片時雨の下手で   作:苗根杏

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#37 非日常の中の日常

 

「上がって」

「………………」

 

 雰囲気が、違いすぎる。およそ『桜坂家』と呼べるレベルではない。言うなれば、『桜坂屋敷』、『桜坂邸』……いや『桜坂市民会館』か。

 

『ホテルニューオーサカ』、『桜坂県民文化ホール』、『ヨドバシカメラ桜坂店』、『光子力研究所』などといった大層な言葉が似合う。そんな家である。

 

 生まれた時から、この匂いや雰囲気を浴びてるってのか。五つ星ホテルを家にしてるようなモンだぞ。そりゃあ普段から品性と落ち着きがあるわけだ。

 

 俺は服をびしょ濡れにした後に、電車でのこのこと鎌倉に逃げ帰ってきた。そして今、しずくの家の門にいる。

 

 元々、寝泊まりはしずくの家でするという予定だったし、言わばホテルへのチェックインのような形で来ただけだ。

 

 広い広い庭を抜け、しずくは鍵を開けて俺を招き入れる。入ると、それこそホテルのようなロビー、いや玄関が広がっている。靴箱が遠いな。

 

 しずくに言われるがままに靴をしまい、玄関に上がる。すると、遠くの通路から見覚えのある顔が見える。

 

 実際に見たことはないが、しずくによく見せてもらっていたやつだ。

 

「おっ、出迎えもしてくれるのか……なんだっけ。ガーフィールド?」

「オフィーリアね」

「あ、そうそう」

「薬物やってる猫と一緒にしないでよ」

「大麻ね」

「同じようなものでしょ」

 

 しずくが事あるごとに写真を見せてくる、犬種・ゴールデンレトリーバー(推測)の『オフィーリア』。そんなカッコイイ名前の犬が、俺たちを出迎えてくれる。

 

「アッパーかダウナーかで違うよ」

「えっ、何それ。詳しいね」

「俺はやってないけどな」

「じゃあ友達が?」

「やってないよ。あとそういう時の『友達の話なんだけどさ』は大体自分の話だよ」

 

 名前の由来は、我らが演劇部キャラの先輩、瀬田薫も心の師と仰ぐウィリアム・シェイクスピアの戯曲、『ハムレット』の登場人物。

 

 演劇部らしいネーミングだ。犬の名前にしちゃあ長くてカッコよすぎる気もするが、オフィーリア本人としてはもう馴染んだ名前だし、誇りに思っているはずだ。『K』の『ホーリーナイト』みたいに。

 

「母さーん、ただいまー」

 

 オフィーリアを撫でながらしずくがそう言うと、ぱたぱたと小走りでこちらに向かってくる足音が聞こえる。

 

 出てきた彼女は、余程急いでいたのか、ジャガイモと包丁をそれぞれの手に持ちつつ、割烹着を着てこちらに向かってきた。

 

 しずくの母だろう。佇まいとオーラでそれが分かる。

 

 オーラというのは、『演劇人のオーラ』のことでもある。しずくに似た、浅葱色手前の水色、くらいの色をした、そこそこ大きなオーラ。

 

「しずく、おかえ……」

 

 オーラに気を引かれていた俺は、彼女の手を離れた包丁に、地面に刺さるまで俺の方に向いていることに気づかなかった。

 

 間一髪。

 

 彼女の持っていた果物ナイフくらいの包丁は、その手を離れて空中で数回転。白井の如く鮮やか、かつ靱やかに、俺の足の小指の数ミリ手前に着地。

 

 ビィー……ン……と刃がしなり、震える。もう少し俺が前に出ていたら、小指が折れるどころか無くなっていた。骨までバッスンといかれてたぞ。俺は無個性だから。小指に骨あるから。

 

「あッッぶねぇ〜〜!!」

「母さんたら、オーバーリアクションなんだから」

「どうしたの! しずく! その髪ッ!」

「暑いから。切っちゃった」

「あらまあ……言ってくれれば私がしたのに」

「えっ!? 俺の指の心配は!? このナイフ、ノータッチで済ます気!? ひぇえ〜〜……」

 

