AdeN(エデン)~公安第五課~   作:夏野 雪

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開巻劈頭(前編)

 「どーも。」

治療を終えた黛は脱いでいたシャツを着直した。

「全く...もうこんな無茶しないでよね。」

彼の背中を治療していたのは健屋だ。

黛の怪我はドラゴンに襲われた時に健屋を炎から庇って負ったものだった。

幸いにも初動の攻撃での火傷の程度も軽度で乗り切れ、炎から逃れた後も偶然通り掛った通行人の悲鳴を聞いたドラゴンが二人への追撃を諦めて空の彼方へと消えたことも怪我が軽く済んだ要因であった。

「それを言うなら、健屋も無茶な飲み方しないことだね。」

「あー! もー! はいはい。健屋が悪かったです! 申し訳ございませんでした! 」

珍しく白衣姿で顔を真っ赤にしながらブツブツと何かを呟く健屋を残して黛は診察室を出て行った。

「よぉ。思ってたより元気そうじゃないの。」

診察室の外で黛を待っていたベルモンドが笑顔で出迎える。

「いや。普通に痛いんですけど。そう言えば、アレは役に立ちました? 」

「おお? アレか? 役に立ったどころじゃないさ。アレのお陰でレインの嬢ちゃんも救えたし、敵の本丸まで分かっちまった。良くあの状況でGPS発信機なんてドラゴンに付けられたな。」

「運が良かっただけですよ。GPSも通行人も。」

黛はドラゴンが通行人の悲鳴に驚いて飛び立つ直前、盗難対策で自身の鞄に付けていたGPS発信機をドラゴンに向かって投げつけていたのだ。幸運にもそれがドラゴンの足に引っ掛かり連絡を受けたオリバーとベルモンドはドラゴンの行き先である公園へと辿り着くことが出来たのだ。

更に、ドラゴンが逃げた後も発信機が落ちることは無く、ドラゴンが帰還した先まで突き止める事が出来たと言う訳なのだった。

「運が良いってことは悪いことじゃない。運命の女神様は俺たちに微笑みかけてくれてるってことよ。これから乗り込むための作戦会議をオリバーが開くみてぇだけど出れそうか? 」

「まぁ...お腹が空いてる以外は問題ないかな。」

「それなら店でなんか作ってやるよ。」

「そりゃどーも。」

ベルモンドが笑いながら黛の肩を叩くと二人は揃って病院の出口へと向かい歩き始めた。

 

 

 とある建物の屋上で天宮は最後の包帯をドーラの翼に巻き終えると額の汗を拭う。

ドラゴン用の医療用具など有る訳も無く、犬用の止血剤と包帯を使って天宮が額に汗をかきながらも一所懸命にドーラの両翼の手当をしていた。

「ふー...終わったよ。痛かったよね。」

天宮が包帯の上からドーラの傷口を優しく撫でると、くすぐったいのか痛むのかドーラの鼻先がピクリと動いて反応を示した。

「ごめんね。私が弱いから...いつもいつもドーラちゃんばっかりがこんな目に遭っちゃって...。」

確かに天宮の能力は強力なものだが、実際のところ天宮が直接何かをするような能力ではなく、ドラゴンの力に頼る能力だ。

なので、天宮は自分自身のことを『弱い人間』だとか『A.Cで最弱の人間』とよくぼやいていた。

傷口を撫でていた天宮の手が止まる。

「ごめんね。」

天宮の声は微かに震えており、同時にポツポツと涙が地面に零れていく。

ドーラは彼女の小さな顔に鼻先を近付けて擦り付けてから零れる涙を器用に鼻先で拭ってみせた。

「うぅ...ありがとう。」

音にはならないドーラの言葉を聞いた天宮はそう呟くとドーラの鼻先を力強く抱き締めるのだった。

 

そんな二人の姿を屋上へ通ずる扉の隙間から密かに見つめていた人物がいた。

「不破っち。そんなとこで何してんの? 」

声に反応して不破が振り返ると叶が階段を上がってきているところだった。

「ああ。かなかなか。キレイだから見てみなよ。」

「んー? どれどれ? 」

扉の前を叶に譲るように移動すると、交代で叶が扉の隙間から屋上の絵画のような光景を覗いた。

「...確かに。美術館か映画館に居るみたいな気分になるね。」

少し悲しそうな表情を浮かべた叶が扉から顔を離そうとした時、後ろで待ち構えていた不破が叶の額を鷲掴みにしたのだ。

「実は叶君()()協力してもらおうかなって思ってるんだよね。」

 

