しらねが追川を訪ねた翌日。
「はぁ~、どうしたらいいでしょうか……」
昨日と同じく休日ということもあり穏やかな空気が流れる食堂の片隅で、羽黒が昼食のきつねうどんの丼の横に置いたノートとにらめっこしつつ、ため息を漏らしていた。
(一体どうすれば、しらねさんの講義中の意欲を戻すことができるのでしょうか。でも、あの子の講義そのものに対しての意欲が落ちているわけではないのは、毎回座学をはじめる前の挨拶を思い出してみればなんとなくではありますが想像はつきます。それでも、座学が始まってしばらくすると心ここにあらずな様子になるのは事実で……)
「姉さんは私の教え方に問題があるわけじゃないって言ってくれたけれど……」
あの後、妙高は提督にしらねの件について報告すると言って部屋を出ていった。その夜に羽黒は結局何がどうなったのか姉に訊ねてみたものの、結局彼女も追川より『この事は僕が預かる』としか伝えられておらず、
「提督が預かると妙高姉さんにおっしゃっているのなら、何も動いていないことはないと思いますけど……」
「――大変だね、教育担当艦って」
そこで突然羽黒の後頭部に向けて投げかけられた言葉に、羽黒がびっくりしたように顔を上げた。
「最上さん……」
「考え事中にごめんね、急に声かけちゃって。ところで、そんな羽黒にちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
そう言って最上が空いていた羽黒の向かい側の席に座る。
「最上さん、お願いって?」
「しらねちゃんのことなんだけど、ボクたち最上型のみんなも、何か協力できないかな、って思って」
「――えっ?」
「いや、別に他意はなくって、今の羽黒の様子見てると大変そうだし、何も羽黒ひとりで抱え込まなくてもいいんじゃないかなって」
指導方針について何か意見されるとでも勘違いしたのか、一瞬涙目になりかけた羽黒の姿に、最上が慌ててそのような意図ではないと付け加えつつ語りかける。
「もちろん、少なくともボクは羽黒たちみたいに上手に座学で指導なんてできないから、お手伝いできるとしたら、ヘリ搭載護衛艦の先駆けのようなボクたちとして、そういう方面の訓練あたりになると思うけど」
「最上さん……」
「あと、そもそもコレ提督にはまだ一切話してないから、お手伝いできてもボクたちの誰かが非番の時くらいしかたぶんできないけどさ」
そこで一旦最上の言葉が途切れる。
「ボクたち、しらねの友達だからさ、友達が何か困っていたら、助けてあげるのって当たり前でしょ?」
「最上さん、優しいんですね」
「あれ、ボクが優しいって今知った? なあんてね、冗談だよ♪ そ・れ・にっ!」
そこで最上がテーブルの上に身を乗り出すと、羽黒の両手を包み込むように握りしめた。
「羽黒だって、同じ舞鶴の仲間でしょ? 仲間が困っている時だって友達と同じように助けてあげる、これも当たり前じゃん♪」
言葉に明るく力を込めた最上がそう言って笑って見せた。
「ボクも理由はよくわからないけど、今きっとしらねちゃんも、とっても大変な思いをしてるんだと思うんだ。でもきっと、みんなで一緒に頑張れば、きっとしらねちゃんの訓練も上手くいくから! だから、みんなで一緒にがんばろっ!」
「はいっ!」
最上の言葉を受け止めた羽黒が、ようやくその表情に微かな自信を取り戻す。羽黒はそれからしばしの間、お昼ご飯のうどんが完全に伸びてしまったことさえ気にも留めず、訓練手順の立案に熱中したのだった。
◇
私が司令に事の次第を話した翌々日から、またいつものように座学と実技訓練の日々がはじまりました。正直に言えば、まだ『はるな』の記憶を夢に見ますし、その点が気になって寝付けていないなど、具体的には何も問題は解決していませんが、それでも信頼できる人ひとりだけにでも自分の悩みを打ち明けられたこと、その悩みに真剣に耳を傾けてくれる人がいること、そのふたつを知ることができただけで、少し気の持ちようが変わってきた気がしました。
