パターソンが家を出て向かった先、そこにはあの日と同じように路肩に止められているオリバーの車が見えた。
そして、同じように運転席から長身のオリバーが降りてきたのだった。
「夜分遅くに申し訳ございません。どうしてもレイン君にお願いしたいことがありまして。」
「気にしないでくれ。それで? お願いとは一体? 」
申し訳なさそうに頭を下げたオリバーに気を使い、パターソンは明るめな声と笑顔で尋ねていた。
この時、彼女はオリバーからの願いが、言っても大した事のないものだろうと。高を括っていたのだが、次の瞬間にオリバーの口から発せられた言葉は全く予想外なものであった。
「レイン君。君の能力を私のために一度だけ使ってはくれないでしょうか? 」
「えっ? ど、どういうことなんだ? 」
パターソンは冗談で言っているのかとも思ったのだが、オリバーの真剣そのもの表情を見て、彼が本気で言ったいるのだと悟った。
「呼び出して欲しい能力者が一人居るんです。」
「...誰を? 」
「ぺトラ...ぺトラ・グリン。」
それは聞き覚えのない名前だった。少なくともパターソンが今まで関わってきた事件の関係者の中には、そんな名前の人物は居なかったはずだ。
「お困りになるのも無理もありません。外は寒いので車に乗って下さい。私の過去についてお話します。」
そう言うとオリバーは助手席側に回り、車のドアを開けてくれた。
取り敢えずパターソンは何も聞かずに助手席に乗り込むことにした。
助手席のドアを優しく閉めたオリバーが運転席に乗り込むと、そこから路肩に止められたままの車中でオリバーについての過去が淡々と語られていった。
OneColorに配属されたこと。今のA.Cのメンツも含めた能力者と出会っていたこと。ぺトラ・グリンとの出会いと別れ。
オリバーが自分の過去について打ち明けた人物はパターソンで二人目だった。
もう一人はベルモンドであった。二人っきりで酒を呑んでいる時のこと。酒の勢いでぺトラの名前を思わず口にしてしまったのだ。
オリバーの独白が終わると車内には静かな時間が流れた。真っ黒にべた塗りされたウインドウの向こうも夜の帳が下りていて、何処からともなく誰かの寝息しか聞こえてこないようだ。
「私たちには明日、大きな仕事が待っています。冗談ではなく命を落とす可能性がある仕事です。私はですね...レイン君。どうしても直接謝りたいんです。」
目の前で依頼人を殺されたパターソンには痛い程にオリバーの気持ちが分かる。いや、もしかしたら悲壮感や慙愧の念はパターソン以上なのかもしれない。
出来る事なら彼の願いを叶えてあげたいと思う。
「すいません。オリバーさん。私には...出来ません。」
ただ、オリバーは一つ重大な思い違いをしているのだ。
「何故...? どうしてダメなんですか? 一度だけ...一度だけで良いんです。」
「違うんです! それは...無理なんです。」
「どういう...ことなんです? 」
パターソンはオリバーが好きだった。AdeNだとか、A.Cだとか、そんな事を抜きにしてオリバーと言う人間を敬愛していた。だからこそ、自分でも驚くほどに悲痛な声が漏れ出たのだろう。
「私の能力で呼び出せるのは、私自身がこの右手で触れたことがある能力者だけなんです。」
オリバーは天海寺から能力の説明を受けた時、『死んだ能力者を一時的に呼び戻す事が出来る』と説明されていた。そこには重要な一点が抜けていたのだ。
『呼び出せるのは相手が生きている間にレインちゃんの右手が触れていれば問答無用で呼び出せんで。ただし、その能力者が既にこの世に居ない場合に限るんやけどね』
パターソンが聞いた椎名の言葉がその答えだった。パターソンはぺトラを知らない。その右手は彼女に触れたことがないので、ぺトラを呼び出すことが出来ないのだった。
「そんな条件があったんですね...。」
そう言いながら、オリバーは座席にもたれかかり天を仰いだ。
オリバーにとって、完全に希望の光が断たれる絶望の条件だったはずなのに、不思議とオリバーは笑っていたのだ。
オリバー自身もその理由は分からなかった。様々な感情と想いが綯交ぜとなって、黒でもなく、白でもない見たこともない色が心の中に出来上がっていた。
そして、車内には再び静寂が訪れた。
葛葉は真っ暗な室内で目を覚ました。
