片時雨の下手で   作:苗根杏

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#41 一礼

 

 

 この三ノ宮光良は演劇が好きだ。演劇をやっている自分さえも、好きになれるから。

 

 演劇をできない自分なんて、価値がない。演劇部に貢献できない弱いオレはいらない。

 

 そして海老原学院は、こんなオレを拾ってくれた。中学演劇の頃の功績を買ってくれて、スカウトされた。

 

 奇しくも当時4月、オレより少し後だったか、絶望に打ちひしがれて擦れていた穂村花火もスカウトされて虹ヶ咲の演劇部に入ったらしいが、運命とも何とも思わない。

 

 その時のオレからすれば、彼ほど絶望的な状況でもないのに、演劇部側からオレを出迎えてくれたことが、何よりも演劇が生きる意味という実感を強くした。

 

 海老原には恩返しが必要だ。

 

 そして、強い演者と戦いたい。戦って、勝って、楽しんで。好きな演劇を思う存分味わいたい。限りある学生生活の中で、輝いていたい。

 

 ああ、本番前は思考が散らばる。要するにだな、オレは楽しみながら勝ちたい。勝って、オレの存在を証明する。オレはここに居ても、ここで生きていてもいいんだって、証明してやる。虫のいい話だろう? 

 

 さて、楽屋に通じる廊下に、知っている顔を見つけた。後輩、氷室古織だ。

 

 どうやら何らかのインタビューを受けているらしい。しかし後輩は乗り気では無いらしく、あわあわと抜け時を待っている。

 

 どれ、助け舟を出してやろう。おそらくあれは演劇部の大会ごとに、その大会を主催している都の演劇研究団体が出す『高校演劇人のあゆみ』という新聞、またはブログの取材だろう。

 

 少々しつこいやり口から、現役高校演劇部員からは煙たがられているが、オレは特に何も思わない。むしろああいう所で名前を売っておかねば、この業界で知名度を上げる手段など他にろくにないのをオレは知っている。

 

 さて、彼女の後ろに行き、インタビュアーと目を合わせる。精一杯の笑顔を浮かべて。

 

「うちの氷室に、何か?」

「え? ……ヒッ」

 

 目が合った瞬間、インタビュアーはしっぽを巻いて逃げ出した。

 

「失礼しました先生ッッ」

 

 あんなに驚かなくてもよかったのに。というか、先生って。

 

「オレは顧問じゃないんだがな。そんなに老けて見えるか?」

「あ〜……高校生にしては大人っぽいという意味では……」

「やっぱりかあ……」

「褒め言葉ですよ! ええ! あと今の笑顔も威圧的でよかったです!」

「…………」

 

 それは明確に褒め言葉じゃあないな。オレ的には普通に笑っただけなんだが。手鏡を出し、メイクが崩れない程度に口角を上げてみせる。

 

 前言撤回。怖いわ、オレの笑顔。舞台で見せる表情筋には自信があるのだが、私生活ではこれだから困る。

 

「あ! そ、それより見てください! 今回のパンフ!」

「チラシな」

「どっちでもいいですよ! ほらっ、これ!」

 

 古織は『高校演劇人のあゆみ』と同じく、都の演劇研究団体が出している一般のお客様向けのチラシを出してくる。

 

 ここにはタイムテーブル、各校の演目、大まかなあらすじ、役と演者、協賛企業、ちゃっかりした関係のない地元の企業の宣伝などが書かれている。

 

 オレはそれを受け取り、ペラペラとめくってみる。成田はやはり竜符が主演か。この美家というのも、そこらじゃ名の知れたヤツだ。クオリティの高い戯曲を生み出すことで評判が高い。

 

「……この水無月や山科というやつは聞いたことがないな。1年か」

「ですね。駒女も強い人が勢揃いです」

 

 駒田女子は強いには強いんだが、今年はホール関係者に怒られないかどうかが心配だな。毎年リハにないめちゃくちゃをやらかすもんだから。

 

 藤黄はダブル主演。新入生の、火糸(ひいと)目足(めたる)と言うらしい。どうやら初夏の交流大会で、いやそれ以前からか、虹ヶ咲に並々ならぬ因縁があるようだが、今回は思う存分先輩たちの力を借りて暴れられるかどうかといったところ。

 

「二人で主演。そういうのもあるんですね」

「こうでもしないと、一年が単独で主演なんてやってられないだろうからな」

 

 そう言うオレの頭の中には、叶って欲しくない例外がいくつか浮かんでいた。いくつかというか、ふたつ。

 

 他の高校をペラペラと読み進めるうち、オレはあるページで手を止めた。虹ヶ咲学園のページだ。

 

「ニジガク……」

 

 脚本は去年・一昨年に引き続き鈴虫修舞さん。

 