今日もいつものように、羽黒先輩の講義に集中します。正直眠れていないので眠気がやってくるのは避けられませんが、それでも、今までよりは少し何かが違う、そんな気持ちになりました。
「それでは、午後の実技訓練をはじめましょう!」
羽黒先輩の号令によろしくお願いいたします、と一礼をしたところで、私は先輩の隣に立つふたりの重巡艦娘へ視線を向けます。
「あの、羽黒先輩!」
「今日から特別に、最上型の皆さんが交代で航空機訓練に協力してくれることになりました」
「訓練頑張ろうねしらねちゃん!」
「にぎやかにやろうね♪」
羽黒先輩から紹介された最上先輩と鈴谷先輩は、それぞれ身にまとった飛行甲板艤装を構えて笑顔を見せます。
最上先輩と鈴谷先輩は、確か今日は一日完全な非番だったはずです。実際朝のうちに掲示板で確認した予定一覧表には『非番』のマグネットが貼られていたのを目にしています。
「――最上先輩っ! 鈴谷先輩っ! ご指導、よろしくお願いいたしますっ!」
私は改めて先輩方に深々と一礼します。
先輩方が私のために貴重な時間を割いてまで、私に付き合ってくださる。このような好意を、決して無駄にはできません。
最上先輩と鈴谷先輩が、飛行甲板艤装を私の前に突き出していました。私も同じように飛行甲板艤装のグリップを握って自身の前に突き出します。
「訓練、今日も頑張ろう!」
「おー!」
最上先輩の掛け声で少しだけ艤装を握った腕を突き出し、コツンと艤装を突き合わせます。
今日も実技訓練、スタートです。
「――で、ここで敵潜の大艦隊に対してしらねちゃんの、えーっとそうだ『えすえいち』で爆雷を投下して」
「最上先輩、このように艦隊が複数に分かれて陣形を張っていることが事前に探知できているなら、事前に攻撃目標を分担・共有したうえで、私のヘリによる魚雷攻撃と航巡の先輩方の水上機による爆雷攻撃、それと私のアスロックによる攻撃、と火力を適切に集中させて制圧したほうが――」
「なんかさー、『アスロック』って警備会社みたいな響きだよねー♪」
「もう鈴谷話の腰を折らないで!」
「にししっ、ごめんごめん♪ でもやっぱしらねってすごいなぁ。ヘリだって使えるし電探もソナーも強力だし、あとそのアスロック? 魚雷を噴進弾の前に取り付けて飛ばして射出するってなんかかっこいいなー鈴谷も欲しいなぁ」
「私は少し、先輩方の運用する水上機が羨ましいです。救難飛行艇なら見たことはありますけど、水上機は初めて見ましたし」
実技訓練が終わってだいぶ時間が経った頃、私は鈴谷先輩の部屋に最上先輩と集合して今日の訓練内容の復習、さらには今後のさらに規模の大きい訓練に向けた予習を行っていました。といっても、鈴谷先輩が棚の中から大量に取り出してきたお菓子とジュース類のおかげで、お勉強会というよりは少しばかりいわゆる『女子会』のような雰囲気になってしまっていますが。
ただ、このような輪に自然と入っていけるようになって、私は少しずつ、この舞鶴鎮守府に馴染んできているような気がしていました。もちろん、これから一刻も早く就役できるように訓練に励まなければいけませんし、あの夢の件とも向き合っていかなければいけません。
それでも。
それでも、私は何故か、上手く行きそうな気持ちが少しずつ湧いてきているような、そのような気がしています。
結局、私たちの勉強会という名の女子会は、消灯時間ギリギリまで続いたのでした。
◇
『ご案内いたします。電車はただ今三河安城駅を時刻通りに通過いたしました。あと九分ほどで名古屋駅へ到着いたします――』
しらねが最上たちとの特訓を始めた数日後の土曜日、ここは疾走する新幹線の車内。頭上のスピーカーから聞こえる放送にひとりの若い女性が耳を傾け、外の景色に一旦目を向けてそしてすぐに手にしていた雑誌に視線を落としていく。最早完全に新幹線に乗り慣れているといった仕草を見せる彼女は、横須賀鎮守府所属の護衛艦娘『はるな』。
今日は単身、しかも私服であるクリーム色のワンピースにカーキ色のトレンチコートを身に纏っているが、今日もまたれっきとした『任務』での乗車である。
