しずくは俺ら4人でのデートを経て、少し元気を取り戻したかに見えた。しかし。
『ごめんね。もう元気になったから』
彼女はそう言い残し、その場を去った。
あれから3日。道具やハリボテも出来つつある中、しずくは前以上に口数が少なくなった。
あいつの元気がないと、俺も元気がなくなる。あいつの具合が悪いと、俺の具合も悪くなるように。
この感情の名前が恋や愛に起因するものということくらい、今まで何千何万と見てきたアニメの中で学んでいる。しかし、現実となるとこうも苦しいものか。
そんな考えを巡らせながら、教室の席でぼうっとしていた俺の袖が、強く引っ張られた。見ると、かすみであった。
「行くよ!」
「今度はなんだ」
真剣な顔しちゃってまあ。俺は渋々立ち上がりつつも、乗り気にはなれなかった。
「次こそしず子を元気付けちゃおう作戦」
「トキヲ・ウバウネみたいなネーミングセンスだ」
そんな考えだと思ってたよ。
「しず子があんなに頑固だとは思ってなかった。だから今度こそッ」
「今の桜坂もまた、桜坂だ」
彼女の言葉を遮り、俺はこの2ヶ月ほどで見てきたしずくについての情報を頭に浮かべながら話す。
「元通りになることはないだろう。これもまた桜坂の成長の糧になる。俺らが口を出すことでもないさ」
「……はな男、しず子がああなってることについて何か知ってるの?」
ああ、と俺は頷き、知っていることをすべて話した。
主演オーディションに落ちたというだけではない。しずくはおそらく、次の役に恐怖心がある。
鈴虫先生が今のコメディ路線に行く前、少し暗い作風だった頃に書いた、周りの視線という雨を振り切り、自分をさらけ出して歌う主役の町娘。
対してしずくは、自分の内面を晒すのが怖いように思える。前の雨の日、俺に古い映画や落語が好きなことを、まるで初めて恋人を家に誘うように打ち明けたしずくにとって、彼女の本質とは誰にも見せたくないものなのだろう。
『迷惑、かな。古い落語とか見せられても』
バカヤロー。俺は昭和の特撮だろうが明治の文学だろうが、堂々と推すぞ。しかし、それが難しい人もいるのは知っている。
演劇部の変人たちに囲まれながらも、変であることをさらけ出すことをしないのは、頑固としか言いようがないが。
「……桜坂しずくは、元々そういう奴だ。お前が今まで見ていたしずくは、愛の幻影でしかないんだ」
一連の話を聞いてもなお、かすみは首を傾げていた。お前も頑固かよ。
「分かってくれよ。演者は傷を糧にして……」
「それ、しず子の気持ちは考えてる?」
「どういう事だ」
「しず子の傷を見て、じっとしていられる?」
話が見えないな、と俺は考え込む。すると、それを中断するように、かすみは俺のネクタイをガッと掴む。一気に顔が近づき、かすみの可愛い顔がドンと視界いっぱいに広がる。
「……勘違いしないで。かすみんはただ、好きな友達が隠し事して一人で悩んでるのが嫌なの」
そりゃあ、まあ、友達ならそうだろう。でも俺は。俺なんかには。
「はな男はそうじゃないの? しず子が……好きな人が苦しんでて、嫌じゃないの?」
できるわけないだろ。放っておくなんて。
「どうせ俺には解決できない問題だろう」
「それが本音?」
「……ああ、打ち明ける。俺はアイツの本質を、あの雨の日に知ったつもりでいた。だが、あれが完全なアイスブレイクというか、根本的な氷結部分の解決にはなっていなかったんだ」
「じゃあ、助けようよ」
「思い上がりだ。俺にできるはずがない」
今までの思案も本当ではあるが、俺の本音は『俺が手のつけられる問題ではない』だ。
「バカはな男」
「なんとでも言え」
「それもしず子が好きだからなんでしょ?」
そうだ。失敗を恐れている。今のしずくのように。
「じゃあ……はな男はどうするの」
どうするもこうするも。
「……アイツと一緒にいると、心が……ぽかぽかするんだよ」
だから。
「だから、できることなら解決してやりたい。アイツに降り注ぐ雨の、傘になりたい。そうでなくても、共に雨に濡れながら歩くことくらいは……できないかと、思っていて……」
いかん、話しながら涙が出てきた。とことん情けないな、俺は。自嘲の笑いが出てきた俺を、かすみは思い切り突き飛ばす。
