The great Great GREAT Doctor is Me ! 作:東京<アズマ キョウ>
1097年1月、夜。
◆龍門近衛局前・路面電車駅構内◆
「というわけで、今日は付き合え。下町の【泰山飯楼】店主から新しい紹興酒が入ってたことを知らされてはいたんだが、ここ最近は忙しくて飲みに行く暇がなくってな。龍門の明日のささやかな安寧と次の任務の達成を願って今日は飲むとしようか」
龍門のブロック内を行き来する路面電車の駅待合室にて。
青ジーンズにグレーのブラウス、ファーの着いたベストというラフな格好に身を包んだチェンは、【極東】で織られた黒地の帯と紫苑の花が刺繍された羽織に防刃性ジャンパーを上から着たホシグマに対しアフターの飲みの提案をした。
「喜んで。あの店の料理に酒もつくとあれば小官に拒む理由などありません」
ホシグマはチェンの提案に莞爾として笑った。
ホシグマは近衛局でも屈指の大食と酒豪である。
また酒と料理に評判のある下町の【泰山飯楼】には目がなく、店の酒と新鮮な魚の刺身と肉の膾は彼女が行けば店が勝手にその品の皿を出すほどだ。
言葉遣いこそ平素と変わらず礼儀正しくあるが顔や言葉から漏れ出す喜びの感情がありありと感じられたため、提案したチェンもつられて笑ってしまった。
「飯も旨いからな、【泰山】は。酒も好いのを揃えているからいつも箸も杯も進んでしまって、店のメニューはいつの間にか全て食べて網羅してしまった。……麻婆豆腐の『外道』級の辛さだけはもう二度と食べたくはないが」
「そうなのですか?あそこの麻婆豆腐はそれほどに難物で?」
ホシグマは普段は冷静沈着のチェンが一転して冷や汗をかくのを見て少し驚いた。
チェンは【泰山飯楼】の『
「麻婆豆腐が全部、というわけではない。むしろ他の辛さの等級は何度食べでも飽きないほど旨いんだ。例えば『英雄』級はやや甘口で刺激は弱いが代わりにどの料理とも相性がいい。唐辛子の明るい朱色とよく炒められた挽き肉の色合いが食欲をそそる。一緒に出される烏龍茶も舌に残る辛さをさっぱり流してくれるからとても食べやすい。スワイヤーのお気に入りだ」
「『宝石』級はオーソドックスな辛さで酒と米、麺を喰いたくなる。彩り豊かな野菜が具沢山に入っていて名前に偽りなしだ。味も食感も同時に楽しめる王道さといったところだ。そういえば先日お屋敷に招待された時、護衛のシラユキがフミツキ様に味を再現していたな」
「私のオススメは『天杯』級だ。辛さと旨さが同居しているのに互いが互いを邪魔しない。黒い辣油を使うせいで一見すると黒い泥みたいに見えなくもないが、その辣油が味を更に引き立てるんだ。『英雄』級と『宝石』級との食い合わせも好いぞ。同じ麻婆豆腐だが異なる味付けが施されているから食べ比べするのも悪くない」
「だが『外道』級はなぁ……あれを食うのと狂暴化した浮浪者の工具を顔に食らうのとどちらがいいかと言われれば、外傷である分まだ工具のほうがましかもしれん」
「そこまでですか」
チェンのおよそ料理に形容するものではない例え方にホシグマは目を丸くした。
彼女は顔をしかめて説明を続けた。
「とにかく辛いんだ。深い味わいがあると店主は言っていたが私には辛さしか判らない。『外道』級麻婆豆腐は味よりも口を侵す痛みしか感じられん。外傷の痛みならアーツ技術の治療でどうにかなるが体内の喉や胃に来る痛みな……店主自家製の薬湯を一緒に飲めばその時はともかく後に辛さは残らないが、以前スワイヤーの部下が無謀にも薬湯なしで『外道』級に挑戦してどうにか完食した時があったが……そいつは翌日から急病で休みを取る羽目になった」
チェンは当時スワイヤー麾下の局員に襲いかかった
無論、その局員分の業務がスワイヤー含め彼女の部署内で均等に分配されたのは言うまでもない。
復帰後の局員は暫くの間同僚たちからの辛辣な目線に曝され、『快気祝い』と称して彼が他の局員に奢るまでは部署に微妙な空気が流れたのだった。
「凄まじい威力ですね。料理の評価とは思えません」
ホシグマはそれは最早料理の範囲に間違って入った何かなのではないかと思えた。
「ついでに言うと麻婆豆腐をテイクアウトする時に付くおみやの点心もおかしい。『英雄』級には甘味の定番で具材全てに細やかな調理がなされた杏仁豆腐が、『宝石級』には丁寧に下拵えされまるで宝玉のようなライチが、『天杯』級には極東仕込みの菓子職人が作った餡の詰まった桜餅がついてくる。そのどれもが絶品で単品のセットをテイクアウトで注文してしまうほどだ」
「だが『外道』級には麻婆豆腐を具にした饅頭が来るのだぞ。『外道』級本体で死屍累々の所に持ち帰りで追い討ちをかけるかと思わずツッコミを入れたものだ」
チェンはおみやのチョイスにも触れ、『外道』級の麻婆豆腐がとかく非常識であることを説明した。
「小官はあそこでは刺身や膾主体で麻婆豆腐は食べていなかったのですが、そのようなことになっていたのですね」
「最近は『外道』級を食べる人が1人しかいないということでついに下町の商店街協賛で懸賞すら付いたからな。【泰山】の出す薬湯の原料を売る茶葉屋と『外道』級の
