AdeN(エデン)~公安第五課~   作:夏野 雪

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変態百出(後編)

 パターソンの言葉が十畳の和室内に一瞬の静寂をもたらしていた。

「レイン君。どこが違ったんでしょうか? 」

その中で口火を切って話し始めたのはオリバーであった。

「さっきの奴は『科学の力で世界中のあらゆる疑問を解き明かして行きたい』と言っていたが、ヴィンセントさんは科学とは『なぜ起きたのか』ではなく、『どのようにして起きたのか』を探求するものだと私に教えてくれた。そんな彼が『あらゆる』なんて言葉を選ぶはずがないと思う。」

「流石彼の相棒ですね。何だか私も嬉しいですよ。周央さん。私も貴女が巫女でもなければ、口寄せも出来ない人間なんじゃないかなと考えているんです。」

そう言いながらオリバーは周央サンゴを見つめニヤリと笑った。

「な、何を仰ってるんですか。お二方も目の前でご覧になったじゃないですか。」

周央はじっと正座をして口を真一文字にしたままだったが、その代わりに東堂がやや取り乱したように口を開いていた。

「我が国における口寄せの能力を持ち合わせた巫女と言うものは東北地方を中心に実際に存在しています。青森県恐山のイタコと呼ばれる方々が有名です。そのイタコが行う口寄せとは自身に霊を憑依させるもので、呼び出した人間との会話などは基本的に出来ないようになっていると言われています。憑依したイタコが相手に向かって一方的に話すだけです。勿論容姿も変化はしません。」

「それがどうしたって言うんですか。」

完全に表情が豹変してしまった東堂がオリバーを鋭い目つきで睨みつけるもオリバーは相手にする気配もなく周央に対して言葉を続ける。

「私は貴女に才能が無いとは思ってはいません。貴女の才能。それはずば抜けた演技力です。」

「あの短時間で役になりきったって言うのか...いや、待ってくれオリバーさん。容姿は無理だろ? 何なら背も伸びてたぞ。」

パターソンの言うように周央サンゴの身長は百四十センチ後半ぐらいだが、ヴィンセントは百八十センチ。

その差約三十センチ。例え高いヒールやシークレットブーツを履いても届かぬ差であろう。

「私は『()()』と言いました。彼女には天性の演技力に加えて持ち合わせた()()があるんですよ。それが『変態』なのではないですか? 」

「へ、変態!? ってこんな少女を捕まえて、あんまりじゃないのか。確かに変態的な演技力ではあるとは思うが。」

「レイン君。変態は『形や形状を変える』と言う意味の変態のことです。私が考えるに周央サンゴは『自身の身体を自由自在に変形させる』ことが出来ると考えています。」

「...フフフ。」

緊張感が高まっていく十畳の空間内に異質な笑い声が響いた。

その声は周央サンゴのものだった。

今まで一切の反論をせずに黙ってオリバーたちの会話を聞いていた周央が突然笑い出したのだ。

「サンゴ様...? 」

側近の東堂さえも意外な出来事に戸惑っているようだった。

「オリバーさん。貴方...ご存知のようですね。()()()()()()()()()()()()()()()()。」

「ええ。だから、私はここにいるんでしょうね。」

パターソンと東堂には二人が何について話しているのか全く分からなかったが、オリバーと周央の間には一時的な信頼関係のようなものが出来ているようにも見えていた。

「全く...普通の警官なら造作も無かったのになー。オリバーさんの仰る通りでンゴは変態が出来ます。ンゴは演技が大好きなんです。もっと演技が上手くなりたい。もっと役に没入してみたい。そう思っている内に気が付いたら、この能力を手に入れていました。この能力とンゴの演技力があれば何にでもなれる。」