彼女は「やっと喋ってくれた」と言いながらも、息と声を荒らげて俺を指さす。
「ほっんとに、つくづくウルトラバカ!! それってッ……好きってことじゃん!!」
俺は顔を勢いよく上げる。半泣きのかすみが俺を睨んで立っている。
今まで心の奥底にしまっていた気持ちを、ズバリ言い当てられて、泣きそうでありながらもスっとしている。
「俺はアイツが好きだ。そして、アイツに救われた……俺を部活に誘ってくれたの、桜坂なんだよ……」
髪をいじりながら、俺は痛む腰を上げる。
お前がそんな顔するくらいなら、俺も動かないとな。かすみだって、俺の友達だし。きっと璃奈だって、演劇部のみんなだって心配していることだ。
「今度は俺がアイツを助ける番……かも、しれない」
かすみは無言で頷き、俺の手をとって国際交流学科の教室がある方へと、ずんずん歩いていく。
「……てかお前、エヴァ見たの?」
「見てないけど、急に何……」
「え!!? じゃあ天然でヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のアスカのセリフと被ったの!?」
俺は大きな声で驚いてしまう。不機嫌気味なかすみは、眉をひそめて俺を見る。
「お前すげえな〜……」
「バカ……バカはな男……」
「ああ、ありがとう、すんません。えっ、今のはバカシンジとかけてるってことではなく?」
「エヴァ知らないもん!! もうっ! てか感謝と謝罪の順番が逆! ばーか!」
「ありがとうございます。すんません。あ、これのことか」
教室が近づくにつれ、何かの声が聞こえてくる。ほぼ全員が部活や家に向かう中、ひとつ透き通って聞こえる声が。
「あめんぼ、あかいな、あいうえお……」
しずくだッ。俺はかすみに引っ張られて力なく歩いていた足に力を入れ、かすみと並んで歩く。
声の主がいるであろう教室にたどり着き、俺とかすみはお互いの顔を見合って、声も出さずに頷き、ドアを開ける。
そこには、外を見ながらぼんやりと頬杖をつくしずくがいた。綾波レイかよ。
「見つけた!!」
「……かすみさん、穂村さん……」
しずくは微笑んで、こちらを振り向く。しかし、その目は笑っていなかった。
「泣いてただろ」
「ん? いや、そんなこと……」
「絶対そうだよ。目、ちょっと赤くなってるし」
「え!? 嘘っ!?」
「嘘だよ」
「やはりお間抜けサンは見つかったようだな」
動転するしずく。かすみは俺に「それはエヴァ?」と聞く。
第3部に出てくる偽キャプテン・テニールだ、と俺が言う前に、しずくが「ジョジョだよ。ね? 穂村さん」と微笑む。今度は心からの笑顔のようだ。
「……俺の前で演技できると思うな」
「おもうな!」
「かすみさんは何がわかるの!?」
「まぶた、腫れてる。これはホントだよ」
「うっ……」
目をごしごしと擦るしずくに、俺は。
「お前の口から話してくれ。今、お前を苦しめているのは何だ」
「く、苦しんでなんかないよ?」
「だからさ、それだよ」
「えっ」
かすみは「そんなに頑固になる理由を聞きたい。そこに用がある」としずくに接近する。
いささか可愛すぎる顔に凄まれて、しずくは両手を軽く上げて降参のポーズをとる。
「……お手上げ。全部話すよ」
しずくは窓の方を見ながら、ぽつぽつと語り出す。
「今度の役ね。自分をさらけ出さなきゃいけないんだ。でも私には出来ない」
「なんでさ」
「私、小さいころから古い映画や小説が好きだったんだ。でもそんな子は私しかいなかった……不安だった。誰かに変なのって顔されるるたび嫌われたらどうしようって」
俺が「だから演じるようになった、と。舞台の上ではなく、現実で」と言うと、しずくは頷き、諦めたような笑顔を浮かべた。
「みんなに好かれるいい子の振りをした。そうしたら楽になれたの」
そこまで言ったところで、しずくの手がぎゅっと握られる。怖がっているのか、まだ。
「私……やっぱり、自分をさらけ出せない……それがッ、役者にも……スクールアイドルにも必要なら……」
お前が、お前自身を演技せずにさらけ出すことを。
「私は!! どっちにもなれないよッ!!!」
「……」
「表現なんてできない……嫌われるのは……怖いよ…………」
