―― Look Back Cinderella ―― 作:なでしこ
名古屋からカサマツに戻るまでの間、会話は少なかった。トレーナーは私に気を遣ってか、話しかけてくることは無かったし、私もただ瞼を閉じて何も考えないようにしていたから。
ただ、カサマツに着いた途端、ものすごい歓迎を受けた。失望されたと思っていただけに、つい驚いてしまうほどの歓迎。頑張ったね、なんて言われたから涙が出そうになった。
その場で皆に、勝てなくてごめんと謝った。期待に応えられなくてごめんと続けた。トレーナーは私のことを庇って謝罪していたけど、皆はなんで謝っているのか理解していなかったように見えた。
――君はカサマツの希望だよ。
誰だか分からなかったけど、そんなことを言われた。そんなわけないと否定したかったけれど、歓迎ムードに水を差す感じがしたから言わなかった。本当は違うのだ。私は希望でもなんでもない。
奴が出ていたら、きっと勝てていただろう。カサマツにとって彼女の存在価値そのものが別格なのだから。
歓迎を受け終えた私は、ひとり寮部屋に戻って横になっていた。同時に襲い掛かってくるのは虚無感。夢の終わりを告げる音だけ。
東海ダービーの為に走ってきたようなモノ。その結末は残酷で、自身の存在意義を考えてしまうほどに思考が回らない。
こうして見ると、二段ベッドの下は圧迫感がある。上から押さえつけられているようで違和感を覚える。一昨日までの自分とは明らかに違う。これまで見えてこなかった部分が見えるようになった気がした。
これから私は、何を目指して走れば良いのだろう。何の為に脚を使えば良いのだろう。
――永く
そんな約束は、口だけに過ぎないのだろうか。心の中に灯っていた熱意が消えていく感覚は気持ち悪くて、瞼を閉じてこの現実から逃げたくなる。そんなことを許してくれるとは思えない。……いや、奴はきっと笑って許してくれるだろう。だって、そういう奴だから。
あぁ、私はこんなにも単純な生き方しか出来ないんだな。走ることしか考えてこなかった弊害とでも言うべきか。瞳が溺れる。涙という海に。ははっ、何とも呆気ない幕切れだ。夢に敗れて、力無く倒れるしか無いこの私の末路――。
もう、走りたくない。
▼△▼△
「よお。ちょっといいか?」
歓迎の余韻が消え去った学園。無気力のまま登校した私に、そんなことを言ってきた男がいた。誰も居ないところでひとりになりたかった昼休みの廊下。振り返ると、見覚えのある壮年の男が居た。
「――あなたは」
「お前さんらの元ライバルだよ」
聞いた話だと、中央のライセンスを取得するために奔走しているとか。最近見かけなくなっていたのはそのせいだと勝手に納得する。
その彼が話しかけてくる理由がよく分からなかった。とにかく今はひとりになりたい。放っておいてほしい。
トレーナーは担当していないウマ娘に声を掛けることはあれど、こうした二人きりの場面で話しかけることは得策ではない。色々と誤解を招く恐れがあるからだ。引き抜きか、余計な情報を吹き込むかして。
しかし、彼は奴を手懐けた時点で、そんなことをする人種ではないと分かっていた。加えて、彼の体から僅かに
「ったく、柴崎も無茶言う」
聞こえるように愚痴を言っている。なるほど。どうやら私の勘は当たっていたらしい。
きっとトレーナーは、彼に助けを求めたのだ。かつてのライバルとして、声を掛けてほしいとでも泣きついたのだろう。
実に彼らしい。基本的に自分でなんとでも出来るタイプであるが、どうしようもない場合は素直に助けを求めるのが私のトレーナー。
別に
「お前さん、随分と雰囲気変わったな」
「……そうでしょうか」
「あぁ。言い換えると
胸の奥をギュッと握られた気がした。萎れたという言い方は、あまりにも今の自分に合っている。不愉快ではあるが、言い返すだけの理由は見つからない。だから、黙るしか出来なかった。