 

 レオスは黙ってパターソンの話を聞いていた。

自身の能力のこと。葛葉との邂逅。『A.C』のこと。

パターソンは敢えて『AdeN』のことは話をしなかった。なぜなら、自分が話すべき事では無いと考えたからだ。

「と言う話だ。信じられないとは思うんだが、全て事実なんだ。」

てっきりパターソンは反論されるか、否定されるだろうと思っていた。

しばらく黙ってパターソンを見つめていたレオスの口から出てきた言葉は意外なものだった。

「信じますよ。」

「...えっ? 」

「信じますよ。私は自身の目でレイン君の『能力』というものを見せつけられました。科学において観察や観測で確認された事実と言うものは絶対なんです。ですから、君たちの能力を認めた上で、今の私の興味はそれを解析研究することに移ってるんですね。」

どうやらパターソンを信じているのではなく、科学の真理のようなものをどこまでも信じているらしい。

「ありがとう...。」

そうだったとしてもだ。本人には絶対に伝えたくなかった言葉がパターソンの口から不意に漏れ出していた。

「ちょっとちょっと! ンゴのことを放置しないでもらえますか? 」

頬っぺたを膨らませたご立腹の周央がパターソンの上着を背後から思いっきり引っ張った。

「あ。ああ。助けてもらったのにすまなかった。本当にありがとう。」

「まあね。ンゴにかかればドラゴンだろうか、麒麟だろうが余裕ってこと。それはそれとして、ンゴは帰る前にパタちゃんに伝えておきたい事があるの。」

「ん? 伝えておきたい事? 」

さっきまでのふざけた様子とは打って変わって真顔になった周央の口から思ってもみなかった言葉がパターソンに告げられた。

「そう。それはね。ンゴを闇討ちで殺した人たちの正体。」

 

公安第五課の自身のデスクに座り、レオスのことや周央の言葉を思い出していた。

「...-----。」

「えっ? 」

考え事をしていたパターソンの耳に小さな声が聞こえてきた。

今ここに居るのは自分とオリバーしか居ない。

と言うことはさっきの声は...。

パターソンがオリバーに視線を向けてみると、オリバーは珍しく自身のデスクに顔を埋めて座っている。どうやら眠ってしまっているようだ。

音を立てないようにそっとオリバーに近付いて行ったパターソンはデスクの上にあるオリバーお気に入りの梅干しが入った壺の蓋が開けっ放しなことに気が付いた。

「大分疲れてるようだな...。んっ? 」

壺の蓋を閉めてあげようとパターソンが蓋に手を伸ばした時、蓋に隠されていたあることに初めて気が付いた。

それは蓋の裏に貼られていた一枚の写真だった。

写真は証明写真程度の大きさで一人の少女が満面の笑みでピースをしている。少女は黒色のショートヘアの頂点には黄色い鶏冠のようなものがあり、同じ色のメッシュが左右に入っていた。それに前髪の辺りには魚のヘアピンを付けた可愛らしい女の子だ。

年齢は中学生か高校生かと言ったところだろうか。

「...ぺトラ...。」

今度ははっきりとオリバーの寝言を聞き取ることが出来た。

この少女の名前なのだろうか。パターソンは勿論初めて耳にする名前だった。

 

 

 三年前

自分はある程度の知識と教養を身に付けていたつもりだった。

そんなことがちっぽけな一人の人間の傲りに過ぎないことをまざまざと思い知らされた場所。

『One Color』

この施設では人知を超えた能力を持つ者たちが集められ、秘密裏に隔離生活を送っているのだ。

極々選ばれた一部の人間にのみ知らされている極秘施設でもあったのだが、何を隠そうオリバー・エバンスもその選ばれし人間の一人なのだった。

警視庁からも未来の幹部候補生数名がここに派遣されていた。

「君たちには、ここに居る能力者の世話、教育、交流をしてもらいたい。」

それが警視庁のお偉い方々から与えられた仕事内容だ。

そして、ここがオリバーが彼女と初めて出会った場所でもあった。

 

