片時雨の下手で   作:苗根杏

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#32 あっち、向いて、ドン

 

 

「あら」

「げ」

「げ、って何よ。母親に向かって」

 

 深夜2時21分43秒。母さん──穂村 燈花(ほむら-とうか)──が降りてきて、俺の夜食を目撃した時間だ。

 

 俺はといえば間抜けなものだ、片手に割り箸、もう片手に先生から貰ったカップヌードルのシーフード味。痛Tシャツのパジャマ姿、おまけに寝癖もついている。

 

 変な時間に起きてしまったものだから、変に小腹も減っていた。俺にとって2時は真夜中、この時間帯にやっている深夜アニメはリアタイではなく録画しておくぐらいには変な時間だ。

 

「夜中に食べると太るわよ」

「何言ってんの。アメリカじゃ昼間だよ」

「あらそう。じゃあ私も食べる♡」

「俺から言っておいてなんだけど、よくもまあそんなに手のひらがクルクル回るなあ……」

 

 このダブスタおふくろ。叶姉妹の名言を言ったら、すぐに態度を変えた。

 

 母さんは、台所の引き出しからミニ春雨を取り出す。夜食にはカップヌードルよりも向いている、低カロリーで低塩分の食べ物だ。

 

 俺は何も言わず、たまたま多めに沸かしていたお湯を母さんのマグカップに注ぐ。

 

「ありがとね」

「うっす」

 

 普段は家族一同で囲むダイニングテーブルも、ふたりじめ。まあ、まず家族一同というのが、そこまで大人数なわけではないのだが。俺が向かいに座ると、母さんは頬杖をついてこちらに笑いかける。

 

 我が愚妹の顔は、どちらかと言えば父さんよりも母さん側に似ているな。母さんの顔を見て思う。

 

 バサバサの羽毛のようなまつ毛、高めの鼻に、雪のような白い肌。母も妹も、役者向きだ。俺と違って顔がいいんだから、楓花(ふうか)の奴も役者やりゃあいいのに。

 

 いっぽう俺はあのクソ親父に似ているらしい。しばらく顔も見ていないので、ピンと来ないが。

 

「どう? 学校は」

「あ、学校でさ。この前さ、懐かしい人に会ってさ」

「あら、誰?」

「高咲って人。なんか、昔会ったことあって」

「えっ!? 同じ高校だったのお!? すごいじゃない!」

「まあ、ね」

 

 確率的にすごいのか、世間の狭さがすごいのかは当の俺にも分からない。ただ、アイツは俺と会えたことを奇跡のように思っている。それだけは確かなことで。

 

「えっ、同級生?」

「女の先輩だよ」

「うっわぁー……」

「……何、その目」

「ええ? だってあんた、この前スクールアイドルだか何だかと友達だって言ってたじゃないの」

「ああ、そうね」

「で、部活の子とも仲良くしてるんでしょ? 桜坂さんだったっけ、その子とも……」

「たまに一緒に帰ってるよ」

 

 母さんは、今世紀最大にもなろうかというため息をつく。

 

「贅沢なことに気づいてる? あんた……」

「ええ、何がさ」

「だって……ねえ?」

「いいだろ。身分に惹かれて近づいたんじゃあない。俺は総じて受け身だ」

 

 それを贅沢と言うのよ、と春雨をかき混ぜる母さんは、父の写真を見ていた。

 

 あのクソ親父にも、女をたぶらかしていた時期があったのだろうか。母さんみたいな美人さんを捕まえられるほどのイケメンなのだ、想像には難くないのだがムカつきはするな。

 

「まあ、何にしろ楽しくやれてそうでよかったわ」

「俺も母さんの息子だ」

「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。あ、そういえば……高咲さん? って子とは、いつぶりになるの?」

「中学生の頃から会ってない」

「へえ。運命ね」

「言い過ぎだよ」

 

 忘れもしない、2年と少し前。中学演劇のワークショップ。後に高校演劇第三世代に大きく貢献することとなる2人の演者、『蛇崩(じゃくずれ)』と『三ノ宮(さんのみや)』、そして『穂村』の末裔が一堂に会したイベント。

 

 その少し前に、俺と高咲は出会った。

 

 俺は、ふと一昨日の夕方を思い出す。高咲は相変わらず、変なヤツだった。

 

 

#32

あっち、向いて、ドン

 

 

「花ちゃ〜ん」

「……」

「あれ? 聞こえてる? おーい、花ちゃんっ?」

「…………」

 

