「・・・という訳ですよ」
投げやりになっちゃうのも仕方がないと思うんだ。
「そ、そうですか・・・」
うん。ほら、ルリちゃんも顔を引き攣っているし。
「ち、痴話喧嘩・・・」
うん、皆さんも呆然としてらっしゃいますね。
このチャンスを逃してなるものか。
「・・・アキトさん」
「あ、ああ、何だ?」
アキトさんの席まで移動して内緒話。
今の状況で話し合う事なんて決まりきっている。
「・・・いいんですか?」
「・・・記憶の事か?」
「ええ。未来の事が知られてしまうという事もそうですが・・・」
「・・・アカツキ・・・か」
「はい」
一応は協力体制のアキトさんとアカツキ会長。
でも、カイゼル派との協力体制とはまったく違う。
恐らく、アキトさんは会長にボソンジャンプのデータを提供してないだろうし。
「・・・俺はある意味、良いきっかけになると考えている」
「きっかけ・・・ですか?」
「ああ。今までの長い間、俺はネルガルに真意や計画を話す事はなかった」
「はい」
「俺がネルガルに利益を齎し、ネルガルが俺に目的の為の環境と機会を与える。俺とネルガルはそんな利害関係の一致のみの簡単に解けてしまいそうな協力関係でしかない」
強い繋がりではない。
どちらかが少しでも異を唱えれば、関係性は容易に崩れてしまう。
そんな上辺だけの関係でしかないんだ。
「だが、もし、ここでアカツキをこちらの陣営に組み込む事が出来れば・・・」
「・・・ネルガルという大きな後ろ盾が出来る。そういう訳ですね?」
「ああ。ピースランドの協力も得られたが、企業の協力も必要不可欠だ。何より・・・」
「・・・何より?」
「ネルガルによるボソンジャンプ情報の流出が防げるかもしれん」
否定できない意見だった。
もちろん、一つの企業に独占させないという前提だが、軍だけで全てをまかなえない以上、他の組織の協力も必要になる。
それが民間需要から軍関係まで手を出しているネルガルなら尚更だ。
しかも、ネルガルはボソンジャンプに対して、並々ならぬ興味、関心を抱いている。
いずれ、ボソンジャンプの事を詳細まで調べ上げられてしまうかもしれない。
そうなっては完全に計画は崩れてしまう。
それを防ぐ為にもネルガル、いや、会長自身の言質が必要なのだ。
流出をしない、という言質が。
「しかし、ネルガルが俺達の計画に乗るでしょうか?」
「分からん。だが、どちらが儲けられるか。それを説けば、あるいは・・・」
利益を最も重視しているのなら、まだ取り込む余地はあるって訳か。
もし、草壁のように遺跡を得て、その先の何かを目指す者なら無理だけど。
「分かりました。どちらにしろ、バレてしまうのなら、それを使わない手はないですもんね」
「ああ。組織のトップに君臨しているあいつだ。情より利で説く」
「御願いします。アキトさん。こればかりは貴方次第です」
「任せておけ」
心強い返事をもらい、俺は自分の席に戻る。
「・・・あの、コウキさん・・・」
「ん? 何だい? セレスちゃん」
現実世界では何の遠慮もなく甘えてくるセレス嬢。
でも、今のセレス嬢は首元まで赤く染めてこちらを見上げている。
「・・・あちらの私は・・・どうでしたか?」
「え?」
あっちのセレス嬢?
「・・・あの、私、誰かにご迷惑を・・・」
・・・多分、迷惑は掛けてないと思う。
ずっと俺に甘えていただけだから。
「ううん。大丈夫だよ。セレスちゃんは大人しくしていた」
「・・・そう、ですか。ちょっと残念です」
え? 残念?
「・・・多分、私の抑圧されていた人格ならコウキさんに・・・」
俺に?
