【商業施設・三階フロア中央付近】
先程まで雲一つ無い晴れやかだったはずの青空が、気が付けば分厚く暗い雲に覆われていた。
「おやおや。これは一雨きそうですねー。」
施設中央付近のエスカレーター上部に設けられた天井の明かり窓を見上げながらレオスが呟くとパターソンもつられて天井を見上げた。
「うわー。ほんとだ。あんなに晴れていたのにな。」
パターソンも明かり窓から見える空模様を見上げていたが、天井を見上げる彼女の口はポカンと開いていて数十分前までの緊張感はどこかへと消えてしまっていた。
人も商品も無い殺風景なことを除けば、二人は並んで歩く姿は休日の恋人たちの仲睦まじい姿にも見えないこともなかった。
「みっともないですねぇー。口が開いてますよ。レイン君。」
「なっ! 開いてるんじゃない。開けているんだ! 」
そう言いつつも頬を赤く染めたパターソンは慌てて口を閉じた。
「随分と...楽しそうじゃないっすか。」
二人が向かおうとしていた先で、そう声を掛けながら出迎えた人物。
それは不破湊であった。
ポツポツと降り始めた雨が明かり窓を叩く音が聞こえ始めていた。
【商業施設・一階南西階段前】
一方、天候の変化など気にしている余裕はこの二人には残されていなかった。
アクシアは猛スピードで迫り来るドーラに対して反射的に両腕を顔の前に構えて心許ないガードを拵えたのだが、しっかりと構えていたはすの両腕に一向に衝撃は襲って来ない。
どうしてだろう。何かあったのか。
そんなアクシアの疑問は直ぐに解消されることとなった。
腕ではなく、アクシアの足元に何かがぶつかったのだ。
その正体を確認するために視線を落としたアクシアが見たものは、床で腹部を押さえながら悶えるローレンの姿であった。
彼はアクシアを庇うためにドーラの拳が直撃する寸前でアクシアの前に立ちはだかっていたのだ。
だが、咄嗟に間に入ったローレンに身構える余裕などあるはずもなく、ドーラの渾身の右ストレートはローレンの腹部にクリーンヒットすることとなった。
「ローレン! 大丈夫か!? 」
狼狽えたアクシアの呼び掛けにローレンは咳き込みながら、と言うよりは嗚咽に近い音を吐き出しながら何とか上体を起こした。
「っー...おいおい洒落になってねぇーぞ。当たり所次第じゃ一発で持ってかれちまうぞ。これ。」
ローレンの喋り方はいつも通りのように思えたのだが、アクシアの肩を借りなければ立ち上がれない程のダメージを負っていた。
いつの間にか階段前まで戻っていたドーラが態勢を低くして構えたかと思えば、再び二人に向かって走り出していたのだ。容赦なく二の矢を放とうと言うことのようだ。
初見の不意打ちとは違い、アクシアはしっかりとドーラの姿を視界に捉えていた。
「二度は...ねぇって! 」
そう言い放つとローレンを軽く突き飛ばしながら、自身も横っ飛びで態勢を逸らす。
すると、丁度二人が左右に分かれる形となり、その間をドーラの拳が虚しく空を切っていく。
「よし」とアクシアが心の中で呟いたのだが、聞こえていないはずのドーラから小さな声が漏れ出した。
「甘い。」
ドーラの赤い鱗に覆われた尻尾が拳や彼女の体の流れとは全く相反する動きを見せた。それはまるで異なった別の生き物であるかのように振り下ろされ、アクシアの体を床へと押し潰した。
固い鱗に覆われた尻尾のもたらす打撃力はアクシアの想像を遥かに超えていた。
昔、刑事になりたての頃だ。交番勤務中に金属バットを持ったイカレた暴漢を逮捕する時に揉み合いになり、暴漢のフルスイングした金属バットを腹に食らった時の感覚に近いものがあった。
その衝撃はアクシアの肺を直撃して、一瞬息が出来なくなる程だった。もしかしたら肋骨も何本か持っていかれたかもしれない。
ドーラはそのまま分かれた二人の間に着地をすると、弱っているアクシアへと目標を定めた。強者の余裕なのかローレンには完全に背を向けたまま眼中に無いといった感じだ。
「くっ...そ。」
悲鳴や痛みを口にすることさえ出来ず床に寝そべるアクシアをドーラは静かに見下ろしていた。
その気配には気が付いていたアクシアも何とかドーラの姿を視界に入れようと上半身を起こそうともがく。
「やはり脆いな。人間というものは。」
ドーラは右腕を高く掲げ始めた。良く見てみれば、その手先には鋭く大きな爪が生えていた。どうやらその爪でアクシアの体を切り裂こうとしているようだった。
しかし、何とか上体を起こすことに成功したアクシアはその禍々しい爪ではなく、別のものに気を取られていた。
それはドーラの背後に立っていたローレンの姿だ。
ローレンは懐から拳銃を取り出して、その銃口をドーラの背中に向けて構えていた。
