アクナイ妄想小話集   作:D.a.ネモ

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フィルムリールは回り出す

 

 

 

 この物語はロドス号の下層にある倉庫の、とある人気の無い片隅から始まる。

この細長い空間のインテリアといえば、段ボールが無造作に置かれた金属製の棚や裸電球が立ち並んでいるのみで、風情や趣はこれっぽっちも見受けられない。

 

 不意に、長らく務めを果たしていなかった自動ドアが開く。清掃班も滅多に来ないせいで埃が薄く積もった木製の床の上に、良く磨かれた黒いヒールがカツン、と音を立てて踏み行った。

その足取りは少し頼りなく、叩けば簡単に折れてしまいそうな脆さを孕んでいた。白と紺色を基調とする、ドレスめいたナース服を着た女は、辺りをきょろきょろと見渡し、細い口を開いた。

 

「虚影さん………虚影さんはいらっしゃいますか?私です、ウィスパーレインです」

 

 どうやら彼女は人探しをしているようだ。

普通に考えれば、こんな薄汚れた場所を好む人はまず居ない。しかしこのウィスパーレインと名乗った女は確信を持ってこの場所へやってきた。それもその筈。彼女が探しているのは普通の人間では無いのだ。

 

「…………」

 

 その時、ウィスパーレインの眼前の空間が歪み、どこからともなく黒い人影が、まるで待ち合わせをしていたかの様に現れた。不気味な仮面を貼り付けた、フェリーンのシルエットをとった影の男は、レディにヴィクトリア式の礼をして、彼女の広げたロドス号の艦内地図を覗き込んだ。

 

「あの人をここに呼んでもらえませんでしょうか。少しお話ししたい事があるのですが」

 

 影の男はコクリと頷き再び一礼すると、虚空の中に溶けていった。ウィスパーレインは影を見送ると、先程影に指し示した場所……自身の個室へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

____ピピッ。

 

 

 IDカードをリーダーに通すと、電子音と共にドアのロックが解除された。ウィスパーレインはノブを回して中に入ると、クルリと半回転して呟いた。

 

「どうぞ」

 

 

「…………ああ。」

 

 すると空間がぐにゃりと揺らぎ、ウィスパーレインが逸れた地点から黒ずくめの人間が躍り出た。そのシルエットは先程の影と同じフェリーンの男性で、身長はウィスパーレインより頭一つ分高い。

 礼節と動きやすさを両立させたオーダーメイドのスーツとストール、その上から羽織っている漆黒のケープが彼のトレードマークだ。見に纏うミステリアスな雰囲気も相まって、そのみてくれはステージから降りてきた劇の主役のようだった。

ウィスパーレインは心からの笑みを作って、男に挨拶をする。

 

「こんばんは、ファントムさん」

 

「招待に感謝する、ミス・ウィスパーレイン。ちょうど予期せぬ休暇のせいで退屈していた所だ」

 

「私は無理を言って付き合ってもらっているだけですから、感謝の言葉なんて……えっと、まずは…とにかく中へどうぞ」

 

「分かった。ミス・クリスティーン………君も入りたまえ」

 

「にゃおん」

 

 すると薄暗いファントムの足元から、これまた真っ黒な猫が1匹現れた。名はミス・クリスティーン。彼の無二の友であり、今夜の招待客の1人だ。

2本の尻尾を揺らしながら、彼女はウィスパーレインの部屋を見渡した。

 

 

 当然の事だが、そこは他の一般オペレーターに与えられる部屋とまったく同じ構造をしていた。左から端末が備え付けられたデスク、長方形の窓に隣接したシンプルな造りのベッド、シャワーとトイレがセットになった個室といった具合で、人が1、2人住むには困らない。

 壁にかかった高画質な薄型テレビと正面にある大きなカウチ、木製のラックに収められた大量のDVDは、彼女が全て自費で購入した物だ。だがミス・クリスティーンにとってそんな事はどうでもよく、黒猫はウィスパーレインが持ってきたミルクを嗅ぎつけると、一目散に駆け寄った。

 

 

「ふふっ、おかわりもありますから、好きなだけどうぞ」

 

「にゃっ!」

 

「……飲みすぎるなよ。所でミス・ウィスパーレイン、今夜は一体…何の用で我々を呼んだのだ。」

 

「結論から言うと……貴方と映画観賞をするためです。」

 

 ウィスパーレインはラックの中から映画のDVDを一つ引き出して、ファントムに見せた。おどろおどろしい字体で書かれたタイトルはズバリ、「レジデント・オブ・ハウス VII」。

