片時雨の下手で   作:苗根杏

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#26 もんしん

 何かに夢中になるあまりに、その何か以外の何もかもを忘れてしまうなどという事例は、この穂村花火の人生においては枚挙に暇がない。

 

 人は記憶を忘れてしまうのだ。仕方ない。記憶の管理なんて、俺より数十年生きてても下手な人が大勢いる。

 

 いやまあ、俺の場合は生きることそのものが下手なだけであるが。

 

 頬を膨らませ、怒ったような顔をしているしずく──なぜ『ような』とわざわざ言及しているかというと、可愛すぎて怒っているようにはあまり見えないからである──を横目に、俺は見慣れた街の大きめのホールまでの道案内をする。

 

 俺の弁解と、しずくのいじけた言葉がドッヂボールのように交わされる中、俺らは駅に着いた。

 

「しずくちゃん、花火くん。何してるの」

 

 今年の東京はひときわ暑い。そう思いながらハンディ扇風機をしずくに当てていると、後ろから声をかけられた。

 

 ちょっとは自分に風を当てなさい、としずくに言われ、こちらに涼風を向ける。しずくが後ろにいる知り合いらしい人と話し出すもので、俺がいるのにと少しの嫉妬心と共に後ろを振り返れば、しずくと同じような、いかにも練習着といった涼しげで動きやすそうなコーディネートの少女たちがいた。

 

 ひとりには見覚えがある。璃奈だ。特徴的なアホ毛が風に揺られている。

 

 その隣の黒髪さんは初対面だ。ただ、彼女から漂うデオドラントの匂いだけは、どこかで嗅いだことがある気がする。どこで嗅いだんだったか。さっぱり覚えちゃいないが、嗅いだという事実だけが俺の頭の中で、形を持たずにもやもやとして右往左往している。

 

「しずくさん! こんにちはッ!」

「おはようございます、2人とも。部活からそのまま秋葉原でも行ったんですか?」

「しずくちゃん、エスパー魔美だ。璃奈ちゃんボード『なぜバレたし』」

「まみ……?」

「璃奈、10代にピンとくるネタを使おう」

「花火くんは絶対に人のこと言えないからね」

 

 2人とも、としずくが言っていた。そう思い、璃奈の横に目を向けると、黒髪の女の子がいた。同じスクールアイドルなのか? 

 

「いや〜、何回行っても良いですね! 今回はクラッシュギアとビーダマンの掘り出し物も見つけましたし!」

 

 男児向け玩具の掘り出し物を見つけて喜んでいる、俺と同年代くらいの女子がいるな。ウヌゥ、正直むっちゃ話しかけたい。ガッシュベルみたいな口調になるくらいには話しかけたい。決してナンパとかではなく。

 

 いったいそのビーダマンはどの世代なんだ。俺らの世代であればクロスファイトが主流だったが、まさかバトビー? バトビーなのか? それだったら俺は5時間くらい語れるぞ。河岸を変えてそこらの居酒屋かカラオケで話そうぜ。スパビーからペンビーまで広くカバーしてるから。

 

 脳内で、同じく練習着姿といった感じの黒髪の少女に思いを馳せつつ、初めて見る璃奈の練習着にも目を向ける。しずくといい璃奈といいそこの少女といい、スクールアイドルはみんな練習着も可愛いんだな。

 

 黒髪の少女はスクールアイドルと断定しておく。いくらクラッシュギアがどうこう言っていても、世間一般の評価としては間違いなく可愛いという部類に入るであろう見た目とオーラを放っているからである。

 

「花火くん、お久しぶりです。璃奈ちゃんボード『でたわね』」

「オヒサシブリデェス」

「なんでそんなカタコトなの」

 

 これはな、『不思議の国のニポン』というコントの始まる時のセリフでな。と解説しようとするも、この中で分かる人は誰一人としていないだろうから自重しておいた。

 

