「これは...参りましたね。」
額に手を当てて頭を抱えるオリバーを見ていたパターソンが自分のデスクに座ったままで話しかけてきた。
「オリバーさん。何かあったのか? 」
「ええ。大変申し訳ないのですが...。」
そう言いながらオリバーはメモした住所を別の紙に複写し、それを持ってパターソンのデスクまで持っていくと彼女へと手渡した。
「この住所までレオス君と二人で大至急向かってくれませんか。僕も直ぐに向かいますので。」
「わ、わかった。」
パターソンは何時になく深刻な表情のオリバーからメモを受け取ると、レオスが籠っているであろう研究室へと走った。
パターソンの背中を見送ると自分のデスクへと戻ると椅子に腰を下ろす。
机の上に置いたままになっていたスマホを手に取ると、どこかへと電話を掛け始めた。
「...お疲れ様です。いきなりで申し訳ないですが緊急事態発生です。」
施錠されてないドアの前には『スナック ぶるーず』と書かれた青い立て看板が置かれていて、ドアには『準備中』の札が掲げられている。
どうやら現在も営業を続けている店舗のようだ。
アクシアは握っていたドアノブを少し手前へと引く。
少し開いたドアの隙間から中を覗き込んでみると、まず二卓のテーブル席が見えたのだが、そこには人影らしきものは見えなかった。
そのままドアを開けていくと、バーカウンターと四、五席ぐらいのカウンター席が見えてくる。
そこでアクシアは自身の心臓がドクンと大きく跳ねたのが分かった。
『誰かいる』
カウンターの奥に誰かが立っていたのだ。
どんな人物か、男なのか女なのかも分からなければ、何をしているのかも定かではないのだが確かに誰かがいる。
まだこちらの存在には気が付いていないようだったので、アクシアは音を立てないようにドアを一度閉めた。
「ローレン。聞こえるか。四階に誰か居る。今どこだ。」
出来るだけ小さな声でインカムに呼び掛けるが返事がない。
「ローレン? 」
いつもならこちらが聞かずとも話し始めるローレンなのだが、こちらから二度話し掛けても反応がなかった。
『便りが無いのは良い便り』とは良く言うが、ローレンの場合は話が違う。
アクシアは直前にローレンから報告があった時に「こっちに向かう」と言っていたことを思い出した。
それにしては遅い。遅すぎる。
これは何かあったに違いないとアクシアは確信したが、目の前に居る人物の正体も確認しなくてはいけない。
「こりゃ二者択一って感じか? 」
アクシアはエレベーターの方を振り返るも、そこには人影も見えなければ気配すら感じられない。
「まー...迷うまでの事でもないか。」
今度は一気に最後までドアを開けると、奥に居る人物の方へと警察手帳を突き付けた。
「動かないで。警察です。」
アクシアが勢い良く突入すると、奥にいた人物は呆気にとられた表情で固まってしまっていた。
「あの...まだ準備中なんですけど。」
カウンターの奥で綺麗なグラスを持ちながら立っていたのは黒髪で覇気の感じられない若い男性だった。
「どーも。」
無気力な黛の声に見送られながらアクシアは店を出た。
中に居たのは、この店の店員で
前日の片付けが残っていて、早めに店にやって来ていたようだ。
身分証の確認も出来たし、ロッカーなども見せてもらえたが黒ローブの類も見つからなかった。
どう考えたって完全な一般市民で間違いなだろう。
四階もハズレ。ローレンは五階もハズレだと言っていた。
アクシアは廊下を歩いて階段まで辿り着き上階を見上げる。
「ローレン? 聞こえるか? 」
相変わらずインカムからは何も聞こえてこない。
エレベーターも動いていないし、あの段階で黒ローブが階段を下っていればローレンと鉢合わせてしまう。
つまり、残されているのは。
アクシアは薄暗い階段を駆け上がった。
五階には目もくれずに全力で階段を駆け上がっていく。
息が少し切れてきた頃に屋上へと通しているだろうドアが見えてきた。
やはり、ドアが半開き状態だ。
きっと、この先に。
屋上に出たアクシアの目を日中の強い日差しが襲う。
白い光の世界から解放されてからアクシアが最初に見たものは、グレーの床の上にうつ伏せで倒れている見慣れた赤髪の男の姿だった。
「ローレン! 」
「んっ...痛ってぇー...。」
ローレンが目を覚ましたのは見慣れぬ部屋のベッドの上だった。
まだ僅かに混濁する意識の中で周囲を見渡すと、意識を取り戻したローレンを見て驚いた様子のパターソンがベッドの傍の椅子に座っていた。
「ローレン! 良かった。目を覚ましたのか。」
パターソンの声を聞いて、彼女の後ろに立っていたレオスもローレンの顔を覗き込んだ。
「取り敢えずは良かったですね。では、先生とオリバーさんを呼んできましょうか。」
そう言うとレオスはスタスタと病室を出て行ってしまった。
どうやらオリバーの姿こそ見当たらないが、一緒には来ているようだ。
ローレンは自身の手を握ってみたり、足先を動かしてみたりしてみるも、特に痛みや違和感はなかった。
体調面での不調を強いて言えば、頭が鈍く、重いこととぐらいだ。
「パタさん。俺は一体...。」
「覚えていないのか? 君はアクシア君と黒ローブを偶然見つけて後を追った。アクシア君と分かれて黒ローブの捜索をしていたが、急に君からの連絡が途絶えた。前後の報告から屋上に向かったアクシア君が屋上で倒れている君を見つけた。丁度そのタイミングで私とヴィンセントさん。オリバー課長が現場に到着したって感じだな。」
パターソンの話を聞いていたローレンの記憶が徐々に甦ってくる。
屋上へと続く半開きのドア。降り注ぐ日差し。そして、目の前に立つ黒いローブの人物。
遠くから何かが聞こえてくる。
声?
