インヘリタンス・メモリーズ ―しらねの記憶―   作:蒼崎一希

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第一話

「――舞鶴鎮守府艦隊司令部、こちら第二艦隊旗艦神通。応答願います」

 執務机に鎮座する無線機が雑音混じりの聞き慣れた音声を発する。執務机の主の手が無線機のマイクに伸びた。

「神通、こちら舞鶴鎮守府艦隊司令部。どうした?」

「所属不明艦を発見しました。現在位置は島根県日御碕沖北東四十キロ。発見艦は一隻、我々の照会に対して『海上自衛隊しらね型ヘリコプター搭載護衛艦・しらね』と名乗っています」

 そのタイミングを見計らったように、何者かが執務室のドアをノックし名乗った。

「入って」

 無線機のスイッチから手を離し、ドアの向こう側で待つ相手を部屋の中に迎え入れた。

「護衛艦のしらね……、了解。彼女の今の状態は?」

「当初は現状を上手く把握できておらずオドオドとしていましたが、今は十分に落ち着いている状態です。我々の指示にも素直に従っています」

 部屋の中に入ってきた相手は、自然な立ち振る舞いで執務机の側に立ち、じっと無線内容に耳を傾けていた。主はその姿にちらりと視線を送ると、再び無線機のスイッチを押した。

「了解。ではそのまま彼女を連れて鎮守府に帰投して。帰投したらそのまま執務室に出頭よろしくね」

「了解しました」

 そこで無線通信は終了し、主は無線機のマイクを元に戻した。

「――所属不明艦でしょうか?」

 主の隣に立つ、紫に白い襟の制服をまとった長身気味の女性が声をかける。

「みたいね。海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦のしらね、と名乗ったそうだ。妙高、心当たりはあるかい?」

「ヘリコプター搭載護衛艦なら、はるな型の姉妹艦かしら?」

 主に妙高と呼ばれた彼女が、か細い指をあごに添える仕草を見せながら答える。舞鶴鎮守府の秘書艦を務める彼女のその仕草ひとつひとつが、彼女の理知的な印象をより強調して見せていた。

「はるな型? 金剛型じゃなくて?」

「――もう、本当に提督は忘れっぽいですね……。半年前に横須賀から演習に来た護衛艦姉妹、とヒントを差し上げれば……」 

「あぁ、思い出した思い出した、ごめんごめん」

 妙高から返ってくる言葉に、彼は少々オーバーなリアクションを添えて投げ返す。秘書艦であり、鎮守府の誰もが認める公私含めて彼と親密な関係にある彼女は、もう、と口ではわずかながらの不満のようなものを表明する。だが、その端正な顔立ちにコロコロと現れるコミカルな表情から、彼女は彼がわざととぼけて見せていることに気が付いていた。ありふれていて、そして平和だからこそ見られる、この部屋の日常である。

 そんな彼の名は追川尊。日本海の守護を司る舞鶴鎮守府の司令官だ。もうすでに四十を超えた、世間的に言えば中年の領域に入る男なのだが、その端正な顔立ちとしっかり絞られた体形からはその気配をまるで感じさせないこの男が、日本海の守りの要を司っている。

「――さて、と。新しい娘がやってくるとなると、こっちも色々と準備が必要だね。君から見て、そのはるなたちはどんな娘だった?」

 追川は椅子の背もたれに背中を預け天井へ視線を泳がせた後、妙高へと向けた。

「少なくとも彼女たちは、演習期間中に接していて感じた限りではとても素直で優しい娘、という印象かしら……。私たちとは艦艇として生まれた時代が全く違いますから、少し感覚の違いを感じることはありましたけれど……」

「大日本帝国海軍と海上自衛隊の違い、というわけだね」

 追川は立ち上がると執務机を離れ、壁沿いの棚に整理されているファイルの背表紙を目で追い、目的のものを探しはじめた。

「提督、よろしいですか?」 

 そこへ新たな来訪者の声がノックに続いてドアの外から響く。彼は背表紙を目で追い続けながら彼女に入室するよう声をかけた。

「失礼します。……何かお探しでしょうか? 提督」

 ドアを閉める音に続く訪問者の声に、追川はようやく背表紙を追っていた視線をそちらに向けた。黒い長髪に海色の瞳を縁取る黒縁のフレームのメガネ、そしてセーラー服をまとった女性が、胸元に書類の束を抱えて立っていた。

