――あいつに乗っていると、なんだか風になったような気分になる。本当に不思議な感覚だった。手綱越しでもわかるほどに、あいつは力強かった。岡辺さんがよく「欧州の芝は重いから、スピードよりパワーが重要」だと説いていたが、あいつなら日本の芝と同じように走れそうなぐらいだった。あいつはやけに賢かった。こちらが手綱をクイと少し引っ張るだけでも、その意図を理解して指示通りに動いてくれる。
――あいつは……本当にいい名馬だった。俺なんかにはもったいなさすぎるほどに。そんなあいつに、俺は報いたかった。
――俺は、あいつの力に、本当になれていたのだろうか。
十二月の最終週。大晦日が近づき、年越しが迫っている頃。
中山競馬場には、多くの人集りができていた。
「今年の暮れの有馬は豪華すぎるよな!」
「なんたって、紅蓮の怪物と芦毛の怪物が遂にぶつかるんだろ!?」
「オグリキャップとイージーゴアの馬券は記念品としてとっておこう……!」
「一番人気がオグリ、二番人気はイージーゴアか」
その一方で、馬主席にオーナーは着いていた。
だが緊張のあまり、足がぷるぷると震えている。
――頼むぞ、ヨシトミくん。イージーゴアに、有終の美を飾らせてあげてくれ。
そう祈りながら、オーナーは深呼吸をした。
「……義富、今乗ってどんな感じや?」
パドックにて、深川は表情に焦りを滲ませ、義富に訊ねる。
「……絶不調、といったところですね。全盛期の走りはもうできないと思います」
「そうか……」
深川は全身の力が抜けてへたり込みそうになるも、なんとか持ち堪える。
空は雲ひとつない快晴となっていても、深川の気持ちはどんよりとした曇り空だった。
それは義富も同じである。
脚を痛めて以来、明らかにイージーゴアの競走能力は削れていた。
この状態では、普段の十分の六しか末脚を保たせられないだろう。
今、十分の十の力を引き出させれば、間違いなく――。
義富は悲惨な結末を浮かべそうになるも、首を大きく振ってそれを払う。
と、そんなとき。
イージーゴアが天に向けて嘶いた。
――そうか。イージーゴアは賢いしな。これが最後の晴れ舞台だと、わかってるんだ。だからこそ、勝ちたいんだ。
――勝たせろッ、ヨシトミッ!
義富は手綱を強く握り締め、熱くなった目元を拭うと、
「行ってきます。勝ちに」
『暮れの有馬に集いし強豪馬たち。今年の中山に、どんなドラマを花開かせてくれるのでしょうか。GⅠ有馬記念、順調にゲート入りが進んでおります』
「いってくれェ! オグリィ!」「今度こそ勝ってくれイナリワン!」「今年の三歳代表として頑張ってくれ! イージーゴアァ!」
『各馬、ゲート入りが完了しました』
刹那、火蓋が切られたと同時にイージーゴアが飛び出た。
『スタートしました。イージーゴアがロケットスタートを決めハナに立つ……いえ、後方に下がっていきます。
イージーゴアは最後方に。南克海騎乗のオグリキャップはそのひとつ前、イナリワンが並びます』
最後方に位置を取り、最終直線でまくりにまくる。それこそが、イージーゴアの必勝法だ。
――まずは内で脚を溜めて溜めて溜めまくる。いつものようにはいかないと思うが、最終コーナーでそれを爆発させるッ!
ゴールまで残り2000m。
オーナーは冷や汗を額に滲ませて、馬たちがターフを駆け抜けていく様を眺めていた。
内心ではイージーゴアの勝利と無事を祈るばかりだった。
「だが……あの状態で普通は勝てない……」
目元を伏せ、オーナーは呟く。
だが、だからこそ、だ。
「そこから勝ってくれる馬こそが、真の名馬だ。もちろん、無事が一番だが」
競馬場に視線を定め直すと、オーナーは目を見開いた。
ターフを駆けるイージーゴアが、紅い熱気を帯びているように見えたからだ。
「これだから――競馬はやめられんよ!」
オーナーは笑みを浮かべる。いつの間にか足の震えは収まっていた。
ゴールまで残り1000m。
――いいぞッ! もっとオレを熱くさせろォッ!