 放課後。校門を出てから、ずっと高咲がついてきていることに気づきながらも、俺はそれを無視していた。

 

「……花ちゃん、付き合って?」

「お断りします」

「あ、やっと聞こえた」

「急に付き合ってとか言われたら、反応せざるをえないじゃないですか」

「黙認してもらおうと思ったのに」

「黙認ってそういうモンなんスかァ?」

「あははっ、冗談だってば」

 

 だるそうに振り返ろうとすると、高咲は既に俺の右隣にいた。

 

「なーんで反応してくれなかったのっ」

「先輩の存在を黙認してました」

「黙認ってそういうものかなあ!?」

 

 高咲は俺の真隣におり、彼女の肩と俺の二の腕が軽くぶつかりそうなくらいに距離が近かった。

 

「……はァ。なんスか」

「今から帰り? どっか行くなら、私も一緒に行きたいなーって」

 

 俺の後ろに、トテトテとついてくる高咲。今日の俺は、委員会のあるしずくよりも先に帰る日。そこをわざわざ狙ったかのようについてくる高咲は、ストーカーと言って差し支えないだろう。

 

「あと、前は敬語じゃなかったのに、なんで今は敬語なの?」

「うっせーですよ。単に気分です」

「……ああ、なるほど。照れ隠しだ」

「都合いいなあ」

 

 曲がりなりにも先輩だし、礼儀くらいはしっかりしようと思った俺がバカだったよ。礼儀のない相手に充てる礼儀は無い。

 

 顎に手を当ててうんうんと頷く高咲は、どこから湧いてきたのかも分からない自信に満ち溢れているようだった。

 

「私のこと好き説?」

「好きじゃねえよ」

「私のことずっと探してた説!」

「ナナ・シュライダーか!」

「私は割と待ってたけどなあ」

 

 じゃあ、そっちから探しなさいよ。俺の事。捕まえてみなさいよ。

 

 別に俺は会いたいと思った回数も、高咲に比べたらそこまで多い訳でもないし。Facebookで軽く探せば見つかるだろ。花火って名前は、そこそこ珍しいはずだ。

 

「ふふん」

「これ以上ない程のドヤ顔だ……」

「花ちゃんが端っこに逃げないように、私は地球を丸くしたんだよ?」

「こわっ。お前ハーメルンのヤンデレじゃないんだからさ……え、ラッドの有心論をサンプリングした? エゴが強めの野田洋次郎じゃん」

 

 左心房に俺のクローンが居そうだな。

 

「花ちゃんが8なら私は2になる!」

「これまた昔の曲を……」

「スクールアイドルって職業欄になんて書くの?」

「味噌汁's!? なつかし! マジンボーンのEDじゃん!」

 

 別に学生って書けばいいだろ。スクールアイドルなんだから。

 

 あと、味噌汁'sはRADWIMPSとは全く別のバンドだ。諸君、そこだけはしっかり覚えて帰るように。

 

 懐かしさに浸る俺の、油断しきった脇腹と腕の間に、高咲は静かに手を入れてくる。

 

「おい」

「何? 悪い?」

「いや、お前は……えっ? 嫌じゃない?」

「別に? 花ちゃんのこと好きだし、あとせっかくデートができるんだし」

「お前、あの日のしずくがしてた鬼の形相を見てなかったの?」

 

 高咲と会った日、しずくは『先輩といい関係になっている』と思い、高嶺清麿くらい怖い顔をしていた。もうアレは怖すぎた。怖すぎてすばやさががくっと下がったよ。

 

 今の俺は、昔と変わらず気になる人にはグイグイ来るひとつ上の先輩と、意外に嫉妬深いスクールアイドルの同級生の板ばさみ状態にある。

 

 いや、別に俺もこんなの聞かせたくないよ。言いたくないよ。でも本当のことだし、俺はしずく一筋だと決めてるんだよ。

 

「え〜。そっかあ、じゃあ」

「……出かけるくらいなら別に俺もいい」

「うぇえっ!? どっち!?」

「アンタには恩がある。それに、こうしてまた出会ったんだ。軽く茶をしばくのも悪くない」

「……んへへ」

 

 高咲は俺の腕に強く抱きつき、足取りが軽くなる。どうしよう。思い切り手を上に引き抜きたいが、そうすると何らかの法に触れてしまいそうで怖いんだよな。まあ、胸にはもう触れてるんだけどさ。

