#31 お久しぶりです
明転。
泣いたことが、あまりない。
でも、何らかの作品で泣いたことはある。映画だったり、小説だったり、演劇だったり。
大体その泣くシーンっていうのは。家族を失うものであったり。恋人と結ばれるものであったり。
何故、自分のことでもなければ実際に起きたことでもない、フィクションの登場人物たちの物語で泣くのかというと、やはりそのシーンに共感したからであって。
自分の過ごしてきた人生の膨大な時間の中に、少しでもそういった映画なり小説なり演劇なりと『重なる』シーンがあったからであって。
俺は、そういう『誰かの思い出に重なる人』になりたいんだ。
「だから、初音ミクは人間ではないのよ。正確には。エヴァも正確に言えばロボットじゃないだろ?」
「ってことは、その初音ミクってやつはマジンガーZなの?」
「お前、勘は鋭いけど一歩惜しいよな」
「なにそれ。味方だと思ってた博士が裏切って仲間を殺す時のセリフ?」
8月の中盤の暑さに汗をかく天内が、背負ったギターを揺らしながら笑う。
そういえば最初は、少し俺の聴いてた曲の紹介をするつもりだったが、ボーカロイドそのものについての解説になってしまっていた。反省反省。
「ちげえよ。『キミは実に賢かった……私の次に』じゃねえよ」
「『世界のみんなが、キミみたいに賢かったらよかったのにねぇ』的なやつじゃなくて?」
「うん。『もうキミのデータは十分に取れた。利用価値は……ない』じゃなくて」
そのうち俺らは、学校の廊下を抜けて普通科校舎の正面玄関に出る。天内はこれから、近くのスタジオでの部活動がある。俺ら演劇部は珍しくお休み。ということで、ここでお別れなのだ。
いってらっしゃい。精々、きみの友達が生きているように祈ることだね。ああ、危ない。味方だと思ってたけど仲間殺してるタイプの博士が出てきてしまった。
「じゃね〜〜! また今度の部活で会おうぜ〜〜!」
「言っとくけどー! 俺もう部員じゃないんだからねー!」
「わーってる! また金曜なーッ!」
「ガチで行かねえぞーッ!!」
天内に捨て台詞を吐き、俺はスクールアイドル同好会の会室に向かう。しずくを迎えに行く約束をしているのだ。
文化部室棟、演劇部の練習場所である大ホールとは反対方面にあるスクールアイドル同好会の部室(会室?)で、しずくが待っているのだ。部室棟に着いた時間は、約束よりも少しだけ早かった。
まあ別に、しずくは部室にいるといえばいるだろう。待つようだったら部室の外で座りながら寝ておくことにしよう。
部室棟の中は多少涼しいが、それでもクーラーをガンガンにつけた部屋と比べたら流石に温い。
俺の唯一の懸念である、『同好会の他のメンバーに会ってしまうかもしれない』という点については、どうやら部室にはしずくの他にスクールアイドルはいないらしいから安心して欲しいとのこと。要するに、彼女は1人で待っているということである。
しずく、かすみ、璃奈と友人になった後に、俺は同好会のスクールアイドルたちについて本格的に興味を持ち始めた。
父親のハロプロ好きが俺にも受け継がれているのか、誇り高きドルオタ魂がこの歳になって開花してしまったようで、もうあれよあれよと全員のソロ曲全てをそらで歌えるようになってしまった。メンカラは勿論、身長や血液型、それぞれの学部も把握している。
今更ながら、俺の友人である3人のスクールアイドルも、魅力溢れる方々ばかりなもので、なんだか俺はとても贅沢者だということが世間にバレつつある。
これで部室に愛さんとか果林さんとかがいたらその場で土下座してサインを乞うことになる。しずく、信じてるぞ。
俺はしずくだけが居る──であろう、部室のドアのノブを回す。
「お邪魔しまぁす、穂村でーす。桜坂しずくサンを迎えに……」
開けつつ放つ言葉は、念の為他人行儀にしておいた。ドアの隙間から、冷房の風が流れ込む。
部室の空気が外に解き放たれた、その途端。俺の鼻腔は、東京ゲームショウの双恋のイベントにいた堀江由衣オタクのような猿叫をあげることになる。
なんだ、この匂いは。高級なスイーツショップのマカロンか? いや、この世の柔軟剤を全て掛け合わせた最強の洗濯物? 分からない。
俺が人生で嗅いだことのないような匂いが、冷房の風と共に解き放たれる。女の子の匂いならギリ嗅いだことがあるが、女の子の部屋の匂いなんてものは嗅いだことがない。俺は人生経験がカスなんだぞ。舐めるな。
