一人は圧倒的に不利な状況で仲間を守りたいと願いながら次の一手を必死に考えていた。
彼女の前には様々な選択肢が広がっていて、その中から瞬時に正解を選ばなければいけない。
対峙するもう一人は右手には拳銃が握られている。彼は余裕の笑みを浮かべながら残された時間を楽しんでいるようだった。
ここから自分が負けるなんて露程も思っていないのだ。
彼女に打つ手がないと見たのか、男は全てを終わりにするために右手の拳銃をゆっくりと目の前の女に向けて構えた。
その時だ。
ただ一人冷静に刻々と動き続けていたはずの時計の針がゆくっりと停止した。
一年半前
オリバーが渋谷ハジメの能力を知ったのは彼が亡くなった後のことだ。
何度か施設内で顔を見たことがあったような気がしていたのだが、ハジメの能力までは把握はしていなかった。
それをオリバーに最初に教えてくれたのは天海寺だった。
オリバーと天海寺は日差しの心地良いテラス席でコーヒーを飲んでいた。
BARデラス。この店も天海寺が情報収集とメンバーの会合のために用意した場所で、以前からBARを経営するのが密かな夢だったと言うベルモンドがマスターとして立候補したという流れになっていたのだ。
「今回は残念だったな。」
あまり気持ちの込められていないことを言いながら天海寺はコーヒーを啜った。
元々能力者を排除したいと思っていた天海寺にとってはハジメが生きて葛葉たちを消すための情報をもたらそうが、先に殺されようが本来の目的を果たすことが出来るのだから当然だろう。
「私の考えが甘かったことが原因です。申し訳ありません。」
そう謝罪したオリバーは違っていた。
オリバーの目的は葛葉たちに対する復讐だ。本心では能力者の完全排除は望んでなどいなかった。
それが故にハジメからもたらされるはずだった情報を失ったことは手痛い失態なのだ。
「ところで、オリバー君は渋谷ハジメがどのような能力を持っていたのか聞いているかな? 」
「いえ。私は彼の名前と顔ぐらいしか...。」
「そうか。我々が入手した資料と情報によるとだ。彼は『
「死んだ...能力者を? 」
明らかに驚き、動揺するオリバーのリアクションが思っていた通りだったのか、天海寺の口角が嫌らしく上がった。
「ああ。しかもだ。どうやらその力は『
「ちょ、ちょっと待ってください。と言うことは...。」
「お察しの通りだよ。オリバー君。渋谷ハジメの能力を持った誰かが居るかも知れないってことだ。」
それからオリバーがパターソンに目を付けるまでに時間は掛からなかった。
「オリバーさん。これ。」
黛が見つけたものは渋谷ハジメ襲撃場面が映っていた防犯カメラの映像だ。
そこに犯人の姿などは映っていなかった。
しかし、倒れた後のハジメがパターソンに何かをしている様子が映っていた。
「黛さん。ここアップにできますか? 」
「ええ。」
画像編集ソフトを手慣れたよ様子で操作すると、黛はオリバーが指示した箇所。倒れた後のハジメを拡大表示させる。
格段に見やすくなった映像内でハジメは介抱しようと近付いて来たパターソンの手を掴み、彼女の右手の掌に何かを自分の血を使い書いていた。
「これ。彼女の掌の文字は見えないですか? 」
「うーん。ちょっと元の映像からではここまでが限界かな。」
「そうですか...有難う御座いました。黛さん。」
確証を得ることは出来なかったけれど可能性は高くなった。
もしかしたら、レイン・パターソンが渋谷ハジメの能力を受け継いだ人間なのではないか。
そう考えたオリバーは彼女をスカウトすべく動き出した。
オリバーが本来敵対すべき能力者である可能性が残されているパターソンをAdeNに誘った本当の理由。
天海寺やAdeNのメンバーに説明した『A.Cに対抗する力を欲していた』と言うのは建前だ。
オリバーの目的は彼女の能力だった。
ハジメの『死者を蘇らせる能力』を...。
それがどんなに小さな可能性だったとしてもオリバーは縋るしかない。
もう一度。
もう一度。
ぺトラに会って謝ることが出来るなら。
だが、オリバーは知らなかった。その力が『
つまりぺトラに会ったことのないパターソンにはぺトラを呼び出すことは出来ないのだ。
