片時雨の下手で   作:苗根杏

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#6 文庫本

 しずくとお揃いのストラップを買った。どこかのサービスエリアにも売っていそうな、ごく普通の、アクリルの玉みたいなの。

 

 俺が赤。しずくが水色。

 

 パッと『しずく』という名前を聞くと、青系の色を連想する。しずく自身も水色や青が好きらしい。あとピンク。多分、『桜坂』だから。

 

 しかし、俺の苗字の読みであるところの『ほむら』から炎を連想し、赤色だね。と言ってくれたのは、俺の人生の中ではしずくが初めてだった。ついでに俺も今まで気づいていなかった。

 

 俺が、炎で。

 

 彼女は、雫。

 

 だからどーだこーだってんじゃあないけど。でも、そんな話をしているしずくは、どこか嬉しそうだった。

 

「なんだか、火と水って……運命的っていうか。あんまりない巡り合わせっていうか」

「まあ、偶然にしては。って感じだけど」

 

 カバンや筆箱や、その持ち物のどこにもつけずに、ストラップを大事そうに両手に持って見つめるしずく。俺はそれを見て自然と、制服のスラックスのポケットにしまったきりだったストラップを、上から撫でた。

 

 傍から見れば俺としずくは、冴えないサブカルクソメガネと、平成の世にあらわれたオードリー・ヘップバーン。隣り合って歩く2人の趣味嗜好や共通点は、演劇のみ。本当に、それくらいしかない。

 

 そんな紐一本で繋がれた、俺たちの関係性に、どこか共通点のような、かけがえのない思い出が出来たような気がする。もし俺だけが思っているんなら、まあそれはそれでいいんだけども。

 

 しずくは花から花へといった調子で、気になった服屋を見ている。普段でこそ落ち着いていて、俺よりも冷静で判断が早く、おまけに大人びた容姿。それでいて、この年相応の遊びたがりまでついてるときた。なんだか一石二鳥な気分だ。

 

 今まで見ていた、少しオトナなしずく。俺と同級生であることを改めて気付かされた、今日のしずく。これがギャップ萌えだな、さては。

 

 1番上の階、その3分の1を占めるは、超どデカいゲームセンター。俺も街の小さなところになら通い慣れてはいたが、流石に規模が違う。見たことの無い最新のゲームが並んでいる。体重を傾けてアームを動かすクレーンゲームとか。身体の動きをカメラで追って画面にCGキャラで反映されるダンスゲームとか。

 

 俺たちは手当り次第、気になったゲームに100円を入れ続けた。何やらよく分からない形の音ゲーに苦戦し、たこ焼き器型のクレーンゲームでよく分からんクマのぬいぐるみを捕まえたり。

 

 ゲーセンの中を手前から順に巡っていき、パチンコのコーナーあたりを避け、最後に右奥にあるコーナーへ。カーテンのかかる小部屋が10つほど並べられた地帯を指さし、しずくは物珍しそうな目でそこを見る。

 

「あれが、最近の『プリント倶楽部』?」

「この前、似たようなのは見たことある。あと最近はプリクラって言うんだぞ」

「……プリクラかあ」

 

 孫に連れられてきた祖父母みたいな会話をする、現役高校生。おそらくお互いの頭の中では、プリント倶楽部のイメージは、ATMみたいな感じの見た目で統一されているだろう。

 

 想像の3倍はデカい。中に写真家さんでも入ってんのか。入り口らしきカーテンもふたつあるし。

 

 しずくは俺のワイシャツの袖、その先っちょを指できゅっと握り、俺から目を逸らして言う。

 

「…………1回、撮ってみる?」

「マジ!? いや、俺はいいんだけど……」

「何事も挑戦だよっ、穂村さん」

 

 そう言われちゃあ、そうだなとしか。

 

「写真に撮られる時も……静止画の中でも、演者は演者なんですよ?」

「うっ!?」

 

 誘い文句が卑怯だ。このプリクラで俺の演技力を存分に発揮し、スカウトした分だけの実力を見せてもらおうか! としずくは言いたいのか。

 

 やはりこの人、筋金入りの役者。

 

「できらぁッ!」

 

 俺は財布の中の400円を握り、それをプリクラ機へと一気に放り込んだ。これで俺の今月の小遣いは残り1/3だが、一向に構わない。俺の役者としての実力をここで見せて、なんならしずくからの好感度も上げてやろうって話だ。

 

