AdeN(エデン)~公安第五課~   作:夏野 雪

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会者定離(結) -前編-

倉庫を抜け出た黛と長尾は無事に施設の電源設備中枢部分へと到着していた。

天井には剥き出しのダクトや何かの配線の束が縦横無尽に駆け巡っている無機質な広い部屋の中を黛は慌ただしく動き回っており、長尾はこの部屋の唯一の出入り口の前で見張りをしながら黛の様子を眺めていた。

「どうっすかー? 黛さん? 」

黛は返事をせずに自前のノートパソコンをしばし見つめてから大きなため息を吐き出した。

「あー...こりゃダメかもな。」

「えっ? なんか言いましたー? 」

小さくポツリと呟いた黛の声は、少し離れたところに立っていた長尾までは届いていなかったようだが、そんなことなど気にも留めずに黛はその場に胡坐をかいて座り込むとノートパソコンとの無言の睨めっこを始めてしまったのだった。

「おーい...ってこりゃダメだな。それなら...。」

そう言いながら辺りを見渡した長尾は静かに部屋を出て行った。無論、黛はその事には全く気が付いていなかった。

 

 

 「階段ってさ...こんなキツかったっけ? 」

満身創痍といった様子のアクシアは言葉を言い終えるより前に階段を上っている途中で両膝に手をついて立ち止まってしまった。

「ほんと...それな。あーあ。帰ってゲームしてぇー。」

同じく苦しそうにぼやきながらローレンも階段を一歩一歩上がっていた。

「動かないで! 」

突然聞こえてきたその声は二人が目指す先。三階のフロアへ続く踊り場の方から聞こえてきた。

二人が見上げると、そこに立っていたのは青い髪の少女であった。

彼女の手には見た目には似つかわしくない拳銃が握られており、その銃口をカタカタと微かに震わせてアクシアとローレンに向けていた。

「よくも...よくもドーラちゃんを。」

少女の口から聞き覚えのある言葉が漏れ出ると共に彼女の頬を大粒の涙が伝う。

見知らぬ少女から向けられた身に覚えのない殺意の理由を二人は容易に想像することが出来たのだった。

 

 

 不破はゆっくりと確実にパターソンへと近付いて来ていた。

このままでは危険だと分かっているのだが、後方の床は崩れ落ちていて後退の道はない。

そして、前方には自分自身を完全にロックオンしている狙撃手がいる。

パターソンにとっては『()()()()』どころか、所謂完全に『()()』の状態なのだった。

それでも大人しく捕まるつもりなんてありはしない。

パターソンは姿勢を低くしてから、不破の左手側に向かって大きく一歩を踏み出した。

ただし、そのまま踏み出した方向に進むのではなく、サッカーやバスケットの選手がするようにフェイントをかけて素早く反対方向へと舵を切ってみせたのだ。

勿論、目の前に迫っていた不破に対してのフェイントでもあったのだが、実際のところは狙撃手に向けて仕掛けたものであった。

パターソンの思惑通りに右に一歩踏み込んだ段階で遠くから発砲音が聞こえてきており、その音を確認してから素早く重心を反対方向へと傾けて二つの脅威から逃れようとしていた。

あれ?

心の中でパターソンは思わず呟いた。しっかりと踏み出したはずの左足に力が入らないのだ。

何事かと足元に視線を落としてみると、色白の綺麗な太ももから赤い液体がダラダラと漏れ出していた。

それは間違いなく血液だった。

止めどなく滴る血と焼けるような強烈な痛み。確実に発砲音を聞いてから動き出したはずなのに...。

しかも、銃声も一発分しか発せられていないはずだ。

重心を完全に移動させてしまっていたパターソンの体を手負いの足一本では支えることが出来ずに、バランスを失った彼女の体はそのまま左前方へとゆっくりと倒れてしまった。

どうすることも出来ずにいたパターソンであったが、結果として彼女が情けなく地面と衝突することは避けられた。

倒れる前に何かが彼女の頭を支えたのだ。

「大丈夫かい? パタちゃん。」

パターソンの頭を受け止めたのは不破の右手だった。

視界の隅に不破の笑みを捉えた次の瞬間、パターソンの頭と目は強烈な閃光に包まれる。それと共に見覚えのない映像が頭の中に流れ込んでくる。

見覚えのない施設。今まで対峙してきた能力者たちの顔と声。もちろん、その中には不破も居た。

夥しい偽りの情報と映像が一気に流れ込んできたことでパターソンの脳はオーバーヒートを起こしてまう。

全身をビクンと痙攣させると、その意識は深い微睡の中へと沈んでいった。

呆気なく動かなくなったパターソンを不破は優しく抱きかかえた。

「これで君は僕のものだよ。」

そう言うと、不破は腕の中にパターソンを抱いたまま高らかに勝利宣言とも受け取れる笑い声を施設内に響き渡らせたのだった。

 