しばしの沈黙が教室に流れる。
そして、黙って聞いていたかすみは、とうとう我慢できないという風に。
「何!! 甘っちょろいこと言ってんだァ〜〜ッ!!」
「ッ……!!」
しずくに殴りかかった。
いや、その手をギリギリで止めて、ゲキバトルとは違う生の打撃を恐れて目をつむったしずくの額に、デコピンをくらわせる。
「うあっ」
可愛い。
じゃなくて。
「嫌われるかもしれないから何だ!! かすみんだってこんなに可愛いのに!! 褒めてくれない人は沢山いるッ!! しず子だって、かすみんのこと可愛いって言ってくれたことないよね!?」
「それは……」
「『しず子』はかすみんのこと、可愛いと思ってるの!? どうなのッ!?」
かすみは少しズレたことを言い始めた。が、しずくは真面目に「か、可愛いんじゃないかな……うん。可愛いよ」と答える。
それを聞いて、かすみはにやっと笑う。
「それそれ! 今みたいに、しず子も出してみなよ! 頑固も、意地っ張りも、怖がりも!! 全部『桜坂しずく』なんだよ!!」
「褒めてないなあ、それ……」
「もしかしたら!! しず子のこと好きじゃないって言うかもしれないけど……」
言葉の空回りが目立ち始めたので、俺はかすみを手で制する。当たり前だ、こんな物語、どの台本にセリフが載っているわけでもない。ましてやエチュードに慣れていないかすみにしては、よくやった方だ。
さて、俺のここからのセリフもアドリブだ。上手くやれよ、穂村花火。俺自身の言葉を話すんだ。
「俺らは、お前のことが前も今も……ずっと好きだ。それが変わることは絶対にない」
しずくは、俺の直接的な言葉にハッとして、うつむき加減だった顔を上げる。
やっと目が合ったな。泣いてても可愛いぜ、お前。そういう可愛いところも、頑固なところも、意地っ張りなところも、怖がりなところも、世界で一番大好きだ。
「何回言わせれば済むんだ。演劇部は、元々変なやつしかいねーだろ」
「そうだけど! ……みんなは、そうじゃない」
「過去も今もひっくるめてお前だ。そのどれもが欠けても、桜坂しずくが演じていることにはならない」
「私、自身が……」
「お前の演技の型は『自分100%型』。役の代弁を、あくまで自分がするという演技法だ。お前自身が演じていちゃあ、その強みは発揮されないぜ」
そう諭し、俺は背を向ける。ここまで言ったら分かるだろ。
「言っとくが、俺はデコピンじゃ済まねえぞ」
「!!?」
「変人まみれの『製界』で、お前をぶっ殺す。それまで首洗って待っとけ、桜坂」
かすみはそんな俺に、「トドメがまだ」と言う。ああ、そうかい。まあやってやるさ、やれるところまで。
やれやれ、彼女が耳打ちしてきた言葉を、俺はそのまま出力する。
「穂村花火と」
「中須かすみは」
「「あなたのことが大好きです」」
驚いて、呆気にとられるしずくを背に、俺らは教室を出る。
「絶対、再オーディション合格しろよ。手筈は部長が整えてある」
「かすみん達にここまで言わせたんだからねッ、絶対だよ!!」
帰路につく俺らの後ろから、吹っ切れたような笑い声が聞こえてきた。
そしてしばらくしてから、小走りでしずくは俺らに追いつき、同時に抱きつく。
「んなっ!?」
「うお……!」
やわらけっ、という言葉を飲み込んで、俺はしずくに笑いかける。
「私だって!! ……2人のこと、大好きだから!!」
「……知ってる。こんなに可愛いんだもん」
「はは、じゃあ帰りは河川敷で自主練でもしていくか?」
「うんっ、のど飴持ってる?」
「完璧。かすみもやってけよ、スクールアイドルの練習にもなるかもだぜ」
「え!? かすみんも!? ……まあ、いいけど! ほら、そうと決まったら行くよ!」
「諸君」
果たし合い当日、虹ヶ咲学園記念ホールの裏にある準備室②。顧問が口を開くと、身体をほぐしたりメイクをしたり、あるいは機材のメンテナンスをしたりと準備をしていた部員が一斉に顧問の周りに集まる。
「これは藤黄の一方的な試合の申し込み。それに着いてきてくれたこと、心から感謝する。これは君たちの大きな飛躍の一歩になるだろう。そして、二年生と一年生……短い期間でよくそこまで練り上げた。誇っていい」