 相変わらず鈴虫さんは意味のわからん戯曲を書くな。今回も『悲劇爆発!! ロミオ仮面』とかいうよく分からん題名だ。彼が商業作家であることを知らなければ、こんなのふざけてると審査員に見る前から一蹴されるだろうな。

 

 そのひとつ下にある、主演の演者名。そこをオレは少し手を震わせて、恐る恐る見る。薄目で。

 

「……やはりか……ッ」

「主演……『穂村花火』、ですね。一年生単独での主演、ということは……」

 

 チラシを覗き込む古織は、オレの顔をチラッと見て。

 

「ああ、ヤバい演者だ。要マークということだ……」

 

 主演はおそらく、2年か1年。オレとしては桜坂しずくとやらのダブル主演でなかっただけいい方だと思っている。

 

 ゲキバトルにおいて『主演演者』の持つ素のパワーは底上げされる傾向にある。それは本人の矜恃によるものであったり、脚本での優遇度合いであったり、理由は様々だが。

 

 オレが穂村花火に主演になって欲しくないのは、単純にヤツが目立ちたがり屋だからである。誰よりも舞台で客の感情のコントロールを握ろうとし、自分を目立たせようとする。そんなヤツが主演になれば、ゲキバトルで強くなることなんて容易に想像できる。

 

 ただでさえ蛇崩神楽の弟子、穂村燃の息子という立場に見合う実力を持った男だ。ソイツがオレに……恐らく、いや必ず、勝負を仕掛けてくる。名脇役と言われてはいるが、未だ中学の頃から主演になったことのないオレに、だ。

 

「先輩も前に言ってましたもんね〜、穂村って人がすごいって」

「呑気に感心している場合じゃあないぞ。古織」

 

 ヘラヘラ笑う古織が、オレの言葉に首を傾げ、俯くこちらの顔をのぞいてくる。

 

「先輩〜……?」

「……よく見ておけよ。あいつを見れば、努力が才能に負けることが分かる。いや、努力でも……俺は……」

「えっ、そんなに? いやいや先輩も……」

「俺はアイツの足もとにも及ばないッ。たとえアイツと同じくらい努力したとしても、だ…………少なくとも、人を楽しませる気持ちでは負けたくないのにッ……しかし、どこに行っても、必ず天才はいる。悔しいが、な」

 

 あれこれ思考を巡らせていると、オレらの正面から、気配。単に人の気配がしたわけではない。大きく強大な『演劇人のオーラ』を察知したのだ。

 

 燃えるようなアツいオーラ。オレはこんなのを持つヤツは、燃さん以外には居ないと思っていた。中学の頃までは。

 

 オーラに敏感な古織が、まず顔を上げる。そして口をおさえ、驚いたような仕草。まさかとは思いつつも、オレもそちらを向くと。

 

「!!?」

「……来たな」

「おはようございますゥ」

 

 虹ヶ咲学園の主演が、呑気に笑いながらこちらに手を振っていた。

 

「元練馬二中の、三ノ宮光良さんですよね」

「……ああ」

 

 やけに他人行儀な彼のオーラに、古織は気圧される。古織は冬の空のように澄み渡った水色のオーラだ。しかし、それが花火のオーラと混ざりあった瞬間、溶けるように、歪むように、彼のそれに飲み込まれる。

 

「どうかしたのかい」

「ッ!!? いっ、い、いえいえ! 何でもありませぬよぉぉ……?」

 

 ビビり散らかした古織は、オレに耳打ちをしてくる。

 

「だだだ誰ですかッ、この人……お知り合いですかぁ……?」

「主演だ」

 

 その一言を聞いて、古織は納得したような、それでも飲み込めないような、そして吐きそうでもある、複雑な顔をして彼を見る。

 

 彼自身はなんでもないように。

 

「ご無沙汰してます。第8回中学演劇講習会都の部以来ですよね? ヤクプ・カツ役を演らせてもらった……穂村花火と申します。あの時はアブラム・ベーカー役でしたよね? どうもありがとうございました……」

 

 何をとぼけているんだ。オレは彼の意図が読めずに、試しにジャージの胸あたりを思い切り掴んで揺さぶってみる。

 

「わざとらしいな。ついこの前オレと演りあったクセに」

「なんの事でしょう」

 

 彼のニヤニヤ顔が鼻につき、乱暴に彼を手放す。後ろから、つまり海老原の楽屋の方から、ドアが開いて野次馬が出てくる音がする。オレらの周りのヤツらがざわついているせいだろう。

 

 こんな小さい舞台でやりあうつもりはない。というか、現実世界で戦う気はオレにはない。とりあえず穏便に話でもしてみよう、彼に話を合わせて。

 

 と、思ったんだがな。オレらの周りを、先輩、同期、後輩を問わず多数の海老原生が囲む。花火を睨みながら。

 

