ベルモンドお手製の炒飯を平らげた黛は満足そうに両手を合わせた。
「ご馳走様。」
「おう。お口には会いましたでしょうか? 」
「うん。美味しかった。」
黛の料理の感想を聞いて満更でもなさそうに笑みを浮かべたベルモンドはカウンター越しに空になった皿を受け取っていた。
今日は前回出来なかった会合を行う予定だったのだが、今度は肝心のオリバーが遅刻をしていたのだ。
「オリバーさんが遅刻なんて珍しいね。」
「まぁ状況が一変して旦那も色々と忙しいんだろうよ。確かに連絡が無いのはらしくないけどな。」
二人がそんな会話をしていると店の扉が開く音が聞こえてくる。
「お待たせしましたー。って、あれ? オリバーさんまだなの? 」
「おう。アクシアか。とんだ災難だったな。車はお釈迦だって? 」
店に現れたのはアクシアであった。
「そーなんすよ。ベルさん。聞いてくださいよ。金ないのにさぁー...。」
ベルモンドの『車』と言う単語に敏感に反応したアクシアが会社の愚痴を発散しに来たサラリーマンの如く、カウンターの席に座るなりベルモンドと横に居る黛に対して熱を込めて語り始める。
警視庁公安第五課所属、元交通機動隊員のアクシア・クローネ。
彼もまた『AdeN』の一員である。
雑居ビルで黒ローブと出会った時に黛たちに連絡したのも、ドラゴンとの遭遇をオリバーに報告したのもアクシアがしていたことなのだった。
そして、前回の会合で皆はアクシアがドラゴンに襲われているとも知らずに彼が来るのを待っていたのだ。
二年半前
社がオリバーたちと共に施設に来てから半年が経っていたのだが、その間にこの廊下を何度往復したことか。
今日も今日とて社は一人の能力者の部屋へと呼び出されていた。
目的の部屋の前に到着した社が部屋をノックすると「開いてるよー」とお馴染みの返事が聞こえてくる。
「遅かったじゃないっすか。社さん。」
狭い部屋の中でゲームの準備を完璧に済ませて社を出迎えたの葛葉であった。
この施設で出来た新たな社の日課。
それが葛葉とゲームで遊ぶ時間だ。
社には詳しく知らされていないのだが、葛葉は上層部も特に気に掛けている能力者の一人だった。
それが故に葛葉の要望は聞き入れやすく、彼の部屋には現時点での最新のゲーム機や高スペックの最新型のパソコンが揃えられており、認めたくはないが社の部屋よりも豪華であった。
「
そう言いながらワイシャツの袖を捲ると葛葉の横に座り、用意されていた2P側のコントローラーを握る。
「へっ。その減らず口を直ぐに黙らせっから。」
楽しそうに笑う葛葉も1P側のコントローラーを握り操作をすると、大きな薄型モニターには有名格闘ゲームのオープニングが流れ始めた。
最初に話しかけたのは社だった。
何をしていてもどこかつまらなそうにしていた葛葉を気にした社が声を掛けたのが始まりだ。
初めは面倒くさ気にしていたのだが、社の趣味がゲームで腕前も中々のモノだと分かると二人の距離は急速に縮まっていき、社が職員として初めて葛葉の部屋に招待されたのはそれから間もなくの出来事だった。
その日から二人は時間を見つけては葛葉の部屋でゲームをする日々が始まったのだ。
たかがゲーム。されどゲーム。
彼らは時には絶対に負けられないライバルとなり、時にはお互いのスキルを信頼し合える仲間となり、常に本気でゲームを楽しんでいた。
夜な夜な葛葉の部屋から雄叫びや悲鳴が聞こえる日もしばしば...。
こうしてぺトラがオリバーを信頼しているように葛葉は社に厚い信頼を寄せるようになっていったのだ。
ゲームを始めてから社は直ぐに葛葉の異変に気が付いていた。
何と言うか元気が無いと言うか、今一集中していないと言うか...。
密かに理由を探りつつゲームをこなしていた社だったが、動きがあったのは二人が得意としていた格闘ゲームで葛葉が二試合連続でストレート負けをした時だった。
葛葉が徐にコントローラーを手放してしまったのだ。
「ん? どうした葛葉? 俺が強すぎて拗ねちまったか? 」
「ヤシキズさぁ。ちょっと話したいことがあるんだよね。」
「何だよ。そんな顔してもハンデはやらんぞ。」