しかも、そのことにドーラは全く気が付いていないように思えた。
「苦しみたくねぇーから、一発でちゃんと決めてくれよ。ドラゴンちゃん。」
アクシアはドーラの気を逸らさせないように敢えて挑発的な言葉を選んだ。もしかしたら、ローレンの銃弾が間に合わずに鋭いあの爪でヤラれてしまうかもしれない。
それでも、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。自分たちが勝てるかもしれない数少ないチャンス。
ローレンにもアクシアの決死の覚悟は伝わっていた。
次の瞬間。
激しくなった雨音に混じり、二発の銃声が施設内に響き渡った。
【商業施設・一階西側バックヤード倉庫】
長尾はタクティカルベストから素早く伸縮式の警棒を取り出すと、正面から飛んで来る三、四十センチ四方のダンボールに鮮烈な一太刀を放った。
長尾の放った一振りは完全にダンボールを捉えており、歪な形に変形したダンボールは音を立てて床に崩れ落ちてしまった。
「ふーん...意外とやるじゃん。君。」
称賛する台詞の内容とは相反し、語部の表所に変化は見受けられなかった。
「そりゃどうも。そんなことよりさ。もしかして、今のって君が飛ばしたのかな? 」
「うん。そうだけど? 」
普通に考えれば冗談のような発言をしているのに、やはり語部の表情は少しも変化しない。
何を考えているのか、本気で言っているのか。どこまで行っても掴み所のない人物だ。
「なるほど...語部紡ってか。」
一撃目のダンボールの直撃を受けて床に倒れていたベルモンドが、ゆっくりと立ち上がりながら呟いた。
「ベルモンドさん。申し訳ない。俺を庇ってくれたんだよな。」
一足先に立ち上がっていた黛が申し訳なさそうに頭を下げた。
ベルモンドは黛の背後に迫って来るダンボールに一早く気が付き、咄嗟に黛のことを突き飛ばしていたのだった。
「気にしなさんな。そんなことよりだ。長尾。そいつは語部紡っつう能力者の一人だ。ポルターガイストを起こすって話だ。これまで目撃情報が少なくてデータもほとんど残っていない幽霊みたいな奴でな。俺もオリバーが持っていた資料の中でしか見たことなかったんだが、本当に実在していたとはな。」
「語部はここに居るよ。まぁ...居ても居なくてもどっちでも良いんだけどさ。」
語部の言葉が聞こえているかのように彼女が語り終えると傍に落ちていたダンボールが三人が見つめる中で、まるでふわふわと風船のように宙に浮いたのだ。
勿論、語部は一歩も動いていない。それどころか指の一本すら動かしていなかった。
それなのに宙に浮かんでいたダンボールは主人に命令を受けた番犬の如く、何の前触れもなくベルモンドへ向かって勢い良く飛び出したのだった。
前回は不意を衝かれて情けない格好を見せてしまったが、対象が見えていて正面から飛んで来るのなら話は別だ。
ベルモンドは飛んできたダンボールをドッジボールの要領で真正面から受け止めてみせたのだ。
「こんなもんかい? お嬢ちゃん。」
不敵な笑みを浮かべたベルモンドが腕の中のダンボールを軽々と放り投げると、ドスンという大きな音と衝撃を最後にただの無機物へと戻ったダンボールは床に落ちた。
「流石ベルさん。やっぱパワーが違うわ。」
「相変わらず調子がいいねーお前さんは。まぁいいや、長尾と黛。二人は当初の予定通りに行動しろ。ここは俺が引き受ける。」
自分がこの場に残って良いところを見せようかと考えていた長尾だったが、ここはチームとして指揮官の指示に従うしかなかった。
「了解っす。そうなりゃ善は急げ。黛さん、行きましょう。」
「...ああ。」
僅かに戸惑ったかのように見えた黛も語部の背後にある倉庫の出口へと向かって既に走り出していた長尾の後に続いた。
自身の真横を走り去る二人を語部は慌てることなく横目で見ているだけであった。
しかし、すんなりとここから出してもらえるわけではないようだ。
二人の行く手に放置れていたシルバーのショッピングカートがカタカタと小刻みに揺れ始めたと思えば、船が舵を切るようにゆっくりと向きを変えながら動き始めた。
カートが目標を長尾と黛に定め、猛スピードで迫って来ていた。
「あのさぁ...芸がないんだよね! 」
そう叫びながら長尾は剣道の突きの型で警棒をカートに伸ばし、カートの右の角に正確に警棒の先端を当てて見せたのだ。
真っすぐに進んでいたはずのカートだったが、長尾の一撃を受けて鈍く高い音を鳴らしたかと思えばバランスを失った独楽のようにクルクルと高速回転しながらあらぬ方向へと去って行った。
二人はチラリとベルモンドに一度視線を送るだけで、勢いそのままに立ち止まることなく倉庫の出口から無事に脱出していったのだった。