 オレは彼と古織を壁側に追いやり、守るように片手を花火の方に、もう片手を古織の方に広げる。

 

「……あのぉ、皆さん……何を……??」

 

 困惑する古織。当たり前だ。巻き込むなよな、ったく。

 

「……お前ら、何故こいつに襲いかかろうとした」

「ちょ、そうですよ! 何なんですか先輩たち!」

「光良さん……だって、コイツ!!」

 

 後輩のひとりが声を荒らげて、花火を指さす。

 

「アンタに一方的に路上即興演劇を持ちかけて、卑怯な手段で負かしたヤツですよッ!!!」

「……ん? はい?」

 

 お前らがそう言う気持ちも分かる。先輩方もだ。古織はいまいち状況が分からなかったが。

 

「ウチは個人的な路上即興演劇も禁止なんだ。それが顧問に伝わり、光良さんはッ……光良さんは!!」

 

 古織は自分の同期の言葉で、何かを察する。オレに「あの……この前、路上即興演劇で負かされた相手というのは……」とコソコソ話しかけてくる。

 

 ああ。そうだ。オレが試合を吹っ掛けたその日、オレと花火の試合は『学生同士の路上パフォーマンス! まさかの即興!?』や『虹ヶ咲VS海老原、お台場で2人だけの決戦』といった見出しをつけられ、瞬く間にSNSやクチコミで拡散された。

 

 自分で言うのもなんだが、そのクオリティ故にふだん演劇を見ない層からも支持を受け、影響はかなりの広範囲に及んだ。その話が顧問の耳に入り、オレは主演を下ろされた。

 

「いい、やめろ。オレから仕掛けたんだ」

「かばわないでください!! アイツが仕掛けたんでしょう!? 何故そんなウソを!!」

「そうそう、光良さんから仕掛けたの。負かしたのは俺だけど」

 

 オレと肩を組む花火。彼が喋った途端、海老原生はものすごい勢いで彼を糾弾する。

 

「あんたは黙ってろ!!! この恥知らず!!!」

「それでも穂村の血を継ぐ者か!?」

「うわ、1ミリもこだわりのないとこで挑発された」

「こだわりはあれよ」

 

 燃さんの顔に泥を塗る気か、花火。

 

「光良さんまでそんなこと言うんですか? 知ってるでしょう。クソ親父のメンツなんて俺が知ったこっちゃないんですよ」

 

 そうか。そういえばコイツはこういうヤツだったな。

 

「……てか、そう伝わってるのね〜ん……だからとぼけて隠したかったんだよ……」

 

 花火は頭をかきながら、少し考えるような素振りを見せて、それからオレに頭を下げる。それはもう深々と。

 

「そんなルールがあるとは知らず、すみません」

「……謝るのはこちらの方だ。オレが仕掛けたのは事実。それでオレが報いを受けるのは分かりきっていたことだ」

 

 そうやって頭を下げた方が、ここにいるヤツらは落ち着くだろうが、お前が謝ることはひとつもないんだぞ。こちらのルールも知らなかったみたいだし。

 

「報いって……ホント、新撰組ですか? 個人的な試合禁止って」

「さしずめ顧問は近藤勇かな」

「……人望があるってのも大変そうですね。沖田総司さん」

「本当にすまない、どこかで行き違いがあったようだ」

「いーやいやいや、へへ……別に卑怯な手を使ったことは間違いじゃ……」

 

 頭を下げたままヘラヘラと笑う花火。

 

 その下がったドタマ向けて、丸めたチラシの打撃が一発。照田(でるた)先輩だ。

 

「……えへへ」

「穂村花火!!」

「穂村さん!?」

「二度と演じられない身体にしてやるッ!!」

 

 頭を上げてなお、へたれた笑みを浮かべる花火に向かって、先輩が今度は素手で殴り掛かる。

 

 おいおい、顔いく気だぞ。これから大会だって時の主演に、顔の傷をつけようとするのは間違いなくタブーだ。

 

 完全に頭に血がのぼってるな、照田先輩。下手なクセにルールには人一倍敏感な人だ。ったく。オレは手でその拳を受け止めようとするが、それよりも先に。

 

「よっと……」

「!?」

 

 花火はその拳を手のひらで受け、というか軽く掴み、それを素早く下へとやる。

 

 バランスを崩した先輩は、それでももう片方の手で殴ろうとする。

 

「光良は千両役者の器だ!!」

 

 しかし花火はまた、手を回して拳をかわしバランスを崩させ、とうとう先輩を倒れさせてしまう。

 

 今の花火の技は、おそらく回し受けだ。愚地独歩曰く、『受け技の最高峰』。その気になれば火炎放射器を相手にしても無傷で切り抜けることができる。

 