こんな言葉を聞けば普段なら直ぐに煽り返してくる葛葉だったが、今は静かに社の顔を見つめていた。
「俺さぁ...明日の夜に仲間と一緒にここから抜け出そうと思ってんだ。」
葛葉が施設に連れて来られた時は能力についても、それを誰が利用しようとしているのかなどに興味はなかった。
施設内では自分が望んだものを与えれられ、働かなくても食べるものにも困らずに生きていくことが出来るのだ。
だが考えてみれば、そうまでして求められる力を自由に使えれば、自分たちがより快適に、より自由に暮らせる場所が得られるのではないか。
その小さな想いは日に日に葛葉の中で大きくなっていき、どうにも抑えられなくなってしまう。
最初に言葉にして話した相手は叶だった。叶は「いいね。面白うそうじゃん」と言ってくれた。
そこから二人は周りの仲間に声を掛けていき、叶のように面白そうだからと言って乗ってくる者、現状の生活に不満がある者、自分の力を試したいと言う者が次々に参加の意欲を示した。
そして、職員たちも気付かぬ内に今のA.Cの原型が密かに創り上げられてしまったのだ。
多種多様な能力を駆使した脱出計画が夜な夜な全員で集まっては練られ始める。
この施設では今まで能力者が暴れたり、反旗を翻す行為など一度も起きていなかった。その結果、外からの侵入に対しては鉄壁のガードを誇っていたのだが、内から外への警備は気の緩みも含めて手薄になっていたのが現状だった。
確実に隙はあった。脱出計画は決して夢物語ではないのだ。
葛葉は何故社に計画を打ち明けたのか。
ともすれば計画の発覚。延いては計画の失敗に繋がりかねない背反行為だ。
理由は葛葉自身にも分かっていなかった。
もしかしたら、社にだけには別れの言葉を告げたい。
その想いが彼の口から絶対に伝えてはいけない秘密を紡ぎ出していたのかもしれない。
『2P WIN』と表記されたまま止まったゲーム画面を無表情で見つめていた社が静かにコントローラーを置いた。
「そっか...まぁ...死なない程度に頑張ってみろよ。」
「はぁ? 」
社は葛葉に向かい優しく微笑見ながらそう言った。彼の余りにも意外な言葉とリアクションに暴露をした方の葛葉から思わず困惑の声が上がった。
てっきり怒鳴られるか、止められる。もしかしたら、殴られるかもしれないとも思っていたのに、社から出てきた返事は葛葉の背中を押す言葉であった。
しばしの沈黙が流れた後で再び無意識に葛葉の口が動き出した。
「なぁ。あんたも俺らと一緒に来ないか? 」
楓は小細工だとか、根回しだとか、そう言ったことが苦手だ。
そんなことをしている暇があるならば直接ぶつけた方が手っ取り早いからである。
「今回はどう言ったご用件ですか? 樋口課長。」
社は会議室に入ってくるなり、うんざりとした様子で中で待ち構えていた楓に尋ねた。
「すまんね。お忙しいのにこんな場所まで。」
「そう思うなら早く済ませてください。」
「はな。単刀直入にお伺い致しますが、社課長は捜査二課の課長に就任する前はどちらの部署でどんな職務をされていたのでしょうか? 経歴を拝見しましたが、約二年半程空白の期間がありましたよね? 」
楓の問い掛けを聞いた社の表情が明らかに変化した。その変化は驚きや困惑などではなく、感情を失ってしまってかのように妙に落ち着き払っていた。
社はそのまま楓を見つめ何も答えなかった。
逆に楓は社の態度に手応えを感じていた。
「それに同じように空白の期間があった人物がもう一人。公安第五課のオリバー課長。ひょっとして...お二人は同じ部署に。」
「樋口課長。」
沈黙していた社がやや強めな口調で楓の言葉を遮る。
その反応だけで楓は自分が想定していることが間違っていないのではないかと確信に近いものを感じていた。
「俺はね。
「....は? 」
「俺は
社は楓の方を向いてはいるのだけれども楓の後方にあるどこか遠くの一点を見つめているようだ。
「りちょう? えんしょう? 」
ハッキリとは思い出せないのだが、この二つの単語を楓は遥か昔にどこかで聞いた気がしていた。
