片時雨の下手で   作:苗根杏

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#40 終わってねえよ

 

 

 最初にしずくを見た時の印象は、『俺とは真反対の人間』というものだった。

 

 一般オタクと、いいとこのお嬢様。キョロ充陰キャと、人望のあるコミュ強。炎と、雫。

 

 周りからは、まるで相容れないものかのようにも見えただろう。

 

 だが、違った。

 

 俺は、しずくとどこか似ていた。

 

 それも、月とすっぽんどころの話ではない。カヌレと干し柿くらい似ている。

 

 いや、似てるよね、カヌレと干し柿って。70%くらい同じだもん。食感とか。この前提が通じないと話が破綻しちゃうんだけど、分かるよね? この例え。

 

 とにかく。そんなしずくと一緒に舞台に立てるまでになって、俺は幸せ者だ。

 

「え〜、やっぱ陰キャばっかなんだぁ〜」

「テレビの俳優さんはキラキラしてるのにねェ」

「私たちの王子様は釣り合わないって! こんなとこじゃ役不足ってゆーかぁ〜?」

 

 そんなふうに考えていた時期が、俺にもあった。ただ今絶賛、地区大会の会場であるホールの前で、部長のファン(民度最悪)に絡まれている最中である。死にたい。

 

 何なんだ。陰キャが何をしたって言うんだ。何もされてないのにそこまで迫害するなら、俺はお前らのことをホーディ・ジョーンズと呼ばざるを得なくなるぞ。

 

 それにこいつら、髪は染めてるわネイルはバチバチつけてるわで、校則違反も甚だしいぞ。

 

 しかも、自己肯定感というか自尊心が高めの会話に出てきた言葉から察するに、バスケ部のマネージャーだそうじゃあないか。爪折れろ。ボールで。

 

「……はは……そっすかァ……」

 

 殴りてえ〜ッ。法律さえなければ噛み付いてたぞ。肩とかに。

 

 部長は自分でこの部を選んで、自分で役者の道に行ったんだよ。アンタらファンのくせに、何も分かってないな。そんな言葉を飲み込み、俺はなんとか穏便に済ませるために頭を回転させていた。

 

 そんな俺の横に、俺より少し背が大きい人が立った。

 

「うちの部員を笑うな」

「!?」

「あっ、やべ……センセ……」

 

 それは演劇部顧問だった。彼は俺をメガネ越しの瞳でギロリと一瞥する。

 

「陰キャではあるが、いい演者だぞ。あと穂村、お前もヘラヘラしてるんじゃあない」

「いやいや。あんな状況で荒波立てる方が怖いっすよ、俺は」

 

 ちゃんと怒ってくれるのは有難いけどさ。

 

「ちっ、陰湿ぅ〜!」

「校長に言ってやるんだから!」

「校長は髪染めてる生意気ギャルの方が嫌いだろ……」

「少なくとも、理事長は嫌いだろうな」

「言えてますね、ははっ。校則違反以前に最近の若者は〜とか言いそう」

「この前実際に言ってたぞ。僕とほとんど同い年なのに、ジジくさくなったもんだ」

 

 ぐちぐち言いながら去っていくギャルの背中を見て、陰キャ2人は好き放題にそこら中への悪口を言う。

 

 ホール外の集合場所に向かいながら、俺らはたわいもないことを話しながら歩く。隣の大ホールでやるらしいスクールアイドルのライブ目当ての客もいるので、そこそこに混んでいた。

 

「どうだ、調子は」

「まあ……そこそこ?」

「今から万全にしろ。お前の高校演劇の初戦だからな」

「勝てるでしょう。光良さん相手だと分かりませんけど」

「今回は都内の演劇部四天王である成田もいる」

 

 正直言って、成田は叉紋頼りの戦術が最近目立っている。全員が『自分0%型』の熱血系だからこそできる技かもしれんが、俺は俺で出来ることをやるだけだ。

 

 俺は『自分50%型』を会得し、修行を経て叉紋をせずとも『100%型』の戦い方をできるよう、つまり武器とその技のみで戦えるようになった。

 

 俺ならやれる。やるしかない。だって俺には、演劇しかないから。

 

