1992年も終わりに近づく頃。
年末、12月の四週目。
人々がクリスマスやら年越しやらで沸き立つなか、とある牧場もまた、人々と同じように沸き立っていた。
この日、馬主である黄添宗太郎は、その牧場に足を運んでいた。
近々、宗太郎が期待を寄せている一歳馬が二歳を迎えることになるからだ。
心を弾ませ、胸を躍らせ、宗太郎は真っ白な道を進む。
どんな馬に育ったのだろうか? そんな期待を抱きつつ。
牧草にゴロンゴロンと寝転ぶ黒鹿毛の一歳牝馬を遠目に、宗太郎は微笑む。
「……あんなに馴染んじゃって」
どこか感慨深げに宗太郎は呟く。
あの牝馬が当歳時だった頃に、宗太郎は何度か彼女を繋養している牧場を訪れたことがある。
その時はまだ『冷徹なお嬢さま』という印象が強かったのだが……今となってはどうやら、解凍されたようだ。
そうして笑んでいると、一歳牝馬が宗太郎に気づいたようで。
すくっと立ち上がり、トコトコと宗太郎のいる柵の前まで近寄る。
柵の前まで近寄ったら、今度は頭部を宗太郎に差し出す。「撫でて」とでも言わんばかりに。
それに応じるように、宗太郎もゆっくりと手を頭部に置き、割れ物を扱うかの如く柔く撫でる。
「すっかり見てくれのいいお嬢さまになったなぁ、『ヒシアマゾン』や」
「――可愛いでしょう? アマちゃん」
「――ッ!?」
ビクリ、と肩を揺らし、宗太郎は咄嗟に背後を振り返る。
いたのは、枯れ木のような印象を受けるほどに痩せた、やや長めの黒髪の青年だった。
「可愛いですよね、アマちゃん。拙僧もついメロメロになってしまいまするぞ」
枯れ木の印象とは打って変わって、蕾から花開いたように笑顔を浮かべる青年。
ああ、とふと宗太郎は思い出す。
確か、牧場に新しいスタッフが就職したとか。
宗太郎からすれば見慣れない顔であったがために、すぐさま目の前の青年の正体に行き着く。
「
「ええ、ええ! よくぞご存知で!」
「……その話し方、どうにかならないの?」
「どうにもなりませぬなァ!」
佐屋満。馬が大好きだという二十代の青年。無職であったが、何を思い立ったかこの牧場に就職したという。
この青年は、なんでも、牧場関係者からは『ヤーマン』という愛称で親しまれているようだ。
そんなヤーマンこと満は、ますます笑みを深めて口を開く。
「『ヒシアマゾン』……アマちゃんは、本っっっ当に愛らしいお嬢さまですぞ。馬体を洗う時なんか、明らかに表情が柔らかくなりますから。それはもう愛らしくて愛らしくて……そんな顔をされたらイチコロですぞ」
「お、おう……」
グイグイ推してくる厄介ファンに、流石の宗太郎も引きつった笑みを浮かべざるを得ない。
恍惚とした表情を見せる満は、明らかに変態であった。それも、宗太郎以上に。
と、何かを思い出したように満がポンと手を叩く。
「ああ、そうでした。ひとつお伺いしたいことが」
「なんだなんだ?」
「黄添オーナー。アマちゃん――『ヒシアマゾン』という馬名の由来についてお聞かせ願いたいのですが。気になりすぎて拙僧、朝しか眠れませぬ」
「そこは夜に寝なさいよ!? あとなんで名前知ってんの!? ……まあいいや。んじゃ、話すぞ」
ピシッ、と唐突に人差し指で天を指す宗太郎。
次に彼が告げた言葉は、変態である満すら、流石に困惑せざるを得ないものであった。
「――ズ・バ・リ! 『ひし餅』と『アマゾン』であるッ!」
「……はぁ」
「なにその困惑顔は」
「……流石の拙僧もこれには失笑せざるを得ないといいますか、ねぇ……」
「なんでさ!? あり得ない組み合わせでの馬名だぞ!? ピンときたからこの馬名に決定したんだが!?」
「で、なぜ『ひし餅』と『アマゾン』なので?」
「そりゃあね、『ひし餅』って雛祭りで使われるでしょ? 雛祭りって女の子の成長を祝う祭りでしょ? アマちゃんは牝馬だから、ちょうどいいと思って」
「どっかの冠名のようでございますねェ」
「……断じて冠名ではない」
「怪しすぎまするなァ。ま、いいでしょう」
「『アマゾン』は女傑族アマゾネスから。アマゾネスのような強靭な身体に育ってください、という願いを込めてだ」
「ここだけ微妙にしっかりしてまするな」
「微妙って言うな! 微妙って!」
「とにもかくにも。無病息災――一言で表すならば、この四字熟語でしょうか」
「そうだな。どうかこの子も怪我なく、競走馬として駆け抜けてほしい。この願いだけは――誰にも邪魔させない」
宗太郎の背後から、一陣の風が吹き荒ぶ。
短く切り揃えた宗太郎の黒髪が、微かに揺れ動く。
満は一瞬、圧倒されると同時に、内心では狂ったように笑っていた。
――
そんな確信めいたものが、満を歓喜させる。
満の全身に流れる血がどんどん滾っていく。
――アマちゃん、よかったですなァ。あなたはきっと、立派な競走馬になれるでしょう。
「……ええ、よろしくお願いしますぞ、黄添宗太郎オーナー」
「ああ。こちらこそ、しばらくの育成をお願いするよ、佐屋満さん」
宗太郎と満は、不敵に笑む。そして、握手を交える。
一方で、そんなふたりに付き合ってられないとばかりに、『ヒシアマゾン』はやや距離を空けてゴロンゴロンと馬体を牧草に擦りつけていた。
――ヒシアマゾンの健康ステータスに変動がありました。(■→■)
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