走り抜けても『英雄』がいない 作:天高くウマ娘肥ゆる秋
「ずるいデース!」
曇り空の多い十二月にしては珍しく、窓の外には何処までも青い空が拡がっている。
明日から行われる合宿の事前ミーティングを終え、チームメンバーが三々五々に散った後の事だった。裏切られたと言いたげなエルコンドルパサーの声が、チームリギルの部室に大きく響いたのは。
外の空気が冷たくて、いつにも増して澄んでいるように感じるからだろうか。彼女特有の威風堂々とした声が、普段よりも通っているように聞こえた。
中央トレセン学園は全国にあるレース場との交通の都合上、首都東京の中でも比較的立地の良い土地に本拠を構えている。しかし、体が資本であるウマ娘達の健康を支えるべく、敷地内には鈍色の人工物よりも生命力豊かな植物の方が意図的に多い。その為、学園の門を一歩潜れば、そこには大都会の一角とは思えない程の清涼な空気が満ち溢れている。
もしかしたら、空気中に不純物が少ないから、賑やかな声質は伸び伸びと広がるのかも知れないな……なんて、そんな関連性の乏しい考えが、ふと脳裏を過る。
……或いは、普段だと賑やかにしている一人の後輩が、長くこの部室に来なくなったものだから、その声の残滓を時間が消しつつあるのかもしれない。そして、声が抜け落ちて出来た空白の場所を、他の音が埋めようとしているのかもしれない。
シンボリルドルフは、つい、そんな感傷に浸りそうになった。
「エル、仕方がないものを騒いだってどうにもなりませんよ。スピカの合宿に私達まで付いて行く訳にも行きませんし」
「それでもずるいものはずるいデース! だって絶対に楽しいデース! 仲間達と一緒に旅館、温泉、きっとディナーは海の幸とかデス!」
「エルー? 合宿は遊びじゃないんですよ?」
「でもでも、やっぱりスペちゃん達だけ、ずーるーいーデースッ! エルだってそんな日本的な合宿がしてみたいデス! たまにはホテルじゃなくて旅館に泊まってみたいデス!」
「……エールー?」
「澄まし顔してても、グラスだって実はこっそりとそう思って──ひいっ!?」
熱弁を奮っていたエルコンドルパサーは、友人であるグラスワンダーの静かな笑顔を見て飛び上がった。座ったままにしては見事な飛び上がり方だったものの、体勢のせいで、怪鳥というよりは蛙のような飛び方であったが。
勿論、グラスワンダーが別に何かをした訳ではない。だが、エルコンドルパサーは普段から
「うー……じゃあせめて、アフタはリギルの合宿に参加するべきデス。アフタはリギルの仲間なのに」
「仕方ないじゃないか。アタシらが一緒だと、あの子は頑張り過ぎちまうんだからさ」
先輩であり、所属する美浦寮の寮長であるヒシアマゾンが肩を竦めながら、エルコンドルパサーへと軽く言い返した。
それがとどめになったのか、エルコンドルパサーはミーティングで使った組み立て式の机にぺたりと突っ伏した。頬を机で潰れさせながら、唇を尖らせる。
「……でもアフタ、寂しそうデス」
エルコンドルパサーは突っ伏したまま携帯端末をぺたぺたと操作し、じっと画面を眺めた。やいのやいのと騒いでいたが、どうやら本音はこっちのようだった。
画面に表示されているものは、恐らく友人であるスペシャルウィークから先程送られてきた写真だろう。
先程見せて貰ったが、そこに写っていたのはチームスピカのウマ娘四名──スペシャルウィーク、トウカイテイオー、ウオッカ、ダイワスカーレット──と、見た目が幼い一人の少女だ。先輩四人に囲まれていても、いつも通り感情の乏しい顔に眠たげな目を浮かべて、見慣れたジャージ姿で棒立ちするウマ娘──アフターマス。自分達のチームの末っ子である。
