パターソンは『公安第五課』と書かれた真新しいプレートが掲げられた扉の前に立っていた。
そこは五日前にオリバーに指定された場所であった。
それにしてもこの場所はどういう所なのだろうか。
辺りには他の部署の部屋が有るわけではなく電気室や倉庫なような部屋が並んでいて、その中に突如として現れるのがこの『公安第五課』の部屋だった。
肩書に似つかわしくない雰囲気に若干の怪しさを胸に抱きながら一度深呼吸をして、パターソンは静かに扉を開けた。
「失礼しまーす。」
中はだだっ広い部屋だった。天井のダクトや空調設備などが剥き出しになっており、壁はコンクリートの打ちっぱなし状態。
広い部屋の真ん中に四つのデスクが対向式に置かれており、その四つのデスクを見渡せるような場所にもう一つデスクがあった。
その隣には応接用のソファとローテーブルも用意されているようだ。
対向式になっているデスクの一つ。入り口から一番近いデスクでは赤髪と黒髪の二人の男が何やら難しい顔でデスク上のPCモニターを見つめていた。
部屋に入ってきたパターソンの声も届いていないようだ。
何か捜査の資料を見ているのだろうかと気になったパターソンは二人の後ろに近付いてモニターを覗き込んでみた。
そのモニターに映っていたのはゲーム画面だった。最近流行っている銃火器を使ってプレイヤー同士が撃ち合うようなゲームのようだ。
入り口からでは良く見えなかったのだが、二人の手にはしっかりとコントローラーも握られていた。
さらに良く見るとモニターの横には色彩豊かなエナジードリンクの缶たちが放置されている。
ゲームの結果に一喜一憂しながら、何とも楽しそうに二人は遊んでいた。
パターソンが唖然としていると、離れたデスクの方から声が聞こえてきた。
「こちらです。パターソンさん。」
そこには笑顔で手招きをしているオリバーが座っていた。
オリバーのデスクは目の前の二人とは対照的に綺麗に整理整頓されていたのだが、デスクの片隅に場違いな高さ二十センチ程の蓋つきの陶器の壺が置かれているのがパターソンには気になって仕方なかった。
「オリバーさん...それ何ですか? 」
パターソンは我慢できずに壺を指差しながらオリバーに尋ねてみた。
彼女の指先を確認したオリバーは「ああ。」と言うと壺の蓋を開けて見せた。
蓋を開けた途端に紫蘇の香りがフワリと二人を包み込んだ。
パターソンが中を覗き込んでみると、本格的に漬け込まれた梅干しが大量に入っていた。
「梅...干し? 」
「ええ。僕の好物なんですよ。お昼ご飯や夜食を食べる時に一緒に食べるんですよ。所謂マイ梅干しってやつですかね。」
そう言いながら笑うオリバーを見ていたパターソンの表情はつい何十秒前と同じような表情へと戻っていた。
「そうだ。ここに来てくれたと言うことは腹が決まったってことですよね。」
「ええ。決心して来たつもりだったのだが、この部屋に入って決心が揺らいでいる。と言うか不安でいっぱいなんですが...。」
「大丈夫ですよ! 警察と言ってもパターソンさんは捜査協力的なポジションですし、僕も含め分からないことがあれば、しっかり指導していきますから。」
「いや...。そういう不安じゃないんだが...。」
不安要素の認識の誤差を解決できぬ間にオリバーはデスクの引き出しからファイルを取り出した。
それが五日前にカフェで見た例のファイルだった。
「これを...受け取りに来たのではないですか? 」
そして、あの時のようにオリバーの表情も真面目モードに素早く切り替えられていた。
「...勿論だ。その事件を捜査できるなら私は何でもするさ。」
パターソンはオリバーの差し出したファイルを受け取った。
それを見たオリバーの表情は再び満足そうな笑顔へと戻っていた。
「契約成立です。ようこそ『公安第五課』へ。
席から立ち上がったオリバーは右手を差し出した。
パターソンは何も言わずにその手を握り返した。
「では、レイン君のデスクはここでお願いします。」
オリバーが指定したデスクは二人がゲームをしているデスクのはす向かいのデスクだった。
他のデスクの上は物があるのに対し、そのデスクは新品同様の状態であった。
