公安五課のオフィスに五人以外の警察官の姿があるのは本当に珍しいことだった。
オリバーが応接用ソファに座っている珍客の前にコーヒー入りの紙コップを置く。
「ああ。悪いね。」
「いえいえ。それより『
オリバーの前でコーヒーを啜っている男。警視庁捜査二課長の
警視庁捜査二課の課長と言えば『警視総監への登竜門』とも呼ばれている役職だ。
オリバーとは肩書こそ同じであれど厄介モノ処理班の課長のオリバーとでは目には見えぬ大きな格差が存在しているのが現実なのだった。
「いやー。久し振りに君の顔を見たくなってね...と言う訳ではなく、仕事のことでね。」
そう言いながら社はグレーの紙ファイルをオリバーに向かい差し出した。
「その中にはとある特殊詐欺事件の資料が入っているんだが、その事件を君たちに託したいんだ。」
「特殊詐欺? そんな事件だったら、正に君らの十八番中の十八番なんじゃないんですか? 」
オリバーは受け取ったファイルを開いてみると事細かに情報が記載されており、とても捜査が行き詰っているようにも思えなかった。
「まあね。事件自体は有り触れた霊感商法で死んだ人間でも生きてる人間でも憑依させることが出来るって言う手口で金を集めてるんだが、実際に捜査していた捜査員が言うにはそれが『本物』らしいんだよ。」
「『本物』? 」
怪しげな言葉に反応して顔を上げたオリバーは、至って真面目な顔でこちらを見つめている社と目が合った。
「ああ。本当に死んだ人間でも何でも呼び出せるらしい。そこで実際に体験した捜査員が何を言われたかは知らないが、余程ショックだっようでそいつは自分で退職願を出して辞めちまったんだ。」
「そこまで精神的なダメージを受けるなんて...その捜査員は何を見たんだ? 」
背筋をしっかりと伸ばして姿勢良く座っていた社だったが、ソファの背もたれに体を預けるような態勢に座り直すと大きな溜息を吐き出した。
「さぁーねー。最後まで喋らなかったよ。俺はありのままを上層部へ報告した。その結果、この事件は二課から公安第五課へと引き継がれることになって、俺が『こんなところ』まで足を運ぶことになったって訳さ。」
「そう言う事でしたか...。」
社は「さて」と呟いてから、僅かに残っていたコーヒーを飲み干すと徐に立ち上がった。
「生憎と俺も忙しい身でね。そろそろ失礼するよ。」
「忙しいと言うとは良いことです。こちらは任せてください。辞めてしまったという君の部下の為にも頑張らせてもらいますよ。」
「ああ。よろしく頼む。」
そう言い残してオフィスを去る社を見送り。自分のデスクに戻ると社から受け取った資料を今一度確認してみた。
『容疑者は自称巫女を名乗っており、彼女は口寄せを用いてあらゆる人物を自身に憑依させられるという。その口寄せ料金は多額であるが、実際に目にした人物は彼女の力を妄信するようになる。』
『容疑者:
資料に目を通していたオリバーはその中に貼られていた容疑者らしき人物の写真に目を留めた。
それは隠し撮りされたと思われる写真で、写っていたのはピンクの腰ほどまで伸びた長い髪を靡かせ、大きめな建物に入ろうとしている青い瞳の少女の姿だった。
「貴女も
珍しい来客が帰ってしまいオフィス内は元の静けさを取り戻していた。
公安第五課のオフィス内は良いか悪いかは一旦置いておいて、五人の人間しか居ない割には賑やかな空間だった。
しかし、今日は非常に静かな空間となっていた。
なぜなら、ローレンが検査のため病院へ行っており、ヴィンセントは研修の為に大阪へ出張中で不在。
アクシアもローレンの事件の捜査で不在だったために、オフィス内にはオリバーとパターソンの二人だけしか残って居なかったのだ。
そんな中でパターソンはパソコンを使って、配信者死亡事件を調べていた。