チームスピカとアフターマスは本日の朝一番から、沖野トレーナーが運転する学園所有のマイクロバスに揺られて、冬期の合宿──という名目の半慰安旅行──に行っている。写真はどうやら目的地である宿泊先の旅館前で撮ったものらしく、事情を知らない者が見れば、まるで彼女が移籍したと誤解されそうな光景だった。
……果たして、本当に寂しいのはアフターマスなのか、後輩を取られた先輩側なのか。真相は恐らく、当事者にも分からない。
「人怖じしない割に、遠慮しいだしね。まだスピカと壁を感じて猫被ってるのかもしんないねぇ」
「人が集まる所に寄って行こうとするの、猫というより子犬みたいで見ていて可愛らしいんですけどね。本人は気付いてないみたいですが、寂しがり屋さんですし」
「……アンタ、アフタをどういう目で見てるんだい……?」
「何の事ですー?」
「うーん……心配デース……」
ヒシアマゾン、グラスワンダー、エルコンドルパサー。ミーティング後もシンボリルドルフ以外で部室に残った三名の声が姦しく続く。まさか自分の居ない所で先輩連中にこうも話題の種にされている等、アフターマスは考えもしないだろう。
元々、自分嫌いというべきか、自己否定的というべきか……お調子者な性格に反して自分を軽視するきらいがある後輩は、自分が良い方向に評価されているとは考えていない──というよりも、考えられない節があった。加えて、どうも身内に向かい合って心配されるという経験が乏しかったらしく、自分が何故、どういう風に気に掛けられているかにもかなり疎い。
何故かアフターマスの中では、自分はいつ先輩達に見限られても可笑しくない、未熟で情けない奴だ……という自己評価が固定されているらしい。そしてその評価を先輩から否定されても「先輩は優しいからそう言ってくれるんだな」くらいにしか判断出来ない程度の、極めて小さい価値尺度しか存在していないようだった。
自分に厳しいというよりは、自分が認められるという現象を理解出来ない。自分自身を認められない。表向きはムードメーカーである癖に、本心は卑屈で怖がりで臆病者。そんな不思議な性格。
……ひと月以上前に行われた『菊花賞』直前まではそんな後ろ向きな本性も徐々に改善されつつあり、外面だけではなく内面も前向きになり始めていたのだが……彼女が固執する『ディープインパクト』という存在が、またしてもアフターマスの前に立ちはだかってしまったらしい。今回はいつにも増して受けた影響が大き過ぎたらしく、『菊花賞』を境に、アフターマスの自分を安く見積る考えは以前よりも酷くなってしまったのだった。
そして現在では、リギルメンバーから逃げるように家出紛いな武者修行を学園中で始めたものだから、世話焼きな性格のウマ娘が多いリギルメンバーからは、大なり小なり心配される結果となっている。
日本中が新たな無敗の三冠ウマ娘誕生を称えた『菊花賞』の日以来、リギルメンバーは誰もアフターマスと接触していない。東条トレーナーから無許可での接触を禁止された──どういう訳か、アフターマスがリギルメンバーに強い負い目を感じている為、何を仕出かすか分からないかららしい──というのもあるし、本人が明らかにリギルを遠巻きにしている。
東条トレーナーとのやり取りからして本人は鍛えてるだけのつもりらしいが……生徒会とリギルへ差し入れる菓子折りを贈る際、纏めて東条トレーナーに託した事からも、可能性は高いだろう。しかもその託し方というも、東条トレーナーが不在の時間を狙って、書き置きと共に職員室の机に置いて行くというものだった。
東条トレーナーとリギルメンバーが一緒に居る可能性を考えてなのかもしれないが、普段のアフターマスならそんな礼に失する事はしない。
彼女がリギルのメンバーを避けているのは──意識的にか、無意識的にかは別としても──恐らく、間違いない。
