インヘリタンス・メモリーズ ―しらねの記憶―   作:蒼崎一希

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第二話

「皆さん、どうかよろしくお願いいたします」

 全員が朝食を終えたところで、鎮守府内の講堂には所属する艦娘のうち、遠征や休暇でいない人たちを除いた全員が集まって、壇上に立った私のことを見つめています。舞鶴鎮守府正式着任が承認されたということで、早速自己紹介の機会がやってきたのです。

「みんな色々な意味で初対面で慣れなかったりするかもしれないけれど、どうか優しくしらねを迎えてあげてほしい」

「――大丈夫?」

「――はいっ、なんとか……」

 自己紹介を終えて壇上から引き揚げ、演壇の脇に立っていた妙高先輩の横へ戻ると、先輩が優しく声をかけてくれました。つい先ほどまで私がいた檀上では、私の横に並んでいた司令がマイクの前に立って訓示を続けていました。私は司令の顔から視線を外して、ずらりと並んで話を聞いている艦娘の皆さんの横顔を見やります。つい先ほど瞳に焼き付けてきた、たくさんの先輩の顔が改めて浮かんできます。優しそうな顔の人もいれば、どんな人なんだろう、という心配が浮かんできてしまう顔の人も……。

「いっぱい、いらっしゃるんですね……」

「そうね、ざっと一〇〇人くらいいるかしら。……心配しなくても大丈夫よ、生まれた時代は違っても、みんな同じ艦娘であることは一緒だもの」

 決して表情や声色に出したつもりはなかったのですが、私の心配は妙高先輩には筒抜けのようでした。

「それではこれで臨時の全体朝礼を終わります。全員、今日も一日、気を引き締めて」

 司令の訓示が終わりました。最後の『気を引き締めて』の一言に合わせて、全員が敬礼を司令に送ります。『終わります』の言葉に合わせて敬礼を返してしまった私は、一度降ろした手を慌てて上げて、もう一度敬礼をしてみせました。

「今日から座学が始まるんでしょ? お勉強、しっかりね」

 三々五々散っていく艦娘の皆さんに合わせるように退出しようとしたところで、再び妙高先輩に声をかけられました。

「――はいっ」

「ところで、教室はどこにあるかはわかっているかしら?」

「ご安心ください、昨日いただいた鎮守府内地図はある程度覚えましたから」

 改めてその内容を思い出しながら、私は自信を持ってそう答えます。

「ならいいの。それじゃあ、いってらっしゃい」

 優しく妙高先輩に送り出され、私は軽やかな足取りで講堂を出ると、教室などがある教育棟と名付けられた施設へ足を向けます。

 新生活、いよいよスタートです。

 

   ◇

 

「今日から新任訓練課程で主に講師を務めます、妙高型重巡洋艦、羽黒です。よろしくおねがいしますね、しらねさん」

 時計の針が予定時間を指したところで、教壇に立った羽黒先輩の丁寧な自己紹介で、講義が始まりました。

「あの、羽黒先生!」

「はいっ、なんでしょうか?」

 私は早速挙手をして質問を投げかけます。

「これだけ教室が広いのに、その……、どうして私だけなのでしょうか……?」

 最前列の最も中央の席から、右を見ても、左を見ても、そして後ろを見ても、誰一人として仲間が見当たりません。

「実は、ですね。三月までは訓練課程を何人かの新任の子が受けていたのですけど、皆さん無事に訓練課程を卒業して就役しちゃって、四月からの訓練課程、今のところしらねさんひとりだけなんです」

 羽黒先生が申し訳なさそうに小さな声でごめんなさい、とこぼします。

「でも、一対一の分、私が頑張って教えますから、一緒に頑張りましょうね、しらねさんっ!」

「はいっ、よろしくお願いします!」

 私の回答に羽黒先生の顔が屈託のない笑顔で彩られます。この先生なら、ちょっと私も安心できそうです。

「それでは、授業を始めましょうっ」

 

「――私たち艦娘は法的には『特種自立艦艇』と呼ばれていて、艦娘として正式に活動するためには『軍籍』、人間で言うところの戸籍を作って、軍令部の中にある軍籍の情報を管理する機関に登録をしてもらう必要があるんです。しらねさん、先ほど提督から身分証をいただいたと思うんですけど、ちょっと出してもらっていいですか?」