最終コーナー前。先頭に立つ逃げ馬がコーナーに差しかかった途端。
『イナリワンだ! イナリワンがここで仕掛けてきた!
それに続くように南もオグリキャップの手綱を押し始める!』
義富はそこで驚いた。
――早仕掛けか!? やられたッ!
予想外の早仕掛けに、義富は一瞬戸惑う。
しかし――。
――こちらも仕掛けるぞ、ヨシトミッ!
イージーゴアが人間風にいうなら、不敵に笑っているように見えた。
それはまるで、絶対王者の余裕であった。
本当は、余裕なんてないはずなのに。
「いってくれやァッ!」
『イージーゴアが内を突いて七番手に上がってきた! 六番手、五番手も伺う勢いだ! 残り500mを切りました!』
義富は必死に手綱を強く押す。押して押して押しまくる。
『イナリ先頭! イナリ先頭! しかしオグリだ! オグリがあっという間に躱した! 残り200m! イージーゴアはようやく三番手! だが二番手との距離は二馬身!』
「……ッ!」
届かない。義富が絶望しかけたそのとき。
――鞭だッ! 振るえッ!
「そんなに勝ちたいのか!? もう限界なんだろう!?」
涙を浮かべて、義富はイージーゴアに叫ぶ。
――そうだッ! オレは勝ちたいッ! 絶対にッ!
「もうッ……どうなっても、知らん、ぞッ……!」
鞭が三度、イージーゴアに入る。
そして三代目ビッグレッドは、目覚めた。
『残り50m! オグリ一着――いや、イージーゴアが来た! イージーゴアが来た! なんという恐ろしい末脚! 二頭もつれてゴールインッ! これは写真判定か!?』
イージーゴアは、息を荒くしながらも駆け抜けた。
『――まさかまさかです! ハナ差で一着は――イージーゴアです! 差し切りました!』
観客席がどっと沸き上がる。競馬場の熱気は今このとき、最高潮を迎えた。
『紅白の怪物決戦、これを制したのはイージーゴアですッ!』
イージーゴアが観客席を駆け抜けていく。
鞍上の義富は左腕を突き上げた。その目には、既に涙が伝っていた。
「みなさま、イージーゴアを応援してくださったみなさま、本当にありがとうございましたッ……」
有馬記念のトロフィーを抱えて、マイクを片手にオーナーは涙を零す。
義富も、深川も、みな泣いていた。
「みなさまには申し訳ない報告となってしまうのですが、この有馬記念を以て、イージーゴアは引退となります」
その言葉を放った瞬間、観客からどよめきが起こる。
だがオーナーはすかさず義富にマイクを渡し、彼もそれを受け取る。
「新馬戦のときから、今日に至るまで、この馬と在り続けれて、俺は本当に幸せ者です」
そう言いながら、義富はイージーゴアの首元をポンと優しく叩く。
「イージーゴア……ありがとう……」
最後には、義富は泣き崩れてしまった。
それを心配したのか、イージーゴアが義富に顔を近づける。
「深川先生にも、ヨシトミくんにも、イージーゴアにも、今はありがとうという言葉しか出てきません……」
――みなさま、本当にありがとうございました!
そうして――暮れの有馬は幕を閉じ、一頭の怪物がターフから去っていった。
「すみません、俺です。一頭、そちらの子馬を購入したいのですが、よろしいですか? 取引額は……四億ほどでどうでしょう?
ありがとうございます! 正直、前々から来てほしかった馬だったので、とても嬉しいですよ! 本当に! それでは、これにて」
――データがアンロックされました。
――イージーゴアが引退し、種牡馬入りしました。初期種付け料は800万円です。
――ライラックポイントの89を購入しました。
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