 俺は合コンに行った時に確実に詰むと思う。話題がない。あるにはあるが、わかる人が極限に限られてくる。みんな、ダンボール戦機のLBXバトルカスタムで自分がお気に入りだった機体って何? とか、バトエンで最強だと思う個体ってどれ? とか、そんな話題しかない。誰が分かるんだ。

 

 俺が脳内で、もっと流行に乗っておくんだった、と悶々としていると、先程音圧の強い声で話していた黒髪の子が、下を向いて黙りこくっていた。

 

「……静かな子だな。いや、静かになったな」

「いや、これは爆発寸前って感じだね」

「うん。爆発寸前のセル」

「セルかどうかは分からないけど、たぶん爆発はするね」

 

 なんだそれ。マジでなんだよ。爆発って。この子がセルだとしても、俺、まだヤードラット星行ってないから瞬間移動で界王様のとこ行けないよ。

 

「体調悪いとか、そういうのじゃあないならいいんだけど。今日暑いし、飲み物でも買ってきた方がいい感じ?」

「ある意味買ってきた方がいい。これから喉がカラカラになるだろうから」

「なに、それはどういう意 「今のは『不思議の国のニポン』の序盤!! 最初の一言のモノマネととってもよろしいでしょうか!!?」 ひゃあ!? は、はいっ!?」

 

 セル編最終盤の、第2形態のブサイクさとは正反対の、その黒髪の人の美貌。

 

 その目に、炎が灯った。完全に……『0%』。自分を忘れている。正式名称を『自分0%型』。完全にラのつくコンビののっぽの方の精神を、身体に降ろしている。そこに最早、先程までの自分はいない。

 

 生きとし生けるものみな演劇人とは親父もよく言っていたが、こいつもまた演劇人か。

 

 面白い。

 

#26

もんしん

 

 本気の即興練習劇(エチュード)で、0%型を演技の流派として持つ者がこうなってしまうと、あとが怖い。兎にも角にも止まらないのだ。

 

 しかしこれは台本ありきの演技。彼女が暴走する心配は低い。

 

 それはそうと、こいつ。

 

「えー、スェキマレレニマァハ、アナナレィケイェド、シィマパパパブニシェ」

「かっ……完コピ!? イントネーションも発音も!! バッチリだッ!!」

「カァシュマレァイハントゥ、北海道!」

「北海道!」

「県民の、半分が、熊ッ! スケルマイボゥ」

「県民の、半分が、熊!」

 

 ら……『ラークラ』だッッ。

 

 意味は各自検索してくれッッ。今は完コピの方が忙しいッッッ。本家と全く同じスピードで展開しやがるッッ。

 

 フフ、だが喧嘩を売る相手をふたつの意味で間違えたようだな黒髪の美少女さんよ。俺はセリフを一言一句だけでなく、間のとり方や言う時の動きまで覚えている重度のラークラにして、エチュードも台本暗記即朗読もどんとこいの『自分50%型』だ。

 

 この俺に『野外での即興練習劇(ストリートバトル)』をふっかけたことを後悔するんだな。

 

「なんか……急にエチュード始めたけど」

「六甲おろし」

「六甲おろし!」

「六甲おろさず」

「六甲おろさず!」

「六甲あげ」

「六甲、あげ!」

「六甲斜め上あげ」

「六甲斜め上あげ!」

「六甲ずらし」

「六甲ずらしッ」

 

 間のとり方が完璧に本家のふたりと同じだ。そう、この『台本のネタを即興でやる』オタトークに関しては、語りが早ければ早いほどいいってモノではない。肝心なのは『再現度』。すなわち愛。

 

 DVDが擦り切れるほど公演を見返し、時にはラのつくコンビの公演でなくとも2人の片方が出ていたらそちらの舞台やドラマを見る。教育テレビで年一で放送されている特番さえも見逃さない。そうして初めて、セリフと声質と間とイントネーションを完コピしようとできるのだ。