 なるほど、しずくの髪に驚いてこの大業物を手放したのか。俺は包丁を引き抜いて彼女に渡す。

 

 すると彼女は、わたわたとしながら「すみませんっ、取り乱して」と言いながら包丁を受け取り、自己紹介を始める。

 

「いらっしゃい。あなたが花火くんね、話には聞いてるわ」

「あっ、ど、ども。多分その花火です、穂'村~花~火です」

「ええ!? L'Arc~en~Cielの表記のしかた!? 読みづらいって!」

「ふふ……大丈夫ですよ、伝わりましたので」

 

 くだらないジョークに笑う姿も、どこかしずくに似ている。

 

「私、しずくの母です。『(なぎさ)』とお呼びいただければ、この家の中ならすぐにでも」

 

 初っ端から名前呼びかよ。いや、しかし桜坂さんと呼ぶと、しずくも振り向いてしまう可能性もあるからな。

 

「じゃあ……よろしくお願いしますね。渚さん」

 

 俺がそう呼ぶと、渚さんは少し口を開けて、目をぱちくりとさせて驚いたような顔をする。そして、少ししてから口に手を当てて上品に笑う。

 

「あら。あらあら、まあまあ。うふふ」

「えっ、なんすか」

「もう一度、呼んでくださらない?」

 

 変なお願いだと思わずにはいられないが、減るものでもないので、俺は素直に従って彼女の名前をもう一度呼ぶ。先程と変わらないトーンで、さらっと。

 

「……渚さん」

 

 そう言うと、渚さんは堪えきれないといった風に笑みをこぼす。面白そう、といったようには見えないが、何やら美味しいものを食べた時のような笑みだ。

 

「うふふっ。やっぱり」

「?」

「主人の若い頃にそっくりです」

 

 その口角の上がりきった口から出てきたのは、惚気だった。

 

 拍子抜けした俺は、しゃがんでオフィーリアに聞いてみる。

 

「そうなのか? エフフォーリア」

「オフィーリアね? 馬じゃないから、犬だから」

「そう言う渚さんも、笑ってる所はしずくに似てますね」

「あら、そうですか? 嬉しいです」

「無視した! こらぁ〜っ!」

「ふひっ、ちょ、脇腹やめろし」

 

 居間に向かいながらイチャついている俺たちに、渚さんは少しぽかんとした後に、「仲がいいのね」としずくに言う。しずくは堂々と「うんっ。大好き」と笑う。

 

 こんな事があっていいのか。シチュエーションとしてはご両親への挨拶なのに、初っ端からこんなにアホみたいにじゃれて。

 

 まず、高校のうちからご両親への挨拶イベントがあること自体が、まあまあおかしいことではあるのだが。

 

「待ってて、今お父さんも呼ぶから」

「うんっ、分かった」

「あなた! 花火くんが来ましたよ!」

 

 あれよあれよとお父様かよ。居間らしき場所に向かう階段を上がろうとした時、渚さんはこの家の大黒柱を呼びながら階段を上がる。

 

 襖が開く音がして、ランドマークプラザのエスカレーターのように少し曲がった階段の上、和服の男性が見えた。

 

 見上げる分には腰あたりまでしか見えないが、がっしりとした体格に、欠けている耳。ロマンスグレーの髪は短く揃えられている。

 

 寝巻きっぽいストライプ柄の着物、というか浴衣? は、俺が着れば温泉街の観光客っぽく見えるのだろうが、彼にかかればその威厳を増すバフにしかならないのが不思議だ。

 

「……こんにちは」

 

 一言でいうなら、彼の第一印象はインテリヤクザ。フチなしメガネに、銘柄はハイライトが似合うような。

 

 まあ、俺の理想の男性って感じ。カッコイイ人だ。反社感は強いが。

 

「…………桜坂組?」

「誰が反社じゃ」

「あっ」

「随分と気の利いた冗談を言えるんだなあ? 花火くんは……なあ、しずく?」

 