ここを初めて訪れた際にオリバーが教えてくれた事件だ。
事件で亡くなったのは
とは言っても、パターソンが調べる限りでは彼の評判は最悪なものだった。
彼が配信で使っていた内容は他の配信者の黒い噂だったり、裏の顔を暴露したりして再生数を稼ぐ過激なスタイルのようだ。
「これは...酷いな。」
モニターを食い入るように見つめながら鳥神の情報を集めていたパターソンからも思わず声が漏れた。
鳥神が取り上げる内容は事実と異なる出鱈目な情報が多く、対象の相手や企業から訴えられることも珍しくなかったみたいで、彼の悪評はSNSや掲示板を少し除けば簡単に見つけることが出来るほど視聴者からも嫌われていたのだが不思議と彼を崇拝する視聴者も一定数存在していることも同時に確認出来た。
「何時、誰に刺されてもおかしくないってことか。」
問題の日。
彼は事件前日に『物凄い情報が手に入った』とSNSなどで大々的に告知をしていたことが資料にも記載されていた。
しかし、それより先の肝心の当日の配信動画はネット上でも軒並み削除をされており、幾ら探しても見つけることが出来なかったのだ。
おまけに警察の事件資料にも残されていない。
「誰かが...隠そうとしている? 」
「何を...ですか? 」
「うわぁ! 」
背後からの声にパターソンは思わず椅子から飛び上がると狼狽えながら後ろへ振り返った。
「び、びっくりするじゃないか! オリバーさん! 」
そこに立っていたのは怪しげな微笑みを浮かべているオリバーであった。
「これは失礼しました。実はパターソン君に仕事をお願いしたくてですね。」
「えっ? でも、ヴィンセントさんは出張中だぞ? 私一人でってことか? 」
「安心して下さい。一人じゃありませんよ。」
「じゃあ誰...って、まさか。」
パターソンが次の言葉を発するより前にオリバーが右手を差し出した。
「よろしくお願いしますね。パターソン君。」
助手席のオリバーのナビを頼りに車を走らせていたパターソンはとある建物に前に到着していた。
目の前に現れたのは大きな木製の棟門と白い塀に囲まれた二階建ての和風建築の建物だったのだが、どこからどう見ても金持ちか堅気でない方の屋敷にしか見えない。
「オリバーさん。ここが例のインチキ霊能力者の家なのか? 凄い豪邸だな。」
パターソンは隣に座るオリバーと屋敷を親と一緒にテーマパーク前に立つ子供のように交互に見遣っていた。
「羨まし限りです。随分と儲かるみたいですね。『霊能力者』と言う仕事は。」
「儲かっているのは『霊能力者』じゃなくて『詐欺』なんじゃなかったのか? 」
「おっと...そうでした。では、早速参りましょうか。」
今回はオリバーが周央側に対して、詐欺事件に関しての任意での事情聴取をする旨を事前に連絡しており、今日の日付と時間を指定されたのだった。
立派な棟門の脇には『周央』と黒の行書体で書かれている表札に門と表札の雰囲気とはあまり似つかわしくない最新型のカメラ付きインターホンが備え付けられていて、門の前に到着したオリバーがインターホンを鳴らすと直ぐに反応が返ってきた。
『はい。』
「わたくしは先日連絡した警視庁公安第五課のオリバーと申します。本日は周央サンゴさんからお話をお伺いできると言うことでしたので参りました。」
そう言いながらオリバーはインターホンに付属されているカメラに向かって警察手帳を提示していた。
『かしこまりました。そちらでお待ち下さい。』
そこでインターホンは切れてしまったが、直ぐに観音開きの重々しい門扉の左側が解放され、開かれた扉の奥から白装束姿の若い女性が姿を見せた。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ。」
