俺はどうすればいい?
「──はぁ? 鍛える? そんなこと時間の無駄さ。無駄だよ無駄無駄」
「いきなりスタンド使いにならないでくれる?」
日本の、どこかの都市の、どこかの河川敷。
夕陽に照らされる緑の斜面に、幼い2人の男女が体を並べて寝転がっていた。
「だってそうだろう? 知っての通りボクの父親は階級だけは高いクソ親父で、母親は天才で新兵器の開発者だ。この2人のコネを生かせば、将来面倒な体力検査を介さず現場とは無縁の後方デスクワーク生活を満喫できるとは思わないのかい?」
「うーん清々しいまでの屑っぷり! 金賞獲得せかラン一位間違いなし! ぼくちゃん 満点あげちゃう《》とでも言うと思ったか?」
皮肉めいた口調で子供らしからぬ将来設計を語った少女。西洋と東洋が入り交じったような顔立ちは同年代の例に漏れず幼いが、ところどころに大人の妖艶さがちりばめられている。
そして彼女の隣で声を上げた、彼女と同じくらいの年齢であろう少年。顔立ち自体は平均的だったが、その顔から放たれる豊かな感情は、3枚目のそれだった。
「やかましいなぁ、君は。そんなに修行が好きなら、君1人で勝手にやればいいじゃないか。それとも、そんなに切磋琢磨が好きなのかい?」
「う、それ聞いちゃいますか……ま、まぁ、その……競争相手がいると向上心がアップすると言いますか……マチちゃんがいるとやる気が出ると言いますか……あーっもう!! いいや!! 言っちまおう!!!
俺な、お前に死んでほしくないんだよ。戦場でな」
ひとときの呆け顔。しかし即座に、皮肉に戻る。
「へぇ、死んでほしくないのか……。まぁ確かに、ボクという美を失うことは人類種にとって間違いなく大打撃だろうが……些か早計ではないかい? ボクが兵士になって、魔獣どもと戦って死ぬって決めつけるのは。
キミ、少々おかしいんじゃないのかい? こんな言い方は良くないが……1度精神科の診察を受けた方が」
「マチ。俺は、本気なんだ」
「……はぁ?」
「だから、本気なんだよ。いいか、お前はこの先、なんやかんやあって兵士になる。そんでかくかくしかじかで、人類を救うんだ」
「……」
「あっ待てコラ、病院に電話すんな!
……頭おかしいこと言ってるのは分かってる。
でもな、マチ。俺はお前に英雄になって欲しい。だから頼む、この通りだ!」
素早い身のこなしで、マチと呼ばれた少女に向けて土下座の姿勢をとった彼。真剣さと切実さがこれでもかというほど醸し出ていたが、いかんせん行われた場所が斜面なため、斜めの土下座というなんとも滑稽なものが産まれてしまっていた。
「……っ、ふふ……ふ、あははははは!」
邪気を感じない、純粋な笑い。眼前の珍妙な土下座を見た彼女は、腹を抱えて笑っていた。
「はは、はは、はぁー。まったく、こんなに笑ったのは久しぶりだよ。
うん、いいさ、キミの魂の懇願に免じて、鍛練に付き合ってあげる」
「え? マジ? ……シャアッ!」
一瞬の呆けが過ぎ去り、喜びが彼の体を駆け巡る。その喜色のエネルギーは、彼の体に意図せぬガッツポーズをとらせていた。
「いやぁまったく、キミは変わり者だね。
……初めてだよ、ここまで感情を向けられるのは」
そう言った彼女の顔は、夕陽に照らされ黄昏色に輝いていた。
[西暦2134年4月9日19時52分]
今日から状況整理も兼ねて、自分についての記録をしていこうと思う。
まず第一に、俺の名前は冴嗎タイヨウ。17歳。前世においての創作物の世界に生誕ということを除けば、ごくごく凡庸な男子高校生だ。
……いきなり出てきた意味不明な説明を前に、頭にクエスチョンマークを浮かべる人もいるだろう。だが残念なことに、これは全くもって純然たる事実なのだ。
そのことに気付いたのは、忘れもしない2334年3月25日、ちょうどの7歳の誕生日だった。
『ニューヨーク、防疫軍の抵抗むなしく陥落』
ゴシック体でデカデカとその存在を主張する文字と、ニューヨークの人々を襲う黒い1ツ目の怪物を映した映像を目の当たりにして、俺はついに悟った。
──ここ、『タイタンズ』の世界やん。あかん(確信)。
『タイタンズ ~天駆ける巨兵たち~』とは、前世に存在した、百合ゲー(建前)超鬱ロボットノベルゲー(本音)である。
まるでマブ○ヴと○ヴァを悪魔合体させて2つに割ったようなこの作品。魔獣と呼ばれる人類に敵対的な生命がいる世界で、人類を守るために戦うということが大まかなコンセプトであり、下火だった本格的ロボット系作品の新作ということもあり、多くの期待を寄せられていた。
しかしそんなプレイヤー達が見たのは、鬱&曇らせ展開のオンパレードであった。
具体的には、通常パートで平和な日常をじっくりねっとり描写しておいて、次の章ではその全てをぶち壊す、ヒロイン含むメインキャラたちの惨殺死体を主人公に見せつけるなどといった、主人公に何か怨みがあるとしか思えない展開だった。
このあんまりな内容に一部の者は憤慨し、一部の者は絶望し、また一部の者は何かS的なものに目覚めたという。原作者を出せ、という声もあったそうだが、その作者はゲーム作成後に謎の失踪を遂げたらしい。いくらなんでも怖すぎる。
そんないわく付きの世界に生まれてしまった俺だが、思ったよりも絶望はしていなかった。
何故かと言うと、この俺冴嗎タイヨウは、『タイタンズ』の主人公である久城マチの幼馴染みだからである!