 口がカーリングした。いや、カーリングにしても下手だ。滑りすぎているので。

 

「ごめんなさいッ!! 指は!! 指はどうか!!」

 

 俺は足をぴんと揃え、そしてその場に正座し、俺の得意技のひとつである“猛虎落地勢”の構えをとる。

 

 元々は無差別格闘早乙女流の奥義として伝えられていた技。その構えが、絶壁から落下した猛虎が痛みを堪えている姿に見えることから、この名がつけられたという。

 

 技の詳細はこうだ。まず大地に手をつける。そして、「ごめんなさい!! ごめんなさい!!」と謝る。これが“猛虎落地勢”だ。

 

「いや詰めないから。というか今の君、失言に失言を重ねてるからね」

「足の小指ならあげますから!! 足の小指なら!! ね、ホント個性もない2つ関節の小指ですが!!」

「あーあー、頭を上げなさいな。少し凄むとすぐにコレだから困る」

 

 俺が半泣きで恐る恐る頭をあげると、その頭を撫でながら、しずくはお父さんに言う。

 

「悪い人じゃないの。結構マトモな人だよ? ただ、思い込みが強いだけで……普段も言ってるじゃん。私の友達で、すっごく優しくて素敵な人なんだよ」

 

 いや、思い込みが強い以外にも、もっと短所あるよ。しかし、お父さんはそれに納得したように渋々と頷く。

 

「ん……まあ、しずくがそう言うならそうなんだろう」

 

 ともかく、しずくが庇ってくれたおかげで俺の小指は守られた。ここに来て、二度も俺の小指が狙われていた。危ない。鎌倉危ない。

 

「……花火くん、最近ヒロアカ読んだ?」

「しずくがヒロアカを知ってることに多少驚いてるが、カバーはありがとう」

「君が助けを求める顔してた」

「さてはハマってるな!?」

「頑張れって感じの花火くんやね」

 

 しずくバージョンのお茶子、かわいっ。

 

 俺はカバーをしてもらったものの、一応とお父さんに話す。

 

「わざとじゃないんですよ。ほんと」

「うん、まあ……わざとだったら泣いてたけど……」

 

 泣いてたんだ。

 

「ふふ。言われ慣れてますから、気にしないでくださいね、花火くん」

「ほっとけッ!」

 

 彼はメガネを直し、階段を降りてくる。そして俺に向かって、手を差し伸べてくる。

 

 背負い投げするんじゃあないだろうな、とその手を取ると、彼は素直に俺の手を握って握手をしてくる。そして、その切れ長な目で俺を一瞥し、少し照れたようにそっぽを向いて言う。

 

「『桜坂湘悟(しょうご)』。よろしく」

「め、ありがとうございます(メルシーボークー)……自己紹介恐縮のいたり……」

 

 仕草、可愛いかよ。

 

 

#37

非日常の中の日常

 

 

 俺たちが握手を終えて階段を上る途中、渚さんが「あっ、そう! アレはどうするのかしら?」と手を叩いて言う。

 

「アレとは?」

「夏祭りよっ」

「ふふ、もちろん行くよ」

 

 その『夏祭り』という言葉に反応した俺に、渚さんはどこから取り出したのか、回覧板と共に回ってきたというチラシを渡される。

 

 こんなお屋敷にも回覧板は来るんだな。自治体がどうのって仕組みは、俺はあまり知らないけどさ。

 

「夏祭り……」

「ここら辺では有名なお祭りなんだよ」

 

 なるほど、タイミングがよかったな。

 

 そういえば今年は一度も行っていなかったし丁度いい、と俺は、演劇の練習とオタ活しかしていなかった夏休みを思い出しながら、こっそりガッツポーズをとる。

 

 好きな人と夏祭りに行けるってだけで嬉しいのに、好きな人の地元で夏の終わりを過ごせるのか。

 

「甚平もあるんですよ。主人のだけど、よかったら」

 