「……お前、案外ふてぶてしいな」

「そうですか?」

「アイツにそっくりだ」

 

 ムッとする俺に、顧問は珍しく歯を見せて笑う。まるで自分の息子を見ているかのように。

 

「今も親父はふてぶてしいッスけどね」

「はは、変わらんな」

 

 遠くでしずくが手を振っている。涼し気なボブの髪が揺れている。

 

 秋の風が、俺の背中を押す。俺は顧問に目配せして、頷いたのを見てから、群がるジャージ姿の部員たちのもとへ一直線に走る。

 

「すんません、お待たせしました」

「少年、オーラがムンムンだね」

「そ、そうッスか?」

 

 俺は加齢臭でも確かめるように、緑色のジャージをつまんで嗅いでみる。しずくは「いいことじゃない、やる気があるぶんには」と笑っている。

 

「僕にはオーラどうこうはあんまり分からないけど、見るからにウキウキしてるぞ」

「先生まで!? ウソ、俺、顔に出やすいのかな……」

 

 そんな話をしている後ろから、ペースを変えずゆっくりと歩いてきた顧問が低い声を出す。

 

「ニジガク、集合」

 

 部員たちは返事をするより先に、整列するわけでもないがすぐさま顧問を半円状に囲むように集まる。

 

「いいか」

 

 顧問はどこを見ているのか分からないような目で、長い腕を組みながら話す。

 

「僕は高校演劇が好きで顧問をやっている。部活動が好きでやっている」

 

 随分と脈絡のない話をしだしたな。

 

「土日練習で出る金が日給500円でも。四十過ぎの身体に鞭打ってでも。僕は、部活の顧問をやめない。2年や3年は知ってるだろうが、こうやって顧問をできるのもあと何年だろうと言いつつ、ずっとこの部の担当をやっている……いや、やらせてもらっているんだ」

 

 かと思えば、うつむき加減になって、うんうんと軽く頷きながら話している。顧問、まさか涙腺に来たんじゃあねーだろうな。

 

「この経験は、きっとお前らを強くする。社会に出てからも……だ」

 

 うわ、やっぱそうだ。鼻声になってる。オイオイ、今から始まるのは地区大会、言わば第1ラウンドだぞ。こんな初戦から泣いてたらキリねーぜ。

 

「まあ……その……」

「顧問、ファイト!」

「もう少しだよー!」

 

 応援されてる。顧問、年取って涙腺緩くなったって言ってたもんな。

 

 顧問はようやくこちらをまっすぐ見た。

 

「頑張れ」

 

 そして、そんな絞り出したような声を出すのだ。

 

『はいッッッ』

 

 部員全員の返事が、ホール横でこだました。

 

「よし、各自練習してきなさい。集合は楽屋ね」

 

 顧問はひと息ついて、気分転換のためか、喫煙所の方に向かっていった。

 

 手が握られる感触があった。見ると、横にいるしずくだった。不安そうな顔をして、下を向いている。

 

「……なんとでも、なるはずだ。俺らなら」

 

 俺はしずくの手を引き、ホールからほど近い河川敷へと向かう道を行く。

 

「どこにでもついてくよッ、花火くん」

「んじゃま……練習しますかァッ……」

「行こうッ」

 

 気合い充分といった具合に伸びをするしずくに、俺は声をかける。

 

「なあ、しずく」

「ん?」

「ありがとナ」

「…………ん!」

 

 満足な言葉を介せずとも、彼女が喜んでいるのは伝わった。

 

「紅葉先輩〜ッ!!」

「応援してまーす!!」

「あっ……ふふ、こらこら。UOは公演中に使っちゃダメだぞ?」

「「はぁーい!!♡」」

 

 ふと遠くから、部長とそのファンの声が聞こえてくる。律儀に全員がペンライトを持ってる。使えないのに。ライブに寝そべり持ってくる人みたい。

 

「忘れかけてたけど、あの人『王子様系女子』だったな」

「校内で見かける時、常に2〜3人のファンと話してるんだよね……」

 

 そういえばしずくもアイドルとして最近名が知れ渡っているほうだ。しずくのファンもそこら辺にいるかもしれない。

 

 辺りを見回し、耳をすませてみる。すると。

 