周央は誰に話し掛ける訳でもなく、膝の上に置いた自身の手を見つめ喋り続けた。

「試しにイタコの真似事をし始めてみたら相手は涙を流しながら喜んでくれました。そして、謝礼として大金が手に入ったんです。それからはンゴの存在が口コミで広まっていき、色々な人脈がどんどん出来てきました。その中から警察やお役所の偉い方々の力を借りて様々な個人情報を閲覧できる権限も貰いました。今ではそれを使ってコハクに依頼者の情報を集めさせることで、ンゴの巫女としての精度と信頼は上がっていったんです。ンゴは...ンゴは何にでもなれる。やっと...やっと掴んだこの力。ここで諦める訳にはいかないのです。」

小さく、力強く呟き顔を上げた周央はオリバー、パターソン、東堂が見つめる前で目を瞑り、何かに祈るように手を組んだ。

すると、周央の身体が徐々に歪んでいく。水面に映る影のようにユラユラと揺らめきながらその形を変えていく。

自身の頭がおかしくなってしまったかのような錯覚に恐怖を覚えながらもパターソンは後ろに居る二人を守ろうと自然と身構えた。

「さ...んご...。」

「東堂さん!? 」

東堂も周央の真の姿を初めて見たのであろう。その恐怖に抗うことが出来ずにパターソンたちの後ろで畳の上に倒れこんでしまった。

オリバーが直ぐに彼女の元に駆け寄り、倒れこむ彼女を抱きかかえた。

どうやら気を失ってしまっているだけのようだ。

ふっとオリバーが周央へと視線を戻すと、そこには変態を完了させた周央の姿があった。

「まさか...。」

オリバーは大きく目を見開き、珍しく動揺していた。

周央は()()()()()()()の姿に変えていたのだった。

 

 

「な...なんで。」

目の前の信じられない光景にパターソンはその一言を絞り出すのが精一杯だった。

粘土の様に体の一部を伸ばしたり、縮ませたり、歪に形を変えながら周央は最終的に若い男へとその姿を変えていた。

端正な顔立ちに金色の長髪を後ろで束ねた背の高い見覚えのある男性。

そう。それはパターソンがどんなに忘れようとしても忘れられない人物。

彼女が護れなかった男。その人物なのだった。

「あ...あ。」

上手く声が出せない。

強く握り締め過ぎた右手の掌に爪が食い込んで出血しそうになっている。

強張った両肩も微かに震え始めた。

男は不気味な笑みを浮かべながら、ゆっくりとパターソンへと近付いてきていた。

『私は彼の事を書いていない。何故、周央が彼の事を知っているんだ。』

パターソンは口には出せない言葉を心の中で叫んでいた。

 

どうして知っているの。

 

何を伝えたかったの。

 

護れなくてごめんなさい。

 

雪崩のようにパターソンの心に流れ込む感情は彼女を飲み込んでいく。

身動きが取れないパターソンの目前で男は立ち止まり、パターソンの右肩に優しく掴んだ。

後悔...していますか?

