「そうだったんだ……別に浮気とかじゃあなかったんだね……」
「……情けないところを見られたと思ってたから、浮気と叫ぶとは思わなかったもんで」
「ご、ごめん。ちょっと変なこと口走っちゃって……」
ちょっとどころではない変なことだったが。
今さっき、しずくに部長とくっついているところを見られたばかりの俺。浮気だ〜! と叫ばれるも、八百万の語彙力による巧みな説得で、なんとか誤解を改めることに成功した。
「なんだあ、そんな理由で……もっと早く言ってくれればよかったのに」
「早とちりしたのはそっちだ。あとお前、浮気のラインがかなり厳しいな」
「そういう花火くんは、どこからが浮気だと思うの」
「……人に忘れられた時さ……!!!」
「うわ、待って。なんだっけそれ」
「ヒルルクだよ」
「あっ! それだ!」
ついこの前、ケンカしたような2人の会話としては、かなりお気楽でいつも通りな雰囲気だ。
そう俺が思った瞬間、しずくはこの前、俺に怒っていたのを思い出したのか、急に腕を組みだしてほっぺたを膨らませた。
「ぷんぷん!」
「下手かよ」
「ほ、ホントに怒ってるんだからね! 花火くんがいつまで経っても、自分のことを認めてくれないから!」
「フツー、口に出すか? ぷんぷんって……」
しずくは俯き、俺に対しての不満を力なくつぶやく。
「なんで私に黙って、璃奈さんと同じテントで……」
「黙っててもよくない? テントでもホテルでもさ」
「ホテル!!?」
「え、なに。ホテルに村を燃やされた人?」
「えっち!!」
「ばっ! そ、そのホテルじゃねえよ!」
「語弊があった! 今のは!」
「今ので語弊!?」
じゃあなんだ。しずくは喫茶店のことをいちいち純喫茶と呼ぶのか。いや、しずくなら呼んでてもおかしくはないけど。
「というか、璃奈さんと2人ってビジネスホテルでもカプセルホテルでもいやらしいからッ!!」
「それは…………」
「はい勝ち〜! 私の勝ち〜!」
「ぐぅ……!」
「あ、ぐうの音出た。ギリギリ」
喉からぐうの音が漏れる。不可抗力だ。別にぐうの音が出たというツッコミが欲しかったから狙ったわけではない。
この前の続きとでも言わんばかりの口論に勝ったしずくは、ふんすふんすと俺に迫って自慢げに言う。
「ふぅん、へえ。そっかそっか、花火くんはそんな人だったんだ」
「えみつんじゃん」
「エーミールのことえみつんって呼ぶのやめて?」
「ライっち好きなんだよね」
「ライっち!? ロボットガールズZの!? いや、代表作他にもあるでしょ!」
「アレだろ、美少女が出てくるやつだろ?」
「そう! 美少女がたくさん出てくる!」
「美少女探偵な」
「ミルキィホームズ!!」
「……あー、あれね。昔ゲームでも遊んでたわ」
「うんうん、そうだよね! そっちだよね普通!」
「ヴァンガード」
「カードゲーム!!」
最近では最早特に珍しくもなくなった、しずくのサブカル知識の成長を見て、俺はハッとした。
そうか。しずく、俺と会って数ヶ月しか経ってないのに、演劇部とスクールアイドル同好会のふたつを掛け持ちすらしているのに、俺の知識についていこうと数多の作品を予習復習している。
だから俺の適当に発したボケ紛いの言葉にも、瞬時についてこれる。
近くにあるものほど見えない。それが目に見えないものであれば、余計に。
『私の大好きな穂村花火をバカにしないで!!!』
『簡単な言葉で自分を語らないでよ!!』
その通りだ。まったくもって、その通りでしかない。俺は自分への値踏みすらも、いつの間にか面倒になって、人としてだの最底辺だのと馬鹿の一つ覚えのように、自分を下げることの一辺倒になっていた。
