代わりに着る物をどうするのか苦悩した結果、選ばれたのは……
「……お、お邪魔、しま、す……」
「お、おう、お邪魔、されます」
『ぐちょっ』
中が水溜まり状態のローファーを脱いで、川崎を玄関に立たせたまま拭くものを探す。
結局、川崎を招くことになったわけだが一度拒否したのが申し訳なかったのか、ずっと俯いたままである。
「小町ー、居ないのか?」
こんな雨だし当然小町は家にいると思っていたのだが、比企谷家は無人だった。
大丈夫かあいつ、と愛妹を思い浮かべると願いが通じたのかスマホが鳴る。ディスプレイには小町と表示されていた。タイミングが良過ぎて運命よりもホラーを感じたが、小町だったら呪い殺されるのも吝かではないどころか本望ですらある。
「おう、今どこにいるんだ? これから迎えに行くか?」
『あ、お兄ちゃん、いまお友達の家にいるんだけど迎えは別にいらないから。でもこの風雨でしょ? 雨弱まらなかったらそのまま泊めて貰っちゃうから夕飯はテキトーに作ってね、材料は十分あるから』
「そうか。無理に帰って来ようとするなよ、危ないから。それと、お友達の家に男家族はいないだろうな? いたら無理してでもお兄ちゃんが迎えに『来ないでいい』けど小町は帰って来てくれ」
『小町の言葉が取り込まれてお兄ちゃんの言葉にされた⁉』
乗りのいい妹との息の合ったどうでもいいやり取りに口元が緩む。
『妹を風雨の危険に晒すよりも男から遠ざけたいって、何だかお兄ちゃんらしいね』
「バッカお前、風雨なら最悪風邪引くくらいで、お兄ちゃんが看病するアフターケア付き。むしろ、俺得だろ」
『それ小町に損しかない提案なんだけど。小町的にポイント低い』
「ま、とにかく気をつけろよ」
『うん』
「停電とかに備えてスマホの充電は常に保っとけ」
『分かった』
「あと防犯ブザーアプリも入れとけ」
『ウザい』
「こ、小町ぃ……」
『それと、こんな天気だしお風呂はタイマー予約しといたよ。沸いてるから風邪引かないように温まっといて』
「こ、小町ぃ……」
下げてから上げるとかお兄ちゃん誑しにも程がありますよ。
よし、お兄ちゃん将来小町と結婚する。その為にはまず政治家になって国に近親婚を認めさせるところから始めなければ……。
などと、専業主夫よりも壮大な夢であることにこの時の俺は気づいていなかった。三秒後に気づくんだけど。
小町の無事を確認できて気が緩んでいたが、肝心なことを忘れていた。
取り合えずバスタオルを持って玄関に戻ると、両の腕で自らを抱き締め身を縮める川崎の姿があった。身体は小刻みに震えていて学校での強気な面影など微塵もない。
「悪い川崎、小町から電話があってもたついちまった」
「ん……別に、大丈夫……」
バスタオルを受け取ると顔を拭いた後、髪の毛の雫を吸い取る。ワイシャツは今なお絶賛透けブラ中なのだが、それでも髪から拭うあたり髪は女の命と言われる理由が分かる気がした。
……いやいやいや胸も大事だろ、大事にして!
さっき出会った時の恥じらいは一体何だったんだ、そう叫びたくなるくらいに今の川崎は無防備で、
一度意識し出すと頭から離れなくなってしまい、いつの間にか憚ることなくその部分を凝視していた。
普段からリボンはしておらず開かれた胸元、由比ヶ浜に勝るとも劣らない豊満なその部分は魅惑の谷間を作り出している。
余った裾の部分が緩く結びこまれ、身体を捩ると脇腹の白い素肌が覗いた。水着の方が面積が少ないのにエロチシズムは濡れた川崎が遥か上をいく。ある種、芸術のような女性美。いや、大人びてはいるが川崎の場合は少女美といったところか。
こきゅっと喉がなる。
牡としての本能を刺激する煽情的なその肢体に健康な男子高校生が反応しないはずもなく、下腹部に血流が集まるのを感じた瞬間だった。
「……その、ありがと……」
ぽしょりと、川崎の純粋な感謝の言葉が俺の昂りに冷水を浴びせる。熱に浮かせられたように靄がかかっていた思考が急激に晴れていく。
弱っている彼女を情欲の対象として見てしまった己を猛烈に恥じた。
襲い来る罪悪感が、川崎の傍に居てはいけない、一刻も早く距離を取れと警告する。
「……風呂は沸いてるから温まってくれ」
疚しさを隠すように風呂を促した俺はずぶ濡れのまま、一人で壁と頭の固さを競い合っていた。
× × ×
「後先考え無さ過ぎだろ……」
俺はいま己の浅慮を悔いている。
川崎の(俺のも)衣服は漏れなく水に浸かったような状態の為、洗濯機に入れといてくれと言っておいたが、じゃあ風呂上りに川崎は何を着るのか。
小町の服を借りる?