(ちなみにゲームのキャラと同名の人物と幼馴染みなのに何故この世界について気付かなかったというと、単に彼女のことを他人の空似だと思い込んでいたからである)
『タイタンズ』には、全てで5つのエンディングが用意されていた。
そのうち4つは、かのド○ッグオンド○グーンを攻略した猛者をも戦慄せしめる内容だったが、それら全てを攻略することで解禁されるルートは、絶望的な展開がちりばめられてはいても、それを潜り抜けると感動のエンディングが待っているという、別人が作ったとしか思えないルートなのだ。
そして俺は、前世で培った原作知識を持っている。つまり、そのルートの通りに主人公を動かせば、第5のエンディングに辿り着けるということなのだ。
そう思った俺は、早速行動をとった。
自分の言うことを信じやすくさせるために、苛められている彼女を庇ったり、彼女の話を真剣に聞いたりした。
「近いうちに化け物が来る」と無理やり幼馴染みを納得させ、一緒に体を鍛えたりした。
そして10年が過ぎた頃、ついに政府より苦渋の決断として『16歳以上の学生の徴兵』が国民に義務付けられることとなった。
前世での価値観からすれば狂気の沙汰としか思えないが、此方の世界はたったの30年で既に人類の領土の3分の2を魔獣に奪われているという現状。四の五の言っていられない状況下だった。
そして、ちょうど16歳になった俺とマチは、原作同様『第4対魔兵訓練学校』に入学。第19期訓練生の1人として、魔獣を狩るための訓練を受けに来たのだ。これで漸く、あの地獄の入り口に立ったことになる。
だが何も心配することはない。何故なら俺には原作知識があるからだ。
明日から訓練だ、これぐらいにして早めに寝ておこう。
[西暦2134年4月11日21時45分]
訓練はキツいが、何とか着いていけている。やはりマチと一緒に鍛えていたのが大きいらしい。マチも俺に感謝してくれた。
この訓練の結果が、後に乗ることになる
[西暦2134年8月31日20時24分]
原作にあるイベントも、順調に進んでいるようだ。何も問題はない。
原作にはない俺という異物が存在するため、マチの行動には細心の注意を払っておいた。どうやらそれが功を奏したらしい。何も起こらなければいいが……。
[西暦2135年6月3日23時18分]
相変わらず、原作からの大きな変化は見られない。全て順調に事が進んでいる。後はマチが『あの機体』に乗るだけだ。それで漸く一段落つく。
[西暦2135年12月8日24時49分]
マチが疲弊している。どうやら更に厳しさが増した訓練に耐えきれなくなってきたようだ。どういうことだ、こんなイベント原作には無かったぞ。それとも描写されなかっただけなのか?
何にせよ、今ここで彼女に折れられては困る。だから、2人きりで話し合ってメンタルケアを図ることにした。
今思えば、こうやって一緒に話すのも随分と久しぶりだ。やはりもう少し、彼女を気にかけてやった方が良かったかもしれない。
下らないことや真面目なことを話していくうちに、いつの間にかマチは笑顔になっていた。何の邪念もない、素敵な笑みだった。
その笑顔を見るうちに、俺は奇妙な罪悪感に取り憑かれた。
これから彼女は、地獄へとその身を投げることになる。それも、見るに堪えない地獄へだ。
だからこそ、考えてしまう。マチを戦場に入れない道も、あったのではないかと。自分がマチの変わりになることも、出来たのではないかと。
いや、そんなことは不可能だ。
彼女は他の人間とは違う。だからこそ、原作で『あの機体』を完全に操ることが出来た。俺が変わりになるなんて、思い上がりも甚だしい。
自分は、紛れ込んでしまった異物だ。精々、第5のルートへの橋渡し役ぐらいしか、務めることはできない。
だからマチ、俺と皆のために、どうか進んでくれ。
[西暦2136年4月9日22時21分]
やった! やった! 原作通り、マチが『あの機体』の搭乗員に選ばれた! これで原作通りに事が運ぶ!
そして俺は、成績優秀者として評価された! これで原作通りにいけば、あの部隊に配属される筈!
上手くいく! 上手くいくぞ!
