緊張した面持ちのオリバーと対照的に興味津々な様子で目の前に座る女性を見つめるパターソンが応接用のソファに並んで座っているのだが、二人の前には明るい青緑色の長い髪をポニーテールに纏め、パンツスタイルのレディーススーツを身にまとった女性がジッと二人を見つめていた。
「私みたいな美人を目の前にして、なんちゅう顔してんねんな。」
「あー...いやー...はい。光栄です。樋口捜査一課長殿」
男社会の代名詞とも呼べる警察内で女性初の捜査一課長課長になった人物。
就任の際は彼女の容姿と若さも相まって、全国ニュースや新聞、雑誌など各報道機関でも取り上げられた有名人なのだ。
楓はたたき上げでここまで上り詰めただけあって、捜査能力、身体能力もピカイチなのだが何と言って凶悪犯罪者や同僚の男性警官にも負けず劣らずの勝ち気な性格と彼女の放つオーラが最大の持ち味なのであった。
噂のオーラを全開にしながら身を乗り出した楓は真顔でグッとオリバーへと顔を寄せていった。
「せやろ? 」
「...はい。全くでございます。」
オリバーの返事を聞いた楓は満足そうに体を引くと「よいしょ」とソファへ座り直した。
「冗談はこれくらいにして、そろそろ本題に入ろか? 」
そう言いながら楓は一台のタブレットを二人の前に差し出す。
オリバーとパターソンがタブレットを覗き込んでみると、そこには胸から血を流しながら道端に倒れている男が写っていた。
年齢は四、五十代と言ったところだろうか。恰幅が良く、黒いビジネススーツに赤いネクタイをしっかりと締めているところを見るにどこかの会社の役員といった感じだった。
「殺人事件ですか? 」
「まぁ...
オリバーの何でもない問い掛けに妙に歯切れの悪い答えを返した楓は組んでいた足を組み直した。
「彼は小さな探偵事務所を経営している
楓がタブレットをフリックさせると同じような写真が写し出された。
今回は白いTシャツにデニムのパンツ。どこかの室内で女性が倒れている。
女性は見事に額を撃ち抜かれており、年齢は二十代ぐらいのとても若い感じだった。
「彼女は週刊誌の記者をしている
「あの...樋口課長。失礼ですが、この二件の事件と私たちに何の関係が? 」
黙って成り行きを見守っていたパターソンが初めて口を開くと、楓がオリバーを見つめていた時とは明らかに違うオーラを出しながらパターソンに視線を移した。
「貴女が...レイン・パターソンね。」
「は、はい。」
楓に見つめられると自然と背筋が伸びて、敬語になってしまうから不思議なものである。
「まぁ。まず順番に行こか。これは一般には公開してないんだけど、実はこの二件は予め警察に犯行予告がされてたのよ。」
「そう言えば...どこかでそんな話を耳にしましたね。」
「流石は公安第五課のオリバー課長。お耳が早いことで。最初の予告は八日前。つまりは事件発生の前日。警視庁に『都内に住む江戸原 昆という男を明日の十四時に殺害します。』と男の声で電話があったんが全ての始まり。当初警察は良くある類の性質の悪い悪戯だろうと放っておいてしまった。なんせ、警察への通報は年間約184万件。その内の緊急性がないものや悪戯は約三割。つまり年間約55万件が事件と無関係なんやから。」
「そんなにですか? 」
ついこの間まで一般人であったパターソンは自身が想像していた件数より遥かに多い数に驚きを隠せなかった。
「せやろ? 正味な話、こんなん一々相手しとったら体が幾つあっても足らん。でも、本当に指定された日時に同じ名前の人物が殺されてしまったんだから大騒ぎ。慌てふためく警察をおちょくるかのように二日後には同じ声で二件目の予告が届いた。内容は『都内に住む毛利野 園子という女を明日の十四時に殺害します。』だとさ。今度は本気で捜査を始めた警察は直ぐに毛利野を見つけて、彼女に了承を得て自宅内外に指定の時刻まで警官を待機させることに成功した。完璧な警護状態。