艦娘の中でも数少ない『対潜艦娘』であるはるなたちは、事あるたびに横須賀から陸路で国内の各鎮守府や警備府・泊地に出張するのが日常になっており、事前に艤装を海軍自慢の『艤装輸送隊』のトラックに預けたところで、呉・舞鶴へは新幹線で、佐世保や大湊は飛行機で、と今ではビジネスマンばりに公共交通機関の使い方に慣れてしまっていた。
名古屋駅を出発すれば三十分ほどで京都に着く。朝早くに横須賀を出発したので、このまま予定通りに走ってくれればお昼ちょうどには舞鶴に到着できるはず。
「しらね……、久しぶりに会うの楽しみだなぁ」
もはや彼女にとっては通い慣れた道であるはずだが、今日はいつもより車内放送さえウキウキとした気持ちで聞こえてくる。そう、彼女とその妹のひえいが心待ちにしていたあの日、舞鶴へ新鋭艦娘である『しらね』の訓練教官として指導のため出張する日を迎えたのだ。
新幹線は次の停車駅へ、そして『しらね』との距離を詰めるべく、西へ向けて疾走していくのだった。
◇
「ほらっ、しらねちゃん急がないと! 特急が駅に着いちゃうよ!」
「は、はいっ!」
二人分の運賃を運賃箱に放り込んで勢いよくドアから飛び出し東舞鶴駅の入口へ駆けていく最上先輩の後を追って、私も乗ってきた路線バスを降りて駅の中へと急ぎます。入口から中に入るとすでに特急列車は駅に着いていたようで、改札口でお客さんが駅員さんに切符を渡して出てくる姿が目につきました。そのお客さんのうちのひとりである女性が切符を駅員に手渡して改札を出ようと前を向き、歩き始めたところで私と目が合い、立ち止まりました。
「――しらね?」
その一言で、私はすぐにわかりました。
「はるな……、さん?」
はるな型ヘリコプター搭載護衛艦一番艦・はるな。海上自衛隊はじめてのヘリコプター搭載護衛艦、通称DDHの先駆けであり、そして、私にとって大切な『義姉』です。
「会いたかったよしらね! わざわざ迎えに来てくれたのね! 嬉しい♪」
駆け寄ってきたはるなが私の手を取ると笑顔で喜んでくれていました。
「私の方こそ、お久しぶりです、はるなさん!」
「遠く横須賀からお疲れ様! はるなちゃん、荷物預かるよ」
続いて最上先輩がスッと顔を出すとニコニコしながらはるなさんに両手を差し出し、荷物を預かるとジェスチャーをしてみせます。
「そんな、最上さん大丈夫ですから! それほど重たい荷物は入っていませんし――」
「いいっていいって! それにほら、ふたりともあるでしょ? 『積もる話』♪ あ、荷物の中にお財布とか貴重品入れてない?」
遠慮するはるなさんはそこで一旦仕草を止め、一瞬何事かを思慮したところで穏やかに微笑むと、
「そう最上さんがおっしゃるのでしたら……、お願いします」
そういって一旦バッグを開けて中からお財布などを取り出したはるなさんは、そのバッグを最上先輩に預けます。
「あ、あとはしらねちゃん、これ提督から!」
続いて最上先輩は制服のポケットの中から封筒を取り出すと、私の手を取ってその封筒を手渡してきました。手渡された封筒を持った私をニコニコしながら見守る最上先輩の表情を気にしつつ封筒の中身を覗くと、
「――これは?」
「提督からおこずかい! 遠慮せずに使いきっちゃってって! それじゃ、はるなちゃん、しらねちゃん、ごゆっくり! あ、ちゃんと外出許可証通りに夜の点呼までには帰ってきてね♪」
そう言い残して最上先輩ははるなさんの荷物を手に駅の入口を飛び出すと、駅前バス停に停車していたバスの中へと消えていったのでした。
少し遠くで発車していくバスの姿と封筒、そしてはるなさんの姿をそれぞれ見比べて、
「――――あの?」
私は唖然とするしかありませんでした。
ちょっと待ってください!
私は昼前に最上先輩から『これからはるなちゃんが到着するから迎えに行こう』とだけ言われ、いきなり今まで見たこともなかった外出許可証を手渡されて連れられるがままにバスに乗ってここに来ただけで、はるなさんを出迎えたらそのまま鎮守府へ戻る心づもりだったのです。
それなのに実際ははるなさんとふたりで、しかも舞鶴の街へ外出なんて、私、わたし――!