「あーあ...。遊び相手が減っちゃった。つまんない。」
語部が残念そうに小さなため息をつく。
「ほぅ? 俺一人じゃ不満ってかい? お嬢ちゃん。」
「...。」
ベルモンドの挑発に冷たい視線を向けた語部はベルモンドからは完全に死角になっていた倉庫の片隅に落ちていた一つの林檎を音も無く静かに浮かせた。
林檎はベルモンドの左後方から弧を描き、スピードを上げてベルモンドに向かい飛んできていた。
カッコつけているベルモンドの左蟀谷に林檎が当たり飛散する様子を想像すると笑いそうになってしまうのだが、その気持ちを必死に抑えながら語部は喜劇の顛末を見守っていた。
「えっ? 」
だが、語部の口から漏れ出したのは笑い声ではなく、驚きの声だった。
林檎の影すら見えていないはずのベルモンドの左腕が真横に真っ直ぐに伸びて、ノールックで飛んで来る林檎を掴み取ったのだ。
ベルモンドの左手に捕らえられた林檎はミシミシと音を立て始めたと思えば、手の中で見事に砕け散った。朽ちかけの林檎ではあったが、左手一本で簡単に握り潰された林檎は粉々になって床に落ちていた。
「お嬢ちゃん。あんま調子乗ってると、この林檎と同じことになっちまうぞ。」
手を払いながら笑み浮かべるベルモンドにつられるように初めて語部が笑顔を見せた。
その笑顔は何とも可愛く、愛くるしい笑顔なのであった。
【商業施設西面道路】
路肩に止められていたバンの中でオリバーが受けたベルモンドからの最後の連絡は何とも短いものであった。
『すまねー。アクシアたちのとこには行けそーにねぇわ。』
それだけ言って一方的に通信が切れた直後に立て続けに黛からも報告が入ると、三人が置かれている状況が鮮明になり、オリバーにもベルモンドの言葉の真意を汲み取ることが出来た。
「なるほど。了解しました。黛君たちはそのままツーマンセルで行動して、施設設備の掌握に向って下さい。アクシア君たちとベルモンドさんは僕の方で何とかします。」
黛たちへの指示を終えたオリバーは急いで装備の確認を済ませ、オリバーはバンから降りた。
少し前から降り出した雨が強くなっている中、アクシアたちが入ったのと同じ南側の出入口へと向かって駆け出す。
直ぐに南側の出入口に到着したオリバーは外から建物内の様子を窺うが、不気味なほど静かで人の気配は感じられなかった。
「おかしい...。何だ? この違和感は...。」
今まで幾度となくA.Cと対峙してきたオリバーだったのだが、今までとは全く違う雰囲気を感じ取っていた。
何と言うべきなのか。華やかさがないと言うべきか、派手さに欠けると言うべきなのか。
別の意味での警戒心を強めながら商業施設へとオリバーが足を踏みれた時のことだ。
突然、上階から大きな爆発音が聞こえたと思えば、建物全体が大きく揺れたのだった。
【商業施設・三階フロア中央付近】
二人には見覚えのある顔だ。
警視庁地下での事件以降、煙のように姿を消していた重要参考人。不破湊。
「相変わらず仲良しなんですね。」
不破はパターソンとレオスを茶化しながら余裕の笑みを浮かべていた。
「あれれー? 羨ましいんですかー? 寂しいんでしたら友達になってあげても良いですよ。」
レオスも負けじと不破にお得意の
「どうせなら僕はパターソンちゃんとお友達になりたいですね。どうです? 僕のA.Cに来ませんか? 」
「前にも葛葉って男にも言ったが、私は君たちの組織には入らない。何度言われてもそれは変わらないぞ。」
レオスとは違い、至って真面目な表情と言葉で返事をしたにも関わらずに不破は笑っていた。
「葛葉君ですか...。彼ならもう居ませんよ。」
「『居ない』? どういう意味? 」
不破の言っている意味が分からずパターソンが言葉を返す。
「文字通りの意味だよ。葛葉君は舞台から降りてもらいました。これからは僕の時代です。これから新たな組織で本当の能力者の時代が来るんです。僕の手によって、僕が新世界の伝説として君臨する。」
不破は光悦とした表情で誰かに伝えていると言うより、その言葉は宣誓のように聞こえていた。
その時、三人が立っていた場所から、さほど遠くない場所。三階フロアの中央付近で大きな爆発音と炎が上がった。
同時にフロア全体が地震のように大きく揺れると、パターソンの足元の床に大きな亀裂が走った。
「うわっ!? 」
短い悲鳴にも似たその声はパターソンの少し後ろに立っていたレオスのものだ。
これが不破が狙ってやったことなのかどうかは分からないが、床の一部が二階へと崩落したのだ。
そして、その崩落に巻き込まれる形でパターソンの目の前で床の瓦礫と共にレオスも階下へと落ちてしまったのだった。