左手を解かれ口寂しい(喫煙者かよ)俺は、完全に川崎の出方待ちになっていた。
視界も封じられているが、別に拉致も拘束もされているわけではなく俺の意思一つで川崎の手を退けることは可能だ。しかし、それは無粋だろう。
そんなことをすれば、この微睡みに委ねたような心地良さが失われるのは目に見えていた。潮がサァーッと引いていくように現実へ戻されてしまうだろう。
お互いを酔わせる媚薬として【見えない】というファクターは重要なのだ。
左手が離れてからどれくらいが経過しただろう。気づけば俺の鼓動もだいぶ緩やかになっていた。
もしかして目隠しプレイから放置プレイへとルール変更されているのではないか? そんな不安も多少あったが俺とは反比例して荒くなっていく川崎の気息がその存在を主張するように聞こえてくる。
ベッドの傍に人が、川崎がいる安心感。目の見えない状況が生み出す仮初か、はたまた別の何かが働いているのか、熱で不調の今、答えを導き出すのは困難であった。うーん、頭の回転を上げるのに糖度が欲しい。
ぎしっ……
ベッドが少し沈み込んだ。顔の右隣りに何か重さが掛かったのが分かる。考えるまでもなく川崎の左手だと察した。何故なら、俺の顔に吐息が当たり、シャンプーの匂い薫る青みがかった髪がハラリと枕に落ちたからだ。
恐らくニ十センチと離れていない川崎は一体どんな顔色をしているのだろうか。
今日、何度も見てきた林檎のように赤く羞恥に塗れた顔だろうか。
自らの意思でこうしているのだから、厭悪や恐怖といった負の感情ではないだろう。
指を徹底的に舐めしゃぶって咥え込んだから、ちょっぴり……、というか割と……、じゃなくて結構……
…………もの凄く怒ってても不思議じゃありませんね。自惚れてました、ごめんなさい。
愚行を自覚した途端、顔の前にある表情を知りたくなくなってしまった。きっと激昂している。憤慨した表情だ。ただでさえ怖いのにプラスアルファされた川崎なんて最早想像上の生物だろ。目が合った瞬間、石になる自信がある。替わりに俺の目で相手を腐らせて一矢報いてやる。やだ、俺のが攻撃力高くない?
死なばもろともな決意を固めた俺は唇を引き結び、タオルが退けられるのに備えた。
だが、覚悟とは裏腹に川崎の熱く湿っぽい吐息が俺の気息と交わり、甘美なものへと変容していく。
「…………んっ」
「んんっ⁈」
ちゅ……、と柔らかなものが唇に触れる。
しっとりと熱を帯びたそれが川崎の唇であることは見えなくても分かった。
啄むような口付けをして離れたが、まだそこにいることは鼻をくすぐる吐息が教えてくれている。
「んむ……ちゅ、くちゅ、んふぅ、むちゅる……っ」
「⁉ んんっ」
再び重なる唇。
初めとはまるで異なる情熱的で官能を刺激するそれに、身体の内が熱くなっていく。
今度はお互いじっくりと唇を味わう。柔らかく瑞々しい唇は触れあっているだけでも気持ちが良い。その中にあって上唇を甘噛みしてきたり下唇に吸い付いたりとぎこちなくも一生懸命な姿がいじらしい。唇の境目を舌でなぞられる度、ゾクっとする刺激に身を震わせてしまう。
タオルを上から押さえていた右手の圧が消えた。顔を動かせばズレてしまうのではという心許なさが性的倒錯を煽る。
頬を両の手で優しく包まれ、吐息と共に鼻腔をくすぐる薫香が一層強くなる。頬に感じた湿り気がさっきまでの行為の生々しさを物語っていた。
むわぁっとした熱気を感じ匂いの濃さが増す。空気が変わり、それが次の段階に移る合図だった。
「ん、んん…………れろっ、」
「――――っ⁉」
ツンツン、と舌でノックしてきたかと思うと返事を待たず唇を抉じ開け、ずぞぞと侵入してきた。ヌメった生き物が口内を這いずって回り脳髄を痺れさせる。目が眩むような快感に翻弄されているのにまだまだ許さぬ、とばかり追撃の手を緩めない。
一旦、舌を引き抜いて穏やかな口付けを堪能していたのも束の間、再び舌で唇を開かせ唾液を送り込んできた。
「んん……じゅる、れる……あぇ、あぁ……」
「‼ ……んぐっ、んふぅ……じゅる、じゅるるっ、ごきゅ……こく、こく……」
あのインターバルで口内に溜めていたのか。その唾液を流し込まれ、舌で掬い飲み味わう。成分的には有り得ないことだが、今の俺にとってまさに甘露と呼ぶに相応しい甘さだった。
頭の回転を上げるのに糖度が欲しいとはいったけど、こういう糖度じゃねえよ!
