どうやら八幡は出荷されるようです……
「…………川崎? ……川崎ぃ⁉」
「ちょっ、……よ、呼んどいて、驚かないでよ……」
そりゃ驚くだろ。我知らず呼んだんだし、そもそも独り言だったから返って来て超驚いた。
常夜灯の光量でも十分に識別することが出来る川崎の髪型は普段から見慣れたポニーテールだった。服装も学校の夏服そのままで、その姿があの出来事を幻だと明示しているようだ。
川崎はうちにあることも知らなかった小さい土鍋と小鉢が乗ったトレイを手にして佇んでいる。その様子はびくびくとして小動物を想起させた。何か言いたげに口をとがらせ、やがて意を決したのか言葉を紡いだ。
「あの、……悪いけど、勝手に冷蔵庫とか調べて、消化のいいもの作ったんだ、けど……」
つっかえつっかえ懸命に喋る川崎に嗜虐心をくすぐられつつも現状を把握しようと必死に頭を巡らせる。
いつものポニーテールとシュシュ、夏服姿、黒のレー……ってそこはいま見てないから未確認だな。確認できればさっきの出来事が妄想か現実かが分かるんだが……。
――って待て待て、それってただ見たいだけで関係ないだろ。普通に洗濯乾燥終わって着替えてきたんだから、服装の変化は妄想の真偽に一切関りがない。いま穿いてるのがコンビニで買ったレギュラータイプだったとしてもそうなんだ。としか思わんし、逆に今日穿いてたか知らんけど黒のレースだったとしても全身と下着も着替えたでFAだわ。
ただ、家に川崎がいる時点で、あれが現実に起こっていたかもしれないことを示唆していた。
くぅ~、と小さく俺の腹の虫が鳴り出す。お互い次をどう切り出そうか考えあぐねていたが、渡りに船とはこのことだろう。ふっと笑みが零れ、俺の羞恥が犠牲となって場の空気が弛緩した。
「っ……その、サンキュな。ありがたく頂かせてもらうわ」
「ふふ……うん、召し上がれ」
ベッドの縁に座る俺の膝にトレイが運ばれてきた。
土鍋の中身はお粥……かと思ったが、ただのお粥ではなかった。卵だけでなくネギやしめじにほぐした鮭も入っていて雑炊に近い。小鉢の梅干しを見ているだけで唾液が溢れ、食欲をそそる。さっきこれがあればもっと唾液が分泌して下からでも半返しでき……いえ何でもありません、ごめんなさい。まだあれが現実かどうか確認も取れていないのに夢想してしまった。
オコメ目オカユ科ゾウスイ属なそれ――つまり雑炊――は非常に熱く、しかも土鍋自体が熱源になっているのか冷める気配がない。猫舌の俺では栄養を食らいダメージも食らいそう。トータルでマイナスまである。
ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ…………
……ねえ、いつまで吹いてんの俺。こんなにふーふーしてんのにちっとも冷めないんですが。それでも冷めない雑炊に軽く殺意まで沸いてくる。冷まそうとしてるのに沸くとか日本語って不思議だよね。本当は湧くだけど。
あまりにも冷めない雑炊を無心でふーふーしていると、視界が乱れてクラッとしてきた。
風邪か? いいえ軽い酸欠です。
レンゲがカシャンと耳障りな音を立てる。慌ててトレイを押さえた川崎が心配そうに眉根を寄せていた。
「ちょ、大丈夫なの?」
「……ああ、心配いらん。お粥が熱すぎてくらっとしただけだ」
「……まだ食べてないのに、どういうことなのそれ」
熱い→冷まそう→ふーふー→酸欠
という一連の現象を一言にまとめたが理解してもらえなかったらしい。どう説明したものかと思案しているとそこにもう興味がないのか、何か切り出そうとしては口籠るモードを発動していた。
川崎を促して会話を引き出した方がお粥を冷ます時間を潰せて効率が良い。俺にしては似合わないと自覚しつつ水を向けた。
「……お前も食べるか?」
「え⁉ いや、あんたの為に作ったのに『食べる?』って勧めてくるのってどうなの?」
いや、どうなのって言われましても、俺は猫舌だし、お粥は熱いし、川崎も腹減ってるだろうし、効率的に考えるとベストアンサーだと思うんですよね。
川崎が冷めた視線で睨めつけてくる。その視線をお粥に向けてくれませんかね。冷めるかもしれない……わけないか。
……ん?