しずくは、本当に俺のことが好きなんだ。だからこんなに俺のことを知ろうとしてくれている。だからこんなにも、俺と一緒にいてくれる。
俺はしずくに向かって頭を下げる。
「ありがとう。しずく……それと、ごめん」
「……どうしたの、改まって」
「許してくれ。お前の思っている以上に、俺は……弱かった。だから、ああするしかできなかったんだ」
今度は頭を上げ、しずくの目を真っ直ぐ見る。
「でも、俺はとっくに、引き返すための道を作る余裕を、全て前進するための道を作るエネルギーに変えた。だから、退かない。逃げないし、媚びない。ここにいるのが、ありのままの俺だ」
もう俺は裸一貫。しずくの前で隠すものなど、もはや今となっては、俺が持っている特殊めな性癖だけしかない。これは普通に、しずくが知る必要のない、むしろ知って欲しくない知識だからである。
だから、俺はもう逃げない。むしろ、俺のことをもっと知って欲しい。その思いと共に、俺は両手を広げて背筋を伸ばし、ミナミコアリクイの威嚇のように腹をさらけ出す。
「これが……本当の俺だ。この目立ちたがりなクセに怖がりで、サブカル好きのひねくれたオタクで、変にカッコつけてる桜坂しずく大好き人間が……穂村花火だ」
「確かに目立ちたがりだし意外なところで叫ぶし、押井守作品とかヴィレヴァンとかが好きだし、めちゃくちゃひねくれてるし。変なところでカッコつけるよね」
「恥ずかしながら」
「それに……花火くん、私のこと大好きだしね?」
「ん…………」
「私も好きだよ。花火くん」
俺が小っ恥ずかしさで目を逸らした隙に、しずくは俺の胸に飛び込んでくる。
「な……!?」
「本当に、アツい人」
「な、なになに……なに……??」
「私が誰かを許さないと、私は誰かに許してもらえないんですよ」
「……しずく……」
「それに、私がいないとすぐ突っ走っちゃいそうで。危なっかしいの……穂村花火という、好きなことに誰よりも燃えている男…………」
まあ、燃えているどうこうは知らないけど。それより、さっきのセリフ。
KKPシリーズの4作目、『TAKE OFF』のセリフだよな。
見てくれたのか。
「ねえ、花火くん」
「えっ!? はい!? は、はい! どうも花火ですッ!」
「名前呼ばれる度に驚くのどうにかして」
「えぇ〜……ごめんな、なんか……無意識にびっくりしちゃうの……どうにかします……」
「ふふ。よろしい」
しずくは俺の背中に手を回し、しかと抱きしめる。全てが柔らかいと思っていた身体の、角張った骨の部分まで分かるくらいに、強く、強く俺を抱くしずく。
ああ、鎖骨。肋骨。骨盤。膝の皿。全てをこの身体に感じるぞ。脱がずとも、交わらずとも、このハグだけで彼女の骨格や肉付きが手に取るように分かる。
なんだこのハグとかいうくっそエロい行為は。もはやセックスだろう。
良い。非常に良いな、これは。リアルだ。これこそが、俺が求めていたリアル。
「あと、ね……勝手なこと言うけど」
「ん、はい?」
「ごめんなさい」
意識が飛びかけていた俺の耳元で、雪解け水のような鼻濁音が響く。おお、冷たくも優しいその声。素晴らしい。天然記念物だ。逆説的に俺の耳は鍾乳洞になるのか? 違うか。そうか。
あ、ダメだ。理性が生命戦維1本でなんとか堪えてる。なぜ生命戦維かというと、この理性の糸が切れたら俺は真っ裸になるからである。やかましいわ。
「私は、花火くんの事を嫌いになんかならない。ずっと、ずーっと、大好き」
「……大ッ!!? ええっ!!? えぇえッ!!??」
「声おっきいなあ! 声量オバケなんだから、もうちょっと抑えて!」
「ぐ、グギギ……そうは言われてもッ……!!!」
