハモる。

 

 こうしてホールに2人きりなのは珍しくない。学園祭への取り組みが始まってから1ヶ月。俺らは既に5回ほどこんなやり取りをしている気がする。もっと多いかも。

 

 他の部員さんたちの中にだって、30分前に来る人もいるが、俺たちは特段来るのが早い。校門からホールにたどり着くまでの道で合流する事もあれば、ホールの中で挨拶を交わす時もある。まちまちだが、とにかく俺らは練習に来るのが早い。

 

 これが原因で損したことは、ひとつだってない。しずくと一緒にいられる時間が1分でも、1秒でも増えるのは、とてもいい事だし。

 

 それに、来るのが早すぎて叱られるなんて、日本らしくないだろう? 俺らの部活も例外ではなく、普通に褒められる。まあ、褒められたくてしていることでは断じてないがね。

 

 さて。

 

「最近、ちょっと鈍ってるんじゃないの〜?」

「なめんなよ、俺はリラックスすると自然に腹式呼吸になるくらいなんだぜ?」

「ふふ。期待してるよ」

 

 こうして集まった俺らふたりがやることは、ひとつ。たったひとつだけ。大人しく雑談でもしていると思ったら大間違いだ。

 

「いでででで」

「はい、交代!」

「クソっ。このまま折ってやろうか、背中のありとあらゆる骨を」

「凶暴!」

 

 柔軟。

 

「6! 7! 8!」

「ちょ、早過ぎない!? ちゃんとやってるよね!」

「俺がサボるとでも? ふふ、スピードアップ!」

「なっ!? まだ変身を隠してたんだね……私も本気出す!!」

 

 筋トレ。

 

「「あ・え・い・う・え・お・あ・おッ」」

 

 短音。

 

「「あ────え────い────う────ッ」」

 

 長音。

 

「斜め七十七度の並びで泣く泣くいななくナナハン七台難なく並べて長眺め!!」

「生麦生米生卵! あわせてぴょこぴょこ青パジャマ! 新春シャンソンショーに竹立てかけたかったから屏風に絵を描いた特許許可局はよく柿喰う引き抜きにくい釘だ!!」

 

 早口言葉。

 

「『バカっ、それは禁じられた……!』」

「『うるさい!! なんでもいい、なんでもいいんだッ!!』」

 

 過去の台本読み。

 

 互いに競い合うように、思い思いに基礎練習をする。これが俺たちがホールでふたりになった時のルーティンである。

 

 明確なゴールもなければ、明確な勝ち負けの基準もない。その場で勝ったと言えば勝ちになり、いいやこちらの方が勝ちだとまた本気になる。その繰り返しだ。

 

 そして、ほぼほぼ同じぐらいのスタミナのしずくと俺は、同時に舞台の上で仰向けに倒れる。息も絶え絶え、それでも呼吸は横隔膜を使うことをサボらない。演劇人としてのアイデンティティを失ってなるものかと、必死に腹を膨らませ、へこませる。

 

 隣を見ると、たくさんの汗を木張りの舞台にこぼしながら、しずくは、これ以上ないほどの笑顔を浮かべていた。それを見てまた、俺も笑う。笑い声は出なくとも、心地よい疲労に身を任せ、呼吸と達成感に浸る。

 

 ホール独特の匂いも、汗で視界が遮られるぐらいに濡れたメガネも。天井知らずにBPMが上がってゆく心臓の音さえも、愉快極まりない。

 

「……楽しいね」

「うん」

 

 主役から降ろされた俺が、いま現在、演劇部で務めるべき役目は『基礎演技力を落とさないため基礎練習をしっかりすること』と、『顧問と共に通し練習を見て感想を述べること』。

 

 本当に、これだけだ。

 

 いや、大事な役目だけど! でも、ホンネを言うと。舞台に上がりたい。熱い照明に照らされながら舞台を駆けずり回り、思い思いにアドリブを入れ、ヒーローショーをしたい。お客さんに直接、俺の演技を見せて──この、直接見せたい、という思いで無理やり軽音楽部のステージに上がってしまったのだから、我ながら未練がましい──学園祭を思い切り湧かせたい。

 

 そんな俺が何故、休日の7時前に起きてまで部活に1時間も早く来るのか。

 

 演劇にまつわる、演技に関わることが、こんなにも楽しいからだ。基礎練習も楽しい。顧問と一緒にやる、学園祭の舞台の演出指導──これを自分で言うのは結構恥ずかしい──の一環として舞台で役者の先輩の方々と共に試行錯誤するのも楽しい。