本当に素晴らしいスープは、スプーン1さじだけでも、寸胴鍋イッパイに詰まった食材と調味料を想起させるそうだ。そんなバキの大擂台賽編の終盤にあった話を思い出しながら、俺は寡黙ながらも雄弁な部室の空気を吸う。
見ている方々の一部からは『幻想だろ』『リアリティなさすぎ』『お前ホントいい加減にしろよオタクくん』という声が挙がってきそうではある。
しかし、実際に起きているものは起きている。ないものはないように、あるものはある。これは現実だ。少なくとも、この場に直面している俺にとっては。
ミヒャエル・エンデによる『はてしない物語』の主人公、バスチアン・バルタザール・ブックスも、物語の世界に入った時は、このような気持ちになったのだろうか。
本当の物語は、皆それぞれにはてしない物語なのだ。
いま、俺はこの言葉の意味を、頭ではなく心で理解した。
目を瞑って、1秒の衝動的流動思考を頭で巡らせた俺は、この部屋に踏み込むことに躊躇いを覚えなかった。
いざ。しずくのいる女の花園へ、バトル・ゴー。
「失礼します!!」
「うわっ、声おっき……え?」
俺の腹からの挨拶に驚いたのは、しずくではなかった。しずくは一番、部活内ではないプライベートでの俺の大声を聞いてる人だ。プライベートで大声出すな、という話ではあるが。
というか、ええ。
なにその髪色。
簡潔に言えば、部室にしずくはいなかった。そこにいたのは、たったひとりの先輩だった。といっても、面識はない。ただ、2年生のリボンをつけているから先輩と認識したまでだ。
第一、俺にこんな黒と緑のグラデーションの髪をしたアヴァンギャルドな知り合いの先輩はいない。
俺の友達──最近勝手にカレカノ認定された──にも、ショッキングピンクの髪がいますがね。うちの部の脚本担当──あの人はあの人でどうやらせつ菜さんと良い雰囲気らしい──も、メッシュ入ってる鬼太郎みたいなヘアスタイルしてますがね。
さすがにグラデーションは初めて見ましたよ。大したものですね。グラップラー刃牙第1話に出てきた炭酸抜きコーラの解説役をしているメガネのように唸り、さて、ここからどうしようかと悩む。
しずくがここにいないのであれば、この見ず知らず飲まず食わずの先輩と2人きりということになる。飲まず食わずかは知らんが。
「ああ、花ちゃんか」
「……どもっス、先輩」
なんだ。俺を知っているのか。中学演劇を通ってきたのか。それともしずくの知り合いで、話を聞いていたのか。
そのグラデーションツインテールは、俺に向かって「久しぶり」と言って微笑む。
「ん? はい?」俺は思わず聞き返す。
「呼び方に、何か問題でも?」
「俺の事を花ちゃんって呼ぶの、師匠か母さんだけなんだけどなァ」
「ふふ、そうなの?」
「不敵な笑み……」
先輩は椅子に座ったまま、こちらに身体をひねって向ける。
「あなたは今、何かひとつだけを思い浮かべていますね」
「はい?」
「1.それは生き物ですか?」
「……YES」
20の質問か。
面白い。
「2.哺乳類ですか?」
「YES」
「3.四足歩行ですか?」
「NO」
「4.人間ですか?」
「YES! YES!」
20の質問、とは、ウミガメのスープに代表される、ゲームマスターとプレイヤーが質問と回答を繰り返す、いわゆる『もの当てゲーム』である。
ゲームマスターは、あるものを頭に思い浮かべる。人、食べ物、動物、建物、国、あるいは概念。細かすぎるものでもない限り、何でもありである。
それに対しプレイヤーは、ゲームマスターの思い浮かべたものを当てようとする。そのために、いくつか質問をするのだ。
例えば、『それは生き物ですか?』『それは甘いですか?』『それは飼うことができますか?』など。この質問ができる回数が20回なので、20の質問というゲーム名なのだ。
正解だと思ったら、『それはもしかして〇〇ですか?』という風に答える。この回答も、20回できる質問のうちの1回にカウントされるので注意が必要。
「5.有名人ですか?」
「厶……どちらかと言えば、YES」
校内、特に1年生の間では有名だが、ラブライブの本戦に出ているわけでもないので現在は学園を中心にコアなファンが支えているような気がする。
いや、しずくなら、いずれ全国的な有名人になると思う。俺は信じてる。
「6.高校生ですか?」
「YESッ」
「7.虹ヶ咲学園の生徒ですか?」
「YES!」
「8.3年生ですか?」
「NO」
「9.同級生ですか?」
「超YES」
先輩は段々とニヤニヤを隠しきれなくなっている。既に答えの核心を掴んでいる、ということか?