いやいや、サイズが違い過ぎる。
無理に着てぱっつんぱっつんになるどころか怒らなくても服が破ける北斗の拳ごっこが出来てしまうぞ。
母ちゃんの服を借りる?
小町のよりはだいぶマシだが川崎はあれで女子にしては身長があるし、まだサイズが合わない。
俺の服を貸す?
ないない、有り得んだろ。男の服を女が着るとか、どこの同棲カップルだよそれ。って、小町が俺の着なくなったTシャツ着てたっけ。つまり、俺と小町が同棲カップルだと証明されてしまった。
……まずいな、これじゃ病気だ。冷静になれ。
第四の選択肢に『親父の服を貸す』を挙げなかっただけ正常だと思う。
挙げていたら自らの手で救急車を呼ぶ以外に贖罪方法が思い浮かばない。
……川崎自身に選ばせるか。
最近はホテルや旅館でも部屋に料理を並べるタイプより、ビュッフェ形式が多いと聞く。あれなら好き嫌いの多い子供でも選んで沢山食べれるし、食品ロスも減らせそうだしな。部屋に配膳する人件費の削減もできるし。ホテル側にとっては最後の理由が重要なのだが客側にもメリットがあるのでwin-winだ。マジ比企谷家、おもてなしの心。
……なんで食事で例えたんだよ。
服はまあそれでいいとして、最大の問題は…………下着……だよな。
下着は予備の新品でもない限り、他人の物を使う選択肢などはあり得ない。
仮に俺が葉山の中古を借りなければいけないとなったら? んなもん洗濯物が乾くまで無しで過ごすに決まってんだろ。それまでの間、裸で庭に出て滝行をしろと言われても喜んでするね。誰が海老名を喜ばせるかよ。
女性用下着に全く知識がない俺は(っていうかある方が大問題なのでこれが正常)スマホで検索する。
『コンビニ』
『下着』
と検索キーワードを入れて調べるとお目当ての物はあっさり見つかる。
ランジェリーソムリエ(変わってるし)などと誇った過去の自分を殴りたい。この記事を書いたブロガーにその思いと共に謝罪と感謝の念を込めてコンビニへ向かうのだった。
× × ×
川崎が風呂から上がるまでには戻りたかったので、かなり急いで買い物を済ませてきた。
とても吟味する時間などなかったので二種類購入したが、これで良かったのだろうかと不安げに商品をチェックする。自分がランジェリーソムリエ見習いだということをつくづく実感した。
コンコン...
『⁉ ……あ、比企、谷?』
「俺じゃなかったら、それはそれでヤバイけどな」
半分嘘である。磨りガラス越しに見える川崎の肢体が再び欲情を煽り、俺であっても割とヤバイ。
「服乾くまでの代わり用意しといたから、好きなの選んで着てくれ」
『う、うん……ありが、と……』
バスルームにいる川崎に言い残して脱衣所を出た。
さて、川崎が出たらようやく俺もシャワー浴びれるな。
何かを忘れている気がしたが、やっぱり何も思いつかなかったので川崎の分も珈琲を淹れつつソファーで寛ぐことにした。
二人分の珈琲をテーブルに並べ、大量のシュガーとミルクと練乳を入れる。そうして自家製マッ缶が完成した時、リビングの扉がゆっくりと開いた。
「ぉおぅ……」
思わず驚嘆の声を上げて出迎える。
リビングに足を踏み入れた川崎はトレードマークであるポニーテールを解いていた。恥ずかしそうに頬を染め体を捩りくねらせる。辞書に載せたいほどに理想的なモジモジの体現者(何言ってんだ俺)がそこにいた。
何故そこまで恥じらうのか。コーディネートを見ればその理由も分かろうというものだ。
川崎は、
世の男子が憧れる『裸ワイシャツ亜種(造語)』の完成である。
その並外れて長く艶やかな髪は感嘆するほどに美しく、裸ワイシャツ効果も相俟って
そんな存在を目にできて単純に嬉しい、嬉しいんだけども⁉
「……か、川崎……おま、……なんて格好してんだよ……?」
「っ‼ よ、用意したあんたが言うな、こ、これくらいしか着れそうなの、なかったし!」
林檎飴のような赤い顔で反論してきた。多分、俺も赤くなってる。二人並べばサクランボみたい……って、おい、いまチェリーって言った奴、前へ出ろ。ちくしょう、上手い事いいやがって、合ってるよ!