麻琴先輩が素直に照れる。部長たち三年は、自分の事のようにしゃんと胸を張っている。
「……桜坂しずく」
「はいっ」
顧問の突然声をかけられ、緊張で上ずった声で返事をするしずく。
「ありのままの姿を見せろ。それが町娘の本懐であり、君の成長に繋がる。君自身が満足するまで、演じて、演じて、演じ抜け。これは相手のエゴ全開の試合。それに勝ちうるには、同じく全開のエゴを持つ演者が必要だ」
「ッ……はい!!」
「オーディション落として、すまなかったな」
「いえ、全然……!」
「今の君になら任せられる。頼んだぞ」
しずくの肩にぽんと手を置き、顧問は楽屋のドアを開ける。分かってるよ、顧問。あんたがしずくを信じてたこと。再オーディションまで、ずっと主役は空席で取っておいてあったもんな。
微妙に鼻声になった、泣きそうな顧問は涙を見せまいと「準備継続。あと5分ね」と言って楽屋を出る。
「しずく〜、よかったねえ。あんな素直な顧問、そうそう見れないよ?」
「そうなんですね……私、期待されてるんだ」
しずくは両の頬をぱちんと叩き、凛とした表情で「花火くん!」と言う。
「おう」
「先に行ってよっか」
「……舞台か。久しぶりだ」
練習している普段のホールとはいえ、今回出る両校以外にも観劇権のある大掛かりな発表会。こんなに大きな舞台で、次に立つ学園祭のステージよりも大きな規模の発表会で演じられるのは貴重な機会だ。
なにより、三年に喧嘩をふっかけた藤黄をボコすチャンス。バラダギ先輩なんて、何回『出番少ねぇ』と言ったか分からんぞ。
見慣れた舞台袖が、一気に威圧感を伴う。もう緞帳の向こうからは話し声がまばらに聞こえている。ああ、本当に俺、舞台に戻ってきたんだな。
まあ、コメディ調が今より弱い台本だから、雰囲気を壊さないようにと喜劇とおどけアドリブが得意な俺は端役だけど。
「桜坂ぁ」
「ん?」
「ありがとうな。俺を舞台に連れてきてくれて」
「……こちらこそ、ありがとう。私、穂村さんと演じられるの、嬉しい。最初に見せるのは主演の姿って決めてたから」
そりゃあ楽しみだ。
ああ、ホント、今日って。
死ぬにはいい日だ。
「おーい、そろそろ始まるよ」
柊先輩に後ろから声をかけられる。
「はいッ」
「しずくちゃん、緊張しないでね」
「ありがとうございます」
「……え、俺は?」
「花火は慣れてるでしょー?」
「いやいや、言うて半年ぶりくらいですよ」
またまたあ、と笑う柊先輩。いや、ホント緊張してんの。足の震えが止まらんよ。
しずくも口元をおさえて笑っている。かわいい。
よし、と俺も頬を叩いて気合いを入れる。日本刀、ちゃんとまだあるかな。ここまで来てゲキバトルに入れないくらい実力落ちてたら泣いちゃうぜ。
ゲキバトルとは、しっかりと自分の型を確立させていないとできない。中途半端な演者はできないってことだ。まあ、俺の演技の型は元から『自分50%型』なんていう、誰も使ったことのない型だけどさ。
ああ、でも過去に1人いたんだっけな。目白さんって演者が……。
「穂村さん。行こう」
「お、おう」
いかんいかん、集中せにゃ。
ブザーが鳴る。しずくは少し震える手で俺の手を握って、不敵に笑う。
「ぶっ殺す、だっけ? 楽しみにしてるよ」
それは言葉のあやだ。忘れろ。いや、ホントにしずくとは戦うつもりでいるが。
そう言う前に、緞帳が上がる。重圧のある拍手がこちらに直で響く。武者震いと共に、心臓がドクン、ドクンと高鳴り、ビートを奏でる。
「ゲキバトル」
「……界演』
久しぶりに試合開始の言葉をつぶやき、俺は演劇シナプスが活性化し、ハジける脳みそに意識を集中させる。
ああ。この感覚、好きだなあ。自分じゃない誰かになるようで、他でもない自分自身が『製界』に入るような、この感覚。
俺は舞台が好きだ。演技が好きだ。演劇部のみんなが好きだ。
みんなのためにも、勝たなきゃな。俺の、高校生になってからの初舞台。
『あれだね? 『メタル』……』
『ああ。『ヒート』。あれが先輩をやった……そして、“範田紅葉”のいる高校だ』
これが私。逃れようのない、本当の私。
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