 渚さんは、湘悟さんの部屋らしき所のタンスを開け、上下揃った青色の甚平を取り出す。

 

「雰囲気出るね〜」

「なにっ。父さん聞いてないぞ」

「いいじゃん、昔着てたやつだし。もう着ないでしょ?」

「いや、家族みんなでお祭り行きたいじゃん」

 

 拗ね方は可愛い。

 

 というか、そういう家族の時間を大事にしてくれるのは良いな。理想の父親だ。うちの親父とは大違い。

 

「はいはい、明日もやってるから行こうね」

「は〜い」

 

 そういえばしずくは、父親に対してはタメ口なのか。

 

「なら、しずくは浴衣でどう?」

「うんっ、前に着たのが……どこだったっけ……」

 

 しずくは思い出しながらといった風に、俺に背を向けて言う。

 

「あっ、ごめんね花火くん。ちょっと着替えてくるから」

「分かった。俺はここでいいッスか?」

「好きにしなさい」

 

 湘悟さんは、部屋の机に向かい、タバコに火をつけ始めた。

 

「よし、ユーフェミア。着替えてくるぞ」

「オフィーリアね!?」

「血染めのオフィだな」

「不穏なあだ名!」

 

 オフィーリアを部屋の前で待機させ、俺は湘悟さんの部屋に入る。

 

 そういえば、父さんと2人きりかよ、俺。人の父親と2人きりにしてくる宿泊施設をホテルと呼んでよいものだろうか。いや、正確にはここはホテルではないが。

 

 俺が服を脱いでいると、背中を向けてタバコを吸ったまま、湘悟さんが話しかけてくる。

 

「しずくが、世話になってるな」

「えっ!? あ、いえ、こっちが世話になってばっかりですよ!」

「……どういう風に?」

「ん? ああ、大喜利ですね?」

「違う。IPPONグランプリの声真似じゃあない」

 

 なんだ、低い声だからてっきりお題を出されたのかと思った。

 

「肝、座ってるな」

「ええー? そうですかねえ」

「で、しずくとはどうなんだ」

「そりゃもう、なんというか、唯一無二のパートナーですよ。2人で切磋琢磨できる関係って結構助かるんです。あとは勉強も教えてくれるし……頼れる同級生、ってところです」

「そうか」

 

 彼は俺の答えを聞くと、顔だけをこちらにチラリと見せ、その鋭い目つきを俺に向ける。

 

「お前さん、しずくが好きなのか」

 

 一気に背筋がピンと伸び、謎に爪先立ちにもなってしまう。パンイチで。

 

「その好きは、どういう」

「野暮なことを聞くな」

 

 なるほど、なるほど。浴衣を着ながらではあるが、俺は言葉選びに細心の注意をはらい、湘悟さんに答える。

 

「結構色んな意味で好きですよ」

「恋をしているのか」

「……まあ、はい」

 

 うわ、これ親父さんの前で言ってよかったのかな。言ってから気づいたが、親父さんは特に何事も無いようにタバコの灰を落としている。よかった。殴られない。

 

「付き合ってはいるのか?」

 

 湘悟さんは俺に向かってそう言う。表情としては、読めないな。無表情。璃奈と同じく、感情を表に出すのが下手なんだろう。先程少し拗ねていた時も、声のトーンだけが変わっていたから。

 

 さて、俺は、付き合っているのかという質問を聞いて、少しハッとした。何故かというと、俺たちは既に付き合っているような関係なのに、告白も済ませていない=彼氏と彼女という関係になっていない。

 

 それはおろか、しずくの俺への気持ちというものに、俺はまだ確証を持っていない。

 

 この前にケンカの仲直りハグをした時は、しずくは俺の事を『ラブとは少し違うが、自分にとって大切で好きな人である』と表現していた。

 

 あそこからキスだのSkebでのチョメチョメだの、あとは改めて2人で行ったミュージカル鑑賞など、色んなステップを経てはいるが、そういえば付き合ってはいないな。

 

 あれ。俺ってもしかして、付き合ってない人とめちゃくちゃな事してるのかな。

 

