スワーヴダンサー 牡
生年:1988年
競走馬現役期間:1990年~1992年
種牡馬現役期間:1993年~2010年
没年:2016年
初期種付け料:400万円
引退時種付け料;650万円
血統:父グリーンダンサー 父父ニジンスキー 母シュアヴュテ 母父アレッジド
日本競馬が目標とする凱旋門賞。それを語るうえで外せない名馬の一頭こそ、この仏三冠馬スワーヴダンサーだ。
2021年現在に於いても、函館や札幌のレースに穴馬や迷馬を送り出す種牡馬として有名。また、日本で繋養された種牡馬にも関わらず、欧州競馬、特に長距離界の血統図に影響を与えつつある。
後方からの競馬が大得意である。が、大舞台以外では観客や関係者をヒヤリとさせる癖馬だったらしい。『らしい』というのは、関係者曰く。
戦績だけ見れば、連対率百%、一着九回、二着一回、仏三冠達成、同期の日本三冠馬撃破、史上初のジャパンカップ連覇と、とんでもない名馬だったりする。
たった一度の二着こそ、日本競馬最大の夢であり、競馬史に残る激闘を繰り広げることとなる凱旋門賞だ。
国際レーティングは139。自身を破った欧州三冠馬ジェネラス(レーティングは142)の存在があったためか、やや控えめの評価に押し留まった。
主な勝鞍は、仏三冠(仏二千ギニー、仏ダービー、パリ大賞典)、ジャパンカップ(1991、1992)、ホープフルステークス。
主な産駒は、長距離路線で活躍した英国のグレイトダンサー(牡、母父アカテナンゴ、主な勝鞍:グッドウッドカップ)、日本だと札幌の絶対女王コンドルダンス(牝、母父サイレンススズカ、主な勝鞍:札幌記念四連覇)。
産駒は洋芝、もしくはそれに近い芝だとかなり走る傾向にあった。阪神とダートはさっぱり。
――柵飛び幼駒時代
この頃から、スワーヴダンサーは身体能力が飛び抜けて高かった。
一歳時になってから柵を楽々と飛び越えるようになり、育成する牧場は大変苦労していたという。
また、柵越えののち、時折突進してくることもあったため、生産者は当時のスワーヴダンサーの扱いに頭を悩ませる。
どこからどう見ても、気性に癖があることは明らかだった。
しかし、そんな一歳馬に早々買い手がついたのだ。その買い手こそ、『変態狂人』として知られる故・黄添宗太郎オーナーである。
外国産馬を購入しようと牧場を訪れた黄添氏は、一歳馬だったスワーヴダンサーのほうに真っ先に駆け出すなり、指を指して「買わせて!」と叫んだといわれる。
生前、この奇行を黄添氏はこう語った。
「遠目から眺めて、身体がとても柔らかそうだったから。間違いなく大物の器だろうと、この時点で直感した。直感が当たったようで何より。それにニジンスキー血統の馬とはいえ、父グリーンダンサーは当時日本ではまったくといっていいほど流行ってなかったからね。種牡馬需要もあると思ったのさ」
これが本当だとすれば、彼は恐ろしい相馬眼の持ち主だ。なんたって、見抜いた馬は当時としては考えられない偉業を打ち立てることになるのだから。
黄添氏に購入され、日本に輸送される際、意外にもスワーヴダンサーは大人しく従っていた。おふざけのオンとオフがきっちりと別れている馬だったのだろう。
さて、元いた牧場では気性によりやや評価が低かったスワーヴダンサーだが、日本の育成牧場(のちに黄添氏の子息が所有することとなるミレニアム牧場)では、非常に高い評価を受ける。
故・樫田友彦牧場長曰く、
「芝を走ったとき、ビュンと風を切っていきましてね。この時点で格が違うと、確信しました」
と、この時点から豪脚を見抜かれていたそう。
ちなみにスワーヴダンサーという馬名がつけられたのも一歳時代である。黄添氏によると由来は「器用に踊ってるような仕草を見せたから」。