 

 前よりもスタイルが良くなっていることを嫌でも分からせられる俺。タジタジすぎて、ポケットに入れた手の汗が半端ない。

 

「ま、まあ俺はカフェみたいなオシャレな場所は知らないけどさ」

「じゃあ、じゃあ!」

「ん?」

「アレ、見ないっ?」

 

 高咲が指さしたのは、日本が誇るカルチャーであるアニメ、その中でもロボットアニメ界に君臨する、身長・地名度ともに大物ロボット。

 

 ガンダムシリーズの数ある機体の中でも、若年層を中心にカリスマ的な人気を博す、変形機構付きのモビルスーツ。今なお新バリエーションが定期的に出てくる、カトキハジメ氏の最高傑作。

 

 RX-0、『ユニコーンガンダム』だ。

 

「……事情が変わった。あそこなら詳しい」

「えっ、今のってもしかして髭男爵?」

「山田ルイ53世じゃねえよ」

 

 コイツは本当にずっとお笑いが好きだな。

 

 知ってる? こいつの一番好きなお笑い芸人。小島よしおですよ。現代のJKが小島よしお好きって。

 

 というか大体、くだらない裸芸が好きなんだよな、高咲は。笑いのツボが赤ん坊だから。POISON聴かせると泣き止むんじゃねえのかな。

 

 ユニコーンガンダムの方面へ向かって歩いていく。ここら辺は入学前にも、ユニコーンではなくファーストのガンダムが居たために、何回も来たことがあるので適当に歩いていてもなんだかんだで着く自信はある。

 

「花ちゃんはさ」

「ん?」

「しずくちゃんとは付き合ってるの?」

「ああ……そういえば、別にそういう関係ではない」

「え〜? 勿体ないなあ、あんなにお似合いなのに」

 

 いつまでもお節介なやつだ。

 

 俺らが初めて会った時もそうだった。中学2年生の頃のことだ。やる気のない奴らばかりのワークショップに辟易としていた俺を、陰でずっと応援していた。

 

「お前、俺をどうしたいんだよ」

「そりゃあもう、離れないようにするよ」

 

 当たり前のように言う高咲。しかし、その言葉の重みを俺は知っている。

 

「……ごめんな。そういえば俺が、一方的に離れたんだった」

「今思い出したの!? 遅っ! え、ありえないんだけど!」

 

 互いに住む世界が違った。趣味も視野も、やりたい事も。当時はそれで済ませていたさよならも、今となっては少し悔いの残る結果だ。

 

 相手が高咲であれ、だ。

 

『絶対、また見つけるから』

『俺なんかを、か?』

『キミだからだよ。花ちゃん』

『……じゃあな』

『ふふ……』

 

 あの頃の俺は、少し擦れていた。自覚はしている。だが、後に俺をこんなにも想ってくれる人になるのなら、もっと大切にしておけばよかったとさえ思う。

 

『ありがとよ。高咲』

『!!』

 

 今も不器用なのは変わらない。俺の事を想ってくれている相手に、少しぶっきらぼうに接してしまっているのは自分でも分かっているのだ。

 

「私はあの頃から、ずっと花ちゃんのことが好き」

「……そうかよ」

「しずくちゃんとも、上手くやってほしいよ。演劇だって楽しく続けて欲しい。私、花ちゃんを応援してる」

 

 これまた当たり前のように言うものだから、こちらも少々面食らってしまう。

 

 そういえば、こいつはあれだけ好き勝手しておきながら、俺に対する恋心と呼べるものは一切無いんだったな。

 

 ただの友達にここまでするだなんて、こいつと関わってきた男は傷だらけになっているのではないだろうか。

 

「……花ちゃんには、これしかできない」

「ん?」

「私には、それしかできないから」

 

 俺の卑屈が伝染ったかのように、彼女は俺の腕を抱きしめる力を強める。

 

 行かないで欲しい。その思いは、これだけ近くにいれば嫌という程に伝わる。

 

 そうだ。こいつに対しての、仲良くなった頃の第二印象は『俺とよく似ている』というものだった。何でもそれなりに出来るくせに、周りからは自己肯定感が低いと言われる。

 

 俺と高咲、互いに生まれ持ったその自己肯定感は、変えるのが難しい。

 

 高咲は自分もスクールアイドルが出来るくらいには顔もスタイルもよくて、笑ったところが可愛くて、仲間思いな良い奴だ。距離感は近すぎるが、それもまた人を惹きつけるようそのひとつ。

