約束の朝を迎えた。
あの日と同じ気持ち良く晴れた爽やかな空気の中、葛葉は同じ場所で待っていた。
「答えを聞きに来たんだけど、腹は決まったかな? 」
「ああ。勿論だ。」
パターソンの言葉にもう迷いはなく、しっかりと正面を見据える瞳がそれを証明していた。
彼女の表情を見つめていた葛葉にもパターソンの決断は伝わっているようだ。
「で? どうなの? 」
葛葉は前回の別れの時のつまらなそうな表情と違い、期待に満ちた表情で楽しそうに笑っている。
「私は知らない内に
「『
「そうね...。でも、私は今の仲間のことも、能力者のことも諦めたくない。だから、私は君ともオリバーさんとも組まない。君たちがそうしたように私も私のやり方で答えを出して見せるよ。」
出来るわけない。
そんなことはパターソンにも分かっていた。
たった一人の人間すらも守れなかった自分が言っても説得力のないことはパターソン自身が一番分かっている。
それでもこれが椎名やレオスのアドバイスから得たパターソンの答えなのだった。
「それさぁ...マジで言ってんの? 」
ある意味で予想通りの言葉が葛葉から返ってきた。
口元こそ笑ってはいたが、葛葉の赤い瞳は狩りに興ずる前の獣の如く、パターソンを鋭く捕えている。
「マジだよ。私は君たち『Any Color』も救ってみせる。」
「オーケー。オーケー。分かったよ。そっちがその気なら交渉は決裂。」
そう言いながら葛葉がパチンと指を鳴らすと、パターソンは背後から人の気配が近づいて来るのを感じ取った。
てっきり『A.C』の援軍だと思い込んだパターソンが急いで振り返ったのだが、後ろから近付いてきていたのは歩きスマホの女子高生とロングコートを羽織ったサラリーマンだ。
恐らく二人ともこの先にある駅に向かっているのだろう。よく考えてみれば丁度通勤通学の時間帯と重なっている。
でも、おかしい。
葛葉が指を鳴らすまでは誰も通っていない。
それに、思い出してみれば二日前も二人が会話をしている時に第三者は通っていなかった。
「あ? 気付いた? これね。俺の能力なの。俺は一時的に時間の流れを止められんの。まぁ。正確に言うとちょーっと違うんだけどねー。」
パチンと乾いた音が再び鳴ったかと思えば、後ろから近付いて来ていたはずの二人の足取りが、パターソンの見ている目の前でピタッと止ってしまったのだ。
「実は前に不破と椎名を攫いに行った時にも見せてたんだけどね。あの時は黒ローブを被せた不破を部屋に向かわせて、後ろで俺が時間を止めてたんだけどね。」
葛葉の言葉でパターソンの中である一つの疑問が解決した。
不破と警視庁の地下で初めて会った時に感じたこと。
『以前にどこかで私と会ったことがありませんか? 』
パターソンが初めて不破に会った時に言った言葉だ。
彼女にそう言わせていた記憶。それは椎名の事件の時に仮面の人物と対峙した際に見た仮面の奥から覗いていた青い瞳だった。
不破はパターソンの質問を上手く躱していたが、やはり会っていたのだ。
「これは
葛葉の指がゆっくりと動く。
先ほどまでハッキリと聞こえていたはずの指の鳴る音が遠くに感じた。
次の瞬間、パターソンの目の前から葛葉の姿は見えており、止まっていた二人の通行人も何事も無かったかのように再び動き出したのだった。
公安第五課のオフィスには久し振りに五人の姿が揃っている。
応接用のソファに座ったレオスは対面に座っているオリバーへ復帰報告をしていた。
レオスの横には相棒であるパターソンも同席しており、ローレンとアクシアは自身のデスクに座りながらソファの様子を窺っているようだ。
職場復帰まではもう少し時間が掛かると思われていたのだが、医者も驚く回復力と気力でリハビリをこなしていたレオスは考えうる上での最短コースを通り職場復帰を果たしたのだった。
「おかえりなさい。随分と頑張っていたみたいですね。」
「この程度大したことありませんね。普段から体も鍛えていましたし、効率良く栄養を取りながら体を動かして行けば良いんですよ。」
ニコニコと嬉しそうに笑うオリバーに対して、レオスは何とも涼しげな顔で聞いてもいないのに自身の手足を動かしながら体の構造についての説明を始めてしまっていた。
「まぁまぁ。その話は今度個人的にゆっくり聞かせてもらうとして、実は二人に探してもらいたいものがあるんですよ。」
「探しもの? 事件の証拠か何かなのかオリバーさん。」
パターソンの言葉を聞いたオリバーが微かに笑った。
「いいえ。二人に探してもらいたいもの。それは『
同じく謹慎が解けて職場に復帰した楓が最初に向かった先は畑違いの捜査二課のオフィスだった。
突然現れた楓に騒めく刑事たちの中を脇目もくれずに社のデスクまで楓が突き進んでいくが、その様子を座ったまま見つめていた社は慌てることなく、座ったまま待ち構えている。
「おはようございます。樋口課長。今日から復帰ですか? 」