「アフタ、色んな意味で誤解されやすいからねぇ……まあ、スピカの奴らは大丈夫だと思うけど……問題は外野だね。本人が少しずつ考え方を改めようとしていても、外からの声が邪魔しちまうし」
「この前も、とても酷い言い掛かりの記事が出てましたよね」
「そうデス! なんで、他のウマ娘を精神的に追い詰める為に追い込みで走ってる……なぁんて言われなきゃならないのか分かりません! 酷すぎます!」
アフターマスが身勝手な雑誌やネットニュースに好き放題書かれる要因の一つは、何を言われても何も感じていないように見えてしまうその姿勢にあった。一貫した無反応というものは、時として人の悪感情を煽ってしまう。
……勿論、だからと言って誹謗中傷の類が許される事はないし、学園のウマ娘達を導く立場として許す気もないが。少し考えれば、アフターマスも人である以上、何も感じていないなんて有り得ないと分かる筈である。もし、アフターマスをきちんと人間として認識していれば……だが。
シンボリルドルフは良くない方向に進み掛けた室内の空気を止めるべく、義務のように口を開いた。
「現代ターフに関しては、学園とURAが連名で抗議文を送っているから心配しなくて良いさ。今後も何か起きるようなら、
「……会長さんがそう仰るなら、信じますね」
「ぐぬぬ……エルが力になれる事があれば、何でも言って下さいね! 例えばカチコミなんかでもエルは最強ですから! パパ直伝の空中殺法が火を吹きますよー!」
「……分かってると思うが、本当にやるんじゃないよ? 分かってると思うが。……それと、ルドルフ。あんたはあんたで無理するんじゃないよ。アタシだってそれなりに色々と経験して来てるんだから、何時でも頼ってくれて良いからね」
「ふふっ……頼もしい限りだ。皆の力が必要な時は、協力して貰うよ」
不承不承といった感じではあるものの、向かい合った三人は頷き返した。
一先ず、ろくでもない方向へと進み掛けた空気を制止出来そうで胸を撫で下ろす。そういうのを考えるのは、生徒会長である自分や大人達だけで良い。
──当編集部は事実に基いて専門家が考察を行い、真実を追及するべく記事を作成しています。それに対し、表現の自由の侵害や検閲等を行うのであれば、如何に中央トレセン学園様やURA事業部様であったとしても、毅然とした対応を取らせて頂きます。
……先日の抗議文への編集部からの返答を思い出し、苦虫を噛み潰した感覚を覚える。顔に出すなんて真似はしないが、心底鬱陶しいと思う。
世の中には、若い才能を疎む人間が一定数存在するが、件の編集部はそれが顕著だった。特に幼く見えるアフターマスは、そんな人種にとって格好の的となる。
前途有望な子供を餌食にしようとする姿勢は何とも度し難いし、以前の──ライスシャワーの『天皇賞・春』の時に一度は出版誌を叩き潰されたのに、まだ懲りていないらしい。編集部どころか出版社自体がそういう人間の巣窟なんだろうなと察してしまい、げんなりとする。
トウカイテイオーでもアフターマスでも良い。自分の後ろを無邪気に追ってくるタイプの後輩の、大人の思惑なんて関係なく純粋に励んでいる姿を見て活力を分けて貰いたい。何なら、スピカの合宿に自費で良いから自分も参加してしまいたい。シンボリルドルフは咄嗟にそう思った。
生憎と、明日からのリギルの合宿は予てから予定していた練習施設を利用する為、スピカとは合宿を行う場所が全く違う。残念ながら、願いは一片足りとも叶わない。エルコンドルパサーのように文句を吐きたくなったが、生徒会長としてぐっと堪えた。
──部室の前に人の気配が現れたのは、そんなタイミングであった。
「──御免下さい! 突然の訪問失礼します、オペラオーさんはご在室でしょうか!」
思い浮かべていた後輩二人とは方向性こそ違えど、純粋そうで元気溌剌と言った表現がこの上なく似合うウマ娘がリギルの扉を開いた。
