都内の高級中華料理店の個室内で四人の人物が円形のターンテーブルを囲んでおり、その中の一人である環が美味しそうに炒飯を頬張っている。
「この餃子も美味しいよ。」
環の右隣の席に座っていた叶はニッコリと微笑みながら餃子を口に運んだ。
「昼間っからこんな豪華な食事とは有り難いっすねー。でも、叶さんが餃子を食べれているのも俺のお陰ってこと忘れないで下さいね。あそこであの子の記憶を消しとかなきゃ、叶さんの頭を無くなってたかもしれないんだから。」
「ばーか。お前のためにあの警官を殺したんだぞ。逆にお前が僕に感謝するんだよ。」
叶は隣に座る不破の言葉とウインクをいなして目の前の点心を堪能し続けていた。
「でも、不破っちの能力って便利だよねー。右手で相手の額に触れられれば、相手の記憶を好きなように改竄出来るんでしょ? 私も欲しいなー。」
「何言ってんすか。環さんの能力の方が遥かに便利じゃなですよ。俺の能力なんて不安定だし、短期的なものですから。」
外向きになった猫耳に頬っぺたには米粒を付けた状態の環が右手をブンブンと振り回しながら笑っていた。
「そうそう。永続的じゃないから佐島と高城っていう警官を始末しなきゃいけなかったんだから。佐島って方はバレる前に僕が処分したけど、高城って方はなんだかんだ生き残っちゃってるんだよなー。」
「いやー。そうなんすよね。上手いこと警官同士で相打ちになってくれるかなーって思ったんすけどね。まぁ。目的だった
愚痴をこぼしながら不破はターンテーブルを回して、フカヒレの姿煮を自身の前に移動させた。
昼飯をこんな優雅に食べたのは本当に久し振りのことだ。
楓は目的の人物との話を終えて、カフェのオープンテラスで食後に出されたサービスの紅茶で喉を潤していた。
停職中の楓が個人的に会った相手は江戸原の知人だった。
彼の話によると江戸原は亡くなる数週間前から頻繁に毛利野と密会していたようで、江戸原の目的は毛利野から『ある人物』に関する情報を買うことだったらしい。
楓は洒落たティーカップをテーブルに戻すと、会話の内容をメモした手帳に目を向けた。
そこには死の間際に江戸原が文字通りに必死になって探っていた人物の名前が書かれている。
『不破湊』
「どうやら只の被害者じゃないみたいやな。あのイケメン君。どうやら思ってたんより長い休暇になりそうや。」
腕時計を確認した楓は次の約束の場所へ向かうべく伝票を手に取った。
お昼を過ぎると公安第五課のオフィス内にはレオス以外の四人が勢揃いしていた。
パターソンは自身のデスクに座って自分の右手の掌を隠すように巻かれた包帯をじっと見つめている。
物思いに耽っていたパターソンは、はす向かいから彼女の顔を真剣な目で観察しているローレンには気付いていない様だ。
ローレンは迷っていた。パターソンに自分が見たことを話すべきなのか。それに自分に顔を見られているはずなのに何故自分に何もアクションを仕掛けてこないのか。
そんなローレンが躊躇している間に別の方向からパターソンに声が掛けられた。
「レイン君。ちょっといいかな? 」
この部屋の中でローレンの他にも彼女の顔を見つめていた人物がもう一人居たのだ。
それはオリバーだった。
オリバーは自身のデスクに座ったままでパターソンを呼びながら手招きをしていた。
「先...越されちまったな。」
ローレンの隣で様子を窺っていたアクシアが少し身を寄せてきて囁いた。
しまったと焦る一方で、ローレンは得も言われぬ安堵感を覚えたのだった。
ローレンとアクシアの会話など聞こえていなかったパターソンは「はい」と返事をしてからオリバーのデスクの傍へと向かった。
「オリバーさん。何かあったのか? 」
「右手...痛むんですか? 」
「えっ...いや...平気だ。」
穏やかで、どこまでも先を見通しているようなオリバーの笑顔をパターソンは初めて畏怖の念を抱いていた。
