一台の黒いセダンが雑居ビルの前に止まっている。
運転席に座るアクシアとその隣に座っている助手席のローレンは無線で送られてくる指示を待っていた。
「このビルの中に容疑者が潜伏してるっての? 」
ローレンが窓ガラス越しに五階建ての古びた雑居ビルを見上げた。
雑居ビルの入り口には各階に店を構えているのだろうスナックの看板が疎らに掲げられていた。中には真っ白に塗りつぶされていて空き店舗になっているのだろう箇所も何個か見受けられる。
「まぁ。潜伏するには丁度良さそうではあるよなー。」
アクシアはそう言いながらドリンクホルダーからペットボトルを持ち上げると、その新発売のロイヤルミルクティーを美味しそうに飲み始めた。
『こちら本部。応援班聞こえるか。』
その時、待ちに待った無線からのメッセージが届いた。
「はい。こちら応援班。どーそ。」
ようやく動けると思ったローレンが嬉しそうな笑みを浮かべながら無線に応答した。
『情報はガセだったようだ。張り込みは終了して本部に戻ってきてくれ。以上。』
「はぁーーー...。」
無慈悲にも乱暴に切られた無線に向かって、ローレンは特大の溜息を漏らしながら天を見上げてしまった。
「まぁ。仕方ないね。これが俺らの仕事。帰りましょう。」
頬杖をつきながら不貞腐れたように外を見つめるローレンを尻目にアクシアはペットボトルをホルダーへと戻すと車のキーを回そうと手を伸ばした。
「...おい。アクシア。あれ。」
項垂れながていたローレンは何かを見つけたようで窓ガラスの外を見ながらアクシアに呼び掛けていて、彼もその言葉に誘導されるようにして窓の外へと視線を向ける。
そこで二人が見たものは問題の雑居ビルに入ろうとしている真っ黒のローブを羽織っている人物だった。
「ローレン。確かヴィンさんたちを襲ったのってさ。」
「ああ。黒いローブに青い瞳の奴って言ってたな。」
自然と二人の足は車から降りて雑居ビルへと向かっていた。
黒いローブの人物は二人の存在に気付く事なく、ビルの入り口奥にあった小さなエレベーターに乗り込み二人の前から姿を消してしまったのだ。
ローレンは急いでエレベーターの前に向かうと、扉の上部にある階数表示のランプを見つめていた。
『2』、『3』と表示ランプが進んでいき、『4』のところでランプの移動が停止した。
「アクシア! 四階だ。」
ローレンが振り返るとアクシアはどこかへ電話を掛けながら駆け足で近付いてきているところだった。
「ええ。そうです。ヴィンセントさんの事件の容疑者らしき人物を偶然発見しました。今からローレンと追跡します。えっ?...はい。はい。失礼します。」
アクシアは通話を切ると不服そうにスマホの画面を睨みつけていた。
「おい。アクシア。誰と話してたんだ? 」
「ああ。オリバーさんだよ。追跡する事を報告したんだが、オリバーさんが現場に来てくれるらしいんだけど、それまで待機していろだってさ。」
「はぁ? そんなことしてたら逃げられちまうよ。アクシアはどう思ってんの? 」
ローレンの言葉にアクシアはエレベーターの階数表示のランプを見つめる。
階数表示のランプは『4』のまま動いていなかった。
「そんなもん。追うに決まってんだろ。そうだろ? ローレン。」
アクシアがニヤリと笑うとローレンに視線を移してみると、鏡を見ているかのようにローレンも同じような笑みを浮かべていた。
「流石は俺の相棒だな。よし! 俺はあっちの階段で四階に向かう。アクシアはエレベーターに乗って四階に向かってくれ。インカムマイクで通話を繋げとこう。何かあったら直ぐに報告だ。」
「オッケー。じゃあ行こうか。」
アクシアが右手の拳をローレンの方へと差し出しすと、それを見たローレンも同じ様に右手の拳をアクシアの拳へコツンと軽くぶつけた。
それを合図にローレンはエレベーターの脇にあった狭い階段を駆け上がっていき、アクシアはエレベーターの『△』のボタンを押した。
ローレンはあっという間に四階までの階段を駆け上がっていた。
「はぁ...流石に一気はキツイな。アクシア。こっちは四階に着いた。狭い廊下に幾つかの扉。黒ローブは見当たらない。」
駆け上がりながら耳に装着したインカムに向かいローレンが報告をすると直ぐにアクシアからの返事があった。
『了解。こっちは無人で戻ってきたエレベーターに乗って向かってる。もうすぐ四階だ。」
ローレンが階段近くのエレベーター上部の階数表示を確認すると確かに『2』から『3』に移動しているところだった。
見る限りでは階段は一か所。エレベーターも黒ローブが乗ってから動いていない。
つまり、奴はまだここに居るはず。
ローレンの脳内でアドレナリンが分泌されていき、心臓の鼓動が高鳴っていく。
その原因は緊張でもあり、恐怖でもあり、興奮でもあった。
アクシアの乗ったエレベーターが到着しようとしていた時、ローレンの背後から何か物音が聞こえてきた。
四階の廊下注力していたローレンだったが、身構えるようにして素早く音が聞こえた方へと振り返るとそこには誰もいなかった。