後ろで一つに纏めた長い鹿毛の髪に、鮮やかな青色のイヤーカバー。服装は学園指定のジャージ姿で、襟の内側にサッカー柄のスポーツタオルを巻いているようだ。
中等部生だろうか……と、咄嗟に考えて、思い出す。直前まで考え事をしていたとはいえ、直ぐに何者かを思い出せなかった事を恥じる。生徒会長として、学園のウマ娘は顔と名前、簡単なプロフィールは覚えていて然るべきだ。
「やあ、君は
「しっ、しし……シンボリルドルフ生徒会長!? うわぁ、凄い! いらっしゃるかもとは思ってたけど本当にいらっしゃった! ファンです、名前を覚えて頂けて光栄です……って、違う違う! 取り乱して申し訳ありません! オペラオーさんはご不在なんですね! どちらにいらっしゃいますでしょうか!?」
「……これはまた、えらくテンション高いのが来たねぇ」
ヒシアマゾンの呟きに、心の中で苦笑いを浮かべながら同意した。エルコンドルパサーはぽかんとした顔をしており、グラスワンダーはいつも通りのにこにこ顔だ。
基本がハイテンションな後輩はリギルにも在籍しているが、どのウマ娘も成長と共に一定の落ち着きを身に付けている。正直、ここまで勢いの良いパーソナリティの人物とリギルの部室で接するのは久方振りだった。
普段なら精々、ばれた嘘を誤魔化そうと必死な時のアフターマスで関の山だ。或いは、今となっては珍しいが、スイッチの入り過ぎたテイエムオペラオーか。
──ハーツクライ。栗東寮所属の中等部生で、テイエムオペラオーやゼンノロブロイと交友関係にあるウマ娘だ。
レース結果においてはデビュー以降ずっと成績が奮わなかったものの、見る者全てに「次こそは!」と思わせる力強い走りと、天性の明るさで観客を魅了し続ける、諦めを知らない燻し銀のシルバーコレクター。
……そんな彼女だが、実はつい先日行われた『ジャパンカップ』において、レコードタイムでゴールを駆け抜けたイギリスの強豪ウマ娘と激しい競り合いを演じている。結果こそ二着に終わったものの、タイム差なしでの接戦で強さを見せ付けた事で、彼女の名声は正に上り調子と言えるだろう。
アフターマスのすぐ上の世代で、今一番注目されているウマ娘は誰か……と
どうやらこの秋に本格化を迎えたらしい、『有馬記念』におけるアフターマスの有力な対抗バだ。
「すまない、実は何処に行ったのか知らないんだ。合宿で暫く会えなくなるファン達に即席オペラを披露すると言っていたから、人が集まる場所だとは思うんだが」
「そう……ですか……くうっ、残念……!」
「……ちなみに、どんなご要件か伺っても?」
心底残念そうな顔の彼女へと、グラスワンダーが質問を投げ掛ける。
ハーツクライがもし裏表のある人物であれば、『有馬記念』でぶつかり合うアフターマスの腹の
「はい! 実はこの前のジャパンカップで凄く良い走りをする後輩達が居たんですけど、彼女達が口を揃えて『私達の宿敵はもっと凄い』って言うものだから正直めちゃくちゃ気になりまして! だから、アフターマスさんと同じチーム
……うん? と、シンボリルドルフは引っ掛かりを覚えたが、ハーツクライに何かを気にした様子はない。気の所為だろうか。
すいません! もしかしたら敵情視察になってしまうかもですが! と一度挟んでから、ハーツクライはあけすけに続きを口にした。
「オペラオーさん達が明日から合宿なのは存じてますが、どうしても今しかタイミングが合わなくて! 本当ならアフターマスさん本人とお話出来れば早かったのですが、不思議なくらい会えないまま、スピカは合宿に行ってしまいましたので!」
オペラオーさんは電話で話すより、直接話した方が臨場感ある語り口調で教えてくれるので、会って話したかったんですよ!