「――もしかしてしらね、この事最上さんから聞かされてなかったの?」
「えっと、あの、き、今日はせっかく私の母港の舞鶴まで来てくださったので、えっと、その――」
はるなさんの問いかけに、思わず『旗艦』としての妙なプライドが出てしまい文字通り右往左往する私を、
「いいよいいよ気にしなくて♪ もしかしなくても初めて鎮守府の外に出たんでしょ? 私もう何度か舞鶴は出歩いたことがあるから、無理して案内しようとしなくても大丈夫♪ そうね……」
完全に見透かされてしまっていたはるなさんが笑いながら思案した末に、
「まずは、お昼ご飯と服を買い物に行かない?」
そう提案したところから、私の艦娘として初めての舞鶴散策が始まったのでした。
◇
「へぇ~、もう何度か舞鶴は来たし出歩いたりもしたけれど、こんなにしっかりと出歩くの初めてだから新鮮だなぁ」
はるなさんはそう感想を漏らしつつ、手にした端末をちらちらと確認しつつ街中を散策していきます。
結局あの後私は、今のようにはるなさんに先導されるがままに、まずは近くの商業施設へ入って喫茶店で昼食を頂くと、その後は同じ施設内にある洋服店で『再会できた記念』と意気込むはるなさんが選んだネイビーブルーのワンピースと白いカーディガンプレゼントとして受け取り、早速そのプレゼントに袖を通したうえで、今の今まで途中喫茶店などに入って休憩しつつ、舞鶴散策を続けていたのでした。
「しらねはどう? はじめて艦娘として出歩いてみた舞鶴の感想は?」
「そうですねぇ」
私は、夕焼け色に染まり始めた舞鶴の街並みを一度見渡します。
「私も舞鶴を、というよりも皆さんが暮らしている街の中が詳しくどのようになっているかまでは詳しくないはずなんですけど、それでも私が艦だった時に桟橋から眺めていた舞鶴の風景といいますか、感じられる雰囲気があまり変わらなくて、なんだかそのことに、とてもホッとしたような気持ちになって……」
「しらねの言っていること、私よくわかるよ。私も初めて横須賀の街を駅のあたりから眺めた時、なんだかとてもホッとしたから。元々艦だった私は見たことないはずの景色なのに、なんでだろうね? 不思議」
頷きながら私の言葉を聞いてくださったはるなさんがそう同意してくださいました。そのことにもとても、安堵感を覚えていました。
「えーっと、そろそろ十八時かぁ。ねぇしらね、この近くにおしゃれで美味しいレストランとバーがあるみたいなんだけど、しらね、お酒呑める?」
はるなさんは端末に表示された情報を読み取りつつ、私にそう問いかけてきました。そういえば、まだお酒は一度も呑んだことがありません。呑んだことはありませんが、どのようなものなのか、それはとても興味がありました。
「私、まだ一度もお酒を呑んだことがなくて……」
「あ、そうなんだ? せっかくだから、そのお店に行ってお酒初体験、してみる?」
「はいっ」
はるなさんのお誘いに、私は躊躇わずに乗ることにしました。
「――それでね、今日お店にしらねを連れて行って、アレがいいかな? それともこれがいいかな? って悩んでいる時に思ったのよ、あぁ、あの時の陸奥先輩も初めて鎮守府の外に出た私にこんな気持ちで接してくれていたのかなぁ、って。あれから四年も経っちゃったけど、私もこれで陸奥先輩の側に少しでも立つことができたのかなぁ? そうなら私はとても嬉しいなぁって」
あれから約一時間後、私ははるなとテーブルを囲みながら、お酒が入ったせいなのか、お店に入る前よりもほんの少しばかり饒舌になった彼女のトークに耳を傾けていました。
街中に立つビルの中に構える、色とりどりのボトルやグラスが照明の明かりを受けて眩く煌めくこのお店の雰囲気が、艦娘の制服ではなく私服を身に纏う彼女の雰囲気をとても煌びやかに演出します。そんな彼女が、私に対して饒舌に、それでいてとても他愛のない話題を語り続けています。
初めて艦娘として横須賀のドックで目を覚ました時のこと。
演習で気合を入れて模擬対潜戦闘を行ったら、潜水艦娘の方々から恐れられてしまったこと。
その一方で長門先輩や陸奥先輩に演習で砲撃でコテンパンにやられてしまい、しばらくの間意図的に避けるようになってしまったこと。
その先輩方もオフではとても優しい方であったこと、などなど。
「あの、はるなさん、今日は本当にありがとうございました。こんな素敵なお洋服まで頂いて――。せめて、このお店のお代は私が――」