「・・・いえ、なんでもありません」
と言って、俯いてしまう。
うん。言い掛けだけど、なんとなく分かってしまった。
なるほど。本当にあれは抑圧されていた願望なんだな。
それなら、今度から、もっと甘えさせてあげよう。うん。
「ロン」
お、誰かが揃ったみたいだ。
「次はセレスですか」
・・・セレス嬢の記憶か。
彼女にとって、辛い記憶を呼び覚ましてしまうな。
「セレスちゃん」
「・・・はい」
「手、繋ごうか?」
「・・・え?」
「ね? 手、繋ごう?」
「・・・あ。はい!」
俺がここにいるよって。
そうセレス嬢に伝わってくれると嬉しいな。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・グスッ」
誰かの鼻を啜る音が聞こえてきた。
いや、この場にいる殆どの者が涙を浮かべている。
それ程までにセレス嬢の記憶は悲しみ、苦しみに満ちていた。
「・・・そうでしたか。セレスはこんな目に・・・」
嘆くよう呟くルリ嬢。
同じマシンチャイルドである彼女の心境は俺達なんかより複雑だろう。
ルリ嬢とて一般の子供よりかは全然恵まれていない。
十一歳にしてあそこまで他人を拒否する態度を取っていたのはその環境のせいだろう。
だが、少なくとも、人間扱いはされていた。
人形のような人間と認識されていようと・・・。
衣食住は保証され、痛みに耐えるような事はなかった。
しかし、セレス嬢、そして、恐らくは、ラピス嬢も、ルリ嬢とは違う。
彼女達二人は完全に実験体扱いだった。
衣食住の保証はされず、毎日が苦痛に耐える日々。
周りのマシンチャイルドが死んでいく中、死ぬ恐怖すら実感できずに、ただ毎日を過ごしていた。
死ぬのは怖い。そんな事すらも彼女達は知らなかった。
いや、知らされる環境になく、知れる自我や感情もなかった。
なんて、なんて怖い世界なんだろう。
そんな世界を彼女達は歩いてきたのだ。
思わず・・・彼女の温もりが伝わっていない方の手を強く握り締めてしまった。
「・・・これがネルガルの・・・闇・・・か」
真実を眼の前にして、項垂れる会長。
彼自身はどうやらこのような事業に対して嫌悪感を抱いているようだ。
セレス嬢の記憶を見てからの彼は酷く苦々しい面持ちをしている。
先代会長の闇の遺産。
会長という責任者である以上、真っ当な人間ではやっていけないとは思う。
だが、人間としての感情、倫理観が必要な事も確か。
もしかしたら、ネルガルの闇の遺産に最も苦しんでいるのは彼自身なのかもしれないな。
「・・・セレスちゃん」
「・・・大丈夫です」
しっかりと俺を見ながら話すセレス嬢。
その眼は悲しみに染まりながらも、強い意思があるように見えた。
「・・・今はこうして、皆さんが、コウキさんがいますから」
「・・・そっか」
これだけ悲惨な眼にあっていようと、その瞳は濁る事なく、一生懸命に前を向いていた。
辛い過去を持つ少女。
その傷を俺や皆で癒す事が出来たら・・・。
そう再度思った。
「・・・次は私」
いつの間にか自らの牌を揃えていたラピス嬢。
セレス嬢の記憶を見て、痛ましい表情を浮かべていた者達は更に表情を歪ませる事になる。
ラピス嬢もまた、セレス嬢同様、辛い人生を歩んできたのだから。
だが、彼女はセレス嬢とは違う。
もちろん、それは環境、場所が違うだとか、そんなものではなく、もっと大きな意味で。
そう、忘れてはいけない。
ラピス嬢。彼女もまた、あの未来からの逆行者なのだ。
「・・・そう。ここに来て、ようやく貴方達の目的が分かったわ」
「・・・イネスさん」
沈痛の面持ちでラピス嬢を、そして、その隣にいるアキトさんを見詰めるイネス女史。
既にイネス女史の記憶は皆に曝け出されている。
もちろん、その殆どがイネス女史の記憶に隠された意味を理解してはいなかったが・・・。
「イネスさん。それは・・・」
ユリカ嬢がイネス女史を見詰める。
先程までのラピス嬢の記憶に困惑しているユリカ嬢ではなく、アキトさん絡みだからか、真剣でいて、どこか寂しそうな表情で。