 

 今は基本的に軽音楽部の活動が主だが、やっぱり俺が舞台に立つ時は、何かを演じているのが自然なのかもしれない。

 

 それに、最近探しているものがある。

 

 互いに息も落ち着いた頃、しずくはすくと立ち、舞台の袖に向かう。そして、そこの道具箱から、白とシアンを基調とした変身ベルトを取り出す。

 

 あのベルトは、デザインが鈴虫先生と特撮ヒーロー同好会、制作が『道具神』宮下先輩と模型同好会という、超豪華スタッフによるベルト。中身のコンピュータどうこうは情報処理科の先輩が作っており、音もきちんと鳴るし、ビカビカ光る。

 

 舞台で使う時は勿論、変身音などの音響はスピーカーから流れる。なので、このDX玩具に基づいた光る鳴るギミックは完全にオタクたちの趣味で装着されたものである。オタクたち、そう、演劇部員のみならず、ベルト制作に関わってくださった方々ほぼ全員の趣味が合致した故の、言わば『総意によるギミック』である。

 

 現在は音響さんたちもいないので、しずくはそのベルト本体の光る鳴るシステムを起動する。

 

『ロミオドライバー!』

「『ジュリエット……』」

「!」

「『……俺は、君の小鳥になりたい』」

 

 劇中の、セリフだ。

 

『ナイチンゲール!』

 

 平成2期らしさのある、恐らく何十個も出るしレジェンドライダーバージョンも出るだろうといった、本の形のコレクションアイテムを起動する。

 

「『……悲劇…………』」

 

 左手にアイテムを持ち、彼女から見て右側へとピンと伸ばす。右手はベルトの上に添える。その左手を、弧を描くように右から上、それから左へ回す。

 

 変身前のポーズが、違う。しずくのオリジナルか。多分、1号がモデル。

 

「『変身ッ!!』」

 

 左手を素早く引き、右手を思い切り左上へ伸ばす! 

 

『モード・ナイチンゲール!! 奏でろ、朝を告げる歌!!』

 

 派手な効果音と共に、これまた平成2期らしいテンアゲな変身時ボイス(CV.『音響神』井上先輩)が入る。

 

 1回の変身に魂を込めすぎたのか。しずくは一瞬で、疲れた様子を見せる。

 

 いや、正確には魂はこもっていない。変身する時、そこにしずくはいなかった。完全に役を降ろし、自我を自分の身体からなくす。自分の身体のコントロールを役に預けていた。

 

 要は、今の彼女の演技は『自分0%型』だったのだ。多分。

 

 何故そんなことが俺に分かるのか。そりゃあまあ、経験則や、勘や、しずくへの愛が主な推測の理由だ。

 

「カッコイイでしょ〜」

「……マジかっけぇよ、桜坂」

「ふふ」

 

 寝転んで、床に伏していた手。その先が、ピクリ、ピクッピクッと動き出した。そして、徐々に落ち着きつつあった心臓が、再び暴れ始める。

 

「思い出してきた」

「何が?」

「……あの頃の、感覚」

 

 疼いてきたんだよ。なんだか、腹の奥から幸せのスープみたいなのが満たされていく……そんなアツい興奮が、俺の身体中を駆け巡って止まない。

 

 舞台の上で、俺は立ち上がる。同時に、ふっ、と、意識が落ちかける。しかし、両足をしっかりと床に着け、ポーズを取る。

 

 握りこぶしを作った両手を、空手家のように腰の横に寄せ、すかさずその両手をほどいて胸の前でクロスする。

 

「『変身』ッッッ」

「!!!」

 

 アイテムをベルトに差す真似をし、脳内で変身音を流す。変身後もきっちり、決めポーズ。

 

 突如変身をした俺を見て、しずくはしばし変身直後のポーズで固まっていた。

 

 舞台の上。戦いもせず、ただポーズを保つヒーローたち。

 

「やっぱ、『演りたいから』なんだ」

 

 自然と口をついて出た言葉だった。

 

 結局、俺が舞台に立つ理由なんてのはひとつに絞れない。ここ数日、散々頭の中で考えて、軽音楽部のボーカルにまでなって考えてみて、悩んで、悩んで、一日休んで、また悩む。悩みすぎていることに悩んだ日もあった。

 

 でも今朝、コップ一杯の水を飲んで、顔を洗っている時。ふと『今日の部活も楽しみだな』という思考が過ぎった。

 