「そんなに歯を食いしばらないとガマンできないの!? ああ、歯が可哀想! 砕けても知らないよ!」
しずくは煩悩を消し去るために太ももをちぎれるほどにつまみ、歯を食いしばる俺を見て、クスッと笑いつつも抱きしめる力を弱めない。殺す気か。生殺す気か。
「一人の人間として尊敬してる。だから、好きって言葉を使ったの」
「…………ラブではないんだな」
「んん、ちょっと違う。でも、花火くんは大切な、大切な人だよ」
なぁんだ、俺のこと、ラブって感じじゃないんだな。良かった。
良かねえわ。心臓が止まったわ。なんなら今も止まってるわ。
「俺も、先日の無礼を謝りたい。ごめん、しずく」
「……ん」
「他人からは逃げられても、自分からは逃げられない。自分が一番の敵だと言われる最大の所以。分かっていた筈なのに、俺は……逃げているフリをしていた……何も、見てなかったんだ」
俺は、こうでもしないと今度の舞台には立てないと思う。後に来る地区大会という舞台だけでなく、その後の舞台も、ずっと。
思えば、俺は確か中学でも、こうして舞台に立ってきた。
どうしてきたのかって? 単純なことではあるが、『ここに立つのは自分でいいのか?』と問い続けてきたのさ。その度に、自分の中にいるもう1人の、自身に対して肯定的な自分が『ここに立つのは俺しかいない』と答え続けてきた。
鏡の前でひとり、お前は誰だと聞き続けるようなことを、舞台に立つ度にやってきたのだ。俺の精神状態は、普通に見ると少しばかりイカれているのかもしれないな。
だから自然に、自分を否定できた。同時に、しずくの言葉をきっかけに、自分を肯定できもしたのだ。
「……なあ」
「ん?」
「俺、しずくが好きなんだ」
人として、だ。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のメンバーの、スクールアイドルとしての桜坂しずくではなく。虹ヶ咲学園演劇部の部員の、演者としての桜坂しずくでもなく。
ひとりの人間として、彼女のことが好きだ。彼女と同じ気持ち。ある意味両想いである。
「……いや、大好きと言うべきかね」
「そ、そっちから言われると照れるなあ……なんて」
しずくは身体を少しクネクネとうねらせて照れる。やめて。俺の身体にあなたの身体が擦れる度、俺の色欲が倍倍ゲーム式に増えていく。今日の夜は凄いぞ。
ただ、そういった男子高校生として当たり前の感情の中にも、純然たる愛というものがある。俺がしずくに抱いている感情は、先ほど述べた言葉だけでは語りきれないほどに複雑で、自分にもその全貌を把握できないほどに不明瞭なものだ。
「ん、えへへ」
「な……なんだよ」
「私も、好き」
「……あんまり強く抱きしめると、俺のHPが無くなるぞ」
「ふふっ。何それ、また何かのアニメ?」
「そんなとこ」
「……隠せてないよ。ドキドキしすぎ」
「はっ!?」
「うるさいんだけど、心臓」
まあドキドキというか、ビキビキしてますよ。心臓じゃなくてね。まあどことは言わないけど、どこかがビキビキビンビンとね。
くそっ、なんでもお見通しかよ。
「ふふ。ねえ、花火くん」
「なんだ?」
「演劇は、好き?」
それだけで吹っ飛ばされ、いくつものビルを突き抜けてレインボーブリッジに叩きつけられそうなほどの上目遣いの破壊力になんとか耐えた俺は、その言葉の意味を咀嚼する。
しずくとどちらが好き、という良い意図の質問でもないだろう。俺は素直に、心のうちの答えを口にする。
「…………好きか嫌いかで言えば、大好き♡」
その言葉を聞いたしずくは、満足そうに笑って抱擁を解く。
「私も大好きだよ」