「いいよいいよはるなは今日は何も気にしないで! 今日は私がこうしたいって思ったからこうしてるだけ! そのおこずかいは今度のお休みの時に舞鶴で羽を伸ばすときに取っておいて」
そして、そんな彼女の口から零れる言葉の数々からは、そんなお店の雰囲気など微塵も感じさせないほどに、自然な優しさと誠実さがにじみ出ていました。
「それでも、せっかく横須賀から指導に来ていただいて、その上ここまでお世話になってばかりでは――」
「んもーしらねも意地っ張りねぇ~。そうねぇ、どうしてもしらねの気持ちが収まらない! っていうなら、いつかあなたに後輩の艦娘ができた時に、あなたがこうやってその後輩の分まで払ってあげて。ね?」
そういって私が握りしめていた司令からいただいたおこずかいの入った袋を引っ込められてしまった以上、これ以上強く言うことは憚られました。
「私はしらねが舞鶴を代表する艦娘になってくれればそれでいいの。あなたがあなたらしく、艦の時のままに素敵で最強な艦娘になってくれれば、それで――」
そう語りながらグラスを手にするはるなの姿を眺めながら、私はある感情が芽生え始めているのを感じました。
こんな優しくて誠実な
もちろん『護衛艦はるな』のことは私もよく知っているつもりです。共に横須賀に長く錨を預ける仲間であって、同じDDHとして誇るべき先輩であり、なにより、私の艦歴最大の危機を救ってくれた存在であること――。
それとは別に、まだ右も左もわからない私を嫌な顔ひとつ見せず先導してくれて、私にも、道行く知らない人のためにも、分け隔てなく誠実に優しく接する彼女の記憶を持っているということを、
(私は怖がるのではなくてもっと、そう、誇りに思うべきなのかも、しれませんね……)
私のそのような感情などお構いなしに、はるなはより滑らかに横須賀艦娘はじめて物語を語り続けます。門限までもう少しだけ、私はこの語りに耳を傾けよう、そう思ったのでした。
「はぁ~さっぱりしたぁ♪ 流石に半日近く舞鶴の街を歩き回ると疲れちゃうわねぇ」
寮の大浴場で温まった身体に寝間着を纏い、はるながベッドに腰掛ける私の側に座ります。
「はるなさん、今日は……、ありがとうございました」
「どういたしまして♪ ――しらね、もう眠い?」
「――はい、歩きまわって疲れたのと、あとお酒呑んだらなんだか眠くて――」
私の身体が自身の意思と関係なくはるなの肩に寄りかかっていきます。
「――もう寝ようか?」
「――はい」
はるなの言葉に従い、私はのそのそと身体をベッドに横たえます。本来二人用である部屋にはベッドがふたつありますが、今夜は甘えるついでにはるなにお願いして、一緒に寝てもらうことにしました。
「おやすみ、しらね」
はるなが部屋の明かりを消して、私の側に潜り込んできます。こうしてふたりで身体を寄せ合って眠るのは、いつ以来でしょうか? もちろん、その時はまだお互いに艦娘ではなくて艦艇でしたが――。
「はるな、さん」
私の口が特に意識することなく開かれ、はるなの名を呼びます。
「なに?」
「――実は私、艦娘になった直後から、はるなさんの記憶ばかりを夢に見て……」
「私の……、記憶?」
はるなが私の言葉に少し驚いたような感触が、布団越しに伝わってきたような気がしました。
「それで私、なかなか寝付けなかったんです。もしかして私は『しらね』ではなくて、『はるな』なのではないか、と。でも――」
「でも?」
「今日、一緒に舞鶴を歩いて、お話して、こうして夜も一緒にいてくれるなら……、なんだか、安心して……、今夜は眠れそう――」
私のその日の記憶は、そこで途切れていました。
(ここは……、東京湾……?)
よく知っている海に私は三隻の護衛艦を従えて進んでいきます。そんな私の航路の横では、何隻もの艦隊が登舷礼をこちらに示しつつ停泊しています。甲板にはずらりと居並ぶその艦隊の様子に歓声を送るたくさんの人の姿、そして艦橋上部にはモーニングに身を包み、自慢のライオンヘアーと称される白髪を靡かせて登舷礼に答える、我々の最高指揮官の姿があります。
その姿を並べるのは自衛艦ばかりではありません。遠く外国から遠路訪問してくださった艦もその艦隊の中に加わり、私に乗艦する最高指揮官に敬意を示しています。中には遠く南米から訪問してくださった練習帆船の優美な白亜の船体も見え、甲板でその様子を眺める観客の皆さまから歓声が上がります。
(これは……、間違いなく、あの……!)