 天矢には『俺が演劇部に行っても部にとって有益なことは無い』と言った。しかし、俺にとっては部活に出席し、基礎練だけでも、軽い台本読みをするだけでも、それが『楽しみ』だったのだ。

 

「穂村さん……いま…………『目』……」

「ん?」

「いやっ、なんでも……うん、なんでもない。スゴくカッコよかったよ、穂村さん」

「フフ……」

 

 答えはもう出ていたが、今、それが確信に変わった。序盤に書いたとおり、俺が演劇部に来続ける理由はひとつ。

 

 演劇が、楽しいから。

 

「本番では演じないのに、な。おかしいよな」

 

 本番で変身する人の前でこんなことを言ってしまうのも、何だか嫌味というか、未練がましく聞こえてしまうだろうなと自覚しつつも。俺は、言わずにはいられなかった。

 

 しずくはそんな俺に嫌味で返すことも、笑って流すこともせずに、そっと俺の肩に手を置いてくれた。そして、強く頷く。

 

「いいの。穂村さんは、演りたい役を演ればいい。なりたい穂村さんになればいいんだよ」

「…………なりたい、俺」

 

 後ろから、少し年季の入ったドアの開く、金属音。ホールに誰かが入ってきたのだ。

 

 腕時計を確認してみると、8時半。ということは。

 

「先生!!」

 

 ここで言う先生とは、我らが『台本神』鈴虫先生のことではない。本物の先生である。いや、鈴虫先生も作家という意味では先生だな。

 

 その、なんだ。ちゃんとした教員免許を持っている、学校の教員、という意味での先生。とどのつまり、我らが虹ヶ咲学園演劇部の顧問である。

 

「おはようございます」

「あっ、お、おはようございますッ」

「……ん。おはようございます、早いね」

 

 しずくに続いて、軽く会釈して挨拶する。

 

「先生、聞きたいことが!」

「あと2分でね。軽く様子、見に来ただけだから」

「は……はい」

 

 先程、俺は悩んでいたと言った。しかし、その悩みはひとつではない。もうひとつ、しかもまだ解決していない悩みがあった。

 

 顧問に直接聞くのが一番早かったのだが、今までお互いに忙しく、タイミングを逃し続けてきた。先週ぶりに顧問の姿を見た俺は、どうせならここで聞いてしまおう、と、思い切って声をかけてみたのだ。

 

「……あの日、オーディションで選んでくれましたよね」

「そうだね」

「先生は、俺を『燃二世(もゆるジュニア)』だから主役に選んだんですか」

「えっ」

「………………」

 

 

#23

うるう

 

 

 顧問が、顔をしかめることもなく、定位置であるホール1階席のど真ん中、G-32番席まで歩いていく。

 

 しずくはというと、何のことだか分からない、といった様子だ。小首をかしげ、俺が言った単語をリフレインする。

 

「モユル……って……?」

「教えてください、先生。先程、桜坂の変身を見せてもらいましたが……俺より、桜坂の方が遥かに演技は上手でした。なのに、なぜ最初に俺を!!」

「これからも部活に来てくれるのか」

 

 俺は少しだけたじろぐ。質問の内容に全く関係の無い話題を出してくるものだから、少々、驚いてしまったのだ。話題を逸らしたい、といったような、嫌がる態度は一見無さそうに思える。

 

「……質問をしているのは俺ですよ」

「お前が来ると、場の雰囲気が和やかになる」

 

 先生はいつもの特等席に座り、台本を読みながら、俺たちのいる舞台に聞こえるギリギリの声で話す。

 

「今までの練習と、最近の通し練習とでは少し違う。お前がいない日も僕はここに来てるけどね。間に挟むガリのようなシリアスが……なんというか。目立ちすぎているんだよ、そう、隠し味が目立ってしまう。リンゴとハチミツの味しかしないカレーのように」

「…………」

「穂村花火が虹ヶ咲学園演劇部にいれば、かつての我が校の芸風を取り戻せる気がする。でも皆、やっぱりシリアスもやりたいのかね。フィクションでぐらい明るくいきたいのに」

「穂村さんはエンターテイナーですからね」

「そうそう」

「2人とも、俺にデカい肩書き背負わせようとしてる? エンターテイナーは攻めすぎだって」

「The Maskの真似」

「さあ、パーッといこうぜェ!」

 