「え、あ、はい……、これでしょうか?」

「その中に『軍籍管理番号』というところがあると思います。アルファベットのSIS‐DJで始まっていると思いますけど、その番号ができて初めて私たちは正式に艦娘として活動ができるようになるんです。ではこれから、私たち艦娘にとって大切な万国共通のルール、『長崎条約』についてお勉強していきますね。それでは教科書の一五ページを開いて――」

 

「――――気になるのは妹のほうかな? それとも後輩のほうかな?」

 背後から唐突に飛び出してきた追川の声に、妙高はすんでのところで変な声を上げるのをこらえ、振り返る。そこにはいたずらっ子のような笑顔を浮かべる追川の姿があった。

「……提督、一体いつからそちらに?」

「それほど前からじゃないけど……」

 追川は先ほどからのいたずらっ子っぽい笑みを絶やさずにそういうと、今度はその視線をドアの窓越しに教室の中へと向けた。

「うん、講師も生徒も雰囲気よさそうだね。確かに羽黒は訓練課程を受け持つようになってまだ日が浅いけど、新任の子たちの座学の考課を見る限りでは指導に問題はなさそうだし、信頼関係も見える限りでは問題なし。――君の妹なんだから、そんなに心配しなくていいと思うよ。しらねだって今日が訓練課程の初日なんだ、昨日ああいったものの、まずはゆっくり様子を見てもいいんじゃないかな」

 追川はそういうと窓の側から離れた。

「さ、秘書艦は秘書艦の仕事をしないと、妹たちに示しがつかないぞ?」

「――そうですね、すみません、提督」

 追川の言葉で、妙高の表情が心配性な姉のそれから秘書艦のそれに切り替わる。ふたりは教室の側を離れ、教育棟の入り口へ続く階段へと消えていった。

 

 

 午前中の座学が終わったところで、講師役の羽黒先輩が所定の遠征任務に出撃するため訓練は自主活動ということになりました。羽黒先輩の『ごめんなさいっ!』を全力で宥め遠征に送り出した私は、昼食の後に昨日妙高先輩に案内された場所のひとつであるトレーニングジムの存在を思い出しました。

「そういえば、長期間の航海に出た時には、乗組員の方も時間があればトレーニングとして甲板をジョギングしていましたわね」

 今はこうして人の身体に生まれたのなら、人の身と同じようなことに気を遣わないと。

 そう思った私は昨日手渡されて頭に叩きこんだ地図を頼りに、その足をジムへと向けたのでした。

 

「はぁ……、はぁ……、はぁ……」

 ランニングマシンのタイマーが設定された時間が経過したことを告げたところで、クールダウンを終えた私はランニングマシンから降りて、壁際に置かれている給水器へと息を弾ませつつ歩み寄ります。

「――あぁ、君が昨日着任したしらねか」

 給水器の側に置かれた紙コップをひとつ手に取り、機械から水を注ぎ始めたところで落ち着いた声色が背後から聞こえてきました。

 半分ほど水の入ったコップを手にくるりと振り返ると、そこには黒いインナーの上から白地の和装を身にまとった女性が立っていました。

「あ、あの……」

「あぁ、名を名乗っていなかったな。航空戦艦の日向だ、よろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「早速鍛錬か、いい心がけだ。だが――」