穴の空いた屋根から飛び出す触手のような物体が目を引くパッケージの中央には、白いワンピースを着た若い黒髪の女がポツンと立っていて、不安げな表情でこちらを見つめていた。下部に見える、女に向かって手を伸ばす男は主人公だろうか。

 

「この作品は……以前ドクターから話を聞いた事があるな」

 

「本当ですか?」

 

「ああ、以前執務室にミス・エクシアが来た時だ。なんでもかなりの人気シリーズで、久しぶりに発表された続編だと。話の内容は余り覚えていないが、ミス・アーミヤに叱られる程には、熱中できる映画なのだろうな」

 

「……そんなに人気だったんですね」

 

 ファントムの顔は今のセリフに合点がいかない、といった表情を作った。

 

「…知らなかったのか?」

 

「はい……実は私、ホラー映画だけは、その、苦手で……」

 

 ウィスパーレインは恥ずかしそうに言った。彼女はファントムから目を逸らしながらも話し続ける。

 

「以前…私とファントムさんはマルチメディアのスタッフに応募しましたよね」

 

「ああ。君は私の分まで手続きを通してくれたな」

 

 

 ファントムは服の内ポケットから、小さなチラシを手に取って広げた。彼はその文面を読み返しながら、この小さな出会いを回想する。

 

 『マルチメディアコンテンツ 密室 スタッフ数名募集

  密室での重く、緊迫した探索の雰囲気を設計できるスタッフを募集中。

  密室に設置する謎やトリックを設計できるスタッフを募集中。

  演技が出来るスタッフを募集中。』

 

 数日前、ファントムは任務中に足を負傷したにも関わらず、それを隠していた。人との接触を嫌う彼の性分故だ。だが僅かな仕草からそれを察したウィスパーレインが、人目につかない場所で応急処置を施したのだ。結局は…フォリニックにバレてこっぴどく叱られてしまったのだが。

 

 

「今回のテーマはホラー寄りとの事だったので、参考にしようと、購買部からクロージャさん一押しの品を購入したのですが……それが、とても怖くてっ」

 

 両手で顔を覆いながら、ウィスパーレインは悲痛な声を漏らす。しなやかな細指の隙間から覗く陶器のような白色は、綺麗な朱色に染まってしまった。

ファントムは彼女の右肩にそっと手を乗せると、やさしげな声で言った。

 

「……望むなら、今夜は日が昇るまで付き合おう。ミス・ウィスパーレイン、私に出来る事が有れば何でも言ってくれ。君の恐怖を少しでも取り除かせてくれ」

 

「あっ、ありがとうございます……では、その、笑わないで欲しいのですが_______」

 

 ウィスパーレインは俯いて少し考えた後、再びファントムの目を見て、勇気を振り絞って言った。

 

「手を握って…もらえますでしょうか」

 

 

「…構わない。」

 

 

 返事は言わずもがなといった感じの、実にあっさりとした物だった。

だが、その淡白とした台詞がウィスパーレインを安堵させた事は、言うまでもない。

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

「ミス・ウィスパーレイン、確かに私は『何でもする』と言った。しかし………これは近すぎるのではないか?」

 

 ガラステーブルに茶を並べ、平皿にミルクを継ぎ足したウィスパーレインは、ビデオデッキに例のDVDを挿入した瞬間、逃げるようにファントムの腕に抱きついた。

 

「そんな事はありません。ファントムさんは、この映画を知らないからそんな口が聞けるんです…!」

 

「………」

 

 

 ファントムは正直な所、なぜウィスパーレインがここまで怯えるのかが理解できなかった。例えどんな怪物が存在したとしても、所詮それはフィクションにすぎず、実際に目の前に死の危険が迫っている訳ではない。彼からすれば、そこに恐怖心を抱く道理など存在しなかった。

 だが彼は同時に____彼自身矛盾しているな、とは考えたが____ウィスパーレインの思いに共感もしていた。かつて舞台の上で感じていた、役と一体化していくような高揚感と近しい物があったからだ。

演者と観客。立場は違えど「のめり込む」という点において、両者はさほど変わらない。

 

「さあ、始まりますよ……ファントムさん、ちゃんと見てくださいっ」

 

「……君の望むままに。」

 

 

 窓の外を一瞥したファントムは、自身にもたれかかるウィスパーレインの体重を支えつつ、画面に目を向ける。

そこに映る世界では偶然にも、此方と同じく囁くような(whisper)涙雨が降り注いでいた。

 

 

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