レオスが運転する車は椎名が泊まっているというシティホテルへ向かっていた。
助手席に乗っていたパターソンは自分の服のお腹辺りを懐かしい思いでゆっくりと擦っていた。
彼女とレオスはオリバーの指示で防刃ベストを服の下に着けていたのだ。
以前にボディーガードをしていた頃に着用したことがあったのだが、まさかこんなところで再び着ける日が来るなんて思ってもみなかった。
「君が元敏腕ボディーガードだったとは...。人は見かけによりませんねー。」
レオスはお気に入りの煙草を咥えながら、カーナビを確認していた。
「ええ。ヴィンセントさんぐらいなら即制圧出来ると思います。」
「それは頼もしいですねー。まぁ。その素晴らしい能力の
レオスは少し開けていた車の窓の隙間を目掛けて嫌味混じりの紫煙を吐き出した。
「ローレンさんとアクシアさんたちと首謀者の捜査が良かったのか? 」
「まぁ...
「でも、首謀者を探すのは『
車内に暫しの沈黙が流れた後でレオスは紫煙を深く、大きくそのまま吐き出した。
その煙は外へ逃げることなく車内に充満すると、彼の気持ちを代弁するようにパターソンの喉へ向かって攻撃的な刺激を与えたのだった。
問題のホテルへ到着した二人は地下の駐車場に車を止めると、事前に脇村から教えてもらっていた部屋へと向かった。
フロントで事情を説明すると話が事前に通っていたのか、すんなりと通ることができた。
二人を乗せたエレベーターは椎名が泊まっているという最上階へと到着した。
「全く...制服姿の子供がシティホテルの最上階にご宿泊とは世の中どうなっちゃってるんでしょうね。」
薄暗く長い廊下を進んでいる中でレオスが恨めしそうに呟いた。
「私も再就職先...早まっちゃっかもしれないな。」
「まぁ。今に分かることでしょう。」
取り留めもない会話を続けている内に気が付けば二人は目的の部屋の前に到着していた。
レオスは目の前の部屋番号を今一度確認してからインターフォンを押した。
「はぁーい。」
少し気だるそうな声で扉を開けて中から出てきたのは写真で見た制服姿の女の子だった。
綺麗な白い髪に写真では分からなかったが、その髪の色に負けないぐらい透き通った白い肌が眩しくすら感じられた。
「椎名唯華さんですね。私たちは警視庁公安第五課から来たレオスと申します。こちらはレインです。」
そう言いながらレオスは警察手帳を提示した。それを見ていたパターソンもレオスの言葉に合わせるようにして慌てて手帳を取り出した。
この手帳も事前にオリバーから手渡されていたのだが、こんなにも早くに使用する機会が来るとは思わなかった。
「おお。ホンマに来たんか。呼ばんでええちゅうたのになー...まっいっか。どうぞー。」
「失礼します。」
椎名の許可を得たところで、二人は室内へと足を踏み入れた。
玄関からすぐの部屋は広々としたリビングルームだった。正面には大きな窓があり、部屋の中央あたりには座り心地の良さそうなアンティーク調の三人掛けのソファが向かい合うように一組とその間にはテーブルも置かれていた。
椎名はその手前の方のソファへ仰向けに寝そべると二人を気にする様子も無くスマホを弄り始めた。
傍のテーブルには食べかけのスナック菓子の袋に飲み終わったペットボトルが放置されていた。
二人はソファの近くで立ち尽くしていたのだが、とても命を狙われているような人物には見えなかった。
「あの...何と言いますか。随分とリラックスされてますね。扉を開けられたのも早かったですよね。そこに居たのが私たちだから良かったものの...。」
「扉を開ける前から安全なのは分かってたから。」
レオスの疑問にスマホを見たままで椎名は答えた。
「『開ける前から』? 」
「あれ? 聞いてへんの? あたしのこと。」