「全く...君もレオス君も本当に頑張り屋さんですね。レオス君なんてもう歩き出してリハビリを開始しているんですから頭が上がりませんよ。」
「本当にな。すごい人だ。私なんて...。」
そう呟くパターソンのは自然と自身の右手に巻かれた包帯へと視線を落としてしまっていた。
「レイン君。今夜食事に付き合ってくれませんか? 」
「え? あ、ああ。」
「ええー。二人だけでズルイじゃないっすかー。俺らも旨いもん食いたいよなー。ローレン。」
「お、おう。そうだな。」
オリバーからの意外な誘いにパターソンが戸惑いを見せていると、アクシアとローレンが二人の会話に割り込んできた。
どうやらオリバーの声がアクシアのデスクの方まで聞こえていたようだ。
「あら。聞こえちゃいましたか? 今回は仕事の話なのでごめんなさい。今度レオス君が復帰したら皆で快気祝いに行きましょう。その時は勿論私が奢りますから。」
「そうなんすかー。じゃあ...快気祝いは派手にお願いしますね。」
不服そうに口を尖らせながらアクシアは渋々身を引いてから、オリバーは少し抑えた小さな声でパターソンに今夜の集合場所と時間を伝えた。
楓が次に会っていたのは不破の同僚ホストの一人だった。
不破とは違ったタイプの短髪でやや色黒のイケメンはニコニコと営業スマイルを浮かべながら楓と会話を続けている。
ホストクラブと言う場所を初めて訪れた楓だったが、目の前に広がる煌びやかで華やかな浮世離れした空間に圧倒されながらも、その桃源郷に心惹かれると言うことも今のところはなかった。
彼は不破が入店するまでは店のナンバーワンを張っていた人物だったのだが、不破の登場により今ではナンバーツーへと陥落していた。
彼も颯爽と現れた不破に抜かれたことが悔しかったようで、抜き返そうとより一層の営業努力を続けたのだが、結局最後まで不破を抜き返すことは出来なかったのだ。
「楓さん。あの事件以降不破が姿を消しちまったことは残念だし、勝ち逃げされたみたいで癪なんだけどさ。ぶっちゃけちゃうとホッとしている自分も居るんだよね。湊には勝てないんだよね。こっちは何をしてもさ。」
「貴方も優しそうやし、顔もええのに彼は何がそんなに凄かったん? 」
ホストは「ありがとう」と嬉しそうに微笑むとシャンパングラスを口に運んだ。
その中身は楓が『
楓にとっては見ず知らずの男に高い酒を飲ませるぐらいなら、部下と一緒に高い肉を食いに行った方がより幸福なのだ。
「信じてもらえるか分からないんだけど、湊は超能力者なんですよ。どんな相手であろうが一度湊が席に着けば、皆が忽ち湊の虜になっちゃうんです。相手の心の隙間に入り込むっていうか、相手の心をコントロールしちゃうというか...。」
「心を...
ホストの言葉を聞いた楓の頭の中ではシャンパングラスの中でゆらゆらと揺らめきながら消えて行く銀色のあぶくのように高城の不可解な言葉と行動が立ち上っては消えて行っていた。
「ええ。そうなんですよ。あれは営業努力とか見た目の魅力、会話術とかの言葉で片付けられるもんじゃない。
ホストから受け取った名刺をポケットティッシュ感覚で鞄に仕舞い込み、楓が店を出た時には辺りはすっかり暗くなり、繁華街は仕事帰りのサラリーマンたちで賑わい始めていた。
「江戸原は毛利野を使って不破を調べていた。何のために? 超能力...心をコントロール。高城と佐島は不破を迎えに行っている...。」
「樋口さん。」
ブツブツと独り言を呟きながら歩いていた楓は誰かに声を掛けられた。
街中を歩いていて男から声を掛けられることは楓にとって珍しい事ではなかった。
如何わしいバイトの勧誘だったり、単純にナンパだったりと大抵は楓の正体を知らない間抜けな男が多かったが、今回のケースはどうやら違うようだ。
相手は自分の名前を知っている上に、その声には聞き覚えがあったのだ。
振り返った楓がそこで見た人物はスーツ姿の社だった。
パターソンが店に到着した時にはオリバーは既にカウンター席でグラスを傾けていた。