「行くぞッ! やってやれねぇことはねぇッ!」

「あ、後でちゃんと200円渡すからねっ! クレープ代も含めて!」

 

 律儀に割り勘をしようとしているしずくと一緒に、『①』と書かれたカーテンをくぐる。もう片方に『②』とあることから察するに、あれは後から入るものだ。

 

 プリクラには、落書きができると聞いたことがある。多分あそこに机があって、ペンがあって。チェキに書くみたいに、撮ったプリクラに落書きをするブースなのだろう。

 

 最初の部屋に入ってみると、白い機械に埋め込まれたタッチパネルが右側にあり、その上に結構いいカメラが内蔵されている。前と左の壁、そして俺らがくぐってきたカーテンの裏側は黄緑色で統一されている。

 

 なるほど。グリーンバックというやつか。黄緑色の部分だけを切り抜いて、そこにキラキラした背景でもはめ込むんだろう。

 

 にしても、部屋が思ったより狭い。入ってすぐに思ったが、こりゃあ──

 

『こんにちは! モードを選んでね!』

「!?」

「も、もーど! はい!」

 

 突然話しかけるな。しずくが驚くだろ。もうテンパって、普通に声で返事をしているじゃあないか。

 

 ここはタッチパネルだろう、流石に。

 

 近年の目覚しいプリクラの技術発展の中でも、音声認識機能はまだ実装されていなかったようだ。騒がしいゲーセンの中なので、実装はほぼ無理だと思うけど。

 

 美白とか何とかの売り文句が夢かわいい文字で書かれているが、もう何が違うのかも分からん。これは俺がプリクラに行ったことがないわけではなく、単に男の子だからだと思う。ここはしずくに任せることにした。

 

 ふと、しずくと肩がぶつかった。同時にゴメンと謝るも、始まる直前に気づいてしまったことがある。

 

 この部屋、ちょっと狭いッス。

 

 演者をする上で少しばかり鍛えてはいるものの、まだまだ本格的には筋肉がついておらず、まあまあ細身の俺。スタイルはいいが、いかんせん食べるものちゃんと食べてるか心配になる、細い体躯のしずく。

 

 それでも、この狭さ。プリクラの発展の過程には、掃除用具入れや縦長のロッカーぐらい狭いプリクラ機もあったのだろうか。それとも、めちゃくちゃにデカかったのかな。

 

 あの『どこでもドア』も、映画版の『ひみつ道具博物館』によれば、第1号は何十メートルもあったらしいし。

 

 いや、それよりも。

 

 部屋が狭い。イコール、しずくとの距離が近い。イコール、プリクラ機の中というのは、なんかちょっとだけエッチな空間に感じなくもない。

 

 実際エッチだろう。こんな至近距離で、しずくを見られるだけでも眼福、お腹いっぱいなのに、油断すると身体のところどころが触れ合ってしまう。手とか。肩とか。いろいろ。

 

 しかし俺は、腐っても演者だ。しずくも若干恥ずかしそうに俯いていたが、彼女とて立派な演者。プリクラ機の指示によって、演者の変なスイッチが入る。

 

『まずは猫のポーズ! にゃんにゃん!』

「にゃん!」

「にゃんっ!」

 

 はい、恥を捨てた演劇部だからこそできる、公共の場での咄嗟のエチュード。

 

『3・2・1……』

 

 カウントダウンの後にフラッシュが焚かれ、カメラのシャッター音が鳴る。すると、タッチパネルに俺たちの写真が映し出された。こんな感じに取れたヨ! という、確認のための仕様だろう。

 

 写真を見ると、ふたりは見事に、猫そのものと化していた。しずくも満足そうに笑っている。

 

 舞台版『キャッツ』を見て研究した甲斐があった。見事な猫ポーズである。生でもDVDでも見たが、ミュージカルとして世界で大成功を収める理由がよ〜く分かった。あれはオペラ座の怪人やレ・ミゼラブルと並ぶミュージカルと言われているのも納得である。

 

 ストーリーレスとは言われているが、俺は本物の猫のような演技に魅せられ、歌に涙腺が緩み、猫たちの身の上話に揺さぶられまくってしまった。あとはなんと言っても、ブロードウェイやパレイディアムのドデカい舞台いっぱいに再現された、都会のゴミ捨て場のセットがもうたまらないね。

 

 一応、映画版も見たことがある。俺は好きだよ、虫食うとこ。

 

『次は顎にピース、小顔効果!』

 