「あぁ大淀、済まないけど護衛艦のはるな型の資料はどこにしまっていたんだっけ……?」

「はるな型……、あぁ、横須賀に所属している彼女たちですね。彼女たちの資料ならここにはないので霞が関に問い合わせないと……。何かご入用ですか?」

 任務内容や、鎮守府と霞が関にある軍令部や海軍省との情報を管理している彼女、軽巡・大淀は、彼にとって非常に心強い参謀の一人である。

「えぇ、さっき第二艦隊の神通から通信が入って、護衛艦のしらねを保護したので鎮守府へ同行させるということだったから、せめて少しでも何か知っておければと思ってね……、あ、まずは書類から受け取ろうか」

 そこまで一気に口にしたところで、追川は彼女が胸に抱いている書類の束に気が付いた。

「佐世保からの東シナ海周辺で確認された新型の可能性ありとされる正体不明の潜水艦隊に関する報告書の第二報です。対馬海峡へ抜ける動きもあるということでしたので、しっかりと目を通していただければと」

「了解、この後目を通しておくよ。あ、悪いけれど、さっきのはるな型の資料、至急準備してもらえないかな? できれば十五時までに」

 大淀が腕時計に目をやる。もうすぐ正午を指そうとしていた。

「分かりました、早急に用意します。それでは」

 大淀は執務室を後にすると自らに与えられた執務室へ足早に向かっていった。

 追川もまずは大淀から手渡された書類に目を通しながら執務机に戻り、椅子に腰かけ再び書類に目を落とす。

「昼食、お持ちしましょうか?」

 大淀と話している間に決済が終わった書類の整理をしていた妙高が声をかける。

「うん、そうしてもらえるかな?」

 妙高が提出すべき書類を抱え、律儀にお辞儀をして部屋を出ていく。その姿を見送った追川はしばらく書類に目を通したところでふと何かを思い出した仕草を見せると、すぐに机の電話を取り上げ、ダイヤルした。受話器から漏れる呼び出し音が一度、二度、三度と続く。時間を考え、掛け直そうと受話器を戻そうとしたその時、呼び出し音が途切れた。

『はい、こちら戦史研究部米沢ですが』

「よかった、昼時だから捕まらないかと思った。あ、お久しぶりです追川です」

『――どなたかと思えば追川大佐でしたか。お久しぶりです』

 受話器を握る追川がわずかに身を乗り出すと言葉を続ける。

「あぁ、久々の電話なのに早速用件で申し訳ないんだけれど、ちょっと至急用意してほしい資料があるんだけれど……、いいかな?」

『随分とお急ぎのようですな、で、資料というのは』

 ちょうどそのタイミングで昼食を運んできた妙高がドアをノックする。追川は受話器を手で塞ぐと彼女を招き入れた。

「横須賀に所属しているヘリコプター搭載護衛艦のはるな型について……、わかる限りの情報を、大至急」

 

   ◇

 

 失礼します、という挨拶と共にドアの向こう側から見慣れた顔たちが次々と執務室の中へと入ってくる。第二艦隊の旗艦を務めていた神通を筆頭に、以下朝潮、満潮、大潮、荒潮の第八駆逐隊の面々が顔を覗かせる。荒潮に続いて入ってきた六人目の姿に、追川、そして妙高の視線が注がれる。

 神通とほぼ変わらない身長の、背丈の紺に白のツートーンのブレザーのような制服をそのスレンダーな身体にまとった彼女は、透き通るような腰まで届く長い銀髪を靡かせて、執務机目前に整列してみせた。緊張感を隠せないその柔らかな顔立ちにもう一度視線が行く。その相貌を緑と青、左右で異なる瞳の色が強調しているのが印象的だった。

「第二艦隊旗艦神通、以下第八駆逐隊四隻、艦隊演習を終え無事帰投いたしました。演習中の負傷を伴う事故はありません。なお、帰投中にヘリコプター搭載護衛艦『しらね』を保護、同行させて参りました」