楓はそこで口を噤み、タブレットの中で仰向けに倒れている毛利野を見つめている。
「でも、殺されてしまった。と...。」
オリバーの言葉に反応して視線を上げた楓はぐしゃぐしゃと自分の頭を乱暴に搔き毟った。
「そこが問題やねん。まずは江戸原の事件。現場は駅前の繁華街。時刻は予告通りの十四時丁度。多くの人が行き交う中で江戸原氏は
「えっ? 」
パターソンから思わず声が漏れ出る。
それを予測していたのか、楓はパターソンの表情の変化を見逃していなかった。
「江戸原氏が倒れた時には十数人の通行人も居た。近くには防犯カメラもあった。でも、カメラも通行人も彼が撃たれる瞬間は見ていなかった。発砲音すら聞いてへんねん。」
「二人目の毛利野氏も同じような状況だったんですか? 」
オリバーも隣に座るパターソンの表情を気にしながらも楓との会話を続けた。
「彼女の場合は更に不愉快かつ不可解かな。さっきも言ったように、現場は彼女の自宅リビング。リビング内には彼女以外に五人の警察官が居合わせながら、そんな中でリビングに面していた大きな引き違い窓から撃ち込まれた一発の銃弾が彼女の額のど真ん中を貫いた。だけどや、居合わせた五人の警察官は誰も容疑者も見ていなければ、発砲音も聞いていないっちゅう江戸原氏の時と同じパターン。銃創とガラスに残った跡から科捜研に弾道を推測してもろったんやけど、発射先は空中やったわ。」
「空中? 」
「そや。オリバー。科捜研の見解では空中から発射されたか、弾が意思を持っているかのように途中で曲がったかのどっちかやってさ...ねぇ。レイン。」
「は、はい! 」
油断していたパターソンの背筋がピンと伸びた。
「レインはどう思う? この事件。」
「どうと言われましても...。」
「似てると思わへん?
楓の瞳がパターソンをしっかり捕らえている。その瞳はどこまでも真っすぐで、どこまでも澄み切っていた。
パターソンは僅かに戸惑いながらも比較的に冷静に記憶を辿った。
「そうですね...確かに私が体験した事件と似ている気がするのだけど、どこか違う気もするんです。私の事件の凶器は銃弾ではなく刃物でしたし、なんか...上手く説明できないんですけど...。」
「うーん...私もそう思うよ。」
『えっ? 』
突然聞こえてきた聞き覚えのない声に三人は一斉に声を上げた。
その声は楓の方から聞こえてきたので、オリバーとパターソンは楓が喋ったのかと思ったのだ、声質が明らかに楓のものではなかった。
それに、その楓自身も驚いた様子で二人を見ていたのだ。
どうやら声は楓の後ろから聞こえてきたようだった。
楓が後ろを振り返ってみると、そこには見知らぬ女が愛らしい微笑みを浮かべながら立っていた。
「なっ!? 」
驚きの余りソファから楓が立ち上がると、オリバーとパターソンの視界にもその女の姿が飛び込んできた。
「貴女は...。」
そう呟いたのはパターソンだった。
パターソンには見覚えのある姿なのであった。
そこに居たのはあの公園で遭遇したネコ耳女の文野環だったのだ。
彼女の頭に生えているネコ耳がピンと立って三人の方に向けられている。
「やっほー。パタ姉。お久ー。」
環はニッコリと笑いながらパターソンに向かい手を振っていた。
「お知合いですか? 」
「いや...なんだ。知り合いではあるんだが...。」
オリバーの質問にパターソンは何と説明して良いものか分からずに曖昧な答えを返すことしか出来なかった。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。今日はね皆に伝言をしに来ただけだから! 」
「伝言だかなんだか知らんけど、お前はどこの誰で、どうやってここに入ったんや。気配や音は全く無かったで。」
