13:50 犯行予告時刻まで十分
高城と楓の間では依然として膠着状態が続いている。
「高城。本気で言ってんやろな。状況的にもう『
照準の定まらぬ拳銃を必死に構える高城は、まるで銃口が自分へ向けられているかのような錯覚を抱く程に楓の迫力に圧倒されそうになっていた。
「ええ。分かってます。だから貴女を逃がす訳にはいかないんです! 」
「おい。お前落ち着けよ。良く考えるんだ。江戸原の事件発生時には俺たちはこの事件の捜査すら始めていないんだぞ。」
その声の主は二人を取り囲む刑事の中から一歩前に出てきた一人の男だった。
彼は高城を刺激しないようにゆっくりと静かに語り掛けていた。
「でも...見たんです。ハッキリと頭の中にその時の映像が浮かんできます。撃たれたのは江戸原。そして...。」
高城は拳銃の凹型の照準を盾にして目の前の楓を睨みつけた。
「拳銃を握っているのは樋口課長。貴女だ。」
「じゃあ。なんで今更になってそんなこと言い出したんだ? おかしいだろ。」
「ありがとうな。危ないから下がってて。後は私に任せてな。」
勇気を出して一歩を踏み出してくれた男の話を遮るように楓が彼に優しい笑顔を向ける。
この状況下で尚、笑顔で部下を気遣う楓の姿を見た男は口から出かけた言葉を飲み込むと大人しく群れの中へと戻っていった。
「高城。ハッキリ言ったるわ。江戸原の事件が発生したその日、その時間。お前は私と一緒にファミレスに居た。賭けに負けた私の奢りで旨そうに俵ハンバーグを食うてたはずや。」
楓の言葉で高城の脳裏に別の映像が再生され始める。
その映像も鮮明だった。
鉄板から出る肉の焼ける音、食欲をそそる香ばしい匂い。
そして、不貞腐れたようにハンバーグを頬張る楓の姿。
「あれ...でも...。」
高城は左手で頭を抱えたと思えば、次の瞬間には我武者羅に髪を掻きむしり始めた。
それを見ていた楓は僅かに高城の方へと近付いていく。
「くそっ...。何で...何で記憶が二つ...。」
明らかに狼狽えている高城の様子を見た楓は態勢を低くして、ラグビーのタックルの様にして一気に高城に突進すると、周りの刑事たちも高城を取り押さえようと彼に飛び掛かっていったのだった。
怒号と喧騒に包まれる室内に一発の銃声が響き渡る。
13:48 犯行予告時刻まで十二分
一瞬の出来事だった。
叶以外の誰も一歩も動くことすら出来なかった。
一発の銃声が鳴り響き、叶の構えている拳銃の銃口からは微かな硝煙が上がっている。
最悪の結末を想像したパターソンは不破の方へと目を向けてみる。
どうやらレオスも同じ気持ちだったようで、彼の顔も不破の方へと向けられていた。
二人の視線が交差する点に立っていた不破は何事もない様子でその場に立ち尽くしている。
正確に言えば、動いていないと言うよりは動く余裕すらなかったのであろう。
「不破さん。無事...なのか? 」
パターソンの呼び掛けに不破は声を出さずにコクコクと二回首を縦に振って無事だと返事をした。
では、放たれた銃弾はどこへ行ったのか。外れたのか。それとも空砲だったのか。
その答えは直ぐに明らかになった。
この部屋の中に一人だけ床に倒れている人間が居たのだ。
それは佐島だった。
叶は前方の不破に向けて拳銃を構えていた。今もまだその銃口は不破の方へと向けられている。
だが、倒れている佐島は叶の真横に立っていた。実際に彼は叶の横でうつ伏せに倒れているのだ。
そして、彼の体の周りには血だまりが徐々に広まっていた。
「不破君はまだ時間が来ていないから殺さないよ。僕はその辺はしっかり守るタイプだから安心して。」
「警視庁内部で拳銃を使って警官を殺しておいて『
「あー...そう? なら、もっと笑いなよ? 」
数秒前までの笑顔が完全に消えた叶の銃口がレオスへと向けられる。
上辺では強気に振舞っていたレオスも拳銃を向けられると、流石に腰が引けてしまったようで数歩後ろへと下がっしてしまった。
「どうして...どうして彼を殺す必要があったんだ! 犯行予告にはなかったぞ! 」
佐島の死を認識したパターソンが薄っすらと涙を浮かべながら叫んだ。