「ねえ、アレ……」

「穂村の末裔だ……」

「あんなに堂々と歩いてて、恥ずかしくないのかな」

「『0%型』も身につけられなかった半端モンだってさ」

「てか『自分50%型』って何? 見たことないけど、型すら習得できてないのかね?」

 

 そんな声ばかりが聞こえてきた。俺の陰口らしい。

 

「…………」

「姿勢悪すぎ。あれで舞台立つの?」

「中学演劇ではブイブイいわせてたらしいが、過去の栄光だな」

「なんでも、学園祭は出なかったんだとさ……」

「……調子乗ってそう」

 

 複雑そうに口をつぐんでいたしずくは、俺の手を握る力を強める。

 

「花火くん、手は出さないでね」

「お前の方がよっぽど余裕なさそうだけど?」

「だってあんなのおかしくない!? 言われたい放題じゃん!!」

「いや、気にしてないよ」

「いいや気にするね、花火くんは。ましてや本番前っていう一番ナイーブになりがちな時期……あんなことを本人に聞こえるところで言うなんて、もはや誹謗中傷だよ」

 

 それは確かに。本人が繊細になる時間に陰口叩くなんて、ライブ前のアイドルに鍵なしメンション誹謗中傷となんら変わりない。

 

「本当に気にしないって。それに俺、あんま緊張しないんだよな。本番前」

「え? なんで? ちょっと参考までに聞きたいかも」

「うーん……なんというか、自分のことであって、自分のことでない……みたいな?」

 

 並木通りのように、遠巻きに俺らを見てコソコソと悪口を言う奴らが道の端にびっしりといる中で、俺はしずくを連れて堂々と歩く。

 

 まあ、言われ慣れてることばかりだし。今更気にするほどのことも言われてない。構っている暇がない、と言った方がいいか。

 

「素直にゲキバトルが楽しみってのはある。それに、今から舞台に立つのは俺だけじゃない。みんなもいるし、俺の役だって俺と一緒にいてくれる。いい意味で他人事のようにとれば、まあ……緊張も無くなる」

「……う〜〜〜ん??」

「ま、納得いかないよな。俺もうまく言語化できない。でも、なんか失敗するビジョンよりも、ポン刀持って相手の頸を斬ることしか考えられない。これが一番デカいな」

 

 首を傾げるしずくは、苦しそうに、「でも……楽しみなのは分かるよ」とだけ言う。

 

「ああ。とことん楽しんでやろーぜ」

 

 河川敷に渡る横断歩道の前で、しずくはお手洗いに向かった。俺は先に河川敷の場所取りをすることにした。同じ腹積もりの演者が山ほどいるだろうし。

 

 車が飛び交う、会場である都民文化ホール。都心なだけあって、そこそこ車の往来は多い。

 

 信号が青に変わり、俺は歩き出す。向こうにいる、見覚えのある顔に向かって。

 

 ソイツは青信号にも関わらず、じっとこちらを見ていた。ニタニタとイラつく笑みを浮かべて。

 

 性根と同じく腰がひん曲がっているソイツを、俺は見下ろす。

 

「どの面下げて来やがった。運動部LOVE学園長様ァ……卓球部は例外か?」

「来いと言われたから来たまでだ」

「アンタを? 誰がだよ」

 

 冷静に対応したいという思いとは裏腹に、文化祭直前のやりとりを思い出し、俺は巻き舌が強くなる。

 

 元ヤンとかじゃあないんだが、中学時代、師匠の周りに柄が悪い人が多かったからかな。これは言い訳か。

 

 ポケットに手を突っ込んで睨み合いをする俺の肩を、誰かが叩く。振り返ると、顧問がいた。

 

「学園長にその口のきき方は感心しないな。穂村主演」

「……顧問」

「心配になって後をつけてきたらコレだ」

 

 顧問はやれやれとため息をつく。俺は顧問と、ついでに学園長にも渋々アタマを下げる。

 

「下に見た相手にめっぽう強いな。燃と同じだ」

「え、親父もそうなんスか」

「……自分自身を値踏みしているのも問題だが、相手を下に見るのも、一度下に見た奴にオラつくのも感心しない」

 