「まだですね」

 

 めちゃくちゃな事の詳細は言わず、俺は端的に答える。

 

「いずれは、とは考えているんだな」

「はい。湘悟さんの許しが得られれば、ですけど」

 

 人差し指をつんつくつんと合わせながら言う俺に、彼は声色ひとつ変えずに言う。

 

「ふ〜ん。告っちまいなよ」

「修学旅行の夜のテンション!?」

 

 えっ待って、そういう時って『お前に娘はやらん』が定番なんじゃないんですか。

 

 灰皿にタバコを押し付けながら、再び机に向き直って彼は「しずくは、お前のことが好きと言っていたからな」とつぶやく。

 

 えっ、と口に出てしまう。恐る恐る、俺は湘悟さんに訊ねてみる。

 

「どういう意味で?」

「さあな。それを確かめるのが告白だ。少なくとも、友人としては信頼を置いているみたいだがな」

「そ、そうですか。嬉しいです……でも、いいんですか? 告白しても……」

「覚悟ができているならな。それに、男の決断を止めるほど、父さんは頑固じゃあない」

「はあ、なるほど」

「結婚となれば、改めて家内と共に話すことにはなると思うがな」

 

 告白の覚悟すらマトモにできていない中で、結婚とか言うんじゃあないよ。

 

「俺がどんな人間かって、そんなに分からないのに……アッサリ許可しちゃっていいんですか?」

 

 思わず自分が不利になるようなことを口走ってしまうも、彼は動じずに俺を見ながら、ゆっくりと話してくれる。

 

「どんな奴かは、しずくがよく話している。明るいとは言えないが、打ち解ければ面白く優しく、なんだかんだ頼りがいがある……だからこそ反社扱いをされても許した」

 

 そう見えたってだけで、明確に反社だとは言ってないつもりだったんだけど。思ったよりも傷は深いようだ。申し訳ない気持ちはある。

 

「だが」

「は、はい」

 

 頭のどこかで予測できていた気もしたような、一筋縄ではいかなさそうな湘悟さんの一声に、背筋が伸びる。彼は「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」と続ける。

 

 確か、カマキリシャドーの話を聞いた時の範馬勇次郎の言葉だったか。そんなことを口にしながら立ち上がる湘悟さんに、俺はぶっちゃけ、うっすらと嫌な予感がしていた。

 

「お前、強いのか?」

「はい??」

「喧嘩の経験は?」

「口なら強いっすよ。知恵でねじ伏せる派なので」

 

 俺もおもむろに立ち上がり、念の為、手のひらを彼に向けておく。湘悟さんは既に低く構え、その拳を握りしめてこちらを睨んでいる。元々睨んでいるような目ではあるが。

 

「行くぞ」

「まっ……」

「忠告はした。手加減はナシだ」

「ちょっとォ〜〜!?」

 

 南無三。俺は地面を蹴ってこちらに向かってくる彼の拳を、回し受けでなんとか避ける。

 

 回し受けとは、空手などの打撃を使用する格闘技の防御技における基礎を、最大限まで練り上げた、言わば初代ウルトラマンのスペシウム光線のような技。あらゆる受け技の祖と呼べるものである。

 

 窓を拭くように、掌で受けた拳打を横に流し、受けきれなかったものは手首のあたりに掌の横を当てて逸らす。

 

 普通は何回か回し受けを繰り返していれば、体勢が崩れて隙ができるものだ。しかし彼は一向に動じず、安定感のある体幹がものを言う無呼吸連打を食らわせてくる。

 

 まあ、隙ができたところで反撃をするつもりは俺には無いが。こういう防御技はできても、ゲキバトル世界ではない現実世界の俺は、攻撃力が低いので攻撃技を覚えてもあまり活かしきれない。悲しき現実だ。

 

 しかし、いざやってみると回し受け、集中力を要求される作業だ。それもここまで連撃を受けるとなると。

 

 永遠にも思えた連撃の、最後の一発。俺は油断が生まれたところを腹に一撃食らってしまい、パンイチのまま、壁にドンとぶつかる。

 