「・・・まだ私の話を聞くのは早いわよ。艦長さん」
「・・・それはどういう・・・・」
「アキト君。ルリちゃん。二人の記憶を見なければ・・・ね」
その言葉を聞き、誰もが真剣な表情でアキトさんとルリ嬢を見詰めた。
「アキト君。ここまで来て、私達に秘密を隠し通す事は不可能よ」
「・・・だろうな」
「それなら、貴方の目的をきちんと話しなさい。貴方だって、その方が良いって分かっているでしょう」
「ああ。だが、その為にも、まずは俺の記憶を見てくれ」
どこまでも無表情で語るアキトさん。
まるで自らの感情を強引に押し込めているかのような・・・。
そんな表情で。
「俺の記憶を見れば、その全てが分かる」
その一言が発端となり、アキトさんの記憶が流出した。
それはある青年の、どこまでも普通で、どこまでも奇怪な物語だった。
火星という地球とは環境が全く違う世界に生を受けた少年。
優秀な科学者を両親に持ち、また、とある軍の要人の娘を幼馴染に持つ。
幼馴染が持ち込んでくる厄介事を迷惑そうに巻き込まれながらも、決して少女を無碍にしない少年。
表向きでは迷惑そうな表情だが、全面的に拒否する訳ではない。
きっと、それは少年の優しさと、ちょっとした優柔不断が招いた事だろう。
このままなら、ちょっと悲惨でいて、ちょっと笑える人生を送っているしがない少年に過ぎなかった筈だ。
だが、そんな少年の環境を一転させてしまう事件が起きる。
それは火星の独立派によるクーデター。
その事件を機に彼は孤独の身になった。
幼馴染の少女は父に連れられ、地球へ帰還。
両親は事件に巻き込まれ、事故死。
頼る術、伝手もない少年は施設で過ごす事になる。
ここから既に彼の人生は歪み始めていたのかもしれない。
気付けば自ずと理解できるだろう。
何故、彼は貧乏生活を送らなければならないようになったのか?
優秀な両親を持つ彼が親の遺産を引き継ぐ事はなかったのか?
何故、こうまで都合良く彼の両親は死んでいったのか?
考えれば考える程に深みに嵌る。
少年の身にありながら、彼は既に大人の汚い世界に蝕まれていた。
しかし、少年はめげる事なく、真っ直ぐに生きる。
幼き日に誓った料理人への道。
何故、こうも味が変わるのだろうが?
地が痩せ、碌な食材を得られない火星。
普通に食べれば、それはあまりにもお粗末な味。
だというのに、料理人が手を加えれば、まるで別の物のように味を変えた。
まるで夢のようだ。
こんなにも魅力的な仕事はない。
少年が青年としての階段を上り始めた頃、同時に料理人としての階段にも足を踏み出していた。
下働きだらけの毎日。
それでも少年にとっては幸せな日々だったのかもしれない。
過程があるから、結果がある。
これも料理人になる為の修行だ。
必死に料理人として経験を積んでいく少年。
そんな時に起きた火星大戦。
少年はまた、前振りもなく悲劇に巻き込まれる事になる。
戦乱に巻き込まれないよう地下シェルターへと避難した少年。
そこで出逢う小さな少女、アイちゃん。
少年に大きな影響を与える事になる少年以上に奇怪な人生を送る少女だ。
幼さ故か、事態を把握しておらず、少年と楽しく会話する少女。
大きくなったらデートしてあげる。
そんな少女らしい言葉に少年は笑顔で応えた。
しかし、そんな束の間の楽しい時間がいつまでも続く訳がない。
地下シェルターを襲う敵の兵器。
地球での襲撃が嘘かのように、容赦なく火星の民を殺戮していった。
その光景は正に地獄絵図。
少女の顔と共に、少年にトラウマを残した。
そして、少年、テンカワ・アキトは跳ぶ。
世界初の生体ジャンパーとして。
その後、トラウマに苛まれながらも、必死に生き抜く少年。
以前同様、とある食堂で下働きをこなしつつ、日々を生きた。
稀にある襲撃に震えながら・・・。
そんな彼に訪れる転機。
それが幼馴染、ミスマル。ユリカとの再会であった。
空港で別れてから数年。
年上なのに年下のようだった少女は成長し、優秀な軍人へと成長していた。