どうやら音が聞こえたのは階段の上階からのようだった。
つまり、五階だ。
この雑居ビルに第三者が居ないとも限らないのだが、黒ローブが四階でエレベーターを降りてから階段で五階に向かった可能性も確かに残されている。
ローレンがアクシアへと連絡を入れようと思ったタイミングでエレベーターの到着を伝える電子音と共にエレベーターの扉が開いた。
「お。ローレン。どうだ。」
中から周りの様子をうかがうようにしてアクシアが降りてき、ローレンの傍へと近付いてきた。
「今な。上から変な音が聞こえたんだ。俺はこのまま上に行ってみるからアクシアは四階の捜索を頼む。」
「よし。分かった。気を付けてな。」
「アクシアも。」
二人は再び別れると、アクシアは廊下の奥へと、ローレンは上階へと進み始めた。
今度は慎重にゆっくりとローレンは五階へと上がっていく。
時刻は十三時過ぎでスナック、飲み屋の並ぶビルの中は実に静かなもので五階の廊下は四階に比べると半分ほどしかなく、扉も四か所しか見えなかった。
エレベーターは表示ランプを見るに四階からは移動していないようだ。
ローレンが廊下を進んで行きながら左右二か所ずつの扉を順番にノブを掴み開くかどうかの確認をして行く。
三か所の扉には店の名前が書かれていたり、小さな店の看板が扉の近くに置かれたりしており、営業している形跡が確認出来た。
勿論、そのどの扉もしっかりと施錠されていて、空き店舗のような残りの扉にも施錠がされている。
念のために、扉にインカムをしていない方の耳を当て、中に聞き耳を立ててみるも物音一つ聞こえてくることはなかった。
と、なると四階に黒ローブが潜伏している可能性が高い。何も報告が無いことも相まって、アクシアの事が気になりだしたローレンはインカムマイクに向かい呼び掛けた。
「アクシア。どうやら五階はハズレみたいだ。そっちはどうだ? 」
『こっちは扉が六ヶ所あって順番に調べてみてはいるが、どこも施錠されてるし人の気配も無いな。』
「そうか...。」
直ぐにアクシアからの返事があったことに安心感を得ると共にある疑問点も同時に浮上してくるのだった。
では、黒ローブは何処へ消えたのか?
『ん? ローレン。一番奥の扉が...開いてるな。これ。一か所だけ施錠されてないぞ。』
ローレンの疑問を解決するような解答が直ぐにアクシアからもたらされた。
「マジか! 俺も急いで外で見張っててくれ。四階じゃ窓からも逃げれないだろう。」
アクシアからの『了解』の言葉を聞くよりも前にローレンは階段に向かい走り出していた。
廊下を突っ切り、そのままの勢いで階段を下ろうとした時だった。
ローレンの目の端に何かが映ったのだ。
階段を下ろうと一歩踏み出したところで急ブレーキを掛けて自らの体を止めると、何かが映った方向に視線を向ける。
それは五階より上。恐らくは屋上へと伸びているであろう階段の踊り場。
そこに立っていたのは黒ローブの人物なのだった。
フードを目深に被っているので顔を確認することは出来ないが、確かにローレンの方を向いている。
そして、ローレンにはハッキリと分かった。
目どころか顔すらも視認することは出来ないのだけれども、確かに黒ローブはローレンを見下ろしている。
階段の踊り場からローレンの姿をジッと見つめているのだ。
まるで、時が止まったかのように数秒間、静止する二人の間には沈黙だけが流れていた。
そんな中で先に動き出したのは黒ローブだった。
黒ローブはローレンに対して何をするわけでもなく、何かを告げるでもなく、踊り場を介して百八十度に折れる階段の続きを上っていってしまったのだ。
「お、おい! 待て! 」
我に返ったローレンも急いでその姿を追った。
階段を登り切るとそこには一枚の扉があり、半開きの状態になっていた。
その隙間からは外の光と風が漏れ出している。やはり、この先は屋上なのだろう。
ローレンは一度息を整えてから、迷うことなくその扉を開けた。
「はぁ...はぁ...追い詰めたぞ。」
ローレンが見つめる先。高いフェンスで囲われた小さな長方形のスペースの真ん中に黒ローブは立っていた。
太陽の高いこの時間の屋外でもフードの中の顔は見えなかった。
まるで、そこに顔なんてものは無く、ただただ闇が広がっているのではないだいろうかと思えてしまう程だ。
それでもローレンは感じ取ってた。
『絶対に黒ローブは俺を見ている』
「どう考えてもデットエンド。大人しく俺と署で素敵な午後のティータイムを過ごすのが懸命だと思うよ。」
見渡す限りの唯一の出入り口である扉の前に陣取ったローレンは絶対にここを動くまいと脚に力を込める。
「
それは黒ローブの声だった。
声色から考えれば男の声だろうか。
黒ローブからの初めての反応に驚きと緊張がローレンを包んでいく。
「へー。残念だな。どうせなら女の子がよかったな。」
それを気取られないようにローレンは強い言葉で返した。
「いや。光栄な事だと思いな。『未来の王』に謁見出来たんだから。」