 咄嗟に言われたもんだから、ワイルドボンゴしかできなかった。あの映画で、間違いなく一番俺の印象に残ってるシーンだ。

 

 演技の参考にするために何回も見たが、多分今見ても笑っちゃう気がする。すごいよ、ジム様。

 

「なんですぐに吹き替え版の声ができるの……?」

「山ちゃん、難しいハズなんだけどな」

「ダンナってば! まだ自分が手にした物の価値をご存知でない!?」

「あっ、アニメ版」

「ほら、エンターテイナー」

「ん……否めん……」

 

 まあ、俺としても、顧問の意見には同調する。シリアスが目立ちすぎるのはよくない。あくまでうちの芸風は明るいものだ。さらに明るくするために、ガリとしてシリアスを入れているに過ぎないからな。

 

 いや、違くて。今は俺の存在意義とかはどうでもよくて。俺が地味に山ちゃんの声真似得意なのはどうでもよくて。

 

 シリアスがやりたいどうこうではなく、何故あの日のオーディションで俺を主役に選んだのかと聞きたいのだ。俺はランプの精ごっこを止め、咳払いをする。

 

「ンッン! 先生、あのですね!」

「お前は、どうなりたいんだ」

「はい!?」

 

 少しだけしびれを切らし、強い口調になってしまったが、顧問は顔色ひとつ変えずに話を続ける。

 

「同じスタァでも、お前には大きくふたつの道がある。『燃の二世』か、『穂村花火』か。そう、端的に言えば『劉備』か『曹操』か……そんな感じ。お前は、どちらになりたい。そう聞いた」

 

 三国志、あんまり詳しく原作のこと知らないんだけど。SDガンダム三国伝しか分からないな。劉備の演者はファースト、曹操は確かダブルエックスだったか。

 

 して、質問としては、俺が『スタァ』になるにあたっての『路線』を聞きたいのだろう。

 

 片や、二つ名に『陽炎』を持つ、高校演劇史上最もアツく燃える男である穂村燃、その二世への道。

 

 片や、親の七光りに頼らず、むしろ『アイツの子供』というレッテルやイメージを払拭せんばかりに自分を貫く道。

 

「お前、オーディションの時さ」

「オーディション……主役オーディションですか」

「『0%』だったよ」

「…………」

 

 ここでの『0%』は、『自分0%型』。そう、燃も使っていた演技の型のひとつだ。

 

 普段の俺は、部長曰く『自分50%型』。もちろん、オーディションの時も同じく『50%型』を使っていたつもりだ。

 

 つもりだっただけのようだが。

 

「親父の真似か」

「違いますッッ!!」

 

 この穂村花火が、心の底で親父を意識しているとでも言いたいのか。

 

 俺が行きたいのは、アイツとは全く別の道だ。

 

 俺にとって『親父の真似事』は、二世になることに直結する、つまりは俺の理念に反する行為だと思っている。

 

「なら、何故あそこで『0%』を出した」

「……『自分0%型』は、自分の意識を無くして本領を発揮します。なので、全くもって記憶にありません」

「覚えていないのか」

「はい。少なくとも、故意で出したわけではありません」

「アイツの息子として『0%』を受け継いでいる。その線はあるんじゃあないのか?」

 

 俺は食い気味に、顧問の席どころか、2階席まで届く、演じる時にもたまに出すぐらいの大きな声をホールに響かせる。

 

「俺は誰にもなれません!!」

 

 顧問の口角が、少しだけ上がった気がした。

 

「とどのつまり……『お前は誰だ』」

「ッ…………俺は……俺はッ!!」

「お前の中のお前に問いかけろ。確かに、しっかりと……影に隠れた姿が見えたな? もうすぐ……掴めるハズだ……」

 

 燃を象徴する言葉として有名なのは、やはり『ハイパー千両役者』だろう。

 

 本人が名乗ったトンチキな二つ名だが、マスコミが気に入って何回も見出しに使ってしまったせいで、すっかり世間にも定着してしまい、本人も困っていた名前。

 

 ただの『千両役者』でよかったのに、その称号の後に燃が付けたのは、ハイパー。つまり、何かの上、何かの向こう側、何かを超越した、という意味の単語。

 

 たとえばハイパーソニックは、スーパーソニックを超えたマッハ5以上の速さのことを言う。そういった、何かよりも上にある、という意味で、ハイパーという単語が使われる。

 