年下のような性格に変わりはなかったが・・・。
彼女の落し物を届ける為、彼女が向かった先、サセボドックへと向かう少年。
そこで眼にしたものこそが機動戦艦ナデシコ。
ネルガル重工が開発した地球最新鋭の名を持つ実験艦であった。
なし崩し的にパイロットへとされた少年。
自らのトラウマと戦いながらも、見事に囮作戦を成功させた。
その後、やはりまたなし崩し的にコック兼予備パイロットとしてクルーの一員とされる。
その時、既にネルガルは動いていたのかもしれない。
初の生体ジャンパーの実験体とするべく・・・。
パイロットとされつつも保険の登録をされず、彼は多大な借金を抱える事になる。
しかし、その事を知るのは当分先の事であった。
その後、ナデシコの目的地が火星と知り、喜びの声をあげる少年。
故郷である火星。
二度とその地を踏めないと思っていた場所に、再び足を踏み出せるかもしれないと。
しかし、順調に進まないのが世の中の残酷な現実。
軍の妨害。
親友、ガイの死。
サツキミドリコロニーでの悲劇。
少年の心は傷付く。
どうして? どうして?
毎日が疑問の日々。
邪魔をするな。
何故、あいつが死ななければならないんだ?
どうして、人が死んだのに平気な顔をしていられるんだ?
葛藤の日々が続いた。
そして、漸く辿り着いた火星。
故郷をもう一度。
そんな思いを胸に抱き、彼は火星の地を踏みしめた。
生き残りなんている筈が・・・。
そんな思いが胸を過ぎる。
だが、少年は幸運な事に見つけ出す事に成功した。
よかった。もう大丈夫だ。
・・・虚しい言葉だった。
少年の言葉は火星の民に届かない。
ある一人を除いてナデシコへの乗艦を拒否。
そして、救助に来たナデシコが・・・彼らを押し潰した。
フクベ提督を犠牲にしての火星からの脱出。
少年は恨みの対象へ叫ぶ。
ふさげるな、と。
しかし、相も変わらず、彼の叫びが届く事はなかった。
地球へと戻ってきたナデシコ。
悲しみに暮れる暇は与えられず、軍の駒として活動する日々。
それでも前向きに明るく過ごすクルー達。
少年はそんなクルー達によって明るさを取り戻していた。
木星蜥蜴討つべし。
そんな軍の考えとは裏腹に、ナデシコは衝撃的な出会いを果たす。
木連軍人、白鳥・九十九。
後に親友に殺され、徹底抗戦への起爆剤とされる悲運な青年。
そして、ナデシコに木連の存在を明かした青年だ。
彼との出会いがナデシコを変える。
軍人として働く日々は変わらないが、彼らの気持ち、目的を変えた。
それが木連との和平。
たかが、末端の兵でしかないナデシコが掲げるには大き過ぎた目標。
幾度の死線を越えた後、彼らは軍と話し合う事もせず、独断で木連へと向かった。
それが後の悲劇に繋がるとは思いもせずに、今はただ和平を・・・と。
木連側の最高責任者であると言える草壁中将との対談。
そこで提示される一方的、かつ、理不尽な要求。
その項目が示す事はただ一つ。地球側の降伏であった。
無論、それを了承する事は出来ない。
ナデシコはその要求を拒否した。
元々、そのような権力自体、ナデシコにはないのだが・・・。
そんなナデシコに同調し、草壁を窘める白鳥。
それが彼の悲劇に繋がった。
親友であった男は自らの正義を盲信し、草壁の命令に従い、白鳥を撃ち殺した。
葛藤し、悩み、苦しみ、結果として・・・。
ニヤリ。
草壁は内心でそう笑ったに違いない。
白鳥・九十九の死を、国民を騙す形で公開し、徹底抗戦を訴えた。
国民の徹底抗戦論は火に油を注ぐ勢いで燃え盛り、遂に戦争は激化する事になる。
どうしても戦争を止めたいナデシコ。
それならば、戦争の原因となったものを失くしてしまえいい。
ナデシコは火星にあるボソンジャンプの演算装置を狙った。
破壊も考えたが、思い出を大事にしたいという銀髪の少女の願いにより断念。
ナデシコは遺跡の演算装置をコアブロックと共に宇宙の彼方へ飛ばす事にした。
それは果たして最善の解決策だったのだろうか?