パターソンの言葉を聞いた椎名がようやくスマホから二人へと視線を向けた。
「『預言者』のことですか? 」
「そうそう。えーと...レオスやったっけ? でも、あたし嫌いなんよな。その言い方。」
「どうしてです? 」
「えー...と...似てんねんな名前が二人共。覚えにくいわ。レインちゃんやったか。あたしは別に未来が見えるわけじゃないんよ。ちょっと先の『
「ほぅ。扉を開ける前から我々がそこに居るのが分かったと? 」
レオスは子供の御伽噺を話半分で聞いているかのように嘲笑していた。
「そんな感じやね。『
そう言うと椎名はソファから立ち上がると少し離れた場所に置いてあった自分のカバンの中から長方形のプラスチックのケースを取り出した。
「何ですか。それ? 」
「ただのトランプやで。」
レオスと違って、好奇心旺盛なパターソンは椎名に近付きプラスチックケースから取り出されるトランプを見つめていた。
椎名はトランプの束からランダムに九枚のカードを取り出した。それは『ハートの2』、『クラブの4』『スペードの4』、『ハートの7』、『ダイヤの10』、『ダイヤのQ』、『ハートのK』、『クラブのK』、『スペードのA』と本当に適当なカードだった。
それを裏返しにテーブルに並べると、最後に束の中から一枚のカードを選びテーブルの上に置いた。
レオスとパターソンがそのカードを確認すると、それは『JOkER』であった。
椎名は何も言わずにそれを裏返して九枚のカードの中に加えた。
そして、目を瞑ってテーブルの上に並べられた合計十枚の裏返しのカードをかき混ぜ始めた。
「よし。二人も混ぜてええよ。」
混ぜ終わって目を開けた椎名はニッコリと笑いながら二人を見た。
「それじゃあ」と言いながらカードを混ぜ始めたのはパターソンだった。
何度かグシャグシャとカードをかき混ぜると、レオスも黙って彼女に続いた。
三人の目の前にはテーブルの上には向きも場所もバラバラに置かれた裏返しの十枚にカードが置かれていた。
「じゃあ。行くで。」
そう言うと椎名は何の迷いもなく、一枚のカード目掛けて手を伸ばすと、手に取ったカードをその場でひっくり返した。
椎名が裏返したカードは『JOKER』だった。
「えっ。」
パターソンの短い感想を聞き流して椎名は『JOKER』を裏返すと、再び同じ様に目を瞑ってカードをかき混ぜ始めた。
そして、同じ様にその中から一枚のカードをひっくり返す。
それはまた『JOKER』なのだった。
「ウソ...。」
驚き唖然としている二人の前で、その行為は続けられて最終的に十回繰り返された。
椎名は二人が見ている目の前で十回連続でJOKERを引き当てて見せたのだ。
「まぁ。こんな感じよ。」
椎名は満足げな表情で二人の顔を交互に見渡していた。
「どうなってるんだ...ヴィンセントさん。」
混乱するパターソンがレオスに助けを求めると、レオスは顎に手を当てて考え込んでいるようだった。
その表情には、つい数分前までにあった余裕は無くなっていた。
「1/10を十回連続で当てる確率は...百億分の一。0.0000000001%ですね。」
「百億分の一!? 」
「ちなみに、ジャンボ宝くじの一等が当たる確率が二千万分の一と言われていますね。」
「な、なんか目印みたいなものがついてるんじゃないのか?」
パターソンは散らばっていたトランプを集めると、一枚一枚を丁寧に確認し始めた。
表も裏も隅々まで確認してみるものの、意図的に付けられたようなマークや汚れや折れ、青い唐草模様のような裏面の柄にも違いは見つけられなかった。
「無駄やで。みーんな同じカードやもん。これで少しは分かってもらえた? あたしの力。」
椎名はどうだと言わんばかりの表情で食べかけだったスナック菓子を食べ始めていた。