「すみませんね。殺しに来た奴と友達になる、というのが尊敬する先生の教えでして」

 

 それは渋川剛気だろうが。刃牙の受け売りを話す花火は依然として表情を崩さず、彼に対して握手を求める。

 

「仲良くいきましょう」

「舐めてんのか……」

「はは、俺に勝てないだろうとは思ってますよ? というか、あんたらがニジガクに勝てるだなんて微塵も……」

 

 腰を曲げて握手をしようとした花火のケツを、後輩が蹴った。うん、今のは蹴られて当然だ。花火は照田先輩の上に覆い被さるようにうつ伏せに倒れる。

 

 チャンスと見たウチの輩は、彼の背中や頭を踏みつけはじめる。

 

「うげっ、あっ、いてて」

「落ち着いてくださいッ、話せば分かります! ちょっ、こうやって力に頼らないのが文化部じゃないんですかぁ!?」

「ちょ、あの! 俺が下にいるんですけど! いってえ!? 俺のこと直接踏んだって今!!」

 

 下に照田先輩がいることにも気付かずに。うわあ、痛そう。

 

 古織がなだめようとするも、完全に囲まれている、かつ自分も踏まれるかもしれないので割り込むこともできず、おろおろとする。

 

 照田先輩も踏まれてるのが余計ヤバいな。オレは大きな声で花火を踏みつける群れを制する。

 

「おい、その辺にしておけ!」

「だって!! 光良さんを前にヘラヘラしやがって、このクソ坊主!!」

「偏差値も負けてるクセに……バカが主演になったから!! 調子に乗ってるンすよ!!」

「古織の言う通りだろう! オレはこういう野蛮なことをしないのが演劇の好きなところなんだ! 学生運動に先祖返りする気か!」

 

 偏差値は確かに海老原の方が上回っている。が、お前ら鈴虫さんよりも上手い戯曲書けねーだろうが。花火に勝てるとも思わないし。あんまバカにするなよ。ウチが偏差値69だからって。

 

「オレがいいと言ったんだ。それにコイツは、オレの昔からの知り合いなんだ……悪く言うことは、オレが許さない」

 

 オレがそう言うと、徐々に全員の熱が引いていき、ぞろぞろと俺の後ろに集まっていく。

 

 すまんな、みんな。わざわざウチより偏差値的にも演劇的にも弱いとこに入って、コイツは成り上がってきたんだ。それをここで潰すなんて、冗談じゃあない。

 

 ……お前も海老原に入っていれば、オレと共に全国優勝を目指せたのにな。

 

 今からでも遅くない。虹ヶ咲を捨ててウチに来い。そう言いたいのを、どれだけ堪えたことか。同じ高校でもライバルとしては高めあえるはずだ。蛇崩神楽とあの暴走族女のように。

 

「ホントに知り合いなんですね」

「まあ、ちょっとな」

「そうそう、ちょっとね。貴方は?」

「あっ、光良さんの後輩です!」

 

 初対面の古織と花火が挨拶をする。花火が握手を求めると、古織は少し困った顔をして、おそるおそると手を握る。

 

 こいつは『演劇人のオーラ』に敏感だからな。花火の強いオーラに気圧されているのだろう。

 

「よろしくお願いします。1年なのに主役やってるって聞いて、会ってみたかったんですっ」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 今となっては会ったことを後悔しているだろう。勿論オレもだ。こんなヤツを目の前にして、自信を無くすなというのがおかしい。今年から始めた演者であればあるほど、だ。

 

「あなたは殴らないんですか?」

「えっ……いやあ、今の話は初めて聞いたけど、なんか……光良先輩が違うって言うなら、違うんだろうなって」

「へへ、ありがたいッス」

 

 そうは言っても、周りを囲む他のヤツらはどこか物言いたげにこちらを見ている。握手なんかするなって話だよな、他の高校の人間と。

 

「納得いかないようですねえ、あなたの部員さん」

「……花火、アレやってみせろ」

「ええ〜? なんかやり返したみたいでイヤですよ」

「力の差を分からせてみろ。俺に勝ったんだろ」

「いやいやいや、昔は手も足も出ませんでしたし。尖ってた時期だったもんで……あっ、あの時は本当にごめんなさい」

「今更謝るなよ。オレこそ精神的に弱くて、あんなことを……すまなかった」

 

 あくまで温厚な人間であることを通すつもりか。オーラでバレてるぞ。今すぐにでも演り合いたいってさ。

 

「それより、見るべきは後ろだ」

 

 花火の後ろからかかってくるは、不意打ちで『高校演劇人のあゆみ』を丸めて頭を叩こうとする後輩。

 

 やれやれ、といったような顔をした花火は、渋々『刀を握る』。

 

「はは……」

 