そう言って本気で残念がっている姿からは、少しでも対戦相手を分析してやろう……なんて意図は感じられなかった。
純粋に、有望な後輩達が異口同音に『凄い』と評した相手の事を知りたいという──言ってしまえば、『有馬記念』というレースそのものが楽しみで楽しみで仕方がないという感情だけが滲んでいる。
ハーツクライは年明けから海外に挑戦する為に、色々と準備で忙しくしていると聞いている。彼女にとっては、海外遠征前の最後の国内レースこそが次走の『有馬記念』だ。
きっと年末の中山は、多忙な生活の中であっても待ち遠しい、彼女の目下の楽しみなのだろう。
全員が圧倒的強者であるリギルに居ると感覚がずれてしまうが、師走の末に夢を背負って中山レース場を走る……それは日本のウマ娘にとって、それそのものが夢なのだ。
暮れの中山には、いつだって夢だけが走る。
「あ! 勿論、レースや走りについては聞きませんよ! フェアじゃないんで! どちらかと言うと
あー、レース前に直接会ってみたかった! と一人でテンションが上がり続けるハーツクライ。
……その背後から、いつの間にか近付いているエルコンドルパサーに目を奪われる。
ハーツクライと向かい合っている自分の視点ではゆらりゆらりと擬音が聞こえてきそうな光景だが……背を向けて立っているハーツクライに、気が付いた様子はない。
「後は……やっぱり、
「そ、そうか……もし私で良ければ、話くらいは付き合うが」
──ああ、これはアフタがスピカに移籍したと誤解されてるな。さっきの引っ掛かりはこれか。
……シンボリルドルフは違和感の正体を今更ながらに確信したが、ハーツクライとエルコンドルパサーのシュールなまでの温度差に気を取られてしまい、訂正を入れそびれた。
気疲れしているのだろうか、何だか最近、思考が鈍いような気がする。ジョークの切れだって頗る悪いし、一度ちゃんと休んだ方が良いかもしれない。最後にまともな休みを取ったのは、何か月前だっただろうか……思い出せない程前なので、合宿中くらいはゆっくり精神を休めよう。シンボリルドルフは、そう決心した。
「いえ、大丈夫です! オペラオーさんならともかく、合宿前日にそこまでお時間頂く訳にはいきませんから! それでは、失礼します──」
自身の申し出に断りを入れて、ハーツクライは振り返ろうとして──肩に手が置かれた。やはりと言うべきか、エルコンドルパサーだった。
「──なら、丁度暇を持て余していた私が教えるデス」
「……エルコンドルパサーさん?」
「アフタは……今でも、リギルの仲間デェェエエエス……!」
無表情なのか笑っているのか分からない、不思議な顔。エルコンドルパサーのルチャドーラの様なマスクが、そんな表情を作り上げているのだろう。そう思う事にした。
……何故か、エルコンドルパサーとは真逆の肩へも手が置かれた。いつの間に傍に立っていたのだろうか、手の持ち主はグラスワンダーだった。
「そうですよー。ですから、スピカのゴールドシップさんに聞くよりも、私達に聞いた方が正確ですっ。……それに会長さんとヒシアマ先輩は合宿中の資料を確認する為に残られてますが、私とエルはやる事がなくて残ってただけですので」
「……グラスワンダーさん?」
エルコンドルパサーとグラスワンダー。彼女達の間にウマ娘が立っている姿に、何故か既視感を覚えた。それは凄く身近な後輩だった気がするし、或いは都市伝説で見かける様な『人類に捕まった宇宙人』の写真だったような気もする。
……当のハーツクライは、少し不穏な空気を感じている様子こそあれど、目的が果たせそうで嬉しそうにしているが。なんと言うか、心が強い。
「そう言って頂けるなら是非ともお聞きしたい! あと、噂を真に受けて信じてしまい、申し訳ないです!」
「……では、此処では邪魔になりますし、カフェテラスにでも場所を移しましょうか」
「エル達も話をするけど、ハーツクライが言っていたスピカに移籍したって噂について、ばっちり教えて貰いますよー!」
「では、よろしくお願いします!」
突然の来訪者は、悪くなり掛けた空気を壊して、嵐のように過ぎ去って行った。
扉が閉まる間際に「
急な静寂が部屋を満たす。
「あー……うん。なんと言うか、良いやつだね」
「……そうだな」