 

 雨が激しさを増す中で一台のタクシーが商業施設の裏手の路肩に停車した。

しばらく停止していたタクシーから大きな黒い傘を差した乗客が降りたのを見届けてから、タクシーは静かにその場から走り去っていった。

黒い傘の乗客はその場に立ち尽くしたまま、目の前の商業施設を見つめていた。

「ここで間違いなさそうやな。」

左手に持っていた一枚の写真と見比べながら楓は確信する。この写真に写っている建物はここで間違いない。

傘に落ちる激しい雨音しか楓の耳には届いていなかったのだが、建物が放つ異様な雰囲気を楓は確かに感じ取っていた。

「鬼が出るか...蛇が出るか。ってな。」

楓は今一度、意を決して建物内へと向かって歩き始めた。

 

 

 ベルモンドは静かに自身の背中の方へ右手を回した。

そこにはホルスターに収まっている拳銃があったのだ。語部との距離は目算で十数メートル。

この距離では彼女の能力によって銃弾でさえも防がれてしまう可能性が高い。しかし、奇を衒いつつ突破口を見つけるにはこれぐらいしか残されていなかった。

「あれれ? もう終わりなんですか? 」

一歩も動かなくなった目の前の大男を嘲笑う語部の挑発を受け流しつつも、ベルモンドは拳銃に手を掛けて間合いとタイミングを見計らっていた。

『今だ! 』

ベルモンドが心の中でそう決めかけた時だった。

ホルスターから拳銃を抜く直前でベルモンドの手がピタリと止まったのだ。

その理由は視線の先、語部の背後にあった。

語部の背後、倉庫の入り口から静かに彼女の背後へと迫る人影を見つけたのだが、その人物はここにいるはずのない人物であった。

『あいつ...。』

ベルモンドが思わず口に出しそうになった言葉を飲み込んだ。どうやら語部はその人物に気が付いていないようだった。

語部に彼の存在を気取らせたくなかったからだ。

「なぁ...お嬢ちゃん。」

「はい。なんでしょうか? 」

相も変わらず余裕の笑みそ浮かべているところを見るに、やはり語部はまだ気が付いていない。

自身の背後に迫っている長尾の存在に。

長尾の右手には警棒がしっかりと握れており、語部との間合いも既に十分な距離になっていた。

「『()()()()()()』ってのは、幽霊も一緒なんだな。」

示し合わせていたわけでも、合図を送ったわけでもないが、ベルモンドのその言葉と同時に長尾は警棒を振り上げて語部に一気に迫った。

!!?

流石の語部もベルモンドの言葉の真意と背後から迫っていた気配を察したようだ。

それは一瞬の出来事だった。

長尾の経験と勘は確実に獲物を仕留められ間合いであり、自分の腕で外すはずがないと確信していた。

だが、長尾が放った一閃が捉えたものは大きな簀の子のような木製のパレットであった。

長尾の強烈な一閃は彼女が即席で拵えた盾の一部を鈍い音と共に破壊することに成功はしていたが、語部本人の背中には届くことはなかった。

しかし、長尾が奏でた不協和音とは別に高く澄んだ音が倉庫内に轟いていた。

その音の正体はベルモンドの手にいつの間にかに握られていた拳銃から放たれたものであった。

ベルモンドは端から長尾の方を囮に使うつもりで、敢えて語部に長尾の存在を勘づかせていたのだ。

「ってことでさ。悪いんだが、本当に幽霊になってもらおうじゃないの。」

 

確かに

 

ベルモンドは拳銃の照準の向こうに語部の姿を捉えていた。

 

確かに

 

長尾は警棒を振りかざす直前まで、しっかりと語部の背中を捉えていた。

 

それなのに

 

木製の大きなパレットは長尾の一撃でゆっくりと語部が立っていた方に向かい倒れていった。

パレットはそのままバタンと大きな音を立てて床へと着地をする。

「あ、あれ? 」

先ほどまでの鋭い視線とは裏腹に何とも間抜けな声が長尾の口から漏れ出た。

「なん...だと? 」

勝ち誇った表情で銃を構えていたベルモンドの視線の先でも突如として語部の背中に現れたパレットが倒れる様を目撃していたのだが、倒れたパレットの下に語部の姿が見当たらないのだ。