時間を間違えてしまったのかと思ったパターソンがスマホで時間を確認してみたのだが、約束の時間の五分前であった。
「大丈夫ですよ。私がお酒を飲みたくて早く来すぎたんです。どうぞ。こちらへ。」
オリバーが指定した店は大柄なマスターが出迎えてくれる何時ものバーだった。
パターソンは促されるままにオリバーの隣に腰を落ち着かせるとマスターへ注文を伝えた。
「オリバーさん。今日は急にどうしたんだ。」
「その右手の掌の傷は
「...どうして。」
「差し支えなければ...包帯を解いて傷を見せてくれませんか。」
オリバーの超能力のような一言にパターソンは驚きを隠せなかった。
何故オリバーは私の掌の傷のことを知っているのであろうか。傍に居たヴィンセントにすらも見せていないのに。
「お待たせ。」
右手の包帯を強く握りしめたままのパターソンの前に黒糖梅酒のロックがマスターによって届けられた。
魅力的な香りと色の液体を口にしてみると幾分かパターソンの緊張を解してくれた。
梅酒から勇気を貰えた気がしたパターソンは右手の包帯を静かに解いていく。
完全に解けた包帯をカウンターの上に置くと隠していた右手の掌が露わとなった。
パターソンの右手の掌には大きな赤い引っ掻き傷が出来ていた。
その傷に心当たりが無いだけでも気持ち悪いのだが、その傷をより一層不気味にしている原因は傷の形にあった。
引っ掻き傷は右手の掌の上にローマ字の『A』を描いていたのだ。
気のせいなんかではなく、赤い色鉛筆で描いたかのようにはっきりと文字として認識できるレベルなのだった。
「スティグマータ...。」
「えっ? 」
パターソンの掌の傷を見たオリバーがポツリと呟いた。
「日本語では
「わ、私はボディーガード時代から無神論を貫いてきているんだ。そんな傷とは無縁のはずだぞ。」
焦りだろうか、それとも不安なのだろうか。気が付けばパターソンは強い口調でオリバーに詰め寄ってしまっていた。
「レイン君。私は貴女に一つ隠していたことがあります。」
こんなにもパターソンが動揺していたのは、脳裏で
『君にある人物が傷を見せてくれと言うはずだ』
そう。その人の言葉通りになっているのだ。
「私は本来は公安第五課の課長ではなく、『
「エデン? 」
「A.Cの『A』、見つけると言う意味のdetectの『de』、無効にする者と言う意味のNullifierの『N』を取って命名された組織です。目的としては『A.C』の発見と壊滅をするために秘密裏に集められた集団なんです。」
オリバーは店の紙ナプキンに三つの英単語を書き込み、その頭文字に順番に丸印を付けていった。
「単刀直入に申し上げます。レイン君。我々の組織に入ってもらえませんか。」
これもやはりある人物の言葉通りだ。
『AdeNと言う組織が君を勧誘してくるはずだよ』
それは今日の朝のこと。
パターソンが出勤しようと自宅であるワンルームマンションを出たところで出会ったのだ。
そこは以前にオリバーと初めて出会った場所でもあった。
「あなたは...。」
彼女が対峙した人物は身に覚えのある服装だった。
真黒なローブ。フードを目深に被っていて顔は見えない。
レオスと椎名唯華と対峙した黒フードと間違いなく同一人物だ。
「やあ。久し振り。レイン・パターソン。」
「どうして...。」
パターソンはゆっくりと臨戦態勢に入るが、どうしても椎名の時の悪い記憶が蘇ってきて肩や足に余計な力が入ってしまう。
「いやね。今日は君と戦いに来たんじゃないの。俺は君を救いに来たのよ。」
「はっ? 何をい...。」
真っ暗闇の中から現れたのは若い男だった。
ローブとは対照的な白い肌に白い髪。吸い込まれそうな深紅の瞳。
暗闇から抜け出した白髪の若い男は眩しそうに朝の空を見上げている。
「お前は一体...誰んだ。」
男は太陽からパターソンへと視線を戻すとニヤリと笑った。
「俺は