「確率は低かろうがゼロではない。百億分の一の事象が目の前で起きたまでの事なんですよ。」
「ヴィンセントさん...それ本気で言ってます? 」
レオスは何も言い返せずにパターソンの手の中のトランプを睨みつけるだけだった。
その時、椎名の客室のインターフォンが鳴ったと同時に男の声が聞こえてきた。
「恐れ入ります。フロントの者ですが椎名様へお届け物が御座います。」
一気に室内に沈黙と緊張が広がっていったのだが、更に椎名の一言が追い打ちをかけていく。
「開けんほうがええで。」
しかし、その椎名の警告も虚しく扉は開かれた。
中にいる人物が開けたのではない。扉の前に立っている人物が、どう言う訳か椎名の部屋の鍵を開けたのだ。
扉が開くとほぼ同時に部屋の中へ二人の男が勢い良く入ってきた。
部屋の入り口から四、五メートル程離れた場所にあるテーブル周りに居た三人目掛けて男たちは突進してきていた。
「ヴィンセントさん! 椎名さんを! 」
パターソンの声よりも先にレオスは既に椎名の前に庇う様に立っていた。
「君に言われずとも分かってますよ! 」
パターソンが若い女と見るや、その正体も知らずに男たちが彼女に狙いを付けた。
二人の手にはそれぞれ短刀が握られており、刃先は真っすぐに彼女に向いていた。
明らかに目つきの変わったパターソンは態勢を僅かに低くして、胴体を庇う様にして両腕を構えた。
一人の男の腕が無言でパターソンの腹部を目指して迫ってくる。
彼女は引く事なく、刃物を持つ男の方に向かっていった。
てっきり後ろへ逃げるだろうと思っていた男は意表を突かれ、短刀の軌道がややパターソンから反れていた。
それを見逃さなかった彼女は構えていた左の上腕部分を素早くスライドさせて相手の右上腕へと当てた。
相手は全力でこちらへ向かってきていたこともあり、腕を当てた僅かな力にも関わらず男は態勢を立て直せずにバランスを崩してしまった。
もちろん、刃先は既に明後日の方向に向かっており、彼女はそのまま相手の腕を両手で掴むと捻るように男の腕を回すようにして瞬く間にテイクダウンさせた。
「やるやんか。」
レオスの背後からリーンするように、一連の流れを見ていた椎名が思わず呟いた。
しかし、まだ終わってはいなかった。
残ったもう一人の男はパターソンの思わぬ反撃に焦ったのか、本来のターゲット目掛けて素早く方針転換を決めた。
無論、それは椎名であった。
レオスの背後に椎名の姿を確認すると、今度はレオス目掛けて突進を始めた。
「ヴィンセントさん! 拳銃は!? 」
パターソンは最初の男を取り押さえており、今からでは助太刀することが出来なかった。
「言いましたよねー! 私はそう言うことは専門3外なんですよー! 」
もしかしたら、恐怖で動けなかっただけかもしれないが、そう叫びながらも椎名の前から動こうとしなかった。
「
「えっ? 」
それは背後から聞こえてきた声だった。
「右に飛んで。」
誰よりも落ち着いた、静かな言葉で椎名がレオスに伝えた。
レオスには迷ってる暇も、確率を考えている時間は残されていなかった。
態勢を変えて、椎名を抱きかかえたレオスは言われるがままに右側へと飛んだ。
男も負けじと二人が飛んだ方へ向かって行こうとしたのだが、方向転換するために男が足を踏み出した先の床には偶然にも一枚のトランプが落ちており、それに足元を掬われてしまったのだった。
足を滑らせた男の頭部は為す術もなくテーブルの角へとぶつかり、男は白目をむいて気を失ってしまった。
威勢良く部屋に突っ込んで来た割には何とも間抜けなオチであった。
レオスは椎名を抱えたまま床に倒れこんでいたのだが、その一部始終をしっかりと見ていた。
彼は腕の中でほくそ笑む少女に視線を移した。
「君...まさか『
「『神はサイコロを振らない』んでしょ? 」