全く気持ちの込められてない社の社交辞令を受け流した楓は、社のデスクの上に叩きつけるように両手を置いた。
楓の掌とデスクの衝突するバンッと言う強い音が二課のオフィスに響くと、騒がしかった二課は水を打ったように静かになった。
「社課長。どういう事ですか? 」
「...何のことかな? 」
「聞きましたよ。高城の取り調べは一課が担当していたはずなのに私が休んでいる間に二課に移ったらしいじゃないですか。」
「ああ...その件ですか。樋口課長が居らっしゃらなかったので課長代理に話は通しているはずですが? 」
楓は右手をもう一度デスクに叩きつけたが、やはり社は表情一つ変えることはない。
「...ちゃう。手続き云々の話をしてるんやなくて、なんで今になってアンタらが首突っ込んでくるんかって聞いてんねん。」
「そう興奮なさらずに。私は上に言われた通りにしただけですよ。警察官なら私が言っていること分かりますよね? 樋口課長。」
飄々をした社の顔を見つけていた楓は唇をギュッと噛み締めるだけで何も言い返せなかった。
せめてもの抵抗で楓はデスクに腕を振り下ろして三度目となる快音を二課に響かせると、入ってきた時と同じ様に早足に二課を出ていってしまった。
パターソンはオリバーの言葉に我が耳を疑った。
「今...『ドラゴン』って言ったのか? 」
「ええ。言いました。」
オリバーは至って冷静な口調でそれを認めてしまったのだ。
「レイン君。私が入院している間にパンダのように中国の山奥か何かで龍が発見されていたんですか? それは凄いことですよ。是非お目にかかりたいですねー。」
「えぇ....いや、そんな話は聞いたことは...。」
「それがあったんです。目撃情報が。」
『えっ? 』
半分冗談で聞いたつもりだったレオスもパターソンとほぼ同時に驚きの声を思わずあげていた。
「警察にも何件か都民から『赤いドラゴン』を見たとか、『ドラゴンに乗った青い髪の少女』を見たという通報が何件かありましたし、実際に赤いドラゴンに襲われて入院中の方も居るんですよ。」
「『
「いやいや。流石の私も『ドラゴン』が実在しているとは思っていませんよ。私がお願いしたいことは『ドラゴン』の正体を調べて欲しいんです。ローレン君とアクシア君たちにも先に捜査してもらってるんですけど、まず二人にはドラゴンに襲われたと証言している被害者に会いに行ってもらいたいんです。」
そう言うとオリバーはレオスに病院の名前と住所が書かれたメモを手渡した。
「ふむ。とても興味深いですね。では行ってみましょうか。レイン君。」
オリバーからメモを受け取り立ち上がったレオスは、隣に座るパターソンへと言葉を掛けるが彼女はまだソファに座ったままだった。
「すまない。先に行っててくれないかヴィンセントさん。直ぐに追いかけるから。」
「...そうですか。では車で待ってますから出来るだけ早く来てくださいねー。」
パターソンの真剣な目に何かを察したレオスは、それ以上は何も聞かずに一人でオフィスを出ていってくれた。
「オリバーさん。この間のお話なんですが、お断りさせていただきます。申し訳ない。」
パターソンは座ったままでオリバーに向かい頭を下げた。
「それは...
やけに落ち着いた口調でオリバーが尋ねると、パターソンは頭を上げてオリバーの目を見つめながら話を続けた。
「いや。そうではないんだ。私はどちら側も助けたいんだ。あっちとかこっちとかは分からない。でも、私は私が立っている
「君が立っているソコが一番辛く、一番苦しい場所だとしてもですか? 対極で争う者たちは迷った時、苦しい時に寄り掛かったり休める為の『
「立ち続けてみせます。」
パターソンの短い言葉に込められた強い決意と想いの言霊はしっかりと伝わったようだ。
「そうですか。わかりました。」
「失礼します。」
パターソンは立ち上がり、再度オリバーに頭を下げてから廊下の方へと向かって行った。
「レイン君。それでも私たちは待ってますから。いつでも声を掛けて下さいね。」
部屋を出ようとしたパターソンの背中に言葉を掛けたオリバーに振り返ったパターソンは「はい」と笑顔で答えた。
少女は黄昏の世界がゆっくりと広がる街をスカイツリーの天辺から見下ろしていた。
天辺と言っても展望台などではなく、文字通りの天辺。真っすぐに伸びた塔の先端。
白い円形のステージとそれを取り囲むように金網が立っているスペースがそこにはあった。
どうやって侵入したのか少女は日本一高い白いステージからぼんやりと模型のような街並みを眺めている。
「はぁー...。強くなりたいなぁ...。」
彼女の小さな声は風の音にかき消されていった。
その時、白いステージと少女を黒い大きな影が一瞬で覆い隠したのだ。
少女は影に気が付いて振り返ると影の主を見つめて笑った。
「迎えに来てくれたの? ありがとー。」
影は嬉しそうに両翼を大きく広げた。