しばし状況が飲み込めずに武器を構え合ったままで見つめ合う二人であったが、ハッと我に返ると武器を構えながら周囲の警戒を始める。

素早く周囲のクリアリングを済ませた二人がゆっくりとパレットを挟み込む形で近付いていく。

遠くから見ていても一目瞭然ではあったのだが、近くで見てもやはり語部の姿は見当たらない。

「長尾。上げてみろ。」

「...うっす。」

ベルモンドが拳銃をパレットに向けたまま何時もよりも若干低い声で長尾に指示を出すと、それを受けた長尾は短く返事をした後で警棒をベストのホルスターに戻してから素早くパレットを持ち上げた。

「ですよねー。」

長尾がボヤいたように分かり切っていたことなのだが、パレットの下には誰もいなかった。

煙のように、それこそ亡霊のようにして語部は二人の見ている目の前で忽然と姿を消してしまったのだ。

「おい...これって。」

パレットが倒れていた床の上で何か上で何か見つけたベルモンドがしゃがみこんだので、長尾もパレットをその辺に放り投げるとベルモンドの視線の先へと顔を覗かせた。

「あっ...ベルさんそれって。」

長尾が見たものは床に飛散している赤黒い液体であった。ベルモンドは液体を右手の人差し指で撫でるようにして掠め取った。

赤黒い液体はまだ乾いていなかったために、ベルモンドの人差し指にしっかりと付着したのだ。

「ああ。こりゃだ。しかも、昔に付いたものなんかじゃなくて、今さっき付着したもんだ。まだ生温い。」

「それじゃあ。やっぱりあの女は...。」

長尾の言葉に返事をせずに立ち上がったベルモンドは、今一度周囲を目を凝らしながら見渡す。

「どこ行きやがったんだ。」

しかし、ベルモンドが幾ら目を凝らしても倉庫内には自分と長尾の姿以外に誰の姿も見つけることは出来なかった。

 

 

 急に走り出したオリバーを追い掛けたレオスはフロア中央にある止まったままのエスカレーターを息を切らしながら駆け上がっていた。

「全く...何を考えれて...いるのやら...。」

二人に一番近い階段は、先ほどの崩落で道が無くなっていたためオリバーは次に近くにあったエスカレーターを上って三階に上がってしまったのだ。

普段冷静沈着なオリバーからは想像もつかないような行動であった。

不意に顔を上げたレオスは前を走るオリバーの背中にパターソンの影が重なった気がした。

「はぁ...こっちは一人のお世話でも手一杯なんですよ! 」

敵から丸見えのエスカレーターではあったのだが、レオスにはオリバーを追いかけるために駆け上がる他に選択肢はなかった。

レオスの心からの叫びが神様の同情を得られたのかは分からないが、二人は敵からの急襲を受けることなく三階のフロアに無事に足を踏み入れていた。

だからと言って、オリバーの暴走は止まるらずに本来の終着点であるフードコート方面に向かって走り続けており、レオスも致し方なく彼を追い続けることになるのだった。

今二人が走っている両サイドに無人のアパレル店舗が続く直線を左に曲がった先にフードコートコーナーだったはずだ。

案の定、先を走るオリバーが左に曲がったのを見て、レオスもそれに続く。

「はぁ...はぁ...おや? 」

息が上がり始めていたレオスは曲がった先でオリバーが立ち尽くしているのを見つけた。

「漸く頭が冷えましたか。オリバー君。」

背後から近づいてレオスは半分もたれるようにしてオリバーの肩にポンと手を乗せた。

「...。」

おかしい。オリバーはレオスの言葉や肩に置いた手に全く反応することなく、険しい表情でまっすぐ前を向いたまま微動だにしていないのだ。

「ん? オリバー君? どうしたん...。」

レオスがオリバーの視線を追いかけてみると、そこには二人の人間がいた。

一人は床が崩落する前まで一緒に行動していたレイン・パターソン。そして、もう一人は不破湊だ。

ある意味では見慣れた二人ではあったのだが、そのシチュエーションが問題なのであった。

パターソンの太もも辺りからは血が流れ出ており、意識がないのか目を瞑っていた。おまけに彼女が居る場所は敵対しているはずの不破の腕の中なのだ。

こちらに気が付いていないのか、不破は自身の腕の中で眠るパターソンの顔を見つめると、高らかに笑い始めたのだった。

 

 

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