――凱旋門賞。競馬関係者なら誰もが夢見る世界最高峰の芝のレース。
クラシックディスタンス形式――いわゆる2400mという各国のダービーと同じ距離――で争われるレースだが、ダービーとは話が全く違ってくる。
パリロンシャン競馬場。激しいアップダウンは馬のスタミナを削り、長いコーナーは騎手の技術を試し、最後の難関の
馬と騎手の実力が最重視される、まさに実力主義の権化のようなレースだ。
過去に、年代こそ違えど、三頭の日本馬が凱旋門賞制覇を試みた。
1969年にスピードシンボリ、1972年にメジロムサシ、1986年にシリウスシンボリ――これらの馬たちが、世界を目指さんとした。
しかし世界の壁は、あまりにも高すぎた。
スピードシンボリは着外、メジロムサシは十八着、シリウスシンボリは十四着。
夢は、儚く砕けていった。
けれども、それで日本が黙るわけがない。
1988年に日本調教馬のイージーゴアが二歳限定の米国GⅠを初制覇からの連勝。さらにはアメリカ最高峰に位置するブリーダーズカップの一角――BCジュヴェナイルを奪取。
それは、明確に日本が世界に通用することが証明された瞬間だった。
そして――1989年のBCクラシック。
アメリカ最高峰の舞台に、日本の旗が堂々と立ち上がる。
『イージーゴアが来た! イージーゴアが来た! 超大外から他馬をぶっちぎって今先頭に立った! 差がどんどん開いていく! これは大勢決まった!
イージーゴア、一着でゴールインッ! 世界最高峰の大舞台で、日本がやりましたッ! 鞍上の柴義富もガッツポーズ!』
当時の日本最強――否、世界最強馬のイージーゴアがBCクラシックで信じられないほどの大差をつけ、勝利した。世界に衝撃を走らせるには、十分すぎる一戦だ。
だが衝撃は、それだけでは終わらない。
『外から来るか!? 外から来るか!? 来た来たスワーヴダンサー! 直線一気に差し切り、今、ゴールイン! 日本調教馬として初の仏三冠の戴冠ですッ!』
現代――1991年。スワーヴダンサーが日本調教馬として初めて仏三冠を達成する。欧州勢を相手に、してやったりである。
そのスワーヴダンサーが次なる標的としたのが――日本勢が悉く敗れ去った凱旋門賞だ。
ここから先の舞台は、誰もが体感したことのない未知の領域。それにスワーヴダンサーは、脚を踏み入れんとしている。
今年こそ、日本の悲願は叶うのだろうか。それともまたもや敗れ去るのだろうか。
凱旋門賞は、迫っていた。
ターフの上を、優駿たちが駆け抜けていく。
彼は観客席でそれを眺めていて、とても高揚している。
――馬に乗るのもとても楽しいけど、こうして眺めてるのもまた一興か。
そんなことを考えながら、彼はニヤニヤと笑ってどの馬が勝つかを予想する。
――あの後方にいる鹿毛の馬が勝ちそうだ。とても脚色がいい。
と、予想を掻き立てているうちに最終直線。彼が勝つと確信した馬が次々と他馬を抜き去り、一着でゴールした。
観衆からは歓声ではなく、悲鳴が湧き上がった。
――……? どうして勝った馬を讃えない? なぜだ?
彼は疑問を抱く。そんなとき、八着に敗れたのだろう栗毛の馬が、立ち止まって観客席にいる彼のほうに、目を向けた。
――後悔だけはしないでくれ。
そんな言葉が彼の脳内に響いた頃には、その馬は立ち去っていた。
『ハァ……ハァ……』
アレンは呼吸を切らしながら、ベッドから起き上がった。
『なんだったんだ……? 夢か……?』
額から冷や汗がたらりと流れる。苦しそうに息を吐く。
『と、ともかく、今日はジェネラスの凱旋門賞だ。そろそろ準備をせねば……』
よろつきながらも、アレンは今いる部屋から出ていった。
彼は馬に乗っていた。黒毛の馬に。
スタートなどなかった。気づけばレースのさなかだった。
最終直線。彼は手綱が重いことに違和感を覚える。
けれども、その馬の伸び脚は凄まじかった。逃げて差す――まさにそんな状態だ。
しかしゴール板100m前。一頭の馬に、差された。
■■■■■と鞍に馬名が書かれており、その馬が先頭のままゴールした。
彼が乗っていた馬は二着に終わってしまった。
黒毛の馬がふと立ち止まる。
――いいか? よーく聞け。どんな状況でも恐れるな。戦え。
彼の脳内に、そんな言葉が響き渡る。けれど、自然とそれを受け入れていた。
ガバっと起き上がった途端に布団を放り投げ、蘆名正義は目覚めた。
「……『恐れるな。戦え』、か」
正義は、夢の中で聞いた言葉を反芻する。
「……ああ、いってくる」
その目つきは、逞しいものとなっていた。
――データがアンロックされました。
――■■■■■■■■■が蘆名正義を激励しました。
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