チェンはあの麻婆豆腐に挑む猛者がいることを信じられないといった口振りでぼやいた。
しかしホシグマにはチェンの言った一言のほうが重要だった。
「……ほう、好きな料理と酒の持ち帰りですか。それは小官も興味が湧いてきました」
ホシグマに食に関するスイッチが入ったのを見たチェンは新たな犠牲者を呼んでしまったかと後悔した。
しかし『痛くなければ覚えない』という言葉もあり、チェンは引きとめず忠告するに留めた。
「止めはせん、だが救援もしない。『外道』相手なら私はスワイヤーを囮にしてでも退却する。薬湯だけは必ず飲め。明日真っ当に日の目を見たければな」
「イエッサー」
ホシグマの了承と同時に駅に路面電車が到着した。
同じ待合室にいて【泰山飯楼】を知る人間は鬼族の女性の無謀な試みに人知れず合掌し、彼女の冥福を祈った。
…龍門の平和な1日の終わりに、伝説が生まれた。
◆◆◆
【
以下、当日の【泰山飯楼】を利用していた目撃者からのインタビューである。
[匿名A]
最初は聞き違いかと思いました。
次に聞いた時は呆れました。
三度目に聞いた時は心配しましたが、四度目に聞いた時は喝采を挙げてしまいましたね。
何の回数かって?勿論『外道』の話です。
その日は私も仕事終わりで店の酒を飲んでいたんですが、
「麻婆豆腐、外道というのをお願いします」
と聞こえたんです。
最初は聞き違いか冗談半分かと思ったんですが、店員が
「外道麻婆豆腐、お待ち~」
と言ったのを聞いて呆れました。
一体どこの酔っ払いが
興味半分で注文のあった卓を覗きに行ったんですが、そこにいたのは酔っ払いでも自殺願望者でもなく、極東の伝統衣装と聞く『着物羽織』を着た大樹のように落ち着く鬼族の女性でした。
『外道』に怖じる様子はなく、むしろ楽しみにしているかのように同席の女性と話をしていましたので驚きました、『外道』のことを知らないのかと。
同席の人は苦笑いしてましたので、多分そちらの方は食べたことがあるんでしょう。
きっと辛党の鬼族に『外道』を紹介しちゃってこうなったと。
で、『外道』が届いたわけですがその人、
「これは食欲をそそりますね」
と期待していたんです……初見はね、皆『外道』に騙されるんですよ。
『外道』は外面はいいんですよね、盛り付けと香りは正統派の麻婆豆腐ですから最初に油断するんです。
で、無警戒に食べるとさも口にナイフを突き刺されたような辛さが襲ってくるんです。
ええ、判ります、経験しましたので。
鬼族の女性も同じように無邪気に一口頬張り、私は思わず息を呑みました。
『外道』を前にした人の末路は決まってます。
大急ぎで薬湯を飲むか、その場で叫ぶか叫ぶ間もなく倒れるかです。
店は店主の料理の作る音と店員の配膳を片付ける音しかしませんでした。
周りも『外道』に挑む女性がいるということで見物してたんです。
女性の食べる音だけじゃないですかね、みんなが聞いていたのは。
するとおや?と思ったわけです。
女性は静かに『外道』を匙に掬って食べているんです。
実は『外道』じゃなかったのか?と思いましたが同席の女性が心底心配そうに呼びかけているもんですから『外道』に間違いありませんでした。
なのでもしかして女性は味覚がいかれてしまったのかとも不安になりました。
噂ではあまりの辛さに味覚が吹っ飛ぶなんて話もありましたので。
みんなが固唾を呑んで見守る中、女性は『外道』を汗一つかかずに半分ほど食べると、店主に手を挙げて言ったんです。
「店主殿、この麻婆豆腐に合う酒はありますか?これは中々匙が進みます」
と。
思わず声をあげてしまいましたよ。
『外道』を物ともせず、しかも始終姿勢を崩さずに食べるなんて信じられません。
それとも極東の鬼族っていうのはみんな『ああ』なんですかね?*2
[匿名C]
彼女に『外道』のこと……正しくは『外道』の懸賞について話したのは失敗だと思っていた。
彼女は美酒と美食に目がなくてな。
そんな事を話せば興味を持たないはずがなかった。
私に同僚が無謀な試みで討ち死にするのを眺める趣味などない、しかし一方的に止めるのは彼女の為にならないと思って忠告する程度にしたんだ。
だが予想は大きく外れた。
まさか平然と完食するとは。
疑いのあまり『外道』の皿をほんの一掬い分けて貰ったんだがとても愚かな行為だったよ……。
しかも他の客が彼女に触発されて『外道』を注文してな……判るだろう?全滅だ。
口は痛いが間接的には私達のせいだから混乱を収めなければならず、大変だったよ。
不幸中の幸い、この日の出来事が曲解か誇張かされて口づたいに広まったせいか、翌日の仕事先では
『鬼は外道を喰い殺す』
なんて噂が流れ、向こうが彼女を見ると勝手に恐慌状態に陥ったのでとても業務がやりやすかった。
些か彼女には申し訳ないがな。
[匿名E]
俺もそこに居たんだ。
ドコにって?龍門視察っていう『出張』終わりだったからその店のカウンター席で『目立たないよう』旨いエビ料理に舌鼓を打ってたのさ。
そしたら向こうの席でいきなり大盛り上がり。
覗いてみたら近衛局の鬼姐さんがパクついてたんだよ、あの『外道』をさ!