私の艦艇としての生涯の中で何度も拝命した『観艦式受閲艦』の任の中でも特に印象深い、海上自衛隊創設五十周年記念の国際観艦式の記憶に間違いありません。
『「しらね」乗員の手際のいい仕事、見ていて実に気持ちがいいね』
ふと、観閲の僅かな時間の隙間、次なる観閲のために回頭する最中に最高指揮官が隣に立つ海上幕僚長へ声を掛けます。
これは間違いありません。
私の、『しらね』の記憶です。
やがて、再び次第に大きくなっていく受閲艦の艦影がじんわりとぼやけていきます。
結局その夜、私はその後一度も夢を見ることはありませんでした。
◇
「――そういうことだったのね」
翌朝、久しぶりにぐっすりと眠りに就くことができた私は、同室のはるなに誘われ、人気のない桟橋の端に腰掛けて舞鶴の海を眺めつつ、これまでの経緯について改めてはるなに話すことになりました。
私の持つもうひとつの『記憶』、『はるな』の記憶と、その夢について。
「『そういうこと』って――」
「ハッキリわかっていたわけじゃないけど、昨日一緒に歩いている時も、なんだかほんの一瞬だけ心ここにあらずというか、『何かあったのかな?』ってちょっと気になっていたのはホントかな」
流石に私の記憶を夢に見ているとは想像つかなかったけど。はるなはそういって苦笑していました。
「それにしても、『記憶の転移』ねぇ……、世の中不思議なことがまだまだたくさんあるのね」
「――そもそも私たちが人間の姿になっているのも、十分不思議ですよね」
「――そうね、しらねの言う通りね。もう四年も艦娘やっているとすっかり不思議じゃなくなってたけれど」
そういうとはるなは笑っていました。
「最初は私、怖かったんです。私は『しらね』のはずなのに、夢に見るのは『はるな』が経験してきたことばかり。本当に私は『しらね』なのか、もしかしたら本当は『はるな』とこの身分証にも記されるべきなのではないか、と。それでも」
私は舞鶴の海に漂わせていた視線をはるなへ戻します。
「昨日はるなさんと艦娘として初めて出会えて、一緒に舞鶴の街を回って、艦娘のはるなさんと接することができて、私、ようやくハッキリと思えたのです」
私は無意識のうちに、その手をはるなの手へ伸ばし、私の胸へ宛がっていました。
「今私の目の前にいる、艦娘のはるなさんを形作った『記憶』なら、私、全然怖がる必要はないんだ、と。いえむしろ、もっとこの記憶のことを誇るべきなのでは、と」
「しらね……」
「それに、この記憶は私がどれだけ困難に直面しようとも、それでも誰かが手を差し伸べてくれて、その結果『生かさせてもらっている』という証でもあると、そう思えたんです。そう思えたら、なんだか少し心が軽くなったような、そんな気がしているんです。ありがとうございます、はるなさん」
そう言って私は、はるなに深々と頭を下げたのでした。
「――私、こんなにお礼されるほど何かした自覚は全くないし、それに実を言うとしらねに戦闘指揮所を移植した辺りの記憶、ほとんどないに等しいから……」
そういってはるなは少しばかり困惑した表情を見せます。
「でも、しらねの悩みが少しでも解決したのなら、それでよかったのよ、きっと」
「はい、そう思います」
私ははるなのその言葉に心からそう思えました。
「それじゃあ、明日からの訓練、頑張らないとね? 今の雰囲気だと訓練、あまり進んでいないんでしょ?」
「はい、はるなさんにはお恥ずかしい話なのですが――」
「それなら明日から訓練ビシバシ行くから覚悟しておいてね! ひえいにもしらねを一人前にしてくるって宣言してきたんだから!」
「はいっ、よろしくお願いいたします!」
意気込むはるなに私は再び一礼します。
今日が終われば明日からはまた訓練が、それもはるな直々のDDHとしての訓練が始まります。
でも今は、その日が待ち遠しくて仕方がない。そう思えてなりませんでした。
◇
「いい、しらね? さっきの対潜戦闘、こちらの敵潜水艦への第一撃があなたが発射したアスロックなのは完全に初動が遅れているわ。本来なら事前に伝達されている情報からヘリによる哨戒網をもっと広範囲に広げるべきなのに、あなたはある特定海域の探索に重点を置き過ぎよ!」