 

「お前にしか出来ないことがある」

「……えっ?」

「それは確かだ」

 

 お前は凄いよ。少なくとも、演劇しか目立った能のない俺よか、よっぽど。同好会のメンバーや他校のスクールアイドルにも慕われているみたいだしな。

 

 そうでなくても、俺との相性は悪くない。良いとも言える。

 

「普通の女子だったら、髭男爵の話はできねえよ」

「花ちゃんっ……!!」

 

 高咲は大袈裟に、俺へと抱きつく。平日とはいえ、ダイバーシティへと続く『夢の大橋』のど真ん中だ。大衆の中でこんな事をするとは、やはり高咲らしい。

 

「も〜っ!! ツンデレなんだからぁ〜!!」

「おい、本格的に抱きつくな! こんなにも人がいる所で!」

「え、2人きりだったらいいの……?」

「お前ホントに俺のこと恋愛的に好きじゃないんだろうなッ!? 信じてるからな俺は!!」

 

 昔のようにヤイヤイ言いながら歩いていく俺たち。ユニコーンガンダムも、ようやく腰が見えてきた。さて、こいつのオススメのサテンにでも行くか。

 

「よう」

 

 意気込んだその時、後ろから声が聞こえた。

 

「……光良(みつよし)さん?」

「久しぶりだな。ヤクプ・カツ」

 

 俺を中学の頃のワークショップで()った役名で呼ぶのは、この人くらいしかいない。

 

 都立海老原学院(えびわらがくいん)附属高等学校、通称エビガクの演劇部2年。高校演劇第二世代末期を代表する演者にして、俺が尊敬している演者のひとり、三ノ宮 光良(さんのみや-みつよし)さんだ。

 

「奇遇ですね」

「ああ。全くもって偶然だな」

 

 削り出しの石の椅子に座っている光良さんは、こちらをまんじりともせず見ている。久しぶりに見たが、元が老け顔なのであまり変わっていないどころか、むしろ前よりも変わっているように思える。

 

 こんな事を言っているが、俺はこの人を本当に尊敬している。いち演者として負けたくない気持ちはあるが。

 

「どうだ、調子は」

「まあ、それなりにやってますよ。大会の配役もそろそろ決まる頃でしょう」

「どうやって決めてるんだ? オーディションか?」

「ええ、エビガクもですか?」

「そうだ」

 

 海軍大将のように足を組み、光良さんは続ける。

 

「主役は今年も()りたいものだ。都大会は主に、その前の地区大会と同じ台本が使われる……ここで主役になれさえすれば、都大会での活躍は確約される。演技賞の確率も上がるわけだ」

「演技賞、取りたいですねえ。へへ、俺はともかく、もちろん光良さんは主役ですよね」

「……まあな。後輩の大土やら柊やらってのが頭角を現してきてるが、このまま行けば主役は俺だ」

 

 あんたがそんな所で主役を逃しちゃ、今度の地区大会で本気でぶつかる気にもなれないでしょうが。

 

「そっちの方は?」

「あー、誰でしょうね」

「ちょっとお!? キミが演劇できるようになったの、誰のおかげだと思ってんの!?」

「え? いや……まあ、お前のおかげでもある……かも、しれないけど」

「でしょー!?」

 

 高咲が俺の身体をぐわんぐわんと揺さぶる。それを表情ひとつ変えずに見ていた光良さんは、身なりを気持ち整えて椅子から立つ。

 

「都立海老原学院附属高等学校、演劇部の三ノ宮光良だ」

 

 キレイな角度でお辞儀をする光良さん。いいのに、わざわざ。こんなのに対して。

 

「演劇に、理解があるんだな」

「まあ、はい。オタク趣味やお笑い辺りも理解してくれてます」

「いい彼女だ」

「えへへぇ」

「否定しろ。いや、別に彼女じゃないッス」

 

 依然俺に抱きついたままの高咲。この様を見れば、彼女だと思うのも無理はないのかもしれない。

 

 勘違いしてはいけない。俺は桜坂しずく一筋だ。そして高咲は俺のことが恋愛的な意味で好きというわけではない。ややこしいな、これ。

 

「光良さん、なんでこんな所に?」

「近くを通ったものだから、少しユニコーンを見ようかと」

「あっ! じゃあ私たちと同じですね!」

「そうか。はは、何回見ても壮観だよな」

 