東海ダービーを前にした私が満開の花だったとしたら、今の自分はピークを過ぎた落ち目である。栄養を吸い過ぎて食べられなくなった。このまま枯れるのを待つしかない哀れな存在だ。
自分ひとりじゃ何も出来ないのだ。私は、奴に出会って、奴に負けたくないと誓って、ひたすら走って走って走りまくった。でもそれは、戦いたい相手が居たから。
居なくなって、私に残されたのは東海ダービーに出るという夢だけ。それが四着に終わって、今の私には何も無い。あるのは夢の残骸と無気力な自分だけ。
「まるで燃え尽き症候群みたいだな」
「……なんでもいいでしょう。あなたには関係のないことですから」
「ん、まぁ、そうなんだが」
バツが悪そうに襟足を掻いている。そこは否定しないのが少し意外だった。
「なんつーか。むず痒いのは事実なんだよ。一応、俺だってダービー目指してたからさ」
言われてみるとそうだった。どちらかと言えば、奴よりトレーナーの方が東海ダービーの名前を挙げていたような気がする。それが中央への移籍で無くなったのだ。何ともあっけない幕切れである。
だが、それは私には関係のないこと。むず痒いと表現した彼の気持ちは分からないでもないが、今さら言われてもどうにもならない。
「
一言多いんだ。別に口には出さないけれど、眉間に皺が寄る。自然と態度に現れてしまった。
「別にどうでもいいでしょう。何故あなたにそんなことを言われなければならないのですか」
「フジマサマーチは強いからだ」
思わず言葉を飲んだ。少なくとも、今の私に掛ける言葉としては最も適していない。
今日は風が強い日だった。施設として整っているとは言えないここは、所々窓が鳴る。耳障りであったが、無音よりはマシだ。彼のペースに飲み込まれる気がしたから。
「今のお前さんを見ると、アイツはきっと落ち込む。アイツにとってフジマサマーチの存在は、それだけ大きなモノなんだよ」
そう言いながら、彼は一枚の紙切れを差し出してきた。唐突であったが、彼と目が合って思わず受け取ってしまった。
綺麗に折り畳まれたソレに視線を落として、広げる。そこには規則性のない数字。電話番号のようで、そこで察した。
「アイツが居る寮の電話番号だ。現状報告も兼ねて、電話してやってくれ」
「……それは」
「お前さんとのレースを楽しんでたんだ。アイツも話したいだろうからさ。頼むよ」
言い残して、彼は私の前から去っていった。最終的に言いたかったことは「奴のことが心配」なだけじゃないか。私をダシにしただけ。
だがまぁ、彼の気持ちも理解できる。かつての相棒は今や、中央の中でも屈指の実力者として名を馳せていた。
その中で、変化が無いか気になるのもトレーナーの性なのかもしれない。なら直接連絡すれば良いのにとは思わないことにした。
窓の外に目をやる。グラウンドで数人のウマ娘が走り込みをしている。私が入学した時よりも少しだけ、雰囲気がピリッとしたような。それはそうと、どうしようか。紙切れを制服のポケットにしまいながら、そのまま窓にもたれた。割れたりしないだろうか。一応、強化ガラスらしいが、にしては心許ない。
久々に奴の声を聞きたいと思うのは事実。あの能天気な彼女の声は、不思議と心地良くて。だが、電話してしまえば、きっと。感情を取り繕うことが出来ない。東海ダービーのことを言ってしまう。惨敗したことを。
何と言うだろうな。笑うだろうな。いや、何も言わないだろうな。こうなったら、見栄でも張ってやろうかな。
何にしても、奴は信じるだろう。純粋で、走ることしか考えていないだろうから。それが彼女の魅力であって、武器でもあるのだけれど。
聞いてみたい。走るのが嫌になったことはあるかと。でも、答えはきっとノーだ。しかも即答。そんな未来がハッキリと見えたから、思わず口元が緩んだ。
風が強くなった。窓に吹き付けるのは、まるで私の心の中。入り乱れた感情。頭の中に浮かぶ、私に手を差し伸べる彼女。また一緒に走ろうと言ってくれている。
今の私を見ても、そう言ってくれるか?