声も同じだ。

パターソンの目から涙が零れる。

何故涙が流れたのは分からない。生理現象の如く、何の感情も抱かぬ内に涙は流れ落ちていた。

そして、畳に零れる涙を追いかける様にパターソンは膝から崩れ落ちてしまった。

「レイン君! 」

目の前で畳に崩れ落ちた彼女を見ていたオリバーが叫んだ。

オリバーも概ねパターソンと同じ様な疑問を抱いていた。

『周央は何故彼の事を知っているんだ』

しかし、今はそれよりもパターソンの万が一に備えなくてはいけない。

「しっかりするんだレイン君。彼は...()()()()はもう死んだんです! 」

パターソンの元へ走ろうと東堂を畳の上に優しく寝かせると、それを見ていた周央は崩れ落ちたパターソンの横を全力で走り抜けた。

「くっ...待て! 」

急いで伸ばしたオリバーの手は周央の体を僅かに掠めたのだが、一歩届かずに彼女は襖を抜けてオリバーの視界から姿を消してしまった。

部屋に残すことになる二人も気になったが、オリバーは彼女の後を追うべく急いで部屋を飛び出した。

「きゃっ! 」

勢い良く部屋を飛び出したオリバーは誰かと出合い頭にぶつかってしまった。

「っと...貴女は。」

オリバーとぶつかって廊下に尻もちをついていたのは屋敷の入口で案内役として現れた黒髪の若い女性だった。

「も、申し訳ございません! 見知らぬ男性が飛び出してきたので怖くて動けなくって...。」

「その男はどっちに行きました! 」

黒髪の女性は慌てふためきながらも「あちらです」と玄関を指差していた。

「本当にすいませんが、後程事情は説明します! 」

そう言い残すとオリバーは再び走り出すと閉まっていた引き違い戸を開けて棟門へと続く石畳を駆け抜けて行く。

如何なるモノに変態しようとも本人の体力は変わらないはずだ。

走って逃げているなら追い付けるはず。

()()()...。

()()()

オリバーは石畳の上で急ブレーキを掛けて今し方飛び出した玄関を見つめた。

「はぁ...私としたことが...。」

額に手を当てて自己嫌悪に陥るオリバーが見ていたのは、開けっ放しになった玄関と誰も見当たらない廊下だった。

一刻を争うように逃亡した人間が玄関の戸を律儀に閉めるだろうか。

実際にオリバーは開けっ放しにしている。

そこまで辿り着けば自ずと直ぐに答えが出てきた。

そう。廊下でぶつかった彼女が周央サンゴの変態した姿だったのだ。彼女は廊下に出ると直ぐに黒髪の女性へと再度変態したのだろう。

こうなってしまえば、オリバーには白旗を掲げることしか出来ないのであった。

 

 

 男の言葉を聞いてからパターソンの記憶は曖昧で、それが鮮明になったのは病院のベッドの上だった。

そこはローレンが運ばれた病院と同じ場所で担当の医師も同じ健屋という女医だ。

「気分はどうですか? 」

カルテに何かを書き込みながら健屋が話し掛けて来る。

「あ...はい。多分...いや。問題ないです。」

「うーん。そうね。今回は私の担当外かもしれないわね。私も専門外だからハッキリとは言えないのだけど、貴女の問題はどうやら心にあるようね。」

「...先生。死んだ人は生き返りませんよね。」

突拍子しもないことを呟き出したパターソンに健屋は面を食らって目を丸くしていたのだが、微かに震えるパターソンを見かねて優しく微笑みながらパターソンの肩を軽く叩いた。

「大丈夫よ。一度死んでしまった人間は戻ってこないの。医者の私が保証するわよ。」

ポンポンとパターソンの肩を二回叩くと、彼女はそのまま病室を後にしたのであった。

「そうだよね。そう...。」

健屋の励ましで気分が楽になってきたパターソンの頭の中で和室での出来事が少しずつフラッシュバックしていく。

粘土のように変形していく周央...彼女が変身した男の姿...そして、オリバーの声...。

「あれ? 」

そこで、あの時は気が付けなかった『ある疑問』にパターソンは直面してしまう。

()()()...。」

 

 