「うん、みんな演習お疲れさま。とりあえず訓練詳細は後ほど報告書で上げてもらうとして……、神通、しらねとの遭遇時の状況をまずは聞かせてもらえないかな?」

 追川は机に両肘をつき、軽く身を乗り出しながら続きを待つ。

「無線でも報告いたしましたが、島根県日御碕沖北東四十キロ付近を私を先頭に単縦陣で航行中に、周囲の見張りをしていた朝潮が左前方で佇んでいた彼女を発見。念のために警戒しながら接近し、敵対行動などがなかったため、私が代表して接近し身元確認をいたしました。当初は自身が置かれている状況をよく理解できていなかったようですが、やがて落ち着いて、以後我々に随伴して舞鶴へ帰投いたしました」

「なるほど……。しらねがいた海域には深海棲艦はいなかったんだよね?」

「はい、目視でも、電探などでも反応は……」

 神通の表情が追川の一言を機にわずかに変わっていく。それは彼女の横に整列する第八駆逐隊の面々も同様だった。

「――うん、だいたいの状況はわかった。では現時刻を以って神通以下五隻は第二艦隊を離脱。以後は非番とする。何か質問はあるかい?」

 追川が居並ぶ面々を見渡す。この場の空気に未だ馴染めていないしらね以外はごく平静な顔に戻っていた。

「それでは解散」

 敬礼後きれいな右向け右で退出していく神通たち。しんがりを務める荒潮が恭しく一礼をしてドアを閉める。ひとり残されたしらねの視線は、追川と妙高、そして追川の背後に見える舞鶴の海の景色との間を行ったり来たりし続けていた。

 

「――それじゃあ、まずは自己紹介、いいかな?」

 ほんの少し、だったのか十分すぎる間だったのか判別のつかない時間が流れたところで、デスクに陣取るこの部屋の主が優しく口火を切った。

「え、あ、はいっ。海上自衛隊しらね型ヘリコプター搭載護衛艦、一番艦のしらねと申します。えっと……、その……、よろしくお願いいたしますっ!」

 何をどう伝えればいいのか見当もつかないといった様相の自己紹介を済ませ、彼女が深々と一礼して見せた。

「よろしく、しらね。僕は舞鶴鎮守府司令官の追川、そして彼女が私の秘書艦の……」

「重巡・妙高です。よろしくね、しらねさん」

「よ、よろしくお願いいたしますっ」

 妙高の末妹・羽黒が初めてここに着任したときを彷彿とさせる彼女の何度も深々とお辞儀をする姿に、ふたりは思わず苦笑いをこぼしてしまう。

「しらね、君には今日からここ舞鶴鎮守府に所属してもらい、艦娘としてこの日本海をはじめとして、数多の海の平和を脅かす敵、深海凄艦と戦ってほしいんだが……、って突然言われてもよくわからないよね」

 追川は席を立ち、窓際に立つと穏やかに広がる春の海に視線をひと時移すと、しらねの前まで歩み寄り、応接セットの方を指さした。

「じゃあ、まずは簡単なお勉強といこうか」

 追川は爽やかに微笑むと、しらねを応接セットへと促した。

 

「――というわけなんだが、理解は追いついている?」

「えっと、この世界は私が護衛艦だった時とは別の世界で、深海棲艦という敵が世界中の海を荒らしていて、私たちではないと深海棲艦とは戦えない……、という理解でよろしいのです、よね?」

 追川の説明に、しらねは先ほどよりはいくぶん落ち着いた表情を見せて言葉を返した。

「そういうこと。我々は君たちがいなければこの世界で生き残ることができない。突然こんなこと言われて戸惑うと思うんだけど、君たちの力を是非とも貸してほしい」

 そういうと追川が頭を下げる。司令官というよりも、ひとりの男としての誠実な姿のように、しらねには映っていた。

「――わかりました、私、どれだけお力になれるか分かりませんけど、精一杯がんばります」

 艦娘としての宣言を口にするしらねの表情に、どことなく力がみなぎっていくのを、追川は感じ取っていた。

(生まれた時代は違っていても、そこはやっぱり、艦娘というわけ、か……)