「だからね。樋口さん。俺にはこれ以上...何も言えないんですよ。」
社はそれだけ言うと呼び止める楓の言葉を聞かずに会議室を出て行ってしまったのだった。
二年半前 事件発生前夜の葛葉の部屋
社は能力者でもなければ、彼らを利用しようとする権力者たちでもない。
二つの勢力の間のどこでもない場所に立っている何も出来ない一人の人間でしかない。
「折角だけど俺は遠慮しておくよ。でも、誘ってくれてありがとうな。」
社が葛葉の誘いを断ったのは自分の身を案じての事ではなかった。
本来なら自分は葛葉を止めるべき立場の人間だ。
そのためにこの施設で仕事を任されていると言っても過言ではない。
なのに、最初に口をついて出てきた言葉は自身の使命に反するものであった。
それは葛葉が兄や父のように社を慕っているように、社もまた葛葉を弟や息子のように思っていたからでもある。
しかし、それだけではなかった。
どちら側にも立たない社は観測者になることを選んだのだ。
葛葉の計画が成功したとしても、失敗したとしても、これから起こるだろうことの全てを客観的に見届けて記憶する。
それが自分に出来る全てだろうと考えたからだった。
計画決行当日
社は葛葉たちの計画を上司は報告しなかった。それどころかオリバーにさえも打ち明けていなかった。
ほとんどの人間が気付かぬ中で葛葉たちは計画の実行に移る。
「さぁ。行こうか。」
葛葉の号令を合図に叶や周央、不破、そして葛葉自身の能力を駆使して進んでいく。
ある程度分かっていたことなのだが、こんな施設を脱出することなど造作も無いことなのであった。
「みんなぁー! こっちでーす。」
外に出ると天宮の声を頼りに集まってきたドラゴンたちの背中に乗り込んでしまえば、もう誰も彼らを追いかけることすら出来はしない。
この時、葛葉の中で抱いていた一つの希望的観測が確信へと変わった。
「是非に及ばず。ってか...。」
自分たちの能力を使えば、自分たちの本当の自由を勝ち取れる。いや、世界地図すらも書き換えられるのではないか。
ドラゴンの背中に跨り、仲間と共に大空を舞う葛葉の心臓の高鳴りはしばらく鎮まることはなかった。
その頃、事件が発覚した施設内では一握りの職員たちだけで密かに緊急の対策会議が開かれているところだった。
「まずいですね。」
幸いにも脱走を試みたのは一部の能力者だけで、それが誰なのかも調べることが容易ではある。そんなことよりも世間には公表していなかった能力者と言う存在が例えたった一人であったとしても野に放たれたこと自体が大問題なのである。
それを国ぐるみで秘密裏に隔離し、研究していたということが露見すれば、あらゆる方面からの批判は免れない。
逃げた能力者の問題などは後からどうとでもなるが、施設の存在や纏わる真実が晒されることだけはどうしても避けなくてはならなかった。
「やるべき事は...分かってますよね。」
全力で保身へと走る権力者たちの答えは既に決まっていたのだ。
オリバーや社を含めた十数名の職員たちは夜中だと言うのに慌ただしく私物を纏めて施設正面へと集まっていた。
「申し訳ないが、直ちにここから退去してくれ。私物以外のものを絶対に持ち出さないでくれ。それと能力者たちにも知らせるな。五分後に施設正面に集合すること。以上。」
上司たちからの言葉はそれだけだった。
オリバーが施設正面に着くとそこには数台のワゴン車が止まっていて、既に上司と数名の職員が乗り込んで待機している。
「一体...何が起きてるっていうんだ。」
その時だった。
オリバーの呟きを合図にしたかのように施設から大きな爆発音と真っ赤な大きな炎と黒い煙が立ち昇る。
何も知らなかった職員たちから悲鳴や驚愕の声が上がったのに対して、社や上司たちは何も起きていないかのように大人しく座ったままだ。
「クソ! 何がどうなってるんだ。」
しばし唖然としていたオリバーは我に返ると中に残っているであろう能力者たちの救助に向うために施設内へ戻ろうと走り出した。
「オリバー君。早く車に乗りなさい。行きますよ。」