「残念だけど仕方ないよ。殺しておいてくれって頼まれちゃったからさ。」
「意味分んない。全然分んないけど...。」
パターソンはレオスと不破の前に両手を目一杯に広げて立ちはだかった。
「もう誰も殺させないから。」
強い意志を持った鋭い視線を向けられた叶は嬉しそうに笑っていた。
「僕はアンフェアな勝負は嫌いだから教えてあげるね。僕は自分の放った銃弾を自由に操作出来るの。曲げることも、上下に高低差をつけることも、全て自由自在。僕の視認出来る範囲内なら僕の意思通りに弾を動かすことが出来る。こんな風にね。」
そう言うと叶はパターソンに向いていた拳銃の引き金を再び引いた。
強烈な破裂音と花火のような閃光が炸裂してから一発の銃弾が放たれると、パターソンに向かって銃弾がまっすぐに飛んできている。
もう駄目だと思ったその刹那、銃弾はゆっくりと軌道を変えてパターソンの体を左に避けて通過して、S字を描くような軌道で飛び続けて後ろに立っていたレオスの右腕を貫いたのだった。
「うぐっ!? 」
パターソンは目の前で起きた現象の処理が脳内で追い付かないままで後ろを振り返ると、そこには右腕から血を流しながらレオスが蹲っていた。
「ヴィンセントさん! 」
「言ったでしょ? 僕の『エイム』は絶対なの。逃げられないよ。だから、もう諦めて僕に殺されなよ。まぁ...あと五分で終わるけど精々足掻いてみても良いけどね。」
満面の笑みを浮かべる叶は三人が居る方向とは真逆の壁に向けて三度目の銃弾を放った。
銃弾は壁に向かって一直線に進んだかと思ったのだが、壁に当たる直前に直角に曲がり、そのままレオスの左足へと一直線に着弾したのだ。
「痛っ!? 」
レオスの左足から真っ赤な鮮血が飛散し、青白くなった彼の顔が苦悶に歪む。
パターソンには目の前で撃たれ続ける彼を救う事も、庇う事も出来ない。
ただただ、弱っていくレオスを眺めているだけ。
「お願い...。」
無力で
惨めで
まるで
「もう...。」
溢れ出る涙がパターソンの頬を伝っていく。
あの日の
あの時の
あの人のように
「やめて!」
右手を握りしめながらパターソンが絶叫する。
放たれたパターソンの言葉が部屋に乱反射したかと思えば、握り締めていた彼女の右手が微かに光り始めた。
部屋の中を満たしていた怒号と喧騒が一発の銃声で消し飛んでいた。
高城に向かい飛び掛かった刑事たちが自分の体の無事を確認しながら、少しづつ離れていく。
そして、その中心で最後まで残っていたのが楓と高城だった。
床に仰向けに倒れる高城に馬乗りになっている楓。
右腕から血を流しながらも楓はしっかりと高城の両手を床に抑えつけている。
楓が高城を押し倒す直前に放たれた銃弾は楓の右腕を掠めて壁に着弾していた。
「どうや。気が済んだか? 高城。」
楓に見下ろされた高城はガタガタと体を震わせるだけで何も答えなかった。いや、答えられなかったのかもしれない。
宛ら、蛇に睨まれた蛙といったところだろうか。
「あのな。
高城の右手に握られたままとなっていた拳銃を取り上げた楓は徐に高城の胸倉を掴み、グッと自分の顔の傍まで高城を血が滲む手で持ち上げた。
「そんで、
楓の腕の出血を見て慌てて近寄ってきた刑事たちに「大丈夫」と礼を言いながら高城の身柄を引き渡した楓が腕時計を見ると、時計の針は『14:00』を差していた。
「あかん。最悪や。」
14:00 犯行予告時刻
二発の銃弾に貫かれたレオスの意識と視界が徐々に薄れていく。
混濁する意識のせいなのか、歪む視界のせいなのか、自分を庇いながら立ちはだかるパターソンの顔が何故か別人のように見えていた。
意識を失ったレオスの前で虚ろな目をしたパターソンが右手を高く上に挙げる。
すると、何も無いはずの空中に光が集まりだした。
「なるほど。こう言うことかー。」
まるで、花火でも眺めるかのように叶が空中に集まる光たちを見つめながら呟いていると、その光の中から一本の人間の手が出てきてパターソンの掲げていた右手を掴んだのだ。
「これ...僕ヤバイんじゃないの? 」
そんな叶の悪い予感は的中してしまう。