「ありがとう、しらね。それでは現時刻を以って、ヘリコプター搭載護衛艦しらねの舞鶴鎮守府着任を承認する。改めてよろしく、しらね」

「はい、よろしくお願いいたします、追川司令!」

 しらねの元気な声が部屋中に響く。先ほどまでの心配事は、もう必要なさそうだった。

「よし、僕はこれから君の着任に必要な手続きを済ませておくから、妙高、彼女に鎮守府内を案内してあげてくれないかい?」

「承知しました。ところで提督、この子のお部屋は……?」

 執務机の引き出しを開けて書類を取り出したところで、追川はハッとした表情を見せると慌てて棚からファイルを取り出しページをめくった。

「えーっと……、重巡寮の鈴谷と熊野の部屋の隣が空いているな……。しらね、ひとり部屋になるけど大丈夫かい?」

「はい、私は特に差支えは……」

「よかった、それじゃあしらねの部屋はそこで。それじゃあ妙高、悪いけどあとはよろしく頼むね」

「はい、それじゃしらねさん、行きましょうか」

 妙高に連れられ、しらねは執務室を後にする。退室前に一礼しようとした瞬間、書類に落としていた追川の視線が上がり、ニコリと笑顔を形作った。しらねの脳裏に妙に印象に残る、笑顔だった。

 

   ◇

 

 遠く日本海に沈んでいく夕陽の茜色をかざした掌越しに眺めながら、私しらねは鎮守府の岸壁沿いを歩いています。

「春になって、だいぶ日が長くなってきたわねぇ……」

 先導する妙高先輩が私の視線の向かっている方向に気が付いて、同じく手をかざしながら夕陽を見つめていました。舞鶴鎮守府にやってきた早々執務室への出頭を求められていた私は、今こうして今後生活することになるであろう鎮守府内を説明してもらっていたのです。建造用、または修復用のドックに艤装専門の工廠や訓練用の設備、さらには食堂や酒保、図書館やトレーニングジムといった各種多様な施設を紹介してもらっているうちに、西に傾いていた太陽は水平線の彼方へと沈もうとしていました。

「鎮守府内の説明は、今日は時間が時間だからこのくらいかしら。詳しい説明はまた明日にして、最後にあなたのお部屋に案内するわ」

「はい、わかりました」

「本当は最初にお部屋に艤装を置いて身軽になってからと思ったのだけれど、私が忙しいばかりに……、ごめんなさいね」

 申し訳なさそうに頭を下げる妙高先輩に思わず全力で気にしないで欲しいという意思表示を示していたその時、

「あれ、妙高、その子は新入りかい?」

 私の背後から聞き覚えのない快活な声が聞こえてきました。

「あら最上、演習帰りかしら? 紹介するわね、今日着任したヘリコプター搭載護衛艦のしらねさんよ。彼女は航空巡洋艦の最上よ」

 よろしくお願いします、と一礼した直後、私のある一点に最上先輩の視線が注がれているのを感じました。視線を追いかけたその先には、肩からベルトで提げているヘリ甲板がありました。

「ねぇ、その肩から提げているのって、もしかして飛行甲板?」

「え。は、はいっ、そうですけれど……」

 甲板裏面についているグリップを握り、私はその甲板部分を胸の前まで持ちあげてみせました。

「じゃあボクと似たようなことができるんだね。僕もホラ」

 そういうと最上先輩が後ろで組んでいた手を解き、左腕を私に向かって差し出して見せてくれました。そこには橋げたのような形をしたカタパルトと思われる構造物の上に固定された水上機の姿がありました。