[西暦2136年4月24日23時15分]
思った通り、対SLG特設部隊──通称、『女神の盾』に配属された。
『女神の盾』とは、人類の勝利における絶対的な要となるであろう久城マチの護衛を目的とした、人類の精鋭で構成された部隊の通称だ。
その面々は、数々の戦場を生き抜いてきたベテランと、第19期訓練生の成績優秀者であるメインキャラたちによって構成されている。
つまるところ、その部隊のキャラたちとマチの絡みをメインに、原作は話を進めていたということだ。そして俺はその部隊の一員になった。俺の目的はこれだった。
これなら、原作の超重要な局面に立ち会い、あのエンディングへと繋がるように仕向けられるだろう。
さて、明日からより一層マチの気を配る必要がある。機を引き締めなければ。
[西暦2136年5月18日21時35分]
危なかった。まさかここにきて原作との乖離が現れるとは思いもしなかった。俺の援護が遅ければ、マチは死んでバッドエンドに直行していたかもしれない。
俺の記憶では、あの場面であれほどの魔獣は現れなかった筈。一体何が原因でこんなことが起こったんだろう。
何にせよ、これからは更に警戒を強めなければならない。今のマチは序盤ということもあって未熟だ。今回は偶然気付けたから良かったが、またこのようなことが起こったら今度こそマチは死んでしまうかもしれない。
今度からはマチの周辺に細心の注意を払おう。原作からの乖離がないか、よく見極めるのだ。
[西暦2136年6月5日24時08分]
部隊の人間に、「マチとの関係は進んだか」と揶揄するようにに聞かれた。
なんでもあの一件以降、日常パートの時間以外はマチの傍にいる俺の様子を見て、小隊の人間の俺とマチの関係に対する認識が、『何かしらあるとは思われる』から『恋人』へとチェンジしたらしい。
仲間は「マチさんもいい彼氏を持ったもんだ。少し愛が重いがな」と言っていた。
やめてくれ。
俺は彼女のためを思ってなんかいない。彼女と友達になったのも、彼女を励ましたのも、彼女を救ったのも、全て俺のためなんだ。
俺はそんな出来た人間じゃない。
俺は主人公じゃない。この世界の未来を知っていながら、マチの代わりになる決意すらも出来ない臆病な人間なんだ。
[西暦2136年7月18日22時42分]
原作通り、明日から俺たちはユーラシア戦線の基地に異動することになった。
もし原作通りに進むなら、着任したその日に早速襲撃がある筈。
そしてその戦いは、八咫烏の初の実践的な運用でもあり、お偉いさんに向けての御披露目でもある。つまり、かなり重要な場面だということになる。
原作に準拠して進めば何も問題はないと思うが、気を引き締めなければならない。
マチに万が一のことでもあれば、たまったもんじゃないからな。
…………。
…………。
…………あぁ。
…………分かっていた筈だ。
…………この世界に、希望なんて無いってことぐらい。
…………。
…………。
…………。
…………畜生。
…………俺が、やるしかないのか。
──ユーラシア大陸、統一防疫最前線。
「──畜生っ! 畜生っ! 畜生っ!」
ドガガガガ、と、とある一機の魔獣殲滅専用人型兵器
規則的な音を立てながら放たれた30mm口径の徹甲弾は、眼前で大地を黒く染め上げている無数の
だが、魔獣たちの勢いが衰えることはない。速度を落とすことすらもせず、大波のように彼らへと押し寄せてくる。このおぞましいまでの物量が、人類がこれまで追い詰められた要因の一つだった。
「──畜生っ! 畜生っ! くそっ! 何だってんだよ!」
「落ち着けブルー3! フォーメーションを崩すんじゃない!」
「頼む! 援護してくれ! 膝のジョイントがやられっ、うっ、うわぁぁぁ────!!」
ブルー2と呼ばれた機体が、黒い濁流に飲まれて倒れ込む。そしてゴブリンたちは機体の色が見えなくなる程に次々と覆い被さり、一瞬体をチカッと発光させ、ブルー2を道連れに
「ブルー2! ああ畜生! てめえらぁぁぁあ!」
「死にたくないっ、死にたくないっ、死にたくないっ、死にたくなっ、あ」
これまで経験した仲間の死、魔獣への恐怖、そして死への恐怖から恐慌状態に陥ったブルー3は、闇雲に眼前の群れへ向けて徹甲弾を撃ちまくる。
しかしそんな抵抗も虚しく、ブルー3は2本の角を持ち地を駆ける
「ブルー3! あぁクソ! なんで、なんでこんなことに!」
部下を悉く殺され孤立してしまったブルー1は、仲間の命を奪った化け物どもに対して強い怒りを抱いて徹甲弾をばら蒔く。が、今にも彼を飲み込まんとする黒い大河にとって、それは小石を投げ込まれた程度の物だった。
黒い大河に浮かぶ無数の瞳が、ささやかな抵抗を続けるブルー1を一斉に見つめる。暗黒の中に浮かび上がる無数の瞳に見つめられる光景は、数多の熟練の兵士であるブルー1を萎縮させるのに充分な威力を持っていた。
「あ、あぁ……うあああっ──────!」
堰を切ったように、魔獣たちがブルー1へ雪崩落ちる。狂ったようにライフルを乱射するも、止めることはかなわない。
黒い波が押し寄せる。全てを飲み込む悪夢が迫る。必死に抵抗を続けた彼も、散っていった仲間と同様あえない最期を遂げる──かに見えた。
──バシュゥゥゥン!
(──は?)