 なんだなんだ忙しない。プリクラ機のアナウンスは、ひとつ終わったらまた次の指示を出してくる。

 

 流石に小顔効果ポーズは聞いたことがある。現役高校生を舐めるなよ。

 

「小顔!」

「効果〜!」

 

 カメラにうつったしずくの顔が、いつもよりも更に小さく見える。んー、推定10頭身。

 

 というか、今風のJKのポーズしてるしずく、かわいっ。

 

 いやいつも可愛くはあるんだけど、なんと言うかいつもとはベクトルが違うというか、味わえないような美味しさというか、まあ例えば美味しいアイス屋さんがあるでしょう、あそこのアイスいつも美味しいよね〜でもいつもバニラしか食べてないから今日は抹茶だ! うん! これも美味しい! 的な、みたいな。

 

 別にこれはアレではない。オタク特有の早口ではない。俺はそう主張する。

 

 こんなに必死こいて、誰に言い訳しとるんだ俺は。

 

『3・2・1……』

 

 ふたたびシャッター音。

 

『うわぁ〜、美味しそうなケーキ!』

「へへ、全部食っちまおうぜ……」

「ダメよ! これはみんなで分けるの!」

 

 多分、プリクラ側の意図とは違う楽しみ方をしている。ケーキ美味しそうってポーズよりも、2人で取り合いしてるポーズだもん。

 

『3・2・1……』

「ふふ、上手く撮れてる」

「案外カンタンだな」

 

 ほう、分かってきたぞ。プリクラとやら、案外呆気ないじゃあないか。指示に合わせて演じればいいだけのこと。造作もないわ。

 

 もっとヤバいお題とか出してみろ。『次は昭和の大スター、石原裕次郎のモノマネだよ!』とか。いいよ、北の旅人とか歌ってやるよ。

 

 さあ、次の指示はなんだ。来やがれってんだい。

 

『指の先でハート! せーの、キュンですっ!』

「指の先でハートぉ!?」

 

 予想していなかった指示が来た。なんだ、指の先で……なに、指の先!? 

 

 なんだ、キュンですって。模範解答を用意しろ。模範解答を。お前、指示出すだけ出しといて、あとは一方的に反応見て。さぞかし楽しいだろうなあ。あとでプラスドライバーでバラバラにしてやる。

 

「どど、どうする!」

「前にかすみさんがやってました! 多分コレです!」

 

 しずくは頬の横に右手をくっつけて、軽く握りこぶしをつくる。そして人差し指と親指をクロスさせ、指の先でハートを作って見せた。なるほど、そういうのもあるのか。

 

 かわいっ。

 

「き、キュンでェ〜す! うえ〜い!」

「いぇ〜い♪」

 

 ノリが分からないので、俺が知ってるタイプのギャルに寄せに行った。気分は昔なつかし、ガラケーに幾多のストラップを着けた、ルーズソックスの黒ギャルよ。

 

『3・2・1……』

 

 ぱしゃり、と。それ相応の流行への意欲・関心・態度は要求されるものの、プリクラってのは案外ハードルは低いのかもしれない。

 

『次は全身を写すよ! 後ろの線まで下がってね!』

「なんか、思ったより疲れる」

「慣れたらそうでもないんでしょう」

 

 慣れないことに挑戦するのはいいが、精神がすり減っちまうな、これは。いや、演者としては可愛いポーズも躊躇なくできてこそだ。猫はできたんだし、キュンですだか何だか知らんが、やってできないことはない。

 

『ふたりの手でハートを作ろう! ずっ友ポーズ!』

「これは普通のハートで……」

「いいんだよね?」

 

 ふたりして、律儀にハートの片割れを作り、それをくっつけてカメラの方を見る。精一杯の笑顔を作り、『3・2・1……』。

 

 撮った後、プリクラ機から与えられし少しのアディショナルタイム。俺は確かに、しずくの髪からのシャンプーの香りを、存分に鼻腔で味わった。使ったのは嗅覚だが、味もした気がする。どころか、俺のワイシャツの肩部分に、サラサラと心地の良い感覚。しずくの髪の毛の先が当たっていた。

 

 ふと気づいて、彼女の方を見ると、おでこから顎の先までを真っ赤にして、俺の方を見ていた。普段なら有り得ない距離の近さに、やっと気がついたらしい。

 

 

#6

文庫本

 

 