 光良さんはユニコーンを見上げたまま、俺たちに話しかける。しかし、俺はどこか胸というか腹というか、そこら辺りの奥が違和感に騒いでいた。

 

 嵐の前の静けさとでも言おうか、この感覚。田畑が荒れる。 土砂崩れが起きる。そういう災いの前兆のような虫の知らせを、俺は無視できずにいる。

 

 こちらの腹を探るような質問のせいだろうか。そうこう考えている俺に、光良さんは声をかける。

 

「穂村花火」

「はい?」

 

 メガネをかけ直す光良さん。そのレンズの向こうには、輝く『演劇人のオーラ』を放つ眼があった。

 

「少しばかり付き合ってはくれないだろうか」

「えっ?な、何にです?」

「……路上即興演劇(ストリート・バトル)だ」

 

 演者の『演劇人のオーラ』は、眼を中心に発せられている。今、三ノ宮光良という男は、俺と演り合いたくてたまらないといった風に眼をギラつかせている。

 

 光良さんは「聞かずとも、心の底では分かっていただろう」と言いながら、制服のジャケットを脱ぐ。

 

「……ちょっと、行儀悪いッスよ。優等生サン」

「そう言いつつ、ノリノリじゃあないか。眼の奥で篝火がらんらんと……なに、オレらの一騎打ちのリハーサルと思えばいい」

 

 高咲は、俺らの物騒に聞こえなくもない、少なくとも只事ではないような会話を聞き、俺から離れて少し後ずさる。

 

「え? 何? ……えっ、戦うの!? てか、花ちゃんのどこがノリノリなの……!?」

「こいつの『演劇人のオーラ』を見ることができれば、嫌でも分かる」

 

 そうだ。俺は今、モーレツに燃えている。こんな所で一度演り合えるとは思っていなかったものだから、ゾクゾクとする感覚と共に、全身を巡る血管、そこに流れている赤い血潮が熱く感じる。

 

 リハーサルやゲネってのは、中学の頃からどうも好きにはなれないが、こういうのなら俺は喜んで付き合うぜ。

 

「へへっ、へへへ」

「まあ、オレに勝てるだなんて思わないことだな。オレも数年前は思わなかったさ。まさか、あんな高校に入って、わざわざあんな演劇部に入るような物好きだとは」

「へへ……へ?」

 

 突然吐き出された、彼らしくもない言葉。いや、演じているセリフか? それすらも分からぬままに、彼は言葉を続ける。

 

「虹ヶ咲学園は、海老原学院附属よりも下だと言ったんだ」

「しずく達も、バカにしてるんスか?」

 

 高咲が「あっつ!?」と声を上げて俺から離れる。なるほど、俺の『演劇人のオーラ』が何となく肌で分かるらしいな。

 

 俺のオーラは赤い。優木せつ菜のメンバーカラーのように、燃え盛るレッドとエレガントなスカーレットが綯い交ぜになった、炎の色だ。

 

 実際にオーラを見て、かつ感じることのできる演劇人は、俺のオーラを『暑苦しい』と評することが多い。

 

 高咲も数年前、日本一の高校生演者になる『師匠』に触れた者だ。類稀なる感受性も相まって、少しはオーラも感じるのだろう。

 

「怖い目をするな。しかし事実、虹ヶ咲学園演劇部が活躍していたのは過去の栄光。今となっては関東大会にも行けるかどうかという実力なのは、誇張でも何でもないとオレは思うがな……」

 

 俺は至って冷静だ。こんな所で仲間を小馬鹿にする発言をするなど、挑発に決まっている。煽っているのだ、俺を。その気にさせようと、本気にさせようとしている。

 

 突発的な勝負だが、俺と本気で戦おうとしている。だからこちらにも本気になってもらおう、という算段だろう。おおむねそんな感じだろうな。何事にも手を抜かない光良さんのことだ、そうに決まっている。

 

 そう、これを理解している時点で俺はかなり落ち着いている。

 

 ただ、挑発であれ何であれ、ここで買い言葉を返さねば、俺自身の気が済まないのだ。

 

「俺は、しずく達に会えてよかったと心の底から思っている」

「……ほう」

「それに、すっかり萎んだ虹ヶ咲(おちこぼれ)だって、やりようによっては海老原(エリート)も超えるようになる。努力さえすれば、ね」

 

 前言を撤回した方がいいと言われそうなほどに、俺は今、一瞬で()る気になってしまっている。我ながら単純だ。

 

