AdeN(エデン)~公安第五課~   作:夏野 雪

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鹿死誰手(急)-後編-

 SF小説のような内容の分厚い資料を読み耽ってしまい、やや寝不足の楓が目を擦りながら家を出た。

「あん? なんやこれ? 」

玄関を出て直ぐのところに何かが落ちているのに楓は気が付く。と言うよりは、見つけてくれと言わんばかりにこれ見よがしにそれは置いてあった。

「写真? 」

玄関前に置かれていたのは、最近お目見えする機会がめっきり減った一枚の写真だった。

楓が屈んで手に取ってみると、そこに写っていたのは何か大きな建物で手前には一台も車が止まっていない広い駐車場も写りこんでいた。

どうやら郊外などで良く見掛ける大規模商業施設か何かのようだ。

楓には全く心当たりの無い場所だった。裏返してみると、写真の裏面の右下隅には『エデンの園』と小さな文字で書き込みがされていた。

「エデンの園? なんや目出たい名前の施設や...ん? エデン? 」

楓は見覚えのある言葉に左手に持っていたショルダーバッグの中身を乱雑に漁ると、例の資料を取り出して目的のページを探し始めた。

慌ただしく紙を捲っていた楓の手が、とある頁でピタリと止まった

「AdeN(エデン)。対能力者殲滅組織名...リーダー...オリバー・エヴァンス。」

改めて写真を凝視した楓は踵を返すと警視庁とは別の方向へと足早に歩き始めた。

 

 

 【商業施設・西側一階倉庫内】

ベルモンドと語部は外から聞こえて来た爆発音とそれに伴う揺れに動じることなく、一定の間合いを取ったまま睨み合っていた。

言葉も交わされることない重苦しい空気が辺りを包み込んでいく中で先に動いたのはベルモンドだった。

あらゆるモノを自在に動かしてくる語部に対して遠距離での戦闘はどうしても分が悪い。

そのためにベルモンドは少しでも語部との距離を縮めようとしていたのだ。

だが、少しでも動こうとすると四方八方から物が飛んできてはベルモンドの進行を妨げていた。

「全く。虫も殺さねぇーよな顔しといて、やることはエゲツないねー。」

と言うのも、先ほどから語部が飛ばしてきているものが、どれも柔らかいものであったり、丸みを帯びているものだったりと、明らかに殺傷能力の低いものを選んでいたのだ。

まるで小さな子供が虫を甚振るように、ベルモンドがもがく姿を楽しんでいるようだった。

「あら? それって褒め言葉ですか? 」

語部は嬉しそうに微笑み、首を傾げていた。

「...くそったれ。」

負け惜しみの言葉を漏らしながら苦悶に満ちた顔のベルモンドであったが、それは相手を油断させる演技だった。

確実に勝利をもたらす策ではないが、今の状況を打開出来るかもしれない。

そんな画策を巡らせるベルモンドは右手をソッと自身の背中の方へと回した。

 

 

 【商業施設・一階北西階段前】

激しくなっていた雨音に混じり二発の銃声が一階に響き渡った。

ローレンがドーラの背中に向けて構えていた拳銃の銃口からは微かに硝煙が上がっている。

ドーラは高く上げた右手を今まさにアクシアへと振り下ろさんとした状態のまま固まっていた。

その姿にドーラを誘導していたアクシアも自分たちの仕掛けたカウンターが決まったものだと確信した。

「...マジか。」

だが、アクシアの確信とは裏腹に拳銃を構えたままのローレンからは驚いたような声が聞こえてくる。その声は微かに震えているようだ。

「後学のため、君たちに一つ教えておこう。」

そう言うとドーラは尻尾をアクシアに見せつけるようにクルリと体の前に回した。

赤い鱗に覆われた尻尾には二発の銃弾が突き刺さっており、ドーラはそれをゆっくりと引き抜いた。

銃弾が刺さっていた痕が残る鱗には穴があいていないのだ。それは拳銃の銃弾が鱗を貫通することが出来なかったことの表れでもあった。

「ドラゴンの鱗は鋼より硬いのだ。」

「そりゃ...冗談キツイって。」

アクシアにはもう笑うことぐらいしか出来なかった。思考が停止し、体にも力が入らない。目の前に立つドラゴンの表情が神々しくさえ見え始めていた。

「案ずるな人間。直ぐに楽にしてやるさ。」

再びドーラが憐れな人間に審判を下すべく右手を高く掲げた時のことだ。

上階から雷のような爆音と激しい揺れが三人を襲った。

その衝撃の威力は大きく、項垂れ気味だったアクシアはバランスを崩し、よろめき屈みこんでしまったほどだ。

「う、上か!? 」

そう叫びながら天井を見上げたアクシアが見たものは天井に走る大きな亀裂であった。直ぐに崩壊するようなことは無さそうだが、かなり危険な状態であることは間違いなさそうだ。