二人の前に現れた女性は周央サンゴではなかった。社から受け取った資料には数名の関係者の写真が載っていたのだが、その誰にも該当しない人物なのだった。
「失礼ですが、貴女は? 」
透かさずオリバーが尋ねると、女性は二人に向かいゆっくりと一礼をしてから答えた。
「わたくしはサンゴ様の下で修行をしている者です。」
「しゅ、修行? 」
「はい。霊能力の修行です。」
さも当然の事のように語る彼女に対して、パターソンはそれ以上に話を広げることを諦めた。
白装束の女性に連れられて邸内に入った二人が小さな池も見えるような日本庭園の間を抜ける石畳の上を進んで行くと本宅の玄関が見えてくる。
その玄関の引き違い戸の前には別の人物が立っていたのだが、その顔に二人は見覚えがあったのだ。
穏やかで柔らかな表情と金色の腰まで伸びた長い髪。服装は黒髪の女性と同じ白装束だ。
「あれは確か...。」
「
パターソンが思い出そうとしているとオリバーが先に答えを出した。
『東堂コハク』。社が持ってきた資料の中にも写真付きで載せられていた人物の一人で周央サンゴの側近で彼女の秘書のような立場の人間と書かれていたはずだ。
「ここからは私がご案内致します。どうぞこちらへ。」
東堂は二人に深々と頭を下げてから玄関の戸を開けた。
パターソンたちが案内されたのは十畳ほどの和室だった。
四角い座布団だけが置かれている殺風景な和室で二人は東堂に言われるがままに並んで座っていた。
「東堂さん。周央さんとは直接お会いできるんでしょうか。」
東堂は入り口の襖を閉めてから二人の正面に置かれていた座布団へと腰を下ろした。
「えー...オリバーさんですよね。勿論サンゴ様はこちらにお越し頂くことになっていますが、お二人に先にお尋ねしたいことが御座います。今回サンゴ様に会いたいと言う理由はサンゴ様のお力がインチキで我々が詐欺紛いの行為をしているとお考えなのでしょうか? 」
「えっ? 」
東堂の余りにも真っすぐな質問と視線にパターソンは少し驚いてしまっていたのだが、一方でオリバーは動揺する様子もなく東堂に負けじと真っすぐに彼女を見つめていた。
「はい。そうです。私たちは周央サンゴさんが霊感商法を用いた特殊詐欺を働いていると考えています。」
オリバーの言葉を聞いた東堂は大きな目を細めて微笑んだ。
「オリバーさんはとても聡明なお方のようで安心しました。サンゴ様のお力を言葉でご説明するよりご覧頂いた方が早いと思いますので、お二人には特別にサンゴ様のお力をご覧頂こうと思っています。」
「と言うと、私たちの前で見せてくれるのか。あの、その...く...く、くちなし? 」
「
「そう! 口寄せだ! 」
オリバーの助けを借りて、喉につっかえていたものが取れてスッキリした様子のパターソンは嬉しそうに東堂へ尋ねた。
「ええ。実際にご覧頂ければ、サンゴ様のお力が詐欺などではないとご理解頂けると思いますので。」
東堂は相変わらず柔らかな笑顔を浮かべていたのだが、オリバーにはその柔らかさが絶対の自信からくる余裕にも見えていた。
防水加工が施されたグレーの床と頭上に広がる青い空。
正面に立つ真っ黒い人物。
頭の中に響く声。
それは女の声。
この声は...。
聞き覚えがある。
しかも...。
つい最近の記憶。
彼女は直ぐ傍で
この声は...。
「ローレンさーん? 大丈夫ですか? 」
ローレンがハッとして目を開けると、そこは病院の待合室だった。
目の前にはローレンの肩に手を置いている健屋が心配そうな顔で立っている。
「ああ。先生。すいません。」
「眠っちゃってたみたいですね。随分とお疲れなようなので、さっさと診察終わらせちゃいましょうか。」
健屋はポンポンとローレンの肩を軽く叩くと診察室の中へと姿を消したのだった。