「――ところで君の甲板にはカタパルトがないけれど、一体何積んでいるんだい?」

 さらに甲板に顔を近づけてしげしげと観察する最上先輩が、ふとそんな質問を投げかけてきました。

「はいっ、対潜哨戒ヘリのSH―60Kを積んでいます」

「――対潜哨戒ヘリ? えすえいちろくじゅうけい? うーん、ボクの知らない機体だなぁ」

 首をかしげる最上先輩。どうやら、私たちが使っている装備については詳しくない様子です。

「ねぇ、今度もっと詳しくその対潜哨戒ヘリ? について教えてよ! その装備について、ボクすごく興味あるし」

「あら、この子の部屋、鈴谷たちの隣の空き部屋なのよ」

「え、そうなのかい? それなら是非ともボクの部屋に遊びに来てよ、三隈もきっと歓迎してくれるから。あ、三隈たちが待ってるからボクそろそろ行かないと! じゃあね、しらねちゃん!」

 私、というよりも私の装備に興味津々の様子の最上先輩はそう言い残すとそそくさと立ち去っていったのでした。

「――行ってしまいましたね」

「でもよかったわね、気の合いそうな仲間が早速できたわよ」

 妙高先輩のその言葉で私はハッとしました。これまでの様子から察する限り、ここには私と同じ境遇の仲間、つまり護衛艦はいないみたいです。それを考えたら……、

「――はいっ」

 まだ分からないことだらけですが、私しらね、少しホッとできました。

 日本海の夕陽が、沈んでいきます。怒涛の鎮守府生活初日が終わりを迎えつつありました。

 

   ◇

 

「妙高、ただいま戻りました」

 完全に夜の帳が訪れた頃、妙高は執務室へとようやく戻ってきた。追川は掛けているフレームレスのメガネのブリッジをツイと押し上げながら、手元の書類に真剣に目を通しているところだった。

「あぁ、案内役お疲れさま」

「これは、はるな型の資料かしら?」

 いつものように執務机の側に立った妙高が彼の手元に視線を落とした。

「大至急霞が関の軍令部と目黒の戦史研究部から資料を送ってもらったんだ。改めて目を通してみると、やはり君たちよりだいぶ後になって建造・運用された艦艇だってことがよくわかるよ。設計思想も装備の技術もだいぶ違う」

 妙高は差し出された資料を手に取ってパラパラと目を通す。

「読んだ限りだと、超高性能に改良して、なおかつ対潜戦闘能力を強化した最上型……、といったところかな」

 まさにハイパーもがみん、と勝手につけたしらねのニックネームに思わず妙高がくすくすと笑い始めた。

「そのハイパーもがみんさんなら、本家もがみんとすでに仲良くなっているわ」

「お、早速仲間ができたのかい? それは頼もしい限りで」

 追川は妙高が返した書類を受け取ると、優しく微笑んだ。

「今後、軍籍登録が正式に完了すれば演習も必要になりますし、ひとつ彼女を実戦教官に据えてみてはいかがでしょうか」

「うん、その点なんだけどね。これ、まだ見せてなかったから」

 追川は書類を机に置くとその隣に置かれていたもう一束の書類を彼女に手渡した。

「ここ最近敵の新型潜水艦と思われる不明艦の目撃情報が上がっているのは知っているよね。横須賀、呉に続いて佐世保からの第二報の行動の項目なんだけど……」

「――対馬海峡を北上し抜ける動きアリ、ですか」

 書類に目を通していた妙高の表情がわずかに曇る。敵潜水艦、しかも新型の可能性ありともなれば、今後の航行にさらなる細心の注意を払う必要がある。

「我々もできうる限りの対潜哨戒能力を育成して備えてはいるが、正直能力はいくらあっても足りることはないだろう? それを考えれば、できればしらねには一刻も早い実任務就役を果たしてもらいたい」

 追川はそこで一旦言葉を区切り、ブラックのコーヒーを口に含んだ。

「そこでなんだが、横須賀からはるな型のどちらかを派遣してもらって教官を務めてもらおうと思っているんだ。護衛艦やその装備について決して明るいとは言えない我々が指導をするよりはるかに効率的だからね」

「それは確かに提督のおっしゃる通りですが……、彼女たちは他の鎮守府や霞が関から頻繁に派遣要請を受けて各地を飛び回っているようですが……、要請を受けてもらえるでしょうか」

 妙高の指摘ももっともだった。半年前に演習で舞鶴を訪問した彼女たちは、演習直後に佐世保からの要請を受け、母港に戻る暇もなく西へ旅立っていったほどに重用されていたのだ。