一方のローレンは拳銃をドーラに向けた状態で何とか立ったままを維持することが出来ていた。

屈みこんで上を見上げたアクシアに促されるように天井を見上げようとしたのだが、その前にローレンの目に不思議な光景が飛び込んで来たのだ。

それはドーラの姿だった。

先ほどまで神々しく絶対神の如く君臨していたドーラが天井を見上げたまま固まっている。しかも、その表情は明らかに青ざめているようにさえ見える。

「おっけー。行けってことだよな。」

ドーラの異変を瞬時に察したローレンが引き金を引く。

銃弾は真っすぐにドーラの右肩へ飛んでいくと、尻尾に遮られることなく右肩を貫いた。

「ぐっ...! 」

ドーラの肩口から赤い鮮血を飛散したかと思えば、二人が初めて聞く悲痛な声をあげて、遂にドーラは膝をついた。

「もらいっ! 」

今が好機と容赦なくローレンは二発目の銃弾を放ったのが、ドーラは素早く尻尾を動かすとローレンの追撃を防ぎきった。

ドーラの細い身体の前に立ち塞がっていた尻尾がゆっくりと下ろされる。

赤い鱗の尻尾の向こうから現れたドーラの目は鋭く、険しくローレンを睨みつけていた。

その瞳は鱗よりも、ドーラの肩から滴っている血液よりも紅く燃え上っているようだった。

蛇に睨まれた蛙。改め、龍に睨まれた人間と言ったところだろう。ドーラの真っ赤に燃える瞳から伝わる憤怒と殺気に捕らわれたローレンはその場から一歩も動くことが出来なくなってしまう。

ドーラがターゲットをローレンへと変えようと振り返ったのと同時に眩い閃光と轟音が施設内に響き渡る。

その正体は大きな雷であった。

ローレンもアクシアも轟く雷鳴に動じることはなかった。なぜなら、目の前の龍の一挙手一投足の方が問題だったからだ。

だが、二人が見つめる中でドーラは天から轟く轟音に身体をビクリと跳ね上げ、固まってしまっていたのだ。

万物を平伏させるような存在であったはずの龍の姿は見る影もなく、彼女の形をした抜け殻だけがそこに残っているようであった。

「もしかして...。」

それを見たアクシアが呟くと、ドーラを挟んで真逆に立っていたローレンも示し合わせていたかのように同じタイミングで口を開いた。

「雷が怖いのか? 」

予期せぬ天啓から生じた隙を逃すわけにはいかない。

龍の呪縛から解放されたローレンは照準を定め直して引き金を引く。固まってしまっていたローレンの指先は、今度はしっかりとローレンの意思を拳銃へと伝える。

「当たれー! 」

ローレンの気合と共に銃口から銃弾が飛び出そうとした刹那。亀裂が入り脆くなっていた天井が崩落したのだ。

その時のことだ。

アクシアとローレンの間で不可解なシンクロニシティが起きていた。

それは二人には目の前で起きている出来事がスローモーションになって見えていたのだ。

ゆっくりと回転しながら飛んでいく銃弾。

落葉のようにひらひらとドーラの頭上に舞い散る大小の瓦礫。

すっかり曲調が変わった雨音。

これは脳の誤作動が見せる幻なのか、現実の出来事なのか。

アクシアとローレンが判断するより前に世界は本来の速度を取り戻していった。

彼方へと消え去る銃弾。

音を立てて床に積み重なる天井の瓦礫。

激しく鳴り続ける雨音。

二人からしてみれば、ほんの数秒の間の出来事にも思えていただろう。

「何だよ...今の。」

「おい! ローレン! 無事か? 」

ローレンが戸惑っているとアクシアの声だけが前方から聞こえてきた。

アクシアの姿は天井から崩れ落ちた瓦礫の山の向こうに消えていた。

そして、ドーラの姿も。

それのそのはずだ。瓦礫の山が出来ていたのは、まさに直前までドーラが立っていた場所なのであった。

「大丈夫だ! そっちも無事みたいだな。」

お互いの声で現実に戻った二人は瓦礫に近寄って、お互いの無事な姿を視認して胸を撫で下ろした。

「なぁ...アクシア。潰されちまったのか? あのドラゴン女。」

「俺も呆気に取られてて、はっきり見たわけじゃないんだけど、どこにも姿が見えないし、瓦礫がピクリとも動かないとこを見るに恐らくは...」

二人の腰の辺りの高さまで積み重なった瓦礫を複雑な気持ちで黙ったまま、しばらく見つめ続けた。

それでも、やはり聞こえてくるのは雨音だけなのだった。

「...行こうか。」

アクシアの言葉に「だな」とだけ小さく呟き、二人は本来の目的地であった三階へ向かうべく階段を駆け上がっていった。

 

 