 花火の手には何も握られていなかった。しかし、確かに見える。演者を長いことやっていれば、かつゲキバトルの中での花火を知っていればこそ、彼の手に握られている日本刀『千本桜』は見えるはず。

 

 振り返り、見えない刀を相手の首に向かって一振り。すると、オレの後輩は「ッ!!?」と動きを止める。

 

「千両役者の器、とかさっきの奴が言ってたな」

 

 続けざまに頭から股までを『八文字』。

 

「馬鹿らしい」

 

『喉』を一突き、左肩から右脇腹を『大袈裟』。

 

「天高く馬肥ゆる秋。今日の最高気温は24度。頭をやられる気温でもないぜ」

 

 身体の前半分と後ろ半分を分けるように、胴体もろともの『面割り面頬』。

 

「そういうのは、俺の1000度の炎を食らってから言うんだな」

 

 胸と腹の間を横薙ぎに『本胴』。

 

「海老原諸君……誰だったら……」

 

 片膝立ちでしゃがみ込んだところを、すかさず『敷き袈裟』。

 

「誰だったら千両役者になれるんだい?」

 

 そして肩からもう片方の肩までを『太々』。

 

 7対0。完全に花火の勝ちである。

 

 見事な斬り様だ。オレの後輩は、ひとつの傷もないまま、ゲキバトルで倒されるかのようにその場に崩れ落ち、気絶した。

 

「……いけたか」

「!?!?」

「あー、ごめんなさいね。キミの同級生? 止まってたもんだから、沢山斬っちゃいました」

 

 花火は古織に、謝る気ゼロの謝罪を形だけ見せる。そしてその手に確かに見えはするものの、持っていない日本刀をサヤにおさめ。

 

「『自分50%型』って、役と自分の境界線も曖昧なら、現実と虚構の境界線もけっこう曖昧なんですよ。だから……」

 

 プリクラでも撮るかのように、彼は笑顔でピースしながら。

 

「ちょっと持ち出せるんですよね。武器♡」

 

 聞いたことがある。『甲斐初音流(かいはつねりゅう)・透明暗殺術』。蛇崩神楽が第二世代の終わりに発明し、穂村花火が今まさに第三世代の荒波の中で昇華させようとしている、『甲斐初音流』において唯一、現実でも使える技。

 

 相変わらず、頭では理解できても、心では困惑するな。花火自身が相手を認識するだけで、演劇人相手であれば発動可能。相手がゲキバトルをしたことがある人間であればあるほど、この幻術の強さは上がる──らしい。

 

 オレも一度、神楽にやられたことはあるが、本当に斬られたかのような衝撃があった。ゲキバトルの中よりも死を身近に感じるほどの、みなぎった戦意を喪失させるほどの、とんでもない技。

 

 現実世界で斬られる、ということは、ゲキバトル世界と違って本能的な恐怖に加え、明らかな『空想が現実へと侵入してくる感覚』を味あわせる。

 

 なればこそ花火が、現実の人間ではなし得ないような恐ろしいことをやってのけるバケモノに見えるのだ。

 

「実力の差が分かったら下がれ。少なくとも現実では、コイツに勝てない。やるならゲキバトルにしろ」

「対戦お待ちしてまーす! へへへ!」

 

 煽るなよ、とオレは花火の背中を叩く。

 

 そして、海老原の人間はオレと古織以外、楽屋に素早く閉じこもった。

 

「そういえばお前、なんで久々の再会みたく来るんだよ」

「え? なんとなくっていうか、なんかそういう気分だったから……」

「ええ!? 普通に話し始めた!!」

 

 なんとなく、ってなんだよ。そんなに仲がすこぶる良いってわけでもないだろ、オレら。

 

「……そうか」

「光良さんも一芝居、どうです?」

「オレはいい、気分がノらないからな」

「ウォーミングアップには、光良さんが丁度いいと思ったんですけどね」

「ナメてるのか」

「あなたくらいしか手応えないってことですよ、すぐ戦えそうな相手に」

 

 古織はオレらの会話を、まるで夢の中のような心地で聞いているようだった。どこか遠くの国の話でも聞いているかのようだった。

 

 花火は再び、オレに向けてよそよそしく話しかけてくる。

 

「いやいやどうもね、すみません。偶然ね、懐かしい背中が目に入ったもので。今日、自分たち一番槍なので。よかったら見てもらいたいな〜、と思いまして」

 

 また茶番をやるつもりか。オレはヤケクソで買い言葉を返す。

 

「……貴方の劇なら、金を払ってでも」

 ノってきたな、光良さん。

「そんなそんな! いや、まあでも今回は、自分の周りの先輩たちもスゴいんで、楽しんでもらえるかと」

「それは……どういう?」

 