――踊り狂った二歳から三歳時代
二歳となっても、相変わらずスワーヴダンサーは柵を飛び越えるなど、いたずら好きなところは変わらなかった。
だが、オンとオフだけはしっかりとした馬だったようで、育成ではまともに走っていたという。ならスプリングステークスも真面目に走ってくれよ、とは主戦を務めた蘆名正義の談。
ただ、このとき、黄添氏はあることで悩んでいたようだ。
その悩みとは、どの厩舎に預託するかだった。
イージーゴアで世話になった深川勇二師は定年が迫っており、長くは預けられないと見て断念。知り合いにも調教師がおらず、困り果てていたそのとき。
スワーヴダンサーを預からせてほしい、と名乗り出る調教師が現れたのだ。その調教師は『吉長スペシャル』――いわゆる最後方強襲という独自の戦法を編み出した名手であり、のちに黄添氏がライスシャワー、ヒシアマゾンを預託することとなる吉長正之師だった。
黄添氏はこれを快諾。八月に吉長正之厩舎に入厩する。
そして十一月。しばしの調教を経たスワーヴダンサーは、いざデビューを果たさんと、ベテラン・田嶋太を鞍上に、芝1800mの新馬戦に参戦。ここでは二番人気に推される。
スタートで少し出遅れてしまい、慌てた田嶋は前へ行かせようとするが、スワーヴダンサーは指示を聞かず八頭中の六番手、いわゆる後方に着けた。
最終直線に突入した瞬間、スワーヴダンサーは猛加速。怒涛の追い上げ――とはならず、馬群に入り込んで完全に進路をなくしてしまう。
だがそこはベテラン騎手の腕の見せどころ。田嶋は僅かな穴を突き、なんとか脱出させ、大外からまくってくる岳巧騎乗のシャコーグレイドの猛追を振り切って勝利。三馬身差の辛勝でデビューとなった。
新馬戦を勝利し、次走のGⅢ京都二歳ステークス(芝2000m)でも田嶋が騎乗すると思われた。しかしここで田嶋が降板。田嶋本人曰く、「誓約があったから、そちらを優先した。逃がした魚はあまりにもでかすぎた」と少し残念そうに話す。
これがまさか、あの名手の誕生に繋がるとは、誰も予想していなかっただろう。
吉長は、たまたま厩舎巡りで訪れた若手騎手を新たな主戦とした。
その若手騎手が、のちに関東最大格のトップジョッキーとなる、蘆名正義だった。
吉長は生前、蘆名を騎乗させようと決めた理由として、こう話している。
「理由なんて単純。マサが上手く乗れてたから。マサがスワーヴダンサーと出会えたのも、偶然というより、運命なのかもな」
蘆名騎乗で迎えた初重賞戦、GⅢ京都二歳ステークス。スワーヴダンサーは乗り換え、新馬戦の内容もあり、八番人気の低評価。
まずまずのスタートで後方に着ける。しかし、このとき、蘆名は相当に焦っていたという。
「後方に着けて差し切ってやる、って意気込んでいたら思いの外展開がスローペースになっちゃってね。どうしようと慌てたよ。
けどこの際、もう仕方ないと覚悟して馬群からぶち抜いてやるってグイグイ手綱押したらさ、なんだろう、岳くんがディープインパクトで言ってた『絶対勝てる手応え』だっけ? それに似たような類の手応えを感じた瞬間、物凄い勢いで先頭を掻っ攫っていったからね。
もうあとは自由に走らせた。そしたらさ、九馬身差も開いちゃったんだよ。重賞初制覇の喜びもあったけど、どうしよう、先輩騎手にシバかれたらと思ったね」
残り800mを切ったところで馬群から抜け出し、一気に先頭に立つと、その勢いでさらに後続を突き放し圧勝。八番人気だったため、馬券も荒れることとなった。
この圧勝劇で、人馬共に重賞初制覇となった。
京都二歳ステークスでの圧勝を鑑みて、陣営はGⅠホープフルステークス(芝2000m)への出走を表明。