と言ったところで日向先輩が私の身体を頭のてっぺんからつま先まで一頻り見つめ、

「朝礼で見かけた格好と全く変わらないが、その、ジャージなどは持っていないのか、君は?」

 日向先輩が手にしていた手提げから緑色のジャージを取り出したうえでこう投げかけてきました。

 そう言われたところで私は改めて周囲を見回します。平日の昼下がりのため数は多くありませんが、何人かの先輩たちがトレーニングに励んでいる姿が目に入りました。

 もちろん、誰もがジャージやタンクトップといった動きやすそうな装いで。

「その、お恥ずかしいお話なのですが、まだ着任したばかりで、この制服と妙高先輩に頂いた寝間着しか着るものを持っていないもので……」

 そう大先輩に告白していたら、なんだか途端に物凄い恥ずかしさが湧き上がってきました。

「そうか、妙高も気が利きそうで利かないな。よし、そうだ」

 そういったところで日向先輩が手にしていたジャージを私に差し出してきました。

「少し君には大きいかもしれないが、これを使うといい。そのままだとこの後ずっと汗臭いまま過ごすことになる」

「――いいのですか」

「なに、私は部屋に戻れば他にも着るものはあるからな。ついでにその制服を洗濯に出してくるといい。その様子だと制服もまだ一張羅だろうし」

「ありがとうございます!」

 大先輩の好意に、ここは素直に甘えることにします。

「せっかくだ、着替えと洗濯から戻ってきたら付き合おう、君の鍛錬に」

 護衛艦のお手並み拝見だ、そういって、大先輩は穏やかに笑ったのでした。

 

「ところで、君の『艦』としての母港はどこだったんだ?」

 約一時間ほどのトレーニングを終えて休憩に入ったところで、ベンチに腰を降ろした私に日向さんが質問を投げかけてきました。

「就役したときは横須賀でしたが、最後の五年ほどは後輩に横須賀を任せて舞鶴を母港にしていました」

「そうか……、艦としての最後の母港が舞鶴で、艦娘として最初の母港が舞鶴か。縁とは不思議なものだな」

「不思議な縁と言えば、その横須賀の港を任せた後輩の名前が、実は先輩の名前を襲名した『ひゅうが』なんですよ」

 日向先輩のその言葉に、齢も離れた私よりもはるかに大きくて優秀な後輩の姿を思い浮かべました。

「そうか、私の名を襲名した艦がいることは横須賀にいる君と同じ護衛艦の『はるな』や『ひえい』から聞いていたが、そうか、君の母港を託した後輩になるのか……。本当に奇縁とはこのようなことを言うのだな」

 日向先輩の何気ない言葉に、私は手にしていた水の入った紙コップから視線を先輩へと向けました。

「はるなさんやひえいさんも、こちらにいらっしゃるのですか⁉」

「それも提督から聞いていなかったか、あぁ、横須賀所属で事あるごとに各地を飛び回っているそうだ。まったく妙高といい提督といい説明が足らないな……」

 日向先輩はやれやれ、といった表情を浮かべつつ手にしていた紙コップの水を一気に飲み干します。

 仲間がいる。

 歴史の一ページとしてしか知らなかった大先輩だけでなく、かつて共に海を駆け抜けた仲間がいる。それは、艦娘としてこの世に二度目の生を受けてからこれまでの間で、最も私の心をホッとさせた情報でした。

「さぁ、休憩もほどほどにしてもう一鍛錬といこうか」

 日向先輩が手にしていた紙コップをごみ箱に投げ入れ立ち上がった。

「君も舞鶴を母港にしていたなら言われなくても身に染みていると思うが、冬の日本海は怖い。艦だった頃は乗組員のおかげであの海に耐えられたが、艦娘は進んで鍛えなければ、海に負ける」

 日向先輩は上腕に力こぶを作ってみせながらそう語ります。

「横須賀の『はるな』や『ひえい』も日々鍛錬を積んで、今では他の鎮守府や泊地からも呼び声のかかる横須賀の主力だ。君も何をするべきか……、もう説明はいらないな?」

「はい!」

「よし、始めようか」

 同じ海を走り、同じ母港で顔を並べた仲間、いえ、従姉と呼ぶにふさわしい存在が、同じ海にいるのなら。

 私は日向先輩から借りたタオルでもう一度汗を拭って、トレーニング器具へ向かう日向さんの後ろをついていったのでした。

 

 

   ◇

 

『――司令、ヘリからの偵察報告によれば、第十雄洋丸の右弦側に火災による外板の脱落が認められます! 船体の強固な装甲構造を考えれば、目標右弦側を当艦『はるな』を旗艦として単縦陣で航行し、目標右弦側へ砲撃を集中させ、まずは中に積載されている可燃物を一刻も早く燃焼させてしまうことが肝要かと思われます!』

――当艦、『はるな』?