 彼は胸をドンと叩き、古織、そしてオレに向かってアツい眼差しを向けてくる。オーラがまた一段と強くなり、ニヤリと不敵に笑う花火に、古織はえずきを漏らす。

 

 何度も、何度も。まるで眠っていた心臓を呼び起こし、血を、脈を動かすかのように、自分自身を叩き起こすように、彼は自分の胸を叩く。

 

 オレもまた、今にも吐きそうになる。暑苦しい。紅いオーラがオレら、廊下、そしてホールそのものを包みかねん。

 

自分(おれ)だけが凄いわけじゃあないってことッスよ……つまりは昔より、『ホンキ出しやすい環境』ってことッス。それに、今回の俺は『助かろう』じゃあない。『勝とう』なんですよ……いいえ。正確には、俺はここに競いに来たわけでもない。もはや勝ち負けも最終的には関係ないのです。俺は、『演じに』来たんです」

 

 花火は背中を向け、手をひらひらと振る。

 

「じゃ、ごゆっくり」

「……昔より堂々としていらっしゃる。これは敵いませんな」

「フフ♪ 思ってないくせに!」

 

 堂々と歩く彼の背中に、オレは鬼の顔を見た。かつて鬼神のごとき活躍を見せた、燃の影を。これは本人に言ったら怒られるだろうが。

 

 背中を向けたままの花火は、「『栄光の第二世代(じだいおくれ)』よ……いざ尋常に、舞台の上で」とつぶやく。

 

 オレらだけに言ったわけではないだろう言葉に、オレは微笑み「気楽に演ろうや、『カタチも定まらぬ第三世代(あかんぼう)』」と返す。

 

 歩いていく彼の姿が見えなくなると、古織はふらりと崩れ落ちてしまう。オレはすかさず、古織の方を見ずに手を握ってやる。

 

 息が荒い古織は、「先輩……」とか細い声を出す。

 

「……オーラ、感じました?」

「ああ。逃げたかった」

「何ですかアレはッ!? 高校生なんですかあの人……! 老けてるとかじゃなくて、なんか……もう!」

「俺の、ひとつ、下だ」

「………………」

 

 言葉を失った彼女は、震える手で『高校演劇人のあゆみ』を再び手に取る。

 

「アイツは、自信があった。矜恃があり、それを示すための努力と経験があった……俺はそれを知っているッ……」

「でも! あんなオーラって!」

「有名動画配信者が何故スタァになるか知っているか! アレは視聴者に担ぎあげられた、自信と勇気、そして自身の努力で得たオーラだ。視聴者のプラシーボなどではない、人は褒められ、崇められ、奉られればスタァのオーラを纏える……何も出来ない奴でも……」

「…………彼は、どうなんですか」

「アイツは違うッ!!!」

 

 オレもまた、抑えていた恐怖心が声量にあらわれ、溢れ出す。オレだって怖いさ、あんなわけのわからない技を見せられたら。

 

「勝利にはあらゆる要素が必要となるが、俺が思うに……『信念』。これが、勝利への最も大きな一歩になる。あいつは、勝とうと……負けないでも、生きようでもなく、勝とうとしている。それに……」

「それに?」

「……アイツは褒められるのが苦手だ。人の褒め言葉を鵜呑みには絶対にしない。だからこその向上心もあるんだろうが、通常の役者の成り上がり方は絶対にできない精神性なんだ」

 

 震える手で、メガネをかけ直し、オレは昔のことを思い出す。忘れもしない中学2年生の頃、彼と初めて会った、初めて戦った、そして初めて負けた時のことを。

 

「昔の、夏の講習会での事だ。いかにも貧弱そうで、キレのある動きも出来そうにない奴と同じチームになった……後の『生ける中学演劇の歴史(ア・リビング・ゴールデン・ヒストリィ)』だ」

「そういえば、今の彼はそこそこガタイは出来てましたが……」

「鍛え直したんだろうな。初めて会った時のヤツは、まだごく普通の中学生と言えたよ。人混みの中ですれ違っても、挨拶を忘れてしまいそうなほどに……彼は、オレに挨拶をしてくれた。何故だろうな」

 

 自嘲混じりの言葉に、古織はハッとしたようにこちらを見て叫ぶ。

 

「先輩にもオーラはありますッ!!」

「お世辞でも有難いね」

 

 しまったな。今会うべき相手ではなかった。完全にオレの手から、(あふ)れていたはずの自信が、(こぼ)れるような形のない自信に変わっている。

 

「発表当日。彼は、別人だった。今の彼と同じだった」

「!!!」

「……高校に上がって。もう既に、彼は『演劇人』になっていたんだな。俳優でも、パフォーマーでもない……舞台に立つべき者、『演劇人』なのだ…………」

 

 古織。お前はあそこに立て。あいつと肩を並べられるように。

 