轟音と共に、眼前の黒い津波の前列を消し飛ばす眩い放射状の光。ブルー1の至近距離に着弾したそれは、まるで扇を振るい風を起こすかのように、後列の魔獣を凪払った。
『──指令本部より全機に告ぐ。英雄様のご到着だ。速やかに退避せよ。繰り返す。速やかに退避せよ』
「っマジかよ……!」
指令部からの思わぬ通信に心を躍らせた彼は、メインカメラの搭載された頭部を後方上空に向ける。
そこには、希望が横列を組んで空を駆ける姿があった。
「はははっ、やったぜ!」
「た、助かった……無事に帰れるんだ……!」
「これで生きて帰れる!」
横列に並んで飛行する、対魔特設部隊の特殊飛行型機体『
黒を基調とした機体色。鳥をモチーフとした頭部。滑らかで分厚い装甲を持つ胴体部。そして何よりも目につくのが、胴体に接続されている3本の足だった。
『指令本部より特設部隊へ。A班からB班は地上部隊の退避援護をしろ。八咫烏とC班は残存勢力の掃討だ。総員かかれぇっ!』
「「「「「「了解っ!」」」」」」
八咫烏が地表へ急降下し、続いてC班も降下する。幾ら地上部隊よりも装備が良いとはいえ、それだけの数で地表を埋め尽くさんばかりの魔獣に挑むのは、自殺行為に均しく見れた。
地表スレスレに降りてきた八咫烏に、魔獣が群がる。愚かにも降りてきた烏を、その体で屠らんと。実際のところ、彼らにそのような感情は存在しないのだが。
そして次の瞬間。
八咫烏を中心として扇状に、複数の光輝くレーザーが放たれた。
ジュワっ、という音と共に、射線上にある全ての物体が蒸発する。
その光景は、30mm徹甲弾ライフルが主装備の地上部隊からすれば、馬鹿馬鹿しくてやってられないと思うほどの光景だった。
半径3キロの範囲内の魔獣を消し飛ばした彼は、次なる獲物を求めて推進装置を作動させる。荒野を駆けながら光線を放つその姿は、神の使いの如き威容を放っていた。
「すっげぇ……あれが噂の『八咫烏』か……。上層部はとんでもないものを造ったもんだ」
「まだ技術が確立されてないから今は一機だけだが、もっとデータが集まれば量産も不可能じゃないらしいぜ……! 奴はその為の試験機らしいぞ」
「じゃあもっと時間があれば、あれが量産されるってことか! 人類の勝利もそう遠くないぞ……!
にしても、あれには一体どんな奴が乗ってるんだ?」
「なんだお前、知らないのか。ほら、新兵の冴嗎タイヨウって日本人だよ。前に軍のニュースでやってたろ」
「あぁ、あいつか。……あんな子供が、あれを動かしてるのか……」
「軍の中じゃ、すっかりヒーローだよ。人類の希望、勝利への要ってね。日本の軍には、彼のファンクラブもあるみたいだね」
「そいつらの気持ちも分かるぜ。誰だって
それにしても良い気分だ! 見ろよ! あの化け物ども怯えてやがる!」
「あぁ全くだ! 良い気味だぜ!」
HAHAHAHA、と笑い声が響く
そんな時間が10分ばかり続いた頃。
人類の活動区域に侵攻してきた魔獣は一匹残らず狩り尽くされ、そこには僅かばかりの死体と、荒涼とした大地のみがあった。
同日。ユーラシア方面第23防疫軍基地。
ST整備用ハンガーに、撤退援護の任務を務めてきた機体が収容される。15ある個別格納庫に全て機体が収められてるということは、誰1人として彼らのメンバーが欠けていないことを示していた。
その中の1機のコックピットから、1人の少女が飛び出す。小柄な体と紅の髪を持つ彼女──『山入端シズク』は、コックピットから地上へと繋がる足場を伝い地上へと降りると、真っ先に格納中の『八咫烏』へと向かった。
ガチャン、と『八咫烏』に固定用アームが嵌め込まれ、整備用の足場が機体に纏わりつく。
そしてコックピットのハッチが開かれると、彼女の心配源である男が現れた。
「タイヨウさーん! 大丈夫ですかー?」
「出迎えご苦労、シズク上等兵! ……なんてね、今日も何か相談かー?」
頭上より降り注ぐ、気の良さそうな少年の声。
そこには、彼女へ向けて手を振る『CF-04 八咫烏』のパイロット──冴嗎タイヨウ──の姿があった。
「あぁほら下がって下がって! これから検査始めるんだから!」
「別にいいじゃないですか。俺だったらほら、この通り!」
シズクを諫める検査員へ向けて、彼は腕を大きく回す。まるで子供のようなその仕草に、シズクはくすりと笑った。
「……2分だけだぞ、いいか、2分だ! ほんとなら即座に検査室に入ってもらわなきゃ困るんだぞ! それを2分も遅らせて逢い引きの時間作ってやるんだ、ありがたく思え!」
「モテないからってうっせーぞこの童貞!」
「どどど童貞だtoせdrftgyふじp!!!!」
検査員は激怒した。タブーを言われた彼は、それはもう烈火の如く怒り狂った。次の瞬間、彼は愛用の電子ペンを振り上げて整備員らへと駆けていった。
「ヒヒヒ、相変わらずの拗らせ具合だな。こりゃまた良い話のネタになっちゃいそうだな……」
「えぇそうですね……。
……あの、突然なんですがその……ちょっと聞きたいことがあるんです、けど……」
「ん? 何を?」
ごくり、とシズクは唾を飲んだ。
「……これ、何色に見えますか?」
そういったシズクが取り出したのは、一機の飛行機のイラストがプリントされた1枚の紙。そこらのネットから拾ってきたであろう、フリーのイラストだった。
「ん……? そりゃ、
「お゛お゛お゛い゛! ゛そ゛ろ゛そ゛ろ゛時゛間゛だ゛ぞ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛! ゛! ゛」
「おおすげぇJealousy……。んじゃ諸々そういう感じで! また後でな!」