今も尚、オリバーはそのことを知らないままで、パターソンもまたオリバーの目的を知らないままなのだった。
一人で謎を追い続けていた楓の元に一通のメールが届いたのは昨日のことだ。
そのメールは楓の個人スマホに見知らぬ番号から送られてきたものだった。
『貴女の求めている情報を提供します。明日の午後一時にチューリップ公園に一人で来て下さい。』
こちらの情報はダダ漏れ。それなのに相手の情報は皆無。そこに一人で来いとのお誘い。
チューリップ公園とは楓の自宅付近にある小さな公園の名前だったはずだ。
怪しさ全開なのは重々承知な上で、楓は待ち合わせに指定された公園で得体の知れない誰かが来るのを待っていた。
「樋口さん...ですよね。」
その声は時間通りに聞こえてきた。
「あ? アンタか? 季節外れのサンタクロースは? 」
楓の正面から歩いてきたのは何ともパッとしないグレーのスーツを来たサラリーマン風の男だった。
本当に特徴がない男で眼鏡も掛けてなければ、髪も黒い短髪。清潔感はあるが香水や整髪料の香りもなし。年齢は若く二十代後半ぐらいだろうか。勿論、楓は見たこともない男だ。
「確かに幸せを運んで来たサンタクロースかもしれませんが、ともすれば不幸を運んで来た貧乏神かもしれませんよ。」
男はそう言うとA3サイズの大型茶封筒を楓に差し出した。
意外と重いその封筒を受け取り、楓が中身を覗き込んでみると中身は冊子のような紙の束が入っているのが分かった。
その冊子は『OneColor プロジェクト』とだけ書かれた紙から始まっているようだ。
「ワン...カラー? 」
「樋口さん。」
楓が意図せずに呟くと男は強い口調で楓の思考を突然遮った。
「な、なんや? 」
「中身は後程一人でじっくりご覧下さい。決して、決して他の人間と一緒に見たり、公共性が高い場所で見ないようにして下さい。そうしなければ...。」
「しなければ? 」
挑発的な笑みを浮かべている楓に負けずに男も不気味に口角をゆっくりと上げる。
「あなたも...私も今年のクリスマスは迎えられないでしょうね。」
笑みを浮かべている男の声はその表情とは裏腹に微かに震えているように楓には聞こえていた。
公園を離れた男はビルの合間を無作為に左右に曲がりながら歩いている。
歩いている最中や曲がり角を曲がる際にさり気なく後方を確認しながら進んでいるようだ。
誰も付いてきていないことを確信すると男はとあるコインパーキングへと入って行った。
男はそのままパーキングエリアに停めてあった黒塗りのベンツの助手席へと乗り込む。
「どうだった? 」
男が車のシートに腰を沈めて一息つくなり、後部座席から話し掛けて来たのは天海寺だった。
「問題ありませんよ、課長。でも、良かったんですか? あんな極秘資料を彼女に渡してしまって。」
「細工は流流仕上げを御覧じろってな。まぁなんだ。この種が芽吹くのはまだ先の話だ。今は静かに見守ろうじゃないか。さぁ俺らは遅めの昼飯でも食いに行こう。」
一年半前
葛葉、叶、不破の三人が葛葉の部屋に集まっていた。
「それって本当なの? 不破っち? 」
「いやー。俺も信じられんかったんやけど、どうやらマジっぽいんだよな。」
叶と不破が何やら深刻な表情で話し合っていると黙って聞いていた葛葉が口を開く。
「ハジキが俺らを裏切って、あの施設の奴らに俺らの情報を渡そうとしてるってことで間違いないんだよな? 」
「みたいだね。どうするの葛葉? 」
叶の言葉に葛葉は考え込むように再び沈黙してしまった。
「俺らの居場所がバレると流石にマズイでしょ。やっちゃうなら俺も手伝うよ。」
「もちろん僕も手伝うよ。あんなつまらない場所に逆戻りなんてごめんだからさ。」
不破の意気込みに叶も直ぐに続いた。
一度本当の自由を覚えてしまった誰もが、もうあの場所には戻れない身体になってしまっていたのだ。
「オーケー。やっちゃおっか? 義を見てせざるは何とやらってね。」
何かを吹っ切ったように葛葉の顔には気が付けば少年のような笑顔が戻っていた。
慌てて店に飛び込んで来たオリバーを茶化しながらAdeNメンバーの会合は始まっていた。