 そう言いかけたオレの肩を、古織は立ち上がって持ち、揺さぶる。

 

「私は!! ……先輩の演技、大好きですよ」

「……よしんば、オレが東京2位(セカン)だとしたら?」

「光良先輩は日本一ですッッッ」

「!!」

 

 自信のなくなった言葉に、古織は鼓舞を迷わず返す。

 

 お前こそ自信がなくなっていてもおかしくないのにな。大した演者だよ、お前は。

 

「……あなたがいずれ率いるであろう、海老原も……日本一になります」

 

 ふと、その言葉でオレは当初の目的を思い出す。そうだ、海老原を日本一に連れていくのがオレの目的、目標だった。

 

 たとえオレが彼に負けたとて、それは海老原の敗北ではない。実際、オレは彼にこの前負けたばかりだが、目的だけは変わってはいない。ただ、オレが彼のライバルに相応しいかどうか、少し揺らぎが生まれているだけで。

 

「お前みたいなのがいるだけ、オレは幸せ者だな」

「他人と比べて自分をはかるのは分別智です」

「……難しい言葉、知ってるな」

 

 古織はオレの背中を優しく叩き、苦し紛れにも見える笑顔をオレに向ける。

 

「先輩! ボコしましょう、ニジガクのヤツらをッ! 私と……いえ、私たちで!!」

「……やれるだけの全てを出し尽くすッ。こちとら去年は銀賞だぞ! 銅賞に負けていられるかッ!」

 

 オレは楽屋に戻り、「絶対、勝つぞ」とだけ部員に伝えた。そこでようやく、オレらの目的はひとつになり、ホールごと揺れるような鬨の声が上がった。

 

 

#41 一礼

 

 

「予想外の宣戦布告してきちゃったな」

 

 廊下を歩きながら、少しやりすぎてしまったと脳内反省会をする俺。その手前から誰かが歩いてきた。赤いメガネ、三つ編み。虹ヶ咲の制服。

 

「背筋が伸びていませんね。自信を持ってください。あなたはこの部で一番の演者です」

 

 いや、一番は部長っすよ。と言う前に、眼前の違和感ある存在に、言葉を吐くのをやめてしまった。

 

「応援をしに来ました。花火さん」

「中島さん」

「あ、中川です。銀の龍の背に乗ってません」

「なんか、アナタ……」

「んっ? え? な、何か……?」

 

 虹ヶ咲学園生徒会長、中川菜々であった。微笑む彼女の言葉に心理学ロールをし、嘘はないことをうっすら感じた俺は、なればこその違和感に顎をこする。

 

 こんなクソ地味な部活の応援に来るとは意外だ。そう思って、俺は会長をまじまじと見る。それだけいい人ということか。演劇部にも目を向けてくれるだなんて、いい人に決まっている。

 

 普通に会長の額や頬には汗がめちゃくちゃ出てはいるが、気にしないことにした。

 

「まあいっか」

「きょうめよ!! 興味を持てよ、で、きょうめよ!!」

 

 しん、と静まり返る廊下。そのうち会長は、承太郎に『鼻の頭に血管が浮き出る』と言われた時のように、しまったと顔をおさえ。

 

「ハッ!」

「うーん、やっぱりか」

 

 そのネタはラーメンズ第11回公演『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』の『エアメールの嘘』のセリフだ。

 

 さて、前々から俺は感じていた。中川菜々は、優木せつ菜ではないのかと。

 

 だってこの前の昼、俺と天内でデュエルしてたら見回りしてた会長がおもむろに教室入ってきて、かと思ったら普通にラッカゴスペル出してデュエル始めるんだもん。レート変えてたけど、あの絶妙なカードの配分はせつ菜先輩のものだったはずだ。俺には分かるぜ。

 

 あとその日の放課後、俺としずくが廊下でラーメンズのネタの真似してる時にめちゃくちゃ笑い堪えてたし。

 

 それに、せつ菜さんのアツすぎるオーラが会長モードでも抑えきれていない。スクールアイドルと言えど舞台に立つならみな演者、やはりオーラというものは見える。

 

 その他ボロが出過ぎていることから、うっすら見当はついていたのだ。

 

「ま、まだ分かりませんよ!? ラーメンズ好きは他にも……」

「僕がぁ、ななまがりのぉ、笑いの神に、愛されてる方でぇ」

「おぉっ!?」

「こいつが、笑いの神です」

「はぁ〜〜っ……はっ!?」

 

 ほら、ななまがりさんのつかみ知ってる。

 

「いや、これは有名なつかみですから! 案外皆さん知ってますから!」

「じゃあこれ食べるうどんをすくって、こぼしたところをこう拭いて食べれば、一石二鳥じゃないですか」

「なんで俺、詰め替え用の洗剤をボトルに移し替える時に!! 床にちょっと垂れた洗剤、これから洗うバスタオルで拭いて!! それ洗濯機に入れるみたいに!! うどん食べなあかんねん!! ……はっ!!?」