整備員に返り討ちにされ、ズタボロになった検査員に向けて彼は走り出す。その後ろ姿を、シズクはじっと見つめていた。
その瞬間。彼女の手の中のプリントは握りしめられ、無惨にも皺だらけに成り果てた。
「冴嗎タイヨウを、『CF-04』のパイロットから外すべきです」
「……エイプリルフールなら、もうとっくに過ぎたぞ山入端上等兵」
「ふざけないでください少佐。私は本気で言ってるんですよ」
「……一応、話だけは聞いておこう」
本部施設のとある一角。特設部隊の指揮官兼、CFパイロットの管理長のディーガン少佐は、部下の山入端シズクに呼び出されていた。本来なら上官を呼び出すなど信じられないことだが、ディーガンはそれに応じていた。
「今日私、タイヨウさんにこれを見てもらったんです」
くしゃ、と音をたてながら絵が広げられる。ディーガン少佐は、何も言わずにそれを見る。
「それで私、聞いたんです。これは何色ですかっ、て。そしたらタイヨウさん、何て言ったと思いますか。『緑』ですよ」
シズクの言葉に、ディーガン少佐は眉をピクリとひそませた。
彼女の眼前には、
「やっぱりあるんですよね、『八咫烏』搭乗者にかかる負担。それも色覚異常を起こす程の」
「……それだけじゃない」
「……えっ?」
「味覚障害、一時的な平衡感覚の喪失、一部の触覚の喪失。後は
「……は?」
何でもないかのように、息を吸うかのように放たれた衝撃の告白に、困惑を隠せない彼女。
情報過多からくる混乱が過ぎ去った彼女の頭に浮かんだのは、凄まじい怒りの炎だった。
「そんなことになってるのに、タイヨウさんをパイロットにしてるんですか!? 貴女頭がおかしいです!! そこまでして勝ちたいんですか!? でもタイヨウさんはそんな様子……。! ああそうですか、タイヨウさんに何でもないよう振る舞うことを強要してるんですね! 貴女最低です! 彼女を失ったばかりの彼を使い潰すのに、何の躊躇いも無いんd」
「──あるに、決まってるだろぉ!!」
「!?」
それまで人間らしい熱を感じさせなかった上官の鉄面皮が崩れたのを見て、彼女は困惑する。彼女にとってディーガン大尉は、仕事に一切の私情を挟まない冷徹なリーダーという印象が強かった。
「奴の検査結果を見て私が辛く思わないと思うか!? 戦う度にボロボロになっていく奴のことを、私が気にしないと思うか!?」
「っで、でも、なら何故タイヨウさんをパイロットから降ろさせないんですか……?」
「……出来ないんだ」
「……えっ?」
「奴が言ったんだ。
「そんなっ……!」
「マチには劣るが、奴にそれなりの適正があるのもまずかった。優秀な実験体を失った上層部は、ある程度の適正を持ち、自ら志願してきた奴を
調整処理による適正の強化も、奴の希望だ。だがそれでも
「……ではっ、普段の平気そうなあの様子は……!」
「精神を安定させるためかもしれないが……十中八九、お前たちを不安にさせないための強がりだろう。
もう、奴を止めることはできない。今のクソッタレな世界と奴の間には、最悪の利害一致が成り立っている。もう、止めることはできないんだ……!」
大尉はそう吐き捨てると、呆然としているシズクに背を向けて去っていく。その背中は、一目見ただけでも分かるほどに、自らの無力さへの怒りで満ち満ちていた。
どさり、とシズクが膝を着く。タイヨウを取り巻く環境の余りの救いの無さに、足の力が抜けたのだ。
「どうして……どうして……死んだんですか……教えてくださいよっ、マチさん……」
絶望に目を濁らせた彼女は、虚空へ向けてそう嘆く。
その嘆きに答えるものは、誰もいない。
「タイヨウ、これやる」
「お、いいのか? じゃもーらい」
特設部隊の1メンバーである赤原イクのトレーから、1つの唐揚げがタイヨウのトレーに移される。比較的物資の豊富なこの基地で作られたそれは、戦いで心身共に疲弊した彼らにとって非常に魅力的な香りを漂わせていた。
「でも良かったのか? お前の好物なんだろ、これ」
「……いいの。今日もいっぱい、タイヨウは戦ったから。これはほんのお礼。
……でも、食べてから聞くべきではない……と、思う」
「あ、やっぱそう? いやーでもこの誘惑に耐えれる人間なんて居ないって! 見ろよこの輝き! 犯罪的だよ犯罪的!」
「お、なんだなんだ捧げ物かー? じゃあ俺はパン1切れをやろう」
「じゃ私はジュース1本」
「じゃうちはオレンジ1個」
「ちくわ大明神」
「誰だ今の」
そんな2人を目敏く見つけたチームメンバーたちが、2人の食事に介入する。そしてイクに便乗して、次々と彼へと
「おぉ……皆一体どういう腹積もりだぁ? さては俺を手懐けて操り人形にしようったって魂胆だなぁ?」
「バーカそんな訳ねぇだろ。イクと同じで感謝の印だよ。……俺たちゃずっとお前に頼りっぱなしだからな、せめてこれぐらいはしてやりたいんだよ」
「お、おぉ……! 同期の絆感じれて俺ちゃんすごい感激してる……! よーし、じゃあその感謝の気持ち、受けとるとしますか!」
「だ、大丈夫なのタイヨウくん……? そんなに沢山食べきれるの……?」
「だぁいじょうぶだって安心しろよ~。へーきへーき、平気だから。ほらいくゾ~」
彼は山のように積み重なった食事に手をつけると、ばくばくと一心不乱に食べ始めた。その勢いは凄まじく、食品の山を一分足らずで小山程度に変えてしまった。
「おお凄ぇ! じゃこれも!」
「これも!」
「これも!」
「うわははは! どんどんこーい!」
間髪いれずに次の食品が追加されるが、彼の勢いが衰えることは全くない。いやそれどころか、増えるにつれて加速しているようにも見えた。まるで人間バキュームだ。胃がブラックホールで出来ているのだろうか? 尤も、彼が大食漢だということはこの基地の人間にとって周知の事実なのだが。