「俺の為に作ったの? ホントに?」
「あ、いや、あの、それは、勢いっていうか、言葉の綾っていうか、風邪引いてる人に消化いいもの作るのは当たり前って意味であって、べ、別に、他意とかないから、えっと、」
もう見ていて気の毒になってくる慌てぶりにこっちまで動揺が移ってしまう。
「あー、分かったから、そんな必死にならんでも分かってるから、可哀想な病人を放っておけなかったんだろ」
「え、あ、その、そういう意味でもなくって……」
えぇ、これも不正解なの? 女子わかんねぇな、マジで。『これ、誰の為に作ったかわかる?』くらい難問じゃん。いや、それって本来難しくないはずだけど、提示した解答が悉く潰されて八方塞がりだから悩んでるんだよね。お前の為でも、俺の為でもなく、病人の為でもない。じゃあ、このお粥は誰の為?
「……ってか、結局これ食べていいわけ?」
「え、あ、う、あ……あの、えっと、……」
あわあわしている間、お預けをくらう忠犬八。ほら、忠犬て社畜っぽいでしょ。だから忠犬。猫舌だけど忠犬。今現在ステイしてるしマジ忠犬。何回忠犬言ってんだよ俺。
そんな忠犬にステイさせている
「……あの、あんた、今ふらついてレンゲ落としそうになってたし、その、……えっと……」
「お、おう……」
少しずつ言葉を紡ぎ、それはついに形を成した。
「あ、あたしが、その、……た、食べさせて、あげよう、か……?」
「おう……おう?」
やだ俺ってば実は忠犬じゃなかったのねって出自を疑ってしまうくらい鳴き声がオットセイ。
え、なに? 食べさせる?
聞き間違いでなければ、あのマンガやゲームとかで見る『あーん』の方だが、普段の川崎をイメージすると『
顔を真っ赤にして眉根を寄せ、それでもしっかり俺を見据える。いつもは鋭く切れ長な瞳が、今は潤み優しさに満ち溢れ、厚情以上のものを感じた。
「い、いいのか……?」
その真剣な表情を見て『嘘だろ?』という疑いを向ける言葉など出せるはずもなく、彼女の覚悟を問う一言で訊き返す。
こくん、と小さく頷き俺のレンゲに手を伸ばす。
『……あっ』
悲鳴にも似た小さな声が漏れる。
レンゲのような持ち手の小さい物を受け渡す際には割とよくある現象だろう。お互いの指が触れ、俺達は弾かれるように手を離した。
「ご、ごめ……」
「いや……」
既に赤かった顔だが、その色が耳や首にまで広がる。煙が吹き出そうなくらいに茹だっていた。
控え目にレンゲを差し出すと、ぎこちなく手を伸ばしてくる川崎。そのぎこちなさたるや、『箱の中身はなんでしょうクイズ』の箱に手を入れるくらいおずおずしていた。なんつーの、もう躊躇う通り越して恐怖の対象に触れようとしてるんじゃないかってくらい。運動会のフォークダンスで女子から忌避された過去がオーバーラップする。くすん。
なんとか無事にレンゲを受け取った川崎はまだまだ煮え滾るお粥をひと掬いした。
「ふーっ、ふーっ、……」
レンゲに息を吹いて冷まし、ついにあーん! というタイミングで再び、
「ふーっ、ふーっ、……、ふーっ、ふーっ、……、ふーっ、ふーっ、……、ふーっ、ふーっ、……、ふーっ、ふーっ、……、ふーっ、ふーっ、……、ふーっ、ふーっ、……」
ねえ、それさっき俺やったよね?