「はいっ」
「いい? 私たちDDHのモットーは敵潜水艦を『近寄らせない』『攻撃させない』ことよ。今の彼我の距離まで敵に接近されれば、ロングレンジの魚雷なら護衛対象に魚雷が到達しかねない。私たちの護衛対象に一発でも魚雷が肉薄すれば、それは私たちDDHにとって敗北と同義よ? よく覚えておいて!」
「はいっ」
「次なんだけれど――」
「なんというか、さーー」
「もうボクたちってお役御免、かな?」
「いいことではありませんか最上さん?」
「少なくとも、私たちより彼女の方がアスロック? や回転翼機にお詳しいでしょうし、私たちの目的はしらねさんがちゃんと一人前の艦娘になってくださることですもの」
春の陽もとっぷりと暮れた頃、重巡艦娘寮舎の談話室でテーブルを囲んでその日の対潜戦闘訓練の反省会を開くしらねと訓練教官役のはるなの姿を、航空巡洋艦である鈴谷・最上・三隈・熊野が遠巻きに見つめていた。
「――熊野さんのおっしゃる通り、やっぱり私たちにはちゃんと教えられませんものね、私たちの使ったことのない装備って」
「あ、羽黒、遠征帰りかい?」
そんな航空巡洋艦艦隊へ、彼女たちと同じく教育担当艦の任を一旦終えた羽黒が合流する。
「はい、私もお仕事なくなってしまったので……。でも、これでよかったんです。しらねさんが一人前の艦娘になってくれれば、私は……」
これまでしらねを見守り続けた重巡艦隊が、そんな感慨に浸りつつふたりの護衛艦娘の姿を見守る。熱のこもった指導の光景はそれから毎日、訓練終了まで繰り返し展開されたのだった。
◇
「状況終了です! 全艦、攻撃をやめてその場で停止してください!」
はるなが舞鶴に派遣されてから約三週間後、舞鶴沖近海に設定された演習海域の上に、しらねを旗艦とする艦隊と潜水艦娘を主とした対抗艦隊、さらには舞鶴鎮守府配備の警備救難艇の甲板上でその模擬戦闘を見つめる追川と、秘書艦・妙高の姿があった。
艦娘としての技量を確認し、その技量が実戦投入可能であるか否かを判定する、それが艦娘の『就役審査』だ。この審査をパスし司令官が『就役認定書』へサインをすることで、初めて艦娘は遠征や出撃といった実戦への投入が可能となる。
基本的にこの審査は対象艦の教育担当艦が審査官となり、模擬戦闘などを行いその戦果を教育担当艦が『問題なし』と評価すれば、その旨を先ほどの就役認定書へ記載して司令官へ提出すれば審査は完了し、その過程ひとつひとつを司令官が直接確認するということはない。しかし、
「直接模擬戦闘を視察だなんて、提督はしらねさんを信頼していらっしゃらないんですか? 教官のはるなさんなんて海域どころか岸壁へ見送りにすら出てきていませんわよ?」
普段はほぼ実施しない司令官の模擬戦闘視察に、妙高が冗談交じりにそう声を掛ける。
「いやいや、信頼していないとかそういうわけではもちろんないけれど、ただまぁ、たまにはこういうこともしておくべきかと思ってね」
そう答えた追川は視線を再び水面へ向ける。視線の先ではしらねが、少しばかりのダメージを追いつつも凛とした表情を崩さずに海面に立っている姿があった。
「――しらねさんっ! 判定結果を報告しますっ! ただ今の模擬戦闘の判定は……」
書類を挟んだバインダーを手にして声を張り上げる羽黒へ、しらねが熱い視線を注いでいる。
「勝利『A』判定ですっ! 事前に通達した審査基準に従って、しらねさんの就役を、認定いたしますっ!」
羽黒の宣言に、これまで張り詰めていたしらねの緊張の糸がわずかに緩み、穏やかな表情を空へと向ける。
「司令官さんっ! まさか視察に来られるなんて……!」
一方判定通達を終えたところで追川のほうへ視線を向けた羽黒が慌てたように警備救難艇へ進路を取る。
「悪いね羽黒、たまにはこういう抜き打ちみたいなのもいいかと思ってね」
そういって笑う追川へ、羽黒は急いでバインダーに挟んだ書類へ何事か記入したのちに手渡した。