『第一斉射、予定通り一三四五(ひとさんよんご)変更なしッ!』

『五十一番ッ、五十二(ごじゅうふた)番ッ、二百七十(ふたひゃくななじゅう)度、仰角三十度ッ、発動用意ッ、発動!』

主砲が旋回していく。主砲の先にあるのは、燃え盛る大きな船。

『第一斉射ッ! 発射用意――、撃てぇッ!』

 放たれていく五インチ弾、着弾と同時に上がる炎の柱。炎に呑み込まれていく船体――。

『硬い……ッ!』

『この堅牢さ、まるであの『大和』のようだ――』

 艦橋で双眼鏡を携えて、燃え盛る巨大な船体を力のこもった眼差しで見つめる司令官、艦長、副長……。

 いずれも、私の知らない方ばかりが……。

 

「――――夢?」

 目が覚めれば、そこは新たに艦娘としての母港となった舞鶴鎮守府の重巡艦娘寮の自分の部屋でした。

 結局午後いっぱいずっと日向先輩に付き合ってもらいトレーニングに明け暮れた私は、夕食を摂ってお風呂に入り、寝間着に着替えて横になった次の瞬間には眠りに落ちるほどには疲れていた、はずでした。

 壁に掛けられた備え付けの時計は深夜二時過ぎを指していました。私は未だに引きずる不可思議な夢の中身と疲れの取れ切れていない身体を起こし、ベッドに腰掛けました。

「第十雄洋丸――、確か、はるなさんが出動した火災事故で砲撃で処分した船名、でしたよね……?」

 なぜ、私ではなくてはるなさんが経験した出来事を、こんなに鮮明に夢に見たのでしょうか?

 私はあくまであの事件については知識としてしか知らないし、何より……、

「あの事件は、確か私が生まれる前の出来事……、でしたよね……?」

 どうして私は、まだ私がこの世に存在すらしていなかった頃の他艦(たにん)の出来事を、こんなにも鮮明に夢に見れるのでしょうか……?

 あまりにも不可思議すぎる出来事に引っ張られる意識を睡眠に向けて、疲れているのだから、と自身に言い聞かせて横にはなってみたものの、結局私はそのまま、眠りに就くことができませんでした。

 

   ◇

 

「――先ほど、自身の技量、砲威力などを考察して、その結果敵への攻撃効果を予期できる距離まで接近できていれば、砲撃戦へ突入するタイミングは敵攻撃前でも後でもどちらでも関係ありません、という風にお話しましたし、敵の戦力を先制して削れるなど先制攻撃は決して悪い事ばかりではありませんが――」

 あの夢を見た夜から数日後、私は今日も羽黒先輩による座学を教室で受けています。今日は戦術概要の講義で、今は砲戦術の講義なのですが……、

「先制攻撃は何も必須というわけではありませんし、むしろ古来より海戦では先制攻撃を始めた艦隊が戦闘に敗北した事例はとてもたくさんあるんです――」

 黒板に丁寧な図解を紐解きつつ砲戦についての概論を羽黒先輩は説いているのですが……、

「では、どうして一見有利に思える先制攻撃を始めた方が負けてしまったのか、しらねさん、わかりますか? ――しらねさん? しらねさん?」

「――ふぇっ⁉」

 気が付けば、私の顔を間近で心配そうにのぞき込んでいる羽黒先輩の姿がありました。

「あの、大丈夫ですか? どこか身体の具合でも悪いんですか?」

「だ、大丈夫です! こちらこそ講義を聞いていなくて申し訳ないです……」

「あの、本当に、本当にどこか具合が悪かったりしませんよね? 艦娘になってまだ日も浅いですし、無理は絶対にしないでくださいね?」

「大丈夫です、本当に大丈夫ですので! それよりすみません、もう一度質問の内容を……、よろしいですか?」

 本当に心配そうな表情の羽黒先輩にこちらこそ何度も頭を下げて、私は改めて講義に意識を集中させようとします。

 あの夜以降、あの不可思議な夢を毎晩見るようになりました。私の知らない景色、私の知らない艦、私の知らない任務の数々……。

 その夢が気になれば気になるほど映像は鮮明になっていき、その代償として眠りはどんどんと浅くなっていくのでした。

 