自分の直感を頼りに叶が伸びる手へ目掛けて素早く引き金を引こうとしたのだが、硬直してしまったかのように指が動かない。
気が付けば、声も出せなくなっている。
口が動かない。
どうやら今、
いつの間にか光の中から出てきた手は消えて、パターソンも右手を下ろしていた。
彼女は虚ろな目のままで何かを口遊んでいるようだ。
何かの歌だろうか。その音は小さくて、叶には聞き取れなかった。
そして、パターソンに向けていた拳銃を持った右手が叶の意思に反して、勝手に動き始めた。
無力な操り人形と化した叶は自分の蟀谷に向かい拳銃を向ける。
動かなかったはずの引き金に掛かっていた指がゆっくりと動き始めたのが分かった。
声を出すことも、目を瞑ることも出来ない。
パターソンは無表情で何かを口遊みながら叶を見つめ続けていた。
『話が違うじゃない。』
叶が心の中でどこかの誰かに悪態をついた時だった。
パターソンの背後から手が伸びてきたと思えば、その手は彼女の額を鷲掴みにした。
14:03
楓は右腕の手当もせずに、数人の部下を連れて会議室に辿り着いていた。
部屋に入る前の廊下に居ても血と硝煙の臭いが漂ってくる。
楓は頭の中で最悪の事態を想定しながら、会議室の扉を開けた。
会議室には三人の人物が居て、楓の目に最初に飛び込んできたのは扉の近くで血だまりの中に倒れていた佐島の姿だった。
彼の姿を一目見れば手遅れであろうことは容易に想像が出来てしまう。
けれど、諦めきれない楓は佐島の傍に跪き、恐る恐る彼の体へと手を伸ばす。
「どうして...佐島...答えてや。」
冷たい。
冷たくなった血だらけの佐島の手を楓がどれだけ強く握ろうとも答えが返ってくることはなかった。
「課長! こちらはまだ息があります! 」
佐島の手を優しく床に戻すと、楓は急いで残りの二人の元へと駆け寄った。
あれは一体何だったのだろうか。
何故私は手を掲げたのだろう。
何もない空間から出てきた手は誰のものなのだろう。
その手を繋いだ時に遠くから小さく女性の声が聞こえてきた気がする。
『パターソン様。またお会い出来て嬉しゅう御座います。』
聞き覚えのある声。
...駄目だ。
ここから先のことを何度も思い出そうとしても何も思い出せない。
パターソンは病院のベッドの上で上体を起こして自身の右手の掌を見つめる。
そこには身に覚えのない傷が出来ていた。
得体の知れない恐怖を感じたパターソンは体を震わせた。
「大丈夫? 」
「えっ? 」
いつの間にかベッドの傍には健屋が立っており、震えるパターソンを心配そうな表情で見ていた。
「あ。先生。」
「まったく...こんな若い内から病院の常連客になるなんておススメしないわよ。」
健屋は大きなため息をついていたが、落ち込んでいるパターソンを励まそうとした彼女なりの優しさだったのかもしれない。
「あはは。すいません...あっ! 先生。ヴィンセントさんは! 」
「無事やで。」
声が聞こえてきた病室の入り口を見ると、そこには花束を持った楓が立っていた。
「樋口課長!? お、お疲れ様です。」
「体に問題はなさそうだから、私はこれで。」
楓の雰囲気から空気を察して健屋が病室から出て行ってから、入れ違いになるようにして楓がベッドの傍にやってきた。
サイドテーブルに花束を置くと壁に立てかけてあったパイプ椅子を開き、そこに腰掛けた。
「レオスは腕と足に銃弾を受けたけど、命に別条はないようよ。」
「本当ですか...良かった。本当に。」
俯きながら小さな声を漏らすパターソンの目には涙が浮かんでいた。
「レイン。私は何があったのか知りたいの。いや、知らなきゃいけないの。辛いのは百も承知やけど、何があったか出来るだけ教えて欲しいんや。頼む。」
パターソンの手を握りながら、強くハッキリとした声で楓が懇願しながら頭を下げている。
「樋口課長...。」
パターソンは暖かく、強い楓の手に勇気と決意を貰えた気がして、自分の覚えている限りの事を全て話し始めた。
佐島に連れてこられた叶と言う男。その不思議な力。撃たれた佐島のこと。レオスが同じ様に撃たれたこと。