次々と供給されていく食品たち。それに込められた思いは、彼への感謝か。それとも期待か。どちらにせよ、その量は1人の人間にとっては些か過剰なようであった。
(いやー食った食った。安全圏の基地だけあって飯が豪華だなぁここは)
同日 21:05 CF-04パイロット『冴嗎タイヨウ』専用個室にて。
1人用のベッド・様々な調度品・洗面台。様々な物が備え付けられているこの部屋が、彼に与えられた個室だった。軍曹でもない、訓練学校を卒業して僅か3ヶ月の新兵としては、破格どころではない待遇であった。
そんな部屋が与えられた理由は、彼の優秀さ故ではない。
(しかし皆良い奴らだなぁ。新兵の俺を純粋に感謝してくれるばかりか、飯まで分けてくれるなんて)
そんな状況にも関わらず、彼はアホ面を浮かべながらなんとも平和的なことを考えていた。カメラのことに気づいていないのか、気づいた上で敢えて無視しているのか、それとも只鈍感なだけなのか。真相は闇の中である。
(戦いは辛いけど、何とか今日も活躍できた。マチもいたら、きっと楽しく──)
瞬間。
彼の脳裏に浮かび上がる、封印されし
忘れもしない、あの日のこと。
激戦を経てボロボロになった機体。
『八咫烏』と相討ちする形で息耐えている
そしてコックピットを惨たらしく染め上げている、生き物としての形を解かれた
「うっ、う、うぉぇぇぇぇぇ……」
最悪なフラッシュバックに襲われ、彼は吐き気を催した。喉元に込み上げる吐瀉物を感じながらも、ベッドや床を汚さないために急いで洗面台へと向かい、勢いよくその全てを吐き出した。
「おぇっ、おっ、げほっ……あ、あ……!」
夕食で見た面々が、汚ならしくその姿を見せている。
同僚たちの
(ダメだダメだダメだ! この程度で弱ってちゃ、てんで話にならねぇ……! こんな心の弱さを持ってちゃ、あっという間に『コア』に飲まれちまう……)
彼の駆る機体である『
それは、五ツ目以上の魔獣の体内に確認されている無尽蔵のエネルギーを生み出す『コア』を動力として設計された機体だ。
当初、コアは単なる動力源としてしか見られていなかったが、後にそれが生み出す無尽蔵の不可思議なエネルギーは、その方向性を弄ることで様々な武装として運用できることが明らかになった。
コアのエネルギーの副産物である『コア粒子』を機体の半径20mに展開し、必要に応じて質量を持たせ瞬時にバリアを作り出す『フェーズフィールド』。
更に『フェーズフィールド』の外縁部に孔を開け、フィールド内のエネルギーに還元した粒子に圧力をかけ一気に放出する『コアキャノン』。
従来の兵器とは一線を画すそれらの存在は、魔獣の侵攻に辛酸を嘗めさせられ続けていた軍の上層部を多いに沸き立たせた。
だが、すぐに問題が発生した。
何と利用したコアには、その元の持ち主である魔獣の思念が残留していることが確認されたのだ。
そしてその思念は、CFシリーズを駆るパイロットに持続的な精神攻撃をしかけ続けることで、パイロットの精神崩壊を起こしその意識を乗っ取ろうとする性質を持っていた。
世界で最初のCFのパイロットは、5回目の発動の際にコアの精神汚染をモロに受け発狂、その体を完全乗っ取られてしまった。
コアの制御下におかれた『CF-01』は2時間に及ぶ暴走の末、軍は一個師団の壊滅という甚大な被害を出しながらも、艦隊の一斉砲撃によりその活動を停止した。
この事件よりCFシリーズにはコアからの干渉を軽減するためにフィルターやリミッターが開発取り付けられた。だがそれは同時に、コアからの出力をも軽減してしまったのだ。
つまり戦力を増大させるには、コアからの執拗な干渉に耐えきるだけの精神力が必要ということだ。
(もうすぐ原作の
故に彼は、コアからの干渉への耐性を高めるかわりに身体に何らかの不調をきたすことになる危険な
だが、それだけのことをしても、原作のマチには遠く及ばなかった。
いくら手を尽くしても埋まらない、残酷な才能という差。そしてそんな自分を信頼する、心優しい仲間たち。その純然たる事実が、彼の心を深く苦しめていた。
(あぁ、すげぇよ
才能の差というどうにもならない現象から生まれ出でる無力感。
これからの大まかな未来を知っている故に、心に湧き止まない焦燥感。
そして何よりも、己の力不足が
「う! う、おぇぇぇぇ……はぁ、はぁ、うぅ、ひっぐ……」
どうにもならない現状と己の力不足さに、思わず彼は涙を流す。感情を一定に保つことがCFパイロットにとっては最重要だということは分かっていたが、それでも泣かずにはいられなかった。
「う、うぅぅぅ……成りたい……あぁ、お前に成りたいよ、マチ……」
愛する恋人へ、彼は助けを求める。しかし彼の目の前には、鏡に写るぐちゃぐちゃに歪んだ自分の顔のみがある。
彼は、全人類の希望である。
希望は、歩みを止めてはならない。
希望は、絶望してはならない。
例えその肩書きが、彼にとって重すぎる肩書きとしても。
彼はそれを、背負わなければならないのだ。
ギャン、とレーザーが放たれる度に、山ほどの魔獣が消し飛んで行く。
『八咫烏』を中心に横列を組む
その場の主導権は地を這う魔獣にはなく、空を自由に駆ける彼らにあった。
『現在八咫烏はエリアO-2にて殲滅戦を展開中。予定通り、敵群をP-7へと追い込んでいます』
『全地上部隊及び飛行部隊は、掃討戦へ向けて陣形を展開。落ち延びてきた敵残党群を掃討中です』
「──各小隊には、そのまま前線を維持させろ。八咫烏による攪乱完了後、支援砲撃を開始する。
パイロットはどうだ、ディーガン少佐」