それにしてもなんだよこの格好、同棲気分出し過ぎだろ⁉
「そ、そうなのか? いや、ほら、母ちゃんのと、小町の服も置いてあったろ」
「……なにそれ、嫌がらせ? 女物の方は、その、……胸、きつかったし……スカートは、ウエスト……緩かったりでずり落ちちゃいそうだったし……」
お前こそ、それ嫌味だから。母ちゃんと小町を無闇に傷つけるんじゃねえよ。雪ノ下の服でそれ言ったら命がねえぞ。
川崎のスタイルが良いのは知っていたが、三択でまさか俺の服が選ばれるとは……大が小を兼ねただけでそこに他意なんぞないと理屈で考えてみたものの、内心面映ゆい。まともに視線を合わせられないのは川崎も同様で、茹だった熱がなかなか引かず自身を抱く両手が所在なさげに動いていた。まだ寒いのかしらこの子。
「まぁ、お前のスタイルじゃ、しょうがねえか」
「⁉ す、すすす、スタイルとか、きき、気持ち悪いこといわないで!」
「なんでだよ……それ許されなきゃ俺の語彙じゃ表現不能なんですが。肉付きとか図体とか恰幅とか言えばいいのか?」
「あんた死にたいの?」
「理不尽過ぎる……」
急に鋭い目つきになり普段の凄みが戻ってきた。
確かにそれらは本来の意味とは別に豊満さをイメージさせてしまう。
肉付きがいい、図体がでかい、恰幅がいい……うん、見事なまでに女子への罵倒言葉だねこれ。
まあ、色々と問題はあるが、ひとまず落ち着けただろう。
下着は買ってきたものの、さすがに上までは用意できなかったので本人に面と向かって言えないが胸元には極力注意して行動していただきたい。俺の理性やばいから注意して行動していただきたい……!
大事なことなので二回言いました。
「そ、それに……」
「ん?」
「…………」
「…………」
「…………な、なんでもない」
言葉とは裏腹に、まるで訴えかけるようにちらりちらりとこちらを見てくる。
言いかけて止めるという焦らしプレイでやきもきさせ、答え合せもしない態度に業を煮やした俺はつい口に出してしまう。
「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言え」
「ひ、あ、その……」
途端に、ちょっと涙目になっておろおろし始める。
あ、こいつ結構打たれ弱いんだっけ。でも、なんかこの顔見てるとぞくぞくと来るものが……やっぱり俺、病気かもしれない。
「あー、いや、その、すまん。言いたくないな「わ、わざわざ下着まで買って来てくれて、その……」言うのかよ」
いま言わなくていい流れ作ったじゃん、なんで食い気味で俺の気遣いを潰しにくるんですか。あれか、潰すっていったのは肉体的なことじゃなくて精神的な面でか?