そして、自身の頭上から現れた手のこと。
楓は質問を挟みながらも茶化すことなどせずに、最後までパターソンの話を真面目な表情で聞き続けた。
「ってことは、予告を出して犯行を続けていたのは叶って男になりそうね。レインはその男の顔は覚えてる? 」
「はい。覚えてます。」
「オッケー。後で専門の子を呼んでくるから似顔絵作成せなな。そんで、その空中に手が出てきた後は覚えてないってことよね? 」
「...すいません。」
佐島を殺された楓の気持ちを汲むと、自身の不甲斐なさと悔しさで胸が苦しくなってしまう。
「ええんよ。ありがとうな。私たちが部屋に突入した時には叶っちゅう男も不破も消えていた。酷なことを言うけれど不破はもう...。でも、何で死体をそこに残さなかったんや。それに高城や。不破を迎えに行ってからの記憶が混濁しとるようやし...。」
顎に手を当てながら楓は考え込んでいた。
パターソンの記憶の中でも不破の存在が途中から消えてしまっている。レオスが撃たれている間や手が現れている時、彼はどこに居たのだろう。本当にあの部屋に居たのだろうか。
パターソンはブルブルと憑き物を祓うように頭を左右に振る。
何を考えているんだ。居たに決まっている。
一緒に中華を食べたし、話もしていた。
「まぁ。私は減給アンド停職処分やから、その間に『
椅子から立ち上がった楓はベッドの上のパターソンに向かい、深々と頭を下げた。
「うわっ! 何言ってるんですか。私がしっかりしていなかったからなのに。」
「いいや。レインは自分の仕事をしっかりした。全ては私のミス。責任は私が取る。」
頭を上げた楓はパターソンに笑顔を向けると、そのまま病室を後にした。
「責任も、仇も私がしっかり取ったるからな。」
病室を出た楓は誰も居ない病院の廊下で決意を固めた。
病院の入り口付近の壁に寄り掛かりながらスマホを片手に誰かと通話していたのはオリバーだった。
「悪いお知らせと良いお知らせがあります。まずは悪いお知らせですが、奴は姿を消してしまいました。ええ。そうですね。間違いなく生きいるでしょうね。かなり厄介な能力ですから早急に対応する必要がありそうですね。」
「おっ? オリバーやん。あっ...電話中やった? 」
背の高いオリバーは目立つようで、病院から出てきた楓が彼を見つけて声を掛けてきたのだ。
「構いませんよ。樋口課長。お見舞いに来てくれたんですか? 」
素早くスマホを下におろしながら、オリバーは笑顔で応対した。
「当たり前やろ。せや。大事な部下をこんな形で巻き込んでしまって、ホンマに申し訳なかった。」
楓は先ほどパターソンに向かって頭を下げたようにオリバーにも深々と頭を下げた。
「頭を上げて下さい。悪いのは樋口課長じゃありません。自分を責めすぎないで。」
「...ありがとう。はぁー...公務員で高身長でイケメンで優男か...もし、警察をクビになったら嫁にしてくれへん? 」
「ええ。喜んで。と言いたいですが、貴女は刑事を辞められませんよ。きっと。」
「なんやねん。私は一生独身ってこと? 勘弁してや。」
オリバーとの会話で楓の顔にはいつもの笑顔が戻っていた。
別れ際にもう一度頭を下げてから立ち去った楓の背中が小さくなるのを見届けて、オリバーはスマホを耳元へ戻した。
「もしもし。ええ。もう大丈夫です。何でしたっけ。そうそう。良いお知らせでしたね。良いお知らせは彼女が遂に開眼したことです。相手に先手を打たれる前にコチラ側に引き込みます。ええ。その時が来たようですよ。」
そう言いながらオリバーは病院を見上げていた。
「ローレン。マジで言ってんの? 」
「冗談だとしたら趣味が悪すぎるだろ。」
ローレンとアクシアに挟まれたハンバーグたちが早く食べてと急かす様に肉の焼ける音は激しさを増していた。
「でも...どう言うことだよ。黒ローブの正体がパタ姉って...。 」
「俺も未だに信じらんねぇけど、何度思い返しても黒いフードの中の顔はパタ姉なんだよ。」
アクシアがローレンの相棒になってからまだ日が浅かったが、ここまで深刻な表情のローレンを見るのは初めてのことだった。