しかし、このホープフルで珍事を起こすのが、スワーヴダンサーだった。
2000mで圧勝したことにより、一番人気に推されていた。が、パドックに姿を現した途端、暴れ回るわ、蟹歩きのようなステップ――いまでいうテイオーステップを踏むわ、のちのジャングルポケットのように天高く嘶くわと、非常に元気そうだがむちゃくちゃであった。
そのせいで、馬券師たちは心臓が口から飛び出るかと錯覚するぐらいに緊張したという。
だがしかし、憂うことなかれ。先ほどの入れ込み具合からは信じられないレースを見せてくれる。
平凡なスタートでまたもや中団に着けると、1200mを通過したところで一度後退。
これに関して蘆名は、
「ちょっと前すぎたからわざと下げた」
と笑顔で語る。馬券師たちからすれば堪ったものではない。
前走とは打って変わって淀みのない展開となるが、スワーヴダンサーは馬群の真っ只中。
だが残り200mを切り、ようやく馬群から脱出。前をゆく馬をごぼう抜きし、八馬身ちぎっての勝利を掴む。
またもや人馬共にという形でGⅠ初制覇。ここから、観客をあっと驚かせる人気馬の印象がついていった。
しばらくの休養を経て。スワーヴダンサー陣営が次走としたのは皐月賞のトライアルレースのひとつ、GⅡスプリングステークス(芝1800m)だった。
パドックでは大人しい素振りを見せるが、問題はレースの内容である。
一番人気に推されたが、なんと出だしから大幅に出遅れたうえに、前に行きたがらない。完全にやる気のなかったレースだ。
最終直線での残り100mで蘆名が必死に鞭を打ち、一馬身差で辛勝したものの、これがもし乗り換えていたとすると、恐ろしいことになっていたかもしれない。
スプリングステークス勝利によって皐月賞への優先出走権を獲得。しかし陣営が目指したのは、皐月賞ではない。
スワーヴダンサー陣営が目指す路線は、なんとフランスのクラシック路線であった。
四月の始め、陣営は仏二千ギニー(芝1600m)から仏ダービー(芝2100m)、パリ大賞典(芝2400m)に出走すると発表。
このとき、日本競馬界はクラシックに名を挙げ始めていたトウカイテイオーとの無敗を懸けた一騎打ちと表したポスターを作成していたらしいが、スワーヴダンサーが海外遠征を表明したため、お蔵入りとなったよう。
フランスでの初戦となる仏二千ギニー。七頭立てとなったこのレースでは、距離、血統面から断然の一番人気に。パドックでは二本足で立っていたが。
対抗馬はヘクタープロテクターという馬であったが、残り500mで先頭に立つと同時にブッちぎり、二着のヘクタープロテクターとは六馬身もの差をつけ海外初戦を快勝。日本調教馬が初めて欧州の二千ギニーを勝利した瞬間だ。
続く仏ダービーも超スローペースとなるもまくって五馬身差の勝利。日本人騎手と日本調教馬による欧州のダービー初制覇である。さらに仏三冠にも王手がかかり、残すはパリ大賞典となる。
パリ大賞典ではやや出遅れたが、構わず強引に最後方から三番手に着ける。
少しづつスワーヴダンサーを外へ持ち出しながらフォルスストレートを抜けて最終直線。大外から一気に末脚を解放。瞬く間に駆け抜け、八馬身差での圧勝を遂げた。
これぞまさに、仏三冠馬の爆誕に相応しい圧勝劇。
しかし、世界への挑戦はまだ終わってなどいない。
なんと陣営は、日本競馬の悲願とされる凱旋門賞(芝2400m)への参戦を明らかにする。
大いに盛り上がる日本競馬界。それもそうだ、なんたって、遂に頂を手にする絶好の機会が巡ってきたのだから。
だが、今年度は時期が悪すぎるとの見方もあった。