「それとあっちでゲームをしているのがローレン・イロアス君とアクシア・クローネ君だ。赤っぽい髪色がローレン君で黒髪がアクシア君だ。二人とも。こちらが今日から公安第五課に入るレイン・パターソン君だ。」
オリバーに名前を呼ばれた二人は流石に反応して、デスク越しに立っていた二人の顔を見た。
「あ。課長が話してた新人さんか。俺はアクシアって言います。よろしくです。」
「おお! 女性をスカウトするなんて、流石エバさんだなー。」
笑顔で手を振る二人に対して、パターソンは何とか引き攣った笑顔でそれに応えた。
「こう見えても二人とも優秀な警察官だから安心してくださいね。ローレン君は捜査一課の超新星でアクシア君は交機隊のエースなんだから。」
人は見かけによらないとはこの事なのだろう。今の二人の姿からは全く想像できない紹介であった。
「またまた。その若さで課長になってる人が言っても、ただの嫌味にしか聞こえませんよ。」
ローレンがそれだけ言い残すと、二人は再びモニターへと視線を戻した。
「二人の席はレイン君の向かい側の二席で捜査時もバディで動いてもらってる。」
「それじゃ。私のバディはオリバー課長ですか? 」
「そうしてあげたい気持ちは山々なんですが、レイン君のバディは右隣のデスクの方です。」
オリバーの視線の先には書類と怪しげな薬瓶が並ぶデスクがあったが、そこには誰も座っては居なかった。
パターソンはデスク上にある物を見て言い知れぬ不安に苛まれていた。
「こ、この人は出かけてるんですか? 」
「いや。あそこに居るよ。」
オリバーは振り返りフロアの奥をも見つめた。
そこには出入り口とは別の扉があったのだが、パターソンは言われるまでその存在に気がつかなかった。
その扉には『無断で入るな! 』と乱暴な手書きの文字で書かれた紙が張られていた。
それを見たパターソンはキャパシティーオーバーした不安のせいで、胃の辺りに痛みを覚えていた。
二人が見つめていると扉から一人の男が出てきた。
青い髪にシンプルな眼鏡を掛けた白衣を纏ったその男はブツブツと何か独り言を言いながら、こちらへと近付いてきていた。
「丁度良かった。レオス君。こちら新人のレイン・パターソン君だ。君とバディを組んでもらうことになるからよろしく頼むよ。」
「え。ああ。どうも。」
オリバーに呼び止められたレオスは立ち止まりパターソンの顔を一瞥してから、それだけ言って自分のデスクへと向かって言ってしまった。
「私...嫌われてます? 」
「いや。彼は考え事をしているとあんな感じだから気にしないで大丈夫だよ。彼はレオス・ヴィンセント君。元々科捜研の優秀な主任でね。さっき彼が出てきたのは彼専用の研究部屋なんだ。少し気難しい部分もあるけどね。」
パターソンは胃痛に引き続き、気が付けば頭痛も併発していた。
「あ。そうだそうだ。」
何かを思い出したようにオリバーは自分のデスクへと戻って行ったと思うと、引き出しから何かを取り出した。
それは先ほどパターソンが受け取ったファイルと同じような別のファイルだった。
ファイルを手にしたオリバーは自分のデスクの近くで立ち竦んでいたパターソンの元に戻ってくると、そのファイルをパターソンへと差し出した。
「何です? これ。」
パターソンはそれを受け取ると中身を見てみると、それは何かの事件の記事のようだった。
「僕からの就任祝いです。」
中身に目を通したパターソンの手は微かに震え始めていた。
『突如現れた刃!? 自殺の可能性も? 』
『とある配信者が配信中に謎の死。「告発」と銘打って始められた配信の中で重大な何かを話そうとした時だっどこからともなく現れたナイフのようなものが配信者の胸に刺さった。その瞬間は数千人の人間が同時に観ていたのだが、誰一人としてナイフがどこから現れたのか、第三者がいたのかどうかを見なかったという。警察では自殺の可能性も含めて捜査中とのことだ。尚、当日に死亡した配信者が何を話そうとしていたのかも明らかにされていない。』
「オリバーさん...これって。」
呟くように漏れ出た声はパターソンが今出せる精一杯の声量だった。
記事に釘付けになったままで彼女の思考はクラクラと眩暈を起こしてしまっていた。
「その事件が起きたのは先月のことです。場所はこの都内。レイン君の求めている答えは君が思っているよりも近くにあるのかもしれませんよ。」