その先は、怖くて考えなかった。
▼△▼△
呼び出し音というのは、こんなにも無機質だっただろうか。寮に置いてあるのは、この時代に似合わない黒電話。ウマ娘用に改良されたとは言え、今こんな形の電話を置いているのはトレセン学園ぐらいではないか。噂では理事会の趣味と聞くが、それはどうなのだろう。
かつて公衆電話なるモノが存在したらしい。時代の流れで消えかけている。あまり意識して外を歩かないせいか、私も見たことがない。
「――はい、もしもし。トレセン学園栗東寮です」
そんなことを考えていると繋がった。若い女性の声だ。カサマツと同じであれば、たまたま近くを通ったウマ娘だろう。
「もしもし。カサマツトレセン学園のフジマサマーチと申します」
そのまま用件を伝えようとすると、電話越しの彼女は分かりやすく「あっ!」と声を上げる。なんだ。
「マーチさん! 私です、ベルノライトです!」
「……あぁ。そういえば君も」
頭の何処に消えていたのか分からない記憶がスッと浮き出てきた。奴をサポートするために一緒に転入したと聞く。スタッフ研修生としてではあるが、中央の転入試験を通るのだから、充分優秀なウマ娘である。
見知った顔が出てくれたから、少し安堵した。彼女であれば、奴に繋ぐのも簡単そうだ。
「お久しぶりです! お元気そうで」
「……久しぶりだ。そちらこそ、変わりないか?」
「はい! 毎日慌ただしくて……」
カサマツ時代の彼女とは、あまり会話した記憶がない。だがひどく真面目な印象がある。電話越しに伝わるその性格は、中央に行っても健在らしい。そういう意味では、
「マーチさんこそ、どんな用件で?」
「あぁ、えっと――」
思わぬ再会に驚いたから、用件を伝え忘れていた。私が言いかけると、彼女はクスクスと笑ってみせた。
「わかりましたよー。少し待っててくださいね!」
そう言って、コツンという音とともに静寂が訪れた。受話器を置いて呼びに行ったのだろう。にしても、本当に彼女を呼んでくるのか。何も言っていないが、今はとにかく待つしかない。
この微妙な静けさがいやらしい。私の周りには誰も居ないせいで、この場所だけ別世界に切り離されたような違和感がある。この時間だから、誰かひとりぐらい近くに居てもいいのに。
耳元でガサガサと音がする。受話器を持った音だろう。やがて――。
「――もしもし?」
ぶるりと体が震えた。懐かしい声だ。ぶっきらぼうであるのは変わりないのに、その抑揚が今になってよく分かる。充実しているな、と言いそうになったが、平静を装った。
「久し振りだな――」
「マーチ!」
雲の上の存在になったと思っていたが、一回一回の反応は変わっていなくて、少し嬉しかった。同時に、声を聞いただけでリアクションしてくれて。私のことを覚えていてくれたことが暖かく胸を包み込む。
「テレビ観ているよ。随分と活躍しているようだな」
照れ臭そうに笑う声がする。カサマツ時代には見なかった顔をしているのだろうな。つられて私も口が緩んだ。
「お前と競っていたのが遠い昔のように感じる」
「あぁ……」
あの日に戻りたいと口走りそうになった。お前と一緒に東海ダービーへ出たいと言いそうになった。叶うわけがないと分かっているのに、弱音となって私の頭に居座る後悔。
私たちは対照的だ。彼女が太陽なら、私は月。いや、月にもなれないただの影。比較するのが
「マーチはどうなんだ?」
全く、タイミングの悪い奴だ。お前に聞かれたら、答えないわけにはいかないだろう。
素直に答えるつもりだった。彼女にはありのままを告げて、一つや二つぐらい励ましの言葉を貰うつもりだった。でも――どうやらまだ私はお前のことをライバルだと思っていたらしい。
「聞いて驚け? 東海ダービーに出走したぞ!」
声のトーンとは裏腹に、私の胸で後悔が暴れる。
「どうだった!?」