「大丈夫か? まだ調子が悪いのか? 」
虚空を見つめて固まってしまったローレンを見かねてパターソンが声を掛けた。
「ああ。いや...大丈夫です。そう言えば、アクシアは? 」
「アクシア君か。彼も最初はここに居たんだが、君の命に別状がないと分かると、オリバーさんの制止も振り切って飛び出して行ったよ。『黒ローブは俺が捕まえる』ってね。」
アクシアのその行動が嬉しくもあったのだが、同時に心配でもあった。
自分が実際に対峙したあの人物。
霧が晴れるように鮮明になっていく記憶の中で、ローレンは黒ローブから感じた得体の知れぬ恐怖を思い出していた。
その時、病室に白衣を着た見慣れぬ女性とオリバー、それにレオスの三人が入って来た。
「おお。良かった。意識が戻ったんですね。」
オリバーは嬉しそうにベッドの傍まで駆け寄ってきてくれている。
「ちょっと失礼しますね。」
オリバーを押し退けて、後ろから現れたのは薄いピンク色の髪をツインテールにしている可愛らしい白衣の天使だった。
彼女はローレンの手首から脈拍を確認したり、瞳孔の確認、体の各箇所の痛覚の確認などテキパキと手際良く自分の職務をこなしていった。
「うん。大丈夫そうね。入院の必要も無いとは思いますけど、念のために今日一日だけ入院しましょう。」
「
オリバーの言葉を聞く限りでは白衣の女性は看護師ではなく、どうやらドクターだったようだ。
健屋は「お大事に」と言い残して颯爽と病室を後にした。
オリバーは彼女の背中に一礼をして見送ると、パターソンの隣にあったもう一脚の椅子に腰掛ける。
「ローレン君。もし体調が大丈夫そうなら、何があったのか教えていただけますか? 」
「はい。大丈夫です。アクシアがオリバーさんに連絡を入れた後...。」
ローレンは雑居ビルに入る黒ローブを偶然見つけた時から話を始めた。
二手に分かれて追跡して、五階で聞いた音。そして、問題の屋上。
三人に状況を説明していると、頭の中で響いていた声が大きくなっていく。
「...。...な事......いな。......に謁見出....だから。」
白昼の屋上にも関わらず、真っ黒なフードの中。
「...。光栄な事だと思いな。......に謁見出来たんだから。」
あの時。確かにローレンは聞いた。
「いや。光栄な事だと思いな。未来の王に謁見出来たんだから。」
「
『えっ? 』
屋上で黒ローブと対峙した所まで話したローレンが急に黙り込んだと思えば、突然脈絡のない言葉を発し始めたので聞いていた三人はほぼ同時に同じ様な声を上げてしまった。
「オリバーさん! 俺は屋上で
完全に記憶が戻ったローレンは興奮気味にオリバーの腕を掴んだ。
「容疑者と会話したんですか? 」
急に腕を掴まれ幾分驚いた様子のオリバーだったが、その動揺よりもローレンの発言への関心が優っているようだ。
「はい! 顔は見えなかったんですが、声を聞きました。
三人がローレンの次の発言を固唾を飲んで見守る中で彼の口が動く。
「一つだけ確かな事。それは黒ローブは『女』です。」
「...女...? 」
そう一言呟いたオリバーの声と表情が、彼の横に座っていたパターソンには一瞬、とても動揺しているように見えたのだった。