 念の為、ゲキバトル用に武道の勉強をしておいてよかったぜ。連打をひとしきり終えた湘悟さんは、ニヤリと笑う。

 

 オフィーリアはこちらに向かって、様子がおかしくなった、大丈夫かとばかりに吠えている。

 

「そんなに心配すんな、ボラーレヴィーア。受け流した……一発を除いて……」

「オフィーリアな。いや、しかもその一発も……」

 

 ああ。湘悟さんの最後の一発、腹に当たりはしたが、咄嗟に腹を引っ込めた。

 

 そして自分から後ろに大袈裟に吹っ飛ぶことで、衝撃エネルギーを緩和。壁に強くぶつかったとて、打撃そのもののダメージ自体は極限までなくなったはずだ。

 

 実際、天矢にふざけて肩パンされた時くらいの痛さしかない。つまりはまあまあ痛くはあるってことだ。耐えられるほどの痛さではあるが。

 

 天矢のヤロー、軽音楽部にも筋肉が必要だ! とか言って、最近は部の仲間とジムに通っているもんで、まあまあ肩パンが痛いんだよな。

 

「……全盛期の貴方だったなら、俺は吹っ飛んでたでしょうね」

「俺は常に全盛期だ……最後のは合気道か?」

「ええ。渋川剛気推しなので」

 

 息を切らしてへたり込む俺に、湘悟さんはしゃがんで目線を合わせてくれる。

 

「…………俺、愚地独歩派」

「わ、菩薩の拳」

「好きなスピンオフは何だ」

「猪狩と斗羽のやつです」

「すっげえ分かる」

 

 刃牙は全ての男が通る道だ、と、うちのクソ親父も豪語していたな。口角を上げる湘悟さんは、俺に拳を突き出す。もちろんそれは、拳打のためではなく。

 

「いえい」

「うぇい」

 

 俺らは同時に立ち上がり、かつて友人だったかのように、息ピッタリに拳を突き合わせた。

 

 湘悟さんは落ちている甚平を拾い、俺に手招きをする。もしかして、着るのを手伝ってくれるのか? 

 

 いや、助かるには助かるんだが、なんだかそれよりもホッとした感情が大きいな。

 

 今のが、全ての男がご結婚の挨拶で経験する試練だとでも言うのか。どうりで、全ての男が刃牙を読むわけだ。読んでいなければ死ぬぞ、最悪の場合。

 

 俺に甚平を着せながら、湘悟さんはこう話す。

 

「君は信用に足る人間だ。刃牙を知っているし、それに……娘がここに呼んだ『初めての男の友人』……ただの友人以上だろう。そこは認めざるを得ない」

「そ、そっすか」

 

 ああ、まさか本当に刃牙が選定理由に入るとは。さっきの刃牙を読む云々の話は割と適当に言っていたんだが、本当に読んでてよかった。

 

 湘悟さんは俺の着付けが終わった後、さて、と言って背中を軽く叩く。まあまあ痛い。

 

「だが、忘れるんじゃあないぞ、花火くん。しずくを渡すからには、絶対に! 何があっても、自分の身を呈して守るくらいのことはしてやれッ!」

 

 結婚するでもなしに大袈裟な、とは思わなかった。父さんは大真面目だ。多分、『しずくが男を連れてくる』というだけで、それだけの真剣さは持ち合わせていないといかんのだろう。

 

 しずく自身の信用と大切にされている度合いを知り、俺は身が引き締まる。

 

「助かろう、では人は守れない。勝とうとしろ!! 穂村花火!!」

 

 ああ、俺もこの人と同じ、大真面目さ。俺は、しずくと大真面目に付き合いたいし、結婚したい。

 

 部屋にビリビリと響く鼓舞に、俺は頭を下げて大声で返す。

 

「ありがとうございますッッ」

 

 こんな俺のために、アリガトウッッ。

 

 ばっと顔を上げ、湘悟さんと目を見合わせる。彼は笑顔で俺の肩に手を置いて言う。

 