彼を静止させた声を掛けてきたのは近くのワゴン車内で座っていた上司の一人だった。
その言葉と態度を見たオリバーは直感する。
『消すつもりなのか』
急な退去命令。集まっている人間に能力者たちが見当たらないこと。燃え盛る炎と崩れる施設。
オリバーはギュッと握り拳に力を込めて、上司の顔を睨みつけた。
「乗りなさい。」
上司はそう繰り返すだけで、涼しい顔でオリバーを見つめていた。
「お断りします。」
オリバーはきっぱりと強い口調で返事をすると、燃え盛る施設の中へと走って行ってしまった。
「オリバー...すまない。」
施設内に消える同期の背中に向かって発した社の言葉は誰に届くこともなく炎の中へと吸い込まれて消えた。
ぺトラは一人で燃える廊下の真ん中で人生の終わりが近付いてきているのを察した。
偶々深夜にお手洗いに起きたぺトラは大きな地鳴りと爆発音に驚きトイレを出てみると、既に施設内には煙と炎が充満し始めていた。
急いで仲間が居るであろう各部屋へと向かってみたのだが、なぜだかその各部屋を中心にして謎の爆発は起きているようで部屋のドアは吹き飛び、部屋からは穴倉から飛び出している生き物のように炎が上がっていて見るも無残な状態になっていた。
「Oh my god...What's happened?(何があったの?) 」
ぺトラは必死に仲間の名前を叫んでみるも誰一人として返事をするものは現れなかった。
もしかしたら、自分だけが逃げ遅れているだけで、もう皆は避難した後なのかもしれない。
そう信じてぺトラは走り出すしかなかった。
「もう...ダメなのかな。」
しかし、ぽつんと廊下の真ん中に取り残された少女の前方は激しい炎の渦が畝うをあげ、後方ではついさっき天井が崩落してしまった。
この施設に来るまで一人で寂しく過ごしていた。能力から変な目で見られたりもしていたが、ここに来て同じような境遇の仲間に出会い、自然に笑顔が出せる日常を送れていた。
所謂走馬燈と言うやつだろうか。仲間の笑顔と思い出が脳裏を過ぎる。
そして、もう一人。
「先生...。」
ぺトラの目から涙が溢れる。立ち昇る煙が染みたのだろうか。
泣いている少女のことなど構うことなく、廊下に面していた窓ガラスが熱に耐えられず一斉に割れ始めた。
「きゃぁっ!?」
ぺトラが悲鳴を上げたのは割れた窓ガラス片が降り注いできたことに加え、そのガラスの割れた窓から黒い大きな影が彼女の目の前に飛び込んできたからだ。
「I made it. Sorry I'm late. Petra.(間に合った。遅れてごめんよ。ぺトラ。)」
信じられない光景だった。
ぺトラの前に炎の中から現れたのは、直前に想い続けていた人物。
オリバーであった。
オリバーはぺトラを安心させようとしているのか、体の至る所に火傷を負いながらも何時ものように優しい微笑みを浮かべていた。
「せん...せい...。」
その瞬間、ぺトラが心の中で必死に抑え込んでいた感情が一気に溢れ出すのを止めることは出来なかった。
オリバーの大きな体に抱き付くと、ぺトラは恥ずかしさなど忘れて大きな声で泣いていた。
「...怖かった...怖かったよ。」
「もう大丈夫ですから。」
目の前で震える小さな頭をオリバーは優しく何度か撫でながら辺りを見渡す。
彼女の背中側の廊下は天井が崩落しており、とてもじゃないが進めそうにない。自身の背中側は炎にこそ包まれているが何とか進めるかもしれない。しかし、その先がどうなっているかは分からない。
かと言って、今自分が飛び込んできた窓の向うの部屋の入口も自分が通った後に瓦礫で塞がってしまっていたはず。
こうなればイチかバチか後ろの炎の中に飛び込むしかなさそうだ。
「あっ...。」
「えっ? 」
一言そう呟いたのはぺトラだった。周囲を確認していて気が付かなかったのがぺトラは不安そうな表情でオリバーの顔を見上げていた。
自分が無意識の内に怖い顔をしてしまっていたのだろうか。急いで取り繕うとしたのだが、ぺトラはオリバーの体から離れて一定の距離距を取ったのだ。
彼女がオリバーから距離を置いた理由。それは直ぐに判明することになる。