目は動かせるが、口にはガムテープが貼られていて声を出せない。手足の指先は辛うじて動かせるが、腕や脚は縄のようなもので縛られていて動かせなかった。
どうやら安価なパイプ椅子に縄のようなもので拘束されているようだ。
どうしてこうなったのか。
葛葉はぼんやりとし霞んでいた記憶を何とか呼び戻そうとした。
そうだ。
不破と叶だ。
アイツら一体何を考えているんだ。そんな葛葉の疑問は直ぐに解決することとなった。
窓が無い暗い部屋の中で今まで見えていなかったのだが、暗闇に目が慣れてきた葛葉は部屋の一角にとあるものを見つけてしまった。
『こりゃ...参ったね。』
心の中で呟く葛葉の視線の先にあったもの。
それは何とも分かり易い容姿の爆弾であった。
作戦決行日【商業施設・一階裏手出入口前】
アクシアとローレンは車道に面している施設南側の一般客用の出入口前で待機していた。
「了解。ええ。オリバーさんも気を付けて。」
アクシアが耳に付けていたワイヤレスイヤホンマイクでのオリバーとの通信を済ませると、隣で同じようにインカムマイクでの二人の会話を聞いていたローレンへと目で合図を送った。
ローレンもそれを受けて頷く。
その時、二人は言葉こそ交わすことはなかったのだが、お互いの心の中には同じ単語が浮かんでいた。
『対よろ!』
二人は青い炎のように闘志を燃やしつつ、且つ静かに素早く施設内への潜入を済ませた。
目指す場所は南西の階段だ。
A.Cのメンバーは三階のフードコート周辺を生活の拠点としているとの事前調査の結果が出ていた。
三階へ向かうためには建物内にある階段かエスカレーター、エレベーターを使用しなくてはいけない。
エレベーターは目立ち過ぎるので論外。エスカレーターは三階まで吹き抜けのようになっている上に、周りに障害物も無いので危険。
となると、建物内に三か所ある階段を使って上るしかない。
相手方もバカではないだろうから罠が仕掛けられている可能性もあるのだが、慎重に進むよりほかはないだろう。
南西部にある階段前まで到着したローレンとアクシアであったが、二人の足はそれ以上先に動くことはなかった。
階段の前にはある人物がローレンたちの到着を待っていたのだ。
「マジか。バレちゃってたみたいよ。アクシアさん。」
「しかも、なんか...ヤバそうだね。」
二人は目の前に立ちはだかっていた人物がA.Cの能力者であろうことが一目で判断出来てしまった。
武蔵坊弁慶のように階段前に腕を組んで仁王立ちしていたのは赤髪の女性だった。
燃えるような紅く長い髪。頭部には角のようなものが二本生えている。
黒のハーフトップの中で窮屈そうに仕舞われた豊満な胸。同じく黒のアシメントリーパンツからスラリと長く伸びた綺麗な脚。
男なら目のやり場に困りそうな容姿の中で、いの一番に目が行くのが彼女のお尻の部分から生えているであろう大きな赤い尻尾だ。体は微動だにしない体とは違い、赤い大きな尻尾は左右にゆらゆらと揺れていた。
その姿は例えるなら赤いドラゴンが人型になっているように思えた。
「悪く思うなよ。」
「えっ? 」
赤髪の女性が口を開いたのに驚いたアクシアが短い声が漏れ出した。
女性が突然声を発したことよりも人間の言葉を発したことへの驚きが強かったようだ。
「我が名はドーラ。誇り高きファイヤードレイクである。
そう言いながら組んでいた腕を解いたドーラは姿勢を少し低くして二人に向かって構え始めた。
「おい...ローレン。」
「ああ。こいつはまっずい...かもな。」
相手の出方が分からない二人はドーラに合わせて身構えることしか出来なかった。
「いざ尋常に。」
姿勢を低くしたドーラがニッコリと微笑んだ。その笑顔は一人の女性として、とても魅力的な笑顔だ。
その刹那、ドーラの体が目にも止まらぬ速さでアクシアに向かって突進してきた。
アクシアは相手の姿を視界内に捉えることだけで精一杯だった。
ドーラの拳が自身の身体目掛けて飛んできているのにどうすることも出来なかった。
【商業施設・一階搬出入口前】
運送業者や従業員が使用するための大きな搬入口が施設西側に存在しており、今は使われなくなりシャッターが下ろされたその場所には三人の人影が集まっていた。
その内の一人は黛だったのだが、彼はピッキングツールを使って、シャッターを解錠を試みているところだった。