『――艦長より総員に達する。先ほど、本艦は長官より『部隊の取るべき措置標準』の命令書を受領した。本艦はこれより、『みょうこう』ならびに『あぶくま』と共に、逃亡を続ける不審船に対し無線及び発光信号にて停船命令を実施、それに応じない場合は各艦の速射砲において警告射撃を行う。各員、日頃の訓練の通り――』

『おい、『部隊の取るべき措置標準』って――』

『あれだよ、いわゆる他所の国の軍隊で言う『交戦規程』ってやつだよ』

『マジかよ……』

 夜の海を走る中、主砲の管制部署で乗組員が緊張感をみなぎらせながら会話を交わしています。

 不審船、交戦規定、警告射撃――。

 これは……、あの不審船事件の時の光景……?

 まただ、また『はるな』の記憶を今見ている……。

 気が付けば、そこはこれまでと同じ寮の自室、ベッドの上でした。

 どうして。

 どうして私は『はるな』の記憶ばかりを夢に見るの……?

 私は、私は『しらね』のはずなのに――。

 結局、その夜も私はほとんど満足に寝付くことができませんでした。

 

   ◇

 

 翌日、しらねは艤装を纏い洋上を進んでいた。教養と体力は確かに必要だがいつまでも座学や体力作りばかり続けているわけにもいかないという提督の判断で、この日は出撃中の羽黒に代わり愛宕旗艦の艦隊の中に入って基本的な艦隊行動の演習に従事していたのだった。

「気合入れて行かないと……」

 しらねは身体の芯に感じる疲れを振り払うべく頬を叩くと、愛宕の背後、規定の距離をしっかりと維持しつつ比較的穏やかな日本海の海を進んでいった。

 

「さぁて、一旦止まって私のところに集合~♪」

 訓練開始からしばらくしたところで、旗艦の愛宕が艦隊を組む各艦に号令を掛ける。

「しらねちゃーん、ちゃんとついてきていますかぁ?」

 残りの艦が各々返答する中、しらねの声だけが聞こえなかったことに気が付いた愛宕が振り返ると、

 ぼよんっ。

 明らかにそのような擬音が聞こえそうな勢いで、心ここにあらずと言った表情をしたしらねが愛宕の胸へ飛び込んできた。

「――ふあっ⁉」

 愛宕の豊かな胸に半ば埋もれてしまったしらねがなんとも間の抜けた声を挙げる。

「し、しらねちゃん?」

 愛宕もあまりに予想外だったのか自身の胸部装甲にめり込んでしまったしらねの肩を掴んで慌てて引き離す。

「大丈夫? 何だか心ここにあらずって顔をしていたように見えたけれど……」

「す、すみません愛宕先輩! 本当にすみません!」

「本当に大丈夫? なんだか少し顔色が悪く見えるわよ?」

「大丈夫です! 本当に大丈夫ですから!」

 顔を寄せて明らかに心配な表情を見せる愛宕に、しらねは半ば意地になって大丈夫と言葉を返す。

「本当に大丈夫?」

「本当に大丈夫ですから!」

「しらねちゃんが大丈夫っていうならいいけれど……、もう、訓練でもちゃーんと集中してなくちゃだめよ?」

「はい、申し訳ありませんでした……」

『もしかして……、しらねちゃんのこと一度妙高ちゃんに相談したほうがいいのかしら……?』

 明らかにしゅんとした表情を見せるしらねの姿に、愛宕がそのような心配を抱いてしまうのも無理はなかった。結局その後も艦隊行動演習は続いたが、艦隊を解散して帰っていくまで、しらねの表情が晴れることはなかった。

 

   ◇

 

『こちらHMS『アーガイル』、『トキワ』ならびにエスコートを担当してくれた『サワカゼ』そして『ハルナ』、貴艦らの補給支援活動に感謝する。日本艦隊のこの後の航海の無事を祈る』