『上記艦の就役可否に関する認定について、以下に署名した教育担当艦は、これを認定するものとする』
『SIS―DJ019180 重巡洋艦・羽黒』
追川はその書類を受け取ったところでブリッジの警備救難艇乗組員に声を掛け、艇の舳先をしらねへと向ける。
動き始めた艇の動揺に若干足を取られつつも、追川は教育担当艦署名欄の下に用意された『所属鎮守府司令官決裁欄』へペンを置き、いつものようにすらすらと自身の名前を記していく。
「――司令っ!」
突然現れたその存在にしらねが若干驚きを見せつつも敬礼する。それに答礼したところで追川は脇に挟んでいた書類を手に取り、何も言わずに手渡す。手渡された書類を、しらねも何も言わず、ギュッとバインダーを握りしめつつじっと見つめていた。
「しらね型ヘリコプター搭載護衛艦一番艦、『しらね』!」
しばしの沈黙を置いて、追川が背筋を伸ばすと彼女の名を呼んだ。
「はいっ!」
「現時刻をもって、貴艦の就役を認定する! 貴艦の末永い健闘と活躍を、心より祈るっ! 以上っ!」
「しらね型ヘリコプター搭載護衛艦一番館『しらね』、舞鶴鎮守府所属艦として、この身が続く限り精一杯、日本海の護りの任、務めさせていただきますっ!」
普段はほぼ行わない就役認定の訓示を行った追川に、しらねも負けじと所信を表明して再び敬礼する。
「さぁ、皆さん鎮守府へ戻りましょう。そろそろお昼の時間ですよ」
そこへ妙高が穏やかな表情を浮かべながら声を掛け、追川も腕時計を確認する。
「艇長ー、無線で大淀に連絡入れてー。『鳳翔さんに今日のお昼の特製舞鶴肉じゃが、いつもより多めにたんまりと用意しておいてって大至急伝えて』って!」
その号令に舵を握る艇長も笑顔で敬礼し、すぐに無線機を握りしめる。
舞鶴の空のてっぺんへ春の陽が昇る。
さぁ、もうすぐお昼の時間だ。
◇
「もう帰られるのですね……」
その日の夕方、私は東舞鶴駅のホームの上にいました。
「そう悲しそうな顔しないでよしらね、どうせまたすぐ会えるわよ」
停車している京都行の特急列車の出入口に立つはるなが、そういって私に微笑みかけてくれます。
私の就役認定が終わった直後横須賀鎮守府から連絡が入ったらしく、はるなさんかひえいさん、あるいはその両方が数日中にトラック島方面へ派遣される可能性があるため、すぐに横須賀へ戻らなければ行けなくなったとのことでした。
『お待たせいたしました、まもなく一番線より十八時三六分発、京都行特急――』
「しらね、これから先は日本海の護り、頼んだよ!」
「はいっ!」
駅員さんの案内放送がホームに響き渡ります。私が黄色い線の内側に下がったところで笛の音が聞こえ、一呼吸おいてドアがゆっくりと閉まっていきます。電車が動きだし、ドアに開いた窓の向こうのはるなの姿が私から少しずつ離れて行きます。ガタンゴトン、とリズムを刻み、電車の赤いテールライトが夕闇の中へと消えて行きます。私はその赤い光が見えなくなるまで見送ったところで、踵を返して改札口へ続く階段に向かいます。
はるなさんに言われるまでもありません。日本海の護りとして、明日からいよいよ、これから毎日続く任務が待っています。
鎮守府に来たばかりは不安が優っていましたが、今の私なら、少なくとも前を向いて任務へ抜錨できる、そんな自信があります。
「さぁ、帰りましょうか」
「はいっ!」
駅のロータリーでは、ここまでしるなと私を送ってきた妙高先輩が鎮守府所有のクルマの運転席に座り、私の帰りを待っていました。私は急いで助手席に乗り込むと、クルマは夜が迫る舞鶴の街を走り始めます。
「帰ったら明日の遠征任務の準備をしなければ――」
「張り切ってるわね、でも張り切りすぎは禁物よ?」
「はいっ」
ハンドルを握る妙高先輩の声色も、どこか優しげに聞こえます。
新米の時間は、もうすでに終わりました。
これからは今まで私を支えてくれた、そしてこれからも支えてくれる仲間のために、共に海を行き、共に戦う時間です。
しらね型ヘリコプター搭載護衛艦一番艦、しらね。
明日より舞鶴から日本海へ、抜錨いたします。