「黛? いけそうか? 」
黒のタクティカルベストの装備を確認しながらベルモンドが黛の手元の様子を窺っていた。
三人は揃いの上下黒のシャツとパンツに黒のタクティカルベストと黒に安全ブーツを履いており、全身黒ずくめの服装であった。
「大丈夫っすよ。ベルさん。黛さんの手に掛れば、このくらい朝飯前っすよ。」
「どーも。」
その場に居たもう一人の人物が笑いながら答えると、黛は作業を進めたまま気のない返事で流していた。
青く長い髪を後ろで束ねていて、白い肌に切れ長の目が特徴的な男だった。
「おい。長尾。AdeNとして初任務だってのに随分と余裕そうじゃねぇか。」
肌の白さや線の細さからは想像できないのだが、まだ二十代という若さでありながら猛者揃いの警察組織内で行われた剣道大会で連覇を果たした期待の新人だ。
彼はベルモンドの下で働きたいと志願する中の一人だ。刑事部捜査三課に配属していた長尾はベルモンドと共に働く実績として剣道の大会で連覇の偉業を手に直談判にやって来たのだった。
ベルモンドが長尾の心意気を買い、オリバーへと推薦したことでAdeNへの加入が実現した。
「いやーもう完璧っすね。どっからでも掛かって来いって感じですよ。」
「初仕事で張り切るのは良いが、無理すんじゃねぇぞ。相手は普通の犯罪者とは訳が違う。」
「俺の太刀とベルさんが居れば無敵っすよ。」
調子の良い長尾の言葉にベルモンドは不安そうに大きなため息を漏らしていた。
「お待たせ。開いたよ。」
タイミングを見計らっていたかのように黛はガラガラと音を立て、シャッターを上げながら立ち上がった。
シャッターの奥はだだっ広く薄暗い空間が広がっていた。
『ベルさん。聞こえますか? 』
建物内部を窺っていた三人のインカムにオリバーの声が届いた。
「おう。どうした? 」
『アクシア君たちが南西の階段で能力者と接触したようです。行けそうなら応援をお願いしたいのですが。』
「南西なら近いな。了解。すぐ向かう。」
ベルモンドがオリバーと通信をしている間に黛と長尾はトラップなどが仕掛けられていないかの確認を済ませた。
「オッケー。ベルさん。罠は無さそうです。」
「おし。行くぞ。」
長尾からの報告を聞いたベルモンドのゴーサインを合図に三人は倉庫内へと侵入していく。
しばらく使われていないようで、所々に段ボールや木製パレットが点在しているだけで人の気配は全く無かった。
「俺は南西に向かう。長尾は黛と施設システムの掌握を頼んだ。」
「了解。こっちはお任せを。」
倉庫の中央付近で長尾がベルモンドにそう言葉を返して、二手に別れようとした時だった。
黛と長尾が見つめていたベルモンドの顔が明らかに変化したのだ。
その変化は暗がりの倉庫内でもはっきりと認識することが出来て、何かに驚いた様にカットの目を見開いていた。
疑問を抱いた二人が何か行動するよりも早くベルモンドが黛の体を目掛けて、無言でタックルをしてきたと思えば、完全に不意を突かれた上に二人の体格差も相まって黛の体はいとも簡単に宙に舞い、二、三メートル先の地面へと不格好に着地した。
「何を! 」
真横で黛が飛んで行く様を見ていた長尾が驚きの声を上げる中で、今度は鈍い音と共にベルモンドの体が黛とは真逆に向かって飛んで行ったのだった。
ベルモンドは五メートルほど離れたところにあったスチール製の棚にぶつかって止り、何も乗っていなかったスチール製の棚もベルモンドがぶつかった衝撃で倒れてしまった。
何が起こっているのか分からないままに長尾がベルモンドの姿を見てみると、地面に倒れ伏しているベルモンドの体に重なるように大きな段ボールが落ちていた。
「あれが...飛んできたのか? 」
もし、あの段ボールが飛んできたとすれば、ベルモンドが飛んで行った対角線上のはずだ。そう考えた長尾が段ボールが飛んできたであろう先に視線を向けた時、徐に黛が起き上った。
「いってぇー...トラックにでも轢かれたみたいだ。」
ベルモンドの体とぶつかった腹部の辺りを痛そうに押さえていたのだが、長尾は別の何かに釘付けになっているようだった。
起き上がった黛が長尾の見つめている先を見てみると、そこには誰かが立っていた。
暗がりではっきりとその姿を捉えることは出来ないのだが、どうやら女性のようだ。
暗めのカーディガンを羽織った学生だろうか?