 歴史上の著名で素晴らしい演者たちが、何百年と受け継いできた『千両役者』という称号。燃は、その過去の千両役者すらも超越し、何かしらの大きな壁の向こう側へとたどり着いた、千両役者の中の千両役者……自分はそれだと言いたかったのだろう。

 

 だが。

 

 それは俺とは違う人の話だ。たとえ親父であろうと、燃ほどの千両役者であろうと。俺の演劇人生を決めるには、どれも値しない。

 

 俺の演劇人生は、俺のものであるのと同じように。

 

 俺は俺である。

 

「俺は『穂村花火』ですッ!!!」

 

 強いて二つ名を名乗るのならば、『究極千両役者(ウルトラ・マン)』。

 

 演者の道を究め、そして極める。そうしていつか俺は、高校演劇の極地にたどり着くのだ。

 

「あの日、僕は言った。『変身しろ』と」

「…………」

 

 その答えが、ようやく見つかったのだ。

 

「先生が言いたかったのは『俺が俺であるために演じろ』ということだったんですか」

 

 顧問はそれに頷きもせず、代わりに首を横に振ることもせず、シーリングの方、すなわち斜め上を仰ぐ。

 

「随分、変わったな。お前が燃と同じような道を歩んでいたら、甘ったるいカレーができていたところだ……お前が穂村花火だからこそ、うちはコメディを続けられる。ここ2ヶ月しかいないが、僕には分かる」

「!」

 

 俺の存在意義の話、関係あったのかよ。

 

「オーディションからすぐに二世の枠を越えないと、穂村花火の完成には間に合わないと思ったんだ。だから僕は言った。『変身』、と」

 

 二世という肩書き、枠組みに囚われたままでは、真の意味での成長が見込めなかった、ということか。だから、学園祭までに間に合わせるように、俺に『変身』をするようにと言った。

 

 あの時の俺は、『0%型』を無意識に使っていた……そう、無意識に燃に寄ってしまっていたらしいのだ。だから、先生は『花火が燃の二世になってしまう』と考えたのだろう。

 

 ──『ねえ、花火くん』

『なんスか』

『キミの穂村って苗字さ、もしかして……あの穂村?』

『…………』

『おっ、図星? っはは。まあ、そんなイヤな顔しないで。キミがあのお方の息子だからどうとかってんじゃあないの、単に……』

『なあ』

『ひゃいっ!?』

『……コイツ、その話をしたがっているかな?』

『えっ……あ……』

『誰です、この人』

『顧問だよ! ……き、気をつけます』

『ん、じゃあね』──

 

 入部当初から顧問は、俺が二世というレッテルを貼られることを嫌っているのを知っていた。今思えば、ああやって先輩に絡まれていたところに来てくれたのも、100%の善意だったのかも。

 

 まあ、俺のことをあそこまで見通せていても、理事長に舞台から降ろされることは流石に予測していなかったらしいけど。

 

「ありがとうございますッッ」

「心から応援している。『穂村花火』を」

 

 しずくは何が何だか分からない様子で、ただ、ただロミオドライバーに手を携えて、俺らのやりとりを見ていた。

 

 思えば、穂村燃は二十数年前の演者。大昔の大先輩。先輩たちの中でも知ってる人は数人しかいないし──しかし燃がバケモノすぎる、ただの高校演劇の演者が二十数年後の後輩数人に知られているだけでも十分おかしい──しずくが知らないのも、当たり前と言えば当たり前だろう。

 

「13時30分までに、基礎練と通し2回。シクヨロ」

「「お疲れ様でしたッ」」

 

 気が済んだといった様子の顧問は、若干古いんじゃあないか? って挨拶をして、ホールから出る。時計を見ると、8時32分。本当に2分で話が終わってしまった。

 

「ねえ、穂村さん。モユルって誰?」

「…………」

「話したく、ないんだね」

「ゴメン」

「いいの」

 

 しずくは、若干放心状態の俺の、だらんと垂れた腕を持ち上げ、手を取る。

 

「でもね。穂村さんは1人だけ。穂村さんは、ちゃんと『穂村花火』って、1人の人間だから……大丈夫だよ」

 

 先程の身内だけの会話から、ここまで予測できるとは。流石しずく。偉い。すごい。IQ1000万。

 

 自然と笑みがこぼれてしまい、少し恥ずかしくなる。

 

「俺、さ。軽音楽部に臨時で入るんだ」

「えっ!? そうなの!?」

「……舞台の上に立って、人を夢中にさせるってことには変わりねー。それに部長、雑誌で言ってたろ? 『歌は表現力が要、すなわち演技力に直結する』」

「確かに、そう……かも……」

 