……いえ、嘘です。この甘さ大好きです。こっちの方が嬉しいです。頭の回転は上がらんけど。逆に陶酔して鈍くなるけど。
お返しに唾液をと考えるも、こちらが下なので送り込むのが難しい。半返しすら出来るか分からん。
……なんで唾液が祝いの品扱いなんだよ。しかも唾液で半返しとかやり取りが変態過ぎるだろ。
「……ちゅ……んふぅ」
「ん⁉ ……ん、あふぁ……ちゅる、ちゅっ、んちゅ……」
余計なことで頭の中を埋めるより交わりに集中しようと考え、右手で川崎の後頭部を押さえつけ、より激しく口内を貪る。呼吸も忘れるほど狂おしく、ねっとりと舌を絡め合いお互いを求めた。
気息が乱れ苦悶すると、ようやく唇が離れた。二人ともぷはぁと息を吐き、どれだけ熱中していたかが分かる。
「はぁ……はぁ…………ん、あむっ、ふぁ」
「‼ ……んんっ」
三度、吸いつくように唇を重ねてきた。顔が見えない分、吐息と舌の動きに集中できる。今までより更に情熱的に、丹念に口内を蹂躙してくる。
こちらの舌に激しく絡め擦りつけてくる。裏側を重点的に責め、そこから舌小帯を伝い口腔底を舐められた。普段、刺激を受けない部分だけに経験したことのない類の快感が得られ、それでも手を緩めずに舌を這わせてくる。下顎中切歯から歯茎を伝い、下唇小帯に到達した。そのまま唇の内側をなぞり舌を擦りつける。
まだ犯し足りないのか、獲物を狙う蛇のように再び舌を求めて粘っこく絡めてきた。しばらくそうしていたが、思い通りにいかずもどかし気な呻き声を上げる。一旦唇を離した川崎は俺の口を開き、左手人差し指と中指をマウスプロップのようにして固定する。そして舌の裏側に右手の指を入れ『顎クイ』ならぬ『舌クイ』で曝け出させると、ぱくりと咥え込んで吸い付いてきた。
下顎の時とは趣の違う快楽にぞわりとして何も考えられなくなる。
あの手この手で多様に快感を与えられ、心臓はばくばくと痛いくらい脈動し、下腹部の張り詰めが尋常ではない。この後どんなことをしてくるのか期待し俺の呼吸は静かに荒くなっていく。
ベッドの軋みと共にスッと重みが失われた。両の手と唇が離れたのだ。名残惜しく舌を伸ばしてみたが、虚しく空を切る。足音が遠ざかり部屋を出る音がした。
……俺は今まで一体何をしていたのだろう。二つの意味で熱に浮かされていた為か、これが夢なのか現実なのか、眠っているのか起きてるのかの境界線が酷く曖昧である。
だが、夢の象徴である少女がこの場から姿を消したことでその均衡が崩れた。
記憶違いでなければ、さっきまでの俺は川崎の指を舐め咥え吸いつき、彼女はそれにキスで応えた。
……いやいや、俺がキス童貞を卒業するとか有り得んだろ。しかも、相手はあの川崎だぞ? 川崎じゃなくても有り得んけど。それを言うなら川崎の指を嬲ることのが有り得んだろ、舐めた時点で悲鳴を上げて家から逃げ出すレベルなのに順番に指舐めさせてくれたりとか益々有り得ん。何回有り得ん言ってんだよ、もう有り得んがゲシュタルト崩壊起こし出してる。
いや、実際崩壊したんだった。さっきまで俺と川崎の間でその『有り得ん』が失認症起こして実現してたんだし。ん? 実現してたんだよな? なんだったら今、川崎がゲシュタルト崩壊してるまである。
そう、『有り得ん』の証人である川崎が今この場にいない以上、さっきまでの出来事も全て夢だったという結論に至る方が自然である。
夢かもしれなかった出来事に頭を悩ませていたが、頭の重さが未だに熱に浮かされていることを訴えかけてきた。もう頭が考えることを拒否し始めている。考えることが面倒くさい。ならば、もう眠ろう。起きてから考えればいい。