英ダービー、愛ダービー、キングジョージを圧勝した欧州最強の三歳馬・ジェネラス。今年の凱旋門賞には、その馬も出走予定だったからだ。
けれどそれを破ってこそ、日本競馬の力を示せる。そういう考えもあったようだ。
いよいよ大一番。今年は不良馬場となった凱旋門賞――日本競馬最大の悲願。夢を乗せて、スワーヴダンサーがパリロンシャン競馬場を駆ける。
世界の壁などぶち破ってくれ――そんな声が日本競馬界から上がるなか、火蓋が切られた。
スタートと同時に欧州王者ジェネラスがハナを切り、いままでとは打って変わって逃げる態勢に。
一方のスワーヴダンサーは、後方の馬群に呑まれ非常に危うい展開に陥っていた。
さらには仏ダービーの時以上にスローペースとなり、追い込み勢にも苦しい展開。
そんな暗雲を、フォルスストレートを抜けると同時に切り裂くように、凄まじい豪脚を発揮する。
そのままスワーヴダンサーが差し切る――かと思いきや、ジェネラスが必死の粘りを見せる。
粘りに粘られるも、じりじりと並びかけて叩き合いにまで持ち込む。
互いの悲願と意地がぶつかり合う、壮絶な叩き合いとなった。
それをハナ差で制した馬は、ジェネラスだった。あと一歩のところで、日本競馬の悲願は果たされず。日本競馬の関係者から無念の声があがったという。
騎乗した蘆名は、この敗北をこう振り返っている。
「俺が騎乗してきた中で、最も凱旋門賞に近い名馬だった。馬群にさえ呑まれていなければ差せていたかもしれない。本当に、無念でいっぱいだった」
日本が誇る仏三冠馬の惜敗。その事実が、のちに日本競馬の闘争心に油を注ぐこととなる。
フランスから帰国後、陣営は国際GⅠジャパンカップ(芝2400m)を選択。
ここには先月、無敗での三冠を達成したトウカイテイオーも出走予定であった。
同年代の三冠馬対決。日本競馬は再び盛り上がっていく。
さらにはそこに、天皇賞(秋)こそ降着したものの、天皇賞(春)では衝撃的な強さを見せつけたメジロマックイーン、海外からはスワーヴダンサーを破り欧州三冠馬となったジェネラスが参戦することとなる。
大歓声に包まれた東京競馬場。最強を決める負けられない一戦がスタートした。
いきなりメジロマックイーンがハナを奪うなか、欧州三冠馬ジェネラスは三番手、トウカイテイオーはその後ろ、スワーヴダンサーは外を回りつつ十二番手に着ける。
しばらくし、メジロマックイーンが二番手に下がると、スワーヴダンサーも徐々にまくり始める。
残り500mで蘆名はスワーヴダンサーに鞭を打つ。一方のトウカイテイオーもメジロマックイーン、ジェネラスを躱して先頭に立つ。
三冠馬による、頂上決戦が幕を開けた。
凱旋門賞の時の如く、蘆名は懸命に鞭を振るう。
残り100mでトウカイテイオーに並びかけ、叩き合いを展開。メジロマックイーンが差し返しに迫るも、もはや二頭の独走は止められるものではなかった。
ゴール板直前。そのときのことを、トウカイテイオー鞍上の中原輝貴は、引退直前にこう語る。
「だいたい10m直前ぐらいかな。そこで差されたって感覚があった」
写真判定にこそ持ち込まれたが、中原の言うとおり、スワーヴダンサーがこの一大決戦をハナ差で制した。
メジロマックイーンは三着、ジェネラスは十一着という結果となった。
ジャパンカップ優勝後、スワーヴダンサーは一度帰厩するため、馬運車に乗り込んだ。
馬運車での移動中、不運が彼に襲いかかる。
スワーヴダンサーの乗っていた馬運車が横転。大事故を起こしてしまった。
この事故でスワーヴダンサー自身も骨折。長期休養を余儀なくされてしまう。
また、三冠馬トウカイテイオーも骨折が判明。三冠馬が全て戦線離脱という、前代未聞の事態となる。