少年達はただ作戦の成功に喜びの声をあげるだけだった。
それから時は流れる。
その後の少年は久々の平穏を味わっていた。
多大な借金を背負い、暮らしは貧しいものの夢に向かって歩んでいる事を実感していた少年。
その胸中は幸せで溢れていた。
相も変わらず幼馴染はトラブルを持ち込み、少年を慌てさせてが、それでも少年は楽しそうに笑っていた。
幼馴染と、かつて共に生活していた銀髪の少女と共に幸せな生活を送る少年。
そして、幼馴染の父とのラーメン勝負に勝ち、少年は幼馴染との結婚を勝ち取った。
結婚式を挙げる前に新婚旅行をしよう。
少年の故郷である火星へとただ幸せのみを感受していた二人は旅立つ。
それが悲劇への入り口だと気付く事なく・・・。
シャトル爆発。
幸せの真只中にいた少年と幼馴染は死んだ。
そう、“表向き”には・・・。
・・・少年と幼馴染の死。
それは銀髪の少女に底なしの悲しみと絶望を与えた。
塞ぎ込む少女。
周囲もそんな少女を心配し、必死に彼女を支えた。
長い月日と周囲からの温もり。
ようやく長い悲しみから立ち直る事が出来た少女は軍へと入隊する。
更に月日は流れ、少女が少しずつ女になろうかという頃。
再び、彼らの物語は始まった。
ボソンジャンプを利用したボソンジャンプネットワーク建設計画。
その名をヒサゴプランという。
そして、そのヒサゴプランを隠れ蓑としたとある計画。
かつて木連の最高指導者として手腕を振るっていた男が舞い戻ってきたのだ。
火星の後継者、最高指揮官、草壁春樹として・・・。
己の野望を再び叶える為に・・・。
そんな男の登場と共に、謎の幽霊ロボットもまた登場する。
その幽霊ロボットこそ、かつて死亡とされた少年、いや、青年の愛機であった。
そう、彼は死んでいなかったのだ。
彼と彼の婚約者である幼馴染は火星の後継者に捕まり、数多の実験に付き合わされた。
その結果、婚約者は遺跡と火星の後継者との橋渡し役を。
もちろん、人間としての尊厳を奪われた状態で。
そして、青年は料理人として欠かせない味覚を始めとした五感の全てを失った。
夢を奪われ、恋人を奪われた彼は深い憎しみを抱く。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。
際限のない恨み、憎しみは彼の風貌を著しく変化させる。
いや、変化させざるを得なかったと言った方が正しいのかもしれない。
陽気で明るい少年の姿は最早そこにはなかった。
そして、始まる復讐劇。
火星の後継者に関連する全てのものを彼は消し去ろうとする。
傍らに桃色の妖精を携え、その彼女にすらも復讐の片棒を担がせながら・・・。
彼と再会するべく画策する銀髪の少女。
少女はそこで悲しみを知る。
五感を奪われ、揺らぐ事のない鎧を強引に纏わせた哀れで悲しい男の事を。
必死に縋りつく少女。
だが、彼の意思は強かった。
人間の抱える感情の中で、最も強く、最も残るもの。
それは憎悪。
彼の憎悪は少女が思う以上に・・・凄まじかった。
だが、同時に少女は思う。
彼は昔と変わっていなかった、と。
憎悪の奥底にある優しさを見たのかもしれない。
ルリちゃん、と。
そう語りかけてくる表情はどこか昔のまま。
必死に幸せになって欲しいと告げる表情は以前の優しい彼のまま。
少女は諦めなかった。
少女は新しい矛と盾を得て、決戦の地、火星へと向かい・・・。
そして、再び少女は彼に出逢う。
決着を付ける為、復讐の相手に挑む彼。
それを少女は心配の面持ちで眺める。
・・・決着を付いた。
だが、彼は婚約者と会う事なく去っていく。
追いかけるまでです。大切な人を。
その言葉通り、少女は必死に彼を追う。
そう、追い続けた。
幾度も交錯する少女と彼。
必死に想いを伝えようと行動する少女。
桃色の少女と彼はそんな少女をようやく受け入れた。
ただ一人、他に誰も乗せる事なくここまでやって来た彼女を。
帰るつもりはない。だが、少し話すぐらいなら。
昔の顔を覗かせながら、彼は少女のもとへ一歩踏み出す。
・・・それが運命の瞬間だった。
突如辺りに響く轟音。
鳴り止む様子のないエマージェンシーコール。
対面するナデシコCとユーチャリスを襲う突然の振動。
漆黒の宙を更に漆黒な何かが過ぎ去っていった。
損傷するナデシコC。
ただ少女のみが乗るその艦を彼の乗るユーチャリスが護ろうと動く。
アキトさん! ルリちゃん!