「いい目をしている」

「へっ?」

「お前、大きくなるぞ」

 

 現実世界でこんなに強い人に言って貰えるなら、嬉しいな。ゲキバトルでも、この人くらい、いや、それ以上に強くなれるといいのだが。

 

 湘悟さんの言葉に応えるように、賛同するように近づいてきたオフィーリアは、俺の半ズボンの足元に、ふさふさの身体を擦り寄せてくる。

 

「わんっ、わんっ」

「ほら、コイツもそう言ってる」

「ありがとう、ミリアリア」

「続編で戦場カメラマンになった奴じゃない。オフィーリアだ」

 

 お父さん、SEEDも見てるのかよ。今度、一緒に劇場版とか見たいな。

 

「ねえ」

「はい!!」

 

 完全に油断しきっていた背後から、しずくの声が聞こえる。襖、というか、廊下の方からだ。

 

「入っていい?」

「お、おう! どーぞ! お入りください!」

 

 俺は思わず、部屋の主さんよりも先に返事をしてしまう。「おま、この部屋、俺のだぞ! 俺の!」と湘悟さんも言っているが、すぐに襖は開く。

 

 目に入ってきたのは、正真正銘の大和撫子。

 

 青い紫陽花の柄があしらわれた浴衣に、控えめなベージュの腰巻。切った髪もまた聖子ちゃんのようでよく似合っている。大きな赤いリボンだって。

 

「どう?」

「………………」

「は、花火くん?」

 

 何かチラチラすると思ったら、気づけば目の前でしずくの手が振られていた。俺はあまりの脳へのショックに硬直していたようだ。

 

 ハッとした俺は、改めて彼女の全身を見て、顔をおさえて「無理……」としゃがみこむ。

 

「限界オタク……」

 

 しずくのつぶやいた言葉に、俺はぐうの音も出なかった。

 

「あらあら照れちゃって、花火くんたら」

「……その、えと……」

 

 なんとか言葉をひねり出そうと、俺はうんうん唸る。ちくしょう、舞台の上だったらアドリブでキザなセリフのひとつやふたつ言えるんだが。

 

 しかし、ここで言うのは、作者に決められたセリフではない。この穂村花火が心から思う褒め言葉。そうでないと、しずくに失礼というものだ。

 

 真っ直ぐ向き合う、転じて真っ直ぐ付き合うってのは、こういうことだろう? 

 

 そう心の中で言いながら湘悟さんの方を向くと、彼はニヤニヤしながら「花火くんの気の利いた一言まで5秒〜!」と叫び、掲げた手の指を折り始める。

 

「えッ!? おい!!」

「4〜! 3〜!」

 

 このオヤジ!! 

 

 ちくしょう、少しでも後押ししてくれると思った俺がバカだった。

 

 いや、後押しはしてくれているのか、この人なりの方法で。もっとあっただろ。火炎放射ぶっぱなすぞ。ドリアンみたいに。

 

「2〜! 1〜!」

 

 どうしたものか。当たり障りのない言葉しか出てこない。

 

 ええい、南無三。こういう時に咄嗟に出る言葉こそ本音だ。そう自分に言い聞かせて、俺は思うままの言葉を伝えるために口を開いた。

 

「き……キレイだよ。世界の何より、誰より……祭りに来た皆が、しずくを見るために振り返るだろう」

「ムフフ」

 

 これ、親父さんとおふくろさんの前で言うのはちょっとハードルが高い気がするんだが。

 

 演劇部に羞恥心はない。これは演技でもなんでもない本音だから、少しは気恥しさもあるけど。

 

 実際、親父さんはめちゃくちゃニヤニヤしてることだし。何なんだこいつ。

 

 しずくは俺の言葉を聞いて、しばらく目を閉じて噛み締めていたようだった。やがて無意識のうちにといったふうに、逆上せたようにも見える、ふわふわとした足取りで俺に近づき、背中に手を回す。

 

「ありがと」

 

 口をとがらせて恥ずかしそうに感謝を述べるしずくを、俺は抱きしめ返す。

 

「鼻が高いよ、しずく」

「ん……」

「誇りに思う」

 

 見なくても分かる。今のしずくは、確実に表情筋が弛みに弛んで、弛みきっている。

 

「ムフ、やるじゃあないか花火くん」

 

 なにニヤけてんだ! さっきの威厳はどこにやったんだ、このッ! 