 周央は偽りの口寄せで集めた現金を銀行へは預けずに自身で保管していた。

その現金が何処にあるのかは、ごく一部の人間にしか知らされていなかった。

珊瑚亭から少し離れた場所にある二階建の木造アパートの二階の角部屋。

『203 遠北(あちきた)』と書かれた表札が掲げられた風呂無し1Kの一室。

ここが現金の隠し場所なのだった。

日も暮れてすっかり暗くなった中でボロボロに錆びた外階段をカツカツと自己主張の激しい音を鳴らしながら一人の女が上がっていく。

ピンク色の髪をツインテールにしてオーバル型のサングラスを掛けた若い女性は二階に上がると203号室の前で立ち止まった。

女は鍵を開けて部屋に入ると、カーテンも閉まっている薄暗い室内で肩から掛けていたブランド物のハンドポーチからスマホを取り出した。

取り出したスマホのライトを使い、部屋の右奥にあった押入れへと向かい静かに襖を開けた。

「皆様ー。迎えに来ましたよ。」

上下二段に分かれている押入れの中にはビッシリと札束が詰め込められている。宛ら金の壁と言ったところだろうか。

金の壁を前にして女の体がユラユラと揺らめきながら、周央サンゴの姿へと戻っていった。

周央は愛しい恋人に触れるように、その壁を優しく何度か撫でている。

「本当に()()()()()()()()()()()()を教えてくれて助かりました。私は...まだ諦めない。このお金と私の力があれば...やり直...。」

誰も居るはずのない狭く、暗い部屋の中。

周央は自身の背後で何かが激しく光ったのを感じた。

それは小さな花火のような、電気がショートしたような閃光だった。

「あれ? 」

目の前の金の壁にさっきまでは無かった染みが出来ている。

赤黒く、何かが飛沫したような染み。

そして、周央は自身の腹部の辺りが徐々に熱くなっていくのを感じた。

「何ですか? これは? 」

左手で腹部を抑えてみると、左手は真っ赤に染まっていた。

その時、誰も居ないはずの背後から声が聞こえてくる。

「残念だが...ここで終演なんだよ。」

自分の側近しか知らないはずの隠れ家で周央が消えゆく意識の中、最後に見たのは見知らぬ()()()()だった。

 

 

 『Bar Deras』のカウンター席には何時ものようにオリバーが座っていたのだが、今日は珍しく隣の席にも誰かが座っていた。

「取り敢えず、お疲れさん。」

ロックグラスをオリバーに向けて傾けていたのは社だった。

「お疲れ様です。」

オリバーもそれに応えるように自身のロックグラスを差し出されたグラスへ軽く当てた。

「死体が見つかったのは『ハイツセレイネ』って言うボロアパートの二階。大家の話では『遠北』と名乗る人物が借りていたらしい。周央は失血死。胸部に銃創があって、右手には拳銃を握っていたことから自殺ってことになったよ。」

「拳銃自殺で胸部を撃ちますかね? 」

「さぁなぁ。拳銃自殺なんてしたことも、しようとも思ったこともないから分らないな。」

社は薄ら笑いを浮かべながらグラスを口へと運んでいた。

「一般的な話をしてるんです。部屋には大量の現金もあったらしいですね。」

「ああ。たんまりな。まぁ...この事件の幕はこれで降りちまった。アンコールもなければ、次回公演もないんだ。」

そう言うと社はカウンターに一万円札を一枚置いて立ち上がった。

「じゃあ。ありがとうな。釣りは取っといてくれ。」

出口へと向かう社に大柄なマスターがカウンターの中から「まいど。いつもありがとな。」と挨拶を送っていた。

「社さん。それは違いますよ。これは()()ではなく、()()に過ぎないんですよ。」

一人になった店内で今度はオリバーが薄ら笑いを浮かべながらグラスを持ち上げると、グラスの中で気持ち良さそうに漂っていた丸氷がカランと音を立てる。

その丸氷はスコッチに溶け込み歪な形に変形してしまっていた。

 

 




 病院から戻ったパターソンは公安第五課のオフィスに来ていた。
勤務時間をとっくに終えたオフィス内には誰も居らず静かなものだった。
パターソンは自身のデスクに座ると事件資料を閉まっていた引き出しを開けると、オリバーから受け取ったボディガード時代の事件資料を取り出した。
「やっぱりだ...。」
デスクの上に資料を広げて目的の情報を見つけ出すことが出来た。
『被害者の氏名不詳。持ち物にも身分を証明するような物なし。』
そうなのだ。
パターソンの記憶の中では彼は自身のことを『尾張(おわり)』と名乗っていたはず。
「あの時...課長は確かに『ハジメ君』って...。」

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