たまげたねぇ~、一度俺もアレを頼んだお客から一匙『頂戴』したことがあったけど酷い目に遭ったもんさ。
色を喪ったし、しばらく舌がバカになって何の味も判らなくなったでやんの。
『外道』は本当に外道だよ、飯の味が判らなくなるんだからな。
あれを食う時はゲテモノを食べるときにいいかもな、俺はやらないけど。
そしたら、バカはドコにでもいるもんで、鬼姐さんが普通に食べるもんだから店の中にいた二人の酔っ払いが
『俺でもいける』
『本当は大したことない』
とか言って『外道』を頼んだんだよ。
店主も一々警告する義理はないから普通に作って出すんだが、バカにはそれが『ただの麻婆豆腐』って証拠に見えたらしくって意気揚々と大匙、大匙だぜ?あの『外道』を大匙に掬って一口!
どうなったかって?言わせんなよ笑っちまう。
1人は勢い良く後ろに倒れて気絶。
運が良かったぜ?もしも前につんのめってたら『外道』に溺れて溺死してたかもなぁ。
もう1人は余りの辛さに暴れ出すもんだから近衛局の隊長姐さんが取り押さえたってもんだ。
ソイツも有る意味幸運だったんじゃねぇかな?普通は味わえない近衛局の超エリート様直々の制圧術を体験できたんだからな。
俺?いいや、俺は遠慮しておくからよ。
でさぁその後もビックリだぜ?
バカ2人がオネンネしたからソイツらの分の酒やら料理やらが当然余っちまうわけだ、当然『外道』もな。
俺は他の料理を『片付ける』のには協力したが流石に『外道』相手には分が悪かった。
だが鬼姐さんはそうじゃなかった。
「私のせいで店を乱してしまい申し訳ない。彼らの頼んだ皿分は私が払います」
なんとまぁ、泣く子も黙る近衛局の鬼がそう言っちゃったら女だって男だって惚れちまいそうだよな。
いや、男が惚れるのは姐さんだから問題ないのか。
おまけにあっさり2皿分の『外道』をそのまま平らげちまうんだから大したもんだ。
っつっても、店出る時はおみやと店主選りすぐりの酒を3本お持ち帰りができてホクホク顔だったのがこれまたギャップがあって面白かったぜ。
◆◆◆
以下オフレコ。
[匿名W]
『外道』は私の好物の一つでね。
確かにとびきり辛いが次第に深い味わいを感じてくるんだ。
辛さだけに気を取られていると本来の味には気づけない。
こう言えるだろう。
『表面的な所にしか目がいかないなら、その奥深く存在する物には気づけないし、対応することができない』
まるで政治だよ。
とはいえこの『外道』並の辛口を私に申し立てる者はメッタにいないし、辛口と評される連中は大抵言葉の辛辣さで本質を水増ししているにすぎない。
だから私にはアレらの外道振りなどあの『外道』一匙には程遠い。
そして私は毎月『給料日』と定めた日に妻を置いてちょっとした贅沢であの店で1人夕飯を楽しむことにしたのさ。
『外道』を食べると、アレほど連中は辛くない、という再認識ができるのだ。
それに、護衛は必ず着けているとはいえ妻を放って食事を楽しむほうが外道だと思わないかね?
◆感想や改善点などございましたら是非お願いします。
|クリステン《みなしご》は……
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独り星を仰ぐ
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北東に空の揺らぎを見た
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宙を往く舟を見た
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神と新たに語り合った
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「ちょっと出張行ってくる」