「その気になれば、一人で学校だって立て直せるんだ。あの『甲斐青沼(かいあおぬま)高校』を優勝に導いた、『師匠(あのひと)』みてーにさ」

「はは、師匠が『蛇崩』か。大きく出たな、嘘は隠しきれる規模にした方がいいぞ」

「別にこんな嘘ついて、得なんてないっしょ」

 

 冷笑を一蹴し、俺はリュックを地べたに置く。

 

「さて、やろうぜ。アブラム・ベーカー……久しぶりにさ」

「図に乗った貴様の性根を、このオレが叩き直してやる」

「な、なんか分からないけど、頑張って! 花ちゃん!」

「言われなくても、ぶっ飛ばしてやるよ」

 

 高咲は呑気に、何も知らずにこちらを応援する。有難いことだね。客がいるってのは。

 

 俺らは高咲の方を向き、横の同一線上に立つ。

 

「氷室。これがオレの答えだ」

「やっと俺の実力を見せる時が来たぜ」

 

 さて。

 

「「ゲキバトル、界演!!』』

 

 この言葉を唱えるなり、視界が段々と白くなっていく。浮遊感と、目眩にも似たくらみに襲われる脳が、アドレナリンを弾けさせる。

 

 目を閉じ、俺は手を広げて精神を不思議な感覚に預ける。『演劇シナプス』が活性化し、やがて俺は今までの俺ではなくなる。

 

『……フゥ〜ッ……』

 

 目を開けると、季節外れの雪が降っていた。しんしんと降り積もる牡丹雪。足元は既に少しだけ埋もれている。少しの寒さを感じると共に、全身の神経に感覚が吹き込まれる。

 

 手にはいつの間にか、一対の日本刀が握られている。腰の左には鞘の重みがあり、服も制服ではなくカジュアルなワーキングウェアのようなものになっている。

 

『……来いよ、エリートさん』

 

 俺は空を見上げたまま言う。すると、後ろからおもむろに殺気が滲み出てくる。光良さんの演劇人のオーラが、それと共に感じられる。

 

 見ていないのに、何故か眩しいと思わされる、不思議なオーラだ。

 

 気持ち悪い。

 

 

 

舞台:夢の大橋→斑雪の森林

形式:路上即興演劇(ストリート・バトル)

 

ゲキバトル 界演

 

 

 

『……行くぞ。穂村の血筋』

 

 そんな声が聞こえた瞬間、俺は両手の刀を、後ろにクロスしてかざす。

 

 すかさず背中に、鈍重な衝撃が一発。光良さんのお得意の三節棍が、俺の身体めがけてムチのようにしなりながら飛んできたのだ。意志を持ったかのように、俺の刀と鍔迫り合いをする三節棍の先っぽ。

 

 相変わらず、変な武器使ってんな。

 

『へへ』

 

 路上即興演劇という、大会より少し違うルールとはいえ、久しぶりに暴れられる。ゾクゾクする少し曲がった背筋に、刀の棟が沿うように、這うように食い込んだ。

 

『アツく、なってきたぜ……』

 

 さて、昨今の演者は、傍から見れば普通に演技をしているつもりでも、精神的にはそうではない。

 

 今、俺たちは同じ『夢の大橋』の舞台で演技をしている。いや、少なくとも高咲たち観客からはそう見えている。しかし、こうやって武器を使い、それを交え、戦っている。

 

 一度こうして舞台が始まれば、頭の中にある、演者にしかない神経『演劇シナプス』が演者同士で共鳴する。これらを直結させ、なんやかんやで演者たちは、自分の頭の中にあるお花畑で戦うのだ。

 

 また、全く同じ舞台どうしで争っていなくとも、『演劇シナプス』さえあれば同じ決闘の舞台には立てる。つまり地区〜全国の大会といったような、それぞれの高校がそれぞれ同じ場所・違う刻に舞台に立っていても、ゲキバトル内では別の高校の演者同士で戦える。

 

 ともかく、客から見る演技の好みというものは、人それぞれ違う。声量、リアリティ、表情、顔の造りそのもの。どこに拘るかは人によって全く違う。

 

 実際、演技賞などの演者に与えられる賞は審査員の主観で決まる。しかし、演技の練度や繊細さ、そういった絶対値というものは必ずあるものだ。

 

 そういった演技の絶対値で決着をつける、演者の、演者のためだけの、演者にとって理想の舞台決闘方法(ルール)。『ゲキバトル』である。

 

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