 艦隊行動演習で先輩に対して大失態を犯してしまったその夜も、私はまた『はるな』の記憶を夢に見ていました。

 知らない海、知らない任務、そして知らない異国の艦。

『こちら護衛艦『はるな』。こちらこそ貴艦のご安航を祈る。どうか無事に母港へ帰港されたし』

 アーガイルと名乗った艦のマストに『ご安航を祈る』を現すUWの信号旗が掲揚され、こちらのマストにも返礼としてUW1の信号旗が掲揚される。

 この光景は間違いない。

 これは、インド洋での『はるな』の記憶だ。

 私がついに経験することのなかった、あのインド洋派遣任務の記憶。

 洋上補給を終えた艦が舵を切り、ゆっくりと艦隊から離脱していく。ゆっくりと小さくなっていくその艦影を、甲板に立つ乗組員がいつまでも手を振り見送っていました。

「――また、『はるな』の夢を……」

 次に気が付いた時は、やはり今までと同じく夜更け過ぎの私の部屋のベッドの上でした。

 私は重たい頭を抑えながらベッドを抜け出すと、机の上に置いていた私の身分証を手に取っていました。

 舞鶴鎮守府所属。艦種・しらね型ヘリコプター搭載護衛艦。

 艦名・しらね。

 自身のものであるはずの『しらね』という名が刻まれた部分を指でなぞりつつ、私には、それがよくわからなくなり始めていました。

 私は、本当に『しらね』なのでしょうか。

 もしかして私は、本当は『はるな』なのでは……。

 脳裏をよぎった不安と疑問を、羽黒先輩が座学で説明していたある内容が補強していきます。

 艦艇だった頃とは違い、艦娘の今は同じ『艦名』、そして同じ『前世』を持つ存在が存在するということが。

 私は力なく椅子の上に腰を降ろして、頭を抱えたまま机に突っ伏すことしかできませんでした。

 結局、この夜も私はほとんど眠ることができませんでした。

 

   ◇

 

 翌朝の朝食の時間、最上は姉妹艦の三隈・鈴谷・熊野、それにしらねを誘い食卓を囲みいつも通りに朝食にありついていた。

 普段と変わらずに他愛のない会話に花を咲かせる鈴谷と熊野の話に相槌を打っていた最上は、相槌さえもうたない五人目のことにふと気が付いた。

「――しらねちゃん? ねえしらねちゃん? しらねちゃんってば!」

「――はっ! あ、最上、せんぱい……?」

 右手に箸を、左手にご飯茶碗を持ったまま、文字通り魂が抜けてしまったようにあらぬ方向に定まらぬ視線を飛ばして固まっていたしらねの意識は、最上の何度目かの呼びかけでようやくその身体に戻ってきたのだった。

「しらね、なんかヤバいくらい顔真っ青だよ?」

「鈴谷の言う通りですわ、どこか具合でも悪くて?」

「もしよろしければ、三隈たちがドックまで付き添いますわよ……?」

 最上の声で長姉同様にしらねの異変に気が付いた姉妹艦たちも、食卓越しに顔を寄せ、不安そうに声を掛けていく。

「大丈夫です! 私は大丈夫ですから……! ご、ごちそうさまでしたっ!」

 お盆にほとんど手を付けていないご飯茶碗を置いたしらねがお盆を手に取り、まるで逃げるように席を離れて行った。

「――しらねちゃん、大丈夫、かなぁ?」

「あんな顔真っ青でごはんほとんど手付かずって、絶対ヤバいっしょ……」

「何かあったのでしょうか……」

「熊野、あとで最近見つけた美味しいサンドイッチでも差し入れましょうかしら……」 

「いや熊野、もうちょい他に差し入れるモノあるっしょ」

「あらみんな、どうしたのそんな心配そうな顔して~」

 不安げにしらねの後姿を見送った最上たちに、不意に声が掛けられた。

「あ、愛宕! いやね、しらねちゃんが――」

「あらぁ、しらねちゃんまた様子がおかしいの?」

「またって……、何か知ってるの?」

『しらね』の名前を出しただけでまるで全てを察したかのように話し始めた愛宕を最上たちが問いただす。

「昨日、しらねちゃん私と一緒に艦隊行動演習をやっていたんだけれど、なんだか最初からちょっと顔色悪そうねぇ~って思っていたの。途中一旦止まってアドバイスでもしようと思ったら、ボーっとどこか違うところでも見ているような虚ろな目をしたまま、振り返った私の胸に飛び込んできちゃってねぇ~」