うまい飯を食う。キャンプをする。サウナでととのう。風俗に行く。マッサージしてもらう。
QOL向上のための営みの大概は、金を無尽蔵にかけてしまうものばかり。
さはさりながら、人を褒めるのはタダ。どこまで行こうと、タダなのだ。友達なり家族なり、相手にとって自分が少しばかり大切な存在であればの話だが。
しずくは、俺にとって超スーパー大切な人だ。だから、友人に褒められるよりも、ずうっと嬉しい気がするのだ。まず、褒め言葉を受け入れられるのが、コイツくらいしか……。
「あの日も、雨だったね」
「ん?」
しずくの目線の先を追うと、外は既に真っ暗になっているばかりか、何十、何百といった水滴が窓を叩いている。時計の針も既に、部活終了時刻の21時直前を指している。
全く気づかなかった。今日の天気予報は見ていたので、一応傘くらいは持ってきたが、こりゃ思ったよりも降っているな。
夜に降る雨は好きだ。風が強ければ尚更。不安になんてならない。逆に落ち着くのだ、嵐のような夜が。
関係があるのかと言われれば、そこまででもないかもしれないけれど、オレが生まれた瞬間、病院の外は豪雨だったそうだ。
父曰く、『雨は全ての始まりである。最初に雨が降る。海ができる、川が流れる、植物も育つ……何かの始まりに相応しい。雨粒のひとつひとつが、楽譜で踊るファンファーレの音符のよう。ああ、なんと美しいことか……人にとって、身体も、心も、潤してくれるのは雨なのだ──』とか、なんとか。
俺はそんな大層なことを考えたことはないがね。
しずくは珍しく傘を忘れたそうで、購買部に駆け込むも、傘の類は既に売り切れ。ここから近くのコンビニまでは500mほどの距離がある。そこまでビニール傘を買いに行くのも、少し無理な作戦だ。
「あーあ、鎌倉も雨かな」
「雨の日には、特に紫陽花がキレイだろうな」
「確かに。ちょうど見頃かな」
校門前でそんなことを話しているが、雨は一向に止む気配を見せない。
しずくは部長あたりと駅まで歩くだろうか。そう思っていると、彼女は俺のジャージのすそを掴み、こちらを見あげて言う。
「ねえ。傘、持ってるよね」
「お、おう」
「……ごめん。半分……貸して?」
「ん"」
相合傘。
ドラマの中だけかと思ったが、まさかこんな所で相合傘などという青春らしいイベントに遭遇するとは。いや、しずくは案外こういうところはドライなので、特に他意はないのかも。
前にもかすみを同じ傘に入れているのを見たことがある。なお、うらやましすぎて、それを見た次の日にかすみに、八つ当たり紛れにミンティアを5個ほど要求した。
まあとにかく、このまま俺だけが相合傘という行為に変な意識を持ったまま、しずくを駅まで送るのは少し申し訳ない。
あと、さっきのハグでの生殺しがまだ効いているので、追加攻撃が痛手になるというのもある。いや、したいさ。しずくと、相合傘。
でも、なあ。今じゃない。
俺は手に持った、2人には少し狭い傘を見つめる。このまま中途半端にしずくを濡らして、風邪をひかせたらそれこそ一大事でもある。
うん、そうだよな。
「ん……やるよ」
「!!」
これで第2章の終盤が盛り上がるなら、それもまた一興というものだ。俺は傘も何も持たず、堂々と雨の中を歩いていく。それが映画の中のワンシーンのようで、自分でやっておいてなんだが中々粋である。
「ここからが……クク」
「花火くん!!」
冷たくなった皮膚から、湯気が出そうな程に興奮している。
「アツくなってきたぜ」
俺は親指で、鼻の下をこすった。
今は亡き演劇人・
武士は食わねど、高笑い。
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