 

 もう諦めた方がいい。ママタルトさんの伝説のクソ長ツッコミを知ってて、しかも堂々とフル詠唱できるのは中々いないですよ。

 

「まあ、薄々気づいてましたがね」

「うそっ!? もっと凝った方がいいですかね、変装……」

「メガネ、ぐるぐるのやつに変えましょっか」

「え、瓶底!?」

 

 動揺してズレたメガネを直し、会長は咳払いをして「じゃなくて。応援しに来たんです」と言う。

 

「わざわざ全部活の応援に来るものなんですか? 会長って」

「生徒会長として……ではなくてですね。実はこの隣で、うちの同好会のメンバーが何人か出ている、スクールアイドルのフェスがあるんですよ。ですので近くにいた演劇部の応援に顔を出した、というわけです」

「へえ、誰が出てるんです?」

「せつ……私と歩夢さん、エマさん、それとDiverDivaですね」

「うっわ見たい。今から見に行っていいですか?」

「これから大会なんですよね!?」

 

 行きたいだろ。俺DiverDiva大好きなんだよ。愛さんにオタクくんって言われたいし果林さんにどこ見てるの? エッチね♡って言われたいだろ。

 

 虹ヶ咲のライブはなんだかんだ見たことがあまりない。それこそ、1年生組の出る学校内のミニライブしか見たことがない。

 

 閑話休題。

 

 応援をしに来てくれたというのは本心のようだ。俺に会えてこんなにウキウキした顔の人は、基本的に劇場にしかいないからな。あわよくば俺が舞台に立っているのも見て欲しいけどな。

 

 若干せつ菜さんのペカペカとした笑顔が漏れている会長は、「ところで花火さん!」と聞いてくる。

 

「……! はい、なんでしょう」

 

 言い方でもう察してしまったわ。

 

「アリスの『ア』って、なんですか!」

 

 でたでた。ラーメンズ第15回公演『ALICE』の無茶振りね。

 

「あまりに幸運な機会です」

「『リ』!」

「……立派に活躍してみせます!」

「『ス』ッ!」

「素晴らしき勝利は、我ら虹ヶ咲学園演劇部の名のもとに!」

 

 会長は拍手して、「完璧です!! さすがラークラにしてアドリブの名手!!」と満足気に笑みを浮かべる。

 

「私も応援してますよ! 花火さん!!」

 

 どっちにしろこの人、このバケモノじみた声量でバレてただろ、とは言わないでおこう。

 

「違うな。間違っているぞカレン」

「あっ、私カレンなんですね。ルルーシュさん」

「貴方だけではない。全校生徒が、俺たちを応援することになるだろうッ」

 

 それに続けて、俺は応援を返そうとする。

 

「そうそう、会長も。頑張ってくださいね」

「ん? 何がですか?」

「スクールアイドル活動や生徒会の活動も勿論ですが……」

 

 首を傾げる会長に、俺は小声で囁く。

 

「鈴虫先生へのアタック」

 

 すると会長の顔は、耳から頬からすっかり赤くなり、目を見開いてぶわっと髪が舞い上がる。そして。

 

「うおおおおおおおおおおお!!! ガラガラピシャン!!! すいません!! 内臓を買ってください!!!」

「はは、図星かよ」

 

 あとそれ、失恋した時のリアクションでしょう。ラーメンズ第10回公演『雀』より『男女の気持ち』ね。

 

 噂に聞いてはいたが、我が部の台本を担当している鈴虫修舞先輩の『演劇でヒーローショーをやる』というテーマの台本を完成させるために、特撮の知識と台本のアイデアを無限に供給するお助け役としてアトリエにちょいちょい行っていたせつ菜さん。いつの間にかいい感じになっているというしずくからのタレコミは本当だったか。

 

 先生の台本は、コメディは神がかっているが、恋愛要素が少ない……なので是非とも色恋を知ってもらって、たまにはそういった本も書いて欲しいと、部長が言っていたからな。

 

「もうっ……あ! そ、そっちだって、しずくさんとは順調なんですか!? 聞きましたよ! 何回もお出かけしているってッ!」

「ああ〜……ね、ホント……ハハ……」

「えっ、何ですか? 別れたんですか?」

「別れるも何も、この前付き合ったばかりですよ」

「付き合った!?!?!?」

「声デカ。演者やります?」

 

 そちらもなかなか楽しそうで何より、と俺は笑う。会長の恋も応援してますよ、俺は。

 

 まあしかし、肩の力は少し抜けたかな。つい数分前まで殺気立った奴らに囲まれてたもんでさ。ありがとう、会長。




とぉぉーッ!!!


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