 

「しずくちゃん。何してるの? この人たちは」

「それが私にも分からないの」

「璃奈ちゃんボード『わけがわからないよ』」

「一個下げ」

「チェックメイト!」

「オーゥ!!」

 

 さしずめ、悟空とベジータ。互角の『不思議の国のニポン』朗読を終え、息を切らしながらもトークを続ける。

 

「やりますねぇ!」

「あなたこそッ!」

「ふふふ……ラのつくコンビ!! 知ってる方に3次元で会うのは初めてですッ!!」

「女宇宙海賊、クリムゾンメサイア!! (セルフでのエコー)」

「カマンチョ、メンガー!!」

「「Oh,Yeah〜、あわわわわわわぁ〜……」」

「Sweet7いいっすよねェ! 7にかけてテーマ曲が7拍子! ぅう〜んッ、オシャレ!」

「テーマ曲ならLENSもいいですッ! 大正浪漫な雰囲気に林檎姉様は反則です〜……っ!!」

「つくねにしちゃうからな!」

「タレか! 塩か!」

 

 暇さえあれば本公演、KKP、単独公演、カジャラ、エレ片等々を何周もしてきたこの俺に追いつくとは。何者だ、この女の人は。

 

「喋りが3倍速くなってる……」

「メンバーカラー、赤だしね」

「あっ、申し遅れました。俺、穂村花火です。スクールアイドル同好会の人ですか? 俺も虹ヶ咲の生徒なんですよ」

「はっ! 申し遅れましたぁっ! 私、中川菜々と申します!」

 

 中川さん。さすがに聞いたことがある。この虹ヶ咲学園における生徒会の頂点、いわゆる生徒会長さんだ。

 

 そんなに偉い方だったとは知らなかったが、完コピ合戦はあちらから振ってきてくれたものだ。相手の身分に関わらず、それには答えるのが流儀というものだ。多分、ウェカピポの妹の夫もそう言うと思う。

 

「生徒会長さんだったんですね。なんだかメガネもかけてないし、雰囲気違いますね」

「まあ、あなたと同じ学校で生徒会長をやらせてもらっていますが……今ここでは、1人のしがないラークラです! 気を遣う必要はありませんよッ!!」

 

 オタクとして大事な精神。それはハマっている、自分がオタクになっている事象・作品について語る時に、身分についてを忘れることだ。

 

 そこにいるのは個人。一般的なオタクとは元々、社会的な地位、身分にあまり縛られない性質がある。最近はオタクという言葉の意味自体がライトになってきているため、ニワカからマニアまで広く、世間・個人共にコンテンツにハマっている者をオタクと称しているが、本来はオタクという称号は誹謗中傷のための言葉と言われるほどの意味を含有している。

 

 そんなオタク同士が語る時というのは元来、自分が普段から囚われている社会的のことは一旦忘れ、そのコンテンツについてワイワイと語るもの。鈴虫先生もそう言っていた。

 

「あ、名乗るの『そっち』なんだ」

「いやあ、一般の生徒さんのようですし」

「えっ、何が『そっち』?」

「いえいえいえいえ何でもォ!?」

「んにゃ、全然いいんですよ、俺は気にしないんで。ペンネームとか恥ずかしがらなくても……」

「あっ、すごいポジティブに解釈してくれた!」

 

 菜々さんは「と、とにかく!」と仕切り直す。

 

「今度学校で会える時間あります!? 隙を見て会いませんか!! 放課後でもいいですッ!! 河岸を変えてゆっくり話しましょう!!」

「うお……!」

 

 一瞬、声のべらぼうなデシベルに怯んでしまった。が、本当に俺がビックリしたのは、その隙に両手を包むようにがしっと掴まれたからである。

 

「せ……菜々先輩? 何やってるんです?」

 