いつの間にかに楓は敵意剥き出しの表情とオーラに変化してしまっていた。
「ああ。ごめんごめん。私は文野環。どこにでも居るし、どこにも居ないからここに居るんだよ。そんなことより本題なんだけど、今まで警察に殺人予告をしていたのは私たち『
「ほー...つまり自首しに来たっちゅうことで良いのかな? 」
会話を続けながら楓はジリジリと環との距離を詰めていくが、環はネコ耳だけを機敏に動かしながら余裕の微笑みを浮かべたままだった。
「違うよー。私は何もしてないもん。私は三人目のターゲットを教えに来たんだよ。」
「三人目...だと? 」
環の悪意無き無邪気さに楓の目つきがより一層鋭くなる。
「うん。三人目は都内に住んでる
「ええ加減にせぇよ。この野良猫が! 」
距離を詰めていた楓は我慢ならずに環に向かって飛び掛かった。
最後のアウトを取ろうと白球に向かいダイビングキャッチを試みる高校球児のように、環に飛び付いた楓の両腕が彼女の細い身体を捕らえた。
楓には確かにその感触があった。
飛び上がった楓の体が受け身も取れず床に落ちていく。流石の楓も床への衝突の瞬間に目を閉じてしまう。
床に打ちつけられた体の痛みに耐えながら、ゆっくりと目を開けた楓の腕の中には誰もいなかった。
楓が痛みも忘れ、慌てて起き上がり辺りを見渡すも環の姿をどこにも見当たらない。
「一体...どうなってんねん。」
呟きながら楓は自身の両手を見つめていた。その手にはしっかりと何かに触れた感触が残っていたのだった。
三件目の殺害予告が直接届いてしまった事で、楓は急いで一課へと戻ってしまったのだが去り際にパターソンを今回の事件の捜査に加えて欲しいとオリバーへ言い残していた。
「私が居ない間に何だか色々あったようですねー。」
オリバーのデスクの周りにはパターソンと煙草を吸うために席を外していたヴィンセントも加わり集まっていた。
「ええ。色々ありすぎて何から話せばいいのか分からないのですが、まずはレイン君。君はどうしたいですか? 」
「私は...過去の事件と少しでも関係がある可能性があるのなら捜査に加わりたいと思っている。」
オリバーに向けられていた彼女の真っすぐで強い意思を持った瞳は、つい先程までソファに座っていた誰かを彷彿とさせるものがあった。
「...わかりました。レオス君。レイン君と一緒に捜査一課の事件の応援をお願いします。楓さんには私から連絡を入れておきます。」
「良いでしょう。研修やら何やらで鈍ってた私の頭脳を呼び覚ますには十分な事件でしょう。」
「二人とも...ありがとう。」
パターソンは二人に向かい頭を下げた。
「別に君のためじゃありませんけどね。さぁ行きますよ。」
レオスはオリバーに一礼してからスタスタと先に一人でオフィスを出て行ってしまった。
「あっ! ヴィンセントさん! 待ってくれ! 」
頭を上げたパターソンは彼の背中を追い掛けるように慌てて走り出した。
オフィスを出る直前にパターソンは突然足を止めた。
「そうだ。オリバーさん。」
「はい。どうしました? 」
振り返ったパターソンの瞳を見たオリバーは再び誰かさんの面影を感じていた。
「この間の周央サンゴの事件の時に周央が変身した男のことを『ハジメ君』と呼んでいなかったか? 」
「...すいません。覚えていませんね。」
二人の間に静かな時間が流れる。
「レイン君! 行きますよー! 」
そんな中で廊下からはパターソンを呼ぶレオスの声が聞こえてきた。
「あ! はい! 今行きます。オリバーさん。急に変なことを聞いてすまなかった。忘れてくれ。では、行ってくる。」
「ええ。大丈夫ですよ。お気を付けて。」
オリバーはニッコリと微笑みながら急いで廊下に飛び出すパターソンを見送ると、机の上に置いてある壺から梅干を一つ取り出して口に含んだ。
「全く...似るのは目力だけにしてもらいたいものです。」