ただ俺よりヴァージョンアップしてる。ふーふーの後、俺の口に運ぶと見せかけてまたふーふーするフェイントモーション。ふーっ、ふーっ、……、ってリズミカルにフェイントいれるなよ、ラマーズ法かと思っちゃうだろ。
川崎の顔は赤く眉根を寄せ、レンゲを持つ手どころか身体まで震えていた。しかし、その双眸は強い意思を込めて俺を見つめる。それでも吹いては躊躇いを繰り返しているのだから、余程恥ずかしいのだろう。手が触れた反応といい、やはりさっきの出来事は微睡みの中で見た夢だったのだ。でなければこの程度のことをこんなにも躊躇するはずがない。もっと恥ずかしいことをしていたのだから。
いい加減、お粥も冷めたし腹も減っているので、こちらも協力すべきだろう。なーに、夢の中とはいえもっと恥ずかしいことを経験した俺なら出来る。多分。
「ふーっ、ふーっ、」
「……あーん」
もう何度も見たその左にカウンターを合わせにいく、みたいな要領でこちらから迎えに行く。一瞬びっくりして目を見開いていた川崎だが、震えた手を止めることなく俺の口へと運んだ。
ネギの香り、出汁と米の甘味、キノコと鮭の旨味、それらが混然一体となり俺を満足させた。
「……旨い」
慣れないキッチンとあり合わせの材料でよくぞこれほどの料理を作れたものだと感心した。そうでなくても、風邪を引くと嗅覚が鈍くなり料理を旨いと感じないのに。
「あーん……」
お代わりの意思表示で口を開けた。俺らしくない行動に心の中で苦笑するが、川崎は差して気にする様子もなく嬉しそうに二口目をレンゲで掬った。
慣れてくると食べる側も運ぶ側もスムーズになっていく。スムーズ過ぎて冷めきらないお粥に熱がる一幕もあったが、涙目で謝る川崎の顔が可愛すぎて俺得まであった。
食べ進んでいくともう完全に普段の調子を取り戻したようだ。実に甲斐甲斐しくテキパキと慈愛に満ちた、家で見せているであろう姉像がここに顕現する。
その姿に、いつもなら口にするはずがないであろう名を口にしてしまった。
「……大志にも、こんな風に看病してるのか?」
何故ここで毒虫なのだろうか。確かに俺と川崎では共通する話題が少ないことは認める。でもだからと言ってこれはないだろう。しかもこの訊き方だとまるで……。
驚きと不思議さの入り混じった表情を正した川崎は事も無げに答えた。
「……そうだけど、……え、なに? なんか変なとこでもあった?」
俺の心配なんぞ杞憂でしかなく、質問の意図を汲み取り損ねた川崎は看病の仕方に問題があったのかと見当違いの憂慮をする。
いやー、そういう意味じゃなくてですね、ぶっちゃけ看病自体は完璧ですよ。女子にあーんとかされるって二次元の話でしかないと思ってたくらいだし、最近ではゲームでも3DとかVRがあるから仮想空間やフィクションの話と銘打つ方が正確かもしれない。今まで女子に看病とかされたことないけど、なんなら小町にすら看病されたことないけど、それは小町が家事全般出来るようになってから俺が一度も風邪を引いたことがないということに由来するもので、決して小町に愛されてないからではないんですよ。……愛されていると信じたい。
話が逸れたが、こんな風に川崎にお世話してもらっている毒虫には贅沢極まりない待遇であり遺憾ですらある……つまり、めちゃ羨ましい。
……うん、皆まで言うな。キモい自覚はある。俺にとっては回天動地を意味する事件だ。同級生の女子が弟を看病した事実に嫉妬するとか、何か……独占欲が強い彼氏、みたい。
……やっぱ重症だわ。
己の心との対話に夢中になり過ぎて無言になっていたことに気づく。同時に俺の言葉を不安げに待っていた一対の視線にも気づいた。
「いや、看病し慣れてんだなって」
誤魔化し深淵を覗かせないよう当たり障りのない返しをする。沈黙が長過ぎて絶対こんなことが言いたいんじゃなかっただろって疑われそう。雪ノ下姉妹のような先読みや穿った見方をする手合いが相手だとそうなっていたが、俺を初めて看病してくれた少女は酷く素直で、心配はまたしても杞憂となる。
「あ、いや、別に大志は最近そんなことないけど……」
ざまぁみろ、と零れないよう唇を引き結びながら口角が上がりそうになる表情筋にも注意する。
「京華……妹が偶に熱出したりするから看病はそっちが多いかな」
「妹? ああ、兄弟いっぱいいるんだっけ」
知り合う切っ掛けになった事件の話し合いで毒虫が言っていたのを思い出した。大志だけでなく何人もの弟妹をお世話して看病してるのだから慣れてるのも当然か。
こいつが倒れた時はどうなんだろうと頭に浮かんだが訊くのは我慢した。あの事件で弟に気を遣わせないようバイトを隠すくらいだ。もし川崎が弟達に看病されたことがあったら間違いなく彼女にとって地雷となる話題だろう。俺なら小町に看病されていたら喜々として自慢するが。
それを察したのか会話を遮るように次々あーんが繰り出された。まるで餅つきの合いの手のようにリズミカルに。
ねえ、咀嚼って言葉を存じ上げない?
いくらお粥でも咀嚼したいんだけど?
やっぱ『
どうやら俺の出自は忠犬でもオットセイでもなく、ガチョウだったようです。さらば、俺の
この先フォアグラは一生食べないと心に誓いながら、川崎家の長女に
つづく