「──現状、特に問題は見受けられません。ですがコアビームの負担は依然としてかかっているため、油断は禁物でしょう」
「そうか」
作戦の指示塔。兵士たちの繰り手。絶えず流れ込んでくる情報にオペレーター達が対処している中で、そんな会話は行われていた。
直立不動の姿勢をとり、その美貌を僅かな険で歪ませているディーガン少佐。その隣には、高官の制服に身を包んだ男の姿があった。
軍人として鍛えられた、頼りがいのある恰幅のよい体。そんな体を乗りこなしている顔には、人間性をまるで感じない壮年の男の表情が張り付いていた。
(相も変わらず薄情な男だ、
「これより、最高汚染レベルを8に規定する。許容範囲を越えたら、即座にSDシステムを起動しろ」
「……っ、レベル8、ですか……!」
「そうだ」
ほざけ、と彼女は毒づいた。
パイロットの精神汚染は1~10の段階に区分されている。1が最低で、10が最高だった。それはつまり、8という数字が決して軽いものではないことをしめしていた。
「お言葉ですが中佐! 冴嗎上等兵の疲弊は決して無視できるものではありません! そのような無茶な扱いは控えるべきです!」
「……」
「……っ! 何とか、仰ったらどうですか!!」
彼女の問い詰めに、彼は反応すらもしない。ただただいつも通り、感情が見受けられない表情でモニターを見つめている。
(他者を道具としてしか見れない冷血鬼め……! もしこんな扱いが常態化したら、奴は間違いなく発狂する! 何とかしてこの状況を打開しなければ──)
「A-36ポイントに新たなエネルギー反応多数! 新手です!」
(──何?)
最初に彼女が思ったのは、あり得ない、だった。
CF『八咫烏』を切り込み隊長とし、一般対魔兵に打ち漏らしの掃討をさせる『C作戦』。
CFとそのパイロットに異常さえなければ、一般対魔兵に危険などまず及ばない筈であった。
そんなCFに守られた、絶対安全な後部。
その後部に突如敵が湧き、一部の兵を包囲するなど。
彼女には、どうしても信じられなかった。
(ふぅ、これで一段落ついたな。……よし、今のところどこの部隊も異常は無いみたいだ。またあんなことが起きないか警戒はしていたが……杞憂だったかもしれない。
いや、油断は禁物だ。あとは後方の部隊に何か異常が無いか調べに向かうだけ──)
『指令本部より実行部隊! 現在南西方面の掃討部隊に魔獣の群れが殺到している! 実行部隊は至急援護へ向かえ!』
(──は?)
冷たい予感が、彼の背筋をぞわりと撫でる。
機体を瞬時に方向転換させ、ジェットブースターに火を灯す。
仲間が何か言っていたようだが、彼は聞く耳さえ持たない。そんな彼の脳内には、避けるべき最悪の事態が描かれていた。
(畜生、最悪だ……! ここにきて原作に無い展開かよ……! あぁ、しかも南西の部隊っていったら──)
──シズクが担当する方向じゃないか──
『敵は! 敵にはどんな種が確認されましたか!?』
『分からん! 変な電波障害が発生していて現状が掴めない! 分かるのは
彼の脳を、疑問が埋め尽くす。
敵の出現。突然。不可解。場所。原作にない展開。何故だ。何故だ。何故だ。何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ──。
今回の作戦に向けて、彼は以前のような事件が起きないよう、対策を立てていた。最悪の事態が起きないよう、何度もシュミレーションを繰り返していた。
だがそんな彼の足掻きを、世界は容易く一蹴する。
畜生、と彼は己の無力さを呪う。何が英雄だ、と己の無能さに怒りを燃やす。
万全の備えをしているつもりだった。予想外の出来事に警戒しているつもりだった。これ以上、誰一人として死なせないつもりだった。
(畜生、畜生、畜生! 俺はまた……! また、失うのか……? マチに続いて、シズクさえも……?
あぁ、クソ……やっぱり俺は、なれないのか……
彼が抱く、
マチと己の間にある、パイロットとしての才能の差。原作知識というチートにも等しいものを持っていながらも、他人を死なせてしまう己の至らなさ。
その2つを残酷にも突き付けられながら安静を保っていられる程、彼の心は強くない。現に彼の精神は徐々に、それでいて確実に、その強度を磨り減らされ続けていた。
(クソ、何で、何で俺がこんな目に……マチなら、全部上手くいったんだ……何で死んじまったんだよぉ……!)
そして遂に、彼は初めて己の奥底に留めておいた不満を、心の上層でぶちまけた。自分を犠牲にすることを選んだ彼とて、完璧な聖人君子ではなかったということだ。
だからといってそれが彼を責めることには成り得ない。むしろここまで耐えれていたのが不思議なのだ。
(死人に責任転嫁、か……。ははは……最低だな、俺って。
……あぁ、もう、全部どうでもよくなってきた……)
そしてそんな心のヒビを、
パイロットの心が弱っていることを察知したコアは、これ幸いと言わんばかりに精神攻撃を強化した。
揺さぶられていた心に、更なる攻撃が降り注ぐ。
死ね。お前は屑だ。役立たずだ。お前は英雄じゃない。どうしようもない凡人だ。お前は誰も救えない。
悪意を煮詰めたありとあらゆる罵詈雑言の囁き。一つ一つは小さくとも、それら全てが彼の心に傷をつける。塵も積もれば山となる。それらは正しく、緩やかな崩壊への道だった。
『──え、────聞こえ────応答────』
(うるさいな……もう眠いのに……)
彼は頭に、ぼんやりとした霧がかかっているのを感じた。その霧は彼の外界との干渉を阻み、彼を静かな崩壊へと導こうとするものだった。
(もう、逃げよう……今までこんなに一生懸命戦ったじゃないか。もう休んでも、問題ない……)
──本当に、そう思ってる?