その素直な声も、表情も、全てが優しくて。
「当然、一着だ!」
こんな嘘も、ただ虚しくて。
「おぉ!!」
なのに、自分のことのように嬉しそうに。
見栄を張ったつもりは無かった。こうでもしないと、彼女に余計な心配を与えてしまうと分かっていた。
「……と、言いたかったんだがな………」
いいや。それはただの言い訳に過ぎない。彼女には負けたくなかったから。側から見たら、見栄っ張りに過ぎない。その程度の強がりは、簡単に崩れ去るモノだ。
「四着だったよ」
言葉にならない声がした。驚かせたらしい。私が嘘をつくとも思っていないだろうし。もしかしたら、本気で一着だと信じ込んでくれていたのかもしれない。
「笑えるだろ? お前のライバルを気取っていた私がこの有様だ」
心の奥底に沈めていた自嘲。それが不思議と、彼女の前ではすらすらと出てきた。
トレーナーの前ですら、冷静でいられたのに。広い砂漠にひとりきり。どんなに泣き叫んだところで、誰にも聞こえない私の声。それなのに、なのに。
「本当に、残酷だよ……」
まただ。瞳が溺れる。もう終わったことなのに、思い出すだけで簡単に感情が溢れ出る。本当に私は弱い。未だに敗けたことを引きずっているのだから。
「少しだけ……挫けそうだ……」
なぁ、お前ならどうする? 夢に敗れたあと、お前は何を思って走る? なぁ……。
「それはダメだ!」
溺れかけた瞳。気が飛んできた。手が伸びてきた。驚いた。こんな語気を強めた彼女を見るのは初めてで、下がっていた首筋がピンと張る。
同時に、真っ向から否定された。私の弱音。本音を、ここまでハッキリと。
「マーチは私よりも永くレース場に立つんだろ? だったらダメだ!」
その言い草は、ひどく不思議なモノだった。それはまるで、一度挫けたら立ち上がらないことを知っているような。
「東海ダービーはその……ダメだったかもしれないが! ここで挫けたらまた私に敗けてしまうぞ!」
それは「また一緒に走ってくれる」という意味か? 素直に嬉しかった。お前にはもう敗けたくない。勝ち逃げは絶対にさせたくない。
でも……お前は本当に、私のことを理解して、言葉を紡いでいるのだろうか?
「だから、えっと……その……次! 次頑張ろう!」
フッ。そういうわけではないらしい。無理矢理にでも手を掴んで、何が何でも引っ張り上げると。決して綺麗では無くても、その想いだけはジンジンと伝わってきた。
彼女なりの優しさなのだ。素直で、純粋で、私のことを大切に思ってくれていて。そんなお前の優しさが、痛いほどこの胸に染み込んでいく。
本当に良い奴だな、お前は。こんな不器用で無愛想な私に、一生懸命にそんな言葉を掛けてくれるなんて。
砂漠に立っていた気分であったが、今は少しだけ涼しくなった。溺れかけていた瞳も、今ははっきりと窓の奥にある夜空を捉えている。
「ハハハッ。もしかして慰めてくれているのか?」
問いかけると、また声にならない声を発している。お互い、慣れない事はするものじゃないと痛感したよ。
ただ、お前は変わったんだな。中央に移籍して、沢山の練習を重ねて、レースで勝って。カサマツに居た時よりも大きくなっているんだ。その翼はやがて、中央のトップに立つ。そんな余裕を今のお前には感じてしまう。
「しかしまぁ……うん。もう大丈夫だ。過ぎた目標はただの通過点。一つの山を登り切ったならまた次の山を登れば良い」
そんなことを偉そうに言えた口じゃないことぐらい分かっている。分かっているからこそ、口に出したかった。言葉にして、互いの記憶に残しておきたかった。だって――。
「お前と最後のレースで学んだ事だったな……」
今の今まで頭に浮かんでこなかった。多分、こうして彼女と話してなかったら思い出してなかったかもしれない。何というか、お前は本当に不思議だ。私にとって可笑しな存在になっている。
「……で?