 はあ、と学園長は深いため息をついて、こんなつもりではなかったんだが、と前置きをして。

 

「黒兎、こんな所に呼んで、何のつもりだ」

 

 お前、ノリノリで俺の事睨んでただろーが。

 

「いいえ。旧友の息子の晴れ舞台ですから、それを見せてあげたかったまでです」

「お前はタメでいい」

「……僕の許可を得ずに舞台を下ろさせたことは、今でも根に持っているがね」

 

 顧問の許可を得ずに? どういうことだ、と俺はばっと学園長の方を見る。相変わらずのしたり顔、ムカつくぜ。

 

「あれは全校署名の結果だ。燃もそれを望んでいる」

「……あァ?」

 

 ククク、と笑うジジイは、「親父が……?」と驚く俺を、何故か遠い親戚のような目で見ていた。俺の親族、そこそこ少ないし親戚ではないのは確かなんだが、なんだ? その目は。

 

 真意をつかみかねる俺の後ろから、横断歩道の向こう側から、声が聞こえる。

 

「花火くーん、いっしょに柔軟し……よ……」

 

 しずくは学園長と顧問と一緒にいる俺を見て、言葉に詰まった。お構い無しにオッサン達は話を続ける。

 

「お前の父親は、演劇人として死んだ」

「……だったら、何だって言うんですか」

 

 確かに親父は舞台から降りて、戯曲専門になった。だからなんだ。

 

「せめて息子は……私と燃、共通の願いだ」

「何、言ってんだ……親父がなんだって……?」

 

 いっさら分からない。どういう事だ。しずくも来てくれれば、少しはこの空気の緊張感も晴れるのだがな。俺はしずくの方を見る。

 

「ささっ」

 

 彼女は俺と目が合うと、電柱に隠れる。バレバレだ、バカ。

 

 学園長は、目を逸らした(ように見えた)俺の胸をグーで軽く突く。

 

「いずれ分かる。私の苦労が」

 

 知りたくもないね。お前の心なんか。

 

「ケッ」

「コイツにも、コイツのやり方がある」

 

 そう言った顧問に、俺は「それが、俺を舞台から下ろすことだったんですか?」と問う。

 

「…………」

「どうもきな臭ェ」

 

 黙認ってこったな、顧問。いずれこうなるであろうこと、分かってたんじゃあないのか? ダメだ、話が見えない以上、全てを疑ってしまう。

 

「お前が黒と言えば黒ってか? 背景はどうあれ、そのスタンスが気に入らねえ」

「私が青と黒と言えば青と黒なのだ」

「え、あのドレスの話してる?」

「あれ白と金にしか見えないけどな」

「あー、俺も顧問と同じ。絶対白と金だからあれ」

「いや、流石にあれは青と黒だ」

 

 錯視ドレスの話をしているところで、俺はしずくの方を見る。

 

「お前もそう思うよな? しずく」

「うぇっ!? ななな何っ!?」

 

 大きな声で驚くものだから、顧問と学園長が一斉に横断歩道の向こう側を見る。

 

「見ていたのか、桜坂」

「へ、ええっ……なんの事ですかねぇ」

「桜坂」

「……ち、ちょっと聞こえてきたけど、なんの事やら……私には分かりませんでした……」

 

 圧を放つ顧問に、しずくは両手を上げて降参だとばかりに横断歩道を渡ってくる。

 

「片手だけでいいんだぞ」

「いや、横断歩道渡るために上げてるわけじゃないから」

 

 俺の冗談に、呆れたように笑うしずく。彼女は、学園長の前に立ちはだかる。

 

「でも、相手が穂村燃や学園長であろうと、花火くんの覇道を邪魔するなら許しません」

「彼自身が相手でも、か?」

 

 学園長はニヤリとして、しずくに近づく。俺はしずくの肩を持ち、一歩下がらせる。

 

「それ以上近づくな。指一本でも触れてみろ、奈落に落とすぜ」

「……血の気が多いな、穂村の息子」

 

 親父にソックリだとでも言いてえのか。

 

 顧問は俺らの小競り合いにため息をつき、「ひとつだけ教える」と俺ら一人ひとりに目を合わせてから言う。

 