【商業施設・三階フロア中央付近】

声を出す間もなく、レオスは崩れ落ちた床と共に下の階へと姿を消してしまった。

「ヴィンさん!! 」

パターソンも持ち前の運動神経を活かして直ぐに手を伸ばしたが、僅かに届かずに空を切る。

「ま、待ってろ! すぐに助けに...。」

急いで二階に向かおうと顔を上げたパターソンは自分たちが上がってきた階段の前の床が完全に崩落してしまっていることに初めて気が付いた。

もうこのルートは使えない。パターソンは覚悟を決めて、ゆっくりと不破の方へと振り返る。

「どうやら神様もこちらに味方しているみたいだね。僕たちは君と話したかったんだから。」

特に何かをするわけでも無く、不破は不敵に笑いながら同じ場所に立っていた。

「残念だけど緊急事態なの。君に構ってる暇はないんだ。ゴメンネ。」

「いや。謝るのは...。」

そう言うと不破は徐に右手を高くかざす。

「こっちの方だよ。パタちゃん。」

不破の掲げた手を合図にどこからか一発の銃弾が放たれると、銃弾は最短距離を駆け抜けてパターソンの右腕を見事に貫いた。

「えっ? 」

一瞬の出来事だったためにパターソンの痛覚が反応を示すまでには僅かなラグが生まれていたが、焼けるような感覚と腕を伝う流血の感覚が彼女に起きた事実を理解させた。

「ぐっ! どこから...。」

痛みで霞む目を凝らしながら辺りを見渡しても狙撃手の姿はどこにも確認出来なかった。

血を流しながら力なくうなだれるパターソンの右腕を見た不破は高らかな笑い声を上げる。

「いーねー! かなかな! パタちゃん。俺も君が素直に頷く何て最初から思っていないんだな。だからさ。」

そう言うと、不破は掲げていた右腕をパターソンに向かって差し出した。

「君の記憶を変えちゃおうと思ってるんだ。右腕を使えない君の記憶を変える事なんて造作もないことさ。」

不破は右腕を差し出したままゆっくりとパターソンへと近づき始めた。

「そう簡単に...。」

腕の痛みに耐えて、足を吹きだそうとしたパターソンの数センチ横の床に新たな銃弾が着弾する。

銃弾はパターソンの身体を傷つけることはなかったが、正確無比な銃弾はパターソンの動きを察知して着弾していた。

「おっと。下手に動かない方がいいよ。こっちは君が気絶するまで痛めつけてから記憶を弄ってもいいんだけど、女性を傷つけるのは俺のポリシーにも反するんだよね。」

不破の言うように右腕を上手く動かせない以上、あの力を頼ることも出来ない。おまけに姿の見えない狙撃手に完全にロックオンされてもいる。幾ら考えを巡らせてもパターソンには現状を打開する術を見つけることが出来なかった。

「パタちゃん。安心してよ。俺が幸せな世界に誘ってあげるからさ。」

気が付けば不破との距離は確実に、ゆっくりと縮まっており、もうすぐそこまで不破は迫っていた。

 

 

【商業施設・二階フロア中央付近】

大きな爆発音と衝撃の原因を探すべく二階へと上がったオリバーが見たものはフロア中央付近に積み重なった瓦礫と天井にあいた大きな穴だった。

「なんだこれは...ん? あれは...。」

瓦礫から十数メートル離れた場所に居るオリバーからでも、瓦礫の上に別に何かがあるのが見えていた。

それは紛れも無く人であった。しかも、見覚えのある姿をしている。

「れ、レオス君! 」

小山の頂上で仰向けに倒れていたのはレオスだった。オリバーは彼の意識の有無を確認すべく急いで瓦礫を駆け上がる。

「大丈夫ですか!? 」

レオスは目を開けたままで倒れていた。瞬きもせずに天井にあいた穴の向こうを見つめて微動だにしていない。

もしやとオリバーが最悪のケースも想定した時だ。

「いやー。参りましたねー。」

何事もなかったかのように、いつもの大きな声を出したかと思えば、ムクリとレオスは起き上がったのだ。

「れ、レオス君? 大丈夫なのか? 」

「おや? オリバー君じゃないですかー? こんな所で何をしてるんですか? 」

一気に緊張の糸が切れたオリバーは安堵と倦怠感がもたらした溜息を一つ漏らした。

「いや。それはこちらのセリフですよ。急に大きな音がしたと思って来てみれば...。そう言えば、レイン君は? 」

「レイン君なら上ですよ。」

レオスが人差し指で天井にあいた穴を差すと、その穴の向こうから一発の銃声が聞こえてきた。

「銃声!? 」

驚くレオスの叫び声など聞こえていないかのようにオリバーは天井にあいた穴を見つめ続けていた。

オリバーが動けなかったのは、彼の脳内ではある場面がフラッシュバックしていたからだ。

 

燃え盛る炎。

 

崩れる天井。

 

少女の悲しい笑顔。

 

そして、

 

「ありがとう。」と言う最期の言葉。

 

オリバーは隣に居るレオスのことなど忘れ、突然瓦礫の山を飛ぶようにして降りると三階への階段に向かい走り出した。

「ちょ! オリバーくーん! どうしたんですかー! 」

体の節々が痛むのを堪えながレオスは慌ててオリバーの背中を追い掛けるのだった。

 

 


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