やられっぱなしは性に合わないから、聞いてみた。するとどうだ。電話越しでも分かるぐらいに動揺している。先程まで励ましていた奴とは思えないぐらいの揺らぎ方。全く。本当に不思議な魅力がある奴だ。
「ハハハッ。そんなことだろうと思った」
……なんだ。そういうところは私と同じではないか。変わったところもあるが、変わっていないところもあるんだな。言い換えれば、まだまだ、お前は強くなるのだろう。
私が口を開こうとすると、彼女の息を吸う音が聞こえた。慌てて飲み込むと、おもむろに話し始めた。
「分からないんだ。今までは東海ダービーとか日本ダービーとか、一番すごいレースがあって。それを目指して頑張れた。けど……次は何を目指せばいいんだ?」
その声はとにかく力が無かった。先ほどと立場が逆転したではないか。人を励ましたと思えば、シュンと沈む。まぁ、私が言えたことではないが。
「それが……分からないんだ……」
まさに今だって、日本ダービーへの出走が叶わなかったタイミングだ。その中で初のGⅡ勝ってしまうのだから、根本的に私とは違う。
やはりコイツは変わっていない。目標を見失うと、ゆっくりと走る速度を落としていく。でも、また走る速度を上げていく。その繰り返し。
「なんだそんな事か」
私なりに言い方を考えた。彼女にはある意味借りがある。誰かからの貸しはなるべく早く返したかったから、本当はもっと強気に言いたかった。
でも、奴は純粋だから。私の言ったことをそのままに受け止める。それを分かっていたから、強く言えなかった。
「簡単な話じゃないか。お前が走るレースを最高のレースにすればいい」
現に、観客はそういう目でお前のレースを見ている。走る度に人々の心に残る渾身のレースを。
私の言葉を優しさと言うには、あまりにも歪である。それでも、勝手に背中を押すことは出来るから――。
「日本一のウマ娘になれ――」
なんて、無責任なことを言ってしまう。
いや、彼女ならきっと。あまり希望的観測は好きではない。でもこれは、決まった未来の話であるから。
△▼△▼
この日のカサマツは、明らかに異様な雰囲気だった。朝から浮き足立っていて、グラウンドを走るウマ娘は居ない。全員がテレビのある部屋に籠って、その様子を見守っていた。斯く言う私もそのひとり。肌寒い季節ではあるが、暖房を付けるほどの寒さではない。
秋の天皇賞。その舞台に奴が上がるのだ。目標を見失いかけていた彼女が、こうして更なる高みに上がって。天候は晴れ。これ以上ない良バ場だ。
それは盛り上がらないわけがない。こんな地方から生まれたスターウマ娘。パドックに出てきた彼女は、電話をした時より強くなっているようだ。GⅠレース用の白を基調とした勝負服も良く似合っている。少し羨ましくあるのは内緒だ。
カサマツ時代をカウントしていない実況に怒っている
「――勝てるかな」
誰かが漏らした言葉。弱音とも取れる声。彼女あたりが突っかかってもおかしくないが、不思議と誰も何も言わなかった。
悔しいかな。このレースには最強がいる。おそらく、奴以上の実力を持っている。私でも歯が立たなかった奴よりも速いのだ。一緒に走ってみたい気もするが、それ以上は考えるのをやめた。
いくら奴でも、勝てるとは言えない。それぐらいに白い稲妻は轟いていた。実際、前評判は一番高い。
「勝てる。勝つんだ」
それでも、
敗けることは考えない。私もそうだ。レース前に自ら敗けることを想像するのは得策ではない。だが、時には必要な場面があるはずだ。今日のように、格上の相手と走る時のように。
パドックから引き返して、本入場を待つ。いよいよだ。カサマツの星が躍動する。その夢を私は想う。
夢が破れた時の辛さは、よく分かる。もし、奴が立ち止まった時は私たちが手を差し伸べる。彼女がそうしてくれたように。どんなに辛くても、少なくとも、カサマツの皆はお前の味方だ。
画面越しにも分かる歓声。本入場が始まった。彼女は最後の最後。白い稲妻とともにやってきた。良い表情をしている。
カサマツの星。私はお前のレースに魅せられたひとりでもある。この私に勝って中央を行ったんだ。どんなに辛くても、どんなに挫けても、最後は必ず勝ってくれる。
だからまた、私も頑張るよ。もがいてもがいて、カサマツの希望と言われ続けるように。
そして最強になったお前と、またいつか走りたいから。そこで勝つのは――なんて。
お前は私にとって、かけがえのない存在なんだ。何度だって、何度だって挑んでやる。こんな私に呆れるか?
いや、お前は違う。きっと、笑って私に手を差し伸べてくれるはずだ。また走ろうと。
なぁ、そうだろう? オグリ。