「10.同じ部活にいますか?」
「YES、演劇部」
俺が入っている部は、今のところ演劇部しかない。軽音は助っ人だったし、今でさえ忙しいのに兼部なんてできる気がしないね。
「11.演者ですか?」
「YES。大演者だ」
そこでグラデーションツインテールはニヤリとし、俺を指さしてこう言う。
「12.あなたはその人に惚れていますか?」
「……えっ」
「13.あなたはその人に、演技を褒められましたね? ……14.あなたは四六時中その事を考えていて。15.その想いを素直に伝えられずにいますね」
「とうとう断定か」
「また、16.あなたは彼女とくっつかない事が彼女にとっての幸せだと思っていて、17.それでも一緒にいたいもう1人の自分とのジレンマに悩まされている……ね?」
「あなた、テレビ出た方がいいんじゃないですか」
「18.どうしようもなく愛してて! 19.将来はその人との一姫二太郎作戦を考えていて! 20.その人物は!! ……もしかして、桜坂……」
「すいません、今揚げ物してるので……」
「どぉ〜こぉ〜でぇ〜!?」
なるほど! 『本人不在』を知っているのか。この返しは想定外だ。
「うちにはテレビがありません」
「んー」
「おお……」
ほう、『金部のテーマ』。STUDYが最近の公演とはいえ、ここまで知っているのは珍しい。
「あるけど見てはおりません〜」
「んー♪」
「ベランダにあるパラボラは〜」
「宇宙人からの〜!」
「「返事待ち!」」
あろうことか、カウンター。こちらに振ってきたな。ならばこちらからも。
「あっ……という間に?」
「ものすごい量のまるかいてチョン!」
「半年経って!」
「「孵る!!」」
なるほどなるほど。昔の公演から比較的新しい公演まで知っているな、これは。生徒会長以外にも、この学園でラーメンズ好きと知り合えるとは。
嬉しいが、ここでは懐疑が勝る。俺は馬鹿正直に、先輩に質問をする。
「……何者ですか、あなた……」
「キミの知り合い」
「知り合い? いや、知り合ってないんですよね。あなたが一方的に俺を知ってるだけですよね」
先輩はクスクスと笑い、「思い出せてないだけだよ」と頬杖をつきながら言う。こちらの出方を伺うまでもなく、完全に俺を自分のペースに巻き込んでいる。それを楽しんでいる様子だった。
そこから数分、互いに無言の時間が続いた。そしてその静寂を破ったのは、部室のドアを開ける音だったのだ。
「花火くーん! もう、どこに行ったの……」
ドアの向こうには、恐らくライブの衣装であろうワンピースのような衣服を身にまとったしずくがいた。
雪解け水のような美しい声と相まって、白い透けた布に包まれた、水色のラインが入ったスカート部分はまるでダイヤモンドダストのようにふわふわと揺らめいている。
青い紐が肩にかかっており、その肩はといえばタンクトップのように丸出し。バンザイをしたらそのすべすべでツルツルな腋の部分が丸見えになるであろうコーデだった。
二の腕、かじりてえな。
童貞が故に、胸元の露出に釘付けになった俺の目線に彼女は気づいていないようで、彼女はただ俺の方を目を丸くして見ているだけだった。
「……花火くん!?」
「あ」
「ん……ふふっ、しずくちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」
「……あまり、ジロジロと見るのは……」
「おま、これを見せるために……」
「もう! いちいち言わないで!」
俺は、ビックリさせないようにゆっくりとしずくの方に歩いていく。野良猫を触りに行くかのように。
「それも、スクールアイドルの衣装か」
「ん、うん……」
「かわいい」
「ッ!!? ……花火くん、正直になったよね……色々と……」
「それは、どういう?」
「…………えっち、ってこと!」
予想外の方向からの供給に思わず仰け反る。俺は三度の飯よりもしずくに色んなものを管理されて束縛されて罵倒されたいので、彼女が俺の事をバカだの何だの言う度に興奮する。
手を空に掲げ、仰け反ったままに俺は叫ぶ。
「セイ・アゲイン・えっち! アイ・ウォント・トゥ・セイ・えっち!!」