「……買って来てく、くれたお礼、言いたか、った、っていうか……」
恥ずかしがりながら、つっかえつっかえ懸命に言葉を紡ぐ姿がなんだか微笑ましくて口角が上がる。
「そ、そうか。至らない点があったらすまん。こういうことに慣れてなくて勝手がわからん」
「そ、そんなことない! むしろレギュラーとサニタリー両方用意してくれて、驚いたって……い、う……か」
勢いで返してきた川崎の感謝が赤裸々過ぎてえげつない空気を作り出した。
川崎は、顔ばかりかデコルテまでカァーっと赤くなっていく。
ほら、そこはさぁ、オブラートに包んで触れないでくださいよ。もし小町がここに居たら「うわぁ……お兄ちゃん、そこまでいくと気配り上手っていうか変態チックでキモイよ?」とか真顔で言われ、一生立ち直れなくなる自信がある。
大体、俺もなに言ってんだよ。二種類用意しといて至らない点が~とか、謙り過ぎて逆に嫌味かってなる。なんだったら想像上の小町が言った通り気配りし過ぎてキモイわ。確実にこういうことに慣れた人間のやり口だろ。
むしろ、俺は慣れてないからこそ2タイプ用意したわけで、決め打ちでどちらか選べたらそいつは相手の周期を知ってる……って周期とかいうな。ホントなに言ってんだよ。
俺が強く促してしまったせいで謝辞と共に、言い辛かった詳細まで述べさせられた川崎に同情する。
女性のデリケートな面に対して配慮してくれてありがとうってそりゃ言い辛いよな。空気読めよ、だから八幡って言われんだよ。バカやボケナスと同列の名前だぞ、存在自体が罵倒じゃねえか。何それ、生まれてきてごめんなさい。心の中でありったけの謝罪をする罵倒語の忌み名を持つどうも俺です。
川崎は相変わらず顔を真っ赤にしたまま、どう切り出そうか困っていた。
ここはモノローグだからこの際はっきり言おう。どう切り出そうとも【生理】に関連する会話になるので羞恥が和らぐことはないんですが。
これはやはり察せなかったこっちが悪いか。上手いこと水を向けてやるのがいまの俺に出来る最低限の責任というものだろう。大丈夫、俺って責任感はある方だし割と機転も利くから。
「あー、川崎、珈琲淹れたから飲むか?」
「……え⁉ あ、う、うん、ありがと、もらう」
カップに口をつけた瞬間の第一声が
「っ‼ あっま⁉」
「素人にはきつかったか。慣れれば病みつきになる」
さり気なく俺用(激甘糖分マシマシ)のカップを差し出し、結果を操作する。
思わず吹き出しそうなところをなんとか持ち堪えた川崎が抗議してきた。
「なんなのこれ、ベトナム珈琲?」
「お、近いぞ。これは練乳をぶち込んだ疑似マックスコーヒーだ。ベトナム珈琲も練乳を入れるから成分的には近い」
「マックスコーヒーって、……あんたがよく飲んでる、あれ?」
「なんでよく飲んでるって知ってんだよ」
「あ」
何故か、みるみる赤くなっていき目を逸らす川崎。
おや、なんだか予想の結果とは別の√に進んでしまった気がする。
①「あっま⁉」
②「慣れれば病みつきになる」
③「あんたいつもこんなの飲んでるわけ? 糖尿病になるよ」
④「(ドヤ顔で)人生は苦いから、珈琲くらいは甘くてちょうどいい」
⑤「バカじゃないの?」
こんな流れで、俺と川崎の空気を普段通りに戻そうと想定していたわけだが、③で早くも頓挫した。
マックスコーヒーを知っているのはいい。ここは千葉だし川崎も千葉県人だしな。むしろ知らなかったら奉仕部部室に呼び出して小一時間マックスコーヒーの素晴らしさを語り聞かせてやるところだ。その際、雪ノ下と由比ヶ浜に白い目を向けられるのは織り込み済みである。
しかし、マックスコーヒーを俺が飲んでいると知っているのは甚だ疑問だ。
川崎とは同じクラスだが、俺は休み時間になると大抵突っ伏して寝た振りをしている。話す相手がいないからな。
川崎も恐らく似たようなものだろう。よく窓の外を眺めているのも見かける。話しかけられる相手がいないからな。
昼休みはベストプレイスへ行き一人でパンを齧る。友達がいないからな。
川崎もきっと屋上で食べているのだろう。初めて黒のレー……喋ったとき屋上にいたし、きっとそうだ。親しい友人がいないからな。
似た者同士すぎてシンパシーを抱かずにはいられない。だが、これまでの中で俺がマックスコーヒーを飲むところを目撃する機会がない。教室じゃ絶対飲まないし。
うむ、分からん。
謎解きを諦めた俺は、この迷宮入りになりそうな事件を引き起こした犯人に目を向けた。
珈琲を飲んで誤魔化そうとカップに口をつける度「あまっ」と小さく呟く。俺と目が合うと再びカップに口を近づけるが、濃厚過ぎる糖分を身体が拒否するのか、猫のようにちろちろと飲み始めた。
川崎沙希という人物像から凡そ想像もできないくらいの愛嬌に満ちたその様はとても可笑しくて愛おしい。俺を魅惑して、心を離さぬ魔力を秘めていた。
色を帯びながらもほんわかとする心地良い空気に包まれる。
気づけばサニタリーの話や、疑問を追及する気も起きなくなっていた。
つづく