 ぶつかったのが私の胸だったから怪我しなかったけれどねぇ~、と冗談めかして話題を続けている愛宕から視線を外し、最上たちが顔を合わせ確信する。

「これ、絶対に提督に伝えた方が、いいよね……?」

 最上の提案に姉妹たちは無言で頷いた。

「なんだか心配ねぇ……」

 愛宕もまた最上の意見に何度も頷きつつ、舞鶴に初めて配属となった『大後輩』のことを案じていた。

「ボク、この後ちょっと提督のところに相談に行ってくるよ」

「そうねぇ、私も昨日の訓練後報告では、あの後も表情は晴れなかったけれど特に問題なかったから、大したことないと思ってそのこと提督には上げなかったけれど……、これはちょっと……、報告したほうがいいわねぇ」

「愛宕もそう思うよね?」

「でも~、いきなり提督に知らせるのもちょっとどうなのかしら……? まずは妙高ちゃんあたりに報告してみた方がいいかもしれないわねぇ。ねぇ最上ちゃん、報告お願いしていいかしら?」

「うん、わかった! 愛宕も教えてくれてありがとう!」

最上はそういって急いで残りわずかな朝食を掻き込むとお盆を下げて取り食堂を出ると、一目散に秘書艦執務室へ向かって駆け出していったのだった。

 

   ◇

 

 時間は少し流れてその日の昼過ぎ。

 コンコンコンッ。

「はい?」

『妙高姉さん、羽黒です』

「空いているわ、入ってちょうだい」

『失礼します……』

 秘書艦執務室の扉が開き、扉の向こう側からかなりの困惑の色に表情を染めた末妹・羽黒が入ってきた。

「あら、どうかしたの羽黒。何かとても悩んでいるみたいだけれど……」

 執務机の正面に誂えられた、提督執務室よりは小ぶりな応接セットに招かれて腰を降ろす羽黒に続いて、妙高も向かい側に腰を降ろした。

「――妙高姉さん、私、本当に指導役に向いているのでしょうか……」

 改二となって以降、以前に比べればだいぶ鳴りを潜めていた彼女の気弱と不安気質を隠さずに、羽黒が俯きつつ長姉に相談を始めた。

「今座学を受け持っているしらねさん、ここ数日なんだか心ここにあらずみたいな雰囲気で、講義もどこか上の空で……。やっぱり、私の教え方が未熟なせいで……」

「あら、彼女講義中もそんな様子なの?」

 今にも泣きだしそうな羽黒の声が途中で消え入ったところで、湯呑から緑茶を口に含んだ妙高がため息交じりにそう口にする。

「――えっ?」

「今朝の朝食直後、最上が慌ててここまで来て相談してきたのよ。『なんだかここ数日、『しらね』の様子がおかしい』って……」

「妙高姉さん、それって――」

 妙高のその言葉に、羽黒が俯いていた顔を上げた。

「えぇ、講義中と同じく、心ここにあらずでどこか上の空だ、っていうのよ。愛宕が最上に伝えた話だと昨日の艦隊行動演習中に彼女とぶつかったそうだし、今朝も最上たちと朝食を摂っている時も顔が真っ青で、ご飯茶碗を持ったまま呆けていて、結局ろくに食事も摂らずに出て行ったそうよ」

「あの、それって――」

「えぇ、あなたの指導云々のお話ではなくて、彼女の方に何かもっと別の問題がありそうね……。着任した初日はあんなに溌剌としていたのに、一体どうしたのかしら……」

「そうだったんですね……。でも、やっぱり心配です……」

 あなたの問題ではない、尊敬する長姉にそう言ってもらえた羽黒は一瞬ホッとするものの、それでも指導する後輩が何か重大な問題を抱えているということを再認識して再び顔を俯ける。

「――これは一度、提督の耳にも入れておいた方がよさそうね」

 そういうと妙高は席を立ち、執務机の内線電話の受話器を手に取った。

「妙高です。提督、執務中のところ申し訳ございませんが、今から少々お時間、いただけませんか? ――えぇ、しらねさんの件で、至急提督のお耳に入れておいてほしいことが」

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