「無自覚にグラス達の地雷踏み抜いて行ったけど……あれは本人に悪気があるかどうかというよりは、もうそういう噂が定着してる感じだね」
「……そうだな」
「……流石に、
「……」
シンボリルドルフは、いけると思ったんだがなぁ……と思いながら、ヒシアマゾンの視線から逃げる様に、部屋から出て行ったリギルの後輩達へと思いを馳せる。
エルコンドルパサー、グラスワンダー。どちらも黄金世代と呼ばれるウマ娘だ。
偶発的に同じ世代になった圧倒的な才能が、様々な分野の発展により底上げされた結果の世代……等と彼女達は世間から呼ばれる事もあるが、シンボリルドルフとしてはその意見には懐疑的だ。
きっと黄金世代は、一人でも欠ければここまでの強さを持ち得なかっただろう……そう、本気で思う。彼女達は、お互いがお互いを高め合い、切磋琢磨した末にあの領域まで辿り着いている。
言うのは簡単なそれを、高度な次元で実現した結果こそが彼女達『黄金世代』なのだ。
かつて、シンボリルドルフが無敗の三冠ウマ娘になるよりもずっと前、彼女がまだ
……だから、何となく理解が出来るのだ。黄金世代と呼ばれるウマ娘達が、人一倍仲間意識を強く抱いている理由も。そしてそれは、エルコンドルパサーとグラスワンダーだって例外ではないだろうという事も。
誤解であっても、アフターマスがスピカに移籍した……という噂はきっと、自分が想像している以上に面白くないだろう。
今や学園でも指折りに有名な後輩が、世間へ公表する事なく秘密裏に移籍した……裏返せば、移籍せざるを得なくなるまでの何かがチーム内であったのかもしれない……等というような、仲間の絆を疑われるような噂は。
そんな疑いの眼差しが、大切な仲間に向けられる事が。
「──にしても。
ヒシアマゾンの言った言葉に、意識を真っ直ぐに引き戻す。そして、やんわりと溜め息を零して、同意を示した。彼女がたった今触れた部分は、自分も気になっていた所だ。
きっとヒシアマゾンは自分と同じ様に、『黄金世代』について今更考えていた訳ではないだろう。それでも、ハーツクライから聞いたその台詞は、やはり聞き流す事は出来なかったようだ。
独特の価値観で結ばれた世代という点では同じだが、時に『最強世代』と呼ばれるエルコンドルパサー達と、時に『最弱世代』と呼ばれるアフターマス達とでは事情が大きく異なる。その上での、ハーツクライから告げられた新しい情報。
──凄く良い走りをする後輩達が居たんですけど、彼女達が口を揃えて『私達の宿敵はもっと凄い』って言うものだから──。
不仲であるとまことしやかに語られる、アフターマスと彼女の同期達の関係性。その真実は、つまりはそこに集約されているように感じる。
きっとそれらは、どちらもが本物なのだろう。そしてそれらはもはや、強固に絡み付いてしまっていて、おいそれと解けるものでもない。どちらの糸がより強いのかなんて分からないが、本当に難儀だとしか言い様がなく、目を覆いたくなる様な惨状だった。
「いつか分かり合えると良いんだけどねぇ、あの子達も」
「
「年長のアタシ達が口出しすると、下手したら余計に拗れて、もう二度と良い関係にはならないかもしれないからねぇ……厄介だよ、人間関係ってやつは」
「それでも、なる様にはなるさ。いつだって、それが
きょとんとした顔を浮かべてから……ヒシアマゾンは珍しく、くすくすと笑った。
何となく
窓から覗く空は青い。ずっと続く青色の下では、今も後輩達が新しいドラマを描き続けている事だろう。
実は一つ、リギルでは生徒会長である自分だけが知っている興味深い話題があるのだが、それはそろそろ花開いてる頃だろうか。
シンボリルドルフは後輩達へと最大限の愛を込めて、心の中で独り言ちる。
どうか、アフターマス
■□■
合宿先にあるウマ娘の練習用施設は、屋内と屋外に別れて練習スペースが存在する。
屋外は主に実践向けのスペースで、広々としたトラックが芝、ダート、ウッドチップと各種揃っている。変わり種として、少し離れた場所に砂地や洋芝擬きのコースだってあるらしい。
一方、屋内は各種機材やら温水施設やらを用いる為のスペースで、基礎的な身体機能を養成する為の場所と言える。最新の機材ではないものの、十分な機能性を保持する少々年季の入った設備には、時間によって積み重ねられた確かな温かみすら感じられる。