 合唱部が協力してくれてから1ヶ月ほど経ったが、基礎練習のメニューに新たに加わった『合唱』の文字が外れることは無いだろう。

 

 実際、合唱を取り入れてから、顧問の評価が良好となった先輩たちは数多くいる。

 

 裏方さんたちからも人気だ。演技はできなくても歌なら気軽に挑戦できる、というのも好評。これに関しては本当に些細な変化ではあるが、心做しか調光卓からの声が、こちらまで聞こえやすくなった。

 

 歌唱に求められる演技力というのは、ばかにできない。俺という門外漢が軽音楽部の舞台に立つのは、ただ主役を外されたリベンジを舞台の上で果たしたいというだけでなく、個人的にも歌を取り入れた演技力向上の練習をしたいから、という理由もあるのだ。単に楽しそうってのもあるけど。

 

「だから、見ててくれ。俺が歌演(うた)うステージ」

 

 生まれ方や生まれた環境は選べない。今となってはどうしようもないから。

 

 死に方や死に場所は選べない。俺はまだまだ弱いから。

 

 でも『生き方』は選べるッッ。

 

 俺は星を見ていたいんだ。だから、リベンジもするし、演技力向上のための取り組みも怠らない。

 

「そのステージ、いつ?」

「ナイショ♡」

「む。イジワルッ」

「俺が出てるステージ当てられたら、何でもひとつ言うこと聞いてやるよ」

 

 本番は理事長のヤローも見てやがると思うので、完全に変装をし、本名を隠して出演することになる。しかも軽音楽部は3つあるし、全員変装してるような奇天烈な格好で出てくるだろうから、普通に分かりづらいだろうな。

 

 分かったらジルスチュアートでもシュウウエムラでも、何でも買ってやる。どっかの遊園地の年パスでもいい。

 

 そんな俺を、しずくはジトーっとした目で見ている。

 

「いいけどね? 他のとこに浮気しても。最終的に穂村さんは演劇部に戻ってくるだろうし」

「ん?」

「…………いいけど……」

 

 何故だか、どこかイジけたような態度。後ろ手で、石を蹴飛ばすような仕草をする。しずくも出たかったのかな。かわいい。

 

 しかし、それもつかの間、しずくは一気に俺との間合いを詰めてくる。上目遣いで『演劇部サボっちゃダメだよ?』なんて可愛く注意してくれるのか。といった俺の予想をしずくは見事に裏切った。

 

 彼女の表情は、いつの間にか、レインボーブリッジでの告白の時に酷似した、『俺だけを貫く視線』を持つものに変わっていた。しずくは俺の制服のネクタイを掴み、ぐいと引っ張る。

 

 なんだか、怖い。

 

 主に目が。

 

「あんまり、1人で突っ走らないで。『主将候補(キャプテンになるおとこ)』……」

「……ッッ!?!?」

 

 なんだ? この気迫。あまりにも圧が強すぎる。もともと逆らうつもりもないが、どう頑張っても彼女には逆らえない。そんな確信さえも持たせてくるような、『演技じゃない』しずく。

 

 悟飯が超サイヤ人2に覚醒した時みたいな感じだ。ということは、『怒り』の感情が混ざってるのか? 今のしずくには……。

 

 うちの母さんより怖いわ。

 

 と思ったのもつかの間、彼女は掴んでいた俺のネクタイを自分の方へ引っ張り、俺を手繰り寄せるように、身体と身体をくっつける。

 

 そして、背中に手を回し、俺らはいわゆるハグ状態になる。

 

「!?!」

「心配なの。わかる?」

「分かります分かります! だから!」

「はーなーさーなーいっ」

「うぅ……」

「やめる?」

「…………ちょっと、やめない」

「ふふ」

 

 恥ずかしっ。

 

 口角が青天井になっているのを見られないように、口元を腕で隠す。

 

 しずくとハグできるのは嬉しいけど、もっと、こう、段階を踏みたいんだよ俺は。見つめ合うことすらままならない、手も繋いだことのない俺に、いきなりハグはハードルが高い。

 

 まずはお付き合いする所から始めようか。へへ。

 

「気をつけます、しずくさん」

「うんうん。良きにはからえ」

「なあ、昨日何見たんだ」

「何かしらの映画とかアニメとかに影響されてるわけじゃないから!」

 

 

 

 

 




では、二人一組になってください。


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