「……穂村燃と僕、そして学園長は『高校時代の同級生』だ」

「ッ!!?」

「ククク。驚いとる驚いとる」

 

 しずくは声にならない驚きを隠そうともせず、対して俺は「そういうことか」と眉間をつねる。

 

「コイツの父が学園長だった虹ヶ咲学園の前身、『願島学園』で、僕は彼らと会った」

「燃は……旧知の仲。私たちは、彼の願いを叶えたい。だからこそ、ああする必要があった」

「顧問が、花火くんを学園祭でクビにしたことに関わってるんですか」

 

 掴みかからんばかりに興奮、いや怒りをあらわにしているしずくに、「あれは学園長の独断だ。僕が関わっていれば、間違いなくそんな無理やりな計画は……」と顧問が言う。

 

 しずくもまた、何を信じればいいのか分からないといった感じだ。俺と同じ、だな。

 

 だが、お前を見て分かったよ。今、俺がすべき事。

 

「そんな顔するなよ」

「!」

 

 詳しく話す気はあちらさんも無さそうだ。なら、俺らができるのは、せっかくの舞台でヘマるわけにはいかない、できる限りの練習をすることくらい。

 

 今回の舞台でも、観客の感情をつかみ、舞台の王になること。それが今の、俺たちの使命。

 

「どんな顔?」

「目の前で犬でも轢かれたような顔だったぜ」

「随分酷いね!?」

「あ〜ぁ、随分酷い」

 

 しずくと肩を組み、俺はにっこりスマイルを彼女に向ける。

 

「未来の千両役者の、初舞台だぜ。浮かない顔すんなよ、見逃しちまうぞ?」

 

 少し呆然としていたしずくは、口をきゅっと結び、胸に手を当てる。

 

「舞台は生き物、だもんね」

「ああ。ひとたび見たものと同じ舞台は、二度とは見られない」

「…………打ち上がる花火、みたいだね」

「お? おおっ」

 

 な、なに、としずくは突然の俺のニヤケに驚くも、俺はしずくに指をさして。

 

「それいいな。アツいぜ、しずく」

 

 学園長と顧問が、同時に息を飲んだのが分かった。

 

 そうか。これ、アンタらの友達の口癖でもあったな。

 

「お前……それ……」

「……クソ親父の口癖がうつりました。失礼」

 

 一瞬固まったオッサン2人は、顔を見合わせ、それから同時に吹き出す。

 

「息子だな、やはり」

「久しぶりに聞いたな」

「だから言いたくなかったのに……」

 

 俺は気まずくなって、しずくの手を取ってから河川敷に向かう。

 

 あそこもまた、演劇人たちの巣窟。『演劇人のオーラ』がムンムンと立ち込め、それに敏感な人なら吐き気まで催してしまうほどだろう。

 

「失礼します。愛しのハニーが横で退屈そうなので」

「えっ!? ええ、いや退屈とかじゃ……というかまずハニーとかじゃっ……」

「違うのか?」

「っ〜〜〜!! ……ち、がわ……ない」

 

 オッサン2人は、何も言うこともなく、俺らを見送る。

 

 少し離れてから、俺は握った手と手の間にある汗が、ほとんど俺のものであることを自覚した。顔が真っ赤になる。

 

「恥ずかし……」

「花火くんが言い出したんでしょ!?」

 

 しゃがみこむ俺の背中を、彼女が撫でる。

 

「花火くん、よかったの? 割と言われたい放題だったけど」

「少なくとも今は、話が通じねー。顧問はともかく、あのジジイは脳まで運動部なんだ。こりゃ演劇を見せて、改心させるしかない」

「おお〜、心の怪盗団だね」

「まあ演劇部があるのは4だけど」

「5は部活どころじゃないもんね……ていうか4やったことないんだよね、面白い?」

「かなり面白いぞ、俺は好き。シリーズの中で雰囲気が一番あったけえんだよ、仲間が家族みたいで。あとザ・ゴールデンの追加ストーリーが良くてさあ」

 

 たわいもない世間話をする俺たち。しかし、しずくの俺を撫でる手は、どこかぎこちなかった。

 

「緊張するなよ」

「ん……そうは言っても……」

「スクールアイドルで慣れてるんだろ? 舞台に立つの」

「演劇、大会は初めてなんだもん」

 