オリバーが施設に派遣されてから半年の月日が流れていた。

最初こそ能力者たちとの接し方や扱い方に戸惑い、苦戦していたものの、慣れてみれば普通の人間と変わりなんてないことに気付かされた。

どんなに不思議な力を持っていようとも、皆どこにでも居るような一人の学生であり、一人の社会人なのだった。

「せーんせー! 」

廊下を歩いていたオリバーの背後から猛スピードで突進してくる小さな生き物。

「うわっと! 」

オリバーは後方からの強烈なタックルに前に倒れこみそうになるのを何とか踏ん張って後ろを振り返ってみると、小さな女の子が自分の腰辺りに顔を埋めてくっ付いている。

「Petra.If I've told you once, I've told you a thousand times.I told you that you shouldn't use your abilities against people.(ぺトラ。何回言ったら分かるんだい? 人に向かって使っちゃ駄目って言ったろ。)」

広い背中から顔を上げたぺトラはニッコリと笑った。

「No worries.I don't use it for anyone but Professor Oliver.(心配無用よ。オリバー教授にしか使わないから。)」

「Um...That’s great.(あぁ...それは素晴らしいね。)」

オリバーが頭を抱えて大きなため息をつくのを見たぺトラはクスクスと笑いを堪えているようだ。

彼女の名前はぺトラ・グリン。海外で確認された能力者の一人で、オリバーが担当している内の一人でもあった。

ぺトラの能力は水中を物凄いスピードで進むことが出来て、そのスピードは時速十キロを超える程の速さにもなる凄い力なのだ。

幸か不幸か、地上ではその能力は発揮されないためにオリバーの腰は一命を取り留めていた。

オリバーは英語も堪能だったため、主に海外で確認された能力者たちを任されていたのだが、その中でも特に懐いているのが彼女だ。

ぺトラと出会ってからまだ数か月しか経っていないにも拘わらず、既に彼女にとっては世話係と言うよりも友達や年の離れた兄妹のような感覚なのだろう。

「おお? 相変わらず仲が良いな。お前らは。」

声を掛けてきたのはオリバーと一緒にこの施設に警視庁から派遣された世話係の内の一人の男だった。

 

 

 楓は警視庁の資料室のパソコンのモニターとにらめっこを続けていた。

彼女は社が何かを知っているのではないかと睨み、社の経歴などを探っている最中なのだが今モニターに映し出されているのは警視庁に所属する警官の経歴が確認出来るページだった。

無論、許可など取ってはおらず、見つかれば注意だけでは済まないだろう。

楓は辺りを警戒しながらも素早く目的のページまで急ぐ。

『社 築』

見つけた。楓はそのページを迷わず開いた。

「どれどれ...二課の課長になったんが一年半前か...ん? 」

楓の視線がある地点で止まった。大学卒業後から特に問題なく続いていた経歴がある時点で不自然に途切れていたのだ。

それは今から三年前から二課の課長に就任する一年半前までの間だった。

「なんや...この空白の一年半は。」

試しに他の警官の経歴を確認してみることにしたが、楓自身や他の課長クラスの人間たちをランダムに確認してみるも誰の経歴にも社のような空白の期間は確認出来なかった。

空白の謎は解けないままにページを閉じようとした楓の目に見知った一人の名前が飛び込んでくる。

オリバー・エバンス

何の気なしにクリックしてみた楓は驚いた。

彼にも社と同時期に空白の期間が出来ていたのだ。ただし、社よりも空白の期間が半年ほど短かった。

「どういうことや...。」

 

 

 「Oh! ヤシロ先生! 」

にやけ顔でこちらを見ていた社に向かってペトラが手を振った。

「こんにちは。ペトラ。オリバーのお世話しっかり頼んだよ。」

「任せてよ! 」

社の言葉にペトラは嬉しそうに右手を額に当てて敬礼をして見せると、社もしっかりと敬礼を返していた。

「因みに、社さんは今から何処へ行くんですか? 」

「あ? 俺は葛葉んとこだけど? 」

質問をしたオリバーと社の答えを聞いたペトラは互いに顔を見合わせ、同時にニヤリと口角を上げる。

「またゲームですか? 」

オリバーがさっきのお返しとばかりに社に聞こえるようにワザとらしくため息をついた。

「仕方ないだろ。俺は葛葉に誘われて仕方なく付き合ってやってるだけだ。」

「ヤシロ先生? 『()()()()()()()()()()()』だよ。」

ペトラの悪意なき煽りに少し顔を紅潮させた社は「じゃあな!」と捨て台詞を残して、廊下の奥へと足早に去って行った。

社の背中を見つめながらクスクスと笑うペトラ。

 

この可愛らしい笑顔も

 

背中にズシリと重くのしかかるタックルも

 

失うことになろうとは、この時は夢にも思わなかった。

 

 


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