 

「しずく」

「んふふ、なぁに?」

 

 俺の肩越しに、しずくは幸せそうに笑いながら湘悟さんと話す。

 

「父さんは、認めたからな」

「……ん?」

「母さんも認めましたからね」

 

 肩につけたしずくの顎がこすれる。首を傾げたのだろう。

 

「まって、しずくホントに分かってない??」

「うん……何が?」

 

 またまたぁ〜、とばかりに、ご両親はしずくの背中を撫でる。

 

「分かってるクセに〜!」

「もぉ〜! しずくったら〜!」

「……えへへ」

 

 しずくは天然が入っているからか、今のが誤魔化しの演技なのか、本当に知っててとぼけていたのか、俺には分からなかった。

 

 抱きしめていた状態から少し離れて、しずくは俺の甚平を見る。

 

「花火くんも、すっごく似合ってるよ。アルバムで見た、若い頃のお父さんそっくり」

「…………」

「あら! 今でも貴方は若々しくて素敵よ!」

「いらんいらん、そういうの」

 

 あーあ。また拗ねちゃった。

 

 しかし、そんなのお構い無しにしずくは俺の頬に愛おしそうに手を当てる。

 

 しずくは「素敵だよ」だなんて目を見て言うもんだから、顔ごと逸らしそうになる。が、顔をがっちりホールドされているので出来ない。ますます恥ずかしくなる。

 

「わんっ」

「ん、なあに? 花火くんを褒めてくれてるの?」

「ホントかよ」

 

 お前まで褒めてくれるのかよ。もう素直に受け止めた方が早そうだな。

 

 しずくは、褒められるのは当然とばかりにオフィーリアの頭を撫でる。

 

「ふふ、カッコイイものはカッコイイもんね〜?」

「あ、ありがとな……ザーディクリカ」

「オフィーリアって言ってるでしょ〜〜!!」

 

 俺に極限まで近づいていたしずくは、俺が言い間違えた途端、すぐさま脇腹に手を入れてくすぐってくる。薄手の生地越しに、しずくの手がわきわきと動く。

 

「ちょっ、脇腹は! 脇腹はやめてっ! っひひ、ヒヒヒ!!」

「ここ弱いの知ってるんだから〜! んふふ、くすぐると可愛いんだよねっ」

「可愛くもかっこよくもない〜!」

「世界一かっこよくて可愛いの〜!!」

 

 しまいには覆いかぶさって、俺が可愛くてカッコイイことを認めるまでくすぐるのをやめないと、ジョナサンばりの精神でくっついてくるしずく。

 

 それを見る両親の顔は、先程とは打って変わって、なんならドン引きまでいきそうな表情だった。顔を見合せて、「……これで付き合ってないんだってさ、母さん」「私たちの倫理観の問題かしら」と心配そうに言う。

 

「俺たちが若い頃って、もっとぎこちなかったよな」

「ええ。手を繋ぐのにも一苦労でしたから」

 

 一応、俺も一苦労や二苦労したんだぞ。しずくの詰め方が強かすぎただけで。

 

「ふふ……花火くん」

「はあ、はあ……な、何だよ……」

「鎌倉、楽しい?」

 

 急な質問に、俺は少し戸惑いながらも、息を軽く切らしながら答える。

 

「……ああ、まあな」

「ん。なら、よかった」

 

 起き上がろうとした俺を、しずくは再び押し倒して抱きしめた。

 

 何の魂胆が腹にあるかは分からないが、安心したようなしずくの笑顔に、少なくとも嘘はなさそうだ。




いいよ、もう恥ずかしいよ。


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