「え! えっち!! 変態!! ばかっ!!」
「……花ちゃん、Mが加速してる……」
「昨日より早く走るのが条件!!」
「クロックアップの話はしてないよ」
サービス精神が旺盛だな。こりゃあスクールアイドルの方でも人気が出てしまう。困った困った。
「ていうか、電話したのになんで出てくれないの!」
「ごめん、朝充電忘れてて電源切れちゃったんだよ」
「大長編の名刀『電光丸』じゃないんだから!」
「ドラえもんの話してる?」
「大魔境の時、秘剣に変わってたよな」
「原作大長編ドラえもんのび太の大魔境でサベールと戦う時にドラえもんから投げられた電光丸の話してる?」
先輩から思ったよりも詳しいツッコミが出たため、最近ドラえもん映画を一気見するのがマイブームの俺としずくは調子に乗る。
「私は新・大魔境の展開も好きだなあ。あ、ワンニャン時空伝ではかぎしっぽみたいに曲がってたよね」
「ドラえもんのび太のワンニャン時空伝でネコジャラ相手に余所見しながら舐めプしてたドラえもんの持ってた電光丸が電池切れになって何故かジグザグに曲がった時の話してる?」
「ドラえもんのひみつ道具の設定はコロコロ変わりますからね。ドラえもんそのものの設定も今までで結構変わってるし」
「侑先輩、詳しいですね」
「物語の進行とかのメタ的事情を気にせず考えると、電光丸はソーラー電池で動くから、ポケットに入れっぱなしだとそりゃあすぐ電池切れになるよねって思う」
「あっ、確かに。あれって太陽光で充電するんだったか」
是非ともこれから鉄人兵団は新旧どちらの方が好きかディベートを交わしたいところだ。しかし俺は、3つ前のカギ括弧に少しの疑問点を見つけた。
「カギ括弧?」
「なんの事?」
「いや、私に聞かれましても」
突如、花火の脳内に溢れ出した存在したはずの記憶。
俺が、忘れていた記憶。
「侑先輩……って言った?」
「あっ、ようやく気づいた?」
ああ、そうだ。
「花ちゃん」
母親と、現在は山梨にいる師匠以外にも、俺の事を花ちゃんと呼んだやつが、この世にもう一人だけいる。
確信の持てていない俺は、試しに苗字の方を呼んでみることにした。震える声。俺は覚悟を決める。
「高咲、先輩……」
「前みたいに、侑って呼んでよ。そりゃあ、幼なじみって言うには短かったけどサ……」
「ッ……」
「私、忘れてないからね。キミと最初にデートした
その言葉を聞いた瞬間に俺は、本格的にこの先輩のことを思い出した。そして、自分の思考回路と記憶力を疑った。
こんなにアクの強いヤツを覚えずに、ラーメンズの本公演のセリフはそらで言えるなんて。変だよ、俺の頭は。
「高咲侑ッ!!」
「もう、遅いよ。ばか」
「うっ」
「罵倒されて喜ぶ癖には磨きがかかってるね……変態っ」
「おっ!! おおっ!! おほほっ!!」
「あ、その変な叫び声はやめて?」
仰け反り叫ぶ俺の背後に、突然にドス黒いオーラが出てきた。『演劇人のオーラ』の応用だろうか。
オーラの主は、俺のワイシャツ、その後ろの襟をむんずと掴み、姿勢を正す。
「私以外に罵倒されて喜んでる……」
「あ」
「しかも知り合いみたいじゃん。私が同じ同好会にいることを知りながら、それを伝えなかったわけ? やましいことがあるってこと?」
「あっ、い、いや違う。これはね」
「花火くん」
食い気味にしずくが名前を呼ぶ。ああ、そういえばこの名前も紆余曲折を経てようやく呼んでくれた名前だったな。ああ、感慨深い。実に感慨深いなあ。
神にプレゼンをしたところで、お叱りが短くなるのかどうかは分からないが、今はただしずくと高咲の両方にいい顔をするしかない。
できるだけいい顔、いや、いい笑顔で振り向いてみると、般若の面がいた。ヤマトのコスプレか? それとも怒った清麿か? どちらにしろ似合ってるぞ。
「答えようによっては……分かるよね」
「ひぃっ」
「じゃあ分かりやすく、セ・ツ・メ・イ。してくれるよねっ?」
「ごめんなさい、あの、違うんです」
「言い訳をしろって言ってるんじゃないの。説明をしろって言ってるの」
「バイトの嫌な上司みたいな怒り方してる!!」
「……ふぅん。そういう関係……?」