(──!?)
鈴が鳴るような、澄みきった声。聞き覚えのないようで、どこか懐かしい音色。耳ではなく、心で聞いた。
──本当に、それでいいのかい? 誰も彼をも省みず、自分だけ己の世界に逃避する。そんなことが、君の望みなのか?
「……う、うるさい! 俺はもう疲れたんだ! 出来る限りのことはやった! 思い付く限りのことは全部やった! それでも、それでも結果は報いてくれないんだ!!
そうさ、俺は屑さ! 上手くいかないからって逃げ出そうとしてる情けない奴さ! でも、それの何が悪いんだよ! 俺は転生なんて望んじゃいなかったのに、気付いたらこんな世界に生まれてやがる! 元々俺が戦う必要なんてどこにも無いんだ! だから勝手に逃げ出してもいいじゃないか! 戦うのは、戦うのはもう嫌なんだ!
……だから、だからもう、放っておいてくれ……もう嫌なんだ……」
──ここで逃げたら、シズクは死ぬぞ?
「──っ!」
彼の脳裏に、笑顔を浮かべるシズクが浮かび上がる。
──それだけじゃない。キミが再起不能になると、
現時点最強のCFである、八咫烏を駆れるパイロットの喪失。それは即ち、人類が魔獣に対しての最も有効な手段を失うことを意味していた。
(──嫌だ)
彼の頭に描き出される、最低最悪の想像。
蹂躙され事切れた、彼の仲間と人間たち。そして地上を我が物顔で闊歩する、忌まわしき魔獣ども。
仲間を喪うことがトラウマになっている彼にとって、その光景はどうしても許容できないものだった。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──! それだけは、それだけはどうしても認めきれない! それだけは、それだけは──!!)
──なら、何をするべきか。分かっているだろう?
(──あぁ、分かったよ。やってやるよ、やってやる!!)
全てのジェットブースターが最高出力に稼働させられ、機体が更に加速する。
パイロットとして訓練を受けた人間でも失神する可能性があるほどの速度の中でも、彼が落ちることはなかった。
(敵の戦力は未知数。既に部隊が全滅しててもおかしくない。正直、望みは薄い──いや、考えるな! 大丈夫だ、シズクはこの段階では死んでない。きっと大丈夫さ。きっと、きっと)
半ば願望に近いものを抱きながら、南西を機体を走らせる。
機体を走らせる。味方の姿はまだ見えない。
機体を走らせる。敵の影も見えはしない。
機体を走らせる。目的地に近づいた。しかし手前には丘があり、今の地点からは目的地を一瞥できない。
スラスターの角度を変え、丘を登る。距離的には20秒もかからずに登れる程度の規模だが、今の彼にはそれが30分にも1時間にも感じられた。
自らの心臓の重い音色を聴きながら、丘を登りきる。そして目的の平地を見下ろし──彼は、目を見開いた。
死に様を晒している魔獣の死骸。無惨に破壊されたSTたち。そしてその中心にある、五ツ目の個体の触手に貫かれんとしている、
「──っ、シズク!」
『──あ、タイヨウさん……』
シズクの機体と、タイヨウの機体が電波上で繋がる。謎の障害を抜け、通信可能な領域に入ったためであった。
『──さよな』
グシャ、と触手が突き刺さる。それは無情にも、腹部のコックピットを的確に貫いていた。
「あ、あ、あ!」
『あぁやっと繋がった! 冴嗎伍長聞こえるか! 状況を報告しろ!』
精神崩壊、錯乱状態、SAN値0──俗にいう『発狂』。これに陥ることは則ち、体および機体の制御をコアに乗っ取られると同義なのだ
「あ、う、あ、あ」
『冴嗎伍長、どうした! 何を見たんだ!』
故に、彼らには様々な安全装置が組み込まれる。
コアからのあらゆる干渉をシャットアウトする完全遮断フィルター。特殊な電波を用いパイロットのストレス緩和物質放出を無理やり活性化させる装置。そして万が一それらが無効だった場合に備えて、彼らの体内に埋め込まれた
パイロットよりもコア自体に優先度を高めたそれら非人道的な設備の数々は、人類が如何に追い詰められているかを切に物語っていた。
「あ、あ、あ、あ」
『っ、このバイタルは──! 冴嗎伍長! 気をしっかり保て! これは命令だ!』
そしてそれらが発動していない状況。
それはつまり、彼の精神は不安定になりながらも許容範囲の範疇にあることの証左だった。
彼がこれまで受けた調整、補助装置による一時的な正気度の活性化。そして彼自身が抱くCFパイロットとしての責任感が、彼の精神を崩壊の一歩手前にどうにか留めていた。
「あ、あ、うぁぁぁぁぁ──────!!!!!」
仲間の死を目の当たりにしても、狂うことすら許されない。
逃げ道など、はなから存在しないのだ。
『曇らせ最高!!!』
──ドフトエス・クモラセスキー(794~1192)