そんな悲鳴が聞こえたような気がした。
同時に爆音。
・・・え? アキト? ルリちゃん?
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
そんな婚約者の叫びと共に二つの戦艦は完全に姿を消した。
そして、眼の前には見覚えのある光景。
彼が初めて跳んだ地、サセボシティの光景があった。
彼はこうして、この世界へと戻ってきたのだ。
それからの彼の歩みは誰もが理解できる改変の道。
その軌跡が記憶の流出という形で眼の前の者達に伝わった。
「・・・これが俺の記憶だ」
あくまで無表情に語るアキトさん。
その壮絶な記憶に、誰もが言葉を失った。
「・・・そっか。そうだったんだ」
「・・・ユリカさん?」
そんな中、ふと溢される呟き。
「ごめんね、アキト」
「・・・ユリカ」
「アキトはこんなに辛い思いをしていたんだね」
ユリカ嬢の瞳には涙。
溢さまいと必死に耐えるその姿はどこか痛々しい。
「私の・・・せいだね・・・」
「違う! お前のせいじゃ・・・」
「ううん。私のせいだよ。私の安易な判断のせい」
「・・・それは・・・」
安易な判断。
その結果、遺跡を回収されてしまった。
「それにね、私はアキトを裏切った」
「お前は俺を裏切っていない!」
「ううん。いくら記憶操作を受けていたからって、そんなの関係ない。私は私の為に頑張ってくれたアキトを自らの手で殺そうとした」
ユリカ嬢はナデシコCとユーチャリスの爆破と同時に記憶を取り戻した。
あの叫び声は忘れられそうにない。
ユリカ嬢が心の底から出した悲しみの慟哭は。
「・・・そうだよね。こんな私に近付きたくなんか―――」
「それは違う」
「・・・え?」
「違うんだ。ユリカ」
言葉を遮られて困惑するユリカ嬢。
そんなユリカ嬢にアキトさんは言葉を紡いだ。
「俺がお前を避けていたのは決してお前を嫌ったからではない」
「・・・でも」
「・・・たとえ攻撃されようと、俺がユリカに想う気持ちには何も変わりはない」
「・・・アキト」
「俺は今もなお、ユリカを愛している」
ハッキリと告げられたアキトさんの心。
それを聞くルリ嬢の表情は・・・。
「・・・それぐらい私も分かっていましたよ」
そう言わんばかりの穏やかな笑みだった。
自分ではない誰かを愛していると言われても、動揺する事なく・・・。
「ユリカを愛しているからこそ、俺はお前を意図的に避けていたんだ」
「・・・どうして?」
「気付いてしまったからだ」
「・・・気付いて?」
「ああ。俺の愛したユリカはもうここにはいないんだな、と」
「ッ!」
息を呑むユリカ嬢。
「今を生きている。それなのに、俺が求めるユリカは未来のユリカ」
「・・・・・・」
「俺はお前に未来のユリカを重ねようとした。今を生きるお前にとって最大の侮辱だ」
「・・・アキト。私は・・・」
「本当にすまなかった」
かつてアキトさんが愛したユリカ嬢。
それは未来のユリカ嬢であり、今のユリカ嬢ではない。
そのある意味、理想と現実とのギャップが、アキトさんにユリカ嬢を避けさせた。
きっと、接すれば接するほど愛する人の事を思い出してしまうから・・・。
「俺はお前に出会う前から、お前への態度、気持ちを既に決めてしまっていたんだ」
出会う前からもし拒絶されていたら・・・。
そして、その理由すら分からず、一方的なものであったら・・・。