疲労が溜まっていたのか、眠ると決意すると俺は程なくして意識を手放していった。
× × ×
「…………ん」
ぼんやりとした常夜灯の明かりが部屋を照らしている。今何時なのか時計を確認しようとして気づいた。
「……目が……見える」
まさしく厨二病発言ではあるが用途は合っているので逆に恥ずかしい。
寝る前はタオルが瞼に乗せられアイマスク状態だった。それが無くなっているが故の発言である。しかも、保冷枕まで敷かれていた。
確かにタオルが置かれていたはず……
その後、川崎の指を舐めて川崎にキスされて、
…………川崎は、いなくなった。
一体どこまでが現実だったのか……。
……本当に川崎は家にいたのだろうか。そこから既に不安になっていた。なんなら、初めからタオルなどなくて自分で保冷枕を出して寝てたという方がしっくりくるまである。
「(喉、渇いたな……)ゴホッ‼」
小声で呟いたつもりが全く声にならず、喉にヤスリで削られたような痛みが走る。ひと眠りして喉の不調が顕著になるとは典型的な風邪の症状だ。現にベッドから立ち上がろうとすると足取りが覚束かず倒れそうになる。
頭が重い。
思考が鈍い。
身体が自由に動かない。
喉は渇いていたがキッチンまで行って戻ってこれる自信がない。小町も両親も帰って来ないし、廊下で倒れたらそれこそ発見されるまで半日以上を要するだろう。そんなことになったら永遠の眠り、までは誇大表現だが、三日くらいは眠りに就かされるかもしれん。病院のベッドで。空恐ろしさに負けベッドに腰を下ろす。
こうも身体が弱っていると気持ちもそれに比例して弱くなる。
皆このような経験はないだろうか。風邪で学校を休んだ日、勿怪の幸いとウキウキしながら『うおー、合法的に休めるぜ!』『寝てばかりじゃつまんねーし、ゲームしよっと』『明日教室着いたら机に菊の花とか置いてないかしら?』などと楽しい予定(最後のは違うか)に胸を躍らせたことが。
しかし、思ったよりも症状が重く数々の楽しい予定は霧散し、親も妹もいない独りぼっちの孤独な一日。熱と節々の痛みで弱った身体は心を蝕み、挙句の果てに『クラスメイトの女子がお見舞いに来てくれた!』という弱り切った心が見せる都合のいい妄想。当然ながら、実際は誰も来ずに日が暮れる寂寥感は異常。お見舞いに来てくれるかもという期待を抱かせた上で来ないことによって、より心にダメージを受けてしまったことがないだろうか?
もしかすると、さっきまでの俺はその
だとすれば、ほとんどの疑問に説明がついてしまう。俺の心にも余計なダメージを負わせてしまった。これで愉悦でも感じていたら立派な
いつもなら心地良さを覚えるはずのぼっちというスタイルが今は全く機能せず、独りでいることによる物寂しさと心許なさを生んでいた。身体の不調とそれに付随する気力の低下によるせいだ。
……せいだと思っていた。
本当にそれだけが理由だろうか。
――違う。
薄々だが気づいていた。
夢現つのどちらであったにせよ、川崎との触れ合いは衝撃的で俺の心に得体の知れない感情を残した。その感情の正体を知りたい。あの肌の温もりに包まれたい。
ぼっちでいることよりもそのエゴが勝りベッドで仰向けに倒れ込み、らしくない言葉を口にする。
「………………川崎」
「…………なに」
扉を開けて部屋へ入ってきたのは、独り言を会話へと塗り替えた張本人、川崎沙希その人であった。
つづく