――四歳、奇跡の舞踏
馬主の黄添氏はスワーヴダンサーの骨折を報告された際、頭が真っ白になったという。
「どうしてやればいいのかわからなかった。また走らせるか、それともこのまま引退させるか。かなり苦悩した。けれども最初に浮かんだ言葉は、生きていてくれてありがとう、だった」
黄添氏はその後、調教師の吉長と相談を重ねた末に、ある決断を下す。
――翌年のジャパンカップを、復帰戦兼ラストランに。
黄添氏がなぜその決断に至ったのか、吉長は推測を交えつつ話した。
「オーナーはたぶん、一目でもいいから、ファンにスワーヴダンサーの走る姿を見てもらいたかったのかもしれないねぇ」
1992年度ジャパンカップ。その年は、降雨もあってか不良馬場となっていた。
皐月賞で強豪馬ライスシャワー、天皇賞(秋)で復帰明けの三冠馬トウカイテイオーを破ったミホノブルボンが一番人気に支持されるなか、スワーヴダンサーはラストラン、不良馬場という点で四番人気に収まった。
遂に始まる王者決定戦。ゲートが開き、火蓋が切られた瞬間、ダッシュがつかない馬が一頭。スワーヴダンサーだった。
この出遅れが響き、最後方に着けざるを得なくなってしまう。
しかしスワーヴダンサーにとって、真の勝負はスタートではない。最終直線にあった。
2000mを通過する刹那、蘆名は鞭を振るった。
先頭に立っていたミホノブルボン、先行していたトウカイテイオーが伸びず後退していくさなか、海外勢のドクターデヴィアスを差して先頭に立ったシャコーグレイドを大外から並びかけ、寸でで躱し――ゴール板をくぐり抜けた。
勝者インタビューにて、主戦を務めた蘆名は、「トップジョッキーを目指す」とスワーヴダンサーに誓う。
その誓いは、2000年代後半から2010年代前半にかけて、果たされることになる。
そしてまた、府中の大舞台で一頭の優駿がターフに別れを告げたのだった。
――引退。そして種牡馬へ
種牡馬入りしたスワーヴダンサーの初年度種付け料は、以外にも400万円とかなりの安値であった。
だがしばらく、彼の産駒から大物が生まれることはなかった。失敗の理由として、ニジンスキー系統に属していたことが挙げられる。
この頃の良質な繁殖牝馬といえば、マルゼンスキーを父に持つ馬だった。マルゼンスキーもニジンスキー系の種牡馬であり、これと組み合わせるのは危険な配合となってしまうのだ。
しばらくの期間、産駒に恵まれなかったスワーヴダンサーだが、ある血統の牝馬にありつき、ようやく種牡馬としても本領を発揮し始める。
それこそが、サンデーサイレンス系の牝馬だった。
サンデーサイレンス系を食い散らすような怒涛の勢いでサイアーランキング上位に幾度か上り詰めるも、リーディングサイアーには終ぞ輝けず。2010年で種牡馬引退となる。
だが近年、欧州では、スワーヴダンサーを父に持つ種牡馬の台頭が著しい。きっといつまでも、仏三冠馬の血は残ってくれるだろう。
――偉大なる豪脚の仏三冠馬は、天へと駆けていった
2016年。ジャパンカップ開催の前日に衰弱、その翌日の午後に息を引き取った。享年二十八歳。
人々の記憶に刻まれたその豪脚は、いつまでも、いつまでも、色褪せないだろう。
ジャパンカップが行われる府中にて、蘆名正義は、涙を流しそうになりながらも、必死に堪えて騎乗していた。
あの日、未熟だったジョッキーは、いつしか立派になっていった。天へと駆けていったスワーヴダンサーも、喜んでくれていることだろう。そう、きっと。
シーザスターズが目指すレースは?
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