だからという訳ではないが、真冬のこの季節は用が無ければ屋外よりも屋内に居たいと思うのは、哺乳類として真っ当な感性だろう。
……そんなウマ娘にあるまじき言い訳をしながら、当分使う予定がないからと練習用ターフから逃げたのが、人を弄ぶ事が生き甲斐の三女神に、変な邪気を回させたのかもしれない。
「──なんっ……で、あんたがここに居るのよ、アフターマスっ!?」
声の色は驚きが濃くて……そしてそれは、俺が抱いた感情と同様だった。
きょろきょろと見回せば、少し離れた所に、前回も一緒に居た友達らしい二人も連れ立っている。彼女達は同じチームなのだろうかと思いながら、小さく手を振ってみる。最後の別れ際が別れ際だったので、おっかなびっくりだ。
すると、二人とも揃って苦笑いを浮かべ、手を振り返してくれる。そのまま、ゆっくりと俺と藍染色の少女の元へと歩み寄った。
どうやら藍染色の少女や俺と違って、彼女達は俺とスピカが同じ練習施設を拠点に合宿を行うと知っていたらしい……と言うよりも「え、知らなかったの?」と言いたげな顔だから、つまりは俺と藍染色の少女のリサーチ不足らしかった。
少女の大声に反応して、スピカの先輩方が首を傾げながら近付いて来ているのが見える。身振り手振りで何でもない事を告げた。
一応は納得してくれたのか、先輩方は遠くから見守るような体勢を取ってくれる。会釈を一つしてから、同期の三人に向き直った。
「えっと、今日は施設の見学に……何日後かには、俺も此処のお世話になるからさ。もし練習中に会ったら仲良くして貰えると嬉しいなって」
「い、や、よ! なんであんたと仲良くしなきゃなんないのよ、この非合法ポニー!」
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。僕らの合宿の目的を思い出してみてよ? むしろラッキーだと思おうよ、ね?」
「そもそも、実際に単なる偶然なので、珍しい経験だなと前向きに考えた方が建設的ですよ。合宿期間は宜しくお願いしますね、アフタさん」
「あ、僕も宜しく!」
「あんた達は敵をすんなり受け入れようとすんな!」
「短い期間だけど、宜しくね」
「だから、宜しくしないわよ! あー、もう!」
ははは……と有耶無耶に笑って誤魔化す。
どうでも良いが、単身で仲良しグループの前に立つと、友達の少ない身では何となく居心地が悪い。
ちらりと、一応身内の先輩方を伺ってみた。年長者特有の優しい目をしていて、別の理由で居た堪れない。
だがそれはそれとして、今は初めて来る俺の為に設けてくれた施設見学の時間なので、あまり時間を自分勝手に使うべきではないだろう。ここらで切り上げた方が良い。実は、旅館に荷物を置いて直行してきたので、まだ今日は荷解き等のやるべき事が山ほどある。
「じゃあ、俺は施設見学に戻るよ。邪魔してごめんね、練習頑張って。それじゃあ、また──」
「──アフターマス!」
前を向いて、一歩を踏み出す──最中。
先輩方と合流しようとして、藍染色の少女に呼び止められた。なんだろうかと思い、眉根を軽く上げて後ろを振り返る。
仕方がないなぁと言いたげな友人二人をものともせずに、藍染色の少女は、此方をじっと見詰めていた。まるでレース中のような、焼けるような威圧感を纏わり付かせながら。
「
真摯な少女の眼差しが、深く突き刺さる。
宣戦布告が好きな少女だなぁ、と思う。以前、捨て台詞を吐いて行ったくらいだから、本当に勝ち気が強いのだろう。学園指定の赤いジャージが、彼女の内心を映しているように見えて……無性に、それが眩しく感じる。
不遜な少女への返答は……何故か、何一つとして思い付かない。笑って誤魔化す気も、全くしない。
ぐるぐると色んな事を頭の中で巡らせてみて……でも、どうしても適切な言葉が出て来ない。
だから、俺はただ一言。「そっか」とだけ返した。
そっか、つまり俺はそんな奴なんだな……そう自分自身が言っている気がして、そんな自分を更に嫌いになる。
窓の外から見える空は、相変わらず空虚で何もない。
十二月は雲が多いはずなのに……どうしてか空は、ひたすらに青いだけだった。
姉コンドルパサーという、突如作者の脳内に溢れ出した存在しない記憶。