制服のようなものを身に纏っている。その子は長く伸びた髪を布のようなもので束ね、黒縁の眼鏡を掛けていた。
「あんたが...やったのか? 」
静かに語り掛けた長尾を少女は無表情で見つめたままで静かに口を開く。
「そう...。
消え入りそうな声で彼女が呟くと、彼女の隣に置いてあった段ボールが独りでに宙に浮いたと思えば、長尾を目掛けて真っすぐに飛んできたのだ。
【商業施設・一階正面入口前】
商業施設の北側には百台程が止められる平面駐車場が広がっていて、施設メインの出入口もそこにあった。
そして、そこで待機していたのはパターソンとレオスだ。
二人はローレンたちとほぼ同じタイミングで施設内に侵入を済ませており、現在は北東部にある階段を上っているところだった。
「気味が悪いくらいに静かですねー。」
他のチームと違い、二人は順調に上階へと向かうことが出来ていた。今は二階を通過したところだ。
「どこから出てくるか分からないんだから油断しない方が良いと思うぞ。」
「レイン君。これは油断とは言わないんですねー。『オトナのヨユー』と言うやつですよ。」
「はぁー...その辺は何でもいいんですけどね。」
良くも悪くも、普段と変わらぬ会話劇を繰り広げながら、二人は更に上階へと上がっていく。
パターソンたちが目指していたのも三階中心部のフードコートエリアであったのだが、ここまで一切の妨害がないままに三階フロアの入口まで辿り着くことが出来た。
三階のフロアもセレクトショップやアパレルが入っていたであろう店舗が装飾や看板を残したままの状態で並んでいた。
勿論、そこに商品や店員は存在せず、所謂ゴーストタウンのようになっていたのだった。
見えている景色にそぐわぬ異様な静けさに包まれて、二人はフロア中央部を目指して三階へと足を踏み入れた。
「やぁオリバー君。そちらは首尾良く進んでるかい? そうか。いや。順調ならそれで良いんだ。期待しているよ。」
警視庁内の廊下で天海寺がスマホを切ると、それを待っていたかのように誰かが後ろから声を掛けてきた。
「天海寺さん。随分と楽しそうじゃないですか? 」
天海寺が振り返ると、そこには顔見知りの男が立っていた。それは元OneColorの施設の管理者だった男だ。
つまりは天海寺たちと対立している保護派閥の人物。
「これはこれは奇遇ですね。私に何かご用ですか? 」
「それがですね。天海寺さんもよーくご存知の例の極秘データが何者かに持ち出された形跡が見つかりましてね。」
「ほう...それは大変だ。」
天海寺は極めてワザとらしく深刻そうな声で相槌を打った。
「ええ。そうなんですよ。あと何の因果か分かりませんが、天海寺さん肝入りで新設された公安第五課。何時も暇そうにしている彼らが今日に限って全員出払っている。天海寺さん...何かこの件について知っているんじゃないですか? 」
「どうしてそう思われたのかは分かりませんが、もし知っていたとしても私が貴方方に教える理由はない。あのデータが世間に流失したとしても私たちは一切困らない。むしろ歓迎したいぐらいだ。まぁ。そんな怖い顔をしていないで楽しみましょうよ。まだ誰の手の中にも鹿はいないんですから。」
そう言い天海寺は軽く会釈をすると悔しそうに顔を歪める男に背を向けて歩き出す。