「と言う訳で黛さんが仕掛けてくれたGPSを追跡した結果、都内郊外にある大型の商業施設が現在のA.Cが拠点としていう場所で間違いなさそうです。」
オリバーが説明をしながら、四人が座っていたテーブルの中央に資料写真を並べ始めた。
写真には三階建ての大型の建物が写っており、良く見る中にフードコートなどを併設している大型ショッピングモールのようだ。
「なるほどね。潰れちまったショッピングモールね。良いところ見つけたもんだねぇ。」
ベルモンドは嬉しそうに笑みを浮かべながら施設の平面図や写真を手に取り、念入りに隅々までを確認していた。
「でもちょーっと厄介じゃない? 相手の人数に対してカバーしなきゃいけないスペースが多すぎるんじゃないの? 」
「だな。俺らも頭数が揃ってる訳じゃねぇーからなー...。」
横からベルモンドの見ていた資料を覗き見ていたアクシアの見立てにベルモンドもより一層迫力の増した顔で資料を睨んだまま同意を示した。
「まぁ...その辺はどうにかなるかも。」
相変わらず覇気のない声で頼もしいことを言っているのは黛だ。
黛は並べられた資料の防火設備や警備システムの資料をぼんやりと眺めている。
「黛さんマジで無敵っすねって...ん? 」
アクシアが黛に話し掛けたとのほぼ同じタイミングで彼の内ポケットにあるスマホが振るえ始めたので取り出してディスプレイを確認してみると、そこには『ローレン』と『着信中』の名前が表示されていた。
「ローレン? ちょっと失礼しますね。」
三人に一言断りを入れてからアクシアは電話を取った。
「よう。お疲れさん。どうしたん?...えっ? 」
明るい表情と口調で電話を始めたアクシアであったが、その表情は見る見る内に真剣なものへと変化していく。
その様子は周りに居た三人にもしっかりと伝わっていた。
「ああ...ああ。分かった。すぐに行くから待ってろ。それまで変なこと...考えるなよ。」
頻りに相槌を打ち続けていたアクシアが電話を切ると三人はアクシアの次の一言を静かに待っているようだ。
「オリバーさん...ローレンがパタ姐に言っちゃったらしいっす。」
「おいおい。それってあの屋上の件か? 」
オリバーよりも先に反応したのはベルモンドだった。
「ええ。ローレンもかなり動揺している感じでしたね。ちょっと俺行ってきますわ。」
そう言ってアクシアが席を立ち上がるとオリバーも同じく直ぐに立ち上がる。
「私も行きます。お二人は少し待っていて下さい。行きましょう。アクシア君。」
「はい! 」
二人は荷物や資料をそのままにして、慌てて店を飛び出して行った。
一年半前
ハジメはとある人物に夜中に呼び出されて商業施設の屋上に呼び出されていた。
「さみー...こんな時間に。」
ハジメはふっと夜空を見上げた。
潰れてしまったこの商業施設の周りにはあまり民家などもなく、雲一つない夜空には綺麗な星々が輝いている?
「こんな広い空に星か...見れるなんてな。葛葉に付いてきて本当に良かった。」
「お待たせ。」
空を見上げたハジメが独り言を呟いていると後ろから声が聞こえてきた。
この声は間違いなく自分を呼び出した男の声だ。
独り言を聞かれていないか少し心配しながらハジメは振り返ったのだが、その先でハジメが見たものは男の顔ではなく真っ暗な闇だった。
その時にハジメは男に額を鷲掴みにされていた。彼の額を掴んでいたのは不破湊であった。
「...ハジメさん。すいませんが俺のために
不破はハジメの記憶を『葛葉が金のためにハジメを保護派に売ろうとしている』と改竄してしまったのだ。
ハジメの額から手を放すと不破はハジメがそうしたように夜空を見上げる。
「葛葉君は甘いんだよなぁ。もっと試したいんだよ。俺は。」
ハジメが次に目覚めた時には屋上には不破の姿はなくなっていた。そして、ハジメは逃げるように商業施設を抜け出すのだった。
天宮の様子を見に来た叶の記憶を改竄し終えた後で誰も居なくなった屋上で不破は黄昏の時を満喫していた。
「やっと準備は整ったかな。真の王が誰か決めようじゃないの。葛葉君。」
不破はあの時と同じように黄昏色の空を見上げながら笑った。