 俺の隣に座るしずくは、少しだけ唇が震えていた。俺はその唇に人さし指で触れて、にこりと笑ってみせる。

 

 俺だって、久しぶりの大会だ。それこそ半年以上ぶりの。ダサいところを見せるわけにはいかないって、俺の少しだけのプライドが、貧乏ゆすりを加速させる。

 

「しずくならいけるって」

「……ありがと。ふふ、優しいね」

 

 立ち上がり、俺はしずくに手を差し伸べる。

 

「行こうぜ」

「うん。短音からでいい?」

「ああ、そんで長音、ドッグブレス、セリフ読み……」

「セリフ読み!? え、2人だけど!?」

「後の人のセリフは全部俺がやる」

「全部覚えてるの!!?」

「当たり前じゃん。セリフは会話だからな、他の人の分も把握しないと──」

 

 

#40

終わってねえよ

 

 

「せいぜい、青春とやらを楽しむことだ。穂村のセガレよ」

 

 学園長──鐘 嵐平(しょう-らんぺい)がそんなことを独りごち、彼らの向かっていった方を見る。

 

「お前、自分が学生時代に失敗したからって妬むなよ。いい歳だろ」

「失礼な。俺なりの忠告だよ」

 

 今は奥さんもいるんだし、お前はいいだろ。結局、僕が一番結婚するの遅かったし。

 

 しかし、こうして鐘と一緒にいると、あの頃に戻ったようだ。あの頃もまた、こうしてふたりで穂村の出る舞台を見に行ったものだ。

 

 横断歩道を渡り、僕も準備に戻ろうとする。鐘も学校関係者席に行くつもりだ。一緒に信号を渡ろうとするが、赤になってしまう。

 

 僕らは気まずくもない、特に珍しくもない沈黙の中、赤信号を前に立ち往生する。お互い元は無口だ、これもあの頃から変わっていない。懐かしいな。

 

 あとは、アイツさえいてくれれば。

 

 信号が青になり、渡ろうとする僕ら。しかし。

 

「お〜っす、顧問様に学園長様ァ〜?」

「!!?」

「あ……!?」

 

 タクシーから聞こえた声に、僕と鐘はビビってしまう。ここにいるはずのない男の声だったものだから。

 

 そいつは「あー、お釣りいらないッス。取っといてください」と言いながら、ピン札の諭吉を渡し、タクシーから降りる。

 

 のらりくらりとしつつも、どこか堂々とした歩き方。その琉球王朝に伝わる奥義・御殿手のような出で立ち、半分だけ白くなった髪。そして、花火によく似た目。

 

「ん、どうしたよ? 化けて出たような顔して」

「……な……」

「貴様……!?」

「よっ! 来たぜ、黒兎(くろと)ッ」

 

 僕の名前を呼ぶ彼が、当たり前のようにそこにいるのが、信じられなかった。ここ数年、多忙で姿すら見せなかったものだから。

 

「お前が呼んだのか! 何の手回しをしたんだ!」

「してない! まさか本当に来るとは思わなかったんだよッ! あの招待は保護者への社交辞令のようなもので……ッ」

「おいおい、呼んどいてそのリアクションはないぜ……」

 

 遊び半分でコックリさんをやったら、本当に指が動いてしまった時のように、僕たちは慌てる。何しろ数年ぶりの再会だ、少しテンションも上がっていたのだろう。

 

 いや、違うな。僕に関しては、花火と会わせないようにという思いが、ほんの少し、ほんの少しだけ過ぎっていた。今の彼はちょいとばかしナーバスだからな。

 

 俺と鐘は、周りのどよめきの声が響く河川敷の前、彼を同時に見て言う。こんな所に普通に来るなよ。変装しないと騒ぎになるだろうが。『ハイパー千両役者』の自覚を持てよ。

 

「来てもらって何だが、こんな朝から何のつもりだ?」

「我が校の公演は午後だぞ……『穂村』ッ」

 

 彼は「何のつもりって、決まってんだろ」と頭をかく。

 

「授業参観だ。穂村(うち)のセガレは何処にいる?」

 

 




俺たち、どっちが正しいと思う?

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