少なくとも、俺は・・・苦しいと思う、寂しいと思う。
親しくなりたいと、そう思っても絶対に埋まる事のない溝。
そんな現実に直面したら、挫けない方がおかしい。
「・・・なんとなく、避けられている事は分かっていたんだ」
でも、彼女は諦めなかった。
「・・・でも、私にとっての初恋は紛れもなくアキトだから・・・」
アキトは私を好き。
そう言い続けた。
それは、もしかすると、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「私はずっとアキトを追い続けていたの」
挫ける事なく、必死に。
どれだけアキトさんが変わろうと、己の想いに一途に。
「・・・ユリカ」
「辛かった。理由も知らずに避けられるのは」
「・・・ああ」
「どうしてだろう? そう自問自答しても分からない。ずっとジレンマだった」
「・・・・・・」
「その理由が知りたくて、それで、もっとアキトを追い続けた」
悲しそうに言葉を紡いでいくユリカ嬢。
アキトさんにとっては断罪の時。
真剣にユリカ嬢の言葉を受け止めていた。
「えへへ。でも、それって意地だったのかも」
「え?」
突如、表情を笑顔に一転させるユリカ嬢。
その変化にアキトさんやルリ嬢は戸惑っている。
「私ね、ずっとアキトを見ていた。どんな時でも、アキトだけを」
その笑顔には蔭りがなくて、俺自身も驚いている。
どうして・・・ユリカ嬢はこうも平然としていられるのだろうか。
己が避けられる理由を知り、実質的に振られたというのに。
自分は全く関与していないのに、違う自分が既に恋する人の心に住み着いていて。
そんな、理不尽な現実を目の前にして、なんで彼女はこうも笑っていられるのだろうか?
「だからかな? ずっと近くにいてくれた大切な人の事を見ていなかったの」
「・・・ジュンか?」
「うん。私の一番大切なお友達」
そう言うユリカ嬢の笑顔は本当に眩しくて。
「それで、今は私にとって一番大切な男の人」
アキトさんから副長に移った視線に込められた想いが深くて。
「アキト」
「ああ」
「今まで恋する女の子にさせてくれてありがとう」
「・・・ああ」
「これから私はジュン君に恋しようと思います」
「そうか」
「うん。だから、アキトもきちんとルリちゃんを愛してあげてね」
「分かっている。ユリカもな」
「大丈夫だよ。ね? ジュン君」
「もちろんだよ。ユリカ」
しっかりと頷いてみせるアオイ・ジュン。
いつもの弱気な彼の姿はそこにはなく、一人の男としての頼もしい姿がそこにはあった。
「テンカワ」
「何だ? ジュン」
「過去、ユリカを愛してくれたテンカワに僕は誓う」
「・・・・・・」
「僕はテンカワ以上にユリカを愛し、護り通してみせる、と」
「・・・ああ。俺が言えた義理じゃないが、ユリカの事をよろしく頼む」
「任せてくれ。愛する女性を護るのは当然だからね」
「ふふっ。そうだな」
「だから、テンカワ、君もホシノさんを」
「ああ。ユリカを護ると誓ってくれた無二の親友に俺も誓おう」
「誓ってくれ。テンカワ」
「何があろうと二度と愛する者を失いはしない。護りきってみせる」
「ありがとう。テンカワ」
「こちらこそ、ありがとう。ジュン」
対面して男臭い笑みを浮かべる二人。
共に同じ女性を愛した二人は、こうして誓いを交わすのであった。