 しずくが思わず狼狽えたような声で言う。それもそのはず。俺みたいなやつの手をこんなにガッチリ掴んで、変な勘違いでもされたらどうするんだね。一応生徒会長だろうに、不純異性交友だと勘違いされて

 

「距離感バグってるね」

「手を握ってる時間、長くないですか?」

「そういうしずくさんは若干目付きが悪くないですか? コンタクトでも落としました……?」

「視力1.2ですぅー。大丈夫ですぅー」

 

 なんでそんなにいじけてるんだ。

 

「穂村さんにはどうせ分かんないよ」

「言ってくれないと分からないよ」

「璃奈さん! このおふたりは『そういう仲』なのでしょうか!」

「互いが自認していないだけ。やってる事はそこらにいるアベックと同じ」

「なるほど!」

 

 璃奈、サラッとヤバいこと言ってない? 俺らはそういうのではないが? あと、アベックはきょうび聞かないよ。カップルね。読んでる人が困惑する難しいワードはチョベリバだよ。

 

「はぁっ」

 

 情けないことに怒っている理由の検討もつかない俺に対し、しずくはため息をつくと、こちらに近づいてくる。

 

 なんだ、と口に出そうとしたところで、しずくは目をつむって、顔で顔に急接近してくる。俺に反撃の隙を与えないつもりだ。そう気づいた頃にはもう遅い。しずくは俺の肩を持ち、自分の背まで下げる。渋川剛気と握手したみたいに、俺はアッサリと姿勢を崩されてしまう。そして右肩に顎を乗せて……しずくは俺の耳元で、コソッと囁く。

 

「私といるのに、他の方ばっか見てる」

「!!」

「予定忘れた……のも、あんまり許してないけど……もっと許さないからね」

 

 さて、序盤にも話した通り、何かに夢中になるあまりに、その何か以外の何もかもを忘れてしまうなどという事例は、この穂村花火の人生においては数えるとキリがない。

 

 人は記憶を必ず忘れてしまうのだ。仕方がなかろう。記憶の管理なんて、俺より数十年生きてても下手な人が大勢いる。

 

 これも繰り返しとなるが、俺の場合は生きることそのものが下手なだけであるが。現にしずくが怒っている理由が分からない。

 

 頬を膨らませ、怒ったような顔をしているしずく──なぜ『ような』と再三言及しているかというと、しずくの怒り顔はあまりにも可愛すぎて怒っているようにはとても見えないからである──を横目に、俺は苦笑いを浮かべる。

 

「ごめん……なさい……」

「…………今回は特別に、よろしいっ」

「敵わないなあ」

 

 でもまあ、こうやって直接言ってくれるだけマシだ。世間の乙女は、急に怒るとワケを話さない、そのくせ放っておくとそれはそれで怒る、といった行動をするらしいからな。こわい。

 

 改めて、しずくの方に向き直る。璃奈も、璃奈ちゃんボード『ちゃんと言ってくれなきゃ分かんない!』をサイレントで出している。菜々さんは何が何だかといった様子だが。

 

 俺はしずくをまっすぐ見つめ、こう言った。

 

「ありがとな」

「…………」

 

 しずくは少し驚いたようにこちらを振り向く。しかし。

 

「ふふ」

「ん……」

「何が?」

 

 すぐに俺の言いたいことが分かったのか、イジワルな笑みを浮かべ、しずくは俺や璃奈を追い越し、劇場方面へ進んでいった。

 

「ちょっ、しずく!」

「言ってくんなきゃ分かんないよーだ」

「言ったじゃん!」

「ふふっ、ふふふ」

「花火さん、これはアレですね。女心を読むやつですね」

「そうですね。やってみますか、1回」

「そんなコントみたいなことできるかよ」

「いいから。俺、女な。お前、男」

「よぉーし、あっさり振ってやる」

「また始めた!」

「重症。璃奈ちゃんボード『やれやれだわ』」




ニットブックを出すんだ!


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