「そこはまぁ、横須賀や霞が関との調整次第だけど、横須賀側にも霞が関側にとっても悪い話ではないと思うよ、しらねが就役すれば、少なくとも日本海側の対潜哨戒については横須賀の負担が軽減できるし、対応開始の所要時間も短縮される」

「そうおっしゃられるのなら、提督にお任せいたしますわ」

「うん、ありがとう」

 鎮守府としての意思決定においてある程度影響を与える秘書艦の意見を聞いたところで、早速彼は机の電話機のダイヤルを押し、受話器を上げた。呼び出し音が数回鳴ったところで、受話器から相手の声が漏れてきた。

「夜分遅くに失礼。舞鶴鎮守府司令の追川です」

 

「――はい……、はい、承知しました。ではこちらも調整次第折り返し連絡するということで、はい……、はい、えぇ、それでは」

 同時刻、横須賀鎮守府提督執務室。この部屋の主である江口勇樹大佐が受話器を本体へ戻す。そして、やれやれ、と一言漏らしながら、電話機の横に置かれたインターホンのボタンのひとつを押した。

「金剛、すまないがはるな型の任務予定表を執務室まで持ってきてもらえないか」

『了解デース! また他所からの要請デスか?』

「あぁ、そういうこと。あと大淀も呼んできてくれ。早速スケジュール調整を済ませたいから」

『OKネ! すーぐそちらへ向かいマース!』

 いつも通りの秘書艦・金剛のハイテンションボイスが途切れたところで江口はデスクから離れ、執務室内を歩く。執務室の壁には何枚もの写真が飾られている。青葉が撮影した無数の写真の中から金剛がセレクトしたもので、毎年少しずつその数は増加の一途をたどっていた。

「新しいヘリコプター搭載護衛艦、か……。これで少しはふたりに楽をさせてやれるだろうか」

 その中の一枚、護衛艦はるな、そしてひえいが揃って就役した直後に撮影された写真の前で立ち止まり、江口はしばらくその写真を眺める。就役直後の初々しく、まだあどけなさの残るふたりの表情が、江口には懐かしく感じられた。そんな姿での就役からもうすぐ四年、あどけなかったあの頃のふたりはもうすでに立派な横須賀が誇る艦娘の要のひとりとなっていた。

 そこへ威勢のいいノックの音が響く。江口はその音に応答すると応接セットのほうへ歩いていったのだった。

 

   ◇

 

『――より達する。本艦に海上警備行動が発せられた、総員、与えられた任務を――――』

 これは……、いつのことだっただろうか?

『――撃ちぃ方はじめぇ! 用意、撃てぇ!』

 私、こんな任務に就いていたかしら……?

『――おい、網を、転落防止ネット持ってこい!――』

 ――こんな光景、覚えがない……。

 これは、一体……?

 

「――――夢?」

 次の瞬間、耳に響く聞き慣れた調子の起床時間を告げるラッパの音色。そこは昨夜から過ごすことになった、自身に与えられた部屋のベッドの上でした。私はベッドから抜け出してシーツや布団をきれいに整えてから、クローゼットを開いて制服を取り出し、寝間着から着替えます。慌ただしい身支度を整えたところで私はドアを開けて廊下へ躍り出ます。

「あっ、おはよ、しらね」

「あら、おはようございます」

 ちょうど同じタイミングで廊下に顔を出したお隣の住人である重巡の鈴谷先輩と熊野先輩に声をかけられました。

「おはようございます、鈴谷先輩、熊野先輩」

「おーい、急がないとラジオ体操始まるよー」

 丁寧にお辞儀で挨拶しているところに、すでに先を歩いていた最上先輩が声をかけます。

「それじゃ私たちも行こっか」

「はいっ」

 私も鈴谷先輩たちの後に続いて最上先輩を追いかけます。目覚めの夢は変でしたが、今日からいよいよ本格的な鎮守府生活のスタートです。徐々に白んでいく景色をくりぬく廊下突き当りの窓目がけ、私はほんの少し強く、一歩を踏み出しました。

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