 心做しか、髪がふわぁああってしてる気もした。ほら、よくアニメの演出であるじゃん。驚いた時とか恥ずかしい時とか、あの、ナウシカが怒った時とかぶわぁあってなってたじゃん。アレ。髪の流れに心の動きがどうたらこうたら。俺が名前を知らないのもあって、イマイチうまいこと言い表せないけど。分かって。

 

 ああ、もう頭の中に、しずくの部屋もこんな匂いするんだろ〜な〜! なんて浮かれた、またはイカれた思考しか浮かんでこないではないか。今、しずくに、男ってほんとバカ! と言われても俺は文句を言えない。なんたって俺はバカなので。バカはバカでも、しずくしか見えてないタイプのバカ。

 

 いや、でもしずくにバカと言われるのならそれはそれでスーパー嬉しい。ギザウレシス。呆れたようにジト目で『……ばーか!』か、小悪魔風にあっかんべーで『ばーか♪』か、どデカい規模のプロポーズされて泣きながらも嬉しくて笑いが止まらず『ばかぁっ……』か。ああ、迷うなあ。迷っちゃうなあ、困っちゃうなあ! ニヤニヤしちゃうなあ〜! 

 

 分かってるさ。分かってるつもりだ。これが取らぬ狸の皮算用ってやつだろ。でも言われたいのさ。なんたってバカだから。

 

 言っておくが、さっきよりも明らかに地の文が多いのは、プリクラ機側が今までよりも長い猶予を俺たちに与えているのではない。俺の体感で時間が経つのが極めて遅く感じるのと、俺が1秒あたりに生成する地の文が多すぎるだけだ。

 

 そうこうしているうちに、もう4枚目だ。パネルの右上に小さく『4/6』と表示されている。

 

『よーし、お互いのほっぺをツンツンしちゃおう!』

 

 そして、5枚目。

 

「……失礼します」

「どわぁ!?」

 

 なんとも古典的な驚き方をしてしまった。

 

 どこか覚悟を決めたような表情で、しずくは俺のほっぺに人差し指を当て、すこし頬肉に沈み込むくらいにツンツンしてきたからである。彼女の少し長い爪が、ほっぺに食いこんだ。

 

 ……いいのか!? 俺!! 機械なんかに指示されて、しずくのほっぺをぷにぷにツンツンするような男で!! 

 

 改めて、さっきより少し赤らんだしずくのほっぺを見てみる。

 

 それはモナ・リザが嫉妬するような、それはもう美しい左向き顔だった。早くしろとばかりに、俺にほっぺを差し出すしずくは、やはり恥ずかしそうにしていたのであった。

 

 どこかの神様は言ってた。『右の頬をぷにぷにツンツンしたならば、左の頬を差し出してみればいいんじゃな〜い?』と。

 

 どこの神様だよ。

 

「友達なら、このくらい……するんだよね」

 

 しずくは口をすぼめて、俺のほっぺをぷにぷにツンツンして、プリクラ機の指示に従うよう催促する。

 

 同性の友達なら自然じゃないか、と口に出しかけたが、昨今の情勢からするにあまりジェンダーを意識した発言はよろしくない。彼女からの俺の印象もマイナスポイントをくらってしまうだろう。俺は答えた。

 

「友達、だからな」

 

 決してこれから毎日しずくのほっぺをぷにぷにツンツンしたいという私情など挟んではいない、清廉潔白にして純粋無垢にして天衣無縫、完全無欠で国士無双の答えである。

 

 よし、楽しく話せたな。

 

『3・2・1……』

 

 6枚目。最後の指示はなんだ。こうなればやけっぱちである。矢でも鉄砲でも火炎放射器でも持ってこいや。

 

『最後は仲良くハグしちゃお! 春休み気分、ポッケに夢がいっぱいだよ!』

「……懐かしいな、わさドラ初期OP……」

「は……ハグ…………っ」

 

 とんでもねえな。カップルならまだしも、同級生の友達同士で来ることを考えちゃいないじゃあないか。

 

 いや、逆なのか。俺らみたいな友達同士の距離を一気に近づけ、親友もしくは恋仲にするためのハグなのか。漫画で使い古された表現でもあるじゃあないか。『外国ではハグやキスのハードルが低い』みたいなの。お国柄にとらわれず『ハグしちゃお』って言ってるのか、このプリクラは。

 

 だとしたら、なんだか急にこのプリクラが頼もしく思えてきた。お前、ほんとは良い奴だったんだな。さっきはドライバーで分解とか言ってごめん。

 

「プリクラ機さん! 私は、演じてみせます! 最後までッ!」

 

 隣でそんな声が聞こえたので、肩を跳ねさせてしまった。力強く瞑っていた目を見開き、歯を食いしばり、覚悟した様子でこちらを向くしずく。

 

 そういえば、演技の練習も兼ねてるみたいな話ではあったけど。そんなに俺とハグするの嫌なら、やめればいいのに。

 

「無理するなよ」

「いえ、これは私の甘えなんです。ここでやらなければ!」

「もう好きなポーズとっとく? 俺、ベリーナイス光線のポーズするね。桜坂、何光線にする?」

「逃げるんですか!」

「だいぶ煽るなあ、キミ!」

「さあ、穂村さん!!ハグを!!」

 

 優しさ100%で言ってるつもりが、どうやらバカ真面目なしずくには間違って伝わったようで。向こうも半分やけっぱちなのか、俺の方に両手を広げる。

 

『3』

 

 ああ、やばいぞ。そうこうしているうちに、シャッター音までのカウントダウンが始まってしまった。

 

 さて、どうしよう。

 

『2』

 

 ここで逃げたら、逆に好感度は下がりそうな気がする。俺自身、演技から逃げるってのはちょっと違うと思うし、自分の『好き』を抑えて演技を続け、ハグをするというのも演技の練習のひとつなのだろう。いつまで経ってもこんなんじゃあ、しずくと舞台に上がった時に苦労するだけ。

 

 文字通り、しずくと向き合ってやるのが、今の状況で俺がとれる1番いい手段だ。

 

『1』

 

 俺も、それなりに覚悟は決めた。しずくの方に身体を向け、ほんの少しだけ腰を落とす。

 

 いや、待って。ハグってどこ持てばいいんだ。しずくの身体のどこに手を回してもセクハラになりそうだ。

 

「失礼」

「っん……」

 

 しずくに過去一番の接近をかました後に、彼女の背中に手を回す。そこから彼女を強く抱きしめ、カメラの方を向く。モニターに映ったしずくは、いつの間にか素敵な笑顔に変わっていた。

 

 つま先立ちの彼女も、俺の腰に手を回して、めいっぱいの力で抱き寄せてくる。

 

 腹の辺りに、名状しがたい感覚が伝わってきた。柔らかいだけではない。恐らく女性用の補正下着であろう、少し硬いものもある。

 

 お互いに夏服なので、隔てる布は圧倒的に少ない。彼女の胸のファウンデーションの奥に、微かに、しかし確かに、そして静かに、『それ』は俺の身体に主張をしていた。

 

 なんだよ。『むにゅ』って感じじゃあないのか。

 

 そりゃあそうか。

 

 シャッター音。

 

「…………」

「お疲れ、穂村さん」

「おー……」

 

 あと少し離れるのが遅れていたら、俺は後に戻れなかったかもしれない。しずくといる時は、常に理性の『たが』が外れそうなのだ。プリクラは、それを改めて実感する機会となった。

 

 2人きりの空間でコレはやばい。俺の恋愛経験の無さが仇となったか。

 

 幸せではあった。それは間違いない。ブラを隔てているとはいえ、多少は柔らかかったし。俺がむにゅむにゅを直に受ける快感よりも、彼女の胸の形が崩れる方が心配だ。ずっと綺麗でいてくれ。そうじゃなくても、たとえ垂れても愛せる自信は大いにあるが。

 

「ふふ」

 

 あまりに下品すぎるモノローグを浮かべる俺の横で、いつの間にか、しずくは、笑っていた。顔はまだ赤っぽいけど。

 

 俺に向けて、ではなく、ひとり……部屋の中で思い出し笑いでもするかのような、静かな微笑みだった。演じきった満足感。汗の浮かんだ額をハンカチで拭い、彼女は俺と落書きブースに動く。

 

 なあ、しずく。

 

 ちなみに俺は、お前のことしか見えてなかったよ。

 

 客もいないし、今は演じることより、お前と一緒にこうしていられる事が何よりの幸せなんだ。そりゃあ、演技の練習はどうでもよくないけど。でも今は、今だけは『演者・穂村花火』ではなく、『世界で一番桜坂しずくを愛する人・穂村花火』としてのハグをしたかったよ。

 

 なあ、しずく。

 

 お前には今、何が見えてる? 

 

 俺は今、母の顔を必死に思い浮